INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2008/10/16

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2008年10月16日(Thu)▲ページの先頭へ
差異共振《帝国》の出現:差異共振資本経済の主導権と相転移
オバマ氏の言論の方が説得力がある。マケイン氏はブッシュ側、すなわち、同一性主義金融資本主義側である。
 思うに、オバマ大統領とブラウン首相のツィン欧米体制ができあがるのかもしれない。《帝国》の形成である。差異共振世界資本経済という《帝国》である。換言すると、差異共振帝国である。ここでは、差異共振資本化したものが主導権を取ることになる。

**********************

米大統領選のテレビ討論、世論調査はオバマ氏に軍配
2008年 10月 16日 14:41 JST

[ヘムステッド(ニューヨーク州) 15日 ロイター] 米大統領選は15日、共和党のマケイン、民主党のオバマ両候補による最後のテレビ討論が始まった。両候補はともに労働者への支援を約束、税制改革をめぐって応酬を繰り広げた。

 マケイン氏は、オバマ氏が年収25万ドル以上の富裕層への増税を提案したことを批判。町の配管業者など、中小企業の経営者が大きな打撃を受けると指摘した。

 マケイン氏は「なぜ増税をしたいのか。いまは企業活動を奨励するときだ」と発言。

 オバマ氏は、自身の税制改革案では国民の95%が減税となり、増税はごく一部の富裕層に限定されると反論。マケイン氏は石油・ガス企業に優遇税制を適用しようとしていると批判した。

 オバマ氏は「われわれはともに減税を望んでいる。違いは、誰のための減税を望んでいるのかという点だ」と述べた。

 マケイン候補は、金融危機への対応で世論調査の支持率が低迷しており、今回の討論会で巻き返しを図りたい考え。

 世論調査によると、経済問題では、オバマ氏の指導力を信頼できると回答する有権者が多く、外交や軍事を得意とするマケイン氏は苦戦を強いられている。

 テレビ討論は90分間にわたって行われ、終始マケイン候補が守勢に立たされた。

 オバマ氏は選挙戦で、マケイン氏とブッシュ大統領の政策が酷似していると繰り返し主張しているが、マケイン氏はこれについて「オバマ上院議員、私はブッシュ大統領ではない。それほどブッシュ大統領と対決したいのであれば、4年前の大統領選に立候補すべきだった」と指摘。

 オバマ氏は「私が時折マケイン氏の政策とブッシュ大統領の政策を間違うのは、税制、エネルギー政策、歳出の優先順位といった国民にとって重要な経済問題で、マケイン氏がブッシュ大統領を強く支持しているためだ」と反論した。

 テレビ討論終了後にCBSニュースとCNNが実施した緊急世論調査によると、オバマ氏に軍配を上げる有権者が多かった。第1回、第2回のテレビ討論後に行われた世論調査でもオバマ氏に軍配が上がっていた。
http://jp.reuters.com/article/world
News/idJPJAPAN-34345620081016


