INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/03/25

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2009年03月25日(Wed)▲ページの先頭へ
『「知識」と「自我」の関連性:同一性知識と差異知性:近代的「知識」の解体とトランス・モダン知性形成へ向けて:同一性ファシズムをぶっ壊せ!:トランス封建主義的トランス・モダン・ヤポネシア・ルネサンス』
『「知識」と「自我」の関連性:同一性知識と差異知性:近代的「知識」の解体とトランス・モダン知性形成へ向けて:
同一性ファシズムをぶっ壊せ!!!・・・:トランス封建主義的トランス・モダン・ヤポネシア・ルネサンスの払暁へ』


【引用開始】
「 そのためには、まずすべての人が年齢や性別あるいは社会的な肩書きに関係なく、同じ人間としてお互いを尊敬し合いながら、フラットにつきあえる、ビジネスができる、そんな社会に変えていく必要があるはずです。


 女性にかぎらず、子どもたちや青年たちも夢が持てるようにする。そのためには、自我を捨て、お互いに助け合う思いを大切にしながら、生きていくようにしましょう。


 ギスギスと自分さえ好ければ、それでいいんだなどという生き方をみんながすれば、今の日本のように住みにくい、暮らしにくい社会になっていくのは当たり前だと思います。


 まず一人ひとりがそばにいる人を、自分と同じぐらい大切で価値ある人だと心から思って、ともに歩いていくことができる社会を再興していくために努力したいと思うのです。」
【引用終了】
http://ameblo.jp/adco
/entry-10230400182.html
スロー人ロハス-Kritik der Politischen Ekonomie

以上のように、スロー人氏は述べられているが、共感できるものである。私が問題としたいのは、今日、日本人、とりわけ、知識人の「自我」の問題である。これは、一言で、近代的自我と言っていいのだが、「知識」と「自我」との関係を検討したい。(国民一般のレベルでは、封建的集合的自我となっている。)
 どうして、「知識」の形成は、硬直した、他者排撃的な「自我」を形成してしまうのか。これはまた、身体の問題である。「知識」は硬直した身体を形成すると考えられる。
 「知識」は一般には、言語を介して形成される。しかし、この言語は、同一性言語である。(今日、衰退した文学であるが、文学言語とは、本来、差異共振言語であり、文学の衰退とは、差異共振言語の衰退と言えよう。同一性言語に文学言語が蚕食・侵食されてしまったと言えよう。しかしながら、より的確に言えば、文学が超越性を失ったこと、衰退の根因であると考えられる。)
 言語とは、先に指摘した通り、本来、差異共振言語であるが、どうして、同一性言語になるのか。ここがポイントである。(因みに、私見では、日本において差異共振言語が衰退して、同一性言語が支配的になったのは、70年代後半からである。79年の大江健三郎の『同時代ゲーム』を象徴的であろう。そこでは、言語が同一性観念化しているのである。それまでの大江文学の差異共振言語性が喪失したと言えよう。)
 やはり、これまで繰り返し検討したように、+i傾斜、父権的な主体傾斜に拠ると言えよう。これが、他者=絶対的差異-iを否定・排除してしまうのである。そして、この+i傾斜が同一性自己と同一性言語と同一性知識(同一性観念)を生み出す元である。思うに、社会的に+i傾斜が支配的なので、個人は、受動的に適応するために、内的他者=絶対的差異を否定して、+i傾斜を強化すると考えられるのである。つまり、父権社会的+i傾斜と個人的+i傾斜が結合して、同一性原理が主導的になると言えよう。
 この父権社会的+i傾斜とは、当然、同一性資本主義の+i傾斜と重なるものである。結局、同一性資本/父権社会的同一性傾斜が内的な父権傾斜を結びついて、同一性自己・同一性言語・同一性知識を形成させていると言えよう。
 問題は、今日の教養には、内的他者=絶対的差異の知性教育がほぼ完全に欠落していることである。(これは先に述べたように、特異性/超越性「教育」である。)言い換えると、《個》の教育の欠落である。これは、自己自身の教育である。内的教育である。省察・内省・瞑想の教育であり、本来、哲学や仏教が育む教育である。また、文学もそのようなものであった。
 いったい、この、いわば、同一性ファシズム(同一性全体主義)は何を意味するのか。日本人を同一性ロボットにすることを意味しよう。そして、同一性原理に外れる特異性人間(他者)を排除する暴力体制を意味しよう。そう、現代日本社会は、オーウェルの『1984年』的な超管理社会、「ビッグブラザー」の支配する同一性ファシズム社会なのである。
 では、この「ビッグブラザー」とは何か。これは、スクリーンに映されるだろうか。否、これは、目に見えない「ビッグブラザー」である。北朝鮮ならば、はっきりと目に見えるが、現代日本では、不可視の「ビッグブラザー」である。そう、不可視の恐怖の「ビッグブラザー」=独裁者がいるのである。(優れたブログはこの同一性ファシズムに挑戦していると言えよう。)
 いわば、現代日本人は、本来の日本に脅えて、恐怖的に排除するのである。そう、これは、やはり、戦後日本属国化政策と官僚的統制主義の支配に拠ると見るべきであろう。
 でも、端的に、直截に言って、何を恐れているのだろうか。現代日本人の怯えとは何か。真正な自己認識を怯えているとは言えよう。内的他者=特異性=絶対的差異を怯えていると言えよう。一種の「闇」である。
 でも、この同一性ファシズムはとにかくあまりに異常というか、奇怪である。いったい、何を恐れているか。怯えは何か。端的に、差異共振の超越光に怯えているのである。「神」に怯えているのである。それを同一性自己像で覆っているのである。同一性自己(自我)にとり、差異共振超越光=「神仏」は見たくないのである。「恐れとおののき」である。その力学は何か。
 それは、封建主義である。封建的共同体主義が、日本人の精神に残っているのである。そのために、自己の特異性を排除して、父権的同一性共同体へと同化するのである。わかった。エウレカ! 封建的共同体的没個主義が、この奇怪な同一性ファシズムを生んでいるのである。
 だから、日本人には、ルネサンスが必要なのである。トランス封建主義的トランス・モダン・ヤポネシア・ルネサンスである。思うに、これは、日本だけでなく、東アジア全体でも必要である。トランス封建主義的トランス・モダン・東アジア・ルネサンスである。

