INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2008/10

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2008年10月21日(Tue)▲ページの先頭へ
創造的資本主義と差異共振的資本主義:内在する超越的価値の肯定評価
後で拝読したい。創造的資本主義の提唱であるが、結局、差異共振主義的資本主義にならないといけない。
 先に触れたが、超越的価値を肯定する必要がある。そう、資本主義的生産は、実は、超越的価値が内在しているのである。これがなければ、協働して生産することはできないのである。
 思うに、事業の才覚の側面は能動的超越的価値であり、協働は、受動的超越的価値ではないだろうか。もっとも相対的な面があるが。この点は後で検討である。
 
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世界恐慌後の世界:創造的資本主義は貧困を克服できるか?

ニフティが主催したBlog Active Day Night というイベントが、先週の15日、お台場で開催された。
昨年からBlog Action Dayというネット上のイベントが、世界26ヶ国が参加して行われていたのだが、世界一の「ブログ大国」といわれているにも関わらず、残念ながら日本は蚊帳の外。これではチョッと情けないということで、アジャイル・メディアネットワークの徳力氏らが発起人となって、今年からこのアクションに積極的に加わり、日本でも盛り上げていこうということになったのだ。お台場のリアルイベントは、そのキックオフイベントとしてブロガーを集めて開催されたものだった。

http://katoler.cocolog-nifty.com
/marketing/2008/10/post-de5b.html

カトラー:katolerのマーケティング言論


視覚時空とは何か:視覚(感覚)はMedia Point、身体と精神の即非様態である
以下の光琳の奇蹟的な作品の垂直なゆらぎ(垂直だけではないが)を見て、視覚空間(視覚時空間)とは何かと考えてしまう。ここには、三次元空間(時空四次元)以外の垂直空間、いわば、四次元空間(五次元)が立ち上がっているのである。
 この四次元現象をどう見るのかである。神秘的現象というには、あまりに生々しい質感がある。超越性がまざまざと表現されているのである。
 視覚(感覚)は、単に物質的感覚だけを捉えるのではないことは、この絵画が如実に表わしている。日常的には、視覚(感覚)は同一性感覚ないしは同一性主義感覚である。(近代主義に染まった感覚は後者である。)
 端的に言えば、視覚は差異視覚でもある。このことは、以前、即非性で説明した。だから、即非視覚があると言えばいいだろう。即ち、視覚は、同一性視覚であり、且つ、差異視覚であるということである。近代合理主義は、同一性視覚を中心化して、差異視覚を排除したのである。(排除された差異視覚が、ロマン主義や象徴主義や「モダンアート」を生みだしたと言えよう。)
 とまれ、感覚とは、決して同一性感覚ないしは物質感覚だけに留まらないことがここで明確に確認される。(先に、私は感覚と感性は異なると言ったが、それは不正確である。感覚は感性でもあるのである。)
 PS理論から言えば、視覚(感覚)は、Media Pointであると言えるのではないだろうか。そう、身体である。また、精神である。つまり、視覚とは、Media Pointであり、身体であり、且つ精神であるということになる。ここで、西洋哲学の心身二元論は解決されるのである。新東洋哲学である。
 とまれ、視覚(感覚)は、Media Pointであり、高次元に接しているのである。ここに、芸術の重要な役割があると言えよう。精神と身体の即非表現としての芸術の役割があるのである。
 そう、ここで想起するのは、ずいぶん以前、久しぶりに聴いたバッハの無伴奏チェロの音に接した瞬間に精神を感じたのであるが、正に、聴覚はMedia Pointであり、精神に通じているのである。
 ここで飛躍すると、この新しい感覚はトランス・モダン感覚であり、経済もこの点から変容される必要があるということになろう。超越的価値が経済に入ってくると考えられるのである。今はここで留める。経済価値のトランス・モダン化については、後で検討したい。

追記:この考えに拠ると、古代オリエントや日本古代・中世において、性と宗教が結びついていたというのは、納得できるのである。何故なら、一神教による精神と身体との分裂がないために、Media Pointが開いていたので、性という身体感覚も、即非的に、超越性、精神性と結びついていた考えられるからである。聖娼、神殿娼婦というものは、深い意味をもっていたと考えられるのである。
 そう、この視点から見ると、プラトンのエロースも同様なものと言えよう。プラトンの言葉を使えば、黒い馬と白い馬は、同一のものである。黒い馬は白い馬である。
 イタリア・ルネサンスのネオ・プラトニズムは、この点から評価されるべきであろう。
 性即是聖、聖即是性である。

http://www.salvastyle.com
/menu_japanese/korin.html


2008年10月20日(Mon)▲ページの先頭へ
今朝の夢:二匹の蛇と二匹の猫:一匹の毒蛇を二匹の猫が退治する
今日見た夢は、印象深いものだった。
 一つの夢は危機的なものであったが、忘れてしまった。二番目の夢が印象的であり、なにか二回見た感じがあるのである。
 すなわち、二匹の蛇が逃げ出したが、一匹は、やまかがし(本当は毒蛇であるということである)であり、一匹はマムシのような、いかにも見て毒々しい蛇であった。青紫色の毒蛇であった。そこへ、二匹の猫(マングース?)がやってきて、毒蛇と戦うのであった。
 一匹は蛇ののど元に巻き付いた。しかしながら、毒蛇は、猫にかみついた。しかし、他の猫が両者を締めるように絡みつく。そして、毒蛇と最初の猫は死んでしまうのであった。英雄的な二匹の猫である。吉祥とは言える。

参照:
十二支考 04 蛇に関する民俗と伝説 - 南方 熊楠(みなかた くまぐす)
十二支考蛇に関する民俗と伝説 『古今要覧稿』巻五三 一に「およそ十二辰に生物を配当せしは王充の『論衡』に初めて見たれども、『淮南子(えなんじ)』に山中|未(ひつじ)の日主人と称うるは羊なり、『荘子』に〈いまだかつて牧を為さず、而して※(しょう)奥に生ず〉といえるを『釈文』に西南隅の未地(ひつじのち)といいしは羊を以て未(ひつじ)に配当せしもその由来古し」と論じた。
http://novel.atpedia.jp/page/5004.html


オバマ氏は新ブレトン・ウッズ体制に、同調していくと考えられる。これは、差異共振主義と考えられる。
先にも言及したが、オバマ氏は新ブレトン・ウッズ体制に、同調していくと考えられる。これは、差異共振主義と考えられる。トランス・モダン世界への移行と考えられる。
 同一性主義金融資本主義の瓦解によって、トランス・モダンへの方向が切り開かれたのである。もう後戻りはできない、すなわち、近代主義には帰れないのである。
 国有化=社会主義化は一時的な措置であり、世界経済の差異共振的融合はこれから顕著になるのである。トランス・モダン相転移である。


Barack Obama vows to 'change the world'
Barack Obama has vowed that he will "change the world" even as he urged his supporters to guard against complacency.

By Toby Harnden in Londonderry, New Hampshire
Last Updated: 6:42PM BST 18 Oct 2008
Democratic presidential candidate Senator Obama greets supporters at a campaign event at Mack's Apple's orchard in Londonderry
Democratic presidential candidate Senator Obama greets supporters at a campaign event at Mack's Apple's orchard in Londonderry Photo: REUTERS

The supremely confident demeanour and exalted rhetoric of the Democratic nominee at a New Hampshire event betrayed that he is a man convinced he is poised to make history.

http://www.telegraph.co.uk/news
/newstopics/uselection2008
/barackobama/3219308/
Barack-Obama-vows-to-
change-the-world.html


パウエル前国務長官、オバマ氏を支持=マケイン氏に大打撃−米大統領選

 【ワシントン19日時事】ブッシュ米共和党政権の1期目に国務長官を務めたコリン・パウエル氏は19日放映のNBCテレビの報道番組で、民主党大統領候補のオバマ上院議員を支持すると表明した。オバマ氏を「国民を鼓舞し、国を変革する人物。スタイルも中身もある政治家」などと称賛した。
 さらに、オバマ氏が当選すれば「黒人だけでなく全国民の誇りとなり、米国だけでなく世界を熱狂させるだろう」と語り、投票日には「オバマ氏に投票する」と言明した。
 黒人初の統合参謀本部議長や国務長官を歴任したパウエル氏は、「アメリカン・ドリーム」の体現者。黒人大統領の座を目指すオバマ氏を党派の壁を超えて支援する立場を鮮明にした。
 パウエル前長官がオバマ氏を支持するとのうわさは長くくすぶっていたが、選挙戦最終盤で公に表明したことは、共和党大統領候補のマケイン氏に大きな打撃を与えそうだ。(2008/10/20-00:36)

http://www.jiji.com/jc/c?g=
int_30&k=2008102000006


2008年10月19日(Sun)▲ページの先頭へ
大琳派展とケルト文様:東洋的美学へ向けて
大琳派展とケルト文様:東洋的美学へ向けて

テーマ:日本伝統文化:神話・宗教・民俗・芸術他

大琳派展とケルト文様:東洋的美学へ向けて
テーマ:日本伝統文化:神話・宗教・民俗・芸術他
今日、本展覧会に行ってきた。なかなか盛況である。若者が意外に目立った。人いきれがかなりあった。
 あるブログで、酒井抱一の紅白梅図屏風を特に気に入ったと述べられていたが、同感であった。
 また、いわゆる光琳波は、なにかケルト文様的である。そう、私は琳派は、イギリスのウィリアム・モリスの文様やアール・ヌーヴォーに似ているし、先取りしているし、また、それ以上だと思ったが、考えると、ケルト的文様に似ているという視点は大事だと思った。 
 とにかく、優れた作品が数多く展示されていて、豪華な、贅沢な展覧会であり、近年では稀に見る充実した展覧会ではないかと思う。
 とにかく、琳派とは天才揃いである。少しズレるかもしれないが、手塚治虫や宮崎駿はこの伝統を無意識に継承しているのではないだろうか。端的に、日本美学の継承である。
 湾曲する流線的な曲線の美学があると思った。中井正一的に言えば、流動するさらさら流れる美学である。

参考:
尾形光琳-主要作品の解説と画像
http://www.salvastyle.com/
menu_japanese/korin.html

次の代表作は「毒舌」の岡本太郎が大絶賛していたもので、ゆらゆらと垂直に揺らぐ川面は正に、ケルト文様と通じよう。超越次元を表現しているのである。そう、Media Pointから表現しているのである。これは雪舟にも感じられる。日本美術の粋は、伝統的に、Media Pointを介して、超越次元を表現していると考えられる。

尾形光琳作『紅白梅図屏風』
http://www.salvastyle.org/
menu_japanese/view.cgi?file
=korin_blossoms00&picture=
%8Dg%94%92%94~%90%7D%
9B%A0%95%97&person=%94
%F6%8C%60%8C%F5%97%
D4&back=korin_blossoms


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尾形光琳生誕350周年記念 
特別展「大琳派展−継承と変奏−」 平成館 2008年10月7日(火)〜11月16日(日)

風神雷神図屏風
重要文化財 風神雷神図屏風
尾形光琳筆
江戸時代・18世紀
東京国立博物館蔵
 2008 年は、江戸時代の芸術家尾形光琳が生まれて350年目にあたります。光琳は、斬新な装飾芸術を完成させ、「琳派」という絵画・工芸の一派を大成させました。琳派は、代々受け継がれる世襲の画派ではなく、光琳が本阿弥光悦、俵屋宗達に私淑し、その光琳を、酒井抱一らが慕うという特殊な形で継承されてきました。

 本展は、その琳派を代表する本阿弥光悦・俵屋宗達・尾形光琳・尾形乾山・酒井抱一・鈴木其一の6人の優品により、琳派芸術を展望しようとするものです。同じテーマの作品を比較しながら見ることで、琳派の系譜を具体的にたどると同時に、各作家の独自性も明らかにしようという企画です。絵画、書跡、工芸など、各分野の名品により、琳派の豊かな芸術世界をお楽しみください。

 ※会期中、作品の展示替があります。展示作品一覧をご覧ください。
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/
Con?pageId=A01&processId=
02&event_id=5705

http://www.rinpa2008.jp/

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琳派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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俵屋宗達 風神雷神図
俵屋宗達 風神雷神図

琳派(りんぱ)とは、俵屋宗達 、尾形光琳 ら江戸時代 に活躍し、同傾向の表現手法を用いる美術家 ・工芸家 らを指す名称である。

かつては尾形光琳・乾山 とその作風を継承した酒井抱一 らを一つのグループとみなし「光琳派」と呼んだり、その先駆者と考えられる俵屋宗達・本阿弥光悦 らを含めて「宗達光琳派」と呼んでいた。現在は「琳派」という呼称が一般的である。

背景に金銀箔を用いたり、大胆な構図、型紙のパターンを用いた繰り返し、たらしこみの技法などに特色が見られる。宗達・光琳・抱一の3人が著名であるが、この3人は生存時期が違い直接の師弟関係は無い。光琳が宗達を、抱一が光琳をそれぞれ私淑し、影響を受けている。(この点で狩野派 や円山派 といった流派とは異なる)
尾形光琳 紅白梅図屏風(紅梅図、部分)
尾形光琳 紅白梅図屏風(紅梅図、部分)

琳派はヨーロッパの印象派や現代の日本画、デザインにも大きな影響を与えている。

* 俵屋宗達 (江戸初期)
* 尾形光琳 (1658年 - 1716年)
* 酒井抱一 (1761年 - 1828年) 江戸琳派とも。

2004年に東京国立近代美術館で開催された「琳派 RIMPA」展では、明治以降の日本画の作品(菱田春草 、横山大観 など)のほか、クリムト やウォーホル の作品にも「琳派的なもの」が見られるとされた。

[編集 ] 関連項目

* 日本美術史

執筆の途中です この「琳派」は日本の文化 に関する書きかけ項目 です。この項目にさらなる加筆、訂正 などをして下さる協力者を求めています(ポータル 日本 /ウィキプロジェクト 日本文化 )。
"http://ja.wikipedia.org/wiki
/%E7%90%B3%E6%B4%BE " より作成
カテゴリ : 日本文化関連のスタブ項目 | 日本美術史 | 日本の画家 | 日本の美術家