差異通貨論:新ブレトン・ウッズ体制に関連させて
差異通貨論:新ブレトン・ウッズ体制に関連させて

テーマ:差異通貨・貨幣論

再掲である。

****************************

Sat, September 22, 2007 20:19:05
同一性資本から差異資本へ:量的経済から質的経済へ:トランス・モダン差異共生経済へ
テーマ:差異通貨・貨幣論 サブプライムローンという現代の金融工学を駆使して造られたローンであるが、実質は、貨幣の古典的形態の問題から出ていないと考えられるのである。つまり、リスクを分散させて証券を多発したのであるが、結局、目指しているのは、交換価値=量的価値の増加・肥大化に過ぎないのである。古典的な貨幣の仕組みから脱皮していないのである。小手先の技術が発達しただけなのである。
 さて、そこで、サブプライムローン問題に関係させて貨幣について、新たに、プラトニック・シナジー理論から考察してみよう。
 私は、サブプライムローンは、シェイクスピアの『マクベス』の魔女の予言とマクベスの関係と類似していると直感した。これは何を意味するのかと言えば、構造として貨幣が喚起する、期待の地平(投機の地平)があるのであり、この期待の地平(魔女の予言の地平)において、同一性(連続的同一性)である貨幣(資本)が拡大・成長・肥大化するのである。
 この拡大・成長・肥大化は、当然、量的増加であり、同一性構造における増大である。なぜ、この期待の地平において、増大化するのかと言えば、それは、同一性構造が自我の構造であり、端的に、自我欲望の構造であるからということになる。
 貨幣(資本)は、同一性構造=期待の地平において、自我欲望と結合・融合しているのである。ここでは、投機と妄想は区別がつかないだろう。だから、「魔女の予言」なのである。
 近代合理主義においては、合理的な投機と妄想的投機の区別がつかないのであり、バブルが必然的なのである。ここでは、合理性と妄想が同次元なのである。
 なぜ、合理性と妄想が同次元になるのかと言えば、端的に、同一性構造=期待の地平が基盤にあるからである。同一性構造とは、抽象・一般的構造、抽象的量的構造であり、同一性(=貨幣)は無限に拡大しうるのである。つまり、抽象・一般・量的価値=近代合理性が無限に増加しうるという妄想を生むのである。
 このような近代合理主義的貨幣論に留まっているので、金融工学を駆使しても、サブプライムローン問題という古典的なバブルが発生するのである。
 この問題は、結局、貨幣における交換価値という同一性価値の増大に留まっていることから発しているのである。差異的価値へと転換しないために、同一性の量的価値の無限の拡大を志向して、バブル化して、崩壊するのである。
 金融資本の投資家が、量的価値しかもっていないから、このようなことが起きるのである。差異的価値へ盲目なのである。ここで、現代哲学を考えてみると、ポスト・モダンは、脱同一性=差異を志向した。これは、単純に言えば、貨幣の同一性(近代合理主義)からの脱却を意味している。
 しかしながら、これまで述べたように、ポスト・モダン哲学は、同一性を生み出す連続性から真に脱却できなかったのである。思うに、リスクを細分化して、拡散させる金融工学は、ポスト・モダン哲学と同じではないかと思えるのである。リスクの細分・拡散化とは、同一性的差異(連続的差異)の形成を意味するのではないだろうか。連続的差異をたくさん作っても、結局は、微分に過ぎず、同一性自体は変わらないのである。元の木阿弥である。
 結局、純粋な、絶対的差異(超越的差異)へと転換できないことから、現代の資本主義の混沌が生まれていると考えられるのである。トランス・モダンへと転回できないでいるのである。
 絶対的差異への転換、これは、量的価値(交換価値)から質的価値への転換を意味する。そして、プラトニック・シナジー理論からは、差異は即非・共振性をもつので、差異共生主義へと転回することが考えられるのである。これは、新共同体(新共生体)を意味するのである。
 貨幣・資本は今や、新たな共同体・共生体形成へと振り向けられる必然性があるのである。成長という用語を使うならば、量的成長から質的成長へとパラダイム・シフトすべき時に至っているということである。比喩的に言えば、蛹から蝶へと成虫化すべき時に至っているのである。
 貨幣・資本は、同一性価値に基づく量的成長から差異的価値に基づく質的成長へ変換するために、投資される必要があるのである。この差異的価値への転換のために、差異的経済価値の法律が必要となると考えられるのである。差異共振性・差異共生性のために使用される投資は優遇されるように法律化すべきなのである。
 私は、単なる寄付ではいけないと考えられる。寄付=贈与は、実は一種の負債である。というか、根源的な負債であろう。寄付される方は、負い目があり、寄付する方は寄付される方に対して、権力をもつのである。あるいは、逆の関係となろう。どちらにしろ、主従関係である。
 ということで、近代合理主義/ポスト・モダン=魔女の予言(サブプライムローン)からのエクソダスとして、トランス・モダン=差異共振主義へとパラダイム・シフトする必然性があるということである。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10048167048.html

