INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/01/28

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2009年01月28日(Wed)▲ページの先頭へ
アルフレッド・ヒッチコック:英国のケルト文化性:英国文化の「脱構築」へ向けて
たまたま、ヒッチコックの名作『めまい』を見ているが、主人公のジョン・スコティ・ファーガソン(ジェームズ・スチュアート)が、自殺した曽祖母に取り憑かれたマデリン・エルスター(キム・ノヴァク)を追跡している等々の筋書きであるが、どうも、オカルト的発想をモチーフにしていて、ヒッチコックは、ケルト系ではないかと思い、調べたら家系はアイリッシュであった。
 思うに、ヒッチコックのミステリアスな感覚は、ケルトの血から来ているのではないかと思う。
 とまれ、言いたいことは、英国文化のメインストリームは、実は、ケルトの血に拠るのでないのかということである。ビートルズは四人とも、ケルト系なのである。英国文学の多くはケルトの血を感じさせるのである。
 英国文化を「脱構築」すべきである。

追記:ケルト文化の象徴的イメージは螺旋・渦巻であり、三つ巴であり、思うに、差異共振性である。神道に酷似しているのである。


アルフレッド・ヒッチコック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ヒッチコック(1956年)

サー・アルフレッド・ジョウゼフ・ヒッチコック(Sir Alfred Joseph Hitchcock, KBE , 1899年 8月13日 -1980年 4月29日 )は、イギリス の映画監督 ・映画プロデューサー 。1939年 からはおもにアメリカ で活躍した。スリラー映画 で成功し、製作・脚本・編集・美術も手がけた。サスペンスの神様とも称される。
生い立ち

1899年 8月13日 ロンドン のレイトンストーン 生まれ。青物商のウィリアム・ヒッチコックと妻のエマ・ジェーン・ヒッチコック(旧姓ウェーラン)の三人の子供の二番目であった。一家はアイルランド のカトリック 教徒であった(イギリスでは少数派)。ヒッチコックはロンドンでカトリックの寄宿学校に入学し、後に彼は幼年期は孤独であったと語っている(幼年期に父親に独房 に入れられたという話は作り話である)。

彼が14歳の時に父親が死亡し、彼は工学を学ぶためセント・イグナチウス・カレッジ を去った。学校を卒業した後はケーブル会社の広告デザイナー となった。

その後ヒッチコックは写真 技術に興味を持ち、ロンドンの映画 会社で働き始める。1920年 に彼はイズリントン・スタジオで仕事を得、サイレント映画のタイトルデザインを担当した。1925年 にはゲインズボロー・ピクチャーのマイケル・バルコンが、彼に処女作の『快楽の園』を監督するチャンスを与えた。

[編集 ] イギリスで

ヒッチコックは急速に台頭した。彼の三作目『下宿人 』は1927年 に公開された。同作は「切り裂きジャック 」をモデルにした作品で、アパートにやってきた新しい下宿人(アイヴァー・ノヴェロ)が殺人犯の嫌疑をかけられる。これが最初の「間違われる男」をテーマとした「ヒッチカニアン」フィルムであった。

1926年にヒッチコックは、アシスタント・ディレクターのアルマ・レヴィールと結婚した。二人の間には1928年 に娘のパトリシアが生まれる。アルマはヒッチコックの最も親密な協力者であった。彼女は何本かの脚本を執筆し、ヒッチコックの全ての作品の擁護者であった。

1929年 にヒッチコックは十作目の『ゆすり』の制作を始める。撮影中に製作会社は同作を、イギリス最初のトーキー 映画にすることを決定した。

1933年 には再び、ゴーモント=ブリティッシュ・ピクチャーに移籍していたマイケル・バルコンと共に働く。同社での彼の初の作品は『暗殺者の家』であり、続いて『三十九夜』を制作する。同作は初期の代表作と見なされる。

ヒッチコックの次の成功作は1938年 の『バルカン超特急』である。軽快なテンポで展開する同作は、ナチス・ドイツ を模した架空の国家ヴァンドリカでのスパイ騒動に巻き込まれた人々を描き、列車内で姿を消した老婦人の行方を捜すという内容のサスペンスでもあった。

ヒッチコックの活躍はハリウッドから注目され、デヴィッド・O・セルズニック の依頼で彼はアメリカで映画製作を行うこととなる。

[編集 ] ハリウッド

1940年 にヒッチコックはアメリカでの初作品『レベッカ 』を制作する。同作の企画はイギリスで行われ、原作もイギリスの作家ダブネ・デュ・モウリアによるものであった。作品はジョーン・フォンティン演じるヒロインが後妻として入ったイギリスの屋敷での出来事を描くサスペンスで、1940年のアカデミー最優秀作品賞を受賞した。

