INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/05/10

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2009年05月10日(Sun)▲ページの先頭へ
自民党とは社会主義政党ではないのか:国家統制経済ゾンビ政党:近代封建的国家統制主義
郷国日本の郷国土を「開発」破壊して、金儲けに憑かれた自民党/日本国家民とは何ぞ哉。私は直感として、自民党は自由・民主主義に忠実な政党ではなく、ただ看板だけの、ずる賢い・悪賢い、社会主義政党ではないかと思った。
 社会主義ならば心が冷たいので、平気で、郷国土自然を破壊できるのである。封建・父権的近代合理主義の同一性主義の心性をもっていると思う。そう、日本本来の差異共振精神を喪失した悪鬼・悪霊の心性をもった父権主義者が自民党/日本国家民ではないだろうか。これは、もっとも、自民党に限らず、共産党や民主党その他にも存するのである。
 通俗的に言えば、悪魔に魂を売った政党/国家民が存するのである。これは、封建・父権的近代主義的である。
 これはどこで生まれたのか。直感では、森鴎外の作品にあるような封建主義的二重人格に拠るのである。
 集団性と個人性を使い分けている個のない人間性である。集団性は当然、封建主義から来ているのである。だから、日本には、徹底的なルネサンスが必要である。

追記:戦後も生き延びた戦前的国家統制主義は、封建的集団主義と近代合理主義のキメラが根源である

参考:
満州国の経済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
首都 新京 大同通り

満州国の経済(まんしゅうこくのけいざい)では、1932年 〜1945年 にかけて満州 (現在の中国東北部 )に存在した満州国 の経済 について記述する。1931年 の満州事変 、1932年 の満州国の建国後、日本 により植民地主義 的な統治機構が整備されていった。満州国に対する日本の産業投資は、重工業 に対する重点的資本投下、そしてやや小額ながら農業 資本投下、という構成であった。
概要 [編集 ]

満州国への日本の投資計画は、1933年 に関東軍 と満鉄調査部 部員で構成する「満州経済調査会」が作った「満州国経済建設綱要」で基本方針が定められた。「綱要」によると「我国経済の建設に当たりては、無統制なる資本主義経済 の弊害に鑑み、之に所用の国家的統制を加え、資本の効果を活用」するとしており、当時、世界恐慌 の影響を受けず重工業の生産高を増やしていたソ連 型の計画経済 を指向した。金属 、石油 、兵器 などの戦略物資は満州国と満鉄 が主に出資して設立した特殊法人 に独占を認めたほか、その他の産業でも一業一社主義を実施し、財閥 を排除した。

また、1932年 に満州中央銀行 を設立して、満州国内でいくつもの種類があった通貨 を一元化し、満州元 を発行した。

1930年代 後半に入り、日本陸軍 は満州国で自立した経済を確立することと、軍需産業 の大規模な開発を行うことを決め、1936年 10月の湯崗子会議で、軍需産業の確立、農産資源の増産、産業開発のための施設整備、20分野の産業を重点開発目標に定め総額26億円を投資する「満州産業開発5カ年計画」を決定した。

しかし、5カ年計画1年目の1937年 に日中戦争 が始まったため、鉱工業生産を中心に投資予定は大幅に増額修正され、約50億円となった。自給自足経済の確立も困難となり、日本への原材料供給基地としての意味合いが強くなった。また、同じく1937年、鮎川義介 が率いる日本産業 が、本社を新京 に移駐して満州重工業開発 となり、満州国内の重工業、鉱業への持株会社として、鉱工業への投資を一元的に管理した。

当初、満州工業の中心は交通の要所奉天 と満州の玄関大連 周辺にあり、石油・石炭・大豆・鉄道部品・武器・航空機・リキュール・ビール・加工食品・ガソリンの精製等を行っていた。そのほか、鞍山 、沙河口 、旅順 、撫順 、阜新 、等の都市であった。また、日本海 地区への輸出の窓口として朝鮮北部の港である雄基 港、清津 港、羅津 港も使われていた。
満洲国内の綿農家

満州の対日貿易額は、1931年に輸出額が輸入額を超えた。投資額の半分から3分の2が、大豆製品に充てられ、約10%ずつが石炭と鉄に充てられた。輸入品としては、綿・様々な穀物の粉・粗鉄・工業原料等があった。主要貿易国は中国 と日本で、若干の輸出がソ連にもなされている状態だった。