****************************
金儲けと「同一性=自我」欲望:Kaisetsu氏の銀本位制と有限化
テーマ:差異通貨・貨幣論
私の今の直感では、金儲けに奔走する人間は、「同一性=自我」主義に陥るということである。金は同一性=交換価値であり、すべてをそれに還元する。極端な例が守銭奴である。
 ここで政治について言うと、自民党は金のこの魔力に長い間浸かってきたので、国民の痛みという差異が認識できなくなっていると思える。
 金はこの世でいちばん危険なものである。悪魔である。しかし、この悪魔は天使にもなる。デリダがプラトンのファルマコン(パルマコン)の両義性について述べたが、ファルマコンの典型は金であろう。毒薬であり、良薬でもある。
 金は、だから、麻薬・ドラッグに近い。また、ギャンブルにも近い。この金の魔力を極力減らすことを考えないといけないだろう。アメリカの軍需産業は、戦争経済という悪魔経済を形成しているが、それも、金の魔力である。イエスがカエサルのものはカエサルへと貨幣について述べたのはある意味で正しい。
 結局、「同一性=自我」欲望と金が密接に結びついていて、差異が押さえられてしまうのである。これが、ハイデガー的に言えば、世人の様態である。 Kaisetsu氏は、銀本位制を提唱されているが、それは、明敏である。つまり、「同一性=自我」欲望が、抽象的な金=交換価値と融合して、無限欲望幻想へと駆り立てるからである。銀本位制ならば、本来伝統的な通貨制度であり、「同一性=自我」欲望を銀という金属に有限化できるので、無限欲望幻想を押さえることができるのである。
 また、環境問題も銀本位制によって解決できる可能性が生まれるだろう。何故なら、環境は有限であるからであり、「同一性=自我」欲望を限定することで、環境の有限性へと目覚めることが可能になるのである。
 環境問題は、今日、とりわけ温暖化として問題化しているが、結局、社会全体において、どうやって差異化をもたらすかにかかっているだろう。PS理論がこのための指針をもたらすと考えられるのである。結局、実践的問題として、「同一性=自我」欲望の「世人」をどう矯めるのかである。これが難しい。
 自民党は「同一性=自我」欲望に麻痺しているから、これを矯めるのはほぼ不可能であろう。イエスが言ったように、「死者は死者によって埋葬させよ」であろう。差異をもった新しい力をより進展するようにもって行く方が建設的である。
 Let Identity=Ego Desire bury itself.
 Let Difference create new future!
http://ameblo.jp/renshi/entry-10042725611.html


****************************
Thu, March 01, 2007 11:15:16
ウイリアムズ・ジェニングズ・ブライアンで、金本位制に苦しむ農民の利益を代表して銀本位制を唱えた
テーマ:差異通貨・貨幣論
 「オズの魔法使い」の主人公の少女ドロシーは自分の愛犬トトとともに竜巻により家ごと吹き飛ばされます。砂漠に囲まれた美しく不思議なオズの国に住む邪悪な「東部の魔女」の家の上に落ちて、魔女は死にます。そして少女はオズの国にあるエメラルド・シティを目指します。その途中頭脳を必要とする「かかし」や、心を欲しがる「ブリキの木こり」、そして弱気な「ライオン」に会い、頼りにされますが、少女は自分の故郷カンザスに帰りたがります。「北の妖精」に助けられもしますが、「東部の魔女」のためにドロシーに復讐を誓う同じく邪悪な「西部の魔女」に邪魔されます。ドロシーは「東部の魔女」が残した「銀の靴」に強い力があることを、優しい「南部の魔女」から教えられ、その靴を履き砂漠を越えてカンザスの故郷に帰ります。

 私はつい最近までこれは完全に童話の世界の物語と思っていましたが、そうではなくて当時の世相をもじった寓話であるとの評論家ヘンリー・リトルフィールドの論評を読んで驚いたことがあります。その一部を紹介します。

