INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/01

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2009年01月30日(Fri)▲ページの先頭へ
物質とは端的に何か:物質とは差異共鳴エネルギーの同一性形態である
ルドルフ・シュタイナーは、自身の探究の究極は、物質を知ることにあると述べていた。オカルティストが、そう答えたということは意味深長である、いろいろな意味で(そう、私は、シュタイナーの「霊」学は、以前述べたように、同一性から精神を見ているのではないかという疑念があるのである。これは、後で検討したい。)
 例えば、水素と酸素が火(火とは振動エネルギーと言えよう。だから、これは、水素と酸素の差異共鳴化である。)によって結合すると、水が発生することは小学生でも知っている。端的に、シンプルに、これは何なのか。
 これまでの検討から、物質は+1であることと考えられる。あるいは、 1a・1b・1c・・・・・・1x=+1である。
 水の発生を考えると、水素は例えば、1a、酸素を1bとして、1a・1b=+1となり、+1が当然、水である。
 しかし、実際は、火によって、イデア共鳴が生起して、差異共鳴化が起るのではないだろうか。即ち、

[(+ia)*(-ia)]*[(+ib)*(-ib)]⇒1a・1b=+1

ではないだろうか。原子記号を使うと、

2H2+02→2H20

であるが、火のエネルギー(差異共鳴エネルギー)によって、H2とO2がイデア共鳴化して、差異共鳴化し、水が発生すると考えられるよう。
 つまり、水素原子のイデア共鳴と酸素原子のイデア共鳴が差異共鳴化して、水が発生するということである。(思うに、イデア共鳴子という用語を造語してもいいのではないだろうか。本来、イオン等を考えて、解明すべきであるが、今はここで留めたい。)
 以上、水の発生を例にとって見たが、結局、物質はやはり、+1ないしは1a・1b・1c・・・・・・1x=+1でいいことが確認されたとしよう。
 そう、問題は、物質には、イデア共鳴子がポテンシャルに潜在していることである。それは、デュナミスと言えるのではないだろうか。
 差異共鳴エネルギーが与えられると賦活する(エネルゲイア化)のであり、イデア共鳴化して、差異共鳴合成を行うと考えられるのである。
 だから、物質とは、実は、パラドクシカルな言い方だが、物質以上のものである。端的に言えば、Media Point=特異性・特異点(⇒)が潜在しているのである。あえて言えば、イデア的物質なのである。だから、物質は、デュナミス・エンテレケイアである。あるいは、静止したエネルギー、収縮したエネルギーである。エネルギーの同一性形態である。
 だから、最初に戻って、物質とは同一性ということになる。


追記1:物質は同一性という結論になったが、それでは、まだ釈然としないものがある。
 結局、差異共鳴エネルギー(イデア共鳴子)の同一性形態が物質ということであり、それは、アインシュタインの有名な公式に定式化されていると考えられる。

E=mc^2

Eを便宜的に、差異共鳴エネルギー(イデア共鳴子)とすると、質量のmが同一性形態である。
 だから、的確に言えば、

E⇒mc^2

である。これは、神話的には、イシス⇒オシリスと考えられる。あるいは、原光*原闇⇒光(影)である。思うに、原光*原闇は太極と呼べよう。だから、太極⇒光(影)である。今はここで留めたい。


追記2:E⇒mc^2であるが、これは、以前、Kaisetsu氏が、ダークエネルギーの所在の説明をしたときの公式である。だから、"Dark Energy"⇒E=mc^2と記述できるだろう。
 E=mc^2は通常のエネルギー公式であるが、E⇒mc^2とすることで、これが、ダークエネルギー公式になりうると考えられる。ダークエネルギーをDEとすると、

DE⇒E=mc^2

となる。しかし、以前述べたように、DEは超越エネルギーTranscendent Energy(TE)と考えるべきである。故に、

TE⇒E=mc^2

となる。
 なお、ダークマターは、-1ではないかだろうか。


身体問題と父権文化の同一性傾斜VS母権文化の差異共振性の回帰
1)身体形式:精神身体と物質身体の関係をさらに検討していきたい。
 今は余裕がないので、思いつきを書く。
Media Pointにおける複合的なイデア共振は、

[(+ik)*(-ik)]^k

という数式にできないのか。kは振動数の違いを明示する記号である。結局、諸イデア振動が複合化している様相をそれで意味したいのである。そして、


[(+ia)*(-ia)]* [(+ib)*(-ib)]* ・・・* [(+ix)*(-ix)]⇒+1

となろう。左辺が遺伝子ないしはDNAのイデア式になるのではないだろうか。
 そして、先に述べたように、⇒+1が精神身体であり、+1が物質身体である。
 結局、⇒、Media Pointが重要である。ここが、実質的に生命を指令形成していると考えられる。
 思うに、物質身体は、

1a・1b・1c・・・・・・1x=+1

ではないだろうか。1a等は、個々の器官、組織等を意味しうるのではないだろうか。結局、

[(+ia)*(-ia)]* [(+ib)*(-ib)]* ・・・* [(+ix)*(-ix)]⇒(1a・1b・1c・・・・・・1x)=+1

となるのではないだろうか。⇒はMedia Pointである。そして、(1a・1b・1c・・・・・・1x)=+1は、いわば、同一性物質複合体、つまり、物質身体であると考えられよう。


2)父権文化の同一性傾斜と母権文化の差異共振性保持:

これは、完全に理論的な考察であるが、父権文化とは、同一性志向性に傾斜していて、母権文化とは、同一性志向性と同時に、差異共振性を保持しているのではないだろうか。
 後者について言い換えると、最初の1/4回転によって、同一性を形成するが、二回目の1/4回転によって、差異共振性へと回帰するのではないだろうか。だから、同一性と差異との調和が志向されると考えられる。
 前者は、最初の1/4回転によって形成される同一性構造が固定して、第二の1/4回転による差異共振性への回帰に対して、反動的になり、否定・抑圧・排除・隠蔽が発動するということになる。
 一般に、一神教は父権文化であり、多神教は母権文化である。ただし、父権的遊牧民族が侵入した東アジアは、父権文化が浸透している。ただし、日本の場合は、母権文化が長く続いたために、文化DNAが母権文化的である。しかし、日本の支配層は、父権文化であり、どうしょうもない連中である。
 端的に言って、父権文化とは、同一性に傾斜していて、差異共振性を抑圧するので、自己中心主義・狂気(パラノイア)的なのである。悪魔・悪霊的なものは、ここから生まれるのである。


2009年01月29日(Thu)▲ページの先頭へ
身体における物質とは何か:あるいは、物質身体とは何か
身体と物質の問題は意外に難問である。まだ、明晰に解明されていない、つまり、整合性、首尾一貫性が形成されていないので、さらに検討したい。
 有り体に言えば、人体という物質を内包した精神身体の解明である。この場合、物質は物質身体を形成しているし、それは、精神身体に包摂されているということになる。即ち、図式化すれば、

精神身体⇒物質身体

である。
 一般に、生物の場合、物質身体は有機体と呼ばれる。これはどう説明できるだろうか。例えば、呼吸の場合、吸気の酸素が血液に溶け込み、全身に運ばれて、燃焼に使われる。
 このような物質と物質との反応をどう数式化するのか。
 少し視点を変えて、例えば、食物が消化されて、エネルギーとなるのであるが、それは、どういうことなのか。それは、栄養物の酸化、即ち、燃焼に拠るだろう。
 だから、やはり、自己認識方程式が使用できるのではないだろうか。⇒+1がエネルギーである。つまり、栄養*酸素⇒「エネルギー」である。
 そうすると、まとめると、(+i)*(-i)⇒・・・(+n)*(-n)⇒+1となるのではないだろうか。全体が精神身体であり、例えば、最初の(+i)*(-i)⇒を除いた部分が物質身体となるのではないだろうか。
 とまれ、要は、物質身体は精神身体の下位になるということである。
 そして、物質生命科学は、根源のイデア的原生命、即ち、(+i)*(-i)⇒を無視していると言えるのではないだろうか。それに対して、東洋身体論は、これを対象にしていると考えられるのである。ヨガのチャクラや道教の丹田とは、(+i)*(-i)⇒の⇒を指しているのではないだろうか。これは、物質科学では、認知できないのである。言い換えると、精神生命ないしは霊的生命が認識できないのである。今はここで留めたい。


オバマ政権の政策についての私見:相克する二つの路線:同一性主義金融資本主義と差異共振主義
以下、「世に倦む日々」氏の解説はそれなりに鋭い。そして、オバマ政権の早くも変節したことを説いている。つまり、「変化」ではなく、ブッシュ路線の継続とクリントン路線の回帰である。
 今、暫定的な私見を述べると、確かに、アフガンでの戦闘は、オバマ政権のブッシュ的グローバリズム=新自由主義=新植民地・新帝国主義を感じさせる。これは、タカ派である。
 そして、ビッグスリー救済等の膨大な公的資金の注入があり、これは、一時的ではあるが、財政の問題がある。
 どうも、オバマ政権においては、二つの路線、新旧路線が対立していると思う。先に、私は、1.「ロスチャイルド」路線、2.ロックフェラー路線、3.「ロックフェラー」路線を述べた。
 1と2が同一性主義金融資本主義であり、旧路線であり、3が差異共振主義路線で新路線である。
 結局、急激な国家破産を避けるために、一時凌ぎに1と2を持続させる政策をとっていると思う。もっとも、それも国家破産にはつながるものであるが。
 思うに、1と2の虎の皮をこれからも利用していくだろう。そして、3を定着させていくつもりではないだろうか。だから、ブッシュ前政権とは本質が異なるのである。ブッシュ前政権の中心は1と2のグローバリズム=新自由主義=新植民地・新帝国主義であったが、オバマ現政権は、1と2を利用して、3のトランス・モダンの路線にあると思われるのである。
 ただし、これは、たいへんな綱渡りである。今はここで留めたい。 
 

オバマ政権の対日政策 (2) - ブッシュの延長とクリントンへの回帰
オバマの対日政策(2)_1 就任式を終えたオバマ新大統領の初仕事は、国務省に足を運んで新長官のヒラリーを職員に紹介することだった。そのとき、新大統領の外交施政方針の第一声とでも言うべき重要な言葉が発せられたが、それは「イスラエルの自衛の権利を支持する」というもので、イスラエルのガザ攻撃を明確に支持する意思表明だった。 Let me be clear: America is committed to Israel's security. And we will always support Israel's right to defend itself against legitimate threats.. 聞きながら大いに失望させられたが、その映像が流れた1/23の報道ステーションでは、空爆で廃墟のようになったガザにカメラが入り、一人の子供が記者に向かってイスラエルの侵攻の真実を証言していた。「僕の弟は目の前で頭と胸を撃たれて殺された」。事実は誰の目にも明らかなのに、「世界の大統領」であるオバマにとっては、それは非人道的な戦争犯罪ではなく、正当な自衛権の行使であり、自由と民主主義の守護者である米国は積極的に支持すると言うのである。
http://critic6.blog63.fc2.com/#17


オバマ政権の対日政策 (1) - サマ-ズとガイトナ-の新自由主義
オバマの対日経済政策_1 オバマ新大統領の就任演説の細部にわたって、当の米国以上に熱心に解読作業をした日本国民と日本のマスコミは、オバマ政権の対日政策の中身に対して神経を集中させている。私の予想では、おそらくオバマ政権の対日政策には二つの任務と目的があり、二つのユニットが分業で任務を遂行するのではないかと思われる。二つの任務とは、一つは経済であり、もう一つは安全保障である。経済の面での目的は金融と産業の二つがある。金融の対日政策はこれまでと同じで、簡単に言えば、日本の富を米国に収奪することである。日銀にドルを買い支え続けさせ、日本の政府と民間に米国債を買わせ続け、日本の個人貯蓄の金融資産をドル資本に移し換え、米国経済にマネーを供給すること。産業の対日政策は、電気自動車の内燃仕様を米国のイニシアティブとして確立し、日本の自動車メーカーをアラインさせること。自動車を含めた工業製品の環境基準技術仕様を米国の産業界が主導策定する仕組みを作り、日本企業にカネを払わせて従わせ、国際標準にすること。
http://critic6.blog63.fc2.com/#16
世に倦む日日F2ver.

参考:
Revealed: the letter Obama team hope will heal Iran rift
Symbolic gesture gives assurances that US does not want to topple Islamic regime


検討問題:身体について:仮説:⇒+1が精神身体=身体であり、+1が物質身体である
先に、身体と物質の違いについて検討し、精神身体と物質身体の二つの身体があるということになった。そうすると、さらに身体を説明する必要がでてくる。
 まず、物質から確認しよう。空気中の酸素は02である。光合成で発生を見よう。

酸素発生型光合成

6 CO2 + 12 H2O → C6H12O6 + 6 H2O + 6 O2

であるが、これを差異共振式(差異共鳴式)と見ることができるのではないだろうか。二酸化炭素と水との差異共鳴によって、有機体、水、酸素が発生すると考えよう。
 問題は、酸素をどう見るのかである。→02と02とがあるのであり、物質と言ったときは、当然、後者であろうが、前者とは何であろうか。生成過程の物質である。
 では、ここで、本題の身体について考察しよう。先に、「寒い」と感じる主体は精神身体であると言い、物質身体はただ量的な反応だけであると言った。
 当然ではあるが、感覚の問題は、単純な酸素のレベルだけでは説明できない。しかし、自己認識方程式から説明できるのではないだろうか。
 感覚は、思うに、⇒で説明できるのではないだろうか。+1が物質である。だから、思うに、身体とは⇒+1で説明できるのではないだろうか。そして、+1が物質身体ではないだろうか。そして、⇒+1は身体=精神身体ということではないだろうか。
 だから、端的に、物質身体とは、精神身体=身体に包摂されるということになるのである。今はここで留めたい。

追記:最後に物質身体は精神身体に包摂されると仮説的に述べたが、この考えは資本経済に敷延適用できるのではないだろうか。
 すなわち、資本経済の母体は精神身体であり、その結果が物質身体(商品、貨幣、資本)である。しかしながら、同一性主義金融資本主義は、結果の物質身体を中心化して、母体の精神身体(社会身体・共同体身体)を破壊するのである。母体=精神身体(社会身体)が主・優位であり、物質身体が従・劣位にあるという現実的ヒエラルキー(科学的真理)を無視して、位階を転倒させてしまったと言えよう。
 トランス・モダン資本経済とは、この倒錯を否定して、本来の資本経済の位階を復活させるものと考えられる。後でさらに検討したい。


資本主義の問題:近代主義からトランス・モダンへのパラダイム・チェンジ
今日の新大恐慌であるが、結局、資本主義を理性的に理解していないことから生じていると言えよう。つまり、資本主義の哲学・科学認識が欠如していることから生起したと考えられる。
 同一性主義、つまり、近代合理主義・近代的自我に支配されていたので、金融資本が瓦解したのである。


米国のポスト・グローバリズム路線=差異共振路線
電気自動車への転換等の米国の環境路線は、石油資源が枯渇するのを狙った政策だと思う。二酸化炭素温暖化説云々ではないと考える。
 これは、ポスト中東路線(中近東路線)である。これは、実に米国防衛政策である。
 アメリカはナショナルの利益を考えるようになった。つまり、ポスト・グローバリゼーションである。これは、多極化路線ではなく、差異共振路線である。

アメリカは、ポスト石油文明を狙っている
http://www.actiblog.com
/japonesian/75027
Japonesian Transcendental Creation


アメリカの路線の切り替え:同一性主義金融資本主義的グローバリゼションから自由・共同体路線へ転換
アメリカの路線の切り替え:同一性主義金融資本主義的グローバリゼションから自由・共同体路線へ転換