ヒッチコックのユーモアはアメリカでの作品群でも発揮され、作風はサスペンスをトレードマークとしていた。セルズニックは長年金銭問題に悩まされており、より大きな映画会社にしばしばヒッチコックを貸し出した。

ヒッチコックの1940年代の作品は非常に多様であった。それはロマンティック・コメディ の『スミス夫妻 』(1941年 )から暗いサスペンス(フィルム・ノワール )の『疑惑の影 』(1943年 )まで多種に及ぶ。

1950年代は、ヒッチコックの黄金時代と言える。さまざまな円熟期の作品が量産された。1956年 にアメリカ の市民権を取得した。

『鳥』(1963年 )までは精彩を放っていたが、『マーニー 』(1964年 )以降は凡庸な作品が目立つようになった。これは『マーニー』の撮影中にティッピ・ヘドレン に関係を迫ったものの断られたことが原因ではないかという説もある。あるいは、『ハリーの災難』以来バーナード・ハーマン が音楽を担当してきたが、『引き裂かれたカーテン 』の音楽を巡って対立し、結果ハーマンをこの作品から降板させ、以後は袂を分かっていたことも影響しているのではないかともいわれる。高齢による衰えとの説もあるが、イギリスを舞台に撮影した最後から2番目の作品『フレンジー 』(1972年 )ではキレのあるサスペンス演出を見せ、ヒッチコック復活を印象付けた。


・・・・・

[編集 ] 主な作品

※:製作国に於いてパブリックドメイン

* 『快楽の園 』 - The Pleasure Garden (1925)※ デビュー作
* 『山鷲 』 - The Mountain Eagle (1926)※(現存せず)
* 『下宿人 』 - The Lodger: A Story of the London Fog (1927)※
* 『ダウンヒル 』 - Downhill (1927)※
* 『リング 』 - The Ring (1927)※
* 『ふしだらな女 』 - Easy Virtue (1928)※
* 『農夫の妻 』 - The Farmer's Wife (1928)※
* 『シャンパーニュ 』 - Champagne (1928)※
* 『マンクスマン 』 - The Manxman (1929)※
* 『恐喝 』 - Blackmail (1929)※ 最初のトーキー作品/サイレント版も有
* 『ジュノーと孔雀 』 - Juno and the Paycock (1930)※
* 『殺人! 』 - Murder! (1930)※
* 『エルストリー・コーリング 』 - Elstree Calling (1930)※
* 『スキン・ゲーム 』 - The Skin Game (1931)※
* 『メアリー 』 - Mary (1931)※ 殺人!のドイツ版
* 『第十七番 』 - Number Seventeen (1932)※
* 『リッチ・アンド・ストレンジ 』 - Rich and Strange (1932)※
* 『ウィンナー・ワルツ 』 - Waltzes from Vienna (1933)※
* 『暗殺者の家 』 - The Man Who Knew Too Much (1934)※
* 『三十九夜 』 - The 39 Steps (1935)※
* 『間諜最後の日 』 - The Secret Agent (1936)※
* 『サボタージュ 』 - Sabotage (1936)※
* 『第3逃亡者 』 - Young and Innocent (1937)※
* 『バルカン超特急 』 - The Lady Vanishes (1938)
* 『岩窟の野獣 』 - Jamaica Inn (1939)※

以上イギリス時代(保護期間は公開から70年、但し英国政府製作の映画は公開後50年)

『海外特派員 』の一場面
『北北西に進路を取れ 』予告編の一場面

* 『レベッカ 』 - Rebecca (1940) アカデミー作品賞
* 『海外特派員 』 - Foreign Correspondent (1940)※
* 『スミス夫妻 』 - Mr. & Mrs. Smith (1941) (日本未公開作品、のちにビデオ化)
* 『断崖 』 - Suspicion (1941)
* 『逃走迷路 』 - Saboteur (1942)
* 『疑惑の影 』 - Shadow of a Doubt (1943)※
* 『救命艇 』 - Lifeboat (1943)
* 『闇の逃避行 』 - Bon Voyage (1944)※(英国政府製作のフランス向け国策映画(26分))
* 『マダガスカルの冒険 』 - Aventure Malgache (1944)※(上記同様(30分))
* 『白い恐怖 』 - Spellbound (1945)※
* 『汚名 』 - Notorious (1946)※
* 『パラダイン夫人の恋 』 - The Paradine Case (1947)
* 『ロープ 』 - Rope (1948)※
* 『山羊座のもとに 』 - Under Capricorn (1949)※ (日本未公開作品、のちにビデオ化)
* 『舞台恐怖症 』 - Stage Fright (1950)
* 『見知らぬ乗客 』 - Strangers on a Train (1951)※
* 『私は告白する 』 - I Confess (1953)
* 『ダイヤルMを廻せ! 』 - Dial M for Murder (1954)
* 『裏窓 』 - Rear Window (1954)※
* 『泥棒成金 』 - To Catch a Thief (1955)※
* 『ハリーの災難 』 - The Trouble with Harry (1955)※
* 『知りすぎていた男 』 - The Man Who Knew Too Much (1956) 『暗殺者の家 』のリメイク
* 『間違えられた男 』 - The Wrong Man (1956)
* 『めまい 』 - Vertigo (1958)※
* 『北北西に進路を取れ 』 - North by Northwest (1959)※
* 『サイコ 』 - Psycho (1960)※
* 『鳥 』 - The Birds (1963)
* 『マーニー 』 - Marnie (1964)
* 『引き裂かれたカーテン 』 - Torn Curtain (1966)
* 『トパーズ 』 - Topaz (1969)
* 『フレンジー 』 - Frenzy (1972)
* 『ファミリー・プロット 』 - Family Plot (1976)

