INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/05/23

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2009年05月23日(Sat)▲ページの先頭へ
天と地:精神と身体:ガイアとMedia Point又は⇒+1:処女生殖と国之常立神
学生のとき、ベーム指揮のウィーン・フィルの『田園交響曲』を何度も聴いたものだが、第2楽章の川の優美な流れの表現を堪能した。
 今、30年ぶりくらいに聴いているが、やはり、ベームの名演の随一かもしれない(1971年の録音だから、今から40年弱前の演奏である。先にも述べたが、20世紀の第四四半世紀は近代末期の大不毛時代と言えるが、兌換通貨体制の崩壊と結びついている。つまり、同一性価値=唯物論金融経済体制が生まれて、精神・差異価値を破壊したからである。)。とまれ、ウィーン・フィルは、この頃、実に芳醇な響きを出していた。(リマスター盤は音の解像度がよくなり、なにか原始・元素的な凄みがある。また、神々しい響きでもある。)
 最近のウィーン・フィルはあまり感じないが、ウィーン・フィルの音には、天地がストンと貫通するような趣があるのである。垂直に音が出る感じである。天と地とが貫徹するような響きである。
 私はこの天地感性とそれと関連して、天と地の意味をPS理論から再検討したいのである。
 やはり、端的に、天地感性(天地精神)とは、Media Pointの虚軸の極性力学(量子力学)に拠ると考えられる。(つまり、ウィーン・フィルの音とは東洋・アジア的ということである。)
 Media Pointにおいて、+iと-iが差異共鳴したとき、天と地とが「一気通貫」すると考えられる。この差異共振様相において、つまり、差異共振エネルゲイアにおいて、+iは-iと即非様態にあり、+iでありつつ、-iであるし、また融合様態でもあるというような様相である。
 このいわば、天地共振モードにおいて、天への志向と同時に、地への志向が発生するし、また、両者同時生起すると考えられる。言い換えると、天への志向は同時に、地への志向であるし、天への志向でもないし、地への志向でもない。
 ここで言う、天と地は当然、精神的な性質である。天はわかりやすいが、地もここでは、物質的な地ではなく、精神的な、霊的な地である。だから、精神的身体と言ってもいいだろう。⇒+1である。問題は⇒である。ここにおいて、天地差異共鳴モードが生じるが、+1を分離すると、同一性=物質的に、天と地の分離が起きるだろう。言い換えると、父権的天地分離である。
 大地の成分である鉱物と言った時、それは、+1である。しかしながら、大地でさえ、本来は、⇒+1であるから、精神的大地である(地霊genius loci)。
 とういうことで、天と地と言う場合、Media Pointにおける様相であるから、正しくは、精神的天と精神的地ということになるのである。あるいは、差異的天であり、差異的地である。一言で言うと、精神的天地、差異的天地、ないしは、精神的宇宙、差異的宇宙ということになる。
 さて、ここで先に提起したガイア、光、重力の問題を考えよう。いったいガイアとは何か。それは端的に、精神的大地であるだろう。つまり、Media Pointにおける地への志向性である。-iの傾斜である。
 と書いたものの、そうではないという考えが浮かんだ。ガイアは「コーラ」、容れ物である。いわば、パンドラである。ものを生み出す大元子宮と考えられる。
 つまり、ガイアとは、Media Pointそのものであるということになる。ならば、どうして、古代ギリシア人は大地の女神と考えたのか。Media Pointを大地の女神と考える根拠は何か。
 思うに、⇒+1の+1は物質であり、鉱物である。そして、これが、物質的大地ではある。しかしながら、古代ギリシア人は物質を生み出す容器として大地を考えていたに違いないのである。それが、Media Pointなのである。だから、ガイアとは端的に、⇒+1のことと考えられる。(追記:ここは微妙な箇所である。即ち、ガイアを⇒とするのか、⇒+1とするのか。しかし、実質的には、両者はほとんど区別されないだろう。後で整理したい。)
 そして、ガイアがウラノス(天)を産み、また、子のウラノスと交わり、ティーターン神族を産んだのである。これは、最初は処女生殖(単性生殖)である。
 結局、ガイアとは、宇宙(コスモス)的なMedia Pointと言えよう。Cosmic Media Pointである。(ガイアはコスモスである。)
 であるから、以前述べたように、ガイアはやはり、大元母神である。創造の原点である。
 ということで、先に、ガイアは-iの傾斜ではないのかという作業仮説は廃棄されることになる。そして、当然、ガイアとは古代オリエントの大女神と通じるのである。古代ギリシアの根源には、東洋・アジア女神文化があるのである。
 最後に、処女神アテナと聖母マリアであるが、それは、処女生殖のガイアの系譜と言えよう。Media Pointの系譜であり、日本では、天之御中主神ないしは国之常立神であろう。後者の方がよりガイア的であろう。独神(性別のない神)というのが、処女生殖と結びつく。
 