満州では、外国の実業家が「満州国("Manchukuo")」をもじって「日本州国("Japanachukuo")」と呼ぶほど、日本人による支配が伸展していて、日本が全額出資する満鉄と満州重工業開発が支配する特殊法人が国内の主要産業を独占していた。鮎川義介は、投資機会をアメリカなど外国に分配することを求めたが、外国の影響を嫌う関東軍に拒絶された。明治期、エドワード・ハリマン の南満州鉄道 への経営参画を阻止した経験は、満州国建国後も、この国の国家経営に色濃く影を残すことになる。

日本の投資により、下記のような企業が設立された。
南満洲鉄道

・・・・・

満洲国の鉱物資源 [編集 ]

石炭 [編集 ]

主要な石炭 の鉱床は撫順 にあり、15km³の広さがあり、10億トンの埋蔵量があると推定されていた。 1907年 から1908年 の間は、その産出量は200万トン以下だった。1919年 から1920年 では370万トンまで増加した。後に1924年 から1929年 の間には554万トン、1934年 には石炭産出量は800万トンまで増加していた。 石炭の増産は、内部需要の増加と輸出の増加によるものだった。

1934年 から1936年 の石炭産出量の内訳は、

* 黒竜江 : 40.5万トン
* 熱河 : 45.8万トン
* 吉林 : 26.7万トン
* 遼寧 :1,065.6万トン

その他の主要な鉱床としては煙台 があり、1923年から1924年には100万トンを産出していた。 1930年 の満州国全体の石炭産出量は、1,000万トンを超えた。1941年 には、200億トンの埋蔵量のうち、2,000万トンを産出していた。

石油 [編集 ]

満州国では、ガソリン は鉱物資源からの蒸留 によって抽出されていた。撫順 では、1941年に100万トンが生産されていた。熱河 の石炭鉱床でも、ごく少量のガソリンが抽出されていた。

鉄 [編集 ]

1931年 から1932年 にかけては、鉄 の生産量は、100万トンであった。1934年 には95万トンの低質な赤鉄鉱 の鉱床が見つかり、別の場所でも23.5万トンの鉱床が見つかった。遼寧では、10億トンの良質な鉄が眠っていた。

アルミニウム [編集 ]

満州国の主要なボーキサイト の原料は、遼寧 のアルナイト であった。

その他の鉱物 [編集 ]

満州国では、少量ながら銅 とマンガン が産出した。また、川から金 が採れ、塩湖 から塩 を採取することもできた。この国には大量のアンチモン が存在した。

日本人の1人当たりの鉄使用量が平均70kgだったのに対して、中国では270トンであった。(アメリカは450kg)

鉄とスチールの精製 [編集 ]

1933年 、鞍山 での鉄の総精製量は43万トンであった。1941年 には定期的に175万トンの鉄と、100万トンのスチールを精製できるようになり、1942年 の大掛かりな設備投資によって、生産力が360万トンまで向上した。

満洲国のその他の産業 [編集 ]

1932年 から、その他の産業に対する日本の政府・民間投資も増加していった。

* 農業用肥料
* ダイナマイト 等の爆発物
* 工作機械
* 電気工学諸分野
* 重化学工業諸分野

と同時に、家や近代的なビルの建設が、都市部で進んだ。

満洲の自由貿易地域と港 [編集 ]

* 自由貿易地域: (鉄道でのロシア人との交易のため)
o チチハル
o ハルビン
o 琿春

* 自由港: (米英独の貿易商との交易のために)
o 営口
o 安東
o 大連
o 旅順

1931年 には、日本国内の天然資源の総生産額は2億8300万円だった。不足分は海外からの輸入を行っており、それが2億2200万円だったことから、約60%の自給率といえる。

関連項目 [編集 ]

* 満州関係記事の一覧
* 日本の経済
カテゴリ : 満州国 | 各国の経済


参考2:
日本の経済史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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近代日本の経済 [編集 ]

文明開化 [編集 ]

開国以降は、富国強兵 、殖産興業 政策によって軽工業を中心に工業化 ・近代化を遂げ、株式市場 での直接金融 による資金調達をおこなう近代的な市場経済 を発達させた。主な輸出品は絹糸、マッチ、電球などの軽工業製品であった。また、このころから鉄鋼など重工業も始まったが発達せず、輸入超過が続いた。財閥 と呼ばれた巨大企業は、このころからさまざまな分野に手を出し始めた。この頃、度重なる対外拡張政策などにより、日本の対外債務は膨張。明治維新以来の経済体制は崩壊の危機に瀕した。

二度の世界大戦 [編集 ]

