INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/03/09

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2009年03月09日(Mon)▲ページの先頭へ
内的他者(差異)と外的他者(差異):internal -i and external -i: the latter is also (+i)*(-i)
内的他者と外的他者では、意味合いが異なるのではないだろうか とまれ、内的他者について確認(再確認)したい。先に、+iは原同一性自己、-iは原差異とし、前者の身体は脳細胞・脳神経、後者の身体は(主に)内臓であるとした。両者はともに精神身体であるが、同一性自己認識-1の視点からは、ともに物質身体である。
 そして、今日の(父権)文明では、前者は意識に、後者は無意識となっているのである。なぜなら、同一性傾斜があるからであり、後者の意識化の「教育」はほとんど行われていない。言い換えると、東洋身体教育が否定されているということである。
 とまれ、内的他者とは、今日では、一般に無意識であるが、それを肯定することで、同一性自己の同一性形式主義を解体して、差異である他者との共振が可能になるのである。この内的他者は、同一性自己意識には見つけるのがきわめて困難である。なぜなら、一般には、それが内的他者を否定し、抑圧・隠蔽しているからである。だから、内的他者と出会うには、その抑圧を解除する必要があるのである。
 しかしながら、予想できるように、これはきわめて危険な作業である。同一性を保持しつつ、内的他者へと測深的に到達する必要があるからである。同一性を否定してしまうと、非現実的になってしまうのである。
 とまれ、内的他者のエネルギーの放出を積極的に表現しつつ、同一性自己と均衡調和するように内的他者へと下降(本当は上昇)する必要があると言える。結局、この内的他者への下降とは、内臓的精神身体への回帰と言えるが、それは、同時に、Media Pointへの回帰であり、差異共振性への再帰である。つまり、内的他者(内的差異)の肯定とは、内的他者との共振性を形成することになるということである。
 結局、内的他者(内的差異)に到達するということは、Media Pointに到達することであるが、これは、真正なMedia Pointに到達することである。すなわち、同一性自己意識における無(虚無、空無)であるMedia Pointの実軸ゼロ点から、超越的な虚軸ゼロ点へと「上昇」することなのである。内在性から超越性への不連続的転移である。言い換えると、外的現実から内的現実へと転移することである。もっとも、最高度に注意すべきは、この転移は単に不連続的であるだけでなく、即非的であることである。(既述したので、割愛する。)
 ということで、内的他者(内的差異)-iとは、Media Pointと通じているものであり、以前述べたように、必然的に、(+i)*(-i)を意味していると言えよう。
 では、外的他者はどうなるだろうか。例えば、眼前の黄水仙の花はどうなるだろうか。結局、これも内的他者と同じである。同一性自己+iの「わたし」は、内的他者-iを外的他者の黄水仙の花に投影して、共振化するのである。つまり、外的他者は内的他者と一致して、-iとなるのである。これは、水平の垂直化であり、垂直の水平化と言えよう。
 これは、何を意味するだろうか。先に述べたように、これは、差異共振化である。それも、水平性における差異共振性である。現実的な差異共振性と言える。あるいは、現実的な超越性である。そう、これは、端的に、現実の理念化である。現実の理念的創造である。天を地へともたらす作用である。地上天国化への作用である。すなわち、同一性自己主義=父権主義の戦争の支配する現実を差異共振主義=母権主義の平和へと創造的に変容させる作用である。
 その点で、内的他者と外的他者は様相が異なると言えよう。もっとも、先立つのは、前者であり、その肯定が外的他者の肯定へと進展するのである。内的調和、内的平和、内的秩序が、外的調和、外的平和、外的秩序をもたらすのである。

追記1:外的他者-iは又、差異共振像である。つまり、先に述べたように、現象・万象は、差異共振像なのである。ただ、人間の同一性自己知覚が、同一性自己像を差異共振鏡面に投影して、差異共振現象を同一性=物質主義化するのである。
 ただし、同一性=物質とは、差異共振現象から切り出された一面である。切り出されたとは、抽象されたということである。同一性=物質については再考したい。

追記2:同一性=物質であるが、これは、差異共振性に包摂された「部分」である。つまり、差異共振エネルギーに包摂された側面である。あるいは、表層・表面と言ってもいいのかもしれない。あるいは、光の面である。確かに、同一性=物質の力学がある。だから、物質科学が成立するのである。 
 しかし、物質の真の力学は、今や、量子力学である。高次元エネルギーである。つまり、同一性=物質とは、差異共振エネルギーの同一性側面・同一性現象であるということだろう。この点が重要である。差異共振エネルギーの同一性面であるという点である。
 この同一性面を差異共振エネルギーから分離すると、物質科学となり、それは、+1から-1へと転換すると考えられる。


