INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/07/16

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2009年07月16日(Thu)▲ページの先頭へ
Media Pointと同一性:自己と他者の関係様相:外界的同一性フレームと内界的差異共振性
先に、Media Pointにおける「苦」の様態を隠蔽して、同一性フレームが形成されると言った。
 では、「苦」の力学とは何か考えたい。根源的には、原差異共振性がある。これは、+iと-iとのProto-Resonanceである。言い換えると、純粋無垢な心魂である。
 しかるに、成長するにつれて、⇒+1の+1の物質要素が強迫的になる。つまり、物質的欲望の問題である。ここで、差異共振精神が途切れると思われる。「苦」のため、他者否定が為されるのである。
 丁寧に考えよう。「物質的欲望」とは本来、他者-iへの欲求ではないだろうか。ならば、本来、精神的欲求である。だから、「苦」とは、他者-iの喪失と言えよう。だから、(+i)*Φ⇒0という様態になっているだろう。⇒0が苦であり、空虚である。
 とまれ、例えば、他者が食べ物である場合は、それを食せばいいのだから、一般的には簡単である。しかし、他者が高度に精神的なものである場合、それは、簡単に満たせないのである。
 思うに、うつ病とは、このような状態ではないだろうか。高度な精神的他者の喪失ではないだろうか。
 物質的欲望が強いときは、それはほとんど無視されるだろう。しかし、物質的欲望が満たされた後、高度な精神的欲求が生まれると考えられる。つまり、+iは多様な志向性であり、高度な精神的志向性から物質的な志向性まであり、本来、すべてを満たす必要があると言えよう。
 しかるに、+iが同一性フレームを形成すると、+iが本来もつ高度な精神的な志向性が疎外(阻害)されると考えられる。つまり、分裂状態になるのである。+iは、精神的志向性をもちながらも、同一性フレームに限定されているために、精神的志向性を満たすことができなくなるのである。これが、うつ病やその他の精神の病気の根因ではないだろうか。
 とりあえず、(A)同一性的自己と(B)差異共振的自己の両面に分裂すると見よう。(B)の要素が発動するとき、(A)はそれを抑圧するのである。この抑圧が暴力・攻撃的衝動である。つまり、他者への暴力・攻撃衝動の発現である。
 しかるに、(B)の要素の排除とは、差異共振的欲求が満たされないことであり、精神的エネルギーが枯渇することであると考えられる。これが、うつ病を発症させる根因ではないだろうか。
 他者である-iに対する差異共振的志向性の拒否であり、本来的な差異共振志向性の否定である。
 では、実際的に言えば、どうやって、高度な精神的欲求を肯定できるようになれるのか。これは、近代主義の乗り越えを意味するので、困難な問題である。何故なら、近代主義という同一性=物質的「合理性」に支配された時代は、絶対的差異=精神的「合理性」を無視しているからである。脱近代主義、トランス・モダンへの不連続な変異が必要であるからである。
 端的に、具体的に、どうすればいいのか。東洋的身体論を学ぶ必要があるだろう。では、どうして身体論が必要なのか。
 何故なら、高度な精神的欲求+iの他者-iは身体、ないしは、内的身体に存するからである。いわば、同一性的対象(「他者」)は外界に存したのである。それは、とりわけ、視覚認識によって把握される。そして、近代合理主義はそのように発展したのである。
 しかしながら、視覚は、一般には、身体性、内的身体性を把握できない。思うに、主観的身体性と言う方がいいだろう。
 結局、外界志向の視覚をいわば、内界に向ける必要があると言えよう。ここで、東洋的身体論が必要となるのである。禅はこの内的身体に「視覚」を向けたものだろう。あるいは、ヨーガや気功もそうだろう。
 この内界的視覚、内的身体視覚によって、自己知性+iは高度な精神的他者-iに遭遇するのである。そして、そこで生まれる内界的視覚を形成することで、外界に対しても、精神的視覚をもつことができるようになり、外界の「美」、崇高美等を知覚できるようになると考えられる。以前、イデア叡知光と呼んだものがあるが、それは、正に、精神的視覚によって知覚された現象の光、即非的光である。とりあえず、ここで留める。