酒井抱一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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酒井 抱一(さかい ほういつ、 宝暦 11年7月1日 (1761年 8月1日 ) - 文政 11年11月29日 (1829年 1月4日 ))は、江戸時代 後期の絵師。権大僧都 。本名は忠因(ただなお)、字は暉真。鶯村、雨華庵とも号する。狂歌での名前は、尻焼猿人。姫路藩 主・酒井忠以 (ただざね)の弟。

[編集 ] 略歴

神田小川町 の姫路藩 別邸にて藩主世子酒井忠仰 の次男に生まれた抱一は、17歳で元服して1,000石を与えられる。若い頃から俳諧 や狂歌 、浮世絵 等に才能を発揮し、30歳の時句集「軽挙館句藻」を刊行する。37歳で西本願寺 の法主 文如 に随って出家した後は尾形光琳 に私淑する。琳派 の装飾的な画風を受け継ぎつつ、円山四条派 や土佐派 などの技法も積極的に取り入れた独自の洒脱で叙情的な作風を確立し、いわゆる江戸琳派の創始者となった。その一方で、光琳の事績の研究や顕彰に努め、彼の没後100年に当たる文化 12年(1815年 )6月2日に百回忌記念の光琳展覧会を催した。その時の縮小版展覧図録である『光琳百図』上下は、当時の琳派を考える上での基本資料である。また、この図録は後にヨーロッパ に渡り、ジャポニズム に影響を与えた。

代表作の銀屏風「風雨草花図」(「夏秋草図屏風」の題名で広く知られる)は、一橋徳川家がかつて所持していたもので、俵屋宗達 の名作に影響を受けた光琳の金屏風「風神雷神図 」(重要文化財 )の裏面に描かれたものである(現在は保存上の観点から「風神雷神図」とは別々に表装されている)。風神図の裏には風に翻弄される秋草を、雷神図の裏には驟雨に濡れる夏草を描き、「風神雷神図」と見事な照応を示している。

門人に鈴木其一 、池田孤邨 らがいる。また、太田南畝 ・谷文晁 ・亀田鵬斎 ・市川団十郎 とも親しく、向島百花園 や八百善 にも出入りしていた。

墓所は築地本願寺 (東京都指定旧跡)。

[編集 ] 主な作品

* 『風雨草花図』(通称:夏秋草図屏風)東京国立博物館 蔵、重要文化財
* 『月に秋草図屏風』重要文化財
* 『白繻子地梅樹春草模様描絵小袖』国立歴史民族博物館 蔵、重要文化財
* 『波涛図屏風』静嘉堂文庫 美術館蔵
* 『三十六歌仙図色紙貼付屏風』プライス・コレクション蔵
* 『八橋図屏風』出光美術館 蔵
* 『紅白梅図屏風』出光美術館蔵
* 『四季花鳥図屏風』陽明文庫 蔵
* 『十二か月花鳥図』宮内庁 三の丸尚蔵館蔵
* 『十二か月花鳥図』プライス・コレクション蔵
* 『四季花鳥図巻』東京国立博物館蔵
* 『絵手鑑』静嘉堂文庫美術館蔵
* 『飛雪白鷺図』(通称:芦に白鷺図)山種美術館 蔵
* 『月夜楓図』静岡県立美術館 蔵
* 『雲雀に春草図』姫路市立美術館 蔵 1817年頃
* 『播州室明神神事棹歌之遊女行列図』姫路市立美術館蔵

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%
E9%85%92%E4%BA%95%E6%
8A%B1%E4%B8%80 " より作成
カテゴリ : 日本の画家 | 江戸時代の人物 | 酒井氏 | 1761年生 | 1829年没

参考:

ケルズの書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
このページはヨハネによる福音書であり、豪華な装飾がなされている
このページはヨハネによる福音書 であり、豪華な装飾がなされている

ケルズの書(ケルズのしょ、The Book of Kells)は、8世紀 に制作された聖書 の手写本 。

「ダロウの書 」、「リンディスファーンの福音書 」とともに三大ケルト 装飾写本のひとつとされ、アイルランド の国宝となっており、世界で最も美しい本とも呼ばれる。

縦33cm、横24cm。豪華なケルト文様による装飾が施された典礼 用の福音書 で、四福音書(マタイによる福音書 、マルコによる福音書 、ルカによる福音書 、ヨハネによる福音書 )が収められている。

聖コルンバ の偉業を称えるために、スコットランド のアイオナ修道院 で制作が着手され、その後アイルランドのケルズ修道院 で完成された。現在は、ダブリン大学 のトリニティー・カレッジ博物館 に所蔵されている。
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、ケルズの書に関連するマルチメディア およびカテゴリ があります。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%
82%B1%E3%83%AB%E3%82%BA
%E3%81%AE%E6%9B%B8 " より作成
カテゴリ : 聖書写本 | ケルト系キリスト教 | ダブリン

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2008年10月18日(Sat)▲ページの先頭へ
トランス・モダン差異共振資本経済へ:国家規制主義(社会主義)と市場主義(自由主義)の二項対立
国家規制主義(社会主義)と市場主義(自由主義)の二項対立になっているが、これを解決するには、質的な転換が必要である。後で検討したいと思うが、資本主義の本質は実は、質と量との不連続的な経済であるということを認識する必要がある。これまで、差異価値と同一性価値との矛盾した経済であると言ったが、矛盾という術語では、不十分なのである。何故なら、矛盾には、ヘーゲル弁証法のように、連続的な矛盾もあるからである。ここで、キルケゴール哲学やニーチェ哲学の根本的意味があるのである。両哲学は、不連続性を西洋哲学にもたらしたのである。(思うに、マルクス自身は、不連続性を無意識の内には感じ取っていたとは思うが、やはり、質と量との不連続性を、連続化したと考えられるのである。価値形態論は、連続性の理論である。カント的である。)
 ということで、矛盾ではなく、不連続性が資本主義経済の核心にあると見なくてはならない。国家規制主義と市場主義の対立は、この不連続性の認識を喪失している連続性の視点から生起するものと言えよう。
 いったん、資本主義経済の本質の、質と量との不連続性を認識すれば、問題の解決は明晰になるだろう。資本主義経済の出力の量的価値であるが、それを、質的価値へと転換する必要があるということである。これは、金銀本位制による質的通貨体制によって形成されると考えられるし、また、減価通貨による、質化も考えられるのである。
 今はここで留める。

Government’s Leap Into Banking Has Its Perils
Mark Wilson/Getty Images

On Tuesday, Treasury Secretary Henry M. Paulson Jr. discussed government plans to put $250 billion into banks.
By STEVE LOHR
Published: October 17, 2008


Now that the big five investment banks of America have been shut down, sold off or turned into more staid bank holding companies, there is one big risk-taking banker left: the federal government.

http://www.nytimes.com/2008/10/18
/business/18system.html?_r=1
&th=&adxnnl=1&oref=slogin&emc=

参考:
金融の善悪について

金融には悪の部分と善の部分が必ず存在する。「悪」の部分は基本的に詐欺と同じである。一部の人間の凡欲のために価値のない紙を作り、人や自然など生命から実物を奪い取る。その紙は「破壊」を招くだけであり、何も生産しない。
「善」の部分は非常に優秀で経験豊かな人達からのアイディアや創造性に基づき、実際に存在するものを作る。一番理想なのは、自然を助けながら人の役に立つ物やサービスを提供することである。

近年は欧米の秘密政府による「悪」の部分が殆どであった。その「悪」の部分である紙きれを歴史のトイレに流す時がきた。二度と価値のない紙を作り、人からお金を奪い取る行為を禁止にする必要がある。

これからの人類はイスラム金融のように、お金を貸す側は借り手が儲かったら自分も儲かり、借り手が損をしたら自分も損をするような、一方通行ではない新しい金融システムが必要である。

http://benjaminfulford.typepad.
com/benjaminfulford/2008/10/
%E9%87%91%E8%9E%8D%E3%
81%AE%E5%96%84%E6%82%AA
%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81
%84%E3%81%A6.html
BenjaminFulford 

th&adxnnlx=1224332140-JmKdp2
RqLXjTzlr29lMgVQ


monster(怪物)の語源は、不吉な予兆のことである。
monster(怪物)の語源は、不吉な予兆のことである。

小学館ランダムハウス英和辞典から

[1325年以前. 中期英語 monstre<ラテン語 monstrum(不吉な,重大な)兆し,不自然な出来事,怪物(monere「警告する」より;奇怪な生き物は神の警告と考えられたことから)]

(ただし、monstrumのoとmonereの二番目のeの上にバーがついて、長母音である。)

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東京・府中市で幅約1メートル、高さ40cm以上もある巨大なキノコが見つかりました。

東京・府中市で、巨大なキノコが見つかり、地元で話題になっています。
このキノコは、「ニオウシメジ」といって、一応食べられるキノコだそうです。
巨大キノコは10月6日、都立農業高校の裏庭の腐葉土などが置いてある場所で見つかりました。
幅はおよそ1メートル以上、高さは40cm以上もあり、都の農業総合研究センターに問い合わせたところ、ニオウシメジと判明しました。

(10/12 19:12)

http://www.fnn-news.com/
news/headlines/articles/
CONN00142222.html


検討問題:人類史のヴィジョン:二重螺旋的地球人類史のヴィジョン
ラセンのイメージの人類史のヴィジョンが浮かんだ。しかし、すぐ、二重螺旋の方が適切ではないかと思った。
 二重螺旋にしたとき、光と影の対極性があるだろう。影とは何だろうか。+iが光で、-iが影だろうか。+iが先導する場合【(+i)*(-i)⇒+1】は光のラセン、-iが先導するラセン【(-i)*(+i)⇒+1】は影のラセンとなるのだろうか。
 影のラセンは不可視であろう。これとダークマターは関係しないだろうか。そして、ダークエネルギーは、双極的超越エネルギーとなろう。


CDS「核爆弾」:連続的同一性集合体と不連続的差異共鳴態
CDS「核爆弾」:連続的同一性集合体と不連続的差異共鳴態

テーマ:金融・為替・株式・債券・通貨・税

CDS「核爆弾」であるが、結局、哲学的原理は単純で、連続的同一性の集合体(連続的同一性集合体)の連鎖的破綻である。売り手と買い手を同一性、同質と見るから「狂う」のである。売り手、買い手とも差異と見る必要があるのである。差異と言っても不連続な差異である。
 そうすると、量的な計算は本来成立たないことになるのである。そう、非線形である。具体的に言えば、損失を保障すると言っても、保障する会社が連続的同一性集合体の一部なのだから、連続的同一性集合体が、収縮すると、量的な保障は不可能になると考えられるのである。
 不連続的差異的共振態と見る発想が必要なのである。

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息潜める「危機の黒幕」 米深刻…CDS損失リスク

10月17日8時5分配信 フジサンケイ ビジネスアイ

 米証券大手リーマン・ブラザーズが経営破綻(はたん)して1カ月が経過したが、世界的な連鎖株安が続くなど金融市場の激震が収まらない。欧米では金融危機克服の“切り札”とされる公的資金による金融機関への資本注入に踏み切る動きが出始めたが、先行き不安はなお根強い。特に、金融市場を一段の混乱に陥らせかねないとして、市場関係者を脅かしているのが企業倒産時の債務不履行リスクを取引するCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)だ。CDSは損失リスクを回避すると同時に、多額の収益を生む投機的な金融商品として市場は大きく膨張したが、リーマン破綻以降、世界中に損失を飛散させる“火薬庫”になる懸念が強まっている。

 「CDSは取引所ではなく、金融機関同士の相対で取引されるため、各金融機関にどれだけ損失が発生しているのか、にわかには見えない」。みずほ証券の野村朗クレジットアナリストは、CDSがはらむ損失リスクの闇に危機感を募らせる。

 CDSは、融資先や社債の発行体である企業が倒産して債権が焦げ付く可能性に備えた保険商品のような金融商品だ。CDSの買い手は、売り手に保証料を払う代わりに、企業の倒産時には売り手から回収不能となった債権の元本の補填(ほてん)を受ける。企業が倒産する可能性が高いほど、保証料率(スプレッド)も高くなる仕組みだ。

 ◆取引残高54兆ドル

 金融機関が債務不履行による損失リスクを回避するため、利用を始めたが、次第に破綻懸念のある企業を見つけ出し、高い保証料の獲得を狙う「ハイリスク・ハイリターン」の金融商品として取引が拡大。6月末の取引残高は54兆ドル(約5400兆円)に達し、世界のGDP(48兆ドル)や株式時価総額(49兆ドル)を上回る。

 そのCDSのリスクが表面化したのが9月15日の“リーマンショック”だ。リーマンを対象企業とするCDSのスプレッドは破綻直前に3%から7%に跳ね上がったが、リーマン破綻以降、連鎖破綻懸念が広がり、欧米の金融機関のスプレッドは軒並み急上昇した。スプレッドの拡大は破綻リスクの上昇を意味し、金融機関の信用力の低下を招く。その結果、金融機関は資金調達がしにくくなり、資金繰り難で破綻を余儀なくされる懸念がさらに高まるという悪循環に陥っている。

 ◆損失総額70億ドル

 リーマン破綻に伴い、国内外の金融機関へCDSによる多額の損失が波及する可能性も大きくなっている。リーマン関連のCDS元本は4000億ドルとされその大部分をCDSの売り手が補填する必要があるからだ。金融機関の損失はCDSの買いによる収益と相殺しても世界で計70億ドル以上との見方も出ている。

 このほか、米政府系住宅金融大手の連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)と連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)を対象にするCDSの清算も決まり、破綻した米貯蓄金融機関(S&L)最大手のワシントン・ミューチュアルが対象のCDSも近く清算手続きに入る見込みで、金融機関がリーマンと同様の損失を被る恐れが強まっている。

 CDSの売り手は主に保険会社やヘッジファンドで、CDSの損失リスクが顕在化すれば、これらの金融機関が痛手を負う可能性は大きい。ただ、CDSは証券化商品に組み入れられており、損失がどこに飛び火するか分からないのが実情だ。企業の破綻を賭けて、マネーゲームに興じてきた金融機関がつけを払わされる恐れが強まっている。(本田誠)