ベートーヴェン:交響曲第6番 / シューベルト:交響曲第5番
~ ベーム(カール) (アーティスト, 指揮), ベートーヴェン (作曲), シューベルト (作曲), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (演奏)

参考:
ガイア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
曖昧さ回避 その他の用法についてはガイア (曖昧さ回避) をご覧ください。

ガイア(古代ギリシア語 : Γαῖα, Gaĩa)は、ギリシア神話 に登場する大地 の女神 である。ヘーシオドス の『神統記 』によれば、カオス やタルタロス 、エロース と同じく世界の始まりの時から存在した原初神。また、カオス の娘とする説もある。

ウーラノス 、ポントス の母であり、ウーラノスを夫とする。ウーラノスとの間にクロノス をはじめとするティーターン を、またキュクロープス やヘカトンケイル 、ギガース 、ピュートーン 、テューポーン などの魔神・怪物を産んだ。ウーラノスがクロノスに去勢 された(これは子供たちを幽閉されたガイアが怒り命じたことだった)後には、ポントスを夫にしたとも言われている。

ギリシア神話 に登場する神々の多くはガイアの血筋に連なり、また人類もその血を引いているとされ、母なる女神として篤く崇拝された。

さらに、地上のあらゆる事がその上で行われる事から、誓言の神でもある。

ローマ神話 におけるテルス に相当。

Gaia (mythology)
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to: navigation , search
For other uses, see Gaia .
Gaia
Goddess of the Earth
Abode Earth
Consort Uranus
Parents Chaos
Children Uranus , Oceanus , Coeus , Crius , Hyperion
Roman equivalent Terra
This box: view • talk
Greek deities
series

* Titans and Olympians
* Aquatic deities
* Personified concepts
* Other deities

Primordial deities

* Chaos
* Aether
* Gaia
* Uranus



* Eros
* Erebus
* Nyx
* Tartarus

Chthonic deities

Hades and Persephone ,
Gaia, Demeter , Hecate ,
Iacchus , Trophonius ,
Triptolemus , Erinyes

Gaia (pronounced /ˈɡeɪ.ə/ or /ˈɡaɪ.ə/; "land" or "earth ", from the Ancient Greek Γαῖα; also Gæa or Gea (Koine and Modern Greek Γῆ)[1] is the primal Greek goddess personifying the Earth .

Gaia is a primordial and chthonic deity in the Ancient Greek pantheon and considered a Mother Goddess or Great Goddess.

Her equivalent in the Roman pantheon was Terra .
In Greek mythology
Tellus Mater , the Roman equivalent of Gaia, steps out of her chariot - detail of a sarcophagus in Glyptotheck in Munich