第一次世界大戦 でヨーロッパにおいて軍需 が盛り上がったため、日本の経済は非常に潤い、軽工業から重工業へと転換した(大戦景気 )。また、アメリカと同様に債権国へ転換した。しかし、第一次世界大戦が終了してヨーロッパの軍需が冷え込むと外需に依存していた日本は戦後不況に陥った。1923年 の関東大震災 なども重なり銀行の信用構造は大きく揺らぎ、1927年 に昭和金融恐慌 が発生した。さらに1930年 、浜口内閣 が実行した経済政策 (金解禁)が世界恐慌 と重なることで頓挫し、不況は悪化した(昭和恐慌 )が、その後政権が政友会に戻り、高橋是清 蔵相の下、金解禁を再禁止し、積極的な財政政策により日本経済は一足早く恐慌を脱出した。

世界的な不況の中で躍進を遂げたソ連 の5カ年計画に感化され、日本でも自由主義経済から国家統制経済に移行すべきだと主張する革新官僚 が現れ、国家総動員体制を望む軍部と連携して日中戦争 が始まると次々と経済を官僚の統制下におくようになる。第二次世界大戦 が始まると日本経済は完全に国家統制経済となり、自由主義経済は潰えた。

莫大な戦費は大増税だけではまかないきれず、日銀引受による国債の乱発や軍票の乱発が行われ、これが戦後のハイパーインフレーション を引き起こす要因となった。

終身雇用 や労使一体、月給制など日本的雇用慣習といわれるものはこの時期に作られた。また、官民の協力体制や厚生年金などによる資源配分の傾斜、産業構造の重化学工業化と、財閥 による垂直生産体制の整備は、戦後の経済発展の下地を作った。


参考3:
計画経済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

計画経済(けいかく けいざい、英語 :Planned economy)とは、経済 の資源配分を市場 の価格調整メカニズムに任せるのではなく、国家 によって物財バランスに基づいて計画的に配分する体制。対立概念は市場経済 。

・・・・・
歴史 [編集 ]

計画の機能を初めて本格的に取り上げたのは、『反デューリング論 』や『空想から科学へ 』を著したフリードリヒ・エンゲルス である。

計画経済の原型はスターリン による第一次五カ年計画 期ソ連だった。複雑極まりない経済動態を当局者(ソ連ではゴスプラン と呼ばれた)が完全に把握し、需給 を調整したりするのは極めて難しく、コンピュータ を用いてこれを解決しようという試みもあった(社会主義経済計算論争 )。また計画経済システムの内在的な欠陥を市場メカニズムの導入により解決しようという試みがコスイギン改革やハンガリーにおいて進められたが、結果的に失敗した。

しかし、当時は世界恐慌 の影響を全く受けず非常に高い経済成長を達成したため、世界各国が大きな影響を受けた。特に枢軸国 への影響は顕著だった。例えば、

* 満州国 は、産業開発五カ年計画などを採用した(満州国の経済 を参照)。
* 大日本帝国 も、企画院事件 などで不発に終わったものもあったが、官僚はソ連の計画経済に感化されていた(戦前日本の経済 を参照)。


「矛盾」の問題:極性的対立(反対)と不整合的対立:絶対矛盾的自己同一と絶対差異対立的自己非同一
先に、オバマ政権は二つの「絶対矛盾」があると言った。一つは、差異共振路線における「絶対矛盾」であり、一つは、差異共振主義と同一性主義の「絶対矛盾」である。
 前者は、民主主義と自由主義との「絶対矛盾」であり、これは極性的対立(反対)なのであり、後者は正に、相容れない対立である。
 思うに、「矛盾」は同一性=物質世界における相互否定の対立を意味すると限定した方がいいのではないか。
 差異共振・即非とは、精神・超越性における相互否定的対立である。
 同一性と差異は峻別されるべきであり、それぞれにおいて対立は異なる論理となるのである。同一性の論理(アリストテレス論理)と即非の論理である。前者の対立を「矛盾」とすることになるのである。
 では、西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」の「絶対矛盾」は何か。西田幾多郎は個物と個物の相互限定として、「絶対矛盾」を考えている。それは、一見、同一性=物質の世界のことに見える。
 思うに、西田は同一性と差異を混同している可能性がある。しかしながら、例えば、「私」と「山」は差異共振するのである。その場合、両者は同一性だろうか。否、その場合、両者は共に差異である。
 西田の思想を差異主義とするならば、個物と個物の相互限定は即非的となる。そうならば、同一性と差異との混同はない。
 では、「絶対矛盾」の「矛盾」とは、差異共振・即非論理となる。そうすると、上述の定義からすると、それは間違いである。だから、「絶対矛盾」ではなく、差異共振・即非である。あるいは、「絶対差異対立」である。そう、「矛盾」は差異対立とするといいのである。
 以上の視点から西田哲学を見なすと、明快になるのではないだろうか。絶対差異対立的自己同一理論である。つまり、即非の論理やPS理論に通じると言えよう。
 簡単に、絶対対立的自己同一ないしは絶対差異的自己同一性とすればいいだろう。
 しかし、自己同一という発想も問題である。それは、自己同一ではない。自己非同一である。だから、絶対差異対立的自己非同一である。西田哲学の脱構築である。