・・・・・




検討問題:自己同一性主義(パラノイア⇒鬱病)の力学について:近代合理主義の帰結とトランス・モダン
自己同一性主義は、差異が同一性へと同化してしまった意識状態であると考えられる。差異がなければ、自己と他者の区別がなくなり、自己が他者を否定し、支配するようになるし、そもそも、知性を成立させる差異=間(あいだ、ま)が無くなり、狂気状態となるのである。これは、パラノイアであり、次第に鬱病、躁鬱病、さらには、統合失調症等になるのはないだろうか。
 この力学を分析してみよう。先ず、同一性志向性がある。それは、同一性意識をもっている。そして、それが、他者に対して、同一性意識を投影して、自己同一性を形成するのである。
 問題は、自己同一性意識の形成の前には、他者ないしは差異があることであり、これは、無視できないのである。
 しかしながら、自己同一性意識が完全に他者/差異と同一化すると、自己同一性意識は自動化するだろう。差異(自己)・同一性・差異(他者)が本来の自己と他者との間の同一性関係であるが、ここで、他者の差異を同化する場合、差異(自己)・同一性・差異(他者)、即ち、自己同一性意識・同一性・自己同一性のようになるだろう。
 自己差異、他者差異がまったく否定排除されているのであり、自己同一性志向性自体が、自己目的的に自己同一性化するのである。つまり、自己同一性志向性と同一性が重なり、一致して、いわば、鏡像的に自己陶酔(慢心)するのであり、自己同一性志向性と同一性の真理の区別が消失して、自己同一性志向性という衝動が同一性の真理を支配してしまうと考えられる。何故なら、起動力は自己同一性志向性にあり、これが優位であるからである。
 これが、パラノイア、いわゆる、自己中心主義(自己チュー)である。これは、当然、傲慢であるだけでなく、同一性真理を無視することになり、虚偽的なのである。独断的、独善的である。
 思うに、この自己同一性主義が現代に蔓延しているのであり、その顕著な例が、デリバティブやレヴァレッジ等に顕現したのであり、そして、その狂気の結果が、新世界恐慌である。
 近代合理主義・近代的自我の帰結なのであり、今や、トランス・モダンへと転換することになるのである。


身体と物質の違いについて:精神身体と物質身体:カオスとガイア:身体小宇宙と大宇宙
先の検討により、身体と物質との区別が明瞭になってきた
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10198359931.html
ので、この際明確にしたい。
 例えば、身体とはほとんど誰にでも明快である。気温が下がれば、ほとんど誰もが「寒い」と感じるだろう。この「寒い」とは何だろうか。身体的感覚なのか、心的感情なのか。
 心と身体の近代西欧二元論で考えると、そのような疑問が生じるのである。この二元論は誤った区別であると私は考えるのである。何故なら、それは、身体と物質とを混同しているのからである。
 プラトニック・シナジー理論から言うと、精神(心)⇒身体であり、身体とは本来、精神身体なのである。この⇒がとれた身体はいわば、物質的身体であり、物質科学で考える「身体」である。
 この精神身体ないしは身体の概念から見ると、「寒い」とは、正に、精神身体感覚である。そして、物質的感覚とはありえないだろう。
 物質は感覚しないのである。感覚するのは、精神身体なのである。(追記:物質的身体は、刺激[「寒い」]に対して、反応はするが、それは、機械的、メカニズムである。つまり、例えば、皮膚神経や脳神経が、量的な反応をするということである。)
 ここでやや飛躍して言うと、ギリシア神話で、カオス(空隙)からガイア(大地の女神)が生まれるが、カオスがMedia Pointで、ガイアは正に精神身体(身体)に当たるだろう。
 ならば、ウラノス(天空)は何だろうか。これは、端的に、光であろう。つまり、+1ではないだろうか。即ち、イデア→カオス→ガイア→光ではないだろうか。光は宇宙(コスモス)としてもいいのではないだろうか。
 自己認識方程式で言うと、⇒+1の⇒がカオスであり、⇒+1がガイアであり、+1がウラノスではないだろうか。先に、イシス⇒オシリスと言ったが、⇒オシリスがガイアであり、オシリスがウラノスになるだろう。この点は微妙で興味深いが今はおいておこう。
 さて、身体の問題に返ると、結局、通常、確認している身体とは精神身体(「ガイア」)であるということになる。そう、神秘主義では、小宇宙=大宇宙という図式があるが、それは、正しいだろう。そして、古代宇宙論や占星術も基本的な世界観では、正しいことが証明されるだろう。この問題もきわめて興味深いがおいておこう。
 では、精神身体(身体)と物質身体(物質)の関係はどうなるだろうか。西洋医学は、後者を対象としているのである。(東洋医学は西洋医学の精緻さを欠くように思えるが、前者を対象にしていると言えよう。)
 哲学的には、前者は差異的同一性であり、後者は同一性である。そして、同一性とは抽象なのであり、近似・疑似的な、あるいは、ヴァーチャルなものなのである。表層ないしは上層と言ってもいいかもしれない。
 つまり、差異的同一性を同一性という仮想性に抽象・還元したものが、物質身体(物質)であると言えよう。
 この視点から、例えば、遺伝子ないしはDNAを見るとどうなるだろうか。それは、精神身体のエッセンスを抽象したものであろう。だから、真相は精神身体情報である。物質科学では、この精神身体性が抜けているのである。つまり、イデア的身体性が抜けているのである。
 この問題もたいへん興味深いがここで留めておこう。

