INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/03/17

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2009年03月17日(Tue)▲ページの先頭へ
+iと-1について:原同一性自己と原差異:(+i)*(-i)⇒+1⇒-1⇒(+i)*(-i)
これまで、同一性自己意識と呼んだものがあいまいなので、明確にしたい。端的に、+iなのか、-1なのか。
 +iは同一性自己志向性と言うべきではないのか。そして、-1とは、同一性自己主義と言うべきではないのか。
 ここでも直感で考えていこう(自己認識実験である)。端的に、同一性自己意識とは何か。それは、「わたし」の意識である。自我の意識である。それは自己の一面である。それは、差異共振性の一面ないしは表層・表面である。
 では、この同一性自己意識を数化するとどうなるだろうか、これが問題である。初めには、-1とし、後で、-iとした。ここは、実に複雑で微妙な点である。
 私が今想起しているのは、新たな差異共振化された後の同一性自己意識であり、最初に形成される同一性自己意識ではないからである。
 否、さらに細かく分ける必要がある。即ち、最初期の差異共振主義内部における同一性自己意識である。しかし、これは、正しくは、即非意識であり、まだ、同一性自己は形成されていない。原同一性自己意識(1)はある。
 次に、+i傾斜で同一性自己意識が形成される。これは、言語同一性的自己意識(2)であり、自我である。
 そして、新たな差異共振性を形成した後での、差異共振的同一性自己意識(3)がある。
 大きく分けて、この三種類の同一性自己意識がある。(1)は⇒+1であり、(2)は-1であり、(3)は+1⇒(+i)*(-i)と考えられる。
 (2)の-1というのがポイントである。+1は同一性=物質であるから、それは、同一性自己意識ではない。
 少し煩雑になっているが、本題に戻ると、(3)における新差異共振的同一性自己意識とは、(+i)^2と(+i)*(-i)が共立している様態ではないだろうか。そして、その同一性自己意識を取り出せば、(+i)^2であり、-1ではないだろう。何故なら、上記から-1とは(2)であるからである。つまり、(3)の同一性自己意識とは、自己が言語同一性自己意識であることを意識している自己なのである。換言すると、言語同一性自己意識-1を相対化しているということである。
 丁寧に考えよう。言語同一性自己意識は-1である。それから、+iを下降させて、差異・他者-iと遭遇させるのであるが、この+iの下降はなんらかの同一性自己意識の下降を意味しよう。これは端的に何であるのか。
 思うに、結局、言語同一性自己意識には、二つの+iがあるのではないだろうか。そうだろうか。初期差異共振性における同一性自己とは、差異共振性に内包されていたもので、いまだ、自立・独立していない(母権原理)。だから、原同一性自己と呼べる。同一性自己ないしは原同一性自己は+1であり、それは、差異共振性(+i)*(-i)に包摂されているのである。
 故に、言語同一性自己とは、+iの傾斜が加わったものである。二つの+iがあるわけではないのである。だから、明確にすれば、強い+iである。強+i (Strong +i)と表記しよう。これが言語同一性自己意識を形成するエネルギーである。強+iが言語同一性自己意識-1を形成するのである。
 では、ここから下降して他者・差異-iに出会う(再会する)事態を考察しよう。何が下降するのか。下降する主体は何か、である。それを、同一性自己意識と思いやすいが、そうならば、それは、-1が下降することになってしまい。不整合である。下降する「意識」とは、+iの意識である。これが、下降して、- iに遭遇するのである。
 ならば、+iの意識とは何だろうか。ここがキーポイントである。強+iは既に言語同一性自己意識-1を形成している。ならば、+iの意識とは何か。それは、前言語同一性自己意識、あるいは、単に、同一性自己意識の志向性、原同一性自己志向性ではないだろうか。
 そう、端的に言えば、原同一性自己意識である。これが、下降して、他者・差異-iに出会う(再会する)のである。そして、他者・差異-iとは、本来は、原他者・原差異である。だから、原同一性自己意識と原他者・原差異とが遭遇するのである。ここに、いわば、原差異共振性が発生するのである。
 しかしながら、最初期の差異共振性はどうなっているのだろうか。そう、この原差異共振性とは、言葉通りに、最初期の差異共振性であると考えられる。つまり、言語同一性自己意識-1によって、否定・抑圧・排除され、潜在していた初期差異共振性が、ここで復活するのである。しかし、単純な復活なのだろうか。
 否、これは、螺旋的回帰というべきものである。やはり、質的に新しい差異共振性であると考えられる。なぜかと言えば、確かに、原同一性自己意識+iが下降しているものの、今や、その原同一性自己意識は、言語同一性自己意識-1の支点を形成しているのであり、初期差異共振性(⇒+1)と即非的に、言語同一性自己意識-1が存するからである。後者の言語同一性自己意識が共立している(即非)点が、復活した差異共振性を新しい質にしていると考えられるのである。
 そうすると、新たな差異共振性の形成によって、新しい自己意識、自己認識が生まれるのであるが、それは、先に述べたように、原同一性+iと原差異-iと同一性自己意識+1と言語同一性自己意識-1との四極共振であり、そのセンター(中枢)のMedia Pointを考えると、五極共振となる。

