INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/06

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2009年06月29日(Mon)▲ページの先頭へ
構造主義からトランス・モダンへ:Kaisetsu氏の重要な解明
本件の進展を具体的に検証している。コンパクトながらも、トランス・モダン哲学の要点を明確に提示している。
 トランス・モダン哲学=プラトニック・シナジー理論は、必然、あるいは、摂理である。これは、創造というよりは、宇宙、自然、社会の真理の開示(「黙示録」)である。

***************

「選択の限界」から、構造主義からトランス・モダンまでを説明してみる。

以下、冒頭引用。

 次の愚樵氏のブログに、

「選択の限界」〜好き嫌い
2009-06-25

次のような問題が出ています。

 

会社員 ・・・
 もしここに手榴弾が投げ込まれて、誰かが抱え込まなければ全員が死んでしまう場合、実際どうしますか? 率先して、手榴弾を抱える人はいるんでしょうか?
数理経済学者 その場合、「集団的合理性」は、誰かが犠牲になって抱えるよう命じますが、「個人的合理性」は自分以外の誰かが抱えることを命じます。囚人のジレンマから社会的チキンゲームに至る議論の根底にあるのが、この2つの合理性の衝突なのです。

http://blog.kaisetsu.org
/?eid=764614
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu

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検討問題:西欧キリスト教の滅亡とイスラム教・ユダヤ教の発展:日本はゾロアスター教化すべきだ
米国のキリスト教は一先ずおいて、西欧キリスト教について考えると、もはや、力をもっていない。逆に、イギリスでは、クリスチャンは違和感をもたれている。
 つまり、西欧では、キリスト教は死んだのである。思うに、神が人になるとは、邪教であると言ったが、実は、それは、神が無力になることではないのか。超越神であり続けてこそ、神の威信があるのではないだろうか。
 この点では、イスラム教やユダヤ教は強力であると考えられる。人となった神の宗教とは、近代化・世俗化がなされると、意味がなくなるのである。
 では、米国のキリスト教とは何か。これは、民主主義と結びついているのである。いわば、国是である。この神は、超越神である。キリストではないだろう。
 
追記:日本の宗教伝統である神道/仏教は、これまで述べたように、ゾロアスター教と融合すべきである。これが、トランス・モダン日本の文化の基礎となろう。

Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation

参考:以下のサイトの信憑性は不明であるが、1の定義には驚く。根源的な三神ということは、記紀の三神と通じるのではないか。後で検討したい。

追記:古事記では以下である。

###引用開始###

別天(ことあま)つ神五柱(いつはしら)独神(ひとりがみ)

* 天之御中主神 (あめのみなかぬし)独神、天原の中心の神
* 高御産巣日神 (たかむすび)独神、生成力の神格化
* 神産巣日神 (かみむすび)独神、生成力の神格化
* 宇摩志阿斯詞備比古遲神 (うましあしかびひこぢ)独神
* 天之常立神 (あめのとこたち)独神

###引用終了###
http://ja.wikipedia.org/wiki
/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98

天之御中主神 がアフラ・マズダ、
高御産巣日神 がミトラ、ないしは、スプンタ・マンユ(聖霊)、
神産巣日神 がアナーヒター(Media Point?)
であろうか。

****************
 
ゾロアスター教の神話
――ゾロアスター教の創世神話――

1.ゾロアスター教の定義
 マズダー教、ミトラ単一神教、女神アナーヒター崇拝を折衷し、アフラ=マズダー、ミトラ、アナーヒターを至高三神として崇める宗教。
http://homepage2.nifty.com/Mithra
/HP_Mithraism_Myth_Zoroastrianism.html



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短絡的な橋下&東国原のダミー新党結成
今度の歴史的な衆院総選挙であるが、結局、Kaisetsu氏が指摘しているように第二の小泉「構造改革」路線と脱「構造改革」路線の決戦を意味する。
 前者は、悪神路線であり、後者は善神路線である。しかしながら、民主党内にも悪神路線が内在しているし、鳩山邦夫氏のように自民党内にも善神路線は存在する。
 政党という言葉、同一性の言葉に騙されてはいけない。
 とまれ、再び、愚民層が悪神の戦術にひっかかるかどうかが、勝敗のポイントである。二匹目の泥鰌がいるか。
 問題は大不況という大惨事があり、地方が零落しているのである。これは前回の衆院選挙とは異なる「質」である。没知性のマスゴミ路線が勝利するのか、それとも、知性の路線が勝利するのか。
 人間は言葉ではなかなか理解しないが、身に応えると反省する傾向がある。それは、精神的身体の苦の経験である。目覚めた層が多少あるだろう。
 結局は、同一性資本路線が差異資本路線かであるが、後者が明確になっていないだろう。同一性資本路線が、日本を亡国的にしたのである。
 明治維新は地方武士によって為されたのである。地方人士が平成維新の原動力となると思われる。

#################

* 2009年06月27日
o 究極の民主党つぶし、それは橋下、東国原の新党結成だ new!!
* 2009年06月24日
o  異様な局面からお笑い局面に移った日本の政局 2009:06:24:07:46:50
* 2009年06月23日
o 米国の元捕虜に謝罪した藤崎駐米大使

天木直人のブログ

参考:
◆ 2009/06/27(土) 知らぬは 自民党内の “抵抗勢力” だけ…
 来たる総選挙は,このままでは自民党は完敗する.
 そこで “起死回生の秘策” が模索されることになる.
.
 たとえば,細田博之,笹川尭,保利耕輔ら人気ゼロのトリオ (党三役) を…,
 浮動層やB層に人気がある,舛添要一,石原伸晃,石破茂らに変えて選挙を闘う!
 という案である.
 この若手人気トリオを従えて選挙戦の陣頭に立つ! というのが麻生総理の願望だ.
.
 ほかにも…,
 鳩山邦夫と麻生総理が仲直りし,鳩山邦夫が閣内に戻る…,
 あるいは,小池百合子や山本一太を閣内に入れる…,
 といった選挙向けの内閣改造案も出たようである.
.
 しかし,どれも中途半端な凡手だ.
 沈みはじめている自民党という泥舟は,姑息な応急処置では到底助からない.
 そこで出てきたのが,ビックリ仰天の “起死回生の秘策” ,すなわち…,
 東国原英夫が自民党総裁候補として自民党の先頭に立つという “究極の秘策” だ.
.
 この “究極策” は,たんなる “案” ではなく,すでに規定の路線だ.確定している.
 つまり,米国奥の院も,日本の財界も,霞ヶ関も,電通も,検察も,皆了解している.
 (知らないのは,自民党内の “抵抗勢力” だけだ.)
 マスコミは総揚げで “究極策” を全力応援せよ! との “絶対命令” も発令済だ.
 マスコミも政権交代後の “弾圧” が恐いので,東国原の自民党を全面応援だ.
.
 いまや,東国原英夫はマスコミ界において,そのまんま帝王だ.
 日本のマスコミを支配する “恐ろしい権力 (absolute power)” の存在を知って…,
 ビートたけしは,東国原英夫に対する態度を180度変えた.
 昔のように 「おまえ!」 とか 「ひがし!」 などとは呼ばなくなった.
 「知事,知事」 と呼んで,ほとんど幇間.可哀相なほど萎縮している.
 いっぽう,東国原英夫は自信に溢れている.ほんの少しだがオーラが立ってきた.
 東国原英夫.
 この男は,もう “昔のまんま東”,いや “そのまんま東” ではないのである.

飯山一郎の小さなHP:低下低下=てげてげ

*****************

「モノ言う知事」に共感? 中部圏の知事にアンケート

2009年6月28日 朝刊

 次期衆院選の日程が取りざたされる中、大阪府の橋下徹知事が支持政党の表明に向け、自治体の首長でつくるグループを立ち上げる方針を示し、波紋を広げている。宮崎県の東国原英夫知事も国政への意欲を示すなど、「モノ言う」知事に、あらためて注目が集まっている。この地方の知事に、その動きについて聞いた。

 ■橋下知事呼び掛けの新グループに参加するか

 愛知・神田真秋、三重・野呂昭彦、長野・村井仁の3知事はそろって参加を否定。

 知事が支持政党を鮮明にすることに対しても、神田知事は「心情は理解できる」としながら「地方分権だけを取り上げての表明は適当ではない」との意見。野呂知事も「住民に近い立場から国に意見を言うことは大事だが、自分の考えている議論の枠組みとは違うから加担しない」とする。

 一方、滋賀県の嘉田由紀子知事は橋下知事の誘いに対して回答を保留したと言い、「各党のマニフェストがそろった段階で考えたい」と含みを持たせた。

 ■地方分権は国政の動きがないと実現しないか

 岐阜・古田肇知事は「地方分権については、国も地方もコンセンサスがあると思う。それぞれが取り組めばいい」との考え。

 神田知事は「真の地方分権へと発展させるには、国政レベルの政治の力も不可欠」。村井知事は「中央の政局にかかわって、手を突っ込むことでしか、地方分権が実現できないとは考えていない」とする。

 「中央集権体制の弊害は、地方でこそ実感する。地方から声を上げないと何も変わらない」と話すのは嘉田知事。

 野呂知事は「地方分権は地域主権確立のための手段。直轄負担金なども、地域主権社会を考える中での議論が大事だ」とした。

 ■東国原知事の国政転身の動きをどう見るか。自身の転身の可能性は

 国政への転身を考えているとした知事はいなかったが、自民党から出馬要請を受けた東国原知事について、嘉田知事は「分権を実現したいという強い思いについては共感する」と理解を示す。

 ただ、ほかの知事からは距離を置くコメントが相次いだ。野呂知事は「東国原知事のことは論評したくない」。神田知事は「コメントする立場にない」と回答を避け、村井知事は「それぞれの考えで行動しているんだと思う」とするにとどめた。

http://www.chunichi.co.jp/article
/national/news/CK2009062802000154
.html?ref=rank


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イデアとは具体的観念・現実的観念である:イデアは現象を生む:物質こそ抽象である
イデアと言うと、なにか非現実な、あるいは、形而上学的な理念・観念と思われるだろう。
 しかし、PS理論におけるイデアはまったく異なる。イデアは実に現実的である。現実の本質・本体・実質と言える。
 イデアこそ、現実の核心であると言えるのである。そう、イデアは現象を生む。これは実に驚異的にすばらしい。奇跡的でもある。いわば、自然の天才性である。
 近代においては、現象と物質が混同されているので、人間の認識・知覚は盲目になっているのである。小泉元首相等のいんちき政治家に騙されるのも、イデア ⇒現象と物質との区別がついていないからである。そう、イデアはエネルギーである。あるいは、デュナミス/エネルゲイアである。そして、物質はエンテレケイアである。
 アリストテレス哲学には現象に当たる用語がないようである。おそらく、エネルゲイアに含まれるかもしれない。

追記:あるいは、エンテレケイアを現象とするべきかもしれない。この点は後で検討したい。

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2009年06月28日(Sun)▲ページの先頭へ
プラトニック・シナジー理論の流布
プラトニック・シナジー理論の流布
テーマ:プラトニック・シナジー理論
以下、PS理論でGoogleで検索したらでてきたブログ記事であり、PS理論を実に的確にまた敷延して説明している。見事に正鵠を射ている。
 また、共振と反共振という考えも興味深い。
 
**************************

[296] 混沌としての空っぽの器(1)
From: 生成門
イメージ

混沌としての空っぽの器(1)
<補完共振>

四次元能では、様々なナビゲーターとシムダンスをしています。ここで紹介するのは、rensi氏が主催するプラトニックシナジー(PS)理論です。

四次元能全体の文脈で、イデアと現象が交差する複素平面、自己認識の方程式{i*(-i)⇒1}、空(メディアポイント)が出てきたら、PS理論からの受売りです。ただし、独自の解釈をしていますので、忠実な受け売りかどうかは怪しいかもしれません。詳しくはPSのHPを参照してください。
http://ameblo.jp/renshi/
このHPの最初に、「ポスト・モダン理論を乗り越えるトランス・モダン理論として、プラトニック・シナジー理論を深化させています。非常にシンプルですが、多様な領域に適用可能だと考えています。」というイントロがあります。四次元能は、その適用を臨床的に実験していると思ってください。

その中でも、PS理論の中核はなんといってもイデアと現象が交差するメディアポイントでしょう。ここをしっかりと抑えておかないとせっかくのすばらしい理論も応用の段階で、とんだ間違いを犯してしまうでしょう。先端の物理理論を学んで、平和利用と称して原子爆弾を作ってしまうようなことなりかねません。

今回は、その真髄に触れてみたいと思います。ただし、そのまま紹介しても、ちんぷんかんぷんなので、独自の解釈をしていきます。ですから、タイトルも「メディア・ポイント」ではなく「混沌としての空っぽの器」です。詳しくは「英知の探求」を参照してください。
http://antares111.exblog.jp/5772459/

以下、編集引用しました。

http://www.c-player.com/ad00178
/message/20090613?format=time

次も興味深い。

発言正4面体イデアはまるで生き物(2) (0)
発言正4面体イデアはまるで生き物(1) (0)


シムダンス「四次元能」
(サークルID:ad00178@circle)

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2009年06月26日(Fri)▲ページの先頭へ
精神と身体:ヒトとサル:精神的身体と物質的身体
進化論の問題は、精神的身体ではなく、物質的身体中心である点である。精神的身体から見ると、ヒトとサルとは不連続である。何らかの「精神の侵入」という変異があったと考えられる。
 今はざっと言うだけだが、精神的身体の形成があるのである。それは、⇒+1である。しかるに、物質的身体は、+1である。おおざっぱにいうと、気的身体がヒトの根源的身体である。
 しかし、知的身体もなくはならない。これは、自己的身体ではないだろうか。また、差異的身体と言えよう。つまり、知的・自己的・差異的身体である。そして、これは、差異共振・即非的身体であり、また、言語的身体である。
 結局、精神的身体と物質的身体の絶対的区別が必要であるということである。
 これを貨幣論に適用すると、精神的身体としての貨幣と物質的身体の貨幣があるということになる。あるは、差異的身体貨幣と同一性的身体貨幣である。
 デジタル・マネーは当然、後者である。トランス・モダン貨幣とは、前者である。それは、精神性をもった貨幣である。Kaisetsu氏が提唱される銀本位制はそのようなものである。
 
ヒトとサルの共通の祖先?=4700万年前の化石「アイダ」−NY

 【ニューヨーク19日時事】ノルウェーの研究者率いるグループは19日、米ニューヨークのアメリカ自然史博物館で、4700万年前の霊長類のほぼ完全な化石「アイダ」を公開した。同グループはアイダについて、ヒトやサルの共通の祖先に非常に近いとみており、進化の過程解明に大きな役割を果たすと強調している。
 米メディアによれば、アイダはキツネザルのような姿をした生後約9カ月のメスで、体長は約90センチ。指先のつめはヒトに近い特徴を備えているという。草食性で、水を飲んでいる際にガス中毒により意識を失って湖底に沈み、化石化したとみられている。(2009/05/20-10:22)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=
200905/2009052000252&
rel=j&g=afp