追記1:追加すると、(精神)身体と(脳)神経の違いもこれで説明できるだろう。
 では、病気とは何だろうか。心の病について言うと、それは、ほとんど自明であり、精神身体の精神の病が身体に現われるものである。
 では、風邪とか癌などの「外的」な病気はどうだろうか。それは、精神身体の病気ではあるが、精神身体の皮層の物質身体が病んでいると考えられる。
 ウィルス等の外的原因があるが、しかしながら、精神身体から見ると、なんらかの精神性が基因となり、物質身体に発症するということは考えられるだろう。
 そう、ストレスが基因かもしれないのである。(遺伝子が原因の場合は精神身体性が原因と言うべきである。)
 
追記2:東洋文化の「気」(インドでは、プラーナ)に関して言うと、気的身体は、ほぼ精神身体になるのではないだろうか。
 つまり、「気」はほぼ精神に相当しよう。しかしながら、「気」のより根源には、「魂」や「霊」があるだろう。イデア本体である。
 しかしながら、重要なのは、知性とは、物質身体に伴って生起することである。そして、理性とは、精神的知性のことであるということである。だから、知性と精神の均衡を取るものと言えよう。
 だから、理性とは知恵と呼べるものである。合理性とは異なるのである。それをreasonやratioとするのは、誤りである。reasonやratioは、知性である。だから、直感・直観の方が理性、知恵に近いのである。
 思うに、近代哲学は、知性と理性と直感・直観と悟性で混乱しているだろう。知性=悟性=reason, ratioである。それに対して、Media Pointの知が理性・知恵である。それは、知性と感性の調和する知である。これもここで留めておく。

追記3:追記2の知性等々の用語の弁別であるが、まだ、当然ながら、混乱がある。思うに、知性は、同一性知性=物質知性とMedia Point知性=差異共振知性に分けた方が混乱がなくなるだろう。
 理性も混乱を引き起こす用語である。reasonは、やはり、2つの知性に関係すると思うので、混乱するのである。
 合理性rationalityであるが、それもやはり、2つの知性に関わるだろう。
 だから、知性、理性、合理性、すべて、2つの知性に関わる用語ということになる。
 結局、近代は、連続性(連続的同一性)ないしは同一性主義の文化なので、2つの知性の区別が混乱していると考えられるのである。
 だから、明晰に区別するには、例えば、同一性理性(略して、同一理性:量的理性)と差異理性(略して、差理性:質的理性)に分けるといいのかもしれない。カントの純粋理性は両者が衝突していると言えるだろう(アンチノミー)。
 結局、PS理論によって、この問題が斉合性をもって、解決されると言える。結局、図式化すると、

差異理性⇒同一性理性

である。これは、また、次のように言い換えられる。

超越理性⇒物質理性

近代主義は、右辺を中心化させて、左辺の探究が問題化したと言えよう。
 そして、フッサールの現象学は、左辺の探究であったと言えよう。その結果、超越論的主観性、間主観性、生活世界等の概念が生まれたのである。
 ただし、フッサールは超越理性が、差異理性、差異共鳴理性であることを認識できずに、いわば、超越的同一性に留まったと言えよう。


   




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