テーマ:新共同体主義的資本主義:トランス資本主義

米中貿易に関連しての意義深い記事である。(思うに、どうして、このような実質のある記事が日本の新聞にはでないのか。でも愚問であろう。)
 以下は、グローバル路線に対して、ナショナル路線を説いているのである。これは、私のいう「ロックフェラー」路線に通じるのである。
 やはり、アメリカは、自由・共同体路線=トランス・モダンへと切り替えようとしている。これは、ポスト・「ロスチャイルド」路線である。つまり、ポスト・同一性主義金融資本主義である。そして、それは、正道である。
 そうすると、多極化路線ではなく、自由・共同体主義路線=トランス・モダンである。米国は、今や、トランス・モダンへと挑戦しているのである。


Second Thoughts on Trade
By Harold Meyerson
Wednesday, January 28, 2009; Page A15



A few months ago, Robert Cassidy found himself pondering whether trade actually benefited the American economy. "I couldn't prove it," he says. "Did it benefit U.S. multinational corporations? Yes. But I cannot prove that it benefits the economy."

http://www.washingtonpost
.com/wp-dyn/content
/article/2009/01/27
/AR2009012702781.html?
wpisrc=newsletter&wpisrc
=newsletter



2009年01月28日(Wed)▲ページの先頭へ
アルフレッド・ヒッチコック:英国のケルト文化性:英国文化の「脱構築」へ向けて
たまたま、ヒッチコックの名作『めまい』を見ているが、主人公のジョン・スコティ・ファーガソン(ジェームズ・スチュアート)が、自殺した曽祖母に取り憑かれたマデリン・エルスター(キム・ノヴァク)を追跡している等々の筋書きであるが、どうも、オカルト的発想をモチーフにしていて、ヒッチコックは、ケルト系ではないかと思い、調べたら家系はアイリッシュであった。
 思うに、ヒッチコックのミステリアスな感覚は、ケルトの血から来ているのではないかと思う。
 とまれ、言いたいことは、英国文化のメインストリームは、実は、ケルトの血に拠るのでないのかということである。ビートルズは四人とも、ケルト系なのである。英国文学の多くはケルトの血を感じさせるのである。
 英国文化を「脱構築」すべきである。

追記:ケルト文化の象徴的イメージは螺旋・渦巻であり、三つ巴であり、思うに、差異共振性である。神道に酷似しているのである。


アルフレッド・ヒッチコック
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ヒッチコック(1956年)

サー・アルフレッド・ジョウゼフ・ヒッチコック(Sir Alfred Joseph Hitchcock, KBE , 1899年 8月13日 -1980年 4月29日 )は、イギリス の映画監督 ・映画プロデューサー 。1939年 からはおもにアメリカ で活躍した。スリラー映画 で成功し、製作・脚本・編集・美術も手がけた。サスペンスの神様とも称される。
生い立ち

1899年 8月13日 ロンドン のレイトンストーン 生まれ。青物商のウィリアム・ヒッチコックと妻のエマ・ジェーン・ヒッチコック(旧姓ウェーラン)の三人の子供の二番目であった。一家はアイルランド のカトリック 教徒であった(イギリスでは少数派)。ヒッチコックはロンドンでカトリックの寄宿学校に入学し、後に彼は幼年期は孤独であったと語っている(幼年期に父親に独房 に入れられたという話は作り話である)。

彼が14歳の時に父親が死亡し、彼は工学を学ぶためセント・イグナチウス・カレッジ を去った。学校を卒業した後はケーブル会社の広告デザイナー となった。

その後ヒッチコックは写真 技術に興味を持ち、ロンドンの映画 会社で働き始める。1920年 に彼はイズリントン・スタジオで仕事を得、サイレント映画のタイトルデザインを担当した。1925年 にはゲインズボロー・ピクチャーのマイケル・バルコンが、彼に処女作の『快楽の園』を監督するチャンスを与えた。

[編集 ] イギリスで

ヒッチコックは急速に台頭した。彼の三作目『下宿人 』は1927年 に公開された。同作は「切り裂きジャック 」をモデルにした作品で、アパートにやってきた新しい下宿人(アイヴァー・ノヴェロ)が殺人犯の嫌疑をかけられる。これが最初の「間違われる男」をテーマとした「ヒッチカニアン」フィルムであった。

1926年にヒッチコックは、アシスタント・ディレクターのアルマ・レヴィールと結婚した。二人の間には1928年 に娘のパトリシアが生まれる。アルマはヒッチコックの最も親密な協力者であった。彼女は何本かの脚本を執筆し、ヒッチコックの全ての作品の擁護者であった。

1929年 にヒッチコックは十作目の『ゆすり』の制作を始める。撮影中に製作会社は同作を、イギリス最初のトーキー 映画にすることを決定した。

1933年 には再び、ゴーモント=ブリティッシュ・ピクチャーに移籍していたマイケル・バルコンと共に働く。同社での彼の初の作品は『暗殺者の家』であり、続いて『三十九夜』を制作する。同作は初期の代表作と見なされる。

ヒッチコックの次の成功作は1938年 の『バルカン超特急』である。軽快なテンポで展開する同作は、ナチス・ドイツ を模した架空の国家ヴァンドリカでのスパイ騒動に巻き込まれた人々を描き、列車内で姿を消した老婦人の行方を捜すという内容のサスペンスでもあった。

ヒッチコックの活躍はハリウッドから注目され、デヴィッド・O・セルズニック の依頼で彼はアメリカで映画製作を行うこととなる。

[編集 ] ハリウッド

1940年 にヒッチコックはアメリカでの初作品『レベッカ 』を制作する。同作の企画はイギリスで行われ、原作もイギリスの作家ダブネ・デュ・モウリアによるものであった。作品はジョーン・フォンティン演じるヒロインが後妻として入ったイギリスの屋敷での出来事を描くサスペンスで、1940年のアカデミー最優秀作品賞を受賞した。

ヒッチコックのユーモアはアメリカでの作品群でも発揮され、作風はサスペンスをトレードマークとしていた。セルズニックは長年金銭問題に悩まされており、より大きな映画会社にしばしばヒッチコックを貸し出した。

ヒッチコックの1940年代の作品は非常に多様であった。それはロマンティック・コメディ の『スミス夫妻 』(1941年 )から暗いサスペンス(フィルム・ノワール )の『疑惑の影 』(1943年 )まで多種に及ぶ。

1950年代は、ヒッチコックの黄金時代と言える。さまざまな円熟期の作品が量産された。1956年 にアメリカ の市民権を取得した。

『鳥』(1963年 )までは精彩を放っていたが、『マーニー 』(1964年 )以降は凡庸な作品が目立つようになった。これは『マーニー』の撮影中にティッピ・ヘドレン に関係を迫ったものの断られたことが原因ではないかという説もある。あるいは、『ハリーの災難』以来バーナード・ハーマン が音楽を担当してきたが、『引き裂かれたカーテン 』の音楽を巡って対立し、結果ハーマンをこの作品から降板させ、以後は袂を分かっていたことも影響しているのではないかともいわれる。高齢による衰えとの説もあるが、イギリスを舞台に撮影した最後から2番目の作品『フレンジー 』(1972年 )ではキレのあるサスペンス演出を見せ、ヒッチコック復活を印象付けた。


・・・・・

[編集 ] 主な作品

※:製作国に於いてパブリックドメイン

* 『快楽の園 』 - The Pleasure Garden (1925)※ デビュー作
* 『山鷲 』 - The Mountain Eagle (1926)※(現存せず)
* 『下宿人 』 - The Lodger: A Story of the London Fog (1927)※
* 『ダウンヒル 』 - Downhill (1927)※
* 『リング 』 - The Ring (1927)※
* 『ふしだらな女 』 - Easy Virtue (1928)※
* 『農夫の妻 』 - The Farmer's Wife (1928)※
* 『シャンパーニュ 』 - Champagne (1928)※
* 『マンクスマン 』 - The Manxman (1929)※
* 『恐喝 』 - Blackmail (1929)※ 最初のトーキー作品/サイレント版も有
* 『ジュノーと孔雀 』 - Juno and the Paycock (1930)※
* 『殺人! 』 - Murder! (1930)※
* 『エルストリー・コーリング 』 - Elstree Calling (1930)※
* 『スキン・ゲーム 』 - The Skin Game (1931)※
* 『メアリー 』 - Mary (1931)※ 殺人!のドイツ版
* 『第十七番 』 - Number Seventeen (1932)※
* 『リッチ・アンド・ストレンジ 』 - Rich and Strange (1932)※
* 『ウィンナー・ワルツ 』 - Waltzes from Vienna (1933)※
* 『暗殺者の家 』 - The Man Who Knew Too Much (1934)※
* 『三十九夜 』 - The 39 Steps (1935)※
* 『間諜最後の日 』 - The Secret Agent (1936)※
* 『サボタージュ 』 - Sabotage (1936)※
* 『第3逃亡者 』 - Young and Innocent (1937)※
* 『バルカン超特急 』 - The Lady Vanishes (1938)
* 『岩窟の野獣 』 - Jamaica Inn (1939)※

以上イギリス時代(保護期間は公開から70年、但し英国政府製作の映画は公開後50年)

『海外特派員 』の一場面
『北北西に進路を取れ 』予告編の一場面

* 『レベッカ 』 - Rebecca (1940) アカデミー作品賞
* 『海外特派員 』 - Foreign Correspondent (1940)※
* 『スミス夫妻 』 - Mr. & Mrs. Smith (1941) (日本未公開作品、のちにビデオ化)
* 『断崖 』 - Suspicion (1941)
* 『逃走迷路 』 - Saboteur (1942)
* 『疑惑の影 』 - Shadow of a Doubt (1943)※
* 『救命艇 』 - Lifeboat (1943)
* 『闇の逃避行 』 - Bon Voyage (1944)※(英国政府製作のフランス向け国策映画(26分))
* 『マダガスカルの冒険 』 - Aventure Malgache (1944)※(上記同様(30分))
* 『白い恐怖 』 - Spellbound (1945)※
* 『汚名 』 - Notorious (1946)※
* 『パラダイン夫人の恋 』 - The Paradine Case (1947)
* 『ロープ 』 - Rope (1948)※
* 『山羊座のもとに 』 - Under Capricorn (1949)※ (日本未公開作品、のちにビデオ化)
* 『舞台恐怖症 』 - Stage Fright (1950)
* 『見知らぬ乗客 』 - Strangers on a Train (1951)※
* 『私は告白する 』 - I Confess (1953)
* 『ダイヤルMを廻せ! 』 - Dial M for Murder (1954)
* 『裏窓 』 - Rear Window (1954)※
* 『泥棒成金 』 - To Catch a Thief (1955)※
* 『ハリーの災難 』 - The Trouble with Harry (1955)※
* 『知りすぎていた男 』 - The Man Who Knew Too Much (1956) 『暗殺者の家 』のリメイク
* 『間違えられた男 』 - The Wrong Man (1956)
* 『めまい 』 - Vertigo (1958)※
* 『北北西に進路を取れ 』 - North by Northwest (1959)※
* 『サイコ 』 - Psycho (1960)※
* 『鳥 』 - The Birds (1963)
* 『マーニー 』 - Marnie (1964)
* 『引き裂かれたカーテン 』 - Torn Curtain (1966)
* 『トパーズ 』 - Topaz (1969)
* 『フレンジー 』 - Frenzy (1972)
* 『ファミリー・プロット 』 - Family Plot (1976)

・・・・・




検討問題:自己同一性主義(パラノイア⇒鬱病)の力学について:近代合理主義の帰結とトランス・モダン
自己同一性主義は、差異が同一性へと同化してしまった意識状態であると考えられる。差異がなければ、自己と他者の区別がなくなり、自己が他者を否定し、支配するようになるし、そもそも、知性を成立させる差異=間(あいだ、ま)が無くなり、狂気状態となるのである。これは、パラノイアであり、次第に鬱病、躁鬱病、さらには、統合失調症等になるのはないだろうか。
 この力学を分析してみよう。先ず、同一性志向性がある。それは、同一性意識をもっている。そして、それが、他者に対して、同一性意識を投影して、自己同一性を形成するのである。
 問題は、自己同一性意識の形成の前には、他者ないしは差異があることであり、これは、無視できないのである。
 しかしながら、自己同一性意識が完全に他者/差異と同一化すると、自己同一性意識は自動化するだろう。差異(自己)・同一性・差異(他者)が本来の自己と他者との間の同一性関係であるが、ここで、他者の差異を同化する場合、差異(自己)・同一性・差異(他者)、即ち、自己同一性意識・同一性・自己同一性のようになるだろう。
 自己差異、他者差異がまったく否定排除されているのであり、自己同一性志向性自体が、自己目的的に自己同一性化するのである。つまり、自己同一性志向性と同一性が重なり、一致して、いわば、鏡像的に自己陶酔(慢心)するのであり、自己同一性志向性と同一性の真理の区別が消失して、自己同一性志向性という衝動が同一性の真理を支配してしまうと考えられる。何故なら、起動力は自己同一性志向性にあり、これが優位であるからである。
 これが、パラノイア、いわゆる、自己中心主義(自己チュー)である。これは、当然、傲慢であるだけでなく、同一性真理を無視することになり、虚偽的なのである。独断的、独善的である。
 思うに、この自己同一性主義が現代に蔓延しているのであり、その顕著な例が、デリバティブやレヴァレッジ等に顕現したのであり、そして、その狂気の結果が、新世界恐慌である。
 近代合理主義・近代的自我の帰結なのであり、今や、トランス・モダンへと転換することになるのである。


身体と物質の違いについて:精神身体と物質身体:カオスとガイア:身体小宇宙と大宇宙
先の検討により、身体と物質との区別が明瞭になってきた
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10198359931.html
ので、この際明確にしたい。
 例えば、身体とはほとんど誰にでも明快である。気温が下がれば、ほとんど誰もが「寒い」と感じるだろう。この「寒い」とは何だろうか。身体的感覚なのか、心的感情なのか。
 心と身体の近代西欧二元論で考えると、そのような疑問が生じるのである。この二元論は誤った区別であると私は考えるのである。何故なら、それは、身体と物質とを混同しているのからである。
 プラトニック・シナジー理論から言うと、精神(心)⇒身体であり、身体とは本来、精神身体なのである。この⇒がとれた身体はいわば、物質的身体であり、物質科学で考える「身体」である。
 この精神身体ないしは身体の概念から見ると、「寒い」とは、正に、精神身体感覚である。そして、物質的感覚とはありえないだろう。
 物質は感覚しないのである。感覚するのは、精神身体なのである。(追記:物質的身体は、刺激[「寒い」]に対して、反応はするが、それは、機械的、メカニズムである。つまり、例えば、皮膚神経や脳神経が、量的な反応をするということである。)
 ここでやや飛躍して言うと、ギリシア神話で、カオス(空隙)からガイア(大地の女神)が生まれるが、カオスがMedia Pointで、ガイアは正に精神身体(身体)に当たるだろう。
 ならば、ウラノス(天空)は何だろうか。これは、端的に、光であろう。つまり、+1ではないだろうか。即ち、イデア→カオス→ガイア→光ではないだろうか。光は宇宙(コスモス)としてもいいのではないだろうか。
 自己認識方程式で言うと、⇒+1の⇒がカオスであり、⇒+1がガイアであり、+1がウラノスではないだろうか。先に、イシス⇒オシリスと言ったが、⇒オシリスがガイアであり、オシリスがウラノスになるだろう。この点は微妙で興味深いが今はおいておこう。
 さて、身体の問題に返ると、結局、通常、確認している身体とは精神身体(「ガイア」)であるということになる。そう、神秘主義では、小宇宙=大宇宙という図式があるが、それは、正しいだろう。そして、古代宇宙論や占星術も基本的な世界観では、正しいことが証明されるだろう。この問題もきわめて興味深いがおいておこう。
 では、精神身体(身体)と物質身体(物質)の関係はどうなるだろうか。西洋医学は、後者を対象としているのである。(東洋医学は西洋医学の精緻さを欠くように思えるが、前者を対象にしていると言えよう。)
 哲学的には、前者は差異的同一性であり、後者は同一性である。そして、同一性とは抽象なのであり、近似・疑似的な、あるいは、ヴァーチャルなものなのである。表層ないしは上層と言ってもいいかもしれない。
 つまり、差異的同一性を同一性という仮想性に抽象・還元したものが、物質身体(物質)であると言えよう。
 この視点から、例えば、遺伝子ないしはDNAを見るとどうなるだろうか。それは、精神身体のエッセンスを抽象したものであろう。だから、真相は精神身体情報である。物質科学では、この精神身体性が抜けているのである。つまり、イデア的身体性が抜けているのである。
 この問題もたいへん興味深いがここで留めておこう。