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2009年06月24日(Wed)▲ページの先頭へ
諸検討問題:後で考察を行いたい。
1)同一性狂気:人間の脳と身体

2)光と現象と物質

3)物質主義的都市の終焉と自然的都市の勃興:物質的空間は不快である。コンクリートの建物が林立するのは、ストレスをもたらす。閉塞感情をもたらす。

4)キリスト教はカルトである。キリスト教が近代主義を生んだ。

5)気の文化の復興へ:気は差異共振エネルギーである。

6)Media Point教育へ向けて

7)東洋文化は本来Media Point文化であるが、父権文化の影響で、同一性主義へと傾斜した。西洋文化は、確かに、Media Pointがあるが、それが、キリスト教の影響で、徹底的に同一性主義に傾斜しているのである。

8)精神界について:西洋では近代以前までは、日本では、戦前までは、精神界が意識にあったと言える。しかし、西洋においては、コペルニクスの発見によって、日本では戦後、「天」が否定される。そして、その後、近代合理主義・近代的自我・唯物論が中心化される。
 精神界ではなく、物質界や自我が主導的になるのである。否、精神界が否定されたのである。この結果、精神は否定・抑圧・排除されて、自我中心主義になり、相克するようになったと考えられる。万人に対する万人の戦争。
 トランス・モダンとは、精神界の復興・復活でもある。例えば、「気」とは、精神界に属するものである。後でさらに展開したい。

9)自由について:愚樵氏が既に自由と自在について明快に説明されている。私なりに、「自由」感の発動について考察したい。自由と我が侭(自我中心主義)が混同されることの力学を考えたい。

10)ニーチェのディオニュソスとアポロについて:これは、2)の問題と関係する。思うに、ニーチェが考えていたのは、ディオニュソスとは超越性であり、アポロとは同一性である。しかしながら、ディオニュソスがアポロを生むという表現もあるのである。それは、PS理論から見ると、即非性である。つまり、 Media Pointにおいて、ディオニュソスとアポロが「一体」つまり、即非様相になるのである。差異共振化である。
 このとき、アポロは同一性ではなく、差異共振現象における現象である。あるいは、光の現象である。例えば、黎明に耀く山頂はアポロ的である。あるいは、秋における夕焼けの西空もアポロ的である。
 思うに、光の「極限」として同一性・物質形式があるのだろう。この同一性・物質形式を光の現象の下に、実体であると人間は一般に錯誤するのである。後でさらに述べたい。
 

追記:国家神道とは、人間が神になる思想(キリスト教)を背景にしていると思う。神になる思想(テオーシス)は、東方キリスト教の教義にある。
 しかし、これは、危険な思想ではないだろうか。神にはなれないだろう。死んだら神になれると思うが(成仏)。
 どうも、キリスト教は、神人一体の思想があり、シャーマニズムとは明確に異なる。後者は、神懸かりの宗教であり、神になることではない。
 もし古代ギリシア人から見たら、神になる思想とはとんでもない邪教と考えただろう。超越性と物質性を一致させているのであるから。永遠と一時性を混同しているからである。端的に、神と人とは不連続である。

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2009年06月21日(Sun)▲ページの先頭へ
オバマ大統領はイランにおける集会や言論の自由の価値を説く:イラン国民の絶対的差異の肯定である
オバマ大統領のスピーチが説得力があるのは、単純に、イラン政府を反民主主義として批判し、自由を求める民衆こそが民主主義であると声明を出しているのではないのである。つまり、近代的な二項対立、同一性主義ではないのである。
 オバマ大統領は、具体的に(特異性的に)民衆の自由を求める運動への暴力行為を止めるようにイラン政府に述べているのである。そして、自由な権利を求める側に立つと述べているが、それは差異の肯定であり、同一性民主主義から批判しているのではないのである。差異民主主義である。

参照:
├オバマ大統領は声明で、「米国はこれらの権利を追求するすべての者と共にある」と強調。

冒頭引用:

このような時こそ、日本の首相は、アジアの民主国家の一員として、イランに行き、オバマ大統領のように、「イラン政府が国際社会を尊重しようとするなら、自国民の尊厳を重んじ、威圧ではなく合意を通じて統治すべきだ」と説得するべきである。
日本国の首相が、アジアの危機が現在多発している現在、一地方選挙の応援に奔放する姿は、非常に見苦しい。
http://blog.kaisetsu.org/?eid
=759813
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
##############

Obama condemns Iran crackdown

By Roula Khalaf and Najmeh Bozorgmehr in Tehran and Daniel Dombey in Washington

Published: June 20 2009 10:02 | Last updated: June 20 2009 22:45

President Barack Obama issued his strongest condemnation yet of Iran’s government crackdown after the country’s security forces used tear gas and batons against protesters on Saturday.

On a day when riot police and plain clothes militia members clashed with opposition supporters demanding a re-run of this month’s election, Mr Obama made an unambiguous call for Iran to change course.

”We call on the Iranian government to stop all violent and unjust actions against its own people,” he said ”The universal rights to assembly and free speech must be respected, and the US stands with all who seek to exercise those rights.”

He added: ”We mourn each and every innocent life that is lost.”

In a further indication of escalating tensions, Reuters reported that Mir-Hossein Moussavi, Iran’s opposition leader, said he was ”ready for martyrdom”. Mr Moussavi said on Saturday he did not seek confrontation with the Islamic establishment, but was quoted by a witness as calling for a national strike if he is arrested. ”We are not against the Islamic system and its laws but against lies and deviations and just want to reform it,” he said on his website.

http://www.ft.com/cms/s
/0/c6a80dc8-5d78-11
de-a914-00144feabdc0
.html

イランに暴力自制を要請 オバマ米大統領が声明

2009年6月21日 09時55分

 【ワシントン、テヘラン20日共同】オバマ米大統領は20日、イラン政府当局が大統領選の不正を訴える改革派支持者らを強制排除している事態を受け、イラン政府に対し、市民への暴力を自制するよう求める声明をホワイトハウスを通じて発表した。

 米イラン関係の修復を目指し核問題解決に向けた対話を重視するオバマ氏は、保守強硬派のアハマディネジャド氏が大勝した選挙結果を静観する構えを見せていたが、イラン政府を非難する姿勢に転じた。

 一方、イランのファルス通信によると、大統領選で敗れた改革派ムサビ元首相は20日声明を出し、合法デモ禁止は「危険な結果」をもたらす恐れがあるとして、デモ容認をイラン指導部に求めた。ムサビ氏は声明で、イスラム国家と対決するつもりはないと強調、現在のイスラム指導体制への忠誠を誓った。

 オバマ氏は「われわれはイラン政府にすべての暴力と不適当な行動をやめるよう求める。集会や言論の自由は尊重されなければならず、米国はその普遍的権利を行使しようとするすべての人を支持する」と強調した。

http://www.chunichi.co.jp/s
/article/2009062101000015
.html


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「妻は光の中へ旅立った」:PS理論とゾロアスター教:母権文化と天照「大女神」
「あの世」、他界を、伝統的には地獄、奈落、冥土、冥界等と呼んできたが、河野義行氏は、光の世界と考えている。これは、精神的イメージの転換が起ったと思われる。
 これまで、現象の光と他界の闇の二元論であった。そして、闇が原点であったのではなかっただろうか。
 しかしながら、PS理論から言うと、現象の光は、根源の光、Media Pointの光(超越光)に通じるのである。(これは、アフラ・マズダーの光なのか、スプンタ・マンユ〔善神〕の光なのか。しかし、これは、愚考であろう。両者は一如である。)
 ところで、私が超越光と呼んできたものは、e^iπ⇒-1ではないだろうか。現象の光は⇒+1ではなく、⇒ではないだろうか。これは問題提起にしておく。
 とまれ、「あの世」、他界が光の「国」であるという精神イメージの転換は重要である。日本文化に質的転換が起きたと思われる。
 神話学から見ると、他界を闇と見るのは、父権文化である。それに対して、母権・女神の文化でや、死はこの世の延長である。つまり、他界も光の世界なのである。

補足:闇を支配的に考える思考は、素人(白うと)と玄人(黒うと)、玄妙、幽玄、玄牝、等々の言葉に見られよう。これは、光から「本体」と感じられる闇を見ようとする見方である。
 しかし、今やこの考えは、連続的思考である。PS理論は、ゾロアスター教復権を意味し、光の絶対的根源を説くのである。これは、当然、プラトン哲学の復権であるし、また、前父権文化の母権文化の復興を意味すると考えられる。多神教の復活でもある。
 少し補えば、玄、darkとは、目に見えないという意味合いがあるだろう。しかし、それでも、連続的思考であることは否めない。

追記:母権文化とゾロアスター教との関係を検討課題としたい。もっとも、先には、ゾロアスター教が母権文化のシュメール文化を吸収したということを示唆したが。

追記2:キリスト教も「光」の宗教であるのに、どうして、私はキリスト教を批判するのか。これは、以前、述べたことであり、また、イスラム教からの批判と通じると思うが、超越的な神が、イエスという肉体に「受肉」するという教義が問題なのである。つまり、超越性の物質化がイエス・キリストにおいて為されたということなのである。そして、このようなことを教義とするのは、多様な宗教があるが、キリスト教だけである。(もっとも、国家神道においては、現人神としての天皇をイデオロギーとなったが、既述したように、国学はキリスト教の影響を受けていたので、そうなったと考えられる。)
 キリスト教の教父たちは、ギリシア哲学に基づいて、イエス・キリストを「ロゴスの受肉」と考えたが、これも、同様に問題である。
 神懸かりならば、シャーマニズムで説明できるのである。沖縄の神女(かみんちゅ)とは、祭礼のとき、一時的に、神となるのであるが、それは神懸かりなのである。
 PS理論的に言えば、(+i)*(-i)=+1これが、キリスト教なのであり、端的に誤謬・妄想・邪教である。

「妻は光の中へ旅立った」 河野義行さんが手記

 妻は光の中へ旅立っていった。そして、私の中での事件は、昇華した−。8人が死亡した松本サリン事件から27日で15年。当初、容疑者扱いされた被害者の河野義行さん(59)=長野県松本市=が20日までに、共同通信に手記を寄せた。14年間、意識が戻らないまま昨年8月に亡くなった妻澄子さん=当時(60)=への思いをつづり、「家族は新しい人生に向かって歩き始めた」と記している。


 2008年3月、寝たきりになっている妻の澄子さんに語り掛ける河野義行さん=長野県松本市

 昨年6月19日、医師から「妻の余命は90日以内」と告げられた。病状をマスコミに公表した。会いたい人に、生きている間に会ってほしかったからだ。事件の担当刑事も訪れた。「もっと早くお見舞いに来たかったが、敷居が高かった。澄子さんごめんなさい」。そう語りかける姿を見て「彼の肩の荷がおりたように思えた」という。

 「奥さんの様子がおかしい」。8月5日未明、病院から連絡を受けた。午前3時2分に病室に着くと、呼吸は停止していた。だが心臓は動いている。2分後、河野さんに抱かれながら息を引き取った。「自分の腕の中で妻を看取ることが出来たことは、大きな妻からの贈り物だった」。不思議なほど悲しみの感情はわかなかった。

 それからの50日間、出会いからの時を振り返った。「『面白かったね』と語り合えた今生最後の時間」を過ごした。

 事件当初、無言電話や嫌がらせ電話に悩まされ、「平凡な生活が幸せであることを松本サリン事件で学んだ」。

 それでもこの15年間、自身の「理不尽な体験」を踏まえ、犯罪被害者の救済や冤罪被害者の支援にかかわってきた。長男は昨年結婚し、長女も秋に結婚する。次女はバンコクで多忙な日々を送っているようだ。

 手記はこう結ばれている。「生きている限り、自分の環境を変えて、色々なことにチャレンジする人生も悪くない。そして、人生を終えるときの言葉は用意できている。『あー、面白かった』と」

http://www.47news.jp/CN/
200906/CN2009062001
000663.html


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2009年06月20日(Sat)▲ページの先頭へ
西洋の東洋干渉:Let others govern their own countries
テーマ:先住民問題・アフリカ・中南米・中央アジア

まるでアフガニスタンが米国の領土であるかのように、以下の記事はアフガニスタンの建て直しプランを説いている。
 これは、内政干渉ではないのか。余計なおせっかいではないのか。理論的には、サイードの説いたオリエンタリズムということになるだろうが、それにしても、度を越している。この西洋文明の東洋文明に対する僭越な干渉が、混乱・内戦等の根因であると思われる。
 パターナリズムとも言えるが、とまれ、干渉したくてしょうがないのである。これは父権主義、キリスト教的父権主義である。Media Pointが同一性志向性へと転化してしまっているのであり、東洋文明は西洋の同一性に暴力的に一致させられるということなのである。
Obama's War : Starting Over on Development
U.S. Pursues a New Way To Rebuild in Afghanistan
By Rajiv Chandrasekaran
Washington Post Staff Writer
Friday, June 19, 2009



The idea to transform a vacant tract near the Afghan city of Mazar-e Sharif into a sprawling commercial farm, with miles of strawberry fields and thousands of cashmere goats, began with an entreaty from President George W. Bush to the billionaire chairman of Dole Foods at a 2006 Republican Party fundraiser.
http://www.washingtonpost.com
/wp-dyn/content/article/2009/06
/18/AR2009061804135.html
?wpisrc=newsletter


羽生名人による将棋のイノベーションと差異共振
テーマ:プラトニック・シナジー理論
以下の青色文字で強調した箇所は、正に、PS理論の差異共振性を意味しよう。「相手が自分と同じ価値観なり、同じビジョンを共有」するという点は一見同一性の視点に見えるかもしれない。この「同じ」というのは、実は、差異肯定のことであると考えられる。即ち、他者の差異を肯定することで、自己の差異との共振が生まれて、創造的になるということである。差異肯定と差異共振、これが、「同じ価値観」、「同じビジョン」ということの意味と考えられる。言い換えると、差異共振的普遍性への志向性である。
##################
イノベーションはなぜ起きたか(上) [2009年06月18日]