共産主義者と信者の共通性:Media Pointを同一性フレームで枠付ける
以下、Kaisetsu氏が愚樵氏の論考を背景を辿って解明しているが、私が直感したのは、「共産主義者」と「信者(カルトの信者という方が的確である)」とは共通の精神的枠組み(フレーム)をもっているということである。
 少し考察しよう。愚樵氏の警句「共産主義者とは、イデオロギーを最下部の構造とする者だ」は、思うに、「Media Pointという基底(最下部の構造)に同一性を形成する者だ」と言い換えられるのではないだろうか。
 本来、基底のMedia Pointは、即非様態・差異共振性をもつが、それが、同一性フレーム(因みに、愚樵氏は、知的フレームという用語を独創していた)で枠付けられた事態がそこで意味されていることではないだろうか。
 この同一性フレームがイデオロギーと言えよう。近代人は、ほとんどが、同一性フレームをもっているが、それと共産主義者・信者のそれとの違いは何であろうか。
 それは、Media Pointの様態に違いだと思う。即ち、近代人は、同一性フレーム(超越論的同一性・構造的同一性)をもつものの、一般には、Media Pointを微弱ながらも「心」として発現させていると考えられる。
 しかしながら、共産主義者・信徒となると、Media Pointそのものの上に同一性フレームを設置するのである。このMedia Point/同一性フレームの構造において、共産主義者の場合は、同一性が共産主義であり、教条化するのであり、信者の場合は、同一性が神であったり、教祖であったりする。
 結局、絶対的な連続的同一性が共産主義者と信者には存していると言えよう。(今、思いついたが、橋下知事もこのタイプである。狂信家である。)
 私の持論である「近代的自我は狂気」であるというのは、この絶対的連続的同一性に正確に当てはまると言える。
 さて、この絶対的連続的同一性という狂気の根因は何であろうか。これは、心の病や社会の病巣に実に関係するので、重要な問題である。そう、また、民主主義における衆愚政治とも関係する問題である。この問題は以前、何度も検討したが、ここで再考することになる。
 端的に、Media Pointの「力」の問題である。(ひょっとしたら、Media Pointは精神のブラックホールかもしれない。)
 Media Pointは、感受性の原点であり、また、能動性の原点である。つまり、受動性と能動性の二重点である。受動性においては、外界や内界の様々な苦を感じるのである。ここで、苦に対する忍耐力の微弱、劣弱な性格の者は、ここで反動化して、能動的に同一性を構築するのである。
 言い換えると、差異に対する苦への忍耐の弱さから、反感的に能動的に同一性を形成するのである。
 つまり、Media Pointの苦において反感を帯びる様態において能動的同一性を形成するのである。Media Pointの否定態において、同一性が形成されるのである。これが、絶対的連続的同一性の成立のあり方である。
 言い換えると、Media Pointの苦を誤魔化し、排除し、隠蔽するように同一性フレームが形成されるということである。これは、いわば、「敵」からの防壁なのである。
 つまり、有り体に言えば、自己の弱さを誤魔化すための同一性フレームなのである。だから、教条的、狂信的なのである。自己の劣弱さを守るための防壁であるので、恒常的に攻撃的なのである。
 ここで、以前の問題の蒸し返しとなるが、この同一性フレーム型人間は、心の劣弱さがあるが、果たして、精神的教養や経験等によって、Media Pointの肯定を学ぶであろうか、という問題がある。換言すると、愚民は賢くなるだろうか。
 やはり、劣弱の心は劣弱な心である。しかしながら、何らかの教育によって気づくことがあるかもしれない。
 もっとも、高貴な心の人間が指導的な立場に立ち、導く体制が理想的であろう。
 とまれ、ここで、内省教養が必要になったと言えよう。それは、とりわけ、仏教や哲学によって、形成されると言えよう。近代主義は、特に日本においては、両者が欠落しているのであり、劣弱な心は同一性フレームを嵌められて、怨恨的「精神」を形成すると考えられる。
 後で整理したい。
 
****************

共産主義者とは、イデオロギーを最下部の構造とする者だ by 愚樵空論
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu

参照:
どちらも搾取

愚樵空論


   




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カレンダ
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