追記:反対の一致という観念も問題があるだろう。PS理論から言えば、一致しないのである。反対は共振・共鳴するのであり、即非の論理をもつのである。
 また、ヘーゲル弁証法も当然問題である。対立の統一はありえないからである。西洋哲学は、やはり、デリダが説くようにロゴス中心主義、即ち、同一性主義なのである。

参考:
絶対矛盾的自己同一
西田幾多郎
     一

 現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。
 かかる世界は作られたものから作るものへと動き行く世界でなければならない。それは従来の物理学においてのように、不変的原子の相互作用によって成立する、即ち多の一として考えられる世界ではない。爾(しか)考えるならば、世界は同じ世界の繰返しに過ぎない。またそれを合目的的世界として全体的一の発展と考えることもできない。もし然らば、個物と個物とが相働くということはない。それは多の一としても、一の多としても考えられない世界でなければならない。何処までも与えられたものは作られたものとして、即ち弁証法的に与えられたものとして、自己否定的に作られたものから作るものへと動いて行く世界でなければならない。基体としてその底に全体的一というものを考えることもできない、また個物的多というものを考えることもできない。現象即実在として真に自己自身によって動き行く創造的世界は、右の如き世界でなければならない。現実にあるものは何処までも決定せられたものとして有でありながら、それはまた何処までも作られたものとして、変じ行くものであり、亡び行くものである、有即無ということができる。故にこれを絶対無の世界といい、また無限なる動の世界として限定するものなき限定の世界ともいったのである。
 右の如き矛盾的自己同一の世界は、いつも現在が現在自身を限定すると考えられる世界でなければならない。それは因果論的に過去から決定せられる世界ではない、即ち多の一ではない、また目的論的に未来から決定せられる世界でもない、即ち一の多でもない。元来、時は単に過去から考えられるものでもなければ、また未来から考えられるものでもない。現在を単に瞬間的として連続的直線の一点と考えるならば、現在というものはなく、従ってまた時というものはない。過去は現在において過ぎ去ったものでありながら未(いま)だ過ぎ去らないものであり、未来は未だ来らざるものであるが現在において既に現れているものであり、現在の矛盾的自己同一として過去と未来とが対立し、時というものが成立するのである。而(しか)してそれが矛盾的自己同一なるが故に、時は過去から未来へ、作られたものから作るものへと、無限に動いて行くのである。
 瞬間は直線的時の一点と考えねばならない。しかし、プラトンが既に瞬間は時の外にあると考えた如く、時は非連続の連続として成立するのである。時は多と一との矛盾的自己同一として成立するということができる。具体的現在というのは、無数なる瞬間の同時存在ということであり、多の一ということでなければならない。それは時の空間でなければならない。そこには時の瞬間が否定せられると考えられる。しかし多を否定する一は、それ自身が矛盾でなければならない。瞬間が否定せられるということは、時というものがなくなることであり、現在というものがなくなることである。然らばといって、時の瞬間が個々非連続的に成立するものかといえば、それでは時というものの成立しようはなく、瞬間というものもなくなるのである。時は現在において瞬間の同時存在ということから成立せなければならない。これを多の一、一の多として、現在の矛盾的自己同一から時が成立するというのである。現在が現在自身を限定することから、時が成立するともいう所以(ゆえん)である。時の瞬間において永遠に触れるというのは、瞬間が瞬間として真の瞬間となればなるほど、それは絶対矛盾的自己同一の個物的多として絶対の矛盾的自己同一たる永遠の現在の瞬間となるというにほかならない。時が永遠の今の自己限定として成立するというのも、かかる考を逆にいったものに過ぎない。
http://www.aozora.gr.jp
/cards/000182/files/1755.html
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)


参考2:

反対の一致coincidentia oppositorum
ニコラウス・クザーヌス
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ニコラウス・クザーヌス

ニコラウス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus、1401年 - 1464年 8月11日 )は、ドイツ の哲学者 ・数学者 ・枢機卿 。

ドイツのモーゼル河畔のクースに生まれる。 ハイデルベルク大学で学び、パドヴァ大学で教会法の博士号を取得。さらにケルン大学で偽ディオニシウス・アレオパギタ らの思想に触れる。その後1430年 司祭 に叙階され、バーゼル公会議 (フィレンツェ公会議 )では指導的な立場で活躍、高名を得る。東西教会の和解のためにも奔走し、教皇使節としてコンスタンティノープル を訪問。1448年 に枢機卿、1450年 ブリクセン大司教。1464年 トーディにて死去。彼の生涯は教会政治家としての実践と、思想家としての理論が融合した類い希なものであった。
思想 [編集 ]

クザーヌスは「知ある無知」や「反対の一致」などという独創的な思想を唱えた。クザーヌスによれば神の本質は、あらゆる対立の統一=反対者の一致である。無限の中では極大と極小(神と被造物)が一致する。すべての被造物は神の映しであり、それぞれの独自な個性を持ちながらも、相互に調和している。中でも人間は自覚的に神を映し出す優れた存在であり、認識の最終段階においては神との合一が可能であるという。

彼の思索は中世の混沌のなかから近代的思考を準備したと高く評価されている。 また、カール・ヤスパース や西田幾多郎 など後生にも多大な影響を与えたと言われている。日本では、生誕600年を期に注目が高まり、研究が進んでいる。

主要著作 [編集 ]

* De concordantia catholica
o 普遍的和合について(カトリック的和合について)
* De docta ignorantia
o 学識ある無知について
* De filiatione dei
o 神の子であることについて
* De dato patris luminum
o 光の父の贈りもの
* De visione dei
o 神を見ることについて
* Trialogus de possest
o 可能現実存在
* Directio speculantis, seu De non aliud
o 観察者の指針,すなわち非他なるものについて
* Complementum theologicum
o 神学綱要
* De venatione sapientiae
o 智慧の狩猟について

日本語訳一覧 [編集 ]

* 『知ある無知』(De docta ignorantia,1440年 )岩崎・大出訳、創文社
* 『隠れたる神についての対話』(De dep abscondito,1445年 )
* 『神の探求について』(De quaerendo Deum,1445年 )
* 『神の子であることについて』(De filiatione Dei,1445年 )大出・坂本訳、創文社
* 『可能現実存在』(De possest,1460年)大出・八巻訳、国文社  1987年
* 『非他なるもの』(De non aliud,1462年)松山康国訳:『ドイツ神秘主義叢書7』創文社 1992年
* 『創造についての対話』(De Genesi,1446年)
* 『知恵に関する無学者考』(Idiota de sapientia,1450年)
* 『信仰の平和』(De pace fidei,1453年)
* 『テオリアの最高段階について』(De apice theoriae,1463年):上智大学 中世思想研究所監修/『中世思想原典集成17 中世末期の神秘思想』平凡社  1992年掲載
* 『光の父の贈りもの』(De dato patris luminum,1445年)/大出・高岡訳、国文社 1993年
* 『神の子であることについて』『神を見ることについて』(De visione Dei,1453年)
* 『観想の極地について』坂本尭訳/『知恵の狩猟について』(De venatione sapientiae,1463年)酒井・岩田訳:『キリスト教神秘主義著作集10 クザーヌス』教文館  2000年掲載
* 『神の子であることについて』『神を見ることについて』(De visione Dei,1453年)/『観想の極地について』坂本尭訳/『知恵の狩猟について』(De venatione sapientiae,1463年)坂本・岩田訳:『キリスト教神秘主義著作集10 クザーヌス』教文館 2000年掲載
* 『神を観ることについて』八巻和彦訳、岩波文庫  2001年(ほかに、説教と書簡を一つずつ掲載)
* 『神学綱要』(Compendium,1463年 )大出・野沢訳、国文社 2002年

関連項目 [編集 ]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、ニコラウス・クザーヌス に関連するマルチメディアがあります。
カテゴリ : ドイツの哲学者 | ドイツの数学者 | キリスト教神学者 | キリスト教神秘思想家 | 枢機卿 | 15世紀の数学者 | 数学に関する記事 | 1401年生 | 1464年没