『・・・・・ところで僕は、ずっとひとつの疑問を抱いていました。なぜ羽生さんはある時期から自分の将棋研究の成果を公開し始めたのだろうか、と。1992年から2年半かけて刊行された『羽生の頭脳 』という全10巻の著作があります。彼の20代前半の大仕事です。あるいは、雑誌「将棋世界 」に1997年7月号から3年半にわたって書き継がれた「変わりゆく現代将棋」という連載があります。いずれも「勝つこと」を最優先にするプロ棋士であれば、当然秘匿しておくべき手の内を、惜しげもなくオープンにした著作です。驚きました。その理由について、羽生さんから明確な説明を聞いたことはないのですが、彼の書いたものを読み、彼との親交を深めていく中で確信したことがあります。ひと言で言えば、「将棋は2人で指すものだ」ということです。羽生さんは、将棋とは「他力本願的なところがある」「1人で完成させるのではなく、制約のある中でベストを尽くして他者に委ねる。そういうものだ」という言い方をします。つまり、相手が自分と同じ価値観なり、同じビジョンを共有してくれないことには、いくら1人で「未開の荒野」を切り開いていったとしても、盤上に革命はいつまでも経っても起こりようがありません。盤上がより自由になり、そこに「もっとすごいもの」が現出するためには、対局する相手も自分と同じ志向性を持った仲間(当然勝ち負けを競うライバルですが)である必要がある。そうでなければ、「もっとすごいもの」を実現する機会は失われるばかりである、という心境に至ったのではないかと想像するわけです。つまり、2人で創造するゲーム、2人で真理を追究する将棋においては、仲間の存在を抜きにして「もっとすごいもの」は絶対に1人では作れないと悟ったのではないか。それが「知のオープン化」を実践した彼の内的動機ではなかったか、というのが僕の解釈です。」
イノベーションはなぜ起きたか(下)   [2009年06月19日]
JBpress(日本ビジネスプレス)


これは正論だ:北朝鮮制裁は、同一性主義である:差異共振外交へ:ただし、新防衛体制の設置が必要
テーマ:東アジア:朝鮮半島・中国・台湾・ロシア
蓮池透さん「交渉に軸足を」 北朝鮮制裁問題で講演

 拉致被害者蓮池薫さん(51)の兄の蓮池透さん(54)は18日、都内で講演し、北朝鮮に対する国連や日本独自の制裁措置について「制裁一辺倒で拉致問題が解決するのか疑問。今の閉塞状況に風穴をあけるため、交渉に軸足を移すことが必要だ」などと述べた。

 透さんは「(北朝鮮の)狙いは米国との国交正常化と平和条約締結。(故金日成主席の生誕100年となる)2012年の『強盛大国』建設に向け焦りがあり、国威発揚のため核・ミサイル実験をしている」と分析。

 「軍の強硬派が権力を持つならば、暴発の可能性もあり、制裁を決めた当事者はどこまで腹をくくっているのか」と不測の事態を不安視し「北朝鮮は日本から金を取りたくて仕方がない。金はアメにもムチにもなり、したたかに交渉してほしいが、できる政治家も外交官もいない」と嘆いた。

 さらに「政府の言う拉致、核・ミサイル問題の包括的解決は都合のいい言葉。核が解決すれば拉致も解決すると被害者家族に思わせるのは酷だ」と批判した。
2009/06/18 21:08 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200906
/CN2009061801001030.html


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2009年06月19日(Fri)▲ページの先頭へ
検討問題:フッサール現象学と「超越論的主観性」:客観的空間把握は主観的空間把握が先立つ
今は問題提起だけである。新しい地域に来て、巨大なスーパーがあり、最初、中で迷ってしまったが、今は、中で方向感覚がつくようになった。
 これは、客観的認識というよりは、主観的認識である。主観性の「勘」に基づくと思われる。
 つまり、⇒が基礎であり、⇒+1が主観的空間認識であり、+1だけを取り出すのは、客観的認識であり、唯物論的である。
 PS理論はこの点については解明済みであるが、今の時点で少し考えたい。
 「近代化」によって、認識は客体へと向けられ、主体・主観はきわめて疎かにされてきた。この超越的主観、絶対的主観の衰退が今日の日本の衰退をもたらしたとは言えよう。
 本来、哲学が超越的主観・絶対的主観を説くべきものであったのであるが、フッサール現象学をハイデガーがまったく勘違いしたために、西洋哲学において、大混乱が起きたと考えられる。ハイデガーによる「災禍」がポスト・モダンの制約になった一面がある。
 日本の戦後の哲学は、ほとんど西洋哲学の受け売りであり、フッサールと同時にハイデガーをも批判なく受容してきたのである。本来、フッサールとハイデガーの違いは、歴然としているのに、それに気づかないというのが愚鈍である。
 思うに、哲学を学ぶ人は、あまり、文学に親しんでいないらしい。文学に親しんでいる人であれば、ハイデガーの『存在と時間』は、文学的な内面の叙述であることがすぐわかるのである。つまり、内在的な主観性の叙述である。
 それに対して、フッサール現象学の「超越性」はきわめて根源的であり斬新なのである。既に構造主義を乗り越えているのである。換言すると、トランス・モダンの原点に達しているのである。
 私にはなにか不思議に思えるが、どうして、フッサール現象学の「超越性」をそれ以後の西洋の哲学者はほとんど誤解したのか。
 私の推測では、ユダヤ文化と近代西欧文化の本質的な違いがそれを説明するように思える。即ち、ユダヤ文化は、超越性を保持した文化であり、近代西欧文化は超越性を否定して、自我・物質性を中心にした文化であるということである。今はここで留めたい。 

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2009年06月18日(Thu)▲ページの先頭へ
東アジア共同体:絶対的差異共振としてのトランス・モダン・コミュニティへ向けて
以下の記事の最後の方は分かりにくいが主旨は明快である。これは、日本と朝鮮半島との共同体形成を提起しているのである。
 ここでまったく私見というか、思い出を言うが、私が子供の頃、と言っても、非常に覚束ない意識の頃であるが、韓国ないしは北朝鮮へ帰っていった人たちがいた。ほとんど幻夢のようであるが、私が親しい人も帰って言った。子供の頃は、日本人も韓国人・朝鮮人も区別がなかったのである。
 神道は本来、八百万の神々の宗教であり、同一性への拘りがないのである。思うに、トランス・モダンは、日本と朝鮮半島、そして、中国、台湾等々との「共同体」を形成すると予見される。
 
追記:国粋主義とは、キリスト教の影響を受けた国学の偏狭な発想に拠ると考えられる。それは、本来の神道ではありえない。
 思うに、古代日本において、景教の影響を受けたのではないのか。スサノオが怪しいのである。キリスト教の神としてのスサノオ?

【韓国ブログ】日本の安定は朝鮮半島の統一と韓国との共同体が鍵

6月18日8時44分配信 サーチナ
【韓国ブログ】日本の安定は朝鮮半島の統一と韓国との共同体が鍵
拡大写真
北朝鮮の核実験やミサイル発射により警戒態勢が続く韓国。このような中で、南北統一を果たす事が、問題解決の最良の手段ではないかとする声も出てきている。韓国人ブロガーのドゥンセは、この南北統一について「日本も朝鮮半島の統一へと態度が変化してきているようだ」と述べている。
 北朝鮮の核実験やミサイル発射により警戒態勢が続く韓国。このような中で、南北統一を果たす事が問題解決への最良の手段ではないかとする声も出てきている。韓国人ブロガーのドゥンセは、この南北統一について「日本も朝鮮半島の統一へと態度が変化してきているようだ」と述べている。

 「日本は世界第二位の経済大国であった。しかし、その状況が今では変わりつつある。規模の面では、EUや中国は既に日本を越えているし、南米のブラジルやロシアもいつ追い越すか分からない。抜かされるのは時間の問題」と指摘。その上で、日本が経済低迷を脱する方法はひとつしかないとする。

 「それは、韓国と経済共同体を結ぶ事だ。その場合、韓国や北朝鮮のどちらかを選択することはできないだろう。韓国を統一させて経済パートナーを作る事が、日本の世界経済軸を維持できる唯一の方法」と述べる。

 だが、この韓国との連携案には、日本の国粋主義者たちから強い反発が起こるだろうとも予測。「経済的なことはまだ遠いが、今のところ北朝鮮の核問題が目の前にある。この問題は、今後日本に南北統一に対する葛藤が強まるのではないだろうか。南北が統一したなら、核の脅威は自動的になくなるのだから」と綴っている。(編集担当:橋本あゆこ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=
20090618-00000019-scn-kr
記事URL

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各地におけるオタマジャクシ落下騒動と大気のMedia Point
この変異・怪異であるが、以下の「つむじ風」説が今一つ説得力がないのは、今年突如増えたことを積極的に説明できない点にある。
 今年は太陽活動は衰えているのであり、太陽による熱は弱いだろう。
 思うに、「つむじ風」を生じさせる、別の原因があるのではないのか。端的に、気流の変異があるのではないのか。渦を作るには、空虚が必要であろう。空虚が多く生じているのではないのか。それは、大気のMedia Pointではないのか。今は問題提起に留める。

追記:ちなみに、蛙は、女神の動物である。


「オタマジャクシ」騒動 原因は「つむじ風」が有力
・・・・・

そこで、有力なのは「風説」となる。風がオタマジャクシを巻き上げ、たたきつける可能性だ。金沢工業大学の饗庭貢教授は、最初に落下が報告された七尾市の中島市民センターの周辺の状況や地形、当日の気象状況を確認したところ、

「『つむじ風』が発生したことで、付近の水田からオタマジャクシが巻き上げられた可能性が高い」

と指摘する。「つむじ風」とは、小規模な渦を巻いた風のことで、気象台でも観測できないという。饗庭教授は中島市民センターの場合、次のような状況で発生したと推測する。

――太陽が駐車場のアスファルト地面を熱し、建物の屋上にはエアコンの室外機が設置されていたことから上昇気流が発生しやすい状況だった。くわえて、水平方向からの風が建物にぶつかって、渦をまいた。その際、付近の水田のオタマジャクシを巻き上げた。しかも、水田では日中、水を止めており、オタマジャクシも巻き上げられやすい状況だったようだ。その後、風が凪いだとき、行き場を失ったオタマジャクシが落下した、というわけだ。

饗庭教授によると、全国で起きている落下現象も、同様の仕組みで説明できると見ている。もっとも、こうした状況は以前にもあったはずだが、ここ最近で発見例が相次いでいるのは、「報道で(オタマジャクシを)気に掛ける人が増えたのでは」とも話している。

http://www.j-cast.com/2009/
06/17043376.html

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2009年06月17日(Wed)▲ページの先頭へ
日本語の論理化へ向けて:日本語のトランス・モダン化:Media Pointと個と論理
以下の「因果関係は明確に分からず、使用中止は妥当」という日本語はおかしくないか。「因果関係は明確にはならなかったが、慎重を期して、使用中止は妥当と考えられる」とするのが正しい。
 医学の教授は、論理学や数学の勉強をする必要がある。記者もそうである。あるいは、英語等を学ぶべきである。

追記:思うに、日本語の論理がいい加減なのが、日本の政治・経済・社会・文化を堕落・腐敗させてしまった要因ではないだろうか。論理と個の原理は結びついている。アソーバがその逆の証明である。
 また、日本人が英語が苦手なのは、英語の論理が理解できないからではないのか。これは、問題提起である。

追記2:この点に日本の「貧困」の原因があるのではないかと思った。言語は本来、Media Point(個・絶対的差異の原理)と結びつく。しかるに、とりわけ、戦後日本はMedia Pointを否定しているので、言語・論理が、個・差異から乖離して、ご都合主義的になっていると考えられる。後で詳論したい。

##############
タミフル、10代使用中止を継続/厚労省調査会が決定

 厚生労働省の薬事・食品衛生審議会安全対策調査会(座長・松本和則独協医大特任教授)は16日、服用と飛び降りなど異常行動との関連が疑われたインフルエンザ治療薬タミフルの10代患者への原則使用中止について「対策を変更する積極的な根拠が得られていない」として、中止措置の継続を正式決定した。
 この日の会合では、専門家作業部会から、18歳未満のインフルエンザ患者約1万人を対象とした同省研究班の疫学調査結果を踏まえてまとめた「因果関係は明確に分からず、使用中止は妥当」との見解が報告され、調査会も「タミフルと異常行動の因果関係に明確な結論を出すことは困難だ」と判断した。
 調査会は「(中止措置が決まった)2007年3月以降、転落死などの重大事故は報告されていない」と指摘。使用中止による安全対策には効果があると認め「措置は妥当だ」と結論づけた。
 また、国に対して、措置が全面禁止ではなく、重症化のリスクが高い患者には10代でも使用できることを分かりやすく説明するよう要請。さらに新型インフルエンザ対策として、どのような状況でタミフルが使用できるかについての助言を関係学会などに求めた。

http://www.ehime-np.co.jp
/news/kyodo/20090616
/ky2009061601001019.html

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2009年06月15日(Mon)▲ページの先頭へ
PS理論的言語哲学の試み:差異共振現象表現としての日本語と同一性表現としての英語
今は余裕がないのでざっと述べるが、自己認識方程式で言語形式が説明できるのではないだろうか。
 問題は日本語と例えば、英語である。

1)木を見る。ないしは、木が見える。
2)I see a tree. 又は、I see trees.