Hesiod 's Theogony (116ff) tells how, after Chaos , arose broad-breasted Gaia the everlasting foundation of the gods of Olympus . She brought forth Uranus , the starry sky, her equal, to cover her, the hills, and the fruitless deep of the Sea, Pontus , "without sweet union of love," out of her own self through parthenogenesis . But afterwards, as Hesiod tells it, she lay with her son, Uranus , and bore the World-Ocean Oceanus , Coeus and Crius and the Titans Hyperion and Iapetus , Theia and Rhea , Themis , Mnemosyne , and Phoebe of the golden crown, and lovely Tethys . "After them was born Cronus the wily, youngest and most terrible of her children, and he hated his lusty sire." b Hesiod mentions Gaia's further offspring conceived with Uranus: first the giant one-eyed Cyclopes : Brontes ("thunderer"), Sterodes ("lightning") and the "bright" Arges : "Strength and might and craft were in their works." Then he adds the three terrible hundred-handed sons of Earth and Heaven, the Hecatonchires : Cottus , Briareos and Gyges , each with fifty heads. Uranus hid the Hecatonchires and the Cyclopes in Tartarus so that they would not see the light, rejoicing in this evil doing. This caused pain to Gaia (Tartarus was her bowels) so she created grey flint (or adamantine ) and shaped a great flint sickle, gathering together Cronos and his brothers to ask them to obey her. Only Cronos, the youngest, had the daring to take the flint sickle she made, and castrate his father as he approached Gaia to have intercourse with her. And from the drops of blood and semen, Gaia brought forth still more progeny, the strong Erinyes and the armoured Gigantes and the ash-tree Nymphs called the Meliae .

From the testicles of Uranus in the sea came forth Aphrodite . For this, a Greek etymologist urged, Uranus called his sons "Titans," meaning "strainers" for they strained and did presumptuously a fearful deed, for which vengeance would come afterwards; for, as Uranus had been deposed by his son, Cronos, so was Cronos destined to be overthrown by Zeus , the son born to him by his sister-wife Rhea .

After Uranus's castration, Gaia gave birth to Echidna and Typhon by Tartarus . By Pontus, Gaia birthed the sea-deities Nereus , Thaumas , Phorcys , Ceto , and Eurybia . Aergia , a goddess of sloth and laziness, is the daughter of Aether and Gaia.

Zeus hid Elara , one of his lovers, from Hera by hiding her under the earth. His son by Elara, the giant Tityas , is therefore sometimes said to be a son of Gaia, the earth goddess, and Elara.

Gaia also made Aristaeus immortal.

Gaia is believed by some sources (Joseph Fontenrose 1959 and others) to be the original deity behind the Oracle at Delphi . She passed her powers on to, depending on the source, Poseidon , Apollo or Themis . Apollo is the best-known as the oracle power behind Delphi, long established by the time of Homer, having killed Gaia's child Python there and usurped the chthonic power. Hera punished Apollo for this by sending him to King Admetus as a shepherd for nine years.

Oaths sworn in the name of Gaia, in ancient Greece, were considered the most binding of all.

In classical art Gaia was represented in one of two ways. In Athenian vase painting she was shown as a matronly woman only half risen from the earth, often in the act of handing the baby Erichthonius (a future king of Athens) to Athena to foster (see example below).

Later in mosaic representations she appears as a woman reclining upon the earth surrounded by a host of Carpi, infant gods of the fruits of the earth (see example below under Interpretations).
http://en.wikipedia.org
/wiki/Gaia_(mythology)

国之常立神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(クニノトコタチ から転送)
移動: ナビゲーション , 検索

国之常立神(くにのとこたちのかみ)は、日本神話 に登場する神 である。古事記 では国之常立神、日本書紀 では国常立尊と表記されている。別名 国底立尊。

天地開闢 の際に出現した神である。古事記においては神世七代 の一番目に現れた神で、別天津神 の最後の天之常立神 (あめのとこたちのかみ)と対を為している。独神 (性別のない神)であり、姿を現さなかったと記される。日本書紀本文では、国常立尊が最初に現れた神としており、男神であると記している。他の一書においても、一番目か二番目に現れた神となっている。記紀ともに、それ以降の具体的な説話はない。

神名の「クニノトコタチ」は、国の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説や、国が永久に立ち続けるの意とする説など、諸説ある。

日本書紀では最初、古事記でも神代七代の一番目に現れた神とされることから、始源神・根源神・元神として神道理論家の間で重視されてきた。伊勢神道 では天之御中主神 、豊受大神 とともに根源神とした。その影響を受けている吉田神道 では、国之常立神を天之御中主神と同一神とし、大元尊神(宇宙の根源の神)に位置附けた。その流れをくむ教派神道 諸派でも国之常立神を重要な神としている。例えば大本教 では、根本神である艮の金神 は国之常立神と同一神であるとされ、昭和19年 6月10日 に千葉県 成田市 台方の麻賀多神社 で岡本天明 に降ろされた日月神示 もこの神によるものとされる。