 『19世紀後半は南北戦争後の共和党政権時代で政治家と資本家が幅を利かしておりました。「トムソーヤの冒険」の作者マーク・トウェインはこれを「金ぴかの時代」と呼んでおります。特に中西部一帯では1885年から87年までの間熱波と寒波が襲い、多くの牛が死んだため牧場主が破産、カウボーイは失業した他、1890年から94年にかけては、鉄道や企業の倒産が続いたため、失業、ストライキ、暴動が起こり、デフレが続くと言った時代背景がありました。登場人物は当時アメリカを構成した人物やグループを擬人化したもので、例えば、死んだ「東部の魔女」は破産した銀行家か大牧場主、「西部の魔女」は裕福な農場主または鉄道会社、「かかし」はカンザスの農民、「ブリキの木こり」は単純な労働の結果非人間化した東部の金属労働者、弱気な「ライオン」は 1896年の大統領選挙でポピュリスト党の大統領候補となったウイリアムズ・ジェニングズ・ブライアンで、金本位制に苦しむ農民の利益を代表して銀本位制を唱えたが、黒人グループを追い出そうとする党内勢力を押さえきれなかった弱気が災いして支持を集められず敗退して、党勢が衰えて行ったことをもじったもの等々。エメラルド・シティの緑はアイルランドの象徴であり、当時東部で差別されて西部に移住したアイルランド系市民を示している。』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/hokubei/h_45.html
http://ameblo.jp/renshi/entry-10026852429.html

****************************

マルクスの価値形態論とスピノザ&ドゥルーズの身体・差異の哲学の比較:
テーマ:差異通貨・貨幣論
以下は、2003年8月21日の日付がある。
_____________________________

マルクスの価値形態論とスピノザ&ドゥルーズの身体・差異の哲学の比較:

前者は、資本主義力学における形式論理、様態であろう。そして、これは、
象徴界=二項対立と結びついているだろう。今村仁司の第3項排除論はこれを説明するものだが、これは、いわゆるポスト構造主義的な考えだろう。つまり、根源の差異を排除して、二項対立、二元論が形成されるということだ。デリダなら差延であるが。このように考えると、マルクスの価値形態論とは、資本主義の構造主義分析である。貨幣という商品が排除される。では、貨幣とは、となる。これは、ドゥルーズ的に言えば、差異を隠蔽している代用物であろう。
人間と人間、人間と自然との関係における力の源泉を隠蔽するような代用物であろう。(「乖離の現象学」からすれば、情動や欲望の言い換え、メタファーやメトニミーに相当するのだろう。)とまれ、差異を同一性に変換する「イデア」=抽象作用である。そう、悟性作用と言っていいだろう。数的な作用である。計算作用である。合理化作用である。言語作用である。差異、単独性の排除がある。この排除を隠蔽する作用の一つの要として貨幣があると言えよう。つまり、貨幣とは、差異排除的同一化作用の経済的手段である。これは、抑圧力=暴力・支配力・権力=死の欲動と一体である。(ゲゼル会の森野氏によると、価値形態論もプルードンからの剽窃ということになるようだが、ここでの問題は価値形態という資本主義経済力学における構造性であるので、発見者がマルクスであろうが、プルードンによるのであろうが、かまわない。)
以上のように考えると、資本主義を脱するには、ドゥルーズ的な差異哲学に立たないといけないだろう。また、脱資本主義貨幣論が必要だろう。同一性の貨幣でなく、差異としての貨幣が必要である。(この点は、ゲゼル的な発想が役に立つだろう。しかし、問題は、差異のための新しい貨幣・通貨が必要ということである。だから、そのための差異経済連合が必要であろう。
とまれ、差異が先立たないといけない。シュティルナーのエゴイスト、唯一者である。このように見ると、柄谷氏は、問題の核心に近づいていたのだが、マルクスとスピノザ/ドゥルーズを連結することができなかったと言えよう。マルクス的な経済的唯物論に囚われているかぎり、この連結ができないだろう。柄谷氏は、ここで行き詰まってしまったと思う。【価値形態論の構造主義は、カントの超越論性・先験性と、柄谷氏が説いたように、通じるのであり、彼は、必然的に、マルクスとカントを結びつけた。だから、この点で、柄谷氏は、マルクスの後継者である。(ドゥルーズの「構造主義とは何か」を読まないといけないだろう。)しかし、彼の直感が捉えていたスピノザやシュティルナー性は切り捨てられてしまった。ドゥルーズ研究を継続すれば、問題を解決できたかもしれない。やはり、なにかあせって、もっていたものを合理洗浄化して、整合性のあるマルクス構造主義=カント超越論と価値形態論―地域通貨―アソシエーションへと帰結したと言えよう。思うに、柄谷氏のあせりとは、冷戦後のグローバルな展開によるのではないだろうか。】つまり、力の源泉は、差異にあるのであり、価値形態論から差異論へと発展しなくてはならなかったのである。そして、今フーリエを読んでいて思うのだが、内在平面の力、差異の力とは、連合へと向うということだろう。フーリエの情念引力と差異力(スピノザ化した能動的差異力としよう)は通底すると思う。もともと内在平面において、個体と個体は連結しているのだが、現象界においては、反発しあう。二項対立・同一性的な反動である。しかし、差異を発芽させるとは、内在平面の力を喚起することであり、現象界における連結を目指すと言えよう。それは、ガタリ的に言えば、カオスモーズを活性化することであり、ここが現象界に近い連結の源泉となるだろう。とまれ、内在・潜在的に連結力は喚起されるわけである。これは、思うに、経験的に言うと、確かにフーリエの言うような協同社会(ないし連合社会)的な情念引力と通底するように思える。(cf. ロレンスにもこの力があったと思うが、父権化、象徴界化に囚われていただろう。)
つまり、ドゥルーズ&ガタリ的な内在的差異力・カオスモーズの連結指向とは、
現象的には、強度的な共感引力すなわち情念引力になるのではないだろうか。つまり、内在平面という一体の力が差異に発動しているわけであるから、差異は連結・結合へと向うのだ。(cf.ゲーテの親和力)
ということで、整理すると、ドゥルーズ&ガタリの内在平面・差異・カオスモーズの力とは、フーリエの情念引力とほぼ一致するのではないだろうか。彼らの変様態=情動(affect)(被知覚態percept含めてもいいだろう)は、情念引力とほぼ等しいだろう。ただし、フーリエの方が商人だったので世故、世俗に長けていて、欲望をよく知っている。つまり、ドゥルーズ&ガタリだと、いかにも、フランスのエリート、知識人という感じで、世間を知らないのだ。つまり、情動性や欲動を取りだすが、欲望は軽くみているのだ。ブルジョワ的ということで。でも、そうではないのだ。欲望も認めないといけない。この点で、フーリエの情念引力の方が網羅・包括性があると言えよう。そこで、さらに整理すると、ドゥルーズ&ガタリの内在諸力とは、顕現態としては、欲望を含んだ、連結指向的な欲動・情動として発現するのであり、それは、情念引力と等値であろう。だから、ドゥルーズ&ガタリとフーリエの「結婚」が生起するのだ。それは、フーリエの有神論を差異的に解体して、差異化するだろうし、ドゥルーズ&ガタリ(略して、D/G)の差異哲学は、逆に情念引力化して、欲望化し、また、はっきりとその連結指向が協同社会・連合へと発展するだろう。(思うに、ロレンスも晩年、この差異的協同社会へと指向したのではないだろうか。)当然、ここにはシュティルナーのエゴイストの連合も入るし、また、プルードンの多元連合論も、差異・情念引力化されて、入ってこよう。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10018398906.html