追記:また、今日蔓延しているうつ病等の心病の原因もこの《個》の排除にあると言えよう。

追記2:封建・近代的同一性マインドコントロールとも言えよう。


内面「教育」としての特異性/超越性「教育」:付録:時代批評:PS理論的トランス・モダンIT「華厳」共同体世界の誕生
簡単に思うと、内面とは、実に、特異的な差異であり、絶対的差異である。それは、教えることはできないだろう。ただ、示唆し、気づかせようと指し示すことはできるだろう。言うならば、内的「教育」である。戦後の外的教育とは、異質なものであり、これが欠けていることが、人心の荒廃をもたらしている要因の一つと考えられる。この内面を「個」ということもできるが、それは「個人」ないしは「自我」と混同される可能性が高いので、不連続的差異、絶対的差異、特異性と呼ぶ方が的確である。内的「教育」とは、これまでの私の言葉で言えば、精神身体の涵養である。言い換えると、精神教育であるが、特異性としての精神の教育である。私は宗教・神話の教育が必要だと考えているが、特異性としての精神教育であることが大前提であり、そうでなければ、明らかに洗脳となる。
 また、特異性精神教育のキーポイントの一つは、超越性を説くことである。もっとも、超越性が近代合理主義ないしは唯物科学・技術によって否定されているので、特異性精神教育を目指しても、混乱する結果をもたらすだろう。それは、ポスト・モダンに明らかである。デリダやドゥルーズ、その他は、超越性を否定しているので、差異というエッセンシャルなテーマをもつ認識行為が、空回りして、空疎な言語遊戯に堕してしまったのである。
 思うに、PS理論が超越性を肯定できたのは、いくつか理由が考えられるが、いちばん大きな要因は、一神教的な超越性の背景がないために、自然に純粋な(非一神教的な)超越性が生起する状況があったことだろう。しかしながら、戦後近代合理主義の唯物論的拘束がたいへん強固なものであると考えられる。だから、近代合理主義の縛りを解体する思想状況が生まれていたことも要因の一つである。
 私に関して言えば、1980年代後半の東洋身体論ブームがそのような思想状況をもたらしたと言えよう。もっとも、オウム真理教という怪異グロテスクな犯罪を副作用・副産物的にもたらしたとは言える。だから、それは両刃の剣ではあったと言えよう。そう、1980年代(バブルの時代でもある)は日本における軽薄なポスト・モダンブームもあった。とまれ、脱近代合理主義・脱近代的自我の動きがはっきりと起こったと言えよう。今から言えば、それは、特異性、絶対的差異の発露である。その後、ソ連崩壊、グローバリズムの出現となり、新自由主義、ネオコンが中心化し、2001年の911事件をもたらした。それは、今から見ると、近代合理主義の反動であると言えよう。能動的な特異性の勃興に対する反動であり、ハイパーな同一性主義が発生し、サブプライム等が起こり、今や、大崩壊したのであるが。
 超越性の視点から言うと、1990年代から2000年代はたいへんな危機的な時期であったと言えよう。何故なら、東洋身体論やポスト・モダンのブームが終わり、同一性的現実主義が主導化・中心化した時期であったからである。 しかしながら、PC、インターネット、ブログ等の普及によって、孤立していた特異性(絶対的差異)が遭遇すること(一種の偶然)により、生まれかけていた新しい思想が、明確に誕生することになった(突然変異)と言えよう。超越的な特異性の思想と言ってもいいだろう。それが、個々の潜在意識にあり、それが、明確に発現したのである。このITないしはITC大革新は、メディアをまったく変革させてしまったと言えよう。そう、メディア進化と言えよう。
 そのように見ると、いったい何が起こり、何が起こりつつあるのか。一言で言えば、極言すれば、PS理論的華厳世界の生起であろう。トランス・モダン華厳世界であろう。新しい東洋世界が生まれつつあるのである。とまれ、もう少し、超越性の視点から、丁寧に見てみよう。
 特異性において、超越性が発動する。そして、これとITとの関連は何だろうか。思うに、ITグレート・イノベーションとは、メディアの個化、即ち、特異性化をもたらしたのである。つまり、IT化とは、正に特異性/超越性に適合するメディア革新であったと言えよう。特異性/超越性が正に、水を得たというところである。
 そして、このメディア大革新により、多様な特異性/超越性が遭遇し、共振するようになるのである。そして、このIT的多元的特異性/超越性ネットワークが、PS理論的華厳世界ということである。


   




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