国土形成の根源神、国土の守護神として信仰され、以下の諸社で祭られている。





コーラ教会Chora Churchの円天井画を見て驚嘆する:東洋・アジア的大女神的イエス教である:Ver2
私はこのカーリエ博物館の円天井画を見て驚いた。中心に聖母子が位置し、使徒12人を統括している図像でああるからである。ここには、なんとヤハウェ(唯一神/超越神)が不在である。正に、大女神的イエス教の図像であると思った。使徒12人とは、黄道十二宮が本来ではないだろうか。(追記:使徒12人と言ったが、図像には、翼がついている。すると、天使、大天使となるだろう。しかし、天使は通常、9階級あるのである。)
 とまれ、イスタンブールであるから、古代はアナトリアの地であり、小アジアであり、女神信仰・崇拝の盛んな地域であったのである。だから、女神信仰・崇拝の一環としてイエス教がここに描かれていると思ったのである。すばらしい21世紀/トランス・モダン聖霊教の図像であると考えられるのである。
 そう、またさらに驚くべきことは、英語名では、コーラ教会となっていることである。コーラとはプラトンの『ティマイオス』のコーラと同じであると考えられる(以下、英語Wikipediaの青文字で強調した箇所を参照されたい。強調は花鳥風月庵。少し説明すると、イエスを「生者の土地[郷土・郷国)」として、聖母マリアを「容れることが不可能なものの容器」と述べていることである。この「土地」や「容器」の概念が正に、プラトンのコーラに通じると言えよう。これは、PS理論としては、端的に、Media Pointと考えられるのである。言い換えると、超越性を身体・大地化するというようなことだと考えられる。後で、精緻に検討したい。)。つまり、Media Pointである。Media Point Church(Temple, Shrine)となるのである。正に、大女神に相応しい教会と言えよう。東洋・アジア的教会と言えよう。

追記:昔、トルストイの『戦争と平和』や『復活』を読んで、簡潔ながら、蒼穹を円天井として美しく表現されていたが、その発想の元はこのような東方教会ではなかったかと思った次第である。トルストイやドストエフスキーの「キリスト教」はロシア正教(正教会)である。それは、今や非唯一神的東洋・アジア的大女神(大元母神)的イエス(「日御子」)教と呼べよう。


File:Chora Church Constantinople 2007 011.jpg

The Virgin and child, painted dome of the parecclesion of Chora Church.
(クリックすると拡大します。)

Chora Church
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to: navigation , search
Front view of Chora Church
Rear view of Chora Church

The Chora Museum (Turkish Kariye Müzesi, Kariye Camii, or Kariye Kilisesi ― the Chora Museum, Mosque or Church) is considered to be one of the most beautiful examples of a Byzantine church .[1] The church is situated in the western, Edirnekapı district of Istanbul . In the 16th century, the church was converted into a mosque by the Ottoman rulers , and it became a secularised museum in 1948. The interior of the building is covered with fine mosaics and frescoes .
History
Sketch map of the church interior
Sketch map of the interior plan of the Chora Church

The Chora Church was originally built outside the walls of Constantinople , to the south of the Golden Horn . Literally translated, the church's full name was the Church of the Holy Saviour in the Country: although "The Church of the Holy Redeemer in the Fields" would be a more natural rendering of the name in English. (Greek ἡ Ἐκκλησία του Ἅγιου Σωτῆρος ἐν τῃ Χώρᾳ, hē Ekklēsia tou Hagiou Sōtēros en tē Chōra).[2] The last part of that name, Chora, referring to its location originally outside of the walls, became the shortened name of the church. The original church on this site was built in the early 5th century, and stood outside of the 4th century walls of Constantine the Great . However, when Theodosius II built his formidable land walls in 413–414, the church became incorporated within the city's defences, but retained the name Chora. The name must have carried symbolic meaning, as the mosaics in the narthex describe Christ as the Land of the Living (ἡ Χώρα των ζώντων, hē Chōra tōn zōntōn) and Mary, the Mother of Jesus , as the Container of the Uncontainable (ἡ Χώρα του Ἀχώρητου, hē Chōra tou Achōrētou).