「わたし」は+iであり、「木」は-iである。しかし、「わたし」と「木」は差異共振を起す。その差異共振現象の表現が、「木を見る」又は「木が見える」と考えられる。即ち、「わたし」は「木」であり、且つ、「わたし」は「木」ではないということであり、「わたし」は「木」であるが、「木を」という表現であろうし、「見る」が「わたし」は「木」ではないという表現であろう。
 しかるに、英語では、「わたし」をIとし、「木」をa tree 乃至はtreesとしている。このとき、「わたし」と「木」は分離して、差異共振現象は表現されないのである。「わたし」Iという同一性、そして、「木」 a tree 乃至はtreesという同一性が表現の「アトム」・「元素」になっているのである。
 今は問題提起に留める。
 

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2009年06月13日(Sat)▲ページの先頭へ
ユダヤ教又は聖書問題:エローヒームとヤハウェ:母権と父権:ユダヤ教又は聖書は一神教なのか?
以下は簡単に問題を提示するだけである。
 旧約聖書は実は、「二人」の神がいる。既述したように、エローヒーム(神の複数)とヤハウェである。私はこれまで、後者を徹底的に、絶対的に批判した。しかし、それは、ユダヤ教ないしはユダヤ文化を否定しているわけではない。というか、ユダヤ文化の偉大さは否定されようがないのである。
 私見では、キリスト教が、ユダヤ教を歪めて、一神教化させたのである。ユダヤ教は、多神教である。そう、英国の偉大な作家、D. H. ロレンスは、旧約聖書は多神教的であると述べているのである。
 端的に、エローヒームとヤハウェの「二人」が存することがそ小差である。
 今は余裕がないのでここで留める。キリスト教こそ、人類の災厄である。後で精緻に検討したい。

追記:言うのを忘れたが、ニーチェは、旧約聖書を肯定し、新約聖書を否定しているのである。アンチ・キリストのニーチェである。


参照:

(4) 旧約聖書

(1)エロヒーム
 そこで、わたしはこの三つの排他的一神教が共通して崇めている聖典である旧約聖書の創世記第1章〜2章を見て頂きたいと思います。
そこに出てくる神名は第一に「エロヒーム」です。これは「エル」(力)の
複数形です。「エル」自体が神名ですが、複数形の「エロヒーム」には
二つの意味があって、一つは「無限の力を持つ唯一の神」という意味で、尊厳の複数形とも言います。今一つは「神々」という意味で、「天界の
人間や、天使や、神の命を受けてこの世で働く人々」もその中に
含まれています。  

 *ユダヤ人がイエス様に「あなたは人間であるのに、
  自分を神としている」と言って非難したとき、イエス様は答えました、
  「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と
  書いてあるではないか。神の言を託された人々が、
  神々といわれているとすれば、(そして聖書の言はすたることが
  あり得ない)父が聖別して、世につかわされた者が、
  『わたしは神の子である』と言ったからとて、
  どうして『あなたは神を汚す者だというのか』と
  反論しておられます(ヨハネ10:33〜36)。

 従って、「エロヒーム」という力の複数形には、唯一絶対の神様から
出た天界の人々や、天使たちや、神の命を受けて地上に遣わされて働く人々までふくまれているのであります。これは後でまた取り上げます。
つまり「エロヒーム」 は神様の総称であり、神様と日本語でいうような
普通名詞です。

(2)ヤーウェ
 ヤーウェという神名が旧約聖書の中で初めて出て来るのは、創世記
第二章4節からです。口語訳では、「主なる神」と訳していますが、ヘブライ語では「ヤーウエ・エロヒーム」です。なぜ「ヤーウェ」を「主」と訳したかといえば、《出エジプト記20:7》に「あなたは、あなたの神『ヤーウエ』の名を、みだりに唱えてはならない」と戒められているからです。そこでイスラエル人は、 「ヤーウエ」の名が出て来ると「ヤーウエ」と発音せず、
「アドナイ」と発音することにしました。ヘブライ語で「アドナイ」とは「主」という普通名詞で、一家の主人、部族の長、王様など、すぺて上に立つ人を指して言う呼び名です。これを「ヤーウェ」に当てはめて、「アドナイ」と発音することにしたのです。
 ちなみに「ヤーウェ」のヘブライ文字の下に「アドナイ」の母音を入れて発音すると「エホバ」になります。しかし、ユダヤ人は「エホバ」とは発音せず、「アドナイ」と発音しました。今に至るまでそれは続いていますから、日本語に訳すとき、「アドナイ」とせず、「主」と訳したのです。
  そこで創世記第2章の「主なる神」は「ヤーウェ・エロヒーム」であって「ヤーウェという名の神」という意味であります。この場合「神」は普通名詞で、「ヤーウェ」は固有名詞です。
 次に、「ヤーウェ」の名が神様から啓示されたのは《出エジプト記3:13〜15》です。モーセが神様に「イスラエル人からその神様の名は何ですかと聞かれたときに困るから、あなたのお名前を教えて下さい」と願いますと、神様は言われました、「『わたしは有って有るもの」(エイエー・アシェル・エイエー)』である。『わたしは有る(エイエー)』という方が私(モーセ)をあなたがたのところに遣わされました」と言いなさい」と。ところがその後で神様は別のことを言われます、「あなたがたの先祖の神、アブラハムの神イサクの神ヤコブの神である主(ヤーウェ)が、私をあなたがたのところへつかわされました」と。初めは「エイエー」と言われたのに、今度は「ヤーウェ」に変わっています。 しかも、「これは永遠にわたしの名、
これは世々のわたしの呼び名である」と語られました。「エイエー」とは
「わたしは有る」と言う意味で、「ヤーウェ」とは「彼は有る」と言う意味で
す。つまり、「エイエー」は神様がみずから名乗り出たときの御名であり、「ヤーウェ」は人が神様を指して言う御名であります。
  では、ユダヤ人は永遠に「ヤーウェ」と言い続けているのかと言うと、
そうではなく、「アドナイ」といっているのです。それでも神様が怒らない
で、受け入れて下さるのはなぜかというと、「「永遠の名」とは言うものの実は便宜上 与えられた象徴的な呼び名だからです。
  皆さん、ここが大切なところですよ、良く心に刻み付けて下さい。

(3)パーラー
 第3に、神様の名として出て来るのは「パーラー」です。これが出て来るのは、《士師記13:18〜19》です。有名なサムソンの父マノアのところにヤーウェの使い(天使)が現れてサムソンの誕生を予告します。その時マノアが「あなたの名は何といいますか?」尋ねると天使は「わたしの名は不思議です」と答えます。「不思議」はヘブライ語で「パーラー」と発音
します。これも象徴的な名で、固有名詞ではありません。この後、神様を「パーラー」(不思議)とよんでいないのは、やはりこれが象徴的な呼び名であったからでしょう。
http://www.christ-ch.or.jp
/4_topic/kyukyoku
/kyukyoku_4.html

究極の調和を目指して

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母権と父権:原差異共振⇒同一性⇒絶対的差異:物質文明の終焉とトランス・モダン精神文明の勃興:Ver2
近代文明・文化とは、総体において、差異(精神)と同一性(物質)の相対主義・連続主義・混合主義であった。
 しかるに、トランス・モダン文明・文化とは、両者の絶対的分離を意味するのである。
 前者は西洋近代哲学における精神と物質の統一の志向性に見ることができよう。
 後者は、西洋哲学においては、ライプニッツ(スピノザの心身二元論は、基本的には、前者である)、キルケゴール、ニーチェ、(ウスペンスキー、)フッサールの哲学に存する。
 前者の起源は、父権主義ではないだろうか。母権主義は、基本的には、差異共振主義である。しかるに、その後に父権主義が発生する。基本的には、このとき、原基の母権主義は、否定される。
 しかし、ここで仮説であるが、父権主義ないしは同一性主義に傾斜した性格とそうでない母権主義ないしは差異共振主義の性格の二つの根源的な質が存するとしよう。あるいは、父権的民族と母権的民族があるのである。あるいは、同一民族でも、父権主義と母権主義が存しよう。とまれ、二つの質、同一性志向と差異共振志向を想定するのである。
 歴史ないしは文化史的には、母権民族社会に父権民族が侵入して、征服することとなっている。このときの母権主義と父権主義との関係が実に根本的である。
 母権主義が強力なところでは、父権主義が支配的になっても、母権主義は原基として否定されず、返って尊重されるのである。例えば、古代ギリシア社会がそうである。中心的都市のアテナイは、アテナイ女神の「司る」都市である。ギリシア「神話」(神伝)は、カオスに続き、ガイアから始めている。
 ここにおいて、両者の混合が始まるのである。また、母権主義を徹底的に排除するユダヤ・キリスト教文化においては、同一性中心主義が支配的である。
だから、西洋文明とは、A)母権主義と父権主義の混合とB)父権中心主義との混淆と考えられる。
 Bが近代主義において、中心化されると、Aにおける2つの要素が分離し出すのである。これが、トランス・モダンの動きである。(ポスト・モダンは、この不十分な動きではあった。)
 即ち、父権主義=同一性主義と母権主義=差異主義が絶対的に分離するのである。物質と精神の分離である。
 そう見ると、父権主義の人類史的意義は明瞭になる。それは、母権文化では生起しえなかった物質主義を生んだのである。言い換えると、物質科学・物質技術を生んだのである。これは、肯定すべきである。
 しかるに、それは、人類の原基の精神をいちじるしく損なったのである。そして、今や、根源に螺旋的に回帰しようとしているのである。即ち、トランス・モダン・ゾロアスター教的時代となっているのである。
 物質原理+1とは悪の原理・悪神(アンラ・マンユ)である。今や、e^iπ=-1の善の原理・善神(スプンタ・マンユ)が主導化するトランス・モダン時代である。これが意味することは、+1を滅ぼすことであるが、しかしながら、⇒+1を回復することである。即ち、差異共振原理を回復させることである。物質は仮象として、差異共振原理に包摂されることになる。
 これが意味することは、精神文明の回帰である。これまで、物質に傾斜した文明の解体であり、新精神文明の創造である。

追記:スプンタ・マンユはアヴェスター語で、聖なる霊ということであるが、正に、「聖霊」である。フィオーレのヨアキムの「聖霊の時代」とは、スプンタ・マンユの発動する時代を指しているのではないか。それはまた、ヴィシュヌ(=アフラ・マズダー)の化身の時代ということになろう。


参考:
スプンタ・マンユ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
ゾロアスター教
基本教義
ゾロアスター教
神々

アフラ・マズダー
スプンタ・マンユ
ヤザタ 、ミスラ
ズルワーン
アナーヒター
ウルスラグナ
フラワシ
神々(悪神)

ダエーワ
アンラ・マンユ
アジ・ダハーカ
アエーシュマ
サルワ
インドラ
聖典
アヴェスター
文学
シャー・ナーメ
人物

ザラスシュトラ
カルティール
ザッハーク
表 ・話 ・編 ・歴

スプンタ・マンユ (Spənta Mainyu) は、ゾロアスター教 に於いて崇拝される善神アムシャ・スプンタ の筆頭で、「創造」を司るとされる。その名はアヴェスター語 で「聖なる霊」を意味する。

創世神話によれば、世界の始まりの時、スプンタ・マンユはもう一人の創造神アンラ・マンユ と出会ったという。そして、スプンタ・マンユは世界の二大原理のうち「善」を、アンラ・マンユ は「悪」を選択し、それぞれの原理に基づいて万物を創造した。

我々が存在しているこの現実世界は、スプンタ・マンユとアンラ・マンユの被造物が混じり合い、互いに戦い合う「善と悪との戦場」である。

中世以降は最高神アフラ・マズダー と同一視される。

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母権と父権:原差異共振⇒同一性⇒絶対的差異:物質文明の終焉とトランス・モダン精神文明の勃興
近代文明・文化とは、総体において、差異(精神)と同一性(物質)の相対主義・連続主義・混合主義であった。
 しかるに、トランス・モダン文明・文化とは、両者の絶対的分離を意味するのである。
 前者は西洋近代哲学における精神と物質の統一の志向性に見ることができよう。
 後者は、西洋哲学においては、ライプニッツ(スピノザの心身二元論は、基本的には、前者である)、キルケゴール、ニーチェ、(ウスペンスキー、)フッサールの哲学に存する。
 前者の起源は、父権主義ではないだろうか。母権主義は、基本的には、差異共振主義である。しかるに、その後に父権主義が発生する。基本的には、このとき、原基の母権主義は、否定される。
 しかし、ここで仮説であるが、父権主義ないしは同一性主義に傾斜した性格とそうでない母権主義ないしは差異共振主義の性格の二つの根源的な質が存するとしよう。あるいは、父権的民族と母権的民族があるのである。あるいは、同一民族でも、父権主義と母権主義が存しよう。とまれ、二つの質、同一性志向と差異共振志向を想定するのである。
 歴史ないしは文化史的には、母権民族社会に父権民族が侵入して、征服することとなっている。このときの母権主義と父権主義との関係が実に根本的である。
 母権主義が強力なところでは、父権主義が支配的になっても、母権主義は原基として否定されず、返って尊重されるのである。例えば、古代ギリシア社会がそうである。中心的都市のアテナイは、アテナイ女神の「司る」都市である。ギリシア「神話」(神伝)は、カオスに続き、ガイアから始めている。
 ここにおいて、両者の混合が始まるのである。また、母権主義を徹底的に排除するユダヤ・キリスト教文化においては、同一性中心主義が支配的である。
だから、西洋文明とは、A)母権主義と父権主義の混合とB)父権中心主義との混淆と考えられる。
 Bが近代主義において、中心化されると、Aにおける2つの要素が分離し出すのである。これが、トランス・モダンの動きである。(ポスト・モダンは、この不十分な動きではあった。)
 即ち、父権主義=同一性主義と母権主義=差異主義が絶対的に分離するのである。物質と精神の分離である。
 そう見ると、父権主義の人類史的意義は明瞭になる。それは、母権文化では生起しえなかった物質主義を生んだのである。言い換えると、物質科学・物質技術を生んだのである。これは、肯定すべきである。
 しかるに、それは、人類の原基の精神をいちじるしく損なったのである。そして、今や、根源に螺旋的に回帰しようとしているのである。即ち、トランス・モダン・ゾロアスター教的時代となっているのである。
 物質原理+1とは悪の原理・悪神である。今や、e^iπ=-1の善の原理・善神が主導化するトランス・モダン時代である。これが意味することは、+1を滅ぼすことであるが、しかしながら、⇒+1を回復することである。即ち、差異共振原理を回復させることである。物質は仮象として、差異共振原理に包摂されることになる。
 これが意味することは、精神文明の回帰である。これまで、物質に傾斜した文明の解体であり、新精神文明の創造である。

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2009年06月12日(Fri)▲ページの先頭へ
時代精神という正しく善き風:トランス・モダン・ウィンド:麻生首相は投了した
賢い人は、時代の風(時代精神)を感ずる。しかるに、麻生首相は、残念ながらそうではなかった。
 トランス・モダン・ウィンドに逆らえば、それは、自壊する。だから、自民党は崩壊が近い。
 人心はすでに、ポスト小泉路線である。しかし、日本郵政問題という小泉路線を麻生氏が維持したことは、たいへんな誤謬である。まったき反動である。御陀仏である。
 今度の衆院総選挙は、自民党は解党に近い打撃を受けよう。傲れる平家久しからず。
 もし、麻生首相が英断して、鳩山総務相の意向を支持したら、自民党は延命しただろう。しかし、今や命運は尽きたのである。

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ゾロアスター教的「天照大神と建速須佐之男命」:シュメール的母権民族とユダヤ的父権民族の闘争?
以下、Kaisetsu氏が述べている「天照大神と建速須佐之男命」 の「闘争」はきわめて示唆に富むと思われる。
 父権神話とは、実に、龍退治をするもので、母権神話は龍を母神として、尊ぶものである。しかし、スサノオは、八岐大蛇を退治するのであり、この点で、父権的英雄なのである。これは、端的に東洋的ではないのである。この点は、これまで、私を悩ませていた問題である。
 しかるに、スサノオを悪神と見るなら、父権的英雄、父権的神というのは、納得できるものになるのである。
 つまり、母権的なアマテラス(大女神)と対抗するスサノオとは、正に、父権的な悪神ということである。これを日本神話は描いていると言える。
 その視点から言うと、記紀は奇蹟的な書物である。今日残る書物としての神話は父権的視点から書かれたものだエリ、母権的視点から書かれたものは皆無に近いからである。シュメール文化の『ギルガメシュ叙事詩』でさえ、父権的視点から母権文化を批判的に表現しているのである。
 ここの「天皇制」の問題がある。これは、父権制ではなく、母権制と見るべきである。
 ただし、スサノオの存在からわかるように、父権的民族が「日本」に到来しているのである。推測では、彼らは、ユダヤ教やキリスト教の一神教をもった民族である。端的に、ユダヤ民族かもしれない。
 