追記1:追加すると、(精神)身体と(脳)神経の違いもこれで説明できるだろう。
 では、病気とは何だろうか。心の病について言うと、それは、ほとんど自明であり、精神身体の精神の病が身体に現われるものである。
 では、風邪とか癌などの「外的」な病気はどうだろうか。それは、精神身体の病気ではあるが、精神身体の皮層の物質身体が病んでいると考えられる。
 ウィルス等の外的原因があるが、しかしながら、精神身体から見ると、なんらかの精神性が基因となり、物質身体に発症するということは考えられるだろう。
 そう、ストレスが基因かもしれないのである。(遺伝子が原因の場合は精神身体性が原因と言うべきである。)
 
追記2:東洋文化の「気」(インドでは、プラーナ)に関して言うと、気的身体は、ほぼ精神身体になるのではないだろうか。
 つまり、「気」はほぼ精神に相当しよう。しかしながら、「気」のより根源には、「魂」や「霊」があるだろう。イデア本体である。
 しかしながら、重要なのは、知性とは、物質身体に伴って生起することである。そして、理性とは、精神的知性のことであるということである。だから、知性と精神の均衡を取るものと言えよう。
 だから、理性とは知恵と呼べるものである。合理性とは異なるのである。それをreasonやratioとするのは、誤りである。reasonやratioは、知性である。だから、直感・直観の方が理性、知恵に近いのである。
 思うに、近代哲学は、知性と理性と直感・直観と悟性で混乱しているだろう。知性=悟性=reason, ratioである。それに対して、Media Pointの知が理性・知恵である。それは、知性と感性の調和する知である。これもここで留めておく。

追記3:追記2の知性等々の用語の弁別であるが、まだ、当然ながら、混乱がある。思うに、知性は、同一性知性=物質知性とMedia Point知性=差異共振知性に分けた方が混乱がなくなるだろう。
 理性も混乱を引き起こす用語である。reasonは、やはり、2つの知性に関係すると思うので、混乱するのである。
 合理性rationalityであるが、それもやはり、2つの知性に関わるだろう。
 だから、知性、理性、合理性、すべて、2つの知性に関わる用語ということになる。
 結局、近代は、連続性(連続的同一性)ないしは同一性主義の文化なので、2つの知性の区別が混乱していると考えられるのである。
 だから、明晰に区別するには、例えば、同一性理性(略して、同一理性:量的理性)と差異理性(略して、差理性:質的理性)に分けるといいのかもしれない。カントの純粋理性は両者が衝突していると言えるだろう(アンチノミー)。
 結局、PS理論によって、この問題が斉合性をもって、解決されると言える。結局、図式化すると、

差異理性⇒同一性理性

である。これは、また、次のように言い換えられる。

超越理性⇒物質理性

近代主義は、右辺を中心化させて、左辺の探究が問題化したと言えよう。
 そして、フッサールの現象学は、左辺の探究であったと言えよう。その結果、超越論的主観性、間主観性、生活世界等の概念が生まれたのである。
 ただし、フッサールは超越理性が、差異理性、差異共鳴理性であることを認識できずに、いわば、超越的同一性に留まったと言えよう。


2009年01月27日(Tue)▲ページの先頭へ
検討問題:性とジェンダー:単性生殖と雌雄分化
以前、女性と男性の差異について考察したことがあるが、その時は、両者は正反対であるということを述べた。しかし、正反対というよりは、女性は男性よりも遥かに複雑であり、非対称的ではないかと今は考えている。
 その問題はおいておいて、最初に性分化について考えてみたい。性分化をPS理論から解明するとどうなるのだろうか。
 生物には、単性生殖(処女生殖)がある。宗教・神話的には、処女懐胎である。
 とまれ、PS理論から見ると、これは、実にシンプルに記述できるのではないだろうか。即ち、
(+i)*(-i)⇒+1が単性生殖を記述しているのではないだろうか。
 左辺が単性の「母体」であり、+1が子である。つまり、この単性の「母体」をとりあえず、元母とすると、元母の単性生殖によって、子が生まれるのである。これは、神話的には、イシス⇒オシリスで説明できるのではないだろうか。
 つまり、イシスは単性生殖(処女生殖)なのではないだろうか。そして、それが、聖母マリアにつながるのではないだろうか。
 しかしながら、後代において、崩れてしまい、イシスとオシリスの雌雄のペアが考えられたのではないだろうか。つまり、混淆・混同が起きたのではないだろうか。本来、イシスは単性生殖なのに、イシスとオシリスの雌雄生殖になったのではないだろうか。
 雌雄分化とは、推測するに、+iと-iとがそれぞれ傾斜して分化したのではないだろうか。例えば、オスは+iであり、メスは-iである。しかしながら、本来、両者、他者を包含しているのではないだろうか。つまり、オス+iはメス-iを潜在的に内包し、メスは逆ではないだろうか。
 つまり、両性具有説である。思うに、オスはメス的要素を抑圧し、メスはオス的要素を抑圧しているのである。そして、抑圧された様相が性愛として発現するのではないだろうか。これは、ユングのアニマ・アニムス論に似ている。
 とまれ、自己において、抑圧されている他者が覚醒されるとき、本来の自己性が生まれるのではないだろうか。そのとき、性愛ではなく、プラトンのエロースになるのではないだろうか。イデアへの郷愁である。
 今はここで留めたい。

追記:思うに、性愛とは、本来、差異共振エネルギーが身体的次元に限定されたものではないだろうか。というか、差異共振的創造のための身体的衝動ではないだろうか。
 現代の不幸は、近代合理主義=唯物論のために、差異共振的創造が喪失されて身体的衝動に傾斜している点であろう。

参考:
無性生殖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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無性生殖(むせいせいしょく)とは、生殖 の方法のひとつで、1つの個体が単独で新しい個体を形成する方法である。作られた生殖細胞が単独で新個体となる場合にこう呼ばれる。

[編集 ] 一般的なあり方

無性生殖と言われる生殖 は、親の体の一部が独立して新個体になるなど、単独の個体が新しい個体を生むやり方である。生殖細胞 が、他の細胞と融合する事なく、単独で発生 や発芽 を始める場合もこれである。一方、進化生物学 では、遺伝的組み換え なしにクローンの子孫を作ることを無性生殖という。この場合、生殖細胞 が単独で発生したとしても組み替えがあれば、無性生殖とは言えないので注意を要する。

第一の定義から言って、最も単純に無性生殖と見なしやすいのは分裂 である。単細胞生物 の多くが細胞分裂 によって個体 を増やす。多細胞生物 の場合、その体が大きく二つに割れて数を増やす場合をこう呼ぶ。

新個体が当初は小さな形で作られ、次第に大きくなって独立する場合を出芽 という。

他に、単細胞ないし少数細胞からなる散布体 を胞子 とよぶ。胞子に鞭毛 があって運動する場合は遊走子といわれる。

高等植物などに見られる、芽が独立してむかごとなったり、匍匐茎から新しい株を作るなど、栄養体 の変形が繁殖に用いられるものを栄養生殖 と呼ぶ。コケ植物 や地衣類 で、栄養体のごく一部が独立して小さな散布体となったものは芽子 とよばれる。

また、有性生殖の結果で生じるはずの接合子を単独個体が作ってしまう単為生殖 も、場合によっては実質的に無性生殖と見なせる。

[編集 ] 有性生殖とのかかわりにおいて

有性生殖 は細胞の融合によって新しい個体を作るため、新しい遺伝子の組み合わせが生じる。これに対し無性生殖では、体細胞分裂を基本として新しい個体を生み出すため、発生した新個体は完全に親と同じ遺伝情報を持つもの、すなわちクローン となる。

このことは、親と同じ性質を持つ子が得られることである。この場合、親が子を作るまで生存していたのが確かであるから、少なくともそれだけの生存能力を保持する子が得られる訳であり、一定の成功が保証されているとも言える。また、有性生殖より手順が簡単なので、素早い個体数増加が確保できる。ただし、環境条件が変わればこの限りではなく、その個体の性質上は不利な条件が生じた場合、最悪の場合、全個体が死亡する危険がある。

他方、有性生殖では遺伝的多様性が得られるので、環境の変化にも対応できる個体が得られる可能性がある。また、遺伝的多様性は進化 の上でも重要であり、大部分の生物は生活環 の上のどこかでなんらかの有性生殖を行う。むしろ、ヒトなどのように、有性生殖しか行わないものもある。

そのような意味で、環境条件がよい場合に無性生殖で増殖し、有性生殖で生じた生殖細胞が休眠するミズカビ 類や、単為生殖で増加し、有性生殖で休眠卵を生じるミジンコ などは理にかなっている。

[編集 ] 胞子にまつわる混乱

胞子 形成は、無性生殖の一つと見なされる。胞子が単独で発芽し、新個体を形成するためである。ただし、形成過程から考えると、大きく二つの場合がある。一つは体細胞分裂によって形成される胞子である。ケカビ など接合菌 の胞子のう胞子、アオカビ など不完全菌 の分生子 、ミズカビ 類の遊走子などがこの例である。この場合、その胞子の発芽によって生じる新個体は、親と同じ遺伝形質を持つ。

もう一つは、減数分裂 によって形成されるもので、シダ植物 ・コケ植物 ・種子植物 や、さまざまな藻類 、変形菌 などがそのような胞子を形成する。かつてはこのような胞子を真性胞子と呼んで区別したこともある。

これらの生物では胞子を形成する体は核相が複相、すなわち2nであり、減数分裂によって生じる胞子は単相(n)である。胞子が単独で発芽すれば、それによって生じる体はやはり単相(n)となる。普通、この単相の体は配偶子 を形成し、それらが接合 して複相の体に発達する、いわゆる世代交代 が見られる。そこで、複相の体を胞子体、単相の体を配偶体と呼ぶ。そして、配偶体は配偶子を作るのでこれを有性世代、胞子体は胞子を作るので無性世代とも呼ばれる。

これらの胞子は確かに単独で発芽し、その限りでは無性生殖的なのであるが、それによって生じる体は胞子を形成する体とは異なったものである。分裂や出芽を無性生殖とするならば、これらをそれと同等に扱うことはできない。むしろ接合と減数分裂によって構成される有性生殖環の一部と考えるべきである。近年は無性世代という呼び方もしない場合が多い。

ほかに子のう菌 類の子のう胞子、担子菌 類の担子胞子なども減数分裂によって形成される。しかし、これが無性生殖と言われることはなく、菌類学 では伝統的に有性生殖として扱われた。
"http://ja.wikipedia.org/wiki
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7%E7%94%9F%E6%AE%96 " より作成
カテゴリ : 生殖


2009年01月26日(Mon)▲ページの先頭へ
同一性主義の発生力学について:⇒+1は特異性内包の同一性であり、+1は同一性=同一性主義である。
先の考察は中途半端だった
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10198224797.html
ので、ここであらためて考察を行いたい。
 私の疑問の出発点は、同一性主義には、差異の否定があるという事象=現象である。そして、最近では、同一性志向性における一契機として同一性主義というものを捉えたのである。
 それは、端的には、+1である。+1という同一性は、差異共振性をもたない物質性である。そう、同一性形式=言語構造形式としてもいいだろう。構造主義の構造も+1となろう。
 しかし、これだけならば、差異の否定は生じない。+1は+1である。問題は、他者が生じるときである。それは、+1を超えるものであり、異質性である。そう、他者は、実は、-iである。そして、同時に、+iである。
 +1は、それらの他者や差異に対処できないのである。ここで、同一性は、同一性主義となり、他者、差異を否定・抑圧・排除する暴力となると考えられる。
 ここで、これまでの検討を修正する必要がある。+1を同一性主義と言ったが、そうではなく、やはり、同一性でいいと思う。ただし、それは、差異に対しては、同一性主義となるのである。だから、同一性→同一性主義である。
 また、+1は、同一性であり、自我であり、差異・他者に対して、同一性主義、自我主義となるのである。端的に、同一性は、不器用なのである。すなわち、-1をもち、悪となるのである。善悪二元論を形成するのである。
 近代合理主義は、端的に言えば、+1の主義=崇拝である。問題は、この主義=崇拝である。これは何か。この問題は、一つの核心的なものである。これが、ある意味で、人間と他の生命体を区別するものと考えられる。
 今の直観で言うと、これは、1/4回転であり、そのとき、Media Pointは閉じられるのではないのかということである。1/4回転によって、同一性志向性は、思うに、イデアを忘却して、現象へと帰結するのである。(ハイデガーの存在の忘却は、正しくは、イデアの忘却にすべきである。ハイデガーは、イデアを喪失しているのである。だから、ハイデガーの存在は、無になるのである。これは、意外に、三島由紀夫に似ているのである。三島由紀夫はある小説でハイデガーに言及していた。)
 Media Pointから発する同一性志向性とは、端的に言えば、光であり、そのとき、根源のイデアは、光に転化していると言えるのではないだろうか。
 つまり、+1とは、光であり、それは、イデアの変換様態であると考えられる。その時点では、イデアは消失しているのである。端的に言えば、肉眼でどこを見てもイデアは見つからない。
 以上の視点から言えば、+1の光の現象界においては、それ自体が目的化されるのではないか。言い換えると、+1は鏡像化である。自己と同一性の鏡像が一致する世界ということになる。自己は本来、イデアでありながら、1/4回転によって、同一性=光となるのであり、その同一性=光の像が鏡像であるということになるのではないだろうか。
 言い換えると、差異(=差異共振性=イデア)=「自己」が、同一性=光に転換するということであり、同一性=光=鏡像と一体化することと考えられる。
 ならば、+1=同一性化とは、端的に、同一性主義化なのである。この同一性化にこそ、現象の本質的秘密があるのである。そう、現象の奥義・奥の院である。
 言い換えると、差異が同一性へと「折り畳まれる」こと、この二重性に現象の本質があると言えよう。
 だから、当然、同一性化=同一性主義化は、差異を否定・抑圧・排除・隠蔽するのである。
 その結果、同一性の視点から見たとき、根源が、無とされるのである。つまり、ニヒリズムである。ニーチェの積極的(能動的)ニヒリズムも、この点を免れないと言えよう。当然、上述したように、ハイデガーも三島由紀夫もそうである。【では、仏教の無はどうなるだろうか。今の直感で言えば、仏教の無とは、空(イデア)へと連結する契機である。】
 とまれ、以上から、同一性主義の発生力学の解明としたい。
 さて、そうすると、あらたに、同一性と同一性主義の区別をしたこれまでの見解を見直す必要があることである。つまり、同一性は物質であり、それに差異共振性があるとしたのであり、同一性主義は言語構造形式であり、差異共振性はないという見解である。
 言い換えると、⇒+1と+1の区別の問題である。物質界・現象界は後者であるが、前者とは何か。前者は物質界・現象界の特異点・特異性を含めた数式であると考えられる。つまり、物質界・現象界のMedia Pointを内在させた数式であると考えられる。
 近代科学とは、 +1の科学であり、⇒を無視していたのである。端的に、唯物論的科学である。
 しかし、相対性理論や量子力学は特異点・特異性を問題にしたのである。光速度の一定や光の特異性を意味するだろうし、量子の不連続性やその他の事象もそれを意味しよう。
 哲学で言えば、キルケゴール、ニーチェ、そして、フッサール(「超越論的主観性」が特異性である)である。それらに、特異性が現れているのである。(ハイデガーは、特異性を無視して、存在論的ニヒリズムを説いたと考えられる。)
 ということで、これまでの見解を修正できただろう。即ち、⇒+1は同一性ではなく、特異性を内包した同一性のことであり、+1は同一性(=物質=光)=同一性主義であるということになったのである。ここで留める。