                   ◇

 □債権への保険、投機的/取引、米英で7割

 ■「CDS」とは

 CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は、企業が倒産などで融資返済や社債の償還が不可能(債務不履行=デフォルト)となった場合に備え、債権者に万が一の際の元本支払いを保証するデリバティブ(金融派生商品)だ。いわば債権への保険のような性格を持っている。金融工学と呼ばれる高度な手法の発達に伴い、2000年ごろから市場で急速に拡大した。

 債権者はCDSの売り手に対し、対象となる債務(融資、社債など)について契約期間中の保証料を支払い、期間中に債務不履行が起きれば元本を保証してもらう権利を買う。実際に債務者が倒産すれば、CDSの売り手は元本を支払う代わりに債権を引き継ぐ。その際、支払った元本と、債権の清算による回収額との差が損失となる。

 CDSの売り手は、証券会社や投資銀行、保険会社、ヘッジファンドなど多額の資金を運用する機関投資家。主に保証料収入を目当てに取引を行っている。買い手は、債権の信用リスクを抑制したい銀行やヘッジファンドが多い。

 保証料率は、債務者の倒産リスクが高いほど上昇する。現在は取引所がなく、ブローカーを通じて相対で取引されているが、その相場は英金融調査会社マークイット・グループが調査し、指標として示している。金融大国である米国での取引が世界シェアの4割程度、英国も3割以上を占め、他国を引き離している。

 CDSは債務保証に似た仕組みだが、債権者ではない第三者も買い手になれる点などが特徴で、投機的な性格を持つ。証券化商品に対するCDSや、CDSを組み込んだ投資商品も取引されており、こうしたケースでは債務不履行による損失の把握が困難になっている。

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http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20081016-00000028-fsi-bus_all


2008年10月17日(Fri)▲ページの先頭へ
対称性と非対称性:雌雄分離の力学:新母権世界又は父権包摂的新母権世界の構築へ向けて:補足版
ノーベル物理学賞をとった南部氏の「対称性の自発的破れ」理論であるが、これは、Media Pointの様相と見ることができることは先に述べた。自己認識方程式自体がそれを表現していると言えよう。(+i)*(-i)⇒+1において、左辺が正に、対称性であり、⇒が自発性であり、+1が破れである。これは端的に物質や自己の形成を意味するのである。
 私が問題にしたいのは、能動性と受動性の関係である。あるいは、雌雄性別形成の発生因である。単性生殖(処女生殖)もあるので、注意が必要である。
 雄だから、能動的であるとは、当然必ずしも言えないことは自明である。精神と身体との区別が必要であると考えられる。
 ここで作業仮説であるが、+iを能動性、-iを受動性としよう。そうならば、+1とは、能動性と受動性が調和合一したものと言えよう。ユング心理学の個体化に相当する。
 父権主義とは、一見、能動性に傾斜しているが、根本的にそうなのだろうか。逆ではないだろうか。雄・男性の根本は受動性ではないだろうか。そして、雌・女性の根本は能動性ではないだろうか。
 私は父権主義を批判し、母権主義(母系主義)を肯定評価しているが、後者にはバランスを見ているのであるが、今の考えでは、さらに母権主義とは、原理は能動性+iではないかということである。即ち、これまで、母権主義には、+1の調和バランスを見ていたが、今は、能動性+iではないだろうかということである。だから、父権主義の根本は受動性-iとなる。
 私が今思っているのは、父権主義の根因は-iであるが、-iが反動したものが父権主義として現われたのではないだろうかということである。
 本体の-iを否定するので、+iとなるだろう。そして、これが、根源の+iと積となり、-1となるのではないだろうか。
 では、母権主義は、本体が+iであるが、それが、父権主義によって否定されて、-iとなっているのである。そして、-iの自乗で、-1となるのである。
 以上は思考実験に過ぎない。
 ここで、これまでの発想から言うと、母権主義は本来、+1の調和主義である。これまで示唆したように、この調和の智慧が、太古から伝承されてきたと考えられる。それが、仏教の般若であり、また、プラトンのイデア、グノーシス等におけるsophia(叡知)、等々ではないだろうか。
 聖書にしろ、神話にしろ、この母権的叡知を下敷きにして、いわば、父権主義的に反転させているとみることができる(参照:ジョゼフ・キャンベルの神話学)。有名なD. H. ロレンスの『黙示録論(アポカリプス)』も、ヨハネ黙示録の「考古学」であり、基層・古層の母権的叡知ないしは東洋的叡知を発掘しているのである。(追記:「ロゴス」は正に、母権的叡知を父権化したもの、差異叡知を同一性化したものと言えよう。だから、トランス・ロゴスとしての即非知ということになる。)
 さて、本件であるが、女性の対称性の破れとは、調和的であるが、男性の対称性の破れは、-iの傾斜があり、不調和的ではないだろうか。-iという受動性へ傾斜しているので、反動的な能動性(虚栄心等)を形成するのではないだろうか。平明に言えば、強がりである。虚勢である(石原都知事を見ればいいだろう)。コンプレックスの裏返しの優越感志向と言えよう。
 思うに、女性の調和叡知に劣等感を感じた男性が反動的能動性を形成して、父権主義を生んだのではないだろうか。
 典型がヤハウェである(自ら、嫉妬深い神と述べているのであるから、正直ではある)。しかしながら、この反動的能動性があったからこそ、文明が生じたのである。これは、父権的知性の形成であり、物質科学・技術を生んだのである。
 何度も言うが、母権主義だけでは、「進歩」はなかったと言えよう。しかし、今は、このヤハウェ的父権文明=同一性主義金融資本主義が崩壊して、新たな母権的世界が生まれようとしていると言えよう。しかし、自発的な破れであるから、行為しないものは、没落・零落する運命である。
 PS理論は、この新母権的世界を指導する理論となろう。

p.s. この新母権世界であるが、最高に注意すべきは、同一性科学(物質科学・技術)を包摂した差異科学・技術的世界となるのであり、これは、父権主義を包摂した新母権主義ということである。包摂ないしは超越的包摂ということがキーポイントである。


対称性と非対称性:雌雄分離の力学:新母権世界又は父権包摂的新母権世界の構築へ向けて
対称性と非対称性:雌雄分離の力学:新母権世界又は父権包摂的新母権世界の構築へ向けて

テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係

ノーベル物理学賞をとった南部氏の「対称性の自発的破れ」理論であるが、これは、Media Pointの様相と見ることができることは先に述べた。自己認識方程式自体がそれを表現していると言えよう。(+i)*(-i)⇒+1において、左辺が正に、対称性であり、⇒が自発性であり、+1が破れである。これは端的に物質や自己の形成を意味するのである。
 私が問題にしたいのは、能動性と受動性の関係である。あるいは、雌雄性別形成の発生因である。単性生殖(処女生殖)もあるので、注意が必要である。
 雄だから、能動的であるとは、当然必ずしも言えないことは自明である。精神と身体との区別が必要であると考えられる。
 ここで作業仮説であるが、+iを能動性、-iを受動性としよう。そうならば、+1とは、能動性と受動性が調和合一したものと言えよう。ユング心理学の個体化に相当する。
 父権主義とは、一見、能動性に傾斜しているが、根本的にそうなのだろうか。逆ではないだろうか。雄・男性の根本は受動性ではないだろうか。そして、雌・女性の根本は能動性ではないだろうか。
 私は父権主義を批判し、母権主義(母系主義)を肯定評価しているが、後者にはバランスを見ているのであるが、今の考えでは、さらに母権主義とは、原理は能動性+iではないかということである。即ち、これまで、母権主義には、+1の調和バランスを見ていたが、今は、能動性+iではないだろうかということである。だから、父権主義の根本は受動性-iとなる。
 私が今思っているのは、父権主義の根因は-iであるが、-iが反動したものが父権主義として現われたのではないだろうかということである。
 本体の-iを否定するので、+iとなるだろう。そして、これが、根源の+iと積となり、-1となるのではないだろうか。
 では、母権主義は、本体が+iであるが、それが、父権主義によって否定されて、-iとなっているのである。そして、-iの自乗で、-1となるのである。
 以上は思考実験に過ぎない。
 ここで、これまでの発想から言うと、母権主義は本来、+1の調和主義である。これまで示唆したように、この調和の智慧が、太古から伝承されてきたと考えられる。それが、仏教の般若であり、グノーシス等におけるsophia(叡知)、等々ではないだろうか。
 聖書にしろ、神話にしろ、この母権的叡知を下敷きにして、いわば、父権主義的に反転させているとみることができる(参照:ジョゼフ・キャンベルの神話学)。有名なD. H. ロレンスの『黙示録論(アポカリプス)』も、ヨハネ黙示録の「考古学」であり、基層・古層の母権的叡知ないしは東洋的叡知を発掘しているのである。
 さて、本件であるが、女性の対称性の破れとは、調和的であるが、男性の対称性の破れは、-iの傾斜があり、不調和的ではないだろうか。-iという受動性へ傾斜しているので、反動的な能動性(虚栄心等)を形成するのではないだろうか。平明に言えば、強がりである。虚勢である(石原都知事を見ればいいだろう)。コンプレックスの裏返しの優越感志向と言えよう。
 思うに、女性の調和叡知に劣等感を感じた男性が反動的能動性を形成して、父権主義を生んだのではないだろうか。
 典型がヤハウェである。しかしながら、この反動的能動性があったからこそ、文明が生じたのである。これは、父権的知性の形成であり、物質科学・技術を生んだのである。
 何度も言うが、母権主義だけでは、「進歩」はなかったと言えよう。しかし、今は、このヤハウェ的父権文明=同一性主義金融資本主義が崩壊して、新たな母権的世界が生まれようとしていると言えよう。しかし、自発的な破れであるから、行為しないものは、没落・零落する運命である。
 PS理論は、この新母権的世界を指導する理論となろう。

p.s. この新母権世界であるが、最高に注意すべきは、同一性科学(物質科学・技術)を包摂した差異科学・技術的世界となるのであり、これは、父権主義を包摂した新母権主義ということである。包摂ないしは超越的包摂ということがキーポイントである。


新ブレトンウッズ体制:対立から融合へ:弁証法から即非対極性へ
後で拝読したい。
 いつもの歯切れの良さがなく、自信がなさそうである。新ブレトンウッズは、イスラエル/英国覇権VS多極化路線の対立図式からは見えてこないだろう。差異共振主義の視点で見ないといけない。ここでは、対立から融合へと向かうのである。弁証法では捉えられない。即非対極の視点が必要である。


「ブレトンウッズ2」の新世界秩序
2008年10月17日  田中 宇

前回の記事 で、ブラウン政権のイギリスが、金融危機への国際的な対策を打つ際の主導権を、失敗ばかりしているブッシュ政権のアメリカから奪取しようとする動きが始まっていることを書いたが、10月15日、英による画策が、ひとつの形として浮上した。英が主導するEUが、世界に向かって「国際金融体制を安定させるための、第2のブレトンウッズ会議を早急に開こう」と呼びかけたのである。(関連記事 )

・・・・・

ここで一気に、金融界に規律を取り戻すのなら、金本位制に戻るという選択肢も、なきにしもあらず、という感じもする。そこまでいかなくても、今後、国際通貨制度を固定相場制に復活する動きがあっても不思議ではない。今後の国際通貨制度の青写真としてどのようなものが用意されつつあるのか、近いうちに見えてくると期待される。(強調renshi)
http://tanakanews.com/
081017brettonwoods.htm


2008年10月16日(Thu)▲ページの先頭へ
差異共振《帝国》の出現:差異共振資本経済の主導権と相転移
オバマ氏の言論の方が説得力がある。マケイン氏はブッシュ側、すなわち、同一性主義金融資本主義側である。
 思うに、オバマ大統領とブラウン首相のツィン欧米体制ができあがるのかもしれない。《帝国》の形成である。差異共振世界資本経済という《帝国》である。換言すると、差異共振帝国である。ここでは、差異共振資本化したものが主導権を取ることになる。

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米大統領選のテレビ討論、世論調査はオバマ氏に軍配
2008年 10月 16日 14:41 JST

[ヘムステッド(ニューヨーク州) 15日 ロイター] 米大統領選は15日、共和党のマケイン、民主党のオバマ両候補による最後のテレビ討論が始まった。両候補はともに労働者への支援を約束、税制改革をめぐって応酬を繰り広げた。

 マケイン氏は、オバマ氏が年収25万ドル以上の富裕層への増税を提案したことを批判。町の配管業者など、中小企業の経営者が大きな打撃を受けると指摘した。

 マケイン氏は「なぜ増税をしたいのか。いまは企業活動を奨励するときだ」と発言。

 オバマ氏は、自身の税制改革案では国民の95%が減税となり、増税はごく一部の富裕層に限定されると反論。マケイン氏は石油・ガス企業に優遇税制を適用しようとしていると批判した。

 オバマ氏は「われわれはともに減税を望んでいる。違いは、誰のための減税を望んでいるのかという点だ」と述べた。

 マケイン候補は、金融危機への対応で世論調査の支持率が低迷しており、今回の討論会で巻き返しを図りたい考え。

 世論調査によると、経済問題では、オバマ氏の指導力を信頼できると回答する有権者が多く、外交や軍事を得意とするマケイン氏は苦戦を強いられている。

 テレビ討論は90分間にわたって行われ、終始マケイン候補が守勢に立たされた。

 オバマ氏は選挙戦で、マケイン氏とブッシュ大統領の政策が酷似していると繰り返し主張しているが、マケイン氏はこれについて「オバマ上院議員、私はブッシュ大統領ではない。それほどブッシュ大統領と対決したいのであれば、4年前の大統領選に立候補すべきだった」と指摘。

 オバマ氏は「私が時折マケイン氏の政策とブッシュ大統領の政策を間違うのは、税制、エネルギー政策、歳出の優先順位といった国民にとって重要な経済問題で、マケイン氏がブッシュ大統領を強く支持しているためだ」と反論した。

 テレビ討論終了後にCBSニュースとCNNが実施した緊急世論調査によると、オバマ氏に軍配を上げる有権者が多かった。第1回、第2回のテレビ討論後に行われた世論調査でもオバマ氏に軍配が上がっていた。
http://jp.reuters.com/article/world
News/idJPJAPAN-34345620081016