参照:

古事記(日本書紀)の「天照大神と建速須佐之男命」の神話は、まさに、ゾロアスター神話だ。
http://blog.kaisetsu.org
/?eid=754998
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu

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ハイデガーの「存在論」批判:「存在」は、実軸のゼロ点と虚軸のゼロ点の連続化である
岩波文庫になっているレヴィナスの『全体性と無限』ではなく、国文社の単行本の表紙にレヴィナスのハイデガー批判がある。引用する。

「唯物論は感受性の本源的機能の発見のうちにではなく、〈中立的なもの〉の優位のうちに存している。存在者の上位に存在というこの〈中立的なもの〉を定位すること、存在が何らかの仕方で暗黙裏に存在者を規定していること・・・・・これが唯物論を表明することである。近年のハイデガー哲学はこのような恥ずべき唯物論になりはてている。」

レヴィナスはハイデガー哲学を唯物論であるとして、辛辣に批判している。いわば、「存在」構造主義なのである。これは、同一性主義であるから、レヴィナスが唯物論というのは正しい。
 結局、PS理論から言えば、「存在」は、実軸のゼロ点なのである。これは、確かに、一種の「穴」である。しかし、連続的な「穴」である。
 そう考えると、デリダの差延もよく理解できよう。
否、そうではなく、「存在」と差延は、実軸のゼロから、虚軸のゼロを連続的に把握したものである。
 実軸のゼロと虚軸のゼロとは不連続であることを、ハイデガーやデリダはまったく看過しているのである。
 だから、その点では、両者はドゥルーズ哲学と共通である。

全体性と無限―外部性についての試論 (ポリロゴス叢書) (単行本)
エマニュエル・レヴィナス (著), 合田 正人 (翻訳)

カスタマー・レビュー
他者, 2003/12/26
By プリンス・プリンス - レビューをすべて見る
現代思想を齧った人たちは、得意げに「他者」という言葉を口にする。しかし「他者」とは何であろうか。本書に立ち返り、今一度「他者」について考えて欲しい。本書を読み終えた時、「他者」という言葉を口にすることが憚れるはずである。人が生きることとは他者との係わり合いである。そのことを認識した一冊である。

また昨今の世界情勢を考える上でも、本書は大いなる示唆を与えてくれるはずである。戦争を目の当たりにして。

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2009年06月11日(Thu)▲ページの先頭へ
検討問題:同一性的父権制(一神教)と差異的父権制(ゾロアスター教、神道?)
私の頭の中は今、さまざまな神話で渦巻いているが、余裕がないで、詳述できない。簡単にポイントを述べよう。
 私はこれまで、父権制を批判して、母権制を肯定してきたが、ゾロアスター教の、いわば、母権的父権制が考えられるので、これまでの考えを訂正しないといけないと思っている。
 もっとも、これまで、ギリシア神話における母権制と父権制の闘争を述べ、両者の調和をギリシア神話は志向しているということは示唆した。
 私は日本書紀におけるアマテラス(又は日の神)とスサノオの争いに興味がある。これは、実に微妙なのである。私はアマテラスは、ギリシア神話のアテナイ女神と同質のものではないのかふと思ったのである。アテナイ女神とはゼウスの頭から生まれた女神(処女神)である。これは、母権と父権の統合のように思えるのである。
 そうならば、アマテラスとスサノオの戦いとは、新しい父権的母権と旧来の母権との戦いかもしれない。
 思うに、母権制は精神性を失い、物質化したのかもしれない。それに対して、新しい父権的母権が古い母権と戦っているのかもしれない。それは、『ギルガメシュ叙事詩』のイシュタル(大女神)とギルガメシュの闘争に見られることと同質かもしれない。(Kaisetsu氏が以下に提起されていることは実に興味深いのであり、日を改めて検討したいと思う。)
 とまれ、これまで、私は父権主義から物質主義が生まれたと考えてきたが、父権主義からも生まれるが、母権主義から生まれると思われるのである。つまり、⇒+1の+1は、実は、母権的共振性の帰結と見ることができるからである。
 それに対して、父権制は、否定して、-1を生むのである。しかし、これは、確かに、知性ではあるが、陰-iの否定であり、不十分なのである。
 思うに、-iを肯定して、新たに、差異共振性を生まれるのではないだろうか。すると、i*i*i⇒-iとなる。これが、トランス・モダンではないのか。
 今は思いつきを述べるだけであり、ここで留める。

追記:思うに、悪神であるが、これは、物質主義、同一性主義を意味する。これは、基本的には、母権社会では生じない。何故なら、母権社会は、差異共振文化であるからである。しかるに、⇒+1から+1へと転換する時代がくる。これが父権社会である。貨幣経済、国家の発生、自我の発生、文字の形成等があるだろう。
 「わたし」と物質が結びつくのである。差異共振性を否定する同一性主義が発生しているのである。これは、端的に、父権文化によるのである。
 では、絶対的善、善神はどう形成されるだろうか。絶対的善は、やはり、Media Pointと虚軸において発するだろう。言い換えると、超越性である。そして、善神は、+1を否定する-1ということだろう。
 ここでヒンドゥー教を考えると、ヴィシュヌが、絶対的善に当たるだろう。そして、ヴィシュヌの化身が-1ではないだろうか。そして、悪神は当然、+1である。ブラフマンはMedia Pointだろうか。
 また、シヴァ神であるが、それは、ブラフマンから生まれたということで、Media Pointから生まれる差異共振エネルギーではないだろうか。これは、創造であり、また、破壊の力となるだろうか。
 悪神が→ならば、善神は←であろう。そして、これが、シヴァ神ではないか。後で整理したい。


参考:
事記(日本書紀)の「天照大神と建速須佐之男命」の神話は、まさに、ゾロアスター神話だ。
http://blog.kaisetsu.org
/?eid=754998
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2009年06月10日(Wed)▲ページの先頭へ
自我と自己:同一性と差異:シュタイナーの「霊」とは同一性的であり、真の精神ではない
先にシュタイナー批判をしたが、どうして、シュタイナーがイエス・キリストを擁護するのかについては、原理的に理由があると考えられる。
 シュタイナーは自我「わたし」を肯定しているのである。言い換えると近代的自我の肯定である。あるいは、近代合理主義の肯定である。
 このために、同一性主義のユダヤ・キリスト教を擁護すると考えられるのである。
 シュタイナーの「精神科学」は確かに、一面、東洋的であるが、反面、近代西洋的なのである。
 しかるに、PS理論は、同一性主義を完全に批判し、否定しているのである。だから、当然、ユダヤ・キリスト教、イエス・キリストを批判することになるのである。
 結局、トランス・モダンとは、近代を乗り越えることであり、自我は乗り越えられることになるのである。
 そこにおいて、即非の論理が決定的な役割をするのである。そして、自我・近代的自我は、他者と共振する自己となるのである。
 では、シュタイナーの説く「霊」はそのまま肯定できるだろうか。
 問題は、自我と物質を別に分けていることである。しかしながら、物質と自我(同一性)とは一致すると考えられるのである。ということで、シュタイナーの自我という「霊」は、物質的なものだと思われるのである。
 以前述べたが、同一性のフレーム(愚樵氏の「知のフレーム」から借りれば)から、精神を理解しているのであるから、シュタイナーの「霊」とは本来の「霊」ではなく、物質化された「霊」、連続化された「霊」、つまり、偽りの「霊」であると考えられる。あるいは、ドゥルーズと同じ、連続的差異としての「霊」である。

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検討問題:シュタイナー批判:彼の説く「イエス・キリスト」は、アフラ・マズダーと言うべきである
今は余裕がないので、引用等できないが、シュタイナーの「精神科学」であるが、私が結局いちばん納得できないのは、宗教において、イエス・キリストを最高のものとしていることである。しかし、イエス・キリストの「霊」とは、アフラ・マズダーと彼は述べているのである。
 ならば、アフラ・マズダーの「神懸かり」としてのイエス・キリストではないだろうか。ならば、イエス・キリストと呼ぶ必要はないのであり、端的に、アフラ・マズダーであり、キリスト教ではなく、ゾロアスター教と呼ぶべきではないのか。
 ユダヤ・キリスト教とは、明らかに、+1に傾斜した宗教であり、悪神的である。しかし、これは、既述したように、物質科学を創る源泉であったのである。結局、ポスト・ユダヤ・キリスト教である。
 一神教は深い闇なのである。ゾロアスター教の視点に立つことで、すべての宗教や文明の謎が解明されるだろう。一神教はゾロアスター教の影に過ぎない。

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ゾロアスター教とPS理論:完全なる整合性が存する
私は勘違いしていたが、本来、ゾロアスター教では、絶対的善としてのアフラ・マズダーが存し、それに従う善神スプンタ・マンユとそれに背く悪神アンラ・マンユとの闘争が世界を形成し、最後は、善神の立場勝利するということである。
 PS理論と対応させるならば、アフラ・マズダーは、やはり、虚軸の超越性である。そして、悪神アンラ・マンユは、同一性主義+1である。そして、自由意志とは、Media Pointによるエネルギー作用(自然じねん・自発性・「力の意志」、絶対的自由意思)である。
 では、善神スプンタ・マンユはどうなるのだろうか。これを先には考慮しなかったのである。これは、実は、Media Pointでいいのではないだろうか。
 とまれ、明晰に、「きれいに」、ゾロアスター教とPS理論は整合する。

追記:虚軸であるアフラ・マズダーは、思うに、オイラーの公式、e^iπ=-1と関係しないだろうか。つまり、+1が悪神アンラ・マンユであるから、その正反対の-1が・・・。否、-1が善神のスプンタ・マンユだろうか。後で検討したい。

追記2:θ=π/2のとき、e^iπ/2=+iであり、θ=3π/2のとき、e^3iπ/2=-iである。両者の積は当然、+1(悪神・物質)である。
 思いつきであるが、-1は、個々の善的能動性ではないだろうか。善神は、Media Pointであろう。

追記3:参照のKaisetsu氏を読んで思ったのは、私は私なりに、私の内面から、不連続的差異論やPS理論を、Kaisetsu氏の「数理哲学」という画期的な発想を借りて、考えてきた。
 そして、PS理論がゾロアスター教と合致するのを確認すると、結局、私の内面を動かしてきたのは、ゾロアスター教的なものではないのかという気がしたのである。
 私は直感で、ゾロアスター教の崇高さに言い知れぬ感銘を受けてきた。そう、どうやら、日本人の私の内面に働きかけているのは、ゾロアスター教だと思えてきたのである。
 思うに、日本文化をゾロアスター教の視点で見ると、日本文化の真相が明確になるように思えるのである。私は、昔から、大日如来が好きであったが、これは、正に、アフラ・マズダーと見るべきであろう。東大寺の大仏は、アフラ・マズダーと見るべきである。
 私は日本美術でいちばん感動したのは、正倉院の螺鈿紫檀五弦琵琶である。おそらく、ササン朝ペルシャを考慮に入れることで、日本文化、日本民族の謎が解明されるだろう。

参照:
ゾロアスター教とオイラーの公式

 e^iπ⇒-1

 ここで、iは、eの「べき数」(乗数)の位置にあるのである。
 つまり、「地上」にあり、「天」に存在するのである。
 eに天上でiが作用することで、「-1」という善神が創造されるのである。

 この「-1」が、悪神(+1)と作用して、+1を滅ぼすのである。

 絶対的善としてのアフラ・マズダーとは、「i」であろう。
 パイは、回転である。
 世界とは、「原世界」とは、「e」だろうか?

  e^iθとすれば、θの回転度合いは調節出来て、これが、「全能」の意味であろう。


『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu

参考:

「すなわちゾロアスター教では、宇宙の法たる神(光明神)アフラ・マズダーを主神とし、アフラ・マズダーに従う善神スプンタ・マンユ に代表される善の勢力と、アフラ・マズダーに背く悪神(暗黒神)アンラ・マンユに代表される悪の勢力の2つの原理によって世界 が成立していると説く。このため、火 や光 を崇拝する。

人間はみずからの自由意志 で、善の側か悪の側かに立つことができる。両者の争いの果てに、最終的には善が勝利して、悪を滅ぼし、悪神の勢力は滅ぼされるという宇宙史的運命を主張した。」




スプンタ・マンユ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スプンタ・マンユ (Spənta Mainyu) は、ゾロアスター教 に於いて崇拝される善神アムシャ・スプンタ の筆頭で、「創造」を司るとされる。その名はアヴェスター語 で「聖なる霊」を意味する。

創世神話によれば、世界の始まりの時、スプンタ・マンユはもう一人の創造神アンラ・マンユ と出会ったという。そして、スプンタ・マンユは世界の二大原理のうち「善」を、アンラ・マンユ は「悪」を選択し、それぞれの原理に基づいて万物を創造した。

我々が存在しているこの現実世界は、スプンタ・マンユとアンラ・マンユの被造物が混じり合い、互いに戦い合う「善と悪との戦場」である。

中世以降は最高神アフラ・マズダー と同一視される。


オイラーの公式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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数学 、特に複素解析 におけるオイラーの公式(オイラーのこうしき、Euler's formula、オイラーの恒等式とも)とは、指数関数 と三角関数 の間に成り立つ等式

e^{i\theta} = \cos\theta + i \, \sin\theta

オイラーの公式の幾何的な表示

をいう。ここに、θ は幾何学的には弧度法 に従う角と見なされる実変数 である。三角関数を複素変数に関する解析的関数と考えることで、この等式は θ を複素変数 と見ても成立している。レオンハルト・オイラー に帰せられるためこの名がある。この公式ははじめ、ロジャー・コーツ によって1714年 に提出されたが、その証明は曖昧なものだった。その後オイラーによって1748年 に再発見され、有名になった。

この公式は複素解析をはじめとする純粋数学の様々な分野や、電気工学 ・物理学 などであらわれる微分方程式の解析において重要な役割を演じる。物理学者のリチャード・ファインマン はこの公式を評して「我々の至宝」かつ「すべての数学のなかでもっとも素晴らしい,そして驚くべき「方法」(「公式」の誤訳?)の一つ」[1] だと述べている。