The majority of the fabric of the current building dates from 1077–1081, when Maria Dukaina, the mother-in-law of Alexius I Comnenus , rebuilt the Chora Church as an inscribed cross or quincunx : a popular architectural style of the time. Early in the 12th century, the church suffered a partial collapse, perhaps due to an earthquake . The church was rebuilt by Isaac Comnenus, Alexius's third son. However, it was only after the third phase of building, two centuries after, that the church as it stands today was completed. The powerful Byzantine statesman Theodore Metochites endowed the church with much of its fine mosaics and frescos . Theodore's impressive decoration of the interior was carried out between 1315 and 1321. The mosaic-work is the finest example of the Palaeologian Renaissance. The artists remain unknown. In 1328, Theodore was sent into exile by the usurper Andronicus III Palaeologus . However, he was allowed to return to the city two years later, and lived out the last two years of his life as a monk in his Chora Church.

During the last siege of Constantinople in 1453, the Icon of the Theotokos Hodegetria , considered the protector of the City, was brought to Chora in order to assist the defenders against the assault of the Ottomans .[3]

Around fifty years after the fall of the city to the Ottomans , Atık Ali Paşa, the Grand Vizier of Sultan Bayezid II , ordered the Chora Church to be converted into a mosque ― Kariye Camii. Due to the prohibition against iconic images in Islam , the mosaics and frescoes were covered behind a layer of plaster. This and frequent earthquakes in the region have taken their toll on the artwork.

In 1948, Thomas Whittemore and Paul A. Underwood, from the Byzantine Institute of America and the Dumbarton Oaks Center for Byzantine Studies, sponsored a programme of restoration. From that time on, the building ceased to be a functioning mosque. In 1958, it was opened to the public as a museum ― Kariye Müzesi.

[edit ] Interior
The Virgin and child, painted dome of the parecclesion of Chora Church.

The Chora Church is not as large as some of the other Byzantine churches of Istanbul (it covers 742.5 m²), but what it lacks in size, it makes up for in the beauty of its interior. The building divides into three main areas: the entrance hall or narthex , the main body of the church or naos , and the side chapel or parecclesion. The building has six domes : two in the esonarthex, one in the parecclesion and three in the naos.

・・・・・

File:HSX Mary genealogy.jpg

Mosaic of the Virgin Mother with child, north dome of inner narthex


File:Chorachurchfresco.JPG.jpg

Close-up of the Virgin Mother with child, north dome of inner narthex



http://en.wikipedia.org/wiki
/Chora_Church


Chora Churchの円天井画を見て驚く:東洋・アジア的大女神的イエス教である
私はこのカーリエ博物館の円天井画を見て驚いた。中心に聖母子が位置し、使徒12人を統括している図像であれうからである。ここには、ヤハウェ(唯一神/超越神)がいないのである。正に、大女神的イエス教の図像であると思った。使徒12人とは、黄道十二宮が本来ではないだろうか。
 とまれ、イスタンブールであるから、古代はアナトリアであり、小アジアであり、女神信仰の盛んな地域であったのである。だから、女神信仰の一環としてイエス教がここに描かれていると思ったのである。すばらしい21世紀/トランス・モダン聖霊教の図像であると考えられるのである。
 そう、また驚くべきことは、英語名では、コーラ教会となっていることである。コーラとはプラトンのコーラと同じであると考えられる。つまり、Media Pointである。Media Point Church(Temple, Shrine)となるのである。正に、大女神に相応しい教会と言えよう。東洋・アジア的教会と言えよう。

追記:昔、トルストイの『戦争と平和』や『復活』を読んで、簡潔ながら、蒼穹を円天井として美しく表現されていたが、その発想の元はこのような東方教会ではなかったかと思った次第である。トルストイやドストエフスキーの「キリスト教」はロシア正教である。それは、今や東洋・アジア的大女神的イエス教と呼べよう。


File:Chora Church Constantinople 2007 011.jpg

The Virgin and child, painted dome of the parecclesion of Chora Church.
(クリックすると拡大します。)

