INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/03/04

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2009年03月04日(Wed)▲ページの先頭へ
再度、同一性=物質とは何か:仮象身体と精神身体:Media Point身体と物質仮象身体
先に、同一性=物質とは仮象、マーヤーであると言ったが。そうすると、例えば、生命体の身体の臓器は物質ではないのかという疑問が直截に浮かぶのである。
 これは、キーポイントである。端的に、人間の身体とは何か、である。皮膚に包まれて、神経系、血管系、内臓系、骨格系等がある。それは、物質ではないのか。
 今日に西洋医学では、それらを物質主義的に見ているのし、それはそれなりに成果を上げている。
 しかし、それは、物質身体の視点である。これまで、私は精神身体の根源性を述べてきた。端的に言えば、例えば、肝臓であるが、それを物質身体と見るのは、同一性=物質主義の視点からであり、それは、直近の検討から言えば、仮象・幻像的なのである。それは、そう、表層身体、否、仮象身体に過ぎないのである。
 つまり、肝臓は精神身体と見るのが正しいのである。神経も、血管も、内臓も、骨格等も、精神身体と見るのが正しいのである。
 そう、先の検討から言えば、実軸ゼロ点の反映としての物質身体であり、源泉はMedia Pointの精神身体である。ということで、本件の検討は終った。端的に、身体とは、精神身体なのである。物質身体とは、同一性=物質の視点に基づく、精神身体の抽象化なのである。言い換えると、マーヤーである。


同一性=物質と同一性自己:物質とは同一性自己投影像、仮象、マーヤーだ:ヘーゲル弁証法の脱唯物論性
先にヘーゲル弁証法について分析していたとき、合(ジンテーゼ)において、同一性=物質を否定して、同一性認識ないしは同一性知性を「精神」が包摂すると言った。この同一性=物質と同一性認識(同一性知性)の関係をより詳述したい。同一性認識(同一性知性)とは当然、同一性自己認識と重なると見ることができるので、同一性=物質と同一性自己との関係を子細に見ていきたい。
 この問題は先に述べた鏡像自己の問題に返るとわかりやすい。即ち、差異共振面に、同一性像を投影して、その鏡像を自己(同一性自己)と認識すると言った。それは、自己本来の差異共振性(差異共振像)を否定・抑圧して、同一性を差異共振鏡面に投影し、そこに反照する鏡像と同一化して、同一性自己像を形成するということである。
 問題は、原点にMedia Point があり、また、虚軸ゼロ点と実軸ゼロ点の両方が存していることである。しかし、鏡像自己においては、出発点は、実軸ゼロ点と考えられる。この「意識」が虚軸ゼロ点の差異共振性(差異共振像)に劣等感を覚えて、反感をもち、虚栄優越的に、それを否定して、同一性像を鏡面に投影して、鏡像自己と一体化すると考えられる。
 とまれ、重要なポイントは、実軸ゼロ点は、同一性志向性の原点であると考えられることである。では、核心の問題である同一性自己はどこにあるのだろうか。そう、志向性とは、端的に、認識性というということである。だから、同一性志向性とは、同一性認識性ということである。
 だから、実軸ゼロ点に同一性認識性、つまり、同一性自己の原点があるということになる。ここから、鏡面に同一性自己を投影するのである。そして、鏡面は、実際は差異共振像なのである。
 では、同一性=物質はどうなるのか。それは、差異共振鏡面に投影された同一性認識性が形成するものではないだろうか。つまり、同一性志向性=同一性認識性が差異共振鏡面に同一性像を形成するのであり、その同一性像が物質の原像ではないだろうか。フッサール現象学で言えば、同一性志向性がノエシスであり、差異共振鏡面に投影された同一性像がノエマではないだろうか。つまり、同一性志向性=同一性認識性が差異共振鏡面に同一性像を反映しているのであり、実は、同一性=物質自体は本来存在しないのではないだろうか。(フッサールは精神がすべてなくなれば、自然もなくなると述べていた。)
 ということは、同一性=物質とは、主観的な像であり、客観的な実在ではないことになる。正に、マーヤーである。仮象である。
 そこで、本件のテーマを考えると、+1とは同一性志向性=同一性認識に拠る仮象・マーヤー(幻像)であると言える。だから、ヘーゲルの合(ジンテーゼ)とは、同一性=物質を廃棄して、同一性志向性=同一性認識を「精神」に包摂したものと端的に言えるのである。正に、止揚である。そして、「精神」は、実軸ゼロ点を包摂した、連続的虚軸ゼロ点と考えられるのである。
 以上のように見ると、ヘーゲル弁証法は、唯物論を克服していることがわかるのである。しかしながら、それは、差異、超越性を同一性志向性に一致してしまっているので、全体主義的なのである。とまれ、同一性志向性精神を取りだしたことはヘーゲル弁証法の偉大な功績である。
 私はこれまで、ヘーゲル哲学はマルクス/エンゲルスの唯物弁証法を土台と考えていたが、そうではないのである。ヘーゲル哲学は同一性=物資を廃棄して、いわば、同一性志向性精神を説いているのである。フッサール的に言えば、ノエシスを説いているのである。同一性認識性を説いているのである。
 さて、今は示唆するだけだが、以上の考察を、ベルクソンのイマージュ哲学ないしは純粋持続哲学に適用すると興味深いだろう。物質は正に、イマージュなのである。それは、純粋持続が形成するイマージュなのである。しかしながら、ベルクソンは、物質を幻像とは見ていない。だから、物質と記憶という二元論になるのである。


   




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カレンダ
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