参照:
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10224473102.html


文学のモダニズムとは何か:また、美術のモダニズム(モダン・アート)とは何か。
今、一言言えば、それは、西欧近代社会の崩壊に伴い、他者・差異-iのエネルギーが活性化し、それに応じた文芸や美術ではないのかということである。
 西欧近代の他者・差異の出現である。それは、-iであり、差異共振性である。つまり、西洋内の東洋の活性化なのである。文芸モダニズム(パウンド、ジョイス、エリオット)は、-iに対応すべく、イメージ主義(イマジズム)を唱えたり、神話の図式を使用した。しかし、それは、-iへの機械的な対応、スキーマ的な対応であったと考えられる。
 正面から対応した(衝突・激突して超大噴火した)のが、D. H. ロレンスである。かれは、西洋を突破して、新東洋に到達したのである。トランス・モダンである。
 モダン・アートについても、同様のことが言えると思うが、問題は、文芸モダニズムよりも、美術の方が、早く差異・他者の問題に突き動かされた点である。また、さらに、哲学においては、美術よりも先行している。例えば、キルケゴール、ニーチェである。また、物理学もそうである。
 おそらく、結局、総体的に見て、純粋に、差異・他者の問題に遭遇していたと考えられる。文学の場合、第1次世界大戦による解体が強い意味があるが、それ以前に差異・他者は問題になっていたと考えられる。世界大戦はいわば引き金である。