追記:上記で、+1が物質界・現象界で、⇒+1が特異性ないしはMedia Pointを内包した数式であると述べたが、どうも間違いだと思う。
 物質界と現象界を区別・峻別・弁別する必要がある。即ち、物質界は+1であり、現象界ないしは自然界は⇒+1であると言うべきである。
 つまり、物質と現象・自然は絶対的に区別されなくてはならないということである。近代科学、即ち、唯物科学は、+1の物質界を説明するものであり、現象・自然を同一性に還元しているのである。
 だから、自然科学という言い方は問題がある。それは、物質科学が正しいのである。
 とまれ、物質界と現象界=自然界の区別・峻別・弁別、ここに、モダンとトランス・モダンの境界があると言えよう。
 補足すると、物質界ないしは物質とは、人間の同一性構造が産んだ一種虚構なのである。極言すれば、ヴァーチャルな世界なのである。敷延すれば、同一性主義金融資本とは、このヴァーチャルな世界で発生している虚構の価値なのである。
 結局、資本主義は、唯物・虚構経済から、自然・現象真相経済へと転換しなくてはならないのである。


2009年01月25日(Sun)▲ページの先頭へ
英国の同一性主義金融資本主義の崩壊と米国のトランス・モダン路線=自由・共同体主義
以下、田中宇氏の多極化論であるが、私見では、差異共振主義路線が主導的なのである。それは、「ロックフェラー」路線ということである(鍵括弧に注意)。
 同一性主義金融資本主義の崩壊を乗り越えて、差異共振的資本主義へと転換する志向性をオバマ大統領の米国はもっていると思える。
 そう、それは、米国の政治・経済の伝統的思想である自由・共同体主義への回帰なのある。らせん的回帰である。
 米国は、ポスト・同一性主義金融資本主義を明確に目指していると思う。米国トランス・モダン路線なのである。

@@@@@@@@@@@@@@@

英国の衰退をしり目に、米国では多極主義的な言説が、オバマ就任とともに再び出てきている。キッシンジャー元国務長官は、オバマ就任日に「金融システムを世界規模で管理できる規模にまで、国際政治体制を拡大する必要がある(国際機関を強化して世界政府的な機能を持たせるべき)。新たなブレトンウッズ体制が必要だ」「世界における米国の存在感は大きすぎる」「新世界秩序のもとでは、中国の役割が重要だ。今後の世界経済秩序がどんなものになるかは、今後の数年で米中がどのような関係を持つかによって変わる。米中が対立すれば、中国は米国抜きのアジア秩序を作り、米国は保護主義に傾く。米中関係は、一つ高い水準まで引き上げられねばならない」といった主旨の、多極主義のにおいがする論文を発表した。(Henry Kissinger: The world must forge a new order or retreat to chaos )

 米中関係が新たな高水準に引き上げられる(米中戦略関係が強化される)ことは、おそらく日米関係の空洞化につながる。すでに1月22日のヘラルドトリビューン紙には、米国に依存しすぎる日本を批判する論文(U.S.-JAPAN; An alliance in need of attention )が載っている。オバマになって米中関係や日米関係がどうなりそうかについては、近いうちに分析するつもりだ。

http://tanakanews.com
/090124UK.htm
イギリスの崩壊
2009年1月24日  田中 宇


同一性主義と差異エネルギーの関係について:トランス・モダンの必然性=摂理:第二次1/4回転
余裕がないので簡単に、問題提起する。(追記:詳述することになった。)
 先に、トランス・モダン的差異とは新たなエネルギーの放出に拠ると言った。
 思いついたのは、以前に考えた回帰仮説である。即ち、Media Point において、同一性志向性が発生する。⇒+1である。これは、自発的である。そして、エンテレケイアとして、+1となる。これは、人間で言えば、身体の成長や言語的知能の発達を意味しよう。同一性形式の完成である。
 しかし、その完成は同時に、解体となる。身体や脳細胞は衰退の過程に入る。しかしながら、それは、脱同一性主義プロセスと言えるのではないだろうか。
 つまり、いったん、同一性主義が形成されると、エネルギーは脱同一性主義へと志向して、何らかの創造へと向かうのではないだろうか。
 つまり、根本的な差異エネルギーは、最初は、同一性形成へと向かい、同一性主義に帰結するが、それを終えると、脱同一性主義的創造へと向かうということではないのか。
 では、それは一体何なのか。すぐ思い浮かぶのは、精神性の形成である。同一性的言語知性が形成された後、心は、精神性の形成に向かうのではないだろうか。近代合理主義の大欠陥は、心が同一性主義的合理性に収斂して、精神性がまったく欠損することである。つまり、悪魔的知性、悪魔的自我となることである。
 しかしながら、心は、脱同一性主義志向性をもち、精神性の形成・創造へと向かう「本能」があるのである。だから、当然、近代合理主義的心は、反動化して、狂気化するのである。これは、父権的狂気と言ってもいい(麻生首相を見ればわかるだろう)。
 では、この精神性の形成とはどういうことなのだろうか。本来、Media Point において、差異共振性があり、それが、原初的な、「本能」的な倫理・道徳を形成するのである。それは、無意識の倫理・道徳と言ってもいい。プレ・モダン的倫理・道徳、まぁ、人情のようなものである。
 しかし、これが、近代化によって解体・破壊されて、近代人は悪魔・悪霊化するのである。これは、自然の摂理のなにか途方もない、超壮大な畏怖すべきスーパー・プロジェクト(グランド・プロジェクト、マスター・プラン、「インテリジェント・デザイン」)の一部である。思うに、自然の摂理は、人間が物質的世界を克服するように意図していると思えるのである。もし、同一性主義に帰結しなければ、物質的科学・技術は生まれなかったのである。近代科学・技術がなければ、未だに、水を井戸や川から汲んだり、洗濯板で洗濯をしていただろう。貯水池やダムもなく、雨乞いをしていただろう。
 これは、宗教的に言えば、ヤハウェの貢献である。ヤハウェ神がいなければ、物質主義は生まれなかったからである。
 しかし、自然の摂理はそれを乗り越えることを意図しているのである。それが、トランス・モダンである。物質主義的鏡像を乗り越えて、人間が進化することを意図しているのである。
 では、その力学はどうなるのか。同一性主義を乗り越えて、つまり、トランス同一性主義となり、いわば、ラセン的に反転するのである。高次の差異共振性(精神性)に回帰するのである。高次のMedia Pointにらせん的に回帰するのである。換言すると、知性的な精神性に回帰するのである。
 つまり、ガウス平面で言えば、最初の1/4回転(90度回転)が虚軸から実軸へのものであり、同一性主義+1(、同時に、裏では、-1)を形成したのであるが、トランス同一性主義(トランス・モダン)は、更なる、つまり、第二の1/4回転であり、実軸から虚軸へと進展的に回帰するということではないのか。(プラスとマイナスの交替が起るが、それは今はおいておく。)
 では、この1/4回転の力学の原動力は何かということが問題になる。今の思いつきで言えば、イデア、即ち、太極イデアとは、基本的に回転しているのである。そう、スピンである。問題は、連続的に回転しているのか、それとも、不連続的なのか、である。今の直感で言えば、連続的且つ不連続的ではないだろうか。回転が連続的に進行するが、1/4回転で不連続化が生起するということではないだろうか。それが、歴史的には、進化である。
 それを作業仮説とすれば、トランス・モダンとは、そのような不連続点であり、だから、更なる、つまり、第二の1/4回転(第二次1/4回転)と呼べることになる。(ポスト・モダンは、その直前の混淆期である。)
 今日、リーマン・ショックで、第二次1/4回転の世界史的進化的事件が起きたと言えよう。覆水盆に返らずであり、もはや、同一性主義金融資本主義は成立たないのである。差異共振主義的資本主義へと変換する「運命」=摂理なのである。
 今はここで留める。


アンドラーシュ・シフのバッハの名演奏の超廉価版:ポスト・カラヤンとトランス・モダン音楽
新宿のタワーレコードで、アンドラーシュ・シフの演奏でバッハの曲が12枚組で3590円(!)であった。なんと、CD一枚約300円である。
 演奏は見事であり(追記:これまで聴いたバッハ音楽のピアノ演奏の最高のものである。)、録音状態も申し分ない。これはいったいどういうことなのか。自然な演奏で、カリスマとなっているグレン・グールドよりはるかにいい演奏だと思う(追記:グレン・グールドの演奏は天才というよりは、鬼才的である。確かに音楽宇宙へと没入しているが、その透明な乾き切った音は、ジネンを失っていると思う。音の知に傾斜しているのである。音の叙情性が乏しいのである。言い換えると、曲という差異に対して、グールドは、差異共鳴する視点をとるのではなく、差異を自己の同一性の視点から加工して、人工美の世界に自己没入しているのである。だから、きわめて、鏡像的である。自己陶酔的なのである。確かに、近代知識人には、適合しよう。)。
 これはどういうことなのか。クラシック音楽も崩壊状態なのだろう。そう、カラヤン・バブルも崩壊したと言えよう。それで、いい演奏も巻き込まれているのだろう。気の毒であるが。
 最近、新書で、カラヤンがクラシック音楽を破壊したというようなタイトルのもの(追記:『カラヤンがクラシックを殺した』が正しい。)が出ているが、以前の私なら大賛成であった。
 しかし、カラヤンとは、いわば、形式主義の権化であり、その点で、構造主義的なのである。内容自体はひどいものであるが、クラシック音楽を形式に還元したというその行為は、切断として評価できるのである。
 だから、ポスト・カラヤンが必然なのである。

追記1:音楽評論家がこれまで実に無責任であったかは、この演奏を聴いてわかる(追記:クラシック音楽利権でインチキ評論をしてきたということだろう。)。これは珠玉のバッハ演奏である。それが、CD一枚、300円に満たないというのは、「狂気の沙汰」である。
 とまれ、今や、本物の時代が来たのである。このシフの演奏は長く聴けるものであると判断できる。

追記2:カラヤンの構造主義は、ベルリン・フィルのそれと関係しているだろう。両者で、クラシック音楽を切断したのである。ただただ、形式美を両者は目指したのであり、音楽の内容(差異、質)を破壊したのである。

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アンドラーシュ・シフ
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アンドラーシュ・シフ(Andras Schiff, Schiff András, 1953年 12月21日 - )はハンガリー 出身のピアニスト 。磨かれたタッチと、知性的でありながら愉悦感あふれる表現で、バッハ 、モーツァルト 、シューベルト などドイツ のバロック音楽 及び古典派音楽 を中心とするレパートリーで傑出したピアニストの一人。優れた室内楽 奏者としても知られる。
略歴

* ブダペスト 生まれ。5歳からピアノを始め、フランツ・リスト音楽院 でパール・カドシャ、ジェルジ・クルターク 、フェレンツ・ラードシュらに学ぶ。さらに、ロンドン でジョージ・マルコムに師事。
* 1974年、第5回チャイコフスキー国際コンクール のピアノ部門で第4位入賞。
* 1975年、リーズ国際コンクール で第3位入賞。
* 1977年、初来日。
* 1988年、ザルツブルク音楽祭 でロベルト・シューマン を集中的に取り上げる。
* 1989年から1998年にわたって室内楽フェスティバル「ムジークターゲ・モントゼー」の芸術監督。
* 1991年、バルトーク賞受賞。
* 1996年、ハンガリー最高の栄誉であるコシュート(Kossuth)賞受賞。
* 1997年、コペンハーゲンでレオニー・ゾンニング音楽賞受賞。

[編集 ] 主な活動

1970年代に各コンクールでの活躍が始まると、ほぼ同年代のゾルターン・コチシュ 、デジュー・ラーンキ と並んでハンガリーの「若手三羽ガラス」として売り出された。当時の社会主義国家ハンガリーはコンクール出場を若手ピアニストに強制しており、「このコンクール歴は必ずしも自分の本意ではありません」と当時を回想している。

最年少のシフは、当初は3人のうちでも目立たない存在だったが、1980年代にイギリスのデッカ・レーベルと契約後、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集の録音で俄に注目を集め、続いて一連のバッハ作品の録音によって、「グールド 以来のバッハ解釈者」との名声を得、確固たるものとした。その後、1990年前後にはシューベルトのピアノソナタの演奏・録音、バルトーク のピアノ協奏曲全曲、1999年から2005年にかけて、ザルツブルク・モーツァルテウム創立記念モーツァルト週間に、シフ自身が編成したオーケストラとモーツァルト のピアノ協奏曲を全曲演奏するなど、スタンダードナンバー演奏で高い評価を受けた。

近年はハインツ・ホリガー と共演でシャンドール・ヴェレシュ 作品を紹介したり、ミクローシュ・ペレーニ との共演など、祖国ハンガリーにちなむ活動も盛んである。

教育活動にも力を注ぎつつあり、現在はドイツのデトモルト 音楽大学教授、ミュンヘン音楽大学 の客員教授という要職ポストに就いている。 またザルツブルク ・モーツァルテウム 音大をはじめ、各地でマスタークラスを開き、好評を得ている。

[編集 ] 録音

* 器楽作品は、DECCA(LONDON)レーベルにバッハ、モーツァルト、シューベルトなどの一連の録音がある。
* 協奏曲では、Deccaレーベルに同郷のシャーンドル・ヴェーグ 指揮ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ と残したモーツァルトのピアノ協奏曲全集が代表的。Teldecレーベル移籍後は、バルトークのピアノ協奏曲(イヴァン・フィッシャー 指揮ブダペスト祝祭管弦楽団 )、ベートーヴェンのピアノ協奏曲録音(ベルナルト・ハイティンク 指揮シュターツカペレ・ドレスデン )がある。
* 室内楽では、塩川悠子 (シフ夫人)とのバルトークのヴァイオリン・ソナタ第1番、ヤナーチェク のヴァイオリン・ソナタ(DECCA)、また、チェロ のペレーニを加えた三重奏でシューベルトの2曲のピアノ三重奏曲(Teldec)、幻想曲 ハ長調(ECM)を録音している。
* 2008年にベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を完成させ大きな反響を呼んだ。

[編集 ] 外部リンク

* 招聘会社によるプロフィール

カテゴリ : ハンガリーのクラシック音楽のピアニスト | イギリスのクラシック音楽のピアニスト | 1953年生


2009年01月24日(Sat)▲ページの先頭へ
検討問題:差異共振自己の鏡面・鏡像としての同一性形式(言語構造形式)
先に、同一性主義について再検討したが、鏡像・鏡面について検討すべきと思えたので検討したい。
 簡単に一言いうと、差異共振エネルギーが、いわば、彼岸としての同一性として、自身を投影するとき、差異と同一性の二重性が生まれる。これは相克的であると考える。そこで、差異自身(自体)を投影される同一性(鏡像)に重ねることが、同一性主義の発生ではないだろうか。差異は自己否定して、同一性に変換するのである。つまり、同一性像に差異自体を重ねることが同一性主義自己(自我)の始まりではないだろうか。
 結局、差異と同一性の相克の力学があり、それを同一性中心に処理することが同一性主義の発生であるのではないだろうか。
 言い換えると、差異と同一性の不連続な相克力学が発生するが、その矛盾解決のために、いわば、安易に、同一性へと傾斜して、重なることが同一性主義の発生ではないのかということである。不連続な相克とは、心の不安であり、その不安の解決として、同一性へと自己を縮約することが同一性主義の発生ではないだろうか。
 だから、同一性主義とは、不安・苦悩・苦痛をもっているのである。それは、デカルト哲学に見出させよう。また、ハイデガー似非現象学にも見出せよう。
 ちなみに、ハイデガー似非現象学について補足すると、差異と同一性の相克を存在と言い換えていると思える。しかしながら、差異自体の直感が劣弱で、相克の感情様態と同一性との関係を自身の似非現象学の対象に限定していると考えられる。つまり、相克の分析ではなく、相克の感情様態に留まっているので、存在ではあっても、差異にまで分析が届かなかったと考えられる。今はここで留める。