差異通貨論:新ブレトン・ウッズ体制に関連させて
差異通貨論:新ブレトン・ウッズ体制に関連させて

テーマ:差異通貨・貨幣論

再掲である。

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Sat, September 22, 2007 20:19:05
同一性資本から差異資本へ:量的経済から質的経済へ:トランス・モダン差異共生経済へ
テーマ:差異通貨・貨幣論 サブプライムローンという現代の金融工学を駆使して造られたローンであるが、実質は、貨幣の古典的形態の問題から出ていないと考えられるのである。つまり、リスクを分散させて証券を多発したのであるが、結局、目指しているのは、交換価値=量的価値の増加・肥大化に過ぎないのである。古典的な貨幣の仕組みから脱皮していないのである。小手先の技術が発達しただけなのである。
 さて、そこで、サブプライムローン問題に関係させて貨幣について、新たに、プラトニック・シナジー理論から考察してみよう。
 私は、サブプライムローンは、シェイクスピアの『マクベス』の魔女の予言とマクベスの関係と類似していると直感した。これは何を意味するのかと言えば、構造として貨幣が喚起する、期待の地平(投機の地平)があるのであり、この期待の地平(魔女の予言の地平)において、同一性(連続的同一性)である貨幣(資本)が拡大・成長・肥大化するのである。
 この拡大・成長・肥大化は、当然、量的増加であり、同一性構造における増大である。なぜ、この期待の地平において、増大化するのかと言えば、それは、同一性構造が自我の構造であり、端的に、自我欲望の構造であるからということになる。
 貨幣(資本)は、同一性構造=期待の地平において、自我欲望と結合・融合しているのである。ここでは、投機と妄想は区別がつかないだろう。だから、「魔女の予言」なのである。
 近代合理主義においては、合理的な投機と妄想的投機の区別がつかないのであり、バブルが必然的なのである。ここでは、合理性と妄想が同次元なのである。
 なぜ、合理性と妄想が同次元になるのかと言えば、端的に、同一性構造=期待の地平が基盤にあるからである。同一性構造とは、抽象・一般的構造、抽象的量的構造であり、同一性(=貨幣)は無限に拡大しうるのである。つまり、抽象・一般・量的価値=近代合理性が無限に増加しうるという妄想を生むのである。
 このような近代合理主義的貨幣論に留まっているので、金融工学を駆使しても、サブプライムローン問題という古典的なバブルが発生するのである。
 この問題は、結局、貨幣における交換価値という同一性価値の増大に留まっていることから発しているのである。差異的価値へと転換しないために、同一性の量的価値の無限の拡大を志向して、バブル化して、崩壊するのである。
 金融資本の投資家が、量的価値しかもっていないから、このようなことが起きるのである。差異的価値へ盲目なのである。ここで、現代哲学を考えてみると、ポスト・モダンは、脱同一性=差異を志向した。これは、単純に言えば、貨幣の同一性(近代合理主義)からの脱却を意味している。
 しかしながら、これまで述べたように、ポスト・モダン哲学は、同一性を生み出す連続性から真に脱却できなかったのである。思うに、リスクを細分化して、拡散させる金融工学は、ポスト・モダン哲学と同じではないかと思えるのである。リスクの細分・拡散化とは、同一性的差異(連続的差異)の形成を意味するのではないだろうか。連続的差異をたくさん作っても、結局は、微分に過ぎず、同一性自体は変わらないのである。元の木阿弥である。
 結局、純粋な、絶対的差異(超越的差異)へと転換できないことから、現代の資本主義の混沌が生まれていると考えられるのである。トランス・モダンへと転回できないでいるのである。
 絶対的差異への転換、これは、量的価値(交換価値)から質的価値への転換を意味する。そして、プラトニック・シナジー理論からは、差異は即非・共振性をもつので、差異共生主義へと転回することが考えられるのである。これは、新共同体(新共生体)を意味するのである。
 貨幣・資本は今や、新たな共同体・共生体形成へと振り向けられる必然性があるのである。成長という用語を使うならば、量的成長から質的成長へとパラダイム・シフトすべき時に至っているということである。比喩的に言えば、蛹から蝶へと成虫化すべき時に至っているのである。
 貨幣・資本は、同一性価値に基づく量的成長から差異的価値に基づく質的成長へ変換するために、投資される必要があるのである。この差異的価値への転換のために、差異的経済価値の法律が必要となると考えられるのである。差異共振性・差異共生性のために使用される投資は優遇されるように法律化すべきなのである。
 私は、単なる寄付ではいけないと考えられる。寄付=贈与は、実は一種の負債である。というか、根源的な負債であろう。寄付される方は、負い目があり、寄付する方は寄付される方に対して、権力をもつのである。あるいは、逆の関係となろう。どちらにしろ、主従関係である。
 ということで、近代合理主義/ポスト・モダン=魔女の予言(サブプライムローン)からのエクソダスとして、トランス・モダン=差異共振主義へとパラダイム・シフトする必然性があるということである。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10048167048.html

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金儲けと「同一性=自我」欲望:Kaisetsu氏の銀本位制と有限化
テーマ:差異通貨・貨幣論
私の今の直感では、金儲けに奔走する人間は、「同一性=自我」主義に陥るということである。金は同一性=交換価値であり、すべてをそれに還元する。極端な例が守銭奴である。
 ここで政治について言うと、自民党は金のこの魔力に長い間浸かってきたので、国民の痛みという差異が認識できなくなっていると思える。
 金はこの世でいちばん危険なものである。悪魔である。しかし、この悪魔は天使にもなる。デリダがプラトンのファルマコン(パルマコン)の両義性について述べたが、ファルマコンの典型は金であろう。毒薬であり、良薬でもある。
 金は、だから、麻薬・ドラッグに近い。また、ギャンブルにも近い。この金の魔力を極力減らすことを考えないといけないだろう。アメリカの軍需産業は、戦争経済という悪魔経済を形成しているが、それも、金の魔力である。イエスがカエサルのものはカエサルへと貨幣について述べたのはある意味で正しい。
 結局、「同一性=自我」欲望と金が密接に結びついていて、差異が押さえられてしまうのである。これが、ハイデガー的に言えば、世人の様態である。 Kaisetsu氏は、銀本位制を提唱されているが、それは、明敏である。つまり、「同一性=自我」欲望が、抽象的な金=交換価値と融合して、無限欲望幻想へと駆り立てるからである。銀本位制ならば、本来伝統的な通貨制度であり、「同一性=自我」欲望を銀という金属に有限化できるので、無限欲望幻想を押さえることができるのである。
 また、環境問題も銀本位制によって解決できる可能性が生まれるだろう。何故なら、環境は有限であるからであり、「同一性=自我」欲望を限定することで、環境の有限性へと目覚めることが可能になるのである。
 環境問題は、今日、とりわけ温暖化として問題化しているが、結局、社会全体において、どうやって差異化をもたらすかにかかっているだろう。PS理論がこのための指針をもたらすと考えられるのである。結局、実践的問題として、「同一性=自我」欲望の「世人」をどう矯めるのかである。これが難しい。
 自民党は「同一性=自我」欲望に麻痺しているから、これを矯めるのはほぼ不可能であろう。イエスが言ったように、「死者は死者によって埋葬させよ」であろう。差異をもった新しい力をより進展するようにもって行く方が建設的である。
 Let Identity=Ego Desire bury itself.
 Let Difference create new future!
http://ameblo.jp/renshi/entry-10042725611.html


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Thu, March 01, 2007 11:15:16
ウイリアムズ・ジェニングズ・ブライアンで、金本位制に苦しむ農民の利益を代表して銀本位制を唱えた
テーマ:差異通貨・貨幣論
 「オズの魔法使い」の主人公の少女ドロシーは自分の愛犬トトとともに竜巻により家ごと吹き飛ばされます。砂漠に囲まれた美しく不思議なオズの国に住む邪悪な「東部の魔女」の家の上に落ちて、魔女は死にます。そして少女はオズの国にあるエメラルド・シティを目指します。その途中頭脳を必要とする「かかし」や、心を欲しがる「ブリキの木こり」、そして弱気な「ライオン」に会い、頼りにされますが、少女は自分の故郷カンザスに帰りたがります。「北の妖精」に助けられもしますが、「東部の魔女」のためにドロシーに復讐を誓う同じく邪悪な「西部の魔女」に邪魔されます。ドロシーは「東部の魔女」が残した「銀の靴」に強い力があることを、優しい「南部の魔女」から教えられ、その靴を履き砂漠を越えてカンザスの故郷に帰ります。

 私はつい最近までこれは完全に童話の世界の物語と思っていましたが、そうではなくて当時の世相をもじった寓話であるとの評論家ヘンリー・リトルフィールドの論評を読んで驚いたことがあります。その一部を紹介します。

 『19世紀後半は南北戦争後の共和党政権時代で政治家と資本家が幅を利かしておりました。「トムソーヤの冒険」の作者マーク・トウェインはこれを「金ぴかの時代」と呼んでおります。特に中西部一帯では1885年から87年までの間熱波と寒波が襲い、多くの牛が死んだため牧場主が破産、カウボーイは失業した他、1890年から94年にかけては、鉄道や企業の倒産が続いたため、失業、ストライキ、暴動が起こり、デフレが続くと言った時代背景がありました。登場人物は当時アメリカを構成した人物やグループを擬人化したもので、例えば、死んだ「東部の魔女」は破産した銀行家か大牧場主、「西部の魔女」は裕福な農場主または鉄道会社、「かかし」はカンザスの農民、「ブリキの木こり」は単純な労働の結果非人間化した東部の金属労働者、弱気な「ライオン」は 1896年の大統領選挙でポピュリスト党の大統領候補となったウイリアムズ・ジェニングズ・ブライアンで、金本位制に苦しむ農民の利益を代表して銀本位制を唱えたが、黒人グループを追い出そうとする党内勢力を押さえきれなかった弱気が災いして支持を集められず敗退して、党勢が衰えて行ったことをもじったもの等々。エメラルド・シティの緑はアイルランドの象徴であり、当時東部で差別されて西部に移住したアイルランド系市民を示している。』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/hokubei/h_45.html
http://ameblo.jp/renshi/entry-10026852429.html

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マルクスの価値形態論とスピノザ&ドゥルーズの身体・差異の哲学の比較:
テーマ:差異通貨・貨幣論
以下は、2003年8月21日の日付がある。
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マルクスの価値形態論とスピノザ&ドゥルーズの身体・差異の哲学の比較:

前者は、資本主義力学における形式論理、様態であろう。そして、これは、
象徴界=二項対立と結びついているだろう。今村仁司の第3項排除論はこれを説明するものだが、これは、いわゆるポスト構造主義的な考えだろう。つまり、根源の差異を排除して、二項対立、二元論が形成されるということだ。デリダなら差延であるが。このように考えると、マルクスの価値形態論とは、資本主義の構造主義分析である。貨幣という商品が排除される。では、貨幣とは、となる。これは、ドゥルーズ的に言えば、差異を隠蔽している代用物であろう。
人間と人間、人間と自然との関係における力の源泉を隠蔽するような代用物であろう。(「乖離の現象学」からすれば、情動や欲望の言い換え、メタファーやメトニミーに相当するのだろう。)とまれ、差異を同一性に変換する「イデア」=抽象作用である。そう、悟性作用と言っていいだろう。数的な作用である。計算作用である。合理化作用である。言語作用である。差異、単独性の排除がある。この排除を隠蔽する作用の一つの要として貨幣があると言えよう。つまり、貨幣とは、差異排除的同一化作用の経済的手段である。これは、抑圧力=暴力・支配力・権力=死の欲動と一体である。(ゲゼル会の森野氏によると、価値形態論もプルードンからの剽窃ということになるようだが、ここでの問題は価値形態という資本主義経済力学における構造性であるので、発見者がマルクスであろうが、プルードンによるのであろうが、かまわない。)
以上のように考えると、資本主義を脱するには、ドゥルーズ的な差異哲学に立たないといけないだろう。また、脱資本主義貨幣論が必要だろう。同一性の貨幣でなく、差異としての貨幣が必要である。(この点は、ゲゼル的な発想が役に立つだろう。しかし、問題は、差異のための新しい貨幣・通貨が必要ということである。だから、そのための差異経済連合が必要であろう。
とまれ、差異が先立たないといけない。シュティルナーのエゴイスト、唯一者である。このように見ると、柄谷氏は、問題の核心に近づいていたのだが、マルクスとスピノザ/ドゥルーズを連結することができなかったと言えよう。マルクス的な経済的唯物論に囚われているかぎり、この連結ができないだろう。柄谷氏は、ここで行き詰まってしまったと思う。【価値形態論の構造主義は、カントの超越論性・先験性と、柄谷氏が説いたように、通じるのであり、彼は、必然的に、マルクスとカントを結びつけた。だから、この点で、柄谷氏は、マルクスの後継者である。(ドゥルーズの「構造主義とは何か」を読まないといけないだろう。)しかし、彼の直感が捉えていたスピノザやシュティルナー性は切り捨てられてしまった。ドゥルーズ研究を継続すれば、問題を解決できたかもしれない。やはり、なにかあせって、もっていたものを合理洗浄化して、整合性のあるマルクス構造主義=カント超越論と価値形態論―地域通貨―アソシエーションへと帰結したと言えよう。思うに、柄谷氏のあせりとは、冷戦後のグローバルな展開によるのではないだろうか。】つまり、力の源泉は、差異にあるのであり、価値形態論から差異論へと発展しなくてはならなかったのである。そして、今フーリエを読んでいて思うのだが、内在平面の力、差異の力とは、連合へと向うということだろう。フーリエの情念引力と差異力(スピノザ化した能動的差異力としよう)は通底すると思う。もともと内在平面において、個体と個体は連結しているのだが、現象界においては、反発しあう。二項対立・同一性的な反動である。しかし、差異を発芽させるとは、内在平面の力を喚起することであり、現象界における連結を目指すと言えよう。それは、ガタリ的に言えば、カオスモーズを活性化することであり、ここが現象界に近い連結の源泉となるだろう。とまれ、内在・潜在的に連結力は喚起されるわけである。これは、思うに、経験的に言うと、確かにフーリエの言うような協同社会(ないし連合社会)的な情念引力と通底するように思える。(cf. ロレンスにもこの力があったと思うが、父権化、象徴界化に囚われていただろう。)
つまり、ドゥルーズ&ガタリ的な内在的差異力・カオスモーズの連結指向とは、
現象的には、強度的な共感引力すなわち情念引力になるのではないだろうか。つまり、内在平面という一体の力が差異に発動しているわけであるから、差異は連結・結合へと向うのだ。(cf.ゲーテの親和力)
ということで、整理すると、ドゥルーズ&ガタリの内在平面・差異・カオスモーズの力とは、フーリエの情念引力とほぼ一致するのではないだろうか。彼らの変様態=情動(affect)(被知覚態percept含めてもいいだろう)は、情念引力とほぼ等しいだろう。ただし、フーリエの方が商人だったので世故、世俗に長けていて、欲望をよく知っている。つまり、ドゥルーズ&ガタリだと、いかにも、フランスのエリート、知識人という感じで、世間を知らないのだ。つまり、情動性や欲動を取りだすが、欲望は軽くみているのだ。ブルジョワ的ということで。でも、そうではないのだ。欲望も認めないといけない。この点で、フーリエの情念引力の方が網羅・包括性があると言えよう。そこで、さらに整理すると、ドゥルーズ&ガタリの内在諸力とは、顕現態としては、欲望を含んだ、連結指向的な欲動・情動として発現するのであり、それは、情念引力と等値であろう。だから、ドゥルーズ&ガタリとフーリエの「結婚」が生起するのだ。それは、フーリエの有神論を差異的に解体して、差異化するだろうし、ドゥルーズ&ガタリ(略して、D/G)の差異哲学は、逆に情念引力化して、欲望化し、また、はっきりとその連結指向が協同社会・連合へと発展するだろう。(思うに、ロレンスも晩年、この差異的協同社会へと指向したのではないだろうか。)当然、ここにはシュティルナーのエゴイストの連合も入るし、また、プルードンの多元連合論も、差異・情念引力化されて、入ってこよう。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10018398906.html