売亡国奴どもの心的構造について:母権原理への父権原理の劣等感コンプレックス
以下、副島隆彦氏の発言であるが、私が思ったのは、日本の米国隷従売国奴たちの劣等感コンプレックスである。
 副島氏の言にも似たようなことであるが、日本が真に独立するのは合理的なことであり、それを抑え、米国に従属することを求める「右翼」は、倒錯的である。
 あまりにも当然なことを抑圧する売国「右翼」の精神構造の分析に興味を覚えたが、それは、実に簡単である。先に、同一性自己主義の発生のときの「心理」を考えればいいのである。母権原理(差異共振原理)に対する父権原理(同一性自己主義)の劣等感がそこにあると考えられるのである。
 つまり、政治家二世、三世が多い売国奴どもは、本質的に母権原理に劣等感をもち、それが、父親の威光への劣等感に変質して、それが歪んで、虚栄的に、他者へ優越感をもとうとするのである。その虚栄的優越感を保障するのが米国なのである。米国こそ、御本尊であり、それを崇拝すれば、虚栄な優越感が満たされるのである。
 では、竹中平蔵氏はどうかと言えば、彼の場合は、やはり、父権原理の劣等感が強烈である。そのために、虚栄の優越感を満たす米国を崇拝しているのである。

***********

今、鳩山邦夫総務大臣が中心となって、麻生太首相と連携して、アメリカの手先の竹中平蔵と小泉純一郎元首相が、アメリカの要求を忠実に実行した、郵政民営化の見直しを始めている。先週の田原総一郎の「サンデー・プロジェクト」には、2005年の郵政選挙でホリエモンを「刺客」(刺客)に送り込まれた、亀井静香・国民新党代表代行が、竹中平蔵の郵政疑獄を検察庁に訴えると凄んでいたが、その翌日に小沢事務所への特捜部の強制捜査が入ったのだ。

 その前の、2月17日の、ヒラリーとの小沢の会談で、「日米同盟は、対等の関係でなければならない。そのことを、日本側が、(勝手に卑屈になって)アメリカに言わなかったことが問題だ」と、ヒラリーに、直接、言い放ったことも重要だ。

小沢一郎は、偉いのだ。本当に偉いのだ。 「自分のことは自分でします。できない分だけ、ご支援ください」という、生き方、考え方が、人間として、まっとうなものだ。まず、始めにこのことを言えない、考えない人間が、他の事をあれこれ、言い出すのは間違っている。 まず、頭から、始めに、アメリカ軍が、日本を守ってくれるのが当然で、自然で、当たり前だ。という考えをする者たちは、大間違いだ。売国奴どもだ。

 産経新聞(フジ産経グループ)や、読売新聞の幹部ども(ナベツネ派)や、文藝春秋(ついに、ゴロ雑誌の「諸君」が廃刊になる)や、新潮社(どうして、こうなったのか)などに、心酔して、「そうだ、そうだ、日米同盟が最優先だ。アメリカと共に、中国と戦うのだ」と、言わないと済まない馬鹿たちを、今こそ、あぶりだして、順番に、筆誅(ひっちゅう)を加えなければいけない。

 「自分のことは、自分でします」「自分の国は、自分たちで守ります」と、素朴に、きっぱりと言えないような、人間は、おかしいのだ。 洗脳されているのだ。この一行が言えないような人間は、愚か者たちだ。卑怯で、卑劣で根性の曲がった人間どもだ。

 産経・読売・文春右翼たちは、自分たちのことを、愛国者(民族主義者)で、現実主義者(リアリスト)だと、考えている。そして、その実態は、盲目的な、アメリカの手先、子分どもである。会って話しても、実に卑しい人間たちだ。 

「1021」 アメリカの「虎の尾」を踏んだ小沢一郎 (その1) 小沢一郎は相次ぐ「反米」発言のため東京地検特捜部に狙われたのだ。しかし、記者会見で立派に反撃した。 副島隆彦記 2009.3.9

「副島隆彦の学問道場」

参考:アドラーの心理学は劣等感コンプレックスという視点では正しいと思う。思うに、フロイトとユングとアドラーを一体化させた「心理学」がPS理論的「心理学」である。そう、超越的心理学である。
アルフレート・アドラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索

アルフレート・アドラー(Alfred Adler, 1870年2月7日 - 1937年5月28日)はオーストリア医師、心理学者。ウィーンの郊外で生まれ、1937年にスコットランドのアバディーンで死去。ユダヤ系。

1902年にフロイトに出会い、共に研究をした。国際精神分析学会会長を勤める。 しかしその後、フロイトと袂を分かち、後に個人心理学(アドラー心理学)という分野を創始した。ナチス・ドイツによるオーストリア併合、ユダヤ人に対する嫌悪や排斥が高まる時代に、彼はユダヤ人で、猫背で小男で、足が不自由だった。自分自身の生きる支えとして、自己自身に対する価値評価という考えに行き当たった。 そこで、彼は優越感や劣等感といった自尊感情(Self Esteem)という概念をテーマとした。いかにして人が心の平安と安らぎを得られる事が出来るかを探究する心理学を展開。高齢者やメンタルな問題を抱えた人々への支援やケアの場面で注目される概念になりつつある。

