INNOVATION OF PHILOSOPHY: NEW PLATONIC SYNERGY THEORY - 2008/10/21
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2008年10月21日(Tue)▲ページの先頭へ
創造的資本主義と差異共振的資本主義:内在する超越的価値の肯定評価
後で拝読したい。創造的資本主義の提唱であるが、結局、差異共振主義的資本主義にならないといけない。
先に触れたが、超越的価値を肯定する必要がある。そう、資本主義的生産は、実は、超越的価値が内在しているのである。これがなければ、協働して生産することはできないのである。 思うに、事業の才覚の側面は能動的超越的価値であり、協働は、受動的超越的価値ではないだろうか。もっとも相対的な面があるが。この点は後で検討である。 ***************** 世界恐慌後の世界:創造的資本主義は貧困を克服できるか? ニフティが主催したBlog Active Day Night というイベントが、先週の15日、お台場で開催された。 昨年からBlog Action Dayというネット上のイベントが、世界26ヶ国が参加して行われていたのだが、世界一の「ブログ大国」といわれているにも関わらず、残念ながら日本は蚊帳の外。これではチョッと情けないということで、アジャイル・メディアネットワークの徳力氏らが発起人となって、今年からこのアクションに積極的に加わり、日本でも盛り上げていこうということになったのだ。お台場のリアルイベントは、そのキックオフイベントとしてブロガーを集めて開催されたものだった。 http://katoler.cocolog-nifty.com /marketing/2008/10/post-de5b.html カトラー:katolerのマーケティング言論 視覚時空とは何か:視覚(感覚)はMedia Point、身体と精神の即非様態である
以下の光琳の奇蹟的な作品の垂直なゆらぎ(垂直だけではないが)を見て、視覚空間(視覚時空間)とは何かと考えてしまう。ここには、三次元空間(時空四次元)以外の垂直空間、いわば、四次元空間(五次元)が立ち上がっているのである。
この四次元現象をどう見るのかである。神秘的現象というには、あまりに生々しい質感がある。超越性がまざまざと表現されているのである。 視覚(感覚)は、単に物質的感覚だけを捉えるのではないことは、この絵画が如実に表わしている。日常的には、視覚(感覚)は同一性感覚ないしは同一性主義感覚である。(近代主義に染まった感覚は後者である。) 端的に言えば、視覚は差異視覚でもある。このことは、以前、即非性で説明した。だから、即非視覚があると言えばいいだろう。即ち、視覚は、同一性視覚であり、且つ、差異視覚であるということである。近代合理主義は、同一性視覚を中心化して、差異視覚を排除したのである。(排除された差異視覚が、ロマン主義や象徴主義や「モダンアート」を生みだしたと言えよう。) とまれ、感覚とは、決して同一性感覚ないしは物質感覚だけに留まらないことがここで明確に確認される。(先に、私は感覚と感性は異なると言ったが、それは不正確である。感覚は感性でもあるのである。) PS理論から言えば、視覚(感覚)は、Media Pointであると言えるのではないだろうか。そう、身体である。また、精神である。つまり、視覚とは、Media Pointであり、身体であり、且つ精神であるということになる。ここで、西洋哲学の心身二元論は解決されるのである。新東洋哲学である。 とまれ、視覚(感覚)は、Media Pointであり、高次元に接しているのである。ここに、芸術の重要な役割があると言えよう。精神と身体の即非表現としての芸術の役割があるのである。 そう、ここで想起するのは、ずいぶん以前、久しぶりに聴いたバッハの無伴奏チェロの音に接した瞬間に精神を感じたのであるが、正に、聴覚はMedia Pointであり、精神に通じているのである。 ここで飛躍すると、この新しい感覚はトランス・モダン感覚であり、経済もこの点から変容される必要があるということになろう。超越的価値が経済に入ってくると考えられるのである。今はここで留める。経済価値のトランス・モダン化については、後で検討したい。 追記:この考えに拠ると、古代オリエントや日本古代・中世において、性と宗教が結びついていたというのは、納得できるのである。何故なら、一神教による精神と身体との分裂がないために、Media Pointが開いていたので、性という身体感覚も、即非的に、超越性、精神性と結びついていた考えられるからである。聖娼、神殿娼婦というものは、深い意味をもっていたと考えられるのである。 そう、この視点から見ると、プラトンのエロースも同様なものと言えよう。プラトンの言葉を使えば、黒い馬と白い馬は、同一のものである。黒い馬は白い馬である。 イタリア・ルネサンスのネオ・プラトニズムは、この点から評価されるべきであろう。 性即是聖、聖即是性である。 http://www.salvastyle.com /menu_japanese/korin.html |
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カレンダ
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