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検討課題:貨幣と差異
テーマ:差異通貨・貨幣論
Kaisetsu氏が説くように、貨幣の起源を、王権的なもの、つまり、王権の観念・概念像として、考察を始めよう。思うに、ここには、普遍性、一般性、特異性が現れている。普遍性は、王権的観念・概念である。それは、ある意味で、イデア的と言えるのである。換言すると、メディア・シナジー・エネルギーをもつものである。
 一般性は、これと関係するが、数的価値である。そして、特異性は、その貨幣自体の希少価値性である。貴金属性である。普遍性と特異性は差異と、一般性は同一性と関係するだろう。しかし、ここでは、正確に検討しないといけない。
 王権的普遍性とは、差異且つ同一性である。ここには、矛盾両立があるのである。貨幣自体の特異性は、この王権的差異と関係するだろう。つまり、金貨や銀貨は、王権的差異と一如である。そして、貨幣の数的価値=一般性は、当然、同一性であり、これも王権的普遍性と関係する。図式化しよう。
     
      差異・特異性・・・貨幣自体
      ↗
王権的普遍性→メディア・エネルゲイア
      ↘
      一般性・同一性・・・貨幣の数的価値


 では、王権的普遍性とは、プラトニック・シナジー理論から見ると何だろうか。これは、先にも述べたが、父権的一神教的エネルゲイアと等価であろう。ヤハウェに等価である。ここで、想起するのは、イエスが、「カエサルのものは、カエサルへ」と言ったことであるが、しかし、貨幣は、神的なのであるから、単にカエサルのものではないのであるから、イエスの言葉は誤謬である。さらに、想起するのは、貨幣とキリストが等価であると、以前述べたことである。ロゴスの受肉としてのイエス・キリストを考えると、貨幣としてのキリストということがよくわかるだろう。ロゴスが神的普遍性であり、それが、物質化されたものが、キリストになるのだから。
 ここで、解答すると、貨幣=王権的普遍性とは、メディア・シナジー・エネルゲイアの同一性構造である、ということである。不連続的差異論的に言えば、メディア界のエネルゲイアをもつメディア/現象境界同一性構造性である。しかも、貴金属として、特異性化されているので、個体的なものである。だから、やや極論的になるが、メディア界=メディア平面そのもの、差異共振シナジー様相そのものと言えそうである。そう、正に、メディアである。貨幣は、理想的な媒体と言えるのである。
 問題は、連続・同一性構造である。メディア・エネルゲイアは、この場合は、王権・権力であるが、それが、貨幣の連続・同一性の数的構造を実効的に保障しているのである。(信用とは、王権・権力であろう。)そして、この連続・同一性構造への傾斜が、差異や特異性の否定・排除・隠蔽へとつながるのであり、金融・拝金資本主義においては、まさに、そうなっているのである。
 ここで、ルネサンス(イギリス・ルネサンスのエリザベス朝時代も含む)を想起するのである。それは、差異の発現・顕現の時代である。差異共振シナジーの発現・発動・作用の時代と考えられるのである。だから、貨幣・資本は、そのようなものとして、存したと考えられるのである。つまり、王権的普遍性をもつ貨幣・資本が、差異共振シナジー化したと考えられるのである。貨幣のメディア・エネルゲイアが、差異共振シナジー・エネルゲイアになったということである。しかし、近代合理主義、唯物科学が発展すると、メディア・エネルゲイアが失せてくるのである。それは、連続・同一性中心主義に取って代わられるのである。これは、エンテレケイア化と言ってもいいかもしれない。貨幣が本来のメディアから、エンテレケイア・終極態=目的になったのである。これは、貨幣の堕落である。つまり、貨幣の連続・同一性化である。ここでは、メディア・エネルゲイアが排除されているのである。思うに、ここには、不兌換制度が原因としてあるように思えるのである。貨幣の特異性としての貴金属性を喪失したとき、それは、同一性の傾斜へと流動すると考えられるからである。(ここで、直観を言うと、貨幣の貴金属性、兌換制とは、貨幣の身体性である。貨幣の「精神」・「魂」・「霊魂」とは、貨幣の心身であり、身体且つ思惟である。不兌換通貨制とは、いわば、身体のない思惟、つまり、幽霊状態である。身体(延長)と思惟(意識)がそろって、「精神」・「魂」・「霊魂」が顕現するのである。)
 後で、再検討したい。

参考:
「貨幣の起源を考えるテキスト」
http://theory.platonicsynergy.org/?eid=375802
「『交換』概念の研究」
http://theory.platonicsynergy.org/?eid=376712
「等価概念の否定⇒連続性の否定」
http://theory.platonicsynergy.org/?eid=379678

Theories for the Platonic Synergy Concept.
http://ameblo.jp/renshi/entry-10018211593.html



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差異共振シナジー通貨論のための過去のブログ・リスト
テーマ:差異通貨・貨幣論
ポスト近代西欧と共生主義:メディア界的理性・調和・均衡http://ameblo.jp/renshi/entry-10000620997.html

民主主義通貨と資本主義通貨:世界共生通貨ガイア?http://ameblo.jp/renshi/entry-10000608030.html


差異潜在・内在需要と差異共与経済http://ameblo.jp/renshi/entry-10000523575.html

近代的自我と民主主義:欲望と倫理http://ameblo.jp/renshi/entry-10000518262.html

未来の生活の保障:差異共創存歓喜経済http://ameblo.jp/renshi/entry-10000506587.html

いかに奈落から脱出するか:日本/日本人の盲点http://ameblo.jp/renshi/entry-10000501813.html

差異共創存主義経済へ向けて
http://ameblo.jp/renshi/entry-10000429590.html

特異性と共創共生主義:脱/ポスト資本主義http://ameblo.jp/renshi/entry-10000460403.html

プラトンの善とイデア界:プラトニズムと不連続的差異論http://ameblo.jp/renshi/entry-10000715083.html

経済成長から共生経済へのコペルニクス的転回http://ameblo.jp/renshi/entry-10000685548.html

差異資本主義とは何か:差異と資本:差異という妖怪が遊牧するhttp://ameblo.jp/renshi/entry-10000575345.html

聖霊資本主義、差異共立資本主義、メディア界的資本主義とは何かhttp://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/2613381#2613381

経済とはメディア界に属しているのではないか
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/1745392#1745392


検討課題:差異共存共創経済と脱・ポスト資本主義
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/1802566#1802566


差異共存共創資本的政治経済社会論:差異共存益・共創益的相補性・相互補完的資本経済
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/1792291#1792291

資本主義の哲学:新自由主義的資本主義から差異主義的資本主義へ
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/1930819#1930819

差異資本論(ジャンル/テーマ)
http://ameblo.jp/renshi/theme-10000234863.html

http://ameblo.jp/renshi/theme7-10002569320.html




ブラウン首相の新ブレトン・ウッズ体制提唱:Kaisetsu氏の金銀本位制提言と差異共振資本主義
英国のゴードン・ブラウン首相は、以下の記事で述べられているように、明確に新ブレトン・ウッズ体制を目指している。

「Calling for "very large and very radical changes," Mr Brown said he was seeking nothing less than "a new Bretton Woods."」(強調はrenshi)

http://www.telegraph.co.uk/news
/newstopics/politics/economy/
3204286/Gordon-Brown-wants
-to-rewrite-the-rules-of-
capitalism.html

これは、Kaisetsu氏が鋭く提言するように、固定相場制の復帰、即ち、兌換通貨体制への復帰が考えられるのである。
 Kaisetsu氏は持説として金本位・銀本位体制への復帰を提唱されている。この問題は、以前に考察したことがあるが、Kaisetsu氏の説明を踏まえて簡潔に言うと、今日、グローバル経済の進展、技術革新等によって差異共振エネルギー(これは、超越的エネルギー、精神的エネルギー、量子的エネルギー等である)が「成長」したのであるが、それが、同一性主義金融資本をグロテスクに肥大化(モンスター化)させてしまったのである。換言すると、資本主義システムにおける末端の同一性価値が中心化されて、それが、デリバティブ等になり、そのグローバルな怪物が創造された差異共振エネルギーの母体システムを侵食してしまった(新世界恐慌)のである。
 何故なら、差異共振エネルギーという「魂」が身体としての貨幣をもたないで、バーチャルな通貨に転換されたからである。イエスの言葉で言えば、「新しい酒は新しい皮袋に入れよ」なのである。(思うに、マルクスの生産力と生産様式の質と量の「弁証法」でも考えられよう。今日では、非線形システムと呼べよう。)
 この問題に関して、私は以前、特異性である差異共振エネルギーを物質化させる方法として、Kaisetsu氏の金銀本位制の復帰を支持したのである。この場合の物質化とは、物質的特異化である。差異共振エネルギーとはいわば不可視のもの、量子的エネルギー、精神的エネルギーなので、それは、「霊」のままなのである。そう、イエス教的に言えば、聖霊である。聖霊としての差異共振エネルギーなのである。この現実化=身体化が今日要請されているのである。
 簡単に何故、身体化が必要とされるか再考してみよう。これは、Kaisetsu氏の説明でわかりやすいが、結局、放出されるエネルギー(エネルゲイア)は、現実化(エンテレケイア)することを求めるということである。新しい秩序(コスモス)を要求しているのである。正に、つまり、カオスとしての差異共振エネルギーが今日のグローバル経済において、90年代以降、放出されているのであるが、それが、同一性主義金融資本へと流出して、新世界恐慌をむかえた結果になったのである。
 このカオスを新秩序(ニューコスモス)へと転換する主要な方法が、新兌換通貨体制と考えられるのであり、新秩序が新ブレトン・ウッズ体制ということになるのである。
 私見では、この新通貨体制は、差異共振エネルギーを差異共振価値として放出する貨幣システムとなるということである。そう、これは手段であり、コンテンツは、差異共振価値創造であるということになるのである。即ち、差異共振資本主義へと転換する必然性が生まれているということになる。
 上述したヴァーチャル通貨ではなく、兌換通貨・身体化の必要という点については、あらためて考察しようと思っているが、今、ポイントを言うと、兌換通貨にすると、差異共振エネルギーは兌換通貨という物質身体に収斂すると考えられるのである。これは、実は、新しい同一性、同一性価値である。即ち、差異共振的同一性なのである。これは、同一性主義とは似て非なるものである。差異から生まれた同一性=物質であり、端的に、特異性の個体なのである。同一性主義とは言い換えると、超越論的形式主義ないしは構造主義なのであり、特異性を看過、無視しているのである。
 差異共振エネルギーを、構造主義的に捉えると、同一性主義金融資本=デリバティブ等になるのである。しかし、兌換制度によって、同一性価値を物質的に特異性化することは、差異共振エネルギーの特異性的な同一性価値化なのである。
 構造主義的な同一性価値化は、同一性主義金融資本となるが、兌換通貨による、身体的同一性価値化は、差異共振金融資本となるだろう。
 ここには実に哲学、PS理論の核心の一つがあると言っていいだろう。繰り返すが、差異共振エネルギーとは特異性のエネルギー、ないしは、Media Pointにおける創造的エネルギーであり、それは、特異性をもつ様式によってのみ、秩序化するということである。その特異性をもつ金融様式が新ブレトン・ウッズ体制における新兌換制度ということになると考えられるのである。
 
 
参考:(見出し強調renshi)

即座にブレトンウッズ体制に回帰するべきである。
2008.10.16 Thursday

◆貨幣が身体を持っていないために、暴れまわっているのである。貨幣の亡霊である。身体を見つけるまで、過激な変動を世界経済に齎すであろう。速やかに、 金銀本位制によるブレトンウッズ体制に回帰するべきである。サブプライム問題は、CDSを通じて、デリバテイブとスワップ(レバレッジ)の二つの根本的な問題点を内包し、その問題点が、一瞬に、同時に、9月29日に弾けたのである。海舌は、同時に十字に裂けたと表現している。

by 海舌
http://blog.kaisetsu.org/?eid=688103
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu

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参照:
ブレトン・ウッズ協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ブレトン・ウッズ協定(ブレトンウッズきょうてい)(Bretton Woods Agreements)とは、 第二次大戦末期の1944年 7月、アメリカ、ニューハンプシャー州 北部の行楽地のブレトン・ウッズ で開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され1945年 に発効した国際金融機構についての協定である。