追記1:同一性主義=自我が+1であるならば、-1は、影ではないだろうか。前者がジキルで、後者はハイドではないだろうか。光と影である。
 +iと-iは双子だと思う。それが、同一性主義化すると、光と影に分離する、いわば、二重人格になると思う。だから、近代的自我は、自己自身の影(悪人)を認識していないのであり、だからこそ、自己の影を他者に投影して、他者を悪人(たとえば、テロリスト)に染め上げるのであると考えられる。
 後でもう少し考察を続けたい。

追記2:-1が影(シャドー)であることは、簡単に+1の否定であることで説明できるのではないだろうか。あるいは、差異共振性の否定として、-〔(+i)*(-i)〕→-1が生じて、その結果として、-1が生じるということでいいのではないだろうか。


同一性志向性について:帰結としての同一性なのか、同一性主義なのか:反動化する同一性主義
今日は、遅いので、十分検討しない(P.S. 結局、一応検討したことになった)が、昼間、通勤中少し考えた事柄ではある。もっとも、以前に執拗に検討した問題ではある。とまれ、再考したいと考えている。
 結局、Media Pointからのエネルギーの放出は、純粋同一性なのか、それとも、同一性主義なのかということである。これまでは、前者の考え方をとってきた。しかしながら、そうすると、同一性主義の発生について、強いエネルギーと弱いエネルギーの存在を考えることになるのである。
 それ以前には、後者の考え方をして、同一性志向性は、差異を否定・排除・隠蔽するとしてきたのである。不連続的差異論のときがそうである。
 端的にどちらなのか。経験から言うと、幼少期においては、前者であると思う。そして、成人期にかけては、後者になるのではないだろうか。
 だから、問題の核心は、差異を否定する同一性主義志向性の発生のメカニズムである。四年前の検討の繰り返しような感もあるが、直感で考察しよう。
 差異共振性としての同一性が発生すると考えられる。そのときは、即非関係が成り立つ。同一性と差異が「共和」しているのである。これは、原初の関係である。ここでは、言語は、まだ、差異共振性を帯びている。つまり、詩的言語である。例えば、私は鳥であり、且つ、私は鳥ではない。
 しかし、後期において、「私は鳥」の側面が消失して、「私は鳥ではない」が中心化する。いわば、散文化である。
 この散文化が同一性主義であると考えられる。それは一体何か。それは、差異エネルギーが弱まり、身体化=物質化が強化されるときに発生するのではないだろうか。つまり、⇒+1において、⇒のエネルギーが弱化消滅して、+1が強化されるときということになるだろう。
 そう考えると、強いエネルギーと弱いエネルギーの区別はそれほど重要ではなくなる。発生的に、⇒のエネルギーが弱化消滅して、+1が強化される事態が発生する。それが、散文化=同一性主義化と考えられる。合理主義化と言ってもいいだろう。
 そして、私見、推測では、その後、新たな⇒のエネルギーが発生するのである。そして、同一性と差異とのバランスを取る必要が発生するのである。これは人により時間的相違があるだろう。
 しかし、新たな⇒のエネルギーを同一性主義は否定・排除・隠蔽すると考えられる。これが、これまで問題視してきた同一性主義と考えられる。(追記:ポスト・モダン等の後期近代とは、新たな差異エネルギーの出現に対して、同一性主義が反動化する時代だったと言えよう。)
 近代とは、正に、そのような時代と考えられる。それは、+1が強化される時代であり、⇒を否定する時代であったのである。(追記:ここは不正確な言い方である。初期近代、私が呼ぶプロト・モダンにおいては、原初的な差異共振性が活きているが、近代主義が進展するにつれて、差異共振性が衰滅して、近代合理主義の同一性主義が発生して、差異共振性に抑圧的になるのであり、その後の新しい差異エネルギーの創出に対して反動的になるというのが真相と考えられる。)
 もっとも、その原因を考える必要がある。それは、単純に、エネルギーの終点として、近代があったと見れば、論理的には問題はないので、そうみておこう。だから、やはり、エネルギーの強弱は関係はなくなるのである。
 だから、新たな差異エネルギーが放出されるときになり、同一性志向性の帰結は反動的になり、同一性主義になったと考えられる。同一性志向性のエンテレケイアとしての同一性があり、それは固定したものであるが、それに対して、新たな差異エネルギーはそれを否定するものであり、同一性はそれを「理解」できないので、否定・抑圧・排除・隠蔽するという事態になると考えられる(追記:ここの言い方も不十分であり、直近の追記を見ていただきたい。)。
 ポスト・モダンとは、新たな差異エネルギーの放出の時代における視点であるが、まだ、同一性が強くて、不十分なものであったし、経済的には、反動的に、ネオコン、新自由主義、市場原理主義と生んだと言える。日本では、小泉/竹中路線である。
 そして、リーマン・ショックによって、ハイパーとなった同一性主義が崩壊したのであり、やっと、純粋差異エネルギーが発現する時代となったのである。その政治的象徴が、オバマ大統領と言えよう。
 以上で、本件の説明を終えたとする。


同一性志向性について:帰結としての同一性なのか、同一性主義なのか
今日は、遅いので、十分検討しない(P.S. 結局、一応検討したことになった)が、昼間、通勤中少し考えた事柄ではある。もっとも、以前に執拗に検討した問題ではある。とまれ、再考したいと考えている。
 結局、Media Pointからのエネルギーの放出は、純粋同一性なのか、それとも、同一性主義なのかということである。これまでは、前者の考え方をとってきた。しかしながら、そうすると、同一性主義の発生について、強いエネルギーと弱いエネルギーの存在を考えることになるのである。
 それ以前には、後者の考え方をして、同一性志向性は、差異を否定・排除・隠蔽するとしてきたのである。不連続的差異論のときがそうである。
 端的にどちらなのか。経験から言うと、幼少期においては、前者であると思う。そして、成人期にかけては、後者になるのではないだろうか。
 だから、問題の核心は、差異を否定する同一性主義志向性の発生のメカニズムである。四年前の繰り返しような感もあるが、直感で考察しよう。
 差異共振性としての同一性が発生すると考えられる。そのときは、即非関係が成り立つ。同一性と差異が「共和」しているのである。これは、原初の関係である。ここでは、言語は、まだ、差異共振性を帯びている。つまり、詩的言語である。例えば、私は鳥であり、且つ、私は鳥ではない。
 しかし、後期において、「私は鳥」の側面が消失して、「私は鳥ではない」が中心化する。いわば、散文化である。
 この散文化が同一性主義であると考えられる。それは一体何か。それは、差異エネルギーが弱まり、身体化=物質化が強化されるときに発生するのではないだろうか。つまり、⇒+1において、⇒のエネルギーが弱化して、+1が強化されるときということになるだろう。
 そう考えると、強いエネルギーと弱いエネルギーの区別はそれほど重要ではなくなる。発生的に、⇒のエネルギーが弱化して、+1が強化される事態が発生する。それが、散文化=同一性主義化と考えられる。合理主義化と言ってもいいだろう。
 そして、私見、推測では、その後、新たな⇒のエネルギーが発生するのである。そして、同一性と差異とのバランスを取る必要が発生するのである。これは人により時間的相違があるだろう。
 しかし、新たな⇒のエネルギーを同一性主義は否定・排除・隠蔽すると考えられる。これが、本来の同一性主義と考えられよう。
 近代とは、正に、そのような時代と考えられる。それは、+1が強化される時代であり、⇒を否定する時代であったのである。
 もっとも、その原因を考える必要がある。それは、単純に、エネルギーの終点として、近代があったと見れば、論理的には問題はないので、そうみておこう。だから、やはり、エネルギーの強弱は関係はなくなるのである。
 だから、新たな差異エネルギーが放出されるときになり、同一性志向性の帰結は反動的になり、同一性主義になったと考えられる。同一性志向性のエンテレケイアとしての同一性があり、それは固定したものであるが、それに対して、新たな差異エネルギーはそれを否定するものであり、同一性はそれを「理解」できないので、否定・抑圧・排除・隠蔽するという事態になると考えられる。
 ポスト・モダンとは、新たな差異エネルギーの放出の時代における視点であるが、まだ、同一性が強くて、不十分なものであったし、経済的には、反動的に、ネオコン、新自由主義、市場原理主義と生んだと言える。日本では、小泉/竹中路線である。
 そして、リーマン・ショックによって、ハイパーとなった同一性主義が崩壊したのであり、やっと、純粋差異エネルギーが発現する時代となったのである。その政治的象徴が、オバマ大統領と言えよう。
 以上で、本件の説明を終えたとする。


2009年01月23日(Fri)▲ページの先頭へ
ポスト・「ロスチャイルド」路線:ロックフェラー路線と「ロックフェラー」路線(差異共振主義)
オバマ大統領の政策理念はやはり、ポスト・「ロスチャイルド」(P.S. カギ括弧に括るべきか否か、微妙なところであるが、慎重さを保てば、カギ括弧が必要である。)路線、即ち、ポスト同一性主義金融資本主義であり、「ロックフェラー」路線、即ち、差異共振主義路線(自由・共同体主義)だと思う。
 問題は、ロックフェラー路線と「ロックフェラー」路線の相違である。思うに、前者には、同一性主義金融資本主義の残滓があるが、後者は残滓を排除する自由・共同体主義だと推察する。
 思うに、問題は、崩壊した同一性主義金融資本主義の形態を、ロックフェラー路線で保持しつつ、実質的には、「ロックフェラー」路線=差異共振主義を実践するという事態になっているのではないだろうか。
 オバマ大統領はロックフェラーを維持しつつ、それを乗り越える「ロックフェラー」路線を選択するという「絶対矛盾的自己同一」の政策をとるということではないのか。言い換えると、オバマ大統領はロックフェラー財閥に面従腹背の政策を取っているということではないのか。もっとも、そうとも言い切れない。
 先にも述べたが、環境路線等は、石油依存の「ロスチャイルド」路線を断ち切るための方便、戦術のように思えるのである。
 とまれ、要検討である。

追記:より精緻に考察する必要があるが、思うに、「ロックフェラー」路線はいわば、二重であり、同一性金融資本(同一性主義金融資本ではないのに要注意。もっとも、同一性金融資本という言い方は、少し問題がある。これの意味するのは、量としての金融資本であり、投資には、本来、質が入るのである。ここで言いたいのは、だから、同一性金融資本を差異=質化して、差異共振金融資本にするということになる。)を保持しつつ、差異共振化をすすめるということではないのか。そうならば、端的に、差異共振主義的資本主義、トランス・モダン資本主義路線であるということとなる。

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 ★ 2009年01月23日金曜日 7時半更新

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■ ロスチャイルド帝国、総帥の死

 阪神大震災記念日、イギリス・ロスチャイルド帝国の総帥が死んだ。 彼こそモサドによって実行されたといわれる911テロの黒幕と目されており、デイビット・ロックフェラーとともに世界イルミナティの頂点に君臨し続けた人物であった。今後、ロスチャイルド帝国は誰に受け継がれるのか注目したいところだ。デイビットも余命僅かであり、戦後世界に君臨し、地球上のあらゆる戦争・政治の演出者・黒幕であり続けた彼らの時代が終わろうとしている。
 なお、第二次大戦におけるナチズムによるユダヤ人350万人大虐殺を仕掛けたのは、この人物と言われている。世界に散らばったユダヤ教徒の大義は、「2000年前に失われたユダ・イスラエル王国の復活」であり、「シオンの地をユダヤ教徒に奪い返す」(シオニズム)というものであった。この目的のために、欧州に安定した資産と地位を築き上げて安住し、祖国を忘れていたユダヤ人たちを無理矢理シオンに引き戻すために、ナチスを使って大虐殺を起こさせたのだ。この陰謀は見事に成就し、新生イスラエル国家が生まれた。
 だがエドマンドが死んだ今年、そのイスラエルもあまりの無謀・傲慢・殺戮によってイスラム諸国はじめ世界中の恨みをかうことで滅ぼされようとしている。

 【(宇宙の法則研究会提供: 誰が書いているか、よく分からないサイトから引用:  陰謀論者の最後の大ネタ エドマンド・ロスチャイルド氏 死去
今回の時事正論は陰謀論者の間で必ず名前が挙がるエドマンド・ロスチャイルド氏が1月17日に死去という件について。このニュース、意外とひっそりとしていたので筆者の私も見逃すところでしたが享年93歳、死因は不明という事なのですが、彼の死は何だかんだ言っても相当の影響があるとされる。ココで彼をご存じない方にざっくりとご紹介すると、陰謀論者風に纏めるなら「ユダヤ金融資本主義を掌握する人物」という肩書きがしっくり来るだろう。表向きは英国の金融王、しかしその影の部分といえば戦争でお金儲けをするという最悪な金融システムを構築したとされる人物だ。
 そして何より有名なのがFRB(連邦準備銀行)株主というところか。陰謀論大好きな方なら誰でも知っている話だが、このFRBに対して多大な影響を与えていたのが石油王ロックフェラー、金融王ロスチャイルド、JPモルガンという布陣、またゴールドマンサックス、シティバンクの2行だけでも株式の53%を保有している。実はアメリカという国は実質、この財閥の力でアメリカ政府自身が基軸通貨であるドル紙幣の発行が出来ず、金利を銀行に搾取されまくりの被害国である事を知って欲しい。(日本に例えたら日本政府の判断で日本銀行に円の発行が出来ないという事で金利も民間銀行にむしり取られる状態)そしてブッシュ政権下で起きた9.11テロ事件もロスチャイルドが黒幕という噂も後を絶たない。
 またサブプライムローン崩壊〜リーマンショック前のことを少し思い出して欲しい。ココ日本でも原油が暴騰していたのは記憶に新しいのだが、世界のどこかで戦争が勃発すると必然的に原油が暴騰するのは誰でも分かるだろう。そして儲かるのはアラブの石油王だけではない。この先物相場を操作していた黒幕はゴールドマンサックスとリーマン・ブラザーズなのだが、このゴールドマンサックス、リーマンブラザーズはロスチャイルドの息がかかった元・投資銀行である事を忘れてはならない。何故投資銀行がそこまで石油にこだわったのかと言えば、ロスチャイルド家は銀行のほかに石油会社、軍需産業を所有している。戦争相手国にお金を貸し、また敵対国には武器を売る、そして暴騰した原油を捌き多額の利益を生むというシステムが理解できれば、彼のビジネスが最悪だと誰もが思うだろう。酷い陰謀論だと思うだろうが、実際の仕組みはこんなものだ。
 このエドマンド・ロスチャイルドの死去が影響しているのか定かではないが、この原稿を執筆している1月22日は1ポンド=119円台と歴代最安値を更新した。サブプライムローン崩壊〜リーマンショックはアメリカが震源地のハズだが、金融業が国策と自負し、金融危機に対しての対応が一番早かったイギリスが実は瀕死の重症であったというのが露呈してしまった。これは一時的なものと解釈する人も多いだろうが、実際のところ現在のイギリスは現地の方から伺うと、やはり相当深刻なようだ。このイギリス経済が暴落すると真っ先に被害を受けるのはスペイン。既に不動産バブルは崩壊しガタガタ、おまけにイギリスマネーが大量に注入されているディスコアイランド イビザ諸島も一頃の活況は今後数年は見られないと思った方が良さそうだ。
 少し気になるのは伝説の投資家・ジムロジャース氏が発言した「言いたくないが、イギリスは終わった。イギリスにはもう投資しない。持っているポンドはすべて売却した」という件、何だか筆者の私は少々捻くれているせいか、この発言を真正面から受け止める気にならないのは何故だろう・・・。どうしても「一時的にポンドを空売りしまくって利益を出しました。ぶっちゃけ、もう少しポンド空売り利益を出したいのでおバカちゃん投資家に対してポンド失望売りを誘発する発言をしておいて、後々全力でポンド買います。」としか見えないのだが・・以前、このジムロジャースって韓国にも同様の発言しているんですよね。ちょっと信用できません(笑)】