唯物論的医学とPS理論的医学:神経伝達物質は差異共振エネルギーの物質体ではないのか:新精神医療へ
今は予見を簡単に述べるだけであるが、私は今の唯物論的精神医療に大いに疑問をもっている。
 以下のニュースでは、「SSRIやSNRI」のブロック効果を述べているが、それは、実に消極的な療法ではないだろうか。もどってくる神経伝達物質をブロックするということであるからである。
 私の直感では、神経伝達物質とは、差異共振エネルギーを体現している「物質」である。だから、本来は精神・イデアを具現しているのである。ということは、薬物療法では、精神・イデアの末端の治療に関わっているに過ぎないのであり、本体の精神・イデアの治療へは関わっていないのである。
 勿論、薬物療法全体を否定するつもりはない。ただし、それは、末端療法に過ぎないから、本当の治療は行えないと思う。(メルマガの小野寺光一氏のように、坑うつ薬の危険性を説く人もいる。例えば、自殺衝動や攻撃衝動が発生すると述べている。)
 思うに、神経伝達物質(差異共振エネルギー)が戻ってくるというのは、心において、差異共振認識が形成されてないということに関係しているのではないだろうか。
 つまり、差異=他者を受容する意識が形成されていないのではないだろうか。差異=他者の受容の心的回路が形成されれば、神経伝達物質を受容できるのではないだろうか。
 そうすると、神経伝達物質とは、-iに関係すると言えよう。心を+iとすると、差異=他者である-iを受容する心的回路が構築されていないと、-iに関わる神経伝達物質が受容されないということではないのか。
 ここでは、「霊主体従」が重要である。差異=他者=-iを否定するとき、差異共振エネルギーが形成されないことになる。そして、差異共振エネルギーの「物質」が神経伝達物質とすると、当然、活性化されないので、移動せずに、もどってくるということではないのか。
 また、それだけでなく、ニュースの記事にあるように、患者は神経伝達物質が少ないとあるが、正に、差異共振エネルギーが十分に形成されないために、それの「物質」的体現である神経伝達物質が少なくなるということではないのか。
 だから、唯物論的精神医療、薬物療法は末端医療に過ぎず、病気の本体である心・精神を本来的に治療するものではないと思われるのである。後で緻密に検討したい。

追記:また閃いたが、差異共振(差異共鳴)が形成できない人は、怒気に満たされるのではないだろうか。言い換えると、攻撃性が形成されるのでないだろうか。
 端的に言えば、差異共鳴エネルギーとは和合・調和・「共和」のエネルギーであり、平和・平安・優しさ・歓喜・幸福のエネルギーである。もっとも、創造的エネルギーではある。だから、それが形成されないと、心に不要な怒り・攻撃性・ルサンチマンが発生するということではないのか。
 つまり、差異=他者=-iを否定すると、当然、積極・能動的な差異共振エネルギーが形成されなくなる。それは、(+i)*〔-(-i)〕⇒-1と考えられる。つまり、+1を神経伝達物質」とすると、-1が怒り・攻撃性・ルサンチマンということではないだろうか。あるいは、鬱状態である。-1がいわば、悪の本質ではないだろうか。
 思うに、⇒+1は超神経伝達物質であり、霊性ではないだろうか。今日のトランス・モダンの時代精神はそこへいかないといけない。

*****************

多様化するうつ(2) 薬物療法が中心 種類と量、調整しながら

2009年5月8日
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 うつ病治療の中心は現在、薬物療法だ。抗うつ薬が主に使われ、抗不安薬などさまざまな薬が処方されている。治療効果が上がっている新世代の薬も登場し、治療に役立っている。 (鈴木久美子)

 「治療ガイドラインと医師の経験に基づいて、患者さん一人一人の特徴に十分配慮した微調整をしながら処方するのがうつ病の薬だ」

 東京女子医科大神経精神科の坂元薫教授は投薬の考え方をこう説明する。

 使用する薬の中心は、抗うつ薬だ。「うつ病に伴う気分の落ち込みや不安、こだわりを軽くして、回復を助ける」と杏林大の田島治教授(精神医学)は解説する。

 主に使われているのは、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)で、日本では一九九九年から使用が始まった。四商品がある。翌年から一商品だけだが、新薬SNRI(選択的セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)も出た。

 五〇年代から使われていた抗うつ薬は、口が渇いたり、便秘、だるさのほか多量服薬すると心停止により死に至るなど重い副作用があった。SSRIやSNRIは「第三世代」と呼ばれ、効果はほぼ同じで、こうした副作用が少ないといわれる。「うつ病は心の風邪。気軽に病院に行こう」と呼びかけるキャンペーンのきっかけにもなった。