概要

[編集 ] 展開

国際通貨基金 (IMF)、国際復興開発銀行 (IBRD)の設立を決定したこれらの組織を中心とする体制をブレトン・ウッズ体制という。 この協定は1929年 の世界大恐慌 により、1930年代 に各国がブロック経済 圏をつくって世界大戦をまねいた反省によっているだけでなく、第二次世界大戦 で疲弊・混乱した世界経済を安定化させる目的があった。そのため具体的には、国際的協力による通貨 価値の安定、貿易 振興、開発途上国 の開発を行い、自由で多角的な世界貿易体制をつくるため為替 相場の安定が計られた。

そのため、金1オンス を35USドル とさだめ、そのドルに対し各国通貨の交換比率をさだめた。(金本位制 ) この固定相場制のもとで、日本円は1ドル=360円に固定された。

この体制下で西側諸国は、史上類を見ない高度成長を実現。特に、日本は1950年代から1970年代初めにかけて高度経済成長 を実現し「東洋 の奇跡 」とよばれた。 安定した自由貿易 の利益が先進工業国全体の経済を改善した。

[編集 ] 結末

その後、アメリカ経済の拡張的な姿勢によりドルのインフレが進行。一段の景気拡張と完全雇用 を志向したニクソン政権により通貨価値の保持が放棄された。

1971年 にニクソン・ショック によりアメリカはドルと金の交換を停止した。

1973年 には、変動相場制 に移行し、ブレトン・ウッズ体制は崩壊した。以後、1970年代はドルの凋落とオイルショックによる政策の迷走に見舞われた。(緑色大文字強調renshi)



西田哲学とPS理論
以下は、実に興味深い思索である。感想を言えば、何か懐かしいトーンがある。
 以下、赤字で強調した(renshiによる)箇所は、叡知的世界を超越的に包摂した世界を説いていると考えられる。これをどう考えるべきだろうか。
 今の私の思いつきでは、叡知的世界は、カントの超越論的形式に相当するのである。だから、構造主義である。しかし、西田が説いているのは、それを超えたものである。それは、PS理論から言えば、正に、イデア界=超越界ということになろう。
 言い換えると、西田は超叡知的世界を考えていたことになるだろう。とまれ、西田哲学は、PS理論に近づいていたと言えるだろう。

p.s. 考えたら、「叡智的世界」から今年今月は八十周年である。本当に、日本のアカデミズムの哲学の国賊的な不毛さに憤る。もっとも、西洋哲学の問題は、既述したように、ハイデガー哲学を買いかぶっていることにあるのである。確かに、緻密な執念はあるが、フッサールの切り開いた現象学の地平(超越論的地平ではなく、超越的地平)を閉ざしてしまったのである。
 

西田幾多郎[著]: 叡智的世界(1928.10)
西田幾多郎全集・第5巻



校異:
赤い文字(赤いフォント)は原雑誌論文の、単行本において削除された箇所を示す。
青い文字(青いフォント)は単行本において新たに附加された箇所を示す。


NKZ5-123-1    叡智的世界


NKZ5-123-2         一
独訳


NKZ5-123-3   判断的知識が一般者の自己限定であるとするならば、我々が何物かを考へるには、一般者が自己の
NKZ5-123-4  中に自己自身を限定すると云ふことがなければならぬ。私は一般者に三種の段階を区別することによ
NKZ5-123-5  つて、三種の世界といふ如きものが考へられると思ふ。判断的一般者に於てあり、之に於て限定せら
NKZ5-123-6  れるものが、広義に於て自然界と考へることができ、判断的一般者を包む一般者、即ち判断的一般者
NKZ5-123-7  の述語面の底に超越するものを包む一般者(即ち自覚的一般者)に於てあり、之に於て限定せられる
NKZ5-123-8  ものを意識界と考へることができる。更にかゝる一般者を包む一般者、即ち我々の意識的自己の底に
NKZ5-123-9  超越するものを包む一般者に於てあり、之に於て限定せられるものが叡智的世界と考へられるもので
NKZ5-123-10  ある。
NKZ5-123-11   叡智的世界といふ如きものは、我々の思惟を超越したものでなければならぬ、如何にして我々はか
NKZ5-124-1  かる世界を考へ得るであらうか。何物かを考へるといふことが一般者の自己限定であるとするならば、
NKZ5-124-2  如何なる一般者の自己限定によつて、叡智的世界といふものが考へられるのであるか。私は意識の志
NKZ5-124-3  向作用といふ如きものに基いても、かゝる世界を考へ得ると思ふ。我々の意識作用は一方に於て実在
NKZ5-124-4  的と考へられると共に志向的である、ノエシス的なると共にノエマ的である。而してその志向する所
NKZ5-124-5  のものは、単に所謂意識内容に止まるのではなく、超意識的内容である。私の意識作用が過去の意識
NKZ5-124-6  内容を志向する如き場合は、単なる内部知覚とも考へられるであらう。併し我々の意識作用は我々の
NKZ5-124-7  意識を超越したものを志向するのである、否、意識せられると否とに関せず、それ自身に於てあると
NKZ5-124-8  考へられる永遠の真理といふ如きものをも志向するのである。我々の意識作用が斯く志向せられるも
NKZ5-124-9  の、郎ちノエマの方向に於て超越的であると考へられると共に、作用的方向即ちノエシスの方向に於
NKZ5-124-10  ても超越的と考へられねばならない。単に時間的なるものは志向的であることはできない、所謂意識
NKZ5-124-11  現象は志向的であつても、それが尚時間的と考へられるかぎり、超意識的内容を志向すると云ふこと
NKZ5-124-12  はできない。超意識的内容を志向するには、我々の自己は所謂意識的自己を超越せなければならない。
NKZ5-124-13  例へば、我々はカントの意識一般の立場に於てのみ、真理を考へ得るのである。かゝる場合、我々の
NKZ5-124-14  意識作用は心理的自己に属するものとして意識的実在性を有するのではなく、意識的自己の奥底にあ
NKZ5-124-15  る超越的自己に属するものとして、その実在性を有するのである。
NKZ5-125-1   右の如くにして、我々の意識を超越した叡智的世界といふものが考へられるとするならば、かゝる
NKZ5-125-2  世界を限定する一般者は我々の意識界を限定する一般者を超越し、之を内に包む一般者として、自覚
NKZ5-125-3  的一般者に準へて考へることができるであらう。

http://www.f.waseda.jp/guelberg
/nishida/nkz5/nkz5-41.htm


デジタル技術と「知」の解放
これは興味深い記事だと思う。デジタル技術が、脳の回路を再構成するというものであるが、私自身、電子辞書やパソコンを使用していて、記憶が以前よりも「進化」したように感じているのである。ドゥルーズ&ガタリ的に言えば、機械状アジャンスマンである。
 そう、かかる時間が以前とは異なるのである。また、情報の拡大がある。これは、質・量ともにである。
 以前は外国の新聞は、紙媒体で、時間差があったが、今や同時である。また、ブログによって、多くの隠された真相を知るようになったのである。
 そう、端的に、近代的な知識ヒエラルキーの崩壊があると言えよう。その点では、知の民主主義化が起っているのである。
 知識人、文化人、大学人の賞味期限が迫っていると言えよう。これはある意味で、初期マルクスが予見していたことである。
 とまれ、 デジタル技術は、知性や感性を解放する作用をしているのである。新啓蒙主義である。

Jeff Sherman / Taxi-Getty Images
SCIENCE
Reading This Will Change Your Brain

A leading neuroscientist says processing digital information can rewire your circuits. But is it evolution?

http://www.newsweek.com/id/163924


2008年10月15日(Wed)▲ページの先頭へ
日本の似非ジャーナリズムとしての新聞と特異性
政教分離問題は正当なものであるが、ここでは、日本のメディアの文体が気になったので、触れたい。先にも少し言及したが、テレグラフ紙の記事について述べたが、記者が、自分の目、耳、身体、頭脳で書いているのであるが、日本の場合は、何か記者は傍観者となり、我関せずで、無関心に書いているような感じである。気が入っていないのである。
 これは、悪しき近代主義である。主観性=主体性=個=差異=特異性を喪失しているのである。私はこのような記事を書く日本のメディアに対して、ニーチェ的に生理的に言えば、吐き気を感じる。「いけ好かない」と言ってもいいだろう。
 端的に、ずる賢いのであり、ただ、糊口のために記者をやっているに過ぎない卑劣漢である。この卑しさに、吐き気を感ずるのである。ジャーナリズムの本質は真正な文学と変わらず、孤高なものでなくてはならない。特異性に基づかなくてはならないのである。
 このインチキ・ジャーナリズムは、文体に端的に現われるのである。欧米の新聞記事には、記者の生命・魂が感じられるのである。

政教分離で民主・公明がバトル=創価学会・池田氏招致に言及

 15日の参院予算委員会で、民主党の石井一副代表は、創価学会の絶対的な指導者である池田大作名誉会長の名前を挙げて、政教分離の観点から公明党と創価学会との関係を執拗(しつよう)にただした。石井氏としては、次期衆院選をにらみ、学会の与党候補への支援活動を鈍らせるのが最大の狙い。これに対し、公明党議員が猛反発するなど、激しいバトルが展開された。
 「学会施設が選挙マシンと化すわけです」−。石井氏は、昨年7月の参院選時に学会施設で行われた会合を録音したとされるテープを手でかざして、こう断じた。石井氏が「テープで民主党を『仏敵だ』と言っている」などと紹介すると、室内は与党議員のヤジで騒然となった。
 石井氏はなお、言論活動を妨害されたとして学会幹部らを提訴した矢野絢也元公明党委員長らの参考人招致を要求。「場合によっては、池田名誉会長にもおいでいただきたい」と池田氏招致もちらつかせた。
 麻生太郎首相は「政治家でない人を安易に参考人招致するのはいかがか」と、関係者の招致に反対の考えを強調。この後、質問に立った公明党の山口那津男政調会長は「補正予算案と関係ないことを、とうとうと述べるのはいかがなものか」と石井氏を激しく非難した。北側一雄幹事長ら幹部も石井氏の質問を事前に予想し、国会内の一室に集まりテレビ中継を注視。「勝手に言わせておけばいい」(幹部)といった声が上がった。
 もっとも、矢野氏自身が国会での証言に積極姿勢を示しており、仮に実現すれば、公明党のイメージダウンになるのは必至。いわんや学会幹部の招致など、絶対に阻止したいのが本音だ。実際、1995年に、当時の秋谷栄之助会長が参考人で招致されている。
 「政治と宗教に関する集中審議を今後強く求めていく」。民主党の梁瀬進参院国対委員長は15日の記者会見で宣言した。同党は、矢野氏らの招致を避けたい公明党が首相に早期解散で圧力を掛けることも期待している。首相が解散に踏み切らない限り、公明党への揺さぶりを続ける構えだ。(了)
(2008/10/15-20:21)

http://www.jiji.com/jc/c?g=
pol_30&k=2008101500969


アリストテレス、ヤハウェ、イスラム
とても興味深い、アリストテレスの思想=ユダヤ思想論である。これは、正に、私が大批判しているヤハウェ的同一性主義批判に通じよう。アリストテレスの哲学は連続性の思想であり、同一性主義の思想なのである。それと、ヤハウェの超越的同一性主義が結びついたというのは、納得ができるのである。
 とまれ、後でさらに検討したい。
 
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[1018]イスラム法学、イスラム思想の研究のこと。
投稿者:副島隆彦投稿日:2008/10/14(Tue) 03:43:40


私は、今は、10世紀ぐらいから、中東一体(古代世界の世界の中心地)からスペイン(イベリア半島、後ウマイヤ朝)にかけての中東の地帯で、アリストテレスのエクリブリアム(平衡と訳す)の思想(これは愛知学、フィロソフィアに属する)が、大きな権威と隆盛を誇ったことを調べています。 

 2500年前のアリストテレスの学問体系(10のカテゴリーのうち)のエクリブリアムが、実はユダヤ思想(ジュダイズム、ユダヤ教)の根本である、強欲、拝金=ラチオ、リーズン(合理、理性)の思想として、どんどんイスラム思想の中にも、混入、浸潤、潜入していったのだと解明しつつあります。

 そして、イスラム商人たちが、不可避の苦しみとして、金銭欲望(利得行為)と神(アラー)への忠誠とで苦しんでいた。 それで、1190年に、ヨーゼフ・マイモニデスが、「迷える者たちへの導き(手引き)の書」を書いて、それで、金銭利得を密かに肯定したことの大事件、と衝撃 がイスラム世界に起きた。 ここでマイモニデスは、「
信仰と理性(リーズン、合理)の一致」を言った。

そのすこし前に、アヴェロエス(イブン・ルシド、ハイデガーの「存在と時間」の巻末にたくさん名前が出てくる)が、「アリストテレス注釈(コンメンタール)」を書いている。

その前に、その先生のイブントファイルが「ヤクザーンの子ハイイ」(1175年。これが「ロビンソン・クルーソー」の原型)を書いている。その前に、バグダッドのユダヤ学院長(ガオン)でありながらイスラム神学者でもあった、サーディア・ベン・ヨーゼフ(西暦892−941年)が、「知恵の館」集団を率いて、合理(ラチオ)と理性(レゾン、リーズン)を論じている。 

 この時期に、金銭・強欲の肯定の思想(合理と理性)が、同時的に、イスラム、ユダヤ、キリスト教 の三つの中に大きく植えつけられたのではないか。

http://www.soejima.to/


・気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板
「副島隆彦の学問道場」


色即是空、空即是色:精神から欲望が生まれる:トランス・モダン霊主体従
以下の箕子の寓意は金言である。
 人間の諸欲望=色(食欲、物欲、我欲、色欲、等々)は、空の様相である。空とは、「イデア」である。そして、空と色との転換点がMedia Pointである。
 諸欲望=色とは、端的に、差異が同一性に転化して、その同一性が物質身体と結びついたものと言えよう。ここで伝統的な智慧が生きるのである。色の虜になるというのは、同一性主義そのものである。直感では、視覚欲望がこれを生みだすのである。そう、谷崎潤一郎の『春琴抄』をここで想起する。禅の意義はここにあると言えよう。
 結局、同一性主義欲望を現象学的に還元する必要があると言えよう。思うに、同一性欲望(同一性主義欲望ではない。この違いは強調し過ぎることはないだろう)は、差異から生まれたのであり、差異とともにあるのである。つまり、精神とともに欲望はあるのである。あるいは、欲望の本体は精神と言えるのである。神道や密教はこのことを説いていると考えられるのである。
 精神・差異が主であり、欲望・同一性は従である。トランス・モダン霊主体従である。