Chora Church
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to: navigation , search
Front view of Chora Church
Rear view of Chora Church

The Chora Museum (Turkish Kariye Müzesi, Kariye Camii, or Kariye Kilisesi ― the Chora Museum, Mosque or Church) is considered to be one of the most beautiful examples of a Byzantine church .[1] The church is situated in the western, Edirnekapı district of Istanbul . In the 16th century, the church was converted into a mosque by the Ottoman rulers , and it became a secularised museum in 1948. The interior of the building is covered with fine mosaics and frescoes .
History
Sketch map of the church interior
Sketch map of the interior plan of the Chora Church

The Chora Church was originally built outside the walls of Constantinople , to the south of the Golden Horn . Literally translated, the church's full name was the Church of the Holy Saviour in the Country: although "The Church of the Holy Redeemer in the Fields" would be a more natural rendering of the name in English. (Greek ἡ Ἐκκλησία του Ἅγιου Σωτῆρος ἐν τῃ Χώρᾳ, hē Ekklēsia tou Hagiou Sōtēros en tē Chōra).[2] The last part of that name, Chora, referring to its location originally outside of the walls, became the shortened name of the church. The original church on this site was built in the early 5th century, and stood outside of the 4th century walls of Constantine the Great . However, when Theodosius II built his formidable land walls in 413–414, the church became incorporated within the city's defences, but retained the name Chora. The name must have carried symbolic meaning, as the mosaics in the narthex describe Christ as the Land of the Living (ἡ Χώρα των ζώντων, hē Chōra tōn zōntōn) and Mary, the Mother of Jesus , as the Container of the Uncontainable (ἡ Χώρα του Ἀχώρητου, hē Chōra tou Achōrētou).

The majority of the fabric of the current building dates from 1077–1081, when Maria Dukaina, the mother-in-law of Alexius I Comnenus , rebuilt the Chora Church as an inscribed cross or quincunx : a popular architectural style of the time. Early in the 12th century, the church suffered a partial collapse, perhaps due to an earthquake . The church was rebuilt by Isaac Comnenus, Alexius's third son. However, it was only after the third phase of building, two centuries after, that the church as it stands today was completed. The powerful Byzantine statesman Theodore Metochites endowed the church with much of its fine mosaics and frescos . Theodore's impressive decoration of the interior was carried out between 1315 and 1321. The mosaic-work is the finest example of the Palaeologian Renaissance. The artists remain unknown. In 1328, Theodore was sent into exile by the usurper Andronicus III Palaeologus . However, he was allowed to return to the city two years later, and lived out the last two years of his life as a monk in his Chora Church.

During the last siege of Constantinople in 1453, the Icon of the Theotokos Hodegetria , considered the protector of the City, was brought to Chora in order to assist the defenders against the assault of the Ottomans .[3]

Around fifty years after the fall of the city to the Ottomans , Atık Ali Paşa, the Grand Vizier of Sultan Bayezid II , ordered the Chora Church to be converted into a mosque ― Kariye Camii. Due to the prohibition against iconic images in Islam , the mosaics and frescoes were covered behind a layer of plaster. This and frequent earthquakes in the region have taken their toll on the artwork.

In 1948, Thomas Whittemore and Paul A. Underwood, from the Byzantine Institute of America and the Dumbarton Oaks Center for Byzantine Studies, sponsored a programme of restoration. From that time on, the building ceased to be a functioning mosque. In 1958, it was opened to the public as a museum ― Kariye Müzesi.

[edit ] Interior
The Virgin and child, painted dome of the parecclesion of Chora Church.

The Chora Church is not as large as some of the other Byzantine churches of Istanbul (it covers 742.5 m²), but what it lacks in size, it makes up for in the beauty of its interior. The building divides into three main areas: the entrance hall or narthex , the main body of the church or naos , and the side chapel or parecclesion. The building has six domes : two in the esonarthex, one in the parecclesion and three in the naos.