その自出から精神分析の分派と見られがちだが、実際の理論や技法は現在で言う認知行動療法に近く、アルバート・エリスの論理療法も彼から多分に影響を受けている。このほか、カール・ロジャーズや、ハリー・スタック・サリヴァンをはじめとする新フロイト派との理論の類似性も指摘されており、一般的評価よりもはるかにその影響は大きかったと見る向きも多い(これは、やはりフロイトの元高弟であるオットー・ランクにも言えることである)。


アドラーとコンプレックス [編集]

* エディプス・コンプレックス

幼い時に亡くなった2人を除くと、6人の子どもの中の2番目。長兄で母の愛を一身に集めたフロイトと異なり、アドラーは母から受け入れられず、父から可愛がられて育った。この境遇のため、最後までフロイトのエディプスコンプレックスの考えを認める事が出来なかったとされる。

* 劣等コンプレックス

参考文献 [編集]

* Ellenberger, H.F.(1970)"The Discovery of the Unconscious"(木村・中井監訳 1980 無意識の発見 弘文堂)

外部リンク [編集]

* 日本アドラー心理学会

カテゴリ: オーストリアの心理学者 | フロイト派心理学 | 精神科医 | ユダヤ系オーストリア人 | 1870年生 | 1937年没




悪霊マスメディア:権力依存のゾンビ・メディア:差異共振的ミクロメディアへ向けて
小沢氏への献金問題に関して、マスメディアは、完全に御用化している。
 これは、マスメディアが権力や広告費に依存しているからである。つまり、マスメディア自身が、ジャーナリズムを否定しているのである。これは、マスメディアの死である。亡霊化したマスメディアであり、今や、ゾンビである。
 ジャーナリズムとは、基盤は個・差異・特異性にある。ここをまったく理解していないのである。だいたい、マスという形容がいけない。本来は、大衆の、大衆向きの、庶民の、等の意味であるが、元々は塊、多量、集団等の意味をもつのである。つまり、個の意味での民衆(個民)ではなく、集団としての庶民である。
 これでは、最初から洗脳的な意味合いが入るだろう。マスmass とは、いわば、団塊的である。民衆(個民)を集合的に捉えるこの見方は、明らかに、近代主義、近代合理主義的である。つまり、民衆を同一性と見る視点であり、同一性の集合としての大衆なのである。
 今や、トランス・モダン時代であり、個・差異・特異性の時代なのである。だから、メディアもそこへと「進化」する必要があるのである。
 それは、差異共振的メディアである。そして、今や、ブログがそのようなメディアになっているし、さらにそう進展するだろう。いわば、ブロメディア、ないしは、ブロディアである。
 とまれ、マスメディア、マスコミの解体が必要である。悪霊化しているのである。私は学生の頃から、新聞記者は胡散臭いと思ってきた。結局、近代的自我に基づいているのである。それは、同一性自己主義であり、父権主義なのである。
 そう、封建主義は、領主や大名という主人がいたが、近代主義は、近代的自我が主人になっていて、他者を隷属化するのである。つまり、近代主義は、封建主義の精神構造を継続しているのである。この意味でもトランス・モダン「突然変異」が必要である。


検討問題:現代世界金融経済崩壊への対処について:世界大恐慌とファシズム:差異資本共振主義へ向けて
テーマ:トランス・モダン経済:差異共振資本経済

PS理論は今日の世界金融崩壊に対しても、当然、「見識」をもちうると考えられる。
 英国のロイズが国有化され、米国のBOAも国有化され、おそらく、日本の銀行も早晩そうなるだろう。これは、社会主義化である。大きな政府が生じたのである。
 これは、同一性主義金融資本主義の崩壊の後の、一時しのぎ策であるが、しのぎというか、時間稼ぎ策というべきであろう。
 問題は、資本が国家と連続化することである。これが、ファシズム・全体主義となるのである。そして、世界戦争を生みだすのである。
 これを避ける必要がある。日本の戦前の全体主義もこの資本と国家の連続化に拠ると考えられる。
 PS理論は、連続化を切断し、差異共振性を説く理論であり、経済においても、差異共振性を唱えることになるのである。差異共振資本経済へと転換する必要があると言えよう。
 資本側(労働者も含まれる)が国家との連続性、繋がりを立ち切って、資本を差異共振化させる必要があるのである。個・特異性に即した判断で、資本を共振化させるのである。ここには、真の経済生命があるのであり、発展成長すると言えよう。ただし、量的成長ではなく、質的成長である。
 確かに、財政出動が必要の場合もあるだろう。しかし、原則は、国家との連続化を切断して、差異資本が共振化することである。そう、だから、差異資本共振主義である。
 資本が国家から独立して、共振化して、共振経済圏を創る必要があると考えられるのである。
 国家とは何ぞ哉。それは、明らかに、同一性自己主義が生みだすものである。脱同一性化、即ち、トランス・モダン化が必要なのである。


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2009年3月
9
       

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:41
昨日:793
累計:4,745,077