 脳内には、セロトニンやノルアドレナリンといった神経伝達物質があり、神経細胞から放出されて近くの別の神経細胞の受容体に結合して、細胞間に情報を伝える。うつ病患者は、同物質が少ない上に、結合しきれなかった同物質が、放出した神経細胞に戻って取り込まれてしまう。同薬はそれをブロックし、情報伝達を活発にする仕組みだ=イラスト。

 処方では、徐々に服用量を増やしていくのが特徴だ。一−二週間ごとに増やし、患者に適切な量にする。

 「薬量を増やすことに抵抗感を持つ患者さんも多い。医師が最初に処方の基本方針をしっかり説明することが大切だ」と坂元教授は言う。少量のまま飲み続けても、効かなければ意味がない。

 効果が表れるまでに二週間ほどかかる。服用中にいきなりやめると、吐き気やめまい、ふらつき、といった「中断症候群」の症状が出る。

 SSRIには前世代薬のような副作用は少ないが、まれに服用初期や増量時に、不安や焦燥感、怒りっぽさなど「アクチベーションシンドローム(賦活症候群)」と呼ばれる症状が出る。

 効果が思わしくない場合は、ほかの抗うつ薬に変えたり、抗不安薬や気分安定薬などと組み合わせる。日本では、抗不安薬の消費量が多く、米国の約七倍という。米国はSSRIだけを使うが、日本は抗不安薬を一緒に処方する場合が多い。

 併用が不安の解消に有効だという検証結果に基づいているが、六週間を過ぎると効果に差がなくなることも分かっている。短時間で効果が切れる抗不安薬がよく使われ、患者が不安から薬を欲しがり、医師が処方を続けて依存症になる場合もあるという。

 だが「作用時間の長いタイプの抗不安薬を医師が適切に処方すれば、依存は起こりにくい」と坂元教授は話す。医師に相談し適切な知識を持って自分に合った処方で服用すれば、心配ない。

 現在では、抗うつ薬だけでも約三−四割に効果がある。

 坂元教授は「最初の薬で十分な効果が見られなくても、次の薬に変更することで良くなる人も多い。あきらめないで治療を続けてほしい」と話す。

http://www.chunichi.co.jp/article
/living/health/CK20090508020
00067.html?ref=rank
中日新聞 CHUNICHI WEB

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神経伝達物質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

神経伝達物質(しんけいでんたつぶっしつ、英 Neurotransmitter) とはシナプス でシグナル伝達 に介在する物質 で、神経細胞 などに多く存在する。

1960年代からの判断基準によれば、以下のような条件に該当する物質が神経伝達物質と呼ばれている。

* シナプス前細胞で合成される。
* シナプス後細胞に受容する機構(基本的に受容体 )がある。
* シナプス前細胞から開口放出 後、シナプス後細胞に影響を与えるに十分な量がある。
* 非常に局所的に作用し、あたかも物質放出がシナプス後細胞内でおこったかのように作用する(内在性放出の模倣)。
* 放出後に生化学的に不活化するような機構が存在する。

ただし、亜鉛 イオン のように、生体内で合成とは言いがたい方法で単離されるもの、一酸化窒素 のように細胞膜を透過しシナプス間隙より広い範囲に拡散するものについても神経伝達物質とみなす見方もある。

また、ホルモン も細胞間シグナル伝達に介在する物質であり、特定の分子が開口放出され受容体に結合して作用する点なども同じであるが、神経伝達物質による神経性調節は特定の細胞間で局所的に短時間で作用が及ぶもの、ホルモンによる液性調節は循環器系を通じて拡散し大局的に作用するものとして分類されている。

オピオイド などは脳内麻薬 と呼ばれたことがあり、エンドルフィン という語は「体内」「モルヒネ」の混成語 である。現在これらの物質はヒトの体内で生産され恒常性 の維持などに関与していることが分かり、誤解のないよう神経伝達物質と呼ばれている。むしろ現代風の命名法 に従えば、麻薬 は神経伝達攪乱物質などと呼ばれただろう。

神経伝達物質やホルモンの標的となる受容体に対し働きかけ、同様の作用を示す物質をアゴニスト と呼ぶ。受容体と結合するが変化を引き起こさず、結果として神経伝達物質やホルモンの働きを阻害する物質をアンタゴニスト と呼ぶ。
機序 [編集 ]

放出前 [編集 ]