Media Pointからのエネルギーの力学について:同一性自己意識はMedia Pointの虚軸上の上昇であり、それが下降することで、他者・差異-iと「再会」して、新たな差異共振エネルギーが発生する
+iの傾斜エネルギーが考えられる。それは、同一性自己意識を生むものであるが、私が考えたいのは、エネルギーの方向性のことである。その方向性は意志と言ってもいいかもしれない。
 東洋身体論では、内臓的精神(精神身体)を唱える。それは、思うに、あるエネルギーの方向を内臓的精神(精神身体)の方へ変えることを意味するのである。
 あるエネルギーとは何だろうか。これがポイントである。そう、意識エネルギーである。これは、同一性自己エネルギーではないだろうか。つまり、+iのエネルギーである。これを、頭脳へと向けるだけでなく、内臓(精神身体)へも向けるのである。
 これは、実際どういうことだろうか。丁寧に考えよう。+iのエネルギーを頭脳に向けるとはどういうことだろうか。
 どうも違うのではないかという気がした。根源から考えよう。Media Pointの差異共振エネルギーが先ず発生する。それが、同一性像を形成する。ここでは、+iと-iとはバランスがとれている。
 問題は次の段階である。即ち、+i傾斜による言語に基づく「現実」把握の段階である。ここにおいては、-iは抑圧されるのである。つまり、+iのエネルギーが活性化しているということで、それが、-iのエネルギーを凌駕しているということと考えられる。
 この様態の実際はどのようなものであろうか。これまでの検討から、それは⇒+1から⇒を排除して、+1を独立させることにあるだろう。それは、-1の同一性自己主義が為せることである。つまり、-1が⇒を排除して、+1を形成するのである。即ち、同一性=物質という視点の形成である。
 ⇒の排除とは、当然、-iの抑圧・排除を意味する。あるいは、差異共振性の抑圧・排除である。
 この事態は数式化すると、(+i)*(-i)⇒+1の差異共振的同一性現象において、+iを強化するのであるから、左辺において、-iの否定、即ち、-(-i)になると考えられる。そして、(+i)^2=-1となると考えられる。
 この-1が同一性自己主義(自我)である。そして、切り取られた+1が同一性=物質である。そう、今日では、意識ないしは心はこの+1=同一性=物質を知覚しているのである。
 だから、問題は戻って、+iの方向はどうなのか、である。一見、上昇のように考えられるのが、下降ではないのか。
 +iの傾斜とは、端的に、-iの抑圧である。+iが視覚(後記:どうもこれは単純化が誤謬である。言語志向を言う必要がある。後で検討したい。)を支配すると考えると、そして、-iは内臓精神身体を支配すると考えると、+i傾斜は内臓精神身体の抑圧である。
 思うに、+iのエネルギーとは上昇と下降が同時に起っているのではないか。-iを抑えるようにして、+iを強化するのである。そう考えた方が実際に即しているだろう。
 では、-iの賦活とそれとの新たな共振の形成方法を考えよう。-iは、内臓精神身体であるから、意識では、下部から上昇するエネルギーとして発露すると考えられる。
 そう、このエネルギーを取り込むということは、このエネルギーの「意識」を肯定するということになるのである。これは、同一性自己意識にとっては、「革命」である。何故なら、同一性自己意識の支配が終焉するからである。つまり、他者を肯定しなくてはならないという事態が発生するからである。
 そして、この他者-iは、新たな差異共振性(+i)*(-i)を意味するのである。つまり、同一性自己意識は、差異共振性を内包しなくてならなくなるのである。
 とまれ、具体的にはどういう事象なのだろうか。それは、-iの抑圧の解除の実践である。「無意識」に、下降へと抑圧したが、その「無意識」を意識化して、抑圧を解除するのである。つまり、意識を、同一性自己意識を下降させるのである。
 思うに、上昇していた同一性自己意識を下降に転ずるのではないだろうか。
 どうも、直感では、Media Point(以下、MP)において、+iは上昇へ転ずるのではないだろうか。つまり、反発である。MPにおいて、+iが-iに反発・反転して、上昇するのではないだろうか。つまり、上昇とは、反発作用ということである。反発によって上昇するということではないだろうか。
 それを作業仮説とすると、-iを意識するには、その反発を取り除かないといけない。そのためには、Media Pointへの沈潜が必要になるだろう。そして、これが、同一性自己意識の下降である。
 そして、無意識の反発を意識的に取り除くのである。そう、向きを変えるのである。反転させるのである。反発して上昇していた向き(+i傾斜・同一性傾斜)を逆転させるのである。つまり、同一性自己意識を下降させるということである。
 これによって、同一性自己意識+i(後記:ここも用語的に不整合が生じている。同一性自己意識を-1とも述べているあるからである。でも、実質的な齟齬、矛盾ではない。-1は同一性主義自己意識と言うべきものであるからだ。後で整理したい。)は、差異・他者-iに出会うのである。そして、このとき、新たな差異共振エネルギーが放出されるのである。コズミックなエネルギー(イデア・エネルギー、イデア・エネルギー、電磁波エネルギー)である。
 これは、一種の爆発である。そして、危機である。何故なら、このエネルギーに囚われてしまうからである(参照:禅病)。
 問題は、同一性自己意識を保持する必要である。つまり、-1を保持する必要である。これが否定的媒介となって、新しい差異共振意識が発生するのである。そうでないと、差異共振エネルギーに、いわば、呑まれてしまい、自己喪失すると言えよう。つまり、病理状態になるのである。(ここで、ルドルフ・シュタイナーが科学教育、論理学が前提であると強く唱えていたことが十分に納得できるのである。シュタイナーの精神科学とは、一つのトランス・モダンなのである。)
 とまれ、同一性自己意識の方向性の逆転、即ち、下降によって、他者・差異-iとの出会いが生じて、新たな差異共振化が起ることになるのである。もっとも、それは、最初はいわば、電撃的、爆発的なものであるが。
 以上の試論を整理すると、-iとは、内臓精神身体であるということであり、これを+i傾斜は無意識に抑圧して、上昇するのであるが、その上昇によって形成された同一性自己意識-1の方向を逆転させることで、他者・差異-iと激突することになるのであるが、それは、新たな差異共振性であり、初期は爆発的なのである。
 ところで、思いつきであるが、+iの上昇であるが、それは、(+i)^2=-1ではないだろうか。左回り1/4回転ではないだろうか。そして、+iの下降であるが、それは、正に、-iと出会うのであるから、(+i)*(-i)⇒+1ではないだろうか。言い換えると、右回り1/4回転ではないだろうか。今はここで留めたい。


   




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