INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/01/08

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2009年01月08日(Thu)▲ページの先頭へ
自公党、恥を知れ!!!
「製造業は常用雇用が望ましい」は正しい。麻生首相は、思うに、ブレインが貧弱である。その点では、気の毒である。孤独な首相である。
 これまで過去の傑出した、あるいは、地道に努力した日本人の成果が、自公党によって、食い潰されることは、断じて許しがたいことである。忘恩である。

 自公党、恥を知れ!!!



首相、派遣規制の検討を容認 製造業めぐり

2009年1月8日 17時22分

 麻生太郎首相は8日午後の衆院予算委員会で、野党が求めている製造業への派遣労働規制について「いろいろ検討することはいいことだ。さまざまな議論があるので、検討する必要がある」と述べ、検討を容認する姿勢を示した。同時に「製造業は常用雇用が望ましい」とも述べた。

 ただ「現在製造業への派遣は45万人から46万人おり、厳しい雇用情勢の中で直ちに禁止すると影響が出るので慎重に対応する必要がある」と述べ、慎重な議論が必要だと指摘した。

 2兆円の定額給付金については、高額所得者の受け取りに関し「個人に給付するもので個人の判断だ」とあらためて表明した上で、受け取った場合は「盛大に消費してもらうのが正しい」と述べた。首相自身が受け取るかについては「まだ(2008年度第2次補正予算案が)通っていない。その時に判断する」と述べるにとどめた。

 民主党の菅直人代表代行への答弁。
(共同)
http://www.tokyo-np.co.jp
/s/article/200901080
1000587.html


副島隆彦氏と空虚さ:日本的自然的身体の喪失:戦後日本の喪失感・空虚感
副島隆彦氏は鋭敏さと自己中心主義が混淆した、独立独歩の人間である。彼の論を読んでいると、鋭さとは別に、空虚を感じるのである。あるいは、薄さである。決して軽薄ではない。真面目な人物である。
 想起するのは、三島由紀夫である。三島にも私は空虚さを感じる。それはまた、作家の村上春樹にも感じる。
 直感で言うと、彼らに欠けているのは、自然的身体である。核になるものがないのである。つまり、Media Pointの喪失である。これは、正に、戦後日本を象徴していると言えよう。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

[1139]「かんぽの湯」全国71個の施設 のオリックスへの一括売却に、待ったがかかった。喜ばしいことだ。
投稿者:副島隆彦投稿日:2009/01/08(Thu) 07:50:53


副島隆彦です。 古来、国家資産の売却、すなわち払下げには、時代を巻き込む疑獄(汚職)が付きまとう。 現代の「山城屋(やましろや)和兵衛」である、竹中平蔵の盟友、オリックスの会長の宮内義彦(みやうちよしひこ)に、「待った」がかかった。

管轄である総務省の鳩山邦夫(はとやまくにお)大臣が「待った」の発言をしたのだから、もう、これで払下げは、止まるだろう。すんでのところで、日本国民の財産の外資(がいし)へのたたき売りから、守ることができて、よかった。

・・・・・

気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板
http://www.soejima.to/
「副島隆彦の学問道場」


Distributismとは生産手段や資金の分配主義であり、小共同体主義である
「ディストリビューティズム」の説明を読んだが、分配主義ないしは配分主義と訳すと、花枯らせ爺の麻生首相の自爆自虐自滅的バラマキ政策と勘違いされる恐れがある。
 配分されるのは、生産手段である。即ち、土地や道具・機械である。また、交付金システムをとっている。そして、家族単位、父母子の一組を社会のアトムにして、ギルド的な共同体を目指している。
 これは、プルードンが考えたような「アナキズム」的な共同体的発想に通じるだろう。言い換えると、アソシエーションの発想である。
 問題点は、技術革新をどう取り入れるのかという問題があるし、また、交付金システムが曲者で、交付金を支配する機構が権力化して、いわば、全体主義になる可能性があると思う(カトリックから生まれた思想であり、カトリック的な権威・権力主義が根本にあると考えられる)。交付金よりも市場の価値創造性を見るべきである。「ディストリビューティズム」は、そのままでは、価値創造が停滞ないしは衰退する恐れがある。
 また、個ではなく、家族が単位となっているのが、問題である。結合すれば、個的家族が単位となるだろう。
 とまれ、活用する価値はあると思う。差異共振経済の市場経済に、その共同体の発想を変形させて取り入ることはできそうである。思うに、地方や芸術家共同体において、利用できそうである。
 また、ゲゼルの減価通貨をその共同体市場経済で使用するといいだろう。

Distributism
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to: navigation , search
This article needs additional citations for verification . Please help improve this article by adding reliable references . Unsourced material may be challenged and removed. (December 2008)

Distributism, also known as distributionism and distributivism, is a third-way economic philosophy formulated by such Roman Catholic thinkers as G. K. Chesterton and Hilaire Belloc to apply the principles of Catholic Social Teaching articulated by the Roman Catholic Church , especially in Pope Leo XIII 's encyclical Rerum Novarum [1] and more expansively explained by Pope Pius XI 's encyclical Quadragesimo Anno [2] According to distributism, the ownership of the means of production should be spread as widely as possible among the general populace, rather than being centralized under the control of the state (indirect socialism ) or a few large businesses or wealthy private individuals (capitalism ). A summary of distributism is found in Chesterton's statement: "Too much capitalism does not mean too many capitalists, but too few capitalists."[3]

Essentially, distributism distinguishes itself by its distribution of property (not to be confused with redistribution of property carried out by socialism). Distributism holds that, while socialism allows no individuals to own productive property (it all being under state, community, or workers' control), and capitalism allows only a few to own it, distributism itself seeks to ensure that most people will become owners of productive property. As Hilaire Belloc stated, the distributive state (that is, the state which has implemented distributism) contains "an agglomeration of families of varying wealth, but by far the greater number of owners of the means of production."[4] This broader distribution does not extend to all property, but only to productive property; that is, that property which produces wealth, namely, the things needed for man to survive. It includes land, tools, etc.[5]

Distributism has often been described as a third way of economic order opposing both socialism and capitalism. However, some have seen it more as an aspiration, which has been successfully realised in the short term by commitment to the principles of subsidiarity and solidarity (these being built into financially independent local co-operatives and family owned, small businesses).

http://en.wikipedia.org
/wiki/Distributism


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2009年1月
       
8

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:728
昨日:959
累計:4,717,995