また、θ = π のとき、オイラーの等式と呼ばれる

eiπ + 1 = 0

が導かれる。この式は、全く起源の異なる重要な定数である円周率 π と自然対数の底 e が、極めて基本的な数、0(加法の単位元), 1(乗法の単位元) および虚数単位 i によって結びついているという意味で特異なものである。

eiπ = − 1

の形でのべられる場合もある。



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2009年06月08日(Mon)▲ページの先頭へ
英国崩壊と日本崩壊:近代化が基層文化=魂の文化を破壊した:ゾロアスター教的神道仏教文化興隆へ
単に英国労働党だけでなく、英国自体が崩壊の危機である。結局、同一性金融資本主義を駆動させてきたのであるが、それが今や大崩壊してしまったのである。
 何が問題かというと、英国社会に活力がなくなっていることであろう。これは日本もそうなのであるが。
 米国はオバマ大統領によって、精神的なエネルギーを賦活させたが、英国にはそれがないのである。近代主義によって、英国の魂が失せたのである。
 そう、一言言っておきたい。イギリスの欺瞞性である。例えば、ビートルズは実は四人ともケルト系であり、ブリティッシュというのは間違いなのである。結局、ケルト文化の存在が濃厚であるのに関わらず、それを否定しているのである。そして、魂を喪失したのである。
 日本では、神道・仏教伝統文化が基層としてあるのに、戦後それを教育で教えないので、今日、日本人の精神が空洞化し荒廃しているのである。亡魂状態なのである。
 そう、先にゾロアスター教のことを述べたが、日本をトランス・モダン化するのに、ゾロアスター教を入れると実効的に活性化するのではないかと思う。即ち、ゾロアスター教的神道・仏教文化の創造である。

参考:
ゾロアスター教:宇宙の真理(トランス・モダン科学)の宗教
2009.06.08 Monday
 ・・・・・
 確かに、その通りで、ゾロアスター教は、差異共振力学に忠実な宗教であると思われる。マニ教について、もう少し、研究する必要があると思うが、マニ教を除いて、ゾロアスター教ほど、PS理論にとって、理解し易い哲学(宗教)は、これまで出会えなかった。
 
 善が嘘軸であり、悪が実軸であると考えると、宿命論も自明である。

 嘘軸は、垂直に立ち、実軸は、水平に倒れるのである。

 精神世界が「善」であり、嘘軸であるから、肉体世界=物質世界は実軸であり、精神世界(善)の物質世界(悪)に対する優位性によって、悪は宿命的に倒されるのである。

 また、絶対的な自由意思の尊重ということも、絶対的な自由意思の尊重こそ、精神世界の物質世界への優位性を保証するものであり、精神世界が、ボーアの不連続世界であることによって、絶対的に不確実な世界で有り、つまり、「自由」な世界であることも、ゾロアスター教の世界認識の正しさを証明している。
 絶対的不確実な世界と決定論(宿命論)が、差異共振によって、結びついているのであり、そこに合理性が存在するのである。
 精神世界は、絶対的に不確実な世界で有り、因果関係が遮断された、自由意思の世界である。この絶対的不確
実な精神世界こそ、自由意思が絶対的に保証される世界である。しかし、精神世界は肉体世界(物質世界)よりも優位性を持つ。これは、つまり、善(精神世界)が悪(物質世界)に勝つという説明である。
 精神世界は肉体世界(物質世界)よりも優位性を持つことが、善であり、絶対的自由意思の根源であるとも言える。
・・・・・
http://blog.kaisetsu.org
/?eid=753020
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
#################

崖っぷちのブラウン政権 方向感失った英労働党の末期症状
ゴードン・ブラウン氏の首相としての生命は、必然的な結末に近づいている。トニー・ブレア氏が喝采を浴びながらダウニング街10番地(首相官邸)に迎えられた1997年5月以来続いてきた労働党の長期政権も、命運が尽きようとしている

[2009年06月08日]
Financial Times
Brown loses minister in wake of elections disaster
Jane Kennedy: Gordon Brown loses another minister in wake of elections disaster

Gordon Brown has been hit by another ministerial backlash in the wake of the European elections disaster, with the resignation of farming minister Jane Kennedy, as he battles to stay in No 10.

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2009年06月07日(Sun)▲ページの先頭へ
ゾロアスター教:宇宙の真理(トランス・モダン科学)の宗教
Kaisetsu氏が指摘していたゾロアスター教の宿命論(善の勝利)については言及しなかったので、少し思うところを述べたい。
 まったくの直感であるが、ゾロアスター教は、実に、宇宙の真理を捉えているのである。PS理論で言えば、虚軸=超越性のダイナミズムを把握・理解しているのである。つまり、差異共振力学を掴んでいるのである。
 そして、悪神(アンリ・マンユ)は同一性主義の「神」であり、それは、宇宙の真理の力学から必然的に提起できる事象である。だから、善神(アフラ・マズダ)とは、差異共振の「神」であり、これも宇宙の真理(トランス・モダン科学)である。
 また、悪神=同一性主義=物質主義に傾斜した世界となった後、当然、宇宙の真理の力学から、超越性=差異共振性=善神が作用するようになり、この悪神を滅ぼすように働くことになるのである。この善神の作用は、正に、自然(じねん)・自発性・「力の意志」・絶対的自由意思である。
 つまり、ゾロアスター教は、宇宙の真理(トランス・モダン科学)に基づく宗教であるからこそ、宿命論(善の勝利)を説くことができるのである。
 だから、ゾロアスター教こそ、PS理論の「始祖」であると言える。かつて、偉大なゾロアスター教と讚えたが、それは正当である。


ゾロアスター教
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ゾロアスター教
基本教義
ゾロアスター教
神々

アフラ・マズダー
スプンタ・マンユ
ヤザタ 、ミスラ
ズルワーン
アナーヒター
ウルスラグナ
フラワシ
神々(悪神)

ダエーワ
アンラ・マンユ
アジ・ダハーカ
アエーシュマ
サルワ
インドラ
聖典
アヴェスター
文学
シャー・ナーメ
人物

ザラスシュトラ
カルティール
ザッハーク
表 ・話 ・編 ・歴

ゾロアスター教(ゾロアスターきょう、英語:Zoroastrianism、独語:Die Lehre des Zoroaster/Zarathustra、現代ペルシア語:دین زردشت [Dîn-e Zardošt])は、古代バルフ(Balkh、ダリー語 ・ペルシア語 بلخ Balkh )の地に始まる宗教 である。バルフ は現在のアフガニスタン 北部にあり、ゾロアスター教の信徒にとっては、始祖ザラスシュトラ が埋葬された地として神聖視されてきた。

ゾロアスター教は、善 と悪 の二元論 を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教 」と言われることもあるが、これは正しくはない。ゾロアスター教の中では、アムシャ・スプンタ など多くの神々が登場する。開祖はザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)である。その根本教典より、アヴェスター の宗教であるともいえ、イラン古代の宗教的伝統の上に立って、ザラスシュトラが合理化したものと考えられる。

光の象徴としての純粋な「火」を尊んだため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれ、また祆教(けんきょう)ともいう。他称としてはさらに、アフラ・マズダー を信仰するところからマズダー教の呼称がある。ただしアケメネス朝の宗教をゾロアスター教ではないとする立場(たとえばエミール・バンヴェニスト )からすると、ゾロアスター教はマズダー教の一種である。パーシ(パールシー)教徒とも呼ばれる。
概説 [編集 ]
聖火台跡(イラン)

イラン高原 北東部に生まれたザラスシュトラ は、インド・イラン語派 の信仰を、善と悪との対立を基盤に置いた壮大な世界観 を有し、また、きわめて倫理 的な性格をもつ宗教 に改革した。

ゾロアスター以前のインド・イラン語派 の信仰でも、すでに「三大アフラ」として叡智の神アフラ・マズダー 、火の神ミスラ 、水の神ヴァルナ が存在していた[1] 。そのため、単にアフラ・マズダー またはミスラ を信仰していることだけでは、ゾロアスター教徒とはならない。異教時代 と呼ばれる過去のイラン人と区別するための判断基準は、ゾロアスター教の信仰告白 であるフラワラーネ にあらわれている。そこでは五つの条件が挙げられている[2] 。

すなわち、@アフラ・マズダーを礼拝すること、Aゾロアスターの信奉者であること、B好戦的で不道徳な神ダエーワ と敵対すること、Cアフラ・マズダーが創造した偉大な六つの存在アムシャ・スプンタ を礼拝すること、Dすべての善をアフラ・マズダーに帰すること、である。

上記の五つに加えてさらに、アフラ・マズダー を、創造主 ととらえたことが、従来のインド・イランの信仰と著しく異なる点である[3] 。

さて、ザラスシュトラは、最初に2つの対立する霊があり、両者が相互の存在に気づいたとき、善の霊(知恵の主アフラ・マズダー )が生命 、真理 、光 などを選び、それに対してもう一方の対立霊(アンラ・マンユ )は死 や虚偽、闇 を選んだと唱えた[4] 。

すなわちゾロアスター教では、宇宙の法たる神(光明神)アフラ・マズダーを主神とし、アフラ・マズダーに従う善神スプンタ・マンユ に代表される善の勢力と、アフラ・マズダーに背く悪神(暗黒神)アンラ・マンユに代表される悪の勢力の2つの原理によって世界 が成立していると説く。このため、火 や光 を崇拝する。

人間はみずからの自由意志 で、善の側か悪の側かに立つことができる。両者の争いの果てに、最終的には善が勝利して、悪を滅ぼし、悪神の勢力は滅ぼされるという宇宙史的運命を主張した。

救済の宇宙史観 [編集 ]

スピターマ の一族に属するザラスシュトラ の思想は、バルフの小君主であったウィシュタースパ王の宮廷 で受容されて発展した[4] 。ザラスシュトラは、アフラ・マズダーの使者であり預言者 としてこの世に登場し、善悪二元論的な争いの世界であるこの宇宙 の真理を解き明かすことを使命としている。

かれによれば、知恵の主アフラ・マズダーは、戦いが避けられないことを悟り、戦いの場とその担い手とするために世界を創造した。その創造は天 、水 、大地 、植物 、動物 、人間 、火 の7段階からなり、それぞれがアフラ・マズダーの7つの倫理的側面により、特別に守護された[4] 。
『神の国 』を著した教父アウグスティヌス

創造された「この世界」を舞台とした二つの勢力の戦いが、歴史 であるという把握は、キリスト教の初期の神学者 であるアウグスティヌス の歴史観 に先行する世界史観とも言える。ザラスシュトラによれば、「この世界」は常に邪悪な勢力の攻撃を受け、ときに悪や破壊に覆われてしまうこともある。

光と闇が争い、この争いが地上の歴史であり、神は真理を教えるため、人間に救済者 ・預言者 を定期的に送り出し、人間に救いを齎すという教えは、後のユダヤ教 の宗教思想に継承されたと一般に言われる。人は善の戦いに加わり、その行いは死に際して裁かれ、義人は天国 へ行き、そうでない者は地獄 へと送られる。世界の終わりにはサオシュヤントと呼ばれる救済者が出現する。彼はザラスシュトラの保存された精子から処女を通して生まれ、世の終わりに救世主として現れる。そこで最後の審判 がなされ、最終的には悪は滅ぼされて、善なる世界が永遠に続く、とされる。

他宗教への影響 [編集 ]

ゾロアスター教の影響力は、学説により大きく変動する。ゾロアスターの生まれた年代をいつに定めるのか、またゾロアスター自身の教えがその後どの程度保持されていったのかにはさまざまな異説があるためである。[5]

影響力が高いとする学説の場合、次のように言われることが多い。ゾロアスター教にみられる預言者・救済者の思想、終末論 や天国と地獄の存在、最後の審判などの思想は、ユダヤ人のバビロン捕囚 時代にユダヤ教 に影響を与えた[6] 。ユダヤ教を母体としたキリスト教 もこれらを継承していると言われる。さらに、大乗仏教 において弥勒 信仰と結びついたり、またマニ教 もゾロアスター教の思想を吸収した[7] 。イスラム教 もまた、ユダヤ教やキリスト教、マニ教と並んでゾロアスター教の影響も受けており、聖クルアーンにもゾロアスター教徒の名が登場する。特に十二イマーム派 にある「隠れイマーム思想(マフディー )」は、サオシュヤント思想に多大な影響を受けている。

ザラスシュトラの幻影 [編集 ]

ザラスシュトラおよび、ゾロアスター教に対し、人々は実像以上に膨れ上がったイメージを持った。たとえばゾロアスター教の神官は、占星術 の大家であると、ギリシャ人は勘違いした。ペルシア帝国の支配地域の一つにバビロニア があり、その地域の占星術師をゾロアスター教の神官と取り違えたというのが実際のところであった。また、ゾロアスター教の神官を指す「マギ 」という言葉は、マジック の語源となった。実際に神官たちが行っていたのは、防衛的な白魔術 にすぎないのだが、人々はそこに魔術や奇術の使い手としてのイメージをこめた。

18世紀後半に、フランス人学者アンクティユ・デュペロンによって古代イラン語文献がヨーロッパに紹介された。つまり、その時点まで、ザラスシュトラの教えは直接検証されることなく、ザラスシュトラのイメージだけが独り歩きしていたことを意味する。19世紀になってやっと、ゾロアスター教の研究が大きく進み、それまで語りつがれてきた「偉大な先覚者ザラスシュトラ」の像は大きく揺らいだ。学者たちは当然そこにプラトン やイエス につながる思想を発見できると期待したわけだが、期待にそうものは発見できなかったためである。[8]

しかし、その後ニーチェ が「ツァラトゥストラかく語りき 」において、自らの思想をザラスシュトラに仮託して語ると、ニーチェ的なザラスシュトラの虚像が出現した。さらにドイツのナチズム がアーリア民族の優位性を演出するために、その地位が高められた。日本でザラスシュトラが紹介されたのは、この時期に重なる。またそれはドイツ経由で紹介されているため、日本ではザラスシュトラに対し現在でも過剰な期待を寄せる傾向がある[9] 。

イメージだけが肥大化したザラスシュトラについては、今でもいたるところで語られている。等身大のザラスシュトラを知ろうとするならば、歴史の反省にたち、次の注意が必要となろう。それはたとえ最新の論文であったとしても、以下のポイントが守られていない場合は、ただ幻影だけを追い求める結果になりかねない。 @ザラスシュトラ自身の言葉を直接検証する。 Aゾロアスター教の周辺、またゾロアスター以前のアーリア人の諸宗教の影響を考慮する。 Bアヴェスターの中に存在する時差に注意する。(最古層はザラスシュトラの直言であろうが、後世に付け加えられた内容も経典アヴェスターは含んでいる。また全体としては、聖書やマニ教の経典、仏教の経典よりも後に成立している)。

ザラスシュトラの教えの時代 [編集 ]
ゾロアスター教のシンボル、Faravahar

「ザラスシュトラの教え」とペルシア語で表現されるゾロアスタ−教は、イランの民族的宗教詩である『アヴェスター』の最古層に当たるガーサーが成立した、紀元前15世紀 から紀元前12世紀 頃までに、その原型が作られていたと考えられる。ここより、ザラスシュトラの活動した時代を、紀元前15世紀まで遡らせる考えもある。