■ アメリカ金融機関の損失総額は350兆円に、だが最終的には、この十倍と目されている。世界実体経済の半分が消えるのだ。

 【月20日(ブルームバーグ):米ニューヨーク大学スターン経営大学院のヌリエル・ルービニ教授は20日、ドバイで開かれた会議で、信用危機に伴う米金融機関の損失が3兆6000億ドル(約326兆円)に達する可能性があるとの見方を明らかにした。  ルービニ教授はまた、「米国の金融システムは1兆4000億ドルの資本を元手としており、もしそれが真実なら事実上の支払い不能に陥る。これはシステミックな金融危機だ」と指摘した。同教授は昨年の急速な景気悪化と株価暴落を言い当てた。】
http://www1.odn.ne.jp
/~cam22440/yoti01.htm
東海アマチュア無線  地震予知研究会

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参考:

夜 明 け に 向 け て
 世界の人民及び無能な各国の政府は地球を支配している国は、国力のあるアメリカ帝国と思っているが、本当に全地球世界を支配しているのは永い蓄積の下にアシュケナ人ユダヤが イギリスの王立国際問題研究所・イギリスの勢力圏内に秘密結社として多数の円卓会議を結成して謀略活動に当たらせた。欧米各地の円卓会議のネットワークは、ロックフェラー、ロスチャイルド、モルガン商会、カーネギーなど当時の財閥を結びつける役割も果たした。
http://www.heiseituusinn.com/

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オバマ氏「敵対国とも対話」 米、外交交渉重視へ転換

2009年1月23日 11時41分

 22日、米ワシントンの国務省で演説するオバマ大統領(ロイター=共同)
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 【ワシントン22日共同】オバマ米大統領は22日、就任後初めて国務省を訪問し、「米国の指導力回復には外交が重要だ。もはや漂流も遅れも許容できない」と演説。ギブズ大統領報道官も記者会見で「米国の安全を確保するためなら、友好国とも敵対国とも対話していく」と述べ、軍事力に偏重した「単独行動主義」と国際社会から批判が強かったブッシュ前政権の安全保障政策と決別、外交交渉に軸足を置いた協調路線を推し進める新政権の姿勢を鮮明にした。

 オバマ大統領が省庁に足を運んだのはこの日が初めて。前日にはゲーツ国防長官やマレン統合参謀本部議長ら軍幹部とホワイトハウスで協議したが、国防総省よりも先に国務省を訪問したことも政策転換のメッセージと受け取られている。

 22日初登庁したヒラリー・クリントン国務長官も職員を前に「強力な外交と効果的な開発援助こそが米国の将来を守る最善の手段だ。米国に新しい時代が到来した」と述べ、米外交のけん引役となる覚悟を示した。

 クリントン長官はまた、大統領が中東和平担当特使にジョージ・ミッチェル元民主党上院院内総務(75)を、アフガニスタン・パキスタン担当特使にはリチャード・ホルブルック元国連大使(67)を任命したことを発表した。

 両氏はそれぞれ北アイルランド、ボスニア・ヘルツェゴビナの和平交渉取りまとめに当たった米外交界の「大物」。
http://www.tokyo-np.co.jp
/s/article/2009012301000092.html


オバマ米大統領、中国を為替操作国と判断−ガイトナー次期財務長官(2)


  1月22日(ブルームバーグ):ガイトナー米次期財務長官は上院財政委員会からの質問に書簡で回答し、中国が人民元相場を操作しているとオバマ新政権が判断していることを明らかにした。同委員会はウェブサイト上で書簡を公開した。

  ガイトナー氏が表明した認識は、オバマ政権の対中政策がこれまでより強硬になる可能性を示唆している。ポールソン前財務長官は中国との貿易問題を解決する上で、対決姿勢よりも外交に重点を置き、半年ごとの外国為替報告書では中国を不公正な為替操作国に認定するのを避けた。米国を除く国別の米国債保有額で中国は首位。

  ガイトナー氏は「オバマ大統領は中国が人民元を操作していると判断している。この見方は幅広いエコノミストからも支持されている」と記述。「新しい経済チームは現在の経済環境の中で通貨の再調整を最もうまく達成するため、包括的な戦略を立案する」と記している。

  同氏はまた、短期的には米国の景気刺激策と歩調を合わせ、中国は一段と積極的な景気浮揚策を打ち出すべきだと主張した。

        「重大な政策転換」か

  ピーターソン国際経済研究所の中国問題専門エコノミスト、ニコラス・ラーディ氏は中国を為替操作国に認定するのは「重大な政策転換だ」と指摘。「ブッシュ政権とはまったく逆の政策のようだ」と語った。ただ、「最も効果的と考える時期に話を持ち出すつもりだとも解釈でき、逃げ道を残した感もある」と述べ、必ずしも早急な問題に発展するとは限らないとの見方を示した。

  ガイトナー氏は、米国の通貨政策に関して、「強いドルは米国の国益にかなう。米経済の長期的な強さに対する信頼と米金融システムの安定を維持することは、米国のみならず貿易・投資相手国にとって良いことだ」と指摘。「就任が承認されれば、財務長官として、これらの目標の達成に向けて行動する」と記している。

  同氏は金融支援措置について、「現時点では追加資金を求める計画はない」と表明した。米銀を国有化する必要性については否定的な見解を示した。

上院財政委員会は22日、ガイトナー氏を財務長官に充てる人事を18対5の賛成多数で承認。同氏は上院本会議での採決を経て、正式に財務長官に就任する。

翻訳記事に関する翻訳者への問い合わせ先:ニューヨーク 千葉 茂 Shigeru Chiba schiba4@bloomberg.net Editor:Akiko Nishimae,Tsuneo Yamahiro 記事に関する記者への問い合わせ先: Rebecca Christie in Washington at Rchristie4@bloomberg.net ;
更新日時 : 2009/01/23 08:22 JST

http://www.bloomberg.co.jp
/apps/news?pid=90003017&
sid=agf1J.oU0lwE&refer=jp_japan



日米同盟「アジア政策の礎石」=対北、安全保障で協力強化−外相電話会談

 中曽根弘文外相は23日午前、クリントン米国務長官と電話で約15分会談した。同長官は、日米同盟関係について「米国のアジア政策で礎石であり、国際社会が直面する諸課題に共に対処していきたい」と述べ、オバマ政権として重視していく姿勢を伝えた。
 また、両氏は、北朝鮮への対処をはじめアジア太平洋地域の平和と繁栄に向け日米が協力していくことで一致。同長官は拉致問題に触れ「重要性を理解している。被害者家族や日本国民に同情、強い思いを持っている」と強調し、外相は「拉致問題は最重要課題であり、核とともに解決へ協力していきたい」と伝えた。
 さらに、同長官は、日米合意に基づき、在日米軍再編を着実に実施する必要性を指摘。その上で、両氏は、これらを通じ、安保体制を一層強化することを確認した。このほか、悪化する世界経済への対処やアフガニスタンの安定化、核不拡散などの問題でも一層緊密に連携していくことで合意した。 
 初の電話会談は、同長官が就任のあいさつのため、米側の申し入れで行われた。麻生太郎首相とオバマ大統領との初の首脳会談の日程については、話題にならなかったとされる。(了)
(2009/01/23-11:38)

http://www.jiji.com/jc/
c?g=pol&rel=j7&k=2009012300273


中東とアフガン・パキスタン問題に特使 オバマ大統領(1/2ページ)


写真米ワシントンの国務省で22日、ミッチェル中東和平担当特使(右)の話を聞くオバマ大統領(中央)。左はアフガニスタン・パキスタン担当特別代表のホルブルック氏=ロイター

 【ワシントン=鵜飼啓】オバマ米大統領は22日、中東問題とアフガニスタン・パキスタン問題でそれぞれ特使を任命した。オバマ氏は同日、就任後初めて訪れた国務省で任命発表に立ち会い、両問題を最重点課題として外交に取り組む姿勢を示した。

 特使の起用は、この日初登庁したクリントン国務長官が発表した。中東和平担当特使にジョージ・ミッチェル元上院議員、アフガニスタン・パキスタン担当特別代表にリチャード・ホルブルック元国連大使を充てた。ミッチェル氏は北アイルランド、ホルブルック氏はボスニアの和平を手がけ、ともに調停手腕に定評がある外交の重鎮だ。

 オバマ氏は国務省での講話で、イスラエル軍のガザ撤退をめぐり「持続的停戦の輪郭は明確だ。ハマスはロケット攻撃を停止しなければならない。イスラエルは撤退を完了させる」と述べ、双方に自制を求めた。ブッシュ政権下でイスラエルと合意したガザへの武器密輸を阻止する体制作りを支持する考えも示した。

http://www.asahi.com/international
/update/0123/TKY200901230037.html


2009年01月22日(Thu)▲ページの先頭へ
トランス・モダンとは文明転換・変換を意味する:文明パラダイムのチェンジ
今は余裕がないので、簡単に触れるだけだが、現代の「カオス」(カオスの原義は、空隙[くうげき]である)は、西洋文明の終焉と次の新文明への移行期に伴うものであると、巨視的に私は見ている。
 この視点がないと、今日の「カオス」は理解できないと考えている。そう、今日、「浮世離れ」した視点が必要なのである。
 ブッシュ/チェイニーのネオコン路線が崩壊した今、当然、小泉/竹中路線も崩壊するのは、必定であり、アホウ政権も風前の灯火である。
 問題はヴィジョンである。近代主義の終焉という事実を受け入れて、トランス・モダンへとパラダイム・チェンジする覚悟が必要なのである。
 ここで、戦後、日本人が忌避した宗教や神話が回帰するのである。そう、精神エネルギーが回帰するのである。
 唯物論に染まった人間には未来はないのである。これははきと認識する必要がある。人類大ルネサンスの時代なのである。そう、ポスト父権文明/新母権文明の時代なのである。

参照:
01/20/2009
オバマ大統領と中国やイギリスとの秘密会議で、世界の未来は決まる予定だ

オバマ大統領は1月末か2月の初め頃、イギリス、中国の代理と共に秘密会議を行うことを予定している。アメリカが倒産していることより、おそらくオバマ大統領は彼らのいう事を聞かざるを得ないだろう。そしてアメリカは幾つかの約束をしなくてはならないだろう。

先ずCIAの闇の部分の世界的麻薬組織であるSkull and Bonesの廃止。そしてアルカイダやタリバン、メキシコの麻薬団体などのテロ組織をなくす。アメリカがテロ支援を止めれば、アメリカ軍によるアフガンなどの「テロ退治戦争」が終わる。次にアメリカが持っている科学技術などを総動員し、世界の砂漠を緑にし海に栄養をばら撒き、魚の量を10倍にしたり、貧困や環境破壊をなくすキャンペーンに参加をする。更に世界の平和的な国際枠組みにアメリカやイスラエルが参加をする。特に大事なのはアメリカが国際裁判所の権限を認めることだ。

この様な要請にアメリカが従うと、多くのアメリカ人は発展途上国で働くようになる。アメリカが起こした災害への償いがようやく始まる。

The future of America and the world will be decided at a secret meeting between President Obama and secret representatives of China and the British Empire

President Obama is scheduled to have a secret meeting with a representative of the British Empire and a Chinese gentleman of mystery either in late January or early February. Since the United States is bankrupt, they will have no viable alternative but to listen to what these people have to say. They are probably going to make certain demands on the US such as: Requesting the abolition of the Skull and Bones international network of terror and drugs. This would mean an end to Al Qaeda, the Taleban, the Mexican narcotic gangs etc. Without terrorists to fight the “white hats” in the pentagon would no longer have to engage in destructive wars in places like Afghanistan. The US could then pledge to use its considerable scientific and technological expertise to participate in a world wide campaign to do things like turn the deserts green, fill the oceans with nutrients to increase fish stocks by 10 times and otherwise help end poverty.

The United States and Israel will also have to stop behaving like renegades and participate responsibly and peacefully in international organizations. It is especially crucial that they agree to the jurisdiction of the international criminal court.

If the US government agrees to conditions of this nature, many Americans will find rewarding work in developing countries. The American people can finally begin to compensate for all the damage they have caused world-wide.

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01/19/2009
オバマ政権は米政界の大掛かりな粛清を企んでいるか?

アメリカ当局の関係者によると、オバマ政権が始まったらブッシュ大統領とその犯罪仲間数百人が逮捕されるという。米軍にProvost Marshallという人物がいる。彼はまた軍事警察の最高幹部だ。この人物は軍事関係者の誰でも逮捕をすることができる権限を持っている。米軍の最高幹部である大統領も例外ではない。

もし本当に米国で政界の粛清が始まったら、かなりショッキングな事実が連日一般市民の前で公開されることになる。実現すればアメリカと世界がようやく長い長い悪夢から目を覚ます。

Is Obama planning a major purge and round up of the Neo-Cons?

A senior US government source tells me the Obama regime will initiate a major purge of Washington starting with the arrest of George Bush junior and hundreds of his lackeys. The Provost Marshall, who is the highest ranking military police officer has the right to arrest anybody in the military, including the commander in chief.

If this purge really takes place, the world will see shocking trials revealing stuff that will make Nuremberg seems like a tea party. If they really have the guts to arrest these people then America and the world will be waking from a very long and terrible nightmare.