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箕子
2008.10.14 Tuesday
帝辛の親戚に箕子と比干と言う賢人がいた。箕子は帝辛が象牙の箸を作ったと聞き、「象牙の箸を使うなら陶器の器では満足できず、玉の器を作る事になるだろう。玉の器に盛る料理が粗末では満足できず、山海の珍味を乗せる事になるだろう。このように贅沢が止められなくなってしまうに違いない。」と危惧し、贅沢をやめるように諫言したが、帝辛はまったく受け入れず、誅殺を恐れた箕子は狂人の振りをして奴隷の身分になった。比干は当時行われていた炮烙と言う残酷な刑罰をやめるように諫言した。帝辛は怒り、「聖人の心臓には七つの穴が開いているという。それを見てやる。」と言い、比干は心臓を抉り出されて死んでしまった。

http://blog.kaisetsu.org/?eid=687757
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu


ルター派バッハと同一性主義金融資本主義:初期プロテスタンティズムと「ユダヤ」的金融主義
ルター派のバッハのカンタータが、金融バブルへの非難となるという。こういうバッハもあるということである。
 そう、思うに、初期プロテスタンティズムは、私見では、ルネサンスを吸収しているのであり、正に、個の倫理に基づいているのである。そこに、初期資本主義の精神があるだろう。
 だから、その視点から、同一性主義的金融資本を批判する視点は出てくるのである。純正プロテスタンティズムは、個=差異が原理である。しかし、そこから生まれた資本主義を、同一性主義金融資本主義(ヤハウェ的金融資本主義)は乗っ取るのである。

Bach's soundtrack for the credit crunch
When times are hard we are supposed to find solace in art that lifts the spirits, like the feelgood films of 1930s Hollywood or the shameless abandon of 1970s disco . But if you've seen your Icesave account melt away and the price of your house fall through the floor, you might want to listen to a recording of Bach 's short, rarely performed Cantata 168 , a setting of passages on the parable of the unjust steward from Corinthians and the Gospel of Luke.
http://www.guardian.co.uk/music/
musicblog/2008/oct/14/
credit-crunch-icesave-bach



『霞ヶ関』は同一性主義による権力「暴力団」であり、差異主義は孤立無援の戦いを強いられていた
以下の記事は正に、差異主義と同一性主義との争闘である。『霞ヶ関』は同一性主義による権力「暴力団」になっているのであり、その中で、差異主義は孤立無援の戦いを強いられているのである。現代のプロメテウスである。
 しかし、今日、同一性主義が崩壊したので、差異主義は、差異共鳴の共同性を広げていくのは確かである。後、一歩である。

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* 良心が駆逐されていく「霞ヶ関」に、どんな国がつくれるというのか new!!


「良心の証言」をしたキャリア官僚が、降格、左遷され、体調を崩して葬りさられようとしている現実こそ、世の中に訴えなければならないと今西氏は考えたに違いない。

 私がこのブログで書きたい事も、その一点につきる。

 今西氏は週刊朝日の記事を見事な次の言葉で締めくくっている。

 「・・・Aさんの周りの官僚にはやはり『良心』はなかったようだ。良心が駆逐されていく『霞ヶ関』に、どんな国がつくれるというのだろうか。」

  考えてみれば、厚労省の年金改ざん問題も、農水省の汚染米事件も、防衛省自衛隊のいじめ、暴行事件も、警察の捜査不作為による被害者のなき寝入りも、外務省の密約や拉致問題置き去りも、何もかも、つまるところはこの国の為政者の良心の問題に帰着する。

http://www.amakiblog.com
/archives/2008/10/14/#001182

天木直人のブログ


国有化と差異共振エネルギー:同一性主義価値金融資本から差異共振価値金融資本への転換
ゴードン・ブラウンの国有化という手法は、どうなのだろうか。目的は、同一性主義金融資本を制御することにある。これまでの金融派生商品を否定する伝統的な金融に戻すということである。これは端的に、反動と言っていいと思う。
 問題は、生産・創造エネルギーをどう放出するかではないだろうか。国有化では、エネルギーの放出が阻害されるのではないだろうか。思うに、ハイテクによる過剰なエネルギーを放出させる金融方法が必要であるが、国有化では、不可能であると考えられる。問題は、同一性主義金融資本を抑えて、差異共振金融資本へと転換することと考えられる。同一性主義価値の金融資本の視点から脱却して、差異共振価値の金融資本の視点へと転換すべきであると考える。今は理論的な指摘にとどめる。

Bail-out to change the face of banking
Financial services in Britain have changed forever after the state seized control of two of the country's biggest banks in an unprecedented £37bn bail-out that brings an end to the era of easy credit and bumper bonuses.

Professor Tim Congdon from the London School of Economics warned the heavy-handed intervention could prove fatal for Britain’s financial services, which still account for 9pc of the UK economy. “How do you think investors will act after this?” he asked. “This is a major threat to the market economy. The City is going to leave London and move to America. The US is not nationalising its banks, but providing lender-of-last-resort facilities on a massive scale .”

http://www.telegraph.co.uk/finance
/newsbysector/banksandfinance
/3191842/Bail-out-to-change-t
he-face-of-banking.html


2008年10月14日(Tue)▲ページの先頭へ
3年前の記事から:差異的多様性としての「メディア界」とはMedia Pointである
ふと、3年前のブログを開いたら、次のような考察があった。これは、あいまいであるが、発想の参考になるだろう。
 ところで驚いたのは、3年前に小泉第3次内閣が成立したことである。たった3年で、世の中、世界はseachangeである。

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メディア・現象境界構造について:思いつき
テーマ:ブログ
本件は容易に分析できると考えていたので、これまで、特に問題化しなかったが、やはり、きちんと整理する必要がある。
 簡単に言えば、差異的多様性がメディア界にある。それを、「光」が主導して、連続・同一性化させるのである。即ち、差異的多様性をもっていた「光」が、言語的連続・同一性化されて、自我・現象界化するのではないだろうか。この言語的連続・同一性が、カントの超越論的形式に当たるだろう。
 思うに、メディア界においては、『鏡の国のアリス』の白の女王におけるように、時間が逆転することも可能であるが、この超時空性が、メディア・現象境界において、凝縮するのではないだろうか。つまり、簡単に言えば、差異1→差異2が、イデア界とすれば、差異1⇔差異2ないし差異1〜差異2がメディア界で、双方向的である。これが、差異1ー差異2ないし差異1・差異2と固定化するのが、現象界だろう。メディア界の強度という原時間(⇔又は〜)が、垂直化して、有時間(ー又は・)となるのではないだろうか。つまり、差異の垂直化としての現象界である。メディア界は、垂直性と水平性がゆらいでいるのである。位相体。垂直力によって、時間が生じて、水平性が空間化して、現象四次元空間が生起するのではないだろうか。メディア界は、超時空間位相体であるが、これが、垂直力の有時間化によって、有空間化するのではないか。垂直力が「光あれ」ではないか。言語行為である。というか、原言語行為である。そして、人間の言語とは、これを模倣しているのではないか。だから、現象界とは、「言語行為」によって形成されているということではないか。これが、超越論的形式ではないか。つまり、これは、数学である。数学=言語行為⇒現象ではないか。微分という言語行為があり、現象=積分(=異化)が生じたのでは。そう、垂直力が微分ではないか。垂直力=微分=時間ではないか。これで、空間=積分が生じたのでは。つまり、微分⇒積分である。つまり、時間が空間を形成する。つまり、志向性が、メディア連結を生み、さらに、現象界連続化を生んだのではないか。

1.イデア差異志向性⇒2.メディア連結志向性⇒3.現象連続志向性? 

ここで、簡単に現象界知覚について触れると、
差異1⇒差異2の⇒の終点の極限値状態つまり、差異1=差異2となったのが、現象界ではないか。では、どうして、主客二元論となるのか。差異1=差異2とは、正に、超越論的形式のことではないか。差異の連続・同一性化である。これが、フレーム化ではないか。差異の連続・同一性化によって、現象性が形成されるのではないか。言語とは、この記号化であろう。つまり、差異の喪失としての現象界化である。
(p.s. 主客二元論の説明になっていない。差異1=差異2とは、正に、連続・同一性であり、主観・主体は連続・同一性化し、同様に、客観・客体も連続・同一性化するということになるだろう。これが、主客二元論である。)
 しかし、私は、現象界の個体は本来、特異性と考えている。これをどう説明できるのか。それは、連続・同一性(差異1=差異2)においても、差異(=特異性)自体が内在しているからではないか。つまり、本来、不連続的差異の共立である一種の特異性がそこには潜在しているということではないか。そう、不連続的差異の共立・共存体が、本体であり、それが、連続・同一性化されているのが、現象個体(=仮象)であり、不連続的差異=特異性の共立体である現象個体とは、当然、本来、特異性である。特異性の集合と言ってもいいのかもしれない。ここで、思うのは、やはり、ニーチェである。ニーチェは、特異性の共立体、不連続的差異の共立の垂直性を説いたと言えよう。そして、フッサールは、主に、その水平性であろう。ドゥルーズも最良のときは、存立平面として、それを説いているだろう。
http://ameblo.jp/renshi/
entry-10005657577.html
Mon, October 31, 2005 02:40:13
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以下も興味深い。混沌としているが。
近代的二元論が、諸悪の根源である:近代主義の彼岸としての不連続的差異論
テーマ:不連続的差異論と未来・創造・平和共立
近代的二元論とは、当然、近代的合理主義、近代的自我主義であるが、近代的合理主義とは、フッサールの説く近世・近代的自然科学の客観主義である。これは、デカルト哲学の一面化に過ぎず、その特異性の哲学を喪失している。
http://ameblo.jp/renshi/
entry-10005634389.html

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以下も同様である。

自我の根源とは何か:「わたし」はどこから来て、どこへ行くのか
テーマ:個と特異性
今は、思考実験でしかないが、作業仮説的に、自我の根源をイデア界の差異共存体としよう。これが、メディア界的遺伝子・形相化して、メディア界と現象界の境界で、有機体化して、個体として誕生するとしよう。即ち、自我個体とは、根源は、イデア界の差異共存体であり、それが、メディア界・遺伝子・形相化されて、現象界で有機体となるのである。図式化すると、

3.現象界:心身体・・・フッサールの自然的態度
________________
2.メディア界:遺伝子・形相
___________超越論的主観性・生ける現在
1.イデア界:差異共存体・・・絶対的自我・原自我・「神」
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10005625957.html


2008年10月13日(Mon)▲ページの先頭へ
米解除 北「核無能力化を再開」:今や世界は超急速に変化、激変している。
今や世界は超急速に変化、激変している。物理学の用語では、相転移である。日本のボンクラ政治ではつぶれてしまう。


米解除 北「核無能力化を再開」

10月13日8時1分配信 産経新聞

 【ソウル=水沼啓子】北朝鮮との間で核計画申告の検証方法で合意した米政府が同国へのテロ支援国家指定を解除したのを受けて、北朝鮮の外務省報道官は12日、国営の朝鮮中央通信を通じて「歓迎する」と述べた。さらに、「われわれも行動対行動の原則で寧辺の核施設の無能力化を再開し、米国と国際原子力機関(IAEA)の監視要員の任務遂行を再び許可することにした」と表明、北朝鮮の核開発問題は新たな局面に入った。

 指定解除は約20年8カ月ぶりで、6カ国協議は再開に向けて関係国の調整が本格化することになる。

 北朝鮮の外務省報道官はまた、6カ国協議の合意を完全に履行するには「(6カ国協議参加の)5カ国が経済補償を完了するかにかかっている」と主張、拉致問題絡みでエネルギー支援を凍結している日本を牽制(けんせい)した。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20081013-00000037-san-int

参照:
相転移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

相転移(そうてんい、phase transition)とは、化学 的、物理 的に均一 な物質 の部分である相 (Phase) が他の形態 の相へ転移 することの熱力学 あるいは統計力学 上の概念であり、それらを発生機構とする物理現象 の総称でもある。相転移の発生は特定の原因に由来せず、原子 あるいは分子 間の相互作用 を初めとし、結晶構造 や局所構造あるいは磁場 や温度 ・エネルギー 分布など、場合に応じて複数の要素が複合的に作用して発生する現象である。

次に代表的な相転移の例を示す。

* 構造相転移 (気相 、液相 、固相 間の転移など)
* 磁気相転移 (常磁性 、強磁性 、反強磁性 などの間での転移)
* 金属-絶縁体転移 (モット転移 など)
* 常伝導-超伝導転移 (超伝導 )
* 常誘電体-強誘電体転移
* 真空の相転移 (宇宙論 )

http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E7%9B%B8%E8%BB%A2
%E7%A7%BB


同一性主義金融資本主義の終焉とトランス・モダン経済の勃興
これは意味深長な見出しや要点である。端的に言えば、同一性主義金融資本主義の終焉を公的に確認したことである。

British banks' era of excess is over. RIP.
Make no mistake. Power has shifted. Britain’s free-wheeling banking model is finished. Profits will play second fiddle to social responsibility. Bonuses will no longer be in cash.

http://www.telegraph.co.uk/finance
/newsbysector/banksandfinance
/3187810/British-banks-era-of-excess-
is-over.-RIP..html


3年前の記事から:差異的多様性としての「メディア界」とはMedia Pointである
ふと、3年前のブログを開いたら、次のような考察があった。これは、あいまいであるが、発想の参考になるだろう。
 ところで驚いたのは、3年前に小泉第3次内閣が成立したことである。たった3年で、世の中、世界はseachangeである。

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メディア・現象境界構造について:思いつき

本件は容易に分析できると考えていたので、これまで、特に問題化しなかったが、やはり、きちんと整理する必要がある。
 簡単に言えば、差異的多様性がメディア界にある。それを、「光」が主導して、連続・同一性化させるのである。即ち、差異的多様性をもっていた「光」が、言語的連続・同一性化されて、自我・現象界化するのではないだろうか。この言語的連続・同一性が、カントの超越論的形式に当たるだろう。
 思うに、メディア界においては、『鏡の国のアリス』の白の女王におけるように、時間が逆転することも可能であるが、この超時空性が、メディア・現象境界において、凝縮するのではないだろうか。つまり、簡単に言えば、差異1→差異2が、イデア界とすれば、差異1⇔差異2ないし差異1〜差異2がメディア界で、双方向的である。これが、差異1ー差異2ないし差異1・差異2と固定化するのが、現象界だろう。メディア界の強度という原時間(⇔又は〜)が、垂直化して、有時間(ー又は・)となるのではないだろうか。つまり、差異の垂直化としての現象界である。メディア界は、垂直性と水平性がゆらいでいるのである。位相体。垂直力によって、時間が生じて、水平性が空間化して、現象四次元空間が生起するのではないだろうか。メディア界は、超時空間位相体であるが、これが、垂直力の有時間化によって、有空間化するのではないか。垂直力が「光あれ」ではないか。言語行為である。というか、原言語行為である。そして、人間の言語とは、これを模倣しているのではないか。だから、現象界とは、「言語行為」によって形成されているということではないか。これが、超越論的形式ではないか。つまり、これは、数学である。数学=言語行為⇒現象ではないか。微分という言語行為があり、現象=積分(=異化)が生じたのでは。そう、垂直力が微分ではないか。垂直力=微分=時間ではないか。これで、空間=積分が生じたのでは。つまり、微分⇒積分である。つまり、時間が空間を形成する。つまり、志向性が、メディア連結を生み、さらに、現象界連続化を生んだのではないか。

1.イデア差異志向性⇒2.メディア連結志向性⇒3.現象連続志向性? 