神経伝達物質はシナプス 前細胞の細胞体 で合成され、細胞輸送によって運ばれてくるないしは細胞 外から吸収され、前シナプス終末にあるシナプス小胞 に貯蔵される。前シナプス終末に活動電位 が到達すると神経伝達物質はシナプス間隙 に放出される。

放出後 [編集 ]

神経伝達物質はシナプス間隙 に放出されると、拡散 によって広がり、後シナプス細胞の細胞膜 上にある受容体と結びついて活性化される。受容体がイオンチャネル 型の場合そのイオンチャネル が開き、受容体が代謝型であればその後いくつかのステップを経てイオンチャネル を開かせ、後シナプス細胞に脱分極 ないし過分極 を生じさせる。放出後は速やかに酵素 によって不活性化されるか、または前シナプス終末に再吸収 され、一部は再びシナプス小胞に貯蔵され再利用される(元のシナプス小胞に戻るのではなく別のシナプス小胞に充填される)。

分類 [編集 ]

神経伝達物質は大きく分類すると以下の3つになる。

1. アミノ酸 (グルタミン酸 、γ-アミノ酪酸 、アスパラギン酸 、グリシン など)
2. ペプチド 類(バソプレシン 、ソマトスタチン 、ニューロテンシン など)
3. モノアミン 類(ノルアドレナリン (ノルエピネフリン)、ドパミン 、セロトニン )とアセチルコリン

その他一酸化窒素 、一酸化炭素 なども神経伝達物質様の作用を示す。

*****************

参照:
[ 企業戦略 ]
社員を輝かせる会計-5
価値観の共鳴が強い会社を生む
2009年05月07日(Thu) 天野 敦之

昨今では、業績の悪化や仕事量の増加などに伴い、鬱病の増大などメンタルヘルスが深刻な問題になっている。

 メンタルヘルスに対処するための直接的なコストだけでなく、企業全体の生産性が落ちることによる間接的な損失まで含めると、その影響は甚大であろう。
何のために働くか分からないことが鬱を引き起こす

 鬱病の原因には様々なものがあるが、大きな原因の1つに、自分の仕事の意味が見出せないという点がある。一般的に人は、意味を見い出すことができれば多少肉体的に疲労していても鬱になることは少ない。

 むしろ自分が何のために働いているのか分からないという状況が鬱を引き起こす。

 価値に着目することは、メンタルヘルスに関する有形無形のコストを著しく減少させるという意味でも大きな意味があると言える。

 ここまで説明してくると、読者の方の中には、価値とは要するに企業理念のことか、企業理念であれば当社にもしっかりとしたものがある、と思われる方もいるかもしれない。

 確かに、企業理念は企業がどのような価値を創造するのかを示すものであり、概念的に近い。本当の意味でしっかりとした企業理念を持っている企業は、間違いなく社員が輝き、価値を創造し、利益を生み出し続けている。

 しかし多くの会社の企業理念は、どこかで聞いたような美辞麗句を並べただけに過ぎないものになっている。社員に聞いても企業理念を理解していないか、暗唱させられて覚えてはいるが日々の行動に結びついていないケースも少なくない。

 なぜ企業理念は薄っぺらくなってしまうのか。またなぜ企業理念は利益に結びつかないのか。

 それは、利益の源泉である価値を創造する主体である社員の価値観と合致していないからだ。社員が、企業理念を自分の問題としてではなく、他人事として捉えている。それでは企業理念が機能しないのは当然である。

 社員が企業理念を他人事ととらえることを、経営者は非難してはならない。社員が企業理念に本気にならないのは、経営者が企業理念に本気になっていないからだ。

 まず当然ながら、経営者は自分の言葉で語らなければならない。借り物の言葉では決して社員の心には届かない。自社はどんな価値を創造するのか。どのようにお客様を幸せにするのか。なぜその価値を創造することが自社にとって大切なのか。それを自分の人生観と重ね合わせて語ることが求められている。

 そのためには、経営者の人生観、世界観、事業観から、徹底的に内省し思考を深めていくことが求められる。決して誰かに教えてもらえるものではない。

 また、どれだけ言葉で語っても、それだけでは本気とは言えない。経営者は行動で示さなければならない。自ら見本とならなければ、リーダーシップとは言えない。言葉と行動が一致していて、はじめて人は本気で動く。

 そして重要なことは、社員が企業理念に共鳴していることだ。企業が組織として生み出そうとしている価値と、社員一人ひとりが生み出そうとしている価値。その両者をいかに近づけるかが、今後の企業経営においては極めて重要な意味を持つ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/987



   




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