他方、『アヴェスター』の「ガーサー」の歴史的な古さは認めるとして、歴史的人物として、古代ペルシアの宗教を改革して、倫理的に高い価値を提示するゾロアスター教として形成したザラスシュトラは、もっと後代の人物であり、アケメネス朝 ペルシア が成立すると同じ頃、あるいは、それより少し先行する時代に登場したとの学説もあり、こちらの方の考え方では、ザラスシュトラ及び彼の教えは、紀元前7世紀 から紀元前6世紀 頃が妥当であるということになる。

ザラスシュトラとその教えの成立年代は、紀元前15世紀から、紀元前6世紀までの幅があり、学問的には正確なところが、依然として不明である。ザラスシュトラの活動についても諸説がある。

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プラトンとニーチェ:ゾロアスター教のトランス・モダン性
以下、Kaisetsu氏が、ゾロアスター教についてとても興味深い、意義深い考察を提示している。
 実は、さきほど、ニーチェの青年期の作品『プラトン対話篇研究序説』を少し拾い読みして、ニーチェが美学的立場から、プラトンの道徳的立場を批判しているのを読んだが、その後の代表作の『悲劇の誕生』のディオニュソスを考えて、ニーチェの思想はプラトンからそれほど離れていないと感じたのである。
 ディオニュソスとは、実は、差異共振エネルギーのことと言えるのであり、これは、道徳的であり、また、美学的である。思うに、ニーチェはプラトンを一神教としてのキリスト教的視点から見て、誤読している面があると思う。
 とまれ、道徳のことを考えていた点で、Kaisetsu氏のゾロアスター教の考察と偶然の一致となったわけである。
 そう、ニーチェは後に『ツァラトゥストラはかく語りき』を書いたのである。当然、ニーチェはゾロアスター教的なものに魅かれていたのである。
 Kaisetsu氏の洞察はブログを読んで確認していただくこととして、プラトンもニーチェも嫌っていた物質界についてであるが、これは、同一性主義の世界であり、精神を喪失した世界である。プラトンのイデア論とは、物質界を否定的に見ているのであり、現象界を否定的に見ているのではないと考えられる。イデアの影としての現象界であり、現象を介して、イデアがいわば直感されると言えよう。
 結局、問題は、物質と現象の違いなのである。プラトン、ニーチェともに、両者を混同している面がある。
 だから、感覚・感性の問題がここにはあるのである。おそらく、物質的「感覚」があるとすれば、それは、同一性から感覚・感性を捉えている結果である。しかしながら、差異から感覚・感性を捉えることができるというか、それが自然である。
 芸術的感覚・感性とは実は、差異的感覚・感性である。そして、これは、また、道徳・倫理的感覚・感性ともなるのである。そして、また、差異は真の認識の基礎である。真善美の一致とは根拠がある理念である。
 現代日本は、近代主義化されて、同一性が支配しているのであり、当然、道徳的に堕落しているのである。政治の世界に端的に現われているのである。
 とまれ、感覚・感性の問題に戻ると、結局、西洋の二元論が元凶であると考えられる。この二元論によって、精神と物質、心と身体等が分離されたのである。そして、感覚・感性を後者に所属させたのである。これが根源的な誤謬である。感覚・感性と物質性はまったく別のものである。だから、一種三元論を見るべきである。精神/感覚/物質の三元論である。
 そして、感覚・感性を介して精神が読みとれるのである。私は小泉元首相の風体や発語からペテン師であると直観したものである。
 近代主義とは、正確には、近代合理主義・近代的自我・唯物論であるが、それは、感覚・感性から精神を切り離してしまったのである。つまり、感覚・感性を同一性化してしまったのである。換言すると、本来、感覚・感性とは、精神感覚・感性であるが、近代主義はそれを同一性感覚・感性、あるいは、物質的感覚・感性にしてしまったということである。
 そして、即非の論理であるが、これは、実に東洋精神のまったき発露である。これは、精神感覚・感性の論理を結晶化させた概念である。
 西洋哲学が、神秘学者のウスペンスキー(もっとも、彼は、ロシア人である。ロシア人は東洋的である。)を除いて、即非の論理にまったく到達できなかったのは、その二元論的拘束からみて、当然であったと言えよう。
 いろいろ言いたいことがあるが、最後にゾロアスター教について述べると、私は昔から、ゾロアスター教に魅かれていた。何故なのだろうか。
 直感では、ゾロアスター教は肯定できるが、ユダヤ教、キリスト教は肯定できないのである。キリスト教の黙示録的終末論は、ゾロアスター教から取り入れたものである。(そして、捩じ曲げている。)
 そう、ゾロアスター教は一神教ではない、善神と悪神の「二元論」である。これがユダヤ教とキリスト教からの絶対的差異である。「二元論」というと混乱するので、二極論と言おう。ユダヤ・キリスト教は、二極論ではなく、二元論である。正確に言えば、同一性的二元論である。この同一性が絶対的に問題なのである。
 そして、ここで、Kaisetsu氏が提示されたソロアスター教の絶対的自由意思の視点が画期的に重要なのである。つまり、ユダヤ・キリスト教は同一性主義であるのに対して、ゾロアスター教は差異主義、絶対的差異主義であるということである。
 言い換えると、ユダヤ・キリスト教ではヤハウェやキリストが同一性のモデルになるが、ゾロアスター教では、それはないということになる。
 結局、西洋文明はこれまで繰り返して述べたように、同一性に傾斜した文明、否、過度に同一性に傾斜した文明であるということである。これが、道徳・倫理を偽善的なものに変質させてしまったのである。
 最後に、簡単にゾロアスター教について私見を述べたい。ゾロアスター教はやはり父権的である。しかし、父権主義ではないだろう。これは、大国主命とも関係するのである。東洋的父権とは、西洋的父権とは異なるのである。前者は母権主義を前提としている。イシスに対するオシリスである。つまり、大母神を背景とする父権である。ということで、ゾロアスター教の父権性とは、東洋的父権性であり、大母神的父権性と言えよう。

追記:「天皇制」もこの視点から見られるべきである。本来、それは、大母神的父権性であるが、国学のもつ一神教性によって、同一性的父権主義に染められてしまったと考えられるのである。国家神道のことである。
 本来の神道は、大母神的なのである。天皇は大女神の子である日御子である。

***************

ゾロアスター教の注目するべき性格⇒「絶対的自由意思」と「宿命論(善の勝利)」の共存
http://blog.kaisetsu.org/
?eid=752616
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu

参照:
古典ギリシアの精神―ニーチェ全集〈1〉 (ちくま学芸文庫) (文庫)
フリードリッヒ ニーチェ (著), Friedrich Nietzsche (原著), 戸塚 七郎 (翻訳), 上妻 精 (翻訳), 泉 治典 (翻訳)

このようにツァラトゥストラは語った 上 (1)(講談社文庫) (文庫)
ニーチェ (著), 吉沢 伝三郎 (翻訳)

このようにツァラトゥストラは語った 下 (2)(講談社文庫) (文庫)
ニーチェ (著), 吉沢 伝三郎 (翻訳)

参照2:因みに以下のような本もある。

扶桑国王蘇我一族の真実―飛鳥ゾロアスター教伝来秘史 (単行本)
渡辺 豊和 (著)

シルクロードの経済人類学―日本とキルギスを繋ぐ文化の謎 (単行本)
栗本 慎一郎 (著)

参照3:

ゾロアスター教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
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ゾロアスター教
基本教義
ゾロアスター教
神々

アフラ・マズダー
スプンタ・マンユ
ヤザタ 、ミスラ
ズルワーン
アナーヒター
ウルスラグナ
フラワシ
神々(悪神)

ダエーワ
アンラ・マンユ
アジ・ダハーカ
アエーシュマ
サルワ
インドラ
聖典
アヴェスター
文学
シャー・ナーメ
人物

ザラスシュトラ
カルティール
ザッハーク
表 ・話 ・編 ・歴

ゾロアスター教(ゾロアスターきょう、英語:Zoroastrianism、独語:Die Lehre des Zoroaster/Zarathustra、現代ペルシア語:دین زردشت [Dîn-e Zardošt])は、古代バルフ(Balkh、ダリー語 ・ペルシア語 بلخ Balkh )の地に始まる宗教 である。バルフ は現在のアフガニスタン 北部にあり、ゾロアスター教の信徒にとっては、始祖ザラスシュトラ が埋葬された地として神聖視されてきた。

ゾロアスター教は、善 と悪 の二元論 を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教 」と言われることもあるが、これは正しくはない。ゾロアスター教の中では、アムシャ・スプンタ など多くの神々が登場する。開祖はザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)である。その根本教典より、アヴェスター の宗教であるともいえ、イラン古代の宗教的伝統の上に立って、ザラスシュトラが合理化したものと考えられる。

光の象徴としての純粋な「火」を尊んだため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれ、また祆教(けんきょう)ともいう。他称としてはさらに、アフラ・マズダー を信仰するところからマズダー教の呼称がある。ただしアケメネス朝の宗教をゾロアスター教ではないとする立場(たとえばエミール・バンヴェニスト )からすると、ゾロアスター教はマズダー教の一種である。パーシ(パールシー)教徒とも呼ばれる。



参照4:
大国主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

大国主(おおくにぬし)は日本神話 の中で、出雲神話に登場する神 である。天の象徴である天照大神 に対し、大地を象徴する神格でもある。

別称 [編集 ]

大国主は多くの別名を持つ。これは神徳の高さを現すと説明されるが、元々別の神であった神々を統合したためともされる。

* 大国主神(おおくにぬしのかみ) - 大国を治める帝王の意、あるいは、意宇国主。すなわち意宇(おう=旧出雲国東部の地名)の国の主という説もある。
* 大穴牟遅神・大穴持命(おおあなもち)・大己貴命(おほなむち) - 大国主の若い頃の名前
* 大汝命(おほなむち)-『播磨国風土記 』での呼称
* 大名持神(おおなもち)
* 八千矛神(やちほこ) - 矛は武力の象徴で、武神としての性格を表す
* 葦原醜男・葦原色許男神(あしはらしこのを) - 「しこのを」は強い男の意で、武神としての性格を表す
* 大物主神 (おおものぬし)
* 大國魂大神(おほくにたま)
* 顕国玉神・宇都志国玉神(うつしくにたま)
* 国作大己貴命(くにつくりおほなむち)・伊和大神(いわおほかみ)伊和神社 主神-『播磨国風土記』での呼称
* 所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)- 『出雲国風土記 』における尊称
* 幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)

出自・事績 [編集 ]

『日本書紀 』本文によるとスサノオ の息子。また『古事記 』、『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録 』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。

スサノオの後に少彦名神 と協力して天下を経営し、禁厭 (まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国 の国作りを完成させる。国土を天孫・瓊瓊杵尊 に譲って杵築(きづき)の地に隠退、後に出雲大社 の祭神となる。

因幡の白兎の話、根の国訪問の話、ヌナカワヒメへの妻問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』・『日本書紀』に記載されている。『出雲国風土記 』の意宇郡母里郷(現;島根県 安来市 )の地名起源説話には「越八口 」を大穴持(大国主)命が退治し、その帰りに国譲りの宣言をしたとある。

* 因幡の白兎
* 大国主の神話 (八十神の迫害・根の国訪問・大国主の妻問い)
* 大国主の国づくり
* 葦原中国平定

妻・子孫 [編集 ]
大国主の系図(古事記による)。青は男神、赤は女神、黄は性別不詳

大国主は色々な女神との間に多くの子供をもうけている。古事記には180柱、日本書紀には181柱と書かれている。

* 正妻であるスサノオの娘のスセリビメ については、記述がない
* 高志の国の奴奈川姫命(沼河比売 )についても記紀神話での記述はないが、葦原中国平定において大国主の子として登場する建御名方神 (タケミナカタ)が奴奈川姫との間の子であるという伝承が残されている。
* 最初の妻のヤガミヒメとの間に木俣神
* 宗像三神 のタキリビメ との間にアヂスキタカヒコネ (賀茂大神)・タカヒメ(シタテルヒメ )の二神
* カムヤタテヒメとの間に事代主
* ヤシマムジの娘のトトリヒメとの間にトリナルミ。以降、トリナルミの系譜がトリナルミ以下9代列挙されている。
* 大国主の求愛を拒んだ女性に、出雲郡宇賀郷のアヤトヒメがある。拒んだ理由として、スセリヒメが嫉妬深い性格であること、スセリヒメの嫉妬を想像したヤカミヒメが子供を斐川町直江で放棄し、故郷の因幡の国にもどってしまったことがあげられ、「出雲風土記」に記載されている。

沼河比売と建御名方命

信仰・伝承 [編集 ]

国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰されている。また、「大国」はダイコクとも読めることから、同じ音である大黒天 (大黒様)と習合して民間信仰に浸透している。子の事代主 がえびす に習合していることから、大黒様とえびすは親子と言われるようになった。

大国主を祀る主な神社 [編集 ]

大国主を祀る神社の代表は出雲大社 (島根県 出雲市 )で、他に大神神社 (奈良県 桜井市 )、気多大社 (石川県 羽咋市 )、気多本宮 (同七尾市 )、大國魂神社 (東京都 府中市 )のほか、全国の出雲神社で祀られている。

・・・・・
"http://ja.wikipedia.org/wiki
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2009年06月06日(Sat)▲ページの先頭へ
検討問題/思考実験:時空間の発生について:根源的平面と物質軸(の仮説)
以下思考実験である。

doblogがトラブルを起して修復不可能になり廃止になったが、過去のブログ記事がダウンロードできるようになっていたので、ダウンロードしたら、 Wordで三千ページ強(300ページの本なら、三四冊にはなるのではないか)あった。そこには、最初、不連続的差異論入門のカテゴリーの記事があった。内容の中には、なんとか、現象時空間の形成を説明しようと骨を折っているものがあった。(今から約四年前のものであるが、一種隔世の感がある。)
 そこで、PS理論から再度、時空四次元の成立を考察してみたい。有り体に言えば、何故、空間が三次元で、時間が一次元で、両者で時空四次元が形成されるのか、ということである。
 とまれ、PS理論から、ガウス平面が根源的平面である。虚軸(超越界)からの1/4回転によって、実軸(現象界・物質界)が生起(仮象)する。そして、ガウス平面に直交する第三軸が生起すると仮説しよう。これが、三次元を形成しているのではないだろうか。
 人間の原視覚の平面性はガウス平面で説明できるのではないだろうか。そして、奥行きは、第三軸で説明できるのではないだろうか。
 思うに、小児の絵画が平面的なのは、小児がまだ、根源的平面の視覚をもっているからではないだろうか。それは、まだ、超越性が強く作用している視覚平面ということではないだろうか。
 そして、同一性が強く作用すると、第三軸が強化されて、遠近法的世界が生まれるのではないだろうか。
 日本画は、基本的には、第三軸ではなく、根源的平面が美術空間であり、そこに存するMedia Pointの差異共振性が現象を引きつけているのではないだろうか。つまり、第三軸のものを根源的平面へと配置させているのではないだろうか。これは、作業仮説である。
 とまれ、物質性は、この第三軸の成立に強く関係すると言えよう。近代科学の形成もこれに関係しよう。
 思うに、仮に、第三軸は、物質軸と呼ぼう。(ならば、実軸は現象軸と呼べよう。あるいは、感覚・感性軸である。)そうならば、近代主義とは、この物質軸中心であったと言えよう。(物質軸は悟性軸=同一性軸とも言えよう。)
 さて、では、時間はどうなるだろうか。時間は、Media Pointに存するエネルギーではないだろうか。
 今思いついたが、プラスの物質軸があるならば、マイナスの物質軸があるだろう。それが、暗黒物質に関係するのではないか。あるいは、反物質である。
 そして、エネルギーであるが、それは、Media Pointに存するが、現象軸⇒+1が光とすれば、⇒-1(作業仮説:これはもっと別に記述されるべきであろう。例えば、⇒+1に対して、超越エネルギーの優位さから、-1の優位さが生起したというような考え方の方が発展的であろう。)が暗黒エネルギーではないだろうか。
 そうならば、宇宙は、プラスではなく、マイナスの方に傾斜していることになるだろう。
 それは、結局、反物質力、反重力、反同一性力等であり、なんらかの超越性の優位を示唆しているのではないだろうか。トランス物質、トランス現象の世界の優位である。今はここで留める。