Posted at 20:50 | Permalink | Comments (19) | TrackBack (0)


http://benjaminfulford.
typepad.com/benjaminfulford/
BenjaminFulford 


オバマ新政権をどうみるか:ロックフェラー/イスラエルの手先か、それとも、差異共振主義か?
オバマ新政権をどう見るかが、予見の試金石である。
 私は差異共振主義であると述べているが、以下や他のようなロックフェラーやイスラエルの手先であるという見方もできる。
 田中宇氏の多極化路線の考え方を参考にすると、やはり、オバマ新政権は差異共振主義を目指していると思う。ただし、具体的には危機一髪であり、綱渡りであると思う。そこで、危ういことを裏で行っている可能性はある。
 いわゆる、ロックフェラー路線では、差異共振主義であると私は考える。これは、米国の伝統的路線なのである。つまり、自由・共同体主義なのである。同一性主義金融資本主義(「ロスチャイルド」路線)に傾いた米国経済の建て直しを行っていると考えられるのである。
 米国がガザ進攻に反対しなかったのは、親イスラエルだからではないと思う。思うに、ポーズである。
 今はここで留めたい。

追記:オバマ氏の環境路線であるが、これも、本質的というよりは、興業のためという感じがする。
 結局、オバマ新政権の本質・本体は差異共振主義であるが、これまでのしがらみである同一性主義に対して、カモフラージュするために、それを装っていると思える。

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★ 2009年01月21日水曜日 9時更新

・・・・・

■ オバマは原子力産業から2000万円の献金を受け取った。まだ大統領選候補者に決定しない段階で

 【2007年08月05日 米国最大の原子力発電企業がバラク・オバマ候補に約16万ドル献金 ☆CNN・YouTubeディベート:バラク・オバマの欺瞞 (暗いニュースリンク)
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2007/08/cnnyoutube_762f.html  上院環境公共事業委員会のメンバーであるオバマは、原子力発電が“環境に優しい”ので、合衆国議会は原子力発電を現状のまま選択肢のひとつに維持しておくべきと主張した。この裏には、米国最大の原子力発電企業エクセロン(Exelon)が従業員を束ねてオバマに15万9,000ドル献金した事実が効果を発揮したとみられている。】

 結局のところ、筆者がネットで調査すればするほどに、オバマの正体はオバカであった。主戦場をアフガンに戻し、地球温暖化というビジネスに参入し、原子力発電を再び主役に持ち出し、新たな利権を構築する。彼はロックフェラーの手足として操り人形のように動き、マイノリティや下層労働者階級の味方になって鬱憤が解放されるかのような幻想を与えるために、ロックフェラーが指名して大統領にさせられたにすぎなかった。
 そしてロックフェラーは、国民がオバマに幻滅したそのとき、白人人種差別主義者の鬱憤を晴らすためにオバマを暗殺し、ヒラリーを大統領にするに違いないのだ。

 なお、筆者も地球温暖化について、炭酸ガス説が完全に間違っているとは言い切れないと思っていたが、調べるほどに、やはり太陽活動説に傾いている。
 温暖化は間違いなく、炭酸ガスの増加も間違いなく、両者は相似曲線を描いているから相関があるに決まっている。しかし、槌田氏が指摘し続けてきたように 、炭酸ガスの増加は温暖化の結果もたらされたもので、そのグラフは温暖化の後追いを示しているのだ。したがって、これはビジネスのための壮大な詐欺である可能性も見る必要がある、
http://www1.odn.ne.jp
/~cam22440/yoti01.htm
東海アマチュア無線  地震予知研究会

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★オバマのアメリカ


「CHANGE!!!」  

(アメリカ合衆国新大統領オバマ)



「I want to believe」

(FBI捜査官 フォックス・モルダー)



「Trust no−one Mr.Mulder」

(モルダーに情報を提供していた謎のエージェント)



全世界のRPE読者の皆さまこんにちは!

いつもありがとうございます

北野です。

いや〜、いよいよオバマさんの時代がはじまりました。

いったいどうなっていくのでしょうか?
http://archive.mag2.com/00000
12950/20090121192900000.html
ロシア政治経済ジャーナル


2009年01月21日(Wed)▲ページの先頭へ
アメリカの民主政治〈上〉 (講談社学術文庫) (文庫)
テーマ:自由共同体主義:自由主義*共同体主義

第一巻の第五章にアメリカの共同体的民主主義についての、きわめて瞠目すべき分析がある。私が民主主義は差異共振主義的共同体主義に包摂されるべきであると唱えているが、実際、アメリカの民主主義は、本来、差異共振主義的共同体主義であったのである。
 これまで、いったい、この名著の核心を誰が把捉していたのか。端的に言えば、この書はトランス・モダン社会の基礎を説いていると考えられる。天才的な洞察力である。



アメリカの民主政治〈上〉 (講談社学術文庫) (文庫)
A. トクヴィル (著), 井伊 玄太郎 (翻訳)



アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫) (文庫)
トクヴィル (著), 松本 礼二


世界金融危機と自由主義経済問題:利己主義的自由主義と差異共振的自由主義
テーマ:新共同体主義的資本主義:トランス資本主義

以下は、現在の金融崩壊に関する本質的な問題の提起である。一言で言えば、自由主義経済の問題である。
 ここで、ゲゼル経済学にスポットを当てられなくてはならないだろう。資本の流動性を確保するために、自由土地の発想を行っている。
 私見では、「神の見えざる手」であるが、利己主義(しかしながら、利己性は誰にでもある。利己主義・エゴイズムとは異なる。)に基づくと今回のような金融崩壊となる。
 差異共振主義によって資本を扱うべきである。差異共振主義は、利他性と利己性とのバランス、つまり、個と社会ないしは自然とのバランスを目指すものである。
 後でさらに検討したい。

追記:利己主義・エゴイズムは実は肯定的に捉えることができる。真に利己主義・エゴイズムであるには、差異共振主義でなくてはならないのである。だから、理論的には、自己同一性主義が問題であると言わなくてはならない。

●古森義久:オバマ大統領は市場経済の修正に手をつけるのか

→ http://www.nikkeibp.co.jp
/article/news/20090120
/126039/?ml


 「今回の金融危機ははたして『自由市場経済の資本主義』の終わりを画すのか、という疑問が各方面で提起された。企業の救済でも政府が企業の株式を大幅に保有するようになると、資本主義や市場経済の原則を離れて、政府が企業の活動に介入すべきだということになるのか。もし資本主義自体に疑問が呈されるとなると、東西冷戦の長い年月、米国がソ連の共産主義に対し資本主義や市場経済の保持のための闘いを続けてきたことは一体なんだったのか、という疑問も生じてくる」
http://www.nikkeibp.co.jp
/sj/2/column/i/92/index2.html

「規制の権限を有する主体は国家であるべきか、あるいは国際的なレベルでの超国家的機関であるべきか。もしその権限が主権国家の政府にあるとされた場合、国際的な機関や機構はどの程度の権限を与えられるべきか。たとえば国際通貨基金(IMF)の役割は単に情報提供か、政策提言か、あるいは強制力を持つ権限執行を認められるべきか。IMFにも世界貿易機関(WTO)のような紛争解決の機能が与えられるべきか。米国の規制は国際基準に合わせてどの程度、修正されるべきなのか。こうした疑問への解答は今回の金融危機が何を原因として起きたのかの判定にもかかってくる」
http://www.nikkeibp.co.jp
/sj/2/column/i/92/index3.html

Fresh Bank Worries Batter Stocks; Dow Falls Below 8,000
By JACK HEALY and ZACHERY KOUWE 8:07 PM ET

Despite widespread optimism about President Barack Obama, the major indexes plunged more than 4 percent on Tuesday.


NY株急落、8000ドル割れ=金融不安で2カ月ぶり安値−米新政権に冷や水

1月21日7時1分配信 時事通信

 【ニューヨーク20日時事】連休明け20日のニューヨーク株式相場は、金融機関に対する経営不安が再燃したため急落し、ダウ工業株30種平均は前週末終値比332.13ドル安の7949.09ドルで終了した。
 終値が8000ドルの大台を割り込んだのは昨年11月20日以来2カ月ぶり。ハイテク株中心のナスダック総合指数も同88.47ポイント安の1440.86と約1カ月半ぶりの安値引けとなった。
 20日発足した米国のオバマ新政権に対して、市場は全面安で反応し、いきなり冷や水を浴びせた格好。景気浮揚と金融システム不安の解消に向けて踏み込んだ経済・金融政策が求められそうだ。 
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20090121-00000024-jij-int

東京外為市場・午前9時=ドル89円後半、ユーロと英ポンドが安値更新

1月21日9時39分配信 ロイター

       ドル/円   ユーロ/ドル  ユーロ/円
午前9時現在 89.77/82  1.2880/85  115.71/75
前日NY17時 89.70/76  1.2897/04  115.80/91
 [東京 21日 ロイター] 午前9時現在のドル/円は、前日ニューヨーク市場午後5時時点とほぼ変わらずの89円後半で取引されている。英欧銀行株の下げをきっかけにユーロや英ポンドが売られた流れが続いており、日本時間早朝にユーロは対ドルで1カ月半ぶり安値を更新。対円でも2カ月半ぶり安値をつけた。
 英ポンドも同様で朝方に対ドルで1.38ドル前半と7年半ぶり安値を、対円で123円後半と史上最安値を更新した。
 ユーロと英ポンドに対してドル買いと円買いが同時に強まっているため、ドル/円は売買が交錯。89円後半で値動きが鈍っている。
 (ロイター日本語ニュース 基太村真司)
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20090121-00000838-reu-bus_all



2009年01月20日(Tue)▲ページの先頭へ
近代日本における宗教の役割と戦後の宗教・神話のタブー:占領洗脳政策
ミッション系大学はよく知られているが、日本近代の創出に当たり、大きな役割をしたことは否定できないだろう。
 そう、内村鑑三のようなクリスチャンも大きな役割をしただろう。
 私が言いたいのは、明治近代文化を創出するに当たり、宗教の役割が大きかったという事実である。私はたまたまある大学の創立に関わる小冊子を読み、創立に関わった二人の人物がクリスチャンであったことを発見した。しかし、その事実はその大学ではほとんど知られていない。
 とまれ、問題は、戦後である。天皇=現人神崇拝が解体したのはいいが、戦後日本において宗教や神話がほとんどタブーになってしまったことである。これは、実に近代合理主義的である。近代合理主義のご本家の米国はハードなキリスト教国である。
 日本人は、宗教や神話を不合理に恐れているのである。それは、戦後のGHQによる洗脳政策に拠ると考えられる。日本人の魂である宗教・神話を拒絶させて、去勢させたのである。

ミッション系大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

ミッション系大学(みっしょんけいだいがく)は、キリスト教 に関係がある組織や関係の深い人物が設立した学校法人 によって、設置運営されている大学 の総称である。

正しくは、キリスト教系大学と呼ぶべきであるが、多くのそれは欧米諸教会の伝道局(ミッション)によって設立されており、明治期 にはミッションスクールと呼ばれていたことから、キリスト教系学校の代名詞として現在でも使われている。近年では、ミッションからの独立が進みキリスト教主義学校 となっている。

キリスト教主義に基づく教養教育、小・中・高・大の一貫教育、自由な学風、外国語 教育、そして礼拝堂 (チャペル)を備えたキャンパスなど多くの特色を持つ。また、教派 を同じくする海外の大学と交流・提携する学校も少なくない。

プロテスタント系大学(キリスト教学校教育同盟 )が56大学、カトリック系大学(日本カトリック学校連合会)が20大学を数える。


死刑と犯罪:近代社会とトランス・モダン社会
死刑とは何ぞ哉。また、犯罪とは。
これは難しい。
 いい加減な言い方もしれないが、同一性主義が支配的である限り、それに呼応した犯罪があるのではないだろうか。そうすると、近代社会は、犯罪社会である。
 トランス・モダン社会は、脱犯罪社会であろう。

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星島被告「死刑になっておわび」 東京地裁の法廷で謝罪

2009年1月19日 21時03分

 都内のマンションで昨年4月、2部屋隣の会社員東城瑠理香さん=当時(23)=を殺害したとして、殺人や死体損壊・遺棄などの罪に問われた元派遣社員星島貴徳被告(34)は19日午後、東京地裁(平出喜一裁判長)の公判で「死刑になっておわびするつもりです」と謝罪した。検察側の被告人質問に答えた。

 星島被告はうつむいたまま「謝っても何の謝罪にもならないと思いますが、本当にすみません」と述べ、検察官から「誰に謝っているのか」と聞かれると「後ろ(傍聴席)にいるご遺族、瑠理香さんに」と答えた。

 弁護側による質問で、遺族あての謝罪文を弁護人が預かっていることに触れると、声をやや張り上げて「今はお渡しするべきではない。犯人の手紙なんか絶対に読みたくないと思う」と述べた。

 また東城さんの父親の調書も証拠として採用され、検察官が「娘の無念を思うと耐えられない。被告は死刑になると確信している。それ以外はあり得ない」などと内容を朗読した。

(共同)

http://www.tokyo-np.co.jp
/s/article/2009011990210
322.html


日記:時間とは何か:時計の時間と身体の時間
今日も、帰りの電車で、鈍行に乗った。基本的には違和感はない。
 時間とは何か。それは、思うに、 Media Pointである。心であり、かつ身体である。
 精神的身体というものを考えると、それに合うのが鈍行である。
 時計の時間とは、+1の時間であり、身体の時間でもない。身体は、⇒+1 である。
 後でさらに検討したい。


2009年01月19日(Mon)▲ページの先頭へ
変新のために:女性をひきつけるために:PS理論と女性
私が思ったのは、「変革」のためには、女性を動かす必要があるということである。女性は単なる「ロゴス」では動かない。女性に対してこそ、差異共振主義が必要だと思う。ということは、PS理論は女性にも、というか、女性にこそ強くはたらきかける理論と考えられる。これは、精神と身体との調和の理論で、正に、女性に即した理論なのである


2009年01月18日(Sun)▲ページの先頭へ
時代精神について:自然=神の摂理
ルドルフ・シュタイナーは精神の「ブーメラン効果」について述べている。つまり、他者に害悪を与えれば、それがブーメランのように害悪を与えた本人に帰ってくるということである。古い言い方をすれば、因果応報である。
 私自身、これをかなり信じている。しかし、これは、遠大である。例えば、米国はネイティブ・アメリカンを虐殺したり、土地を略奪して誕生した国である。では、その虐殺・略奪の天罰はいつ起ったのかと言えば、それは、今日であろう。オバマ新大統領はアロハ・スピリットをもち、東洋的である。黒人への差別が今や黒人の血をもつ大統領という形で返ってきたと考えられる。
 自然=神の摂理というしかないであろう。もっとも、個としての闘争がなくてはならない。


第五の福音書・聖霊主義・純粋差異共振主義:PS理論とトランス・モダン進化
私は現代を「聖霊」の時代と呼んでいるが、それの意味するところは既述した(http://ameblo.jp/renshi
/entry-10194034665.htm )が、より直観的な説明ができると思った。
 「子」の時代とは、差異共振主義と同一性主義の分裂の時代であると言った。占星術的文明史から言えば、双魚宮の時代である。
 問題は、差異共振主義と同一性主義とが水と油で溶け合わないという事態である。近代資本主義は本来、前者が基礎であるにもかかわらず、後者が支配的で、勤労者・民衆、自然、社会等を破壊してきたのである。自然合理性を同一性主義的資本家/国家等は理不尽に無視してきたのである。その結果、今日の新世界恐慌に帰結したのである。
 本質は差異共振性でありながら、同一性主義はその不合理性(端的には、狂気)によって、資本主義の母体を破壊してきたのである。これが、水と油の相克の事態である。二元論、二項対立である。
 しかるに、今日、同一性主義の解体によって、近代資本主義が解体して、これまで否定・排除されてきた差異共振性が浮き上がってきたのである。それは、純粋差異共振主義として、発現するのである。
 それは、差異と同一性のバランスを目指すのである。そう、近代主義における、精神と物質との対立がここで解決して、終焉するのである。精神と物質との調和が為されるのである。これが、「聖霊」の時代が直観的に意味することである。これは、精神と身体との調和と言ってもいい。両極・対極の調和である。これまで、近代文化は、精神に傾斜するか(観念論)、物質に傾斜するか(唯物論)で、二元分裂してきたのである。
 この点を少し説明すれば、それを超克する試みは多く為されたが、結局、未完成であった。ポスト・モダン哲学は、キルケゴール/ニーチェ哲学、現象学、構造主義を引き継いで、差異の哲学の構築を目指したが、理論的な不整備により、中途半端で挫折してしまった。
 不連続的差異論を継いだプラトニック・シナジー理論(以下、PS理論)は、ポスト・モダン哲学の不備を乗り越えて、差異哲学を完成したと考えられる。
 PS理論はイデア(精神)を主、物質を従とする、差異を包摂した新イデア論である。これが、上述の精神と物質(身体)の調和を可能にしたと言えるのである。そう、観念論と唯物論の超克であり、両者の超越的包摂である。即ち、PS理論が、「聖霊」の時代の主導理論となると考えられるのである。
 整理すると、「聖霊」の時代とは、純粋差異共振主義の時代であり、経済的には、近代資本主義を超克して、トランス・モダン資本主義を形成するものであり、より直観的には、近代文化の二元論的分裂を超克して、精神と物質ないしは精神と身体の調和をもたらす時代であり、PS理論はそれを主導するものであるということである。

追記:こういう言い方は誤解を生むが、誤解を恐れずに言えば、精神を資本家、物質を労働者とすれば、トランス・モダン資本主義とは、資本家と労働者の調和の時代である。水瓶座の時代である。