・・・・・

File:HSX Mary genealogy.jpg

Mosaic of the Virgin Mother with child, north dome of inner narthex


File:Chorachurchfresco.JPG.jpg

Close-up of the Virgin Mother with child, north dome of inner narthex



http://en.wikipedia.org/wiki
/Chora_Church


大地、大地母神(地母神)について:-iの傾斜という作業仮説
これまで、PS理論から「神話」(神伝)や宗教の解明を試みてきたが、まだ、完全に腑に落ちていない問題は、大地(ガイアもここに含められる)、大地母神(地母神)の真理である。
 これまで、差異共振性としての大元母神を考え、大地母神は、父権的見地から見た、大元母神であると考えた。しかしながら、ギリシア神話を見ると、一説では、カオス(間隙)の後から、ガイアが生まれたと考えられている。そして、先に、ガイアは、大元母神であると考えたのである。しかし、どうみても、ガイアは大地である。あるいは、後のデーメーテールに通じる大女神である。このズレを埋める必要がある。今はざっと言うだけであるが、思うに、大地/大地母神とは、-iが傾斜したときに生成されるものではないのかということである。
 これまで、ヤハウェは+iの傾斜、否、極端な傾斜である。だから、理論的には、-iの傾斜は考えられるのである。
 +iを以前、原光とし、-iを原闇とした。そして、前者の傾斜ならば、同一性傾斜となり、後者の傾斜は差異傾斜になるのではないだろうか。
 いわば、差異の徹底した肯定であり、同一性は微塵もない。これが、大地/大地母神(ガイア)ではないだろうか。
 次にまったく思いつきであるが、-iの傾斜が重力を生むのではないだろうか。そして、+iの傾斜は反重力ということになるだろう。即ち、地と天である。
 だから、「神話」によく見られる天地創造(天地分離)とは、+iの傾斜と-iの傾斜が、交互に生じた結果に生まれたのか?(思うに、やはり、天地分離は、同一性の傾斜が根本にあるのではないのか。)
 また、別のことであるが、「神話」における世界樹(宇宙樹:天の柱)は、当然、虚軸を意味するのではないだろうか。
 (途中であり、また、最後は散漫であるが、今はここで留める。後で整理したい。)


トランス・モダン経済学貨幣理論:PS理論的価値衝突理論
テーマ:トランス・モダン経済:差異共振資本経済

以下、Kaisetsu氏が、最高度にルーシッドに首尾一貫した、トランス・モダン経済学貨幣理論を提示されている。
 一つは、「共役複素数的」通貨概念であり、一つは「(貨幣)価値衝突概念である。
 前者は、愚樵氏の独創的な個人通貨概念をPS理論的に深化させたものである。後者は、以前に提起されていた貨幣衝突概念をより一般化させたものである。
 前者は、愚樵氏の個人通貨概念に貨幣身体を与えた概念であり、それをPS数理論的に解明しているものであり、後者は、マルクス経済学や近代経済学の交換概念、等価交換概念を否定し、差異価値と差異価値の衝突=共振を説くものである。
 両者とも画期的であるが、理論的順序から言って、後者の画期性を説明すると、これは、交換価値・等価交換という同一性価値概念を完全に否定しているので、絶対的差異を肯定するPS理論に基づくものであり、また、差異共振概念における極性的対立(反対)性を衝突として、より現実的に明確にしたものと言えよう。だから、ここにおいて、トランス・モダン経済学貨幣価値論の定礎ができたと言えよう。
 そして、前者の「共役複素数的」通貨概念によって、貨幣衝突・価値衝突概念がより現実に理論化されたと言えよう。言うならば、貨幣価値衝突理論は一般貨幣価値理論であり、「共役複素数的」理論は実践的な貨幣価値理論と言えよう。一般理論が先に生まれて、特殊理論が後で生まれたのである。
 今日、モダン金融資本主義が崩壊して、「大災害」となっている中、この二つの貨幣理論は、新しい経済のための羅針盤となるだろう。(後でもう少し、述べたい。) 

#################

近代経済学の基礎である「交換概念」を不要とする「(貨幣)価値衝突」概念

魅力的な個人通貨という、『日銀券に対する「共役複素数的」』通貨
http://blog.kaisetsu.org
/?cid=28821&page=1

『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2009年5月
         
23
           

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:487
昨日:806
累計:4,609,629