参照:本ブログでは、以下の箇所である。
http://ameblo.jp/renshi
/theme-10000462643.html

doblogの記事から

AUTHOR: sophio
TITLE: 不連続的差異論講座
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PRIMARY CATEGORY: 不連続的差異論入門講座
DATE: 07/10/2005 05:43:15
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BODY:
これから、不連続的差異論をわかりやすくご紹介したいと思います。


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AUTHOR: sophio
TITLE: 不連続的差異論の仕組み:その1
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PRIMARY CATEGORY: 不連続的差異論入門講座
DATE: 07/10/2005 08:47:55
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不連続的差異論は、三つの世界から構成されています。
1.イデア界/2.メディア界/3.現象界
この三つの世界が三層となっています。
そして、根源の世界がイデア界であり、それが、メディア界を形成し、メディア界からわたしたちが今生きている現象界が形成されます。
実に簡潔な構成をもった理論です。


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AUTHOR: sophio
TITLE: 不連続的差異論の仕組み:その2:イデア界と差異
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不連続的差異論は、古代ギリシアの大哲学者プラトンのイデア論を、現代的に活用しています。そして、イデア界を想定しています。しかし、プラトンと異なる点は、イデアが差異であるという点です。たとえば、イデアを同一性としますと、同じものしか反復されません。つまり、ハンコのようで、ワンターンのままです。しかし、イデアを差異にすることで、絶えず、変化するものが生まれるのです。つまり、不連続的差異論は、イデア界に差異があると考えています。
 次に、もう一つ、一番のポイントですが、この差異が不連続であるということです。どういうことかと言いますと、差異が連続すると、差異1と差異2とが、一体になるということです。たとえば、男女が一体になるというのは、一見もっともらしいですが、実は、それぞれ、個というものがあるのですから、一体になるというのは、不自由なことです。つまり、連続的な差異だと、差異は、自立できません。それに対して、不連続的差異は、差異が自立していて、自由であります。差異と差異とが一体となることはありません。互いに個でありつつ、差異でありつつ、自由な関係を保つのです。差異の共存・共立・共生と言えるでしょう。


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AUTHOR: sophio
TITLE: 不連続的差異論の仕組み:その3:メディア界T
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PRIMARY CATEGORY: 不連続的差異論入門講座
DATE: 07/11/2005 07:01:26
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BODY:
今日は、メディア界についてご説明しましょう。まず、確認しますと、イデア界に不連続な差異、不連続的差異が複数(多数、あるいは無数)存しています。そして、この差異が、ある状況で、集結して、連結化します。この差異が連結した領域をメディア界と呼んでいます。すなわち、ここでは、矛盾したことが生じています。不連続な差異が、連続化するのです。これは、確かに、論理的な矛盾です。しかし、これは、確かに生起することなのです。ここは、数学に関係する事柄になりますが、簡単に説明しましょう。たとえば、串だんごを考えてください。おだんごは、いくつかあります。それらは、本来は、不連続ですが、串によって貫かれて、連続化しているのです。ちょうど、このようなものがメディア界と考えていただければよいと思います。この連続化によって、現象、物質の根源が創られると考えられます。次のように考えてみてください。一本の串だんごから、物理学でいう素粒子が形成されると考えみてください。そして、いくつもの串だんごが連結、集結して、原子や電子が生まれ、そして、それらがさらに連結して、分子や目に見える現象を形成していると考えてください。< BR> ということで、メディア界とは、イデア界の不連続的差異が連結・集結して、連続化する領域であり、そこから、現象(いわば、現実)が創られる中間領域であると考えることができます。後ほど、もう少し詳しくご説明したいと思います。


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AUTHOR: sophio
TITLE: 不連続的差異論の仕組み:その4:メディア界U
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PRIMARY CATEGORY: 不連続的差異論入門講座
DATE: 07/12/2005 06:51:29
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BODY:
前の回では、メディア界とは、串だんごのようだと言いましたが、それは、わかりやすくするための比喩です。しかし、ほんとうは、もう少し複雑なのです。正確に言えば、串はないのです。串があるようにみえるのです。つまり、串だんごがあるように見えるのです。だから、メディア界は差異の連続化というよりは、連結化と言った方が的確だと思います。とりあえず、仮想的な、バーチャルな串や串だんごを考えていただければいいと思います。ルイス・キャロルの世界を想起していただければいいと思います。チェッシャー猫の笑いのようなもので、猫の形が消えても、笑いが残っているようなそういう世界です。< BR> 簡単にまとめますと、メディア界とは、イデア界の不連続な差異が連結して、仮想の連続化の事態が生起する領域と考えることができます。そして、この仮想的連続化の事象は、様々な見え方をします。ピカソのキュービズム時代の絵を想起していただければいいと思いますが、いろいろな角度からの視点が同時成立するのです。だから、メディア界とは、キュービズム的と言ってもいいと思います。
 さて、ここで、この多様な視点について簡単に説明してみたいと思います。これは、時間、空間に関わることです。差異の連結によって、力ないしエネルギーが生じます。そして、これが、光であり、時間であります。(アインシュタインの相対性理論を想起していただければとよいと思います。)光・時間によって、同時に空間が発生します。つまり、時空間の相対性がここに生起します。この相対的時空間が、多様な視点が成立するゆえんだと思います。もう少し丁寧に言いますと、メディア界において、差異と差異との間に極性をもった力、+との力が発生します。この力は、特定な力ではなく、言わば、未決定な力であり、喩えて言えば、プラス100ボルトとマイナス100ボルト、プラス100万ボルトとマイナス100万ボルト等が拮抗・均衡するような具合です。だから、相対的な多様な力がそこには生起しています。この相対的多様な力が、多様な視点を形成するのだと思います。
 少し難しくなってしまいましたので、後ほど、もっと平明にご説明したいと思います。





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AUTHOR: sophio
TITLE: 不連続的差異論の仕組み:その5:メディア界と現象界
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PRIMARY CATEGORY: 不連続的差異論入門講座
DATE: 07/13/2005 22:02:43
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ここで、わかりやすくするために簡単に図示してみたいと思います。

 [イデア界]
< BR>d1/d2/d3/・・・/dn

(なお、dは差異で、/は境界です。)


 [メディア界]

d1ーd2ーd3ー・・・ーdn< BR>
(なお、ーは、連結の記号とします。ここは、串だんごと言った状態です。)

そして、これは、作用であり、反作用として、

d1/d2/d3/・・・/dn
< BR>へと戻ります。つまり、イデア界へと回帰します。
これを順列化作用、脱順列化反作用ととりあえず呼びたいと思います。この運動は、イデア界とメディア界に関係することです。しかし、メディア界においては、極性が生じることをみました。それは、
< BR>d1±d2±d3±・・・±dn(メディア界)

と表記できます。(思うに、実際は次のよう円環
になっているのかもしれません。
±d1±d2±d3±・・・±dn±d1±d2・・・)

メディア界の極性力は、牽引力となり、連続化を形成します。そして、このバランスが現象界となると考えられます。< BR>
d1+ーd2+ーd3+ー・・・+ーdn

d1ー+d2ー+d3ー+・・・ー+dn

これが現象界となりますが、しかし、+ー、ー+は、いわば、ゆらいでいますから、それぞれ、2通りありますから、全体で、4通りになります。
これが現象界の四元性です。たとえば、東西南北、四つの血液型、四大(地水火風)、十字架等です。もう少し丁寧に図示しますと、

[現象界]

1.d1+ーd2+ーd3+ー・・・+ーdn
2.d1*d2*d3*・・・*dn

3.d1ー+d2ー+d3ー+・・・ー+dn
4.d1*d2*d3*・・・*dn

(なお、*はゆらぎを表すことにします。)

2と4は、同形となっていますが、2は1から生じる形であり、4は3から生じる形ですから、違いがあります。今はこれくらいにします。
< br>
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AUTHOR: sophio
TITLE: 不連続的差異論の仕組み:その6:メディア界と現象界U
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DATE: 07/14/2005 08:56:27
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BODY:
前回の事柄を補足しますと、現象界は、次のようにも表記できます。

T)+d1ー+d2ー+・・・ー+dnー

U)ーd1+ーd3+ー・・・+ーdn+


これは、磁石と見ることができます。もっとも力の原型と考えることもできるでしょう。+ーないしー+に、現代物理学の四つの力(強い力、弱い力、電磁気力、重力)と見ることができます。また、それら以外の力を考えることができます。それは、ゆらぐ全体の力、すなわちメディア界の力、原力(エネルゲイア)です。
 とまれ、ここでは、現象界の四元性の物理学に簡単にざっと触れました。後で、もっと詳しくみたいと思います。


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AUTHOR: sophio
TITLE: 不連続的差異論の仕組み:その7:メディア界と現象界V
BASENAME: 1603684
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PRIMARY CATEGORY: 不連続的差異論入門講座
DATE: 07/14/2005 14:36:56
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BODY:
前回の現象界の図式ですが、現象界の四つの力の図式と見ています。おそらく、強い力と弱い力、電磁気力と重力がペアになるのではないかと思われます。+ーが強い力で、*(ゆらぎ)が弱い力で、同様に、たとえば、ー+が電磁気力で、*(ゆらぎ)が重力ではないかと思われます。今日、標準理論が破綻していると考えられていますが、統一理論は、メディア界の差異の連結の記述からもたらされるでしょうし、それは、根本的には、イデア界による順列化/脱順列化の力によって記述されるでしょう。この点は、難しいので、機会を改めて論じたいと思います。次回からは、もっとわかりやすい事柄を述べる予定です。< br>

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AUTHOR: sophio
TITLE: 不連続的差異論の仕組み:その8:三層構成
BASENAME: 1604012
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PRIMARY CATEGORY: 不連続的差異論入門講座
DATE: 07/14/2005 17:09:25
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ここで、簡単に、これまでのことを簡単に整理したいと思います。簡単な確認です。

 [イデア界}< BR>
d1/d2/d3/・・・/dn


[メディア界]

d1ーd2ーd3ー・・・ーdn

(d1±d2±d3 ±・・・±dn)


[現象界]

d1+ーd2+ーd3+ー・・・+ーdn
d1ー+d2ー+d3ー+・・・ー+dn
d1*d2*d3*・・・*dn
d1#d2#d3#・・・#dn

(なお、*と#はゆらぎを表す)

以上が、不連続的差異論の三層構成です。
< br>
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多極化路線と差異共振資本主義:オバマニズムと中東:トランス・モダン差異共振経済
以下は、田中宇氏の、極めて刺激的な意味深長な、オバマ路線と中東に関する記事である。
 田中氏が唱える多極化路線とは、資本の論理に拠るものと説明しているが、これは実は、十分な説明になっていないのである。資本の論理ならば、英国・イスラエル覇権路線も資本の論理(正しくは同一性金融資本主義)に基づくと言えるからである。だから、これまで述べてきたように、差異共振価値としての資本の論理と言うべきなのである。差異共振資本の論理ということになるのである。
 思うに、オバマニズム(造語)は背景には、新資本主義の理論ができていると思われる(追記:正確に言えば、米国の伝統的な自由共同体資本主義が根源であると考えられる。とにかく、トランス・モダンである)。端的に、差異共振資本主義である。これこそ、バブルでなく、差異的共同体の「玉富」を創造する経済と考えられる。
 そう、また、オバマ政権がグリーン路線であるのは、この差異共振資本主義に基づく発想ではないだろうか。つまり、世界的に差異共振資本主義を活性化するためには、これまでの公害型(温暖化は間違いであるが)の資本主義では、自然環境が完全に破壊されてしまうと考えているからではないだろうか。
 とまれ、以上は雑感である。

追記:グリーン路線には、根本的には、米国覇権路線があると見るべきであろう。そう、グリーン・イデオロギーである。これで、威圧するのである。

**************

反イスラエルの本性をあらわすアメリカ(2)
2009年6月5日  田中 宇

この記事は「反イスラエルの本性をあらわすアメリカ」 <URL > の続きです。

 米国を代表する企業で、最近まで世界最大の自動車会社だったゼネラル・モータース(GM)の6月1日の倒産は、世界に衝撃を与えたが、イスラエルでは、米オバマ政権が自国に突きつけている前代未聞の政治的選択肢との比類で語られている。

 GMは米国の象徴だっただけに、従来は、経営難になっても「米国の象徴を潰すわけにはいかない」と米政界から神聖視され、倒産を先延ばしにしてきた。しかしオバマは、そんなタブーを無視してGMに「合理化できなければ倒産だ」と迫り、合理化に失敗したGMを、本当に潰してしまった。

 同様にオバマは、イスラエルに対し「米国との良い関係を保持したければ、西岸での入植地拡大をやめて、パレスチナ国家の建設を助け、アラブ諸国と和解せよ」と迫っている。イスラエルは、オバマに命じられるままに入植地拡大をやめてパレスチナ国家の創設を容認するか、もしくは米国の命令を無視してパレスチナ人を西岸から追い出したり恒久的に封じ込めたりする強硬派の戦略を独力で続けるか、二者択一を迫られている。

 1970年代、イスラエルで最初にパレスチナ人追放という強硬策を提唱したのは、米国から移民(帰還)してきたメイル・カハネというラビ(ユダヤ宗教者)だったので、ハアレツ紙は「イスラエルは突然、オバマかカハネかという二者択一を迫られている」「GM倒産というタブー破りをやってのけたオバマを見くびってはならない」と書いている。(Israel's sudden choice - Obama or Kahane )

▼オバマは何をするつもりなのかわからない

http://tanakanews.com
/090605israel.htm

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