参照:
ヨアキム主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヨアキム主義(ヨアキムしゅぎ)は12世紀 のカトリック 教会に興った予言的・終末論 的な歴史思想である。シトー会 の修道院長フィオーレのヨアキム (ジョアキーノとも)が唱えた。

フィオーレのヨアキムは三位一体的構造を世界史 に当てはめ、全歴史 は三つの時代からなるとした。第一の時代は「父の時代」で、地上においては祭司と預言者 の時代であり、旧約 の時代にあたる。第二の時代は「子の時代」であり、教会の時代で、キリスト以後現在まで続いているとした。これは過渡的な時代であって、第三の時代である「聖霊の時代」によってやがて克服される。第三の時代において、世界は完成し、地上においては修道士の時代が出来する。ヨアキムの考えでは、第三の時代において現在ある教会秩序や国家などの支配関係に基づく地上的秩序は廃され、兄弟的連帯において修道士が支配する時代が来るとされる。

ヨアキムの思想は問題視され、ローマ教皇庁 からたびたび警告されたが、ヨアキムは撤回せず、ついに異端 と宣言されるに至った。ヨアキム主義は13世紀の西方異端思想に大きく影響を与えた。

ミルチア・エリアーデ は『世界宗教史』において、レッシング の『啓蒙の世紀』やシェリング、ヘーゲルなどの絶対者の三段階からなる展開などの近世ドイツ思想における精神史観にヨアキム主義の影響を指摘している。

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フィオーレのヨアキム

 フィオーレのヨアキムは、1135年南イタリアのカンブリアで公証人の息子として生まれた。幼い頃から、幻視の才能があったというが、これは後世の創作の可能性が強い。ヴィイルヘルム2世のもとで官僚として働いた後、エルサレムへ巡礼し、この時に神より啓示を受けたと言う。後にシトー修道会に入会(この時は既に中年に達していた)。さらに、その学識の深さなどが認められ、修道院長に選ばれる。
 しかし、1180年から体験した一連の幻視から独自の歴史神学を構築するようになり、シトー会を脱会。生まれ故郷のカラブリアの人里離れたフィオーレの山中に、彼自身の厳しい修道会を設立した。
 そこで約20年間ほどの年月をかけ、著述活動を行った。
 主な著書は「旧約と新約の調和の書」、「十弦の琴」、「ヨハネ黙示録注釈」などである。
 1202年に没。「有徳の誉れ」を受けながら没したものの、著作の一部は異端として断罪された。

 さて、ヨアキムの思想とは、どのようなものだったのだろうか?
 まず重要なのは、聖書の「黙示録」に代表される象徴や寓意を、過去から現在にいたる具体的な出来事と結びつける傾向が非常に強かったことだ。
 もう一つは、これがさらに重要なのだが、後続の「千年王国思想」に大きな影響を与えたということである。
 ヨアキムは、「楽園」が、この地上に到来すると考えた、天国ではなく。それに加えて、この「楽園」が地上に出現した時、既成の権力構造、教会組織は消滅すると考えた。
 そう、これは一種の「革命思想」の根幹を造ったのである。

 ヨアキムは、人類の歴史を、「三位一体」にあてはめ、以下の3つの「段階」に分けた。

・第一段階
 三位一体の「父」の時代であり、旧約聖書の時代である。 これは「正義」の治世と呼ばれる。戒律の強調、それに立法者として、および人間への絶対的権威としての神の役割が強調される時代である。同時に、血なまぐさい旧約聖書の記述が語る通りの恐怖と隷属の時代でもある。文字通りの「神の下僕」の時代である。

・第二段階
 「子」の時代である。新約聖書の時代であり、キリストから、ヨアキムら自分達が生きている時代が、ここに相当すると考えた。これは、「法」の治世と呼ばれ、神の恩恵の時代であり、福音によって指針がもたらされ、信仰と教養の時代である。神との仲介者として、教会が重要な役割を果たす時代である。

・第三段階
 「聖霊」の時代である。来るべき未来の世界だ。「自由」の治世である。全ての人間に、神より直接、霊知がもたらされ、全人類の全てが修道士のような生活を送る。既成の権力、教会といった体制が消滅し、愛と歓喜と自由の世界になるだろう。

 ヨアキムは、このれらの「段階」を、さらに7つの「時代」に分けている。第一段階は、ユダヤ人7つの迫害によって、分けている。
 一方、第二段階は、キリスト教の7つの迫害によって分割する。この7つの迫害は、7人のアンチ・キリストによって、行われた。ヨアキムは、これらの7人を「黙示録」に出てくる獣の7つの頭に当たると解釈している。それは、すなわち、ヘロデ、ネロ、コンスタンティウス、マホメッド、ハインリヒ4世、サラディンであり、第二段階の終わりに「最大のアンチ・キリスト」が出現するという。

 ヨアキムは、この第二段階が、1200年をちょっと過ぎた辺りで終わると考えた(第一段階がアブラハムからキリストまで42世代続いたわけであるから、第二段階も同じく42世代続くと考えた)。
 この時代に「最大のアンチ・キリスト」が出現する。それは、教会の高位聖職者の中から現れ、ローマ教皇となるかもしれない(!)。そして、この最大のアンチ・キリストが打倒された後、第三段階の地上の楽園の時代が始まるのである。
 しかし、「最大のアンチ・キリスト」は、「最後の」アンチ・キリストではない。最後のアンチ・キリストは、いわゆる黙示録に出てくるマゴクの大君ゴグであり、獣の尾にあたる。
 これが、大破壊でもって悪魔の最後の抵抗を試みた後、滅ぼされる。

 このヨアキムの思想は、考え方によっては、教会にとっては大変な危険思想である。
 理想の国である「楽園」は、地上に出現する。そして、その時、教会を始めとした既成の体制は、ことごとく消滅する。さらに打倒されるべき人類の敵アンチ・キリストは、教会の中から現れる!!
 文字通りの「革命」思想である。
 事実、これは「千年王国」運動の理論的根拠に盛んに利用されることになる。
 「千年王国」運動には、様々な種類があるが、どれも「既存の教会は堕落しており、真のメシア(救世主)を迎えて、これを改革、あるいは打倒しなければならない」という点で、ほぼ一致している。
 ゆえに、このヨアキムの思想が、盛んに「千年王国」思想を唱える者達に、影響を与え、引用されたのも当然の結果ともいえる。これは、フランシスコ会の「小さき兄弟」派や、ペキン修道運動、自由心霊派などにも、つながってゆくのである。

 しかし、ここで強調しなければならないのは、ヨアキムは断じて、反教会の思想は持っていなかったことである。
 反教会を掲げる運動家達は、あきらかにヨアキムの思想を歪めていた。
 そもそも、ヨアキムは1200年の第二段階の終わりに、破壊的な大変動は起こらないと主張した。「最大のアンチ・キリスト」は、静かに現れ、虚偽と欺瞞を通して秘密裏に活動し、先に述べた尾に該当する「最後のアンチ・キリスト」の襲撃を通して、やっと公然と技を行う、という。
 さらに、ヨアキムは、第二段階の危機的状況の打開に大きな役割を果たす「真の聖なる教皇」の存在を強調していることも忘れてはならない。彼は神の加護のもと、最終の敵に対抗するための重要な説教を行うという。

 ヨアキムは、こうした「黙示録」の解釈を通じて、象徴、すなわちシンボリズムの解釈においても、大きな影響を残している。彼は、こうした象徴の解釈のため、広い視野でもって研究を実施した。「シビュラの予言書」をはじめ、占星術的な知識にまで及んだ。これらの成果をまとめた著書として「図像の書」などが、有名である。
 彼のこうした仕事は、天使の階級論や「聖四文字の名」にまで及んでいる。

 ともあれ、後世の彼の評価は、複雑だ。あの聖フランチェスコも、ヨアキムからは少なからぬ影響を受け、ロジャー・ベーコンを含めた、いわゆるフランチェスコ会学派の神学者達もヨアキムを盛んに引用する。だいぶ時代が下がったダンテの「神曲」でも、ヨアキムは天国の住人として描かれている。
 同時に教会にとって、やっかい者とされることの多かった「千年王国」運動の理論武装にも盛んに使われたわけで、教会にとっては、ある意味難しい存在でもあった。


「フィオーレのヨアキム」 バーナード・マッキン 平凡社
http://www5e.biglobe.ne.jp
/~occultyo/yoakim.htm

Joachim of Fiore
From Wikipedia, the free encyclopedia
Joachim of Flora, in a 15th century woodcut

Joachim of Fiore, also known as Joachim of Flora and in Italian Gioacchino da Fiore (c. 1135 – March 30 , 1202 ), was the founder of the monastic order of San Giovanni in Fiore (now Jure Vetere ). He was a mystic , a theologian and an esoterist . His followers are called Joachimites .
Biography

Born in the small village of Celico near Cosenza , in Calabria , at the time part of the Kingdom of Sicily , Joachim was the son of Mauro the notary, who was well placed, and Gemma, his wife. He was educated at Cosenza, where he became first a clerk in the courts, and then a notary himself, and worked in 1166-1167 for Etienne du Perche, archbishop of Palermo and chancellor of Marguerite, regent for the young William II of Sicily .

About 1159 he went on pilgrimage to the Holy Land , an episode about which very little is known, save that he underwent a spiritual crisis and conversion in Jerusalem that turned him from the worldly life. When he returned, he lived as a hermit for several years, wandering and preaching before joining the ascetic Cistercian abbey of Sambucina near Luzzi, Calabria, as a lay brother, where he devoted his time to lay preaching. Under pressure from the ecclesiastical authorities, he joined the monks of the Abbey of Corazzo , and was ordained priest, apparently in 1168. He applied himself entirely to Biblical study, with a special view to uncovering the arcane meaning concealed in the Scriptures, above all in Revelation . To his dismay, he was acclaimed abbot by the monks of Corazzo (c. 1177). He then attempted to join the monastery to the Cistercian Order , but was refused because of the community's poverty. In the winter of 1178, he appealed in person to William II, who granted the monks some lands.

In 1182 Joachim appealed to Pope Lucius III , who relieved him of the temporal care of his abbey, and warmly approved of his work, bidding him continue it in whatever monastery he thought best. He spent the following year and a half at the Cistercian Abbey of Casamari, engaged upon his three great books, his dictations keeping three scribes busy night and day; there the young monk, Lucas (afterwards Archbishop of Cosenza ), who acted as his secretary, was amazed to see so famous and eloquent a man wearing such rags, and the wonderful devotion with which he preached and said Mass.

In 1184 he was in Rome, interpreting an obscure prophecy found among the papers of Cardinal Matthew of Angers, and was encouraged by Pope Lucius III . Succeeding popes confirmed the papal approbation, though his manuscripts had not begun to circulate. Joachim retired first to the hermitage of Pietralata, writing all the while, and then founded the Abbey of Fiore (or Flora) in the mountains of Calabria; Flora became the center of a new and stricter branch of the Cistercian Order, approved by Celestine III in 1198.

In 1200 Joachim publicly submitted all his writings to the examination of Innocent III , but died before any judgment was passed. The holiness of his life was widely known: Dante affirmed that miracles were said to have been wrought at his tomb, and, though never officially beatified, he is still venerated as a beatus on May 29 .

He theorized the dawn of a new age, based on his interpretation of verses in the Book of Revelation , in which the hierarchy of the church would be unnecessary and infidels would unite with Christians. The most spiritual Franciscan monks acclaimed him as a prophet.

His popularity was enormous in the period, and some sources hold that Richard the Lionheart wished to meet him to discuss the Book of Revelation before leaving for the Third Crusade .

His famous Trinitarian "IEUE" interlaced circles diagram was influenced by the different 3-circles Tetragrammaton-Trinity diagram of Petrus Alphonsi , and in turn led to the use of the Borromean rings as a symbol of the Christian Trinity (and possibly also influenced the development of the Shield of the Trinity diagram).[1]

[edit ] Books

* "Liber Concordiae Novi ac Veteris Testamenti ("Harmony of the Old and New Testaments"): his most important work.
* Expositio in Apocalipsim ("Exposition of the Book of Revelation")
* Psalterium Decem Cordarum ("Psaltery of Ten Strings")
* Treatise on the four Gospels
* The late thirteenth-century set of pseudo-prophecies, united with a later series under the title Vaticinia de Summis Pontificibus was attached to his name without any basis in truth.[1]

[edit ] Theory of the three ages

The mystical basis of his teaching is his doctrine of the "Eternal Gospel," founded on an interpretation of the text in Revelation xiv, 6.

His theories can be considered millenarist ; he believed that history, by analogy with the Trinity , was divided into three fundamental epochs:

* The Age of the Father, corresponding to the Old Testament , characterized by obedience of mankind to the Rules of God;
* The Age of the Son, between the advent of Christ and 1260, represented by the New Testament , when Man became the son of God;
* The Age of the Holy Spirit, impending (in 1260), when mankind was to come in direct contact with God, reaching the total freedom preached by the Christian message. The Kingdom of the Holy Spirit, a new dispensation of universal love, would proceed from the Gospel of Christ, but transcend the letter of it. In this new Age the ecclesiastical organization would be replaced and the Order of the Just would rule the Church. This Order of the Just was later identified with the Franciscan order by his follower Gerardo of Borgo San Donnino .

According to Joachim, only in this third Age will it be possible to really understand the words of God in its deepest meanings, and not merely literally. He concluded that this age would begin in 1260 based on the Book of Revelation (verses 11:3 and 12:6, which mention "one thousand two hundred and sixty days").[2] In this year, instead of the parousia (second Advent of Christ), a new Epoch of peace and concord would begin, thus making the hierarchy of the Church unnecessary.

Joachim distinguished between the "reign of justice" or of "law", in an imperfect society, and the "reign of freedom" in a perfect society[3] .

[edit ] Condemnation

Main article: Joachimites .

Thomas Aquinas confuted his theories in his Summa Theologica , but in The Divine Comedy , Dante Alighieri placed him in paradise. Among the more spiritually-inclined of the Franciscans , a "Joachist" group arose, many of whom saw Antichrist already in the world in the person of Frederick II, Holy Roman Emperor (who died, however, in 1250). The 'Doctor Mirabilis', Roger Bacon , was one of their number.

As the appointed year approached, spurious works began to circulate under Joachim's name: De Oneribus Prophetarum, an Expositio Sybillae et Merlini ("Exposition of the Sibyl and Merlin ") and commentaries on the prophecies of Jeremiah and Isaiah. The Fourth Council of the Lateran in 1215 condemned some of his ideas about the nature of the Trinity, without taking any action, Finally Pope Alexander IV condemned his writings and those of his follower Gerardo of Borgo San Donnino and set up a commission that in 1263 in Synod of Arles eventually declared his theories heretical .

His theories inspired also subsequent heresies like Dulcinians and Brethren of the Free Spirit .

[edit ] Further reading

* Henri de Lubac , La Postérité spirituelle de Joachim de Flore, Lethielleux, 1979 and 1981 (French)

[edit ] See also

* Ernesto Buonaiuti (one of the first researchers in Joachinism)
* Herbert Grundman (famous German researcher in Joachinism)
* List of Christian mystics
* Vaticinia de Summis Pontificibus

[edit ] Notes

1. ^ Frank Schleich, Ascende calve: the later series of the medieval pope prophecies"
2. ^ Liber Concordie novi ac veteris Testamenti.
3. ^ Eric Hobsbawm , Primitive rebels, introduction, Norton Library 1965, p.11

[edit ] External links

* Joachim of Fiore's circles diagram and Trinitarian symbolism
* Neo-Joachimism (German)
* Catholic Encyclopedia: "Joachim of Flora"
* International Center for Joachimist Studies

"http://en.wikipedia.org
/wiki/Joachim_of_Fiore "


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