ここで、簡単に現象界知覚について触れると、
差異1⇒差異2の⇒の終点の極限値状態つまり、差異1=差異2となったのが、現象界ではないか。では、どうして、主客二元論となるのか。差異1=差異2とは、正に、超越論的形式のことではないか。差異の連続・同一性化である。これが、フレーム化ではないか。差異の連続・同一性化によって、現象性が形成されるのではないか。言語とは、この記号化であろう。つまり、差異の喪失としての現象界化である。
(p.s. 主客二元論の説明になっていない。差異1=差異2とは、正に、連続・同一性であり、主観・主体は連続・同一性化し、同様に、客観・客体も連続・同一性化するということになるだろう。これが、主客二元論である。)
 しかし、私は、現象界の個体は本来、特異性と考えている。これをどう説明できるのか。それは、連続・同一性(差異1=差異2)においても、差異(=特異性)自体が内在しているからではないか。つまり、本来、不連続的差異の共立である一種の特異性がそこには潜在しているということではないか。そう、不連続的差異の共立・共存体が、本体であり、それが、連続・同一性化されているのが、現象個体(=仮象)であり、不連続的差異=特異性の共立体である現象個体とは、当然、本来、特異性である。特異性の集合と言ってもいいのかもしれない。ここで、思うのは、やはり、ニーチェである。ニーチェは、特異性の共立体、不連続的差異の共立の垂直性を説いたと言えよう。そして、フッサールは、主に、その水平性であろう。ドゥルーズも最良のときは、存立平面として、それを説いているだろう。
http://ameblo.jp/renshi/e
ntry-10005657577.html
Mon, October 31, 2005 02:40:13
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以下も興味深い。混沌としているが。
近代的二元論が、諸悪の根源である:近代主義の彼岸としての不連続的差異論
テーマ:不連続的差異論と未来・創造・平和共立
近代的二元論とは、当然、近代的合理主義、近代的自我主義であるが、近代的合理主義とは、フッサールの説く近世・近代的自然科学の客観主義である。これは、デカルト哲学の一面化に過ぎず、その特異性の哲学を喪失している。
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10005634389.html

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以下も同様である。

自我の根源とは何か:「わたし」はどこから来て、どこへ行くのか
テーマ:個と特異性
今は、思考実験でしかないが、作業仮説的に、自我の根源をイデア界の差異共存体としよう。これが、メディア界的遺伝子・形相化して、メディア界と現象界の境界で、有機体化して、個体として誕生するとしよう。即ち、自我個体とは、根源は、イデア界の差異共存体であり、それが、メディア界・遺伝子・形相化されて、現象界で有機体となるのである。図式化すると、

3.現象界:心身体・・・フッサールの自然的態度
________________
2.メディア界:遺伝子・形相
___________超越論的主観性・生ける現在
1.イデア界:差異共存体・・・絶対的自我・原自我・「神」http://ameblo.jp/renshi/
entry-10005625957.html


近代主義的科学・学問の崩壊:トランス・モダン総合融合知へ向けて
現在の同一性主義金融資本主義の大崩壊については、既述しているので、もう特に言わないが、哲学批判、経済学批判を言いたい。
 哲学は、唯物科学を超えた、知の総合的システムを構築する学であり、それは当然、他の諸々の学に対して、その視点を提起するものでなくてはならないのに、専門枠の自閉症に陥っているのである。
 また、経済学は近代的唯物科学の影響を受けて、哲学的理論的見地を放棄しているのである。これでは、経済学はやはり、専門枠に自閉してしまい、総合的な視点を喪失したと考えられるのである。
 このことは又他の学問にも言えることである。端的に、近代的学問の崩壊の事態になっているのである。

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Lehman破綻の代償?

Lehman Brothersが9月半ばに経営危機に陥った際、アメリカ金融当局が下した決断は、「救済なし」でした。巨額の損失を抱えて流動性危機に陥りつつあった同社を、アメリカ政府の保証なしに救済出来る体力のある金融機関は存在せず、158年の歴史を持つ大手投資銀行は、あっさりと破綻に追い込まれました。
http://wallstny.exblog.jp/8740729/
ウォールストリート日記


世界金融崩壊:「グローバリスト」VS「ネイティビスト」の視点:同一性主義VS差異主義
田中宇氏の多極化論は、独創的なものではなく、以下の引用からわかるように、藤井昇氏のアイデアが基になっていると考えられる。
 結局、先にも言及したが、藤井氏の「グローバリスト」VS「ネイティビスト」の視点が、現在の世界金融崩壊に対して、有効なものであると考えられる。
 もっとも、実際は非常に複雑であり、錯綜していると思われる。とまれ、これまで述べてきたように、世界協調路線(国有化路線)は、「ネイティビスト」路線なのであり、それに対する市場路線(自由主義路線:深層差異共振経済路線)が「グローバリスト」路線なのだろう。

p.s. 副島隆彦氏の叙述では、「グローバリスト」が悪玉となる。つまり、ネオコン路線である。だから、やはり、同一性主義金融資本主義路線VS差異共振主義資本主義路線と言う方が的確であろう。同一性主義路線VS差異主義路線である。

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■■ロックフェラー 対 ロスチャイルドの“米保守本流派” “英シオニスト派”対立軸


アメリカの「アングロ・サクソン」派のなかでも、最も強力なロックフェラー財閥。そのロックフェラー財閥を代表格とし、それと連携するのがアメリカの財界保守本流派。これと最も強力に対立するのが、イギリス最強の財閥でイギリス「シオニスト」派のロスチャイルド財閥。英ロスチャイルド財閥と連携する企業群も世界中に多い。ロスチャイルドの19世紀以来の影響力を思えば、当然のことであろう。

世界情勢を読み抜くうえで、最も重要な対立軸は、この《米保守本流派 対 英シオニスト派》の対立なのである。

http://hexagon.inri.client.jp
/floorA6F_he/a6fhe600.html


「ロックフェラー 対 ロスチャイルド」説の研究


〜 アメリカとイギリスの対決の歴史 〜


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参考:

20世紀はアメリカとイギリスの
闘いの世紀だった


〜 ロックフェラー 対 ロスチャイルド 〜





●「ロックフェラー対ロスチャイルド」(アメリカとイギリスの対決)という観点から国際情勢を分析している専門家は、先に紹介した藤井昇氏以外にもいる。早稲田大学法学部出身で、現在、「副島国家戦略研究所(SNSI)」を主宰し、アメリカ政治思想・社会時事評論などの分野で活発な活動をしている副島隆彦氏である。

http://inri.client.jp/hexagon
/floorA6F_he/a6fhe601.html


ヘブライの館 2
THE HEXAGON
第2国際問題研究室


検討問題:差異と同一性の問題&重力、ダークマター、ダークエネルギー他の問題
1)⇒+1の+1は本当に同一性なのか。差異ではないのか。

2)例えば、つる巻き植物が、軸をらせん状に、上昇するが、これは明らかに、重力とは正反対の方向である。この上昇力は何か。また+1を重力の方向と見ていいのか。
 しかしながら、+1はいわば生長力であるから、それは、天の方向であり、重力は逆に、-1の方向ではないだろうか。というか、→+1が天への上昇力であり、←+1が下降力、すなわち、重力ではないだろうか。
 とまれ、以前述べたように、作業仮説として、+1を天の方向、-1を地の方向(重力)としよう。
 その線で考えると、ブラックホールとは、-1の地の方向が過剰になった場合と考えられよう。いわば、宇宙の同一性主義ではないだろうか。闇である。【P.S.  また、ダークマターやダークエネルギーであるが、以前は超越エネルギーの方向で考えたが、この-1←+1で考えられないだろうか。もしそうならば、宇宙は、⇒+1の光の宇宙よりも、-1←+1の闇の宇宙の方が巨大であるということになる。もっとも、そうだとしても、虚軸の超越エネルギー=超光があるのであり、この超越次元を考察する必要がある。P.P.S. ダークエネルギーは重力とは反対方向と考えられているので、以上の説は不適切である。改めて考察を行いたい。P.P.S.  これも思考実験であるが、⇒+1を膨張する宇宙の方向とすると、←+1が重力の方向と考えられないか。Media Pointからエネルギーが放出されて⇒+1ということではないのか。しかし、+1は光である。すると、やはり、Media Pointにおける超越エネルギーをダークエネルギーと見ることが今の段階では適切ではないだろうか。つまり、+1が光で、-1が物質で、(+i)*(- i)⇒が超越エネルギー=ダークエネルギーという作業仮説である。では、ダークマターはどうなるのか。変更して、⇒+1を光として、+1を物質として、- 1をダークマターとしたらどうだろうか。そして、重力はやはり、←+1の方向である。そして、思うに、銀河とは、Media Pointを核とした宇宙(典型的なのは、渦巻銀河である)ではないだろうか。⇒+1が渦巻を作り、また、宇宙を膨張させているのではないだろうか。そして、重力は←+1であり、-1がダークマターであり(おそらく、ブラックホールと関係するのではないだろうか)、Media Pointにおいて、ダークエネルギー(超越エネルギー)が高次元超越界から、自発的な対称性の破れによって、放出されるということではないだろうか。妄説はここで留める。】
 とは言え、本当の天は、+iの方向であり、本当の地は-iの方向であるということになるのではないだろうか。今はここでとどめる。

3)身体とMedia Point:カントの物自体は、意外に、+1なのかもしれない。あるいは、⇒+1である。自我の目は-1であり、+1を捉えそこなっているのではないだろうか。+1ないしは⇒+1は、即非的同一性ではないのか。
 とまれ、身体とは何だろうか。物質的身体は-1ではないだろうか。そして、「魂」のある身体とは、+1ではないだろうか。
 ならば、身体とMedia Pointはどう関係するのか。Media Pointは「魂」であり、且つ、身体であるという即非態ではないだろうか。今はここで留めたい。


2)の参考:
見えない物質の存在

 実は宇宙にある物質の85%が、私たちが未だ観測できていない物質「ダークマター」だという。宇宙には見えない物質がたくさんあるはず。その事実を最初に証明したのは1970年代初頭、アンドロメダ銀河を観測していたアメリカの天文学者ヴェラ・ルービンだった。

 アンドロメダ銀河は、渦巻銀河の一つで、星が集まり平たい円盤のような形をしている。星は銀河の中心を軸に回転し、星の数は円盤の内側ほど多い。そのため、見えている星が銀河にある全ての物質だとすれば、星が多く集まる銀河の内側ほど星を内側に引っ張る引力が強くなる。強い引力と釣り合うためには強い遠心力が必要で、内側の星ほど回転運動における移動速度(以下、回転速度)は速くなるはずだ。

http://www.nikon.co.jp/main
/jpn/feelnikon/discovery
/light/chap01/sec02.htm

「生涯最大の過ち」から最先端へ
 デカルトらが用いた「エーテル」の存在は、アルバート・アインシュタインによって完全に否定された。光はエーテルではなく真空中を伝播することが示されたのだ。しかし物理学者たちはエーテルとは別に宇宙を満たす存在について思いを馳せていった。

 宇宙の大きさは不変のはず。アインシュタインは直感からそう仮説を立てた。そして宇宙が自らの重力によってつぶれることなく形を保つためには、宇宙が重力にさからって外側に向かう力が必要だと考えた。こうして、アインシュタインは重力場方程式の最後に「宇宙項」と呼ばれるエネルギーを足したのだ。

 しかしその後、エドウィン・ハッブルの観測結果*1によって宇宙は膨張していることを知ったアインシュタインは、宇宙の大きさを不変と考えて宇宙項を足したことを「生涯最大の過ち」だと認めたという。当時、反証されたアインシュタインの仮説は皮肉なことに、今また注目を集めている。この宇宙項というエネルギーが実は、宇宙が生まれた間もないころに宇宙が大膨張するのに必要だった「真空のエネルギー」に相当し、さらには、現代の物理学者たちを興奮の渦に巻き込んでいる未知なるエネルギー(=ダークエネルギー)である可能性もでてきたのだ。
http://www.nikon.co.jp/main
/jpn/feelnikon/discovery
/light/chap01/sec03.htm

横山広美
博士(理学)。東京大学大学院理学系研究科准教授。
素粒子ニュートリノの研究で学位を得た後、研究者が科学をどのように社会に伝えていくのかといった科学コミュニケーションの研究に携わる。
同時に、サイエンスライターとして活動し、様々な雑誌で執筆を行っている。
「光と人の物語」での執筆活動が評価され、2007年の科学ジャーナリスト賞を受賞。

* 横山広美,Ph.D:(hiromiyokoyama.com)

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