****************************
検討課題:貨幣と差異
テーマ:差異通貨・貨幣論
Kaisetsu氏が説くように、貨幣の起源を、王権的なもの、つまり、王権の観念・概念像として、考察を始めよう。思うに、ここには、普遍性、一般性、特異性が現れている。普遍性は、王権的観念・概念である。それは、ある意味で、イデア的と言えるのである。換言すると、メディア・シナジー・エネルギーをもつものである。
 一般性は、これと関係するが、数的価値である。そして、特異性は、その貨幣自体の希少価値性である。貴金属性である。普遍性と特異性は差異と、一般性は同一性と関係するだろう。しかし、ここでは、正確に検討しないといけない。
 王権的普遍性とは、差異且つ同一性である。ここには、矛盾両立があるのである。貨幣自体の特異性は、この王権的差異と関係するだろう。つまり、金貨や銀貨は、王権的差異と一如である。そして、貨幣の数的価値=一般性は、当然、同一性であり、これも王権的普遍性と関係する。図式化しよう。
     
      差異・特異性・・・貨幣自体
      ↗
王権的普遍性→メディア・エネルゲイア
      ↘
      一般性・同一性・・・貨幣の数的価値


 では、王権的普遍性とは、プラトニック・シナジー理論から見ると何だろうか。これは、先にも述べたが、父権的一神教的エネルゲイアと等価であろう。ヤハウェに等価である。ここで、想起するのは、イエスが、「カエサルのものは、カエサルへ」と言ったことであるが、しかし、貨幣は、神的なのであるから、単にカエサルのものではないのであるから、イエスの言葉は誤謬である。さらに、想起するのは、貨幣とキリストが等価であると、以前述べたことである。ロゴスの受肉としてのイエス・キリストを考えると、貨幣としてのキリストということがよくわかるだろう。ロゴスが神的普遍性であり、それが、物質化されたものが、キリストになるのだから。
 ここで、解答すると、貨幣=王権的普遍性とは、メディア・シナジー・エネルゲイアの同一性構造である、ということである。不連続的差異論的に言えば、メディア界のエネルゲイアをもつメディア/現象境界同一性構造性である。しかも、貴金属として、特異性化されているので、個体的なものである。だから、やや極論的になるが、メディア界=メディア平面そのもの、差異共振シナジー様相そのものと言えそうである。そう、正に、メディアである。貨幣は、理想的な媒体と言えるのである。
 問題は、連続・同一性構造である。メディア・エネルゲイアは、この場合は、王権・権力であるが、それが、貨幣の連続・同一性の数的構造を実効的に保障しているのである。(信用とは、王権・権力であろう。)そして、この連続・同一性構造への傾斜が、差異や特異性の否定・排除・隠蔽へとつながるのであり、金融・拝金資本主義においては、まさに、そうなっているのである。
 ここで、ルネサンス(イギリス・ルネサンスのエリザベス朝時代も含む)を想起するのである。それは、差異の発現・顕現の時代である。差異共振シナジーの発現・発動・作用の時代と考えられるのである。だから、貨幣・資本は、そのようなものとして、存したと考えられるのである。つまり、王権的普遍性をもつ貨幣・資本が、差異共振シナジー化したと考えられるのである。貨幣のメディア・エネルゲイアが、差異共振シナジー・エネルゲイアになったということである。しかし、近代合理主義、唯物科学が発展すると、メディア・エネルゲイアが失せてくるのである。それは、連続・同一性中心主義に取って代わられるのである。これは、エンテレケイア化と言ってもいいかもしれない。貨幣が本来のメディアから、エンテレケイア・終極態=目的になったのである。これは、貨幣の堕落である。つまり、貨幣の連続・同一性化である。ここでは、メディア・エネルゲイアが排除されているのである。思うに、ここには、不兌換制度が原因としてあるように思えるのである。貨幣の特異性としての貴金属性を喪失したとき、それは、同一性の傾斜へと流動すると考えられるからである。(ここで、直観を言うと、貨幣の貴金属性、兌換制とは、貨幣の身体性である。貨幣の「精神」・「魂」・「霊魂」とは、貨幣の心身であり、身体且つ思惟である。不兌換通貨制とは、いわば、身体のない思惟、つまり、幽霊状態である。身体(延長)と思惟(意識)がそろって、「精神」・「魂」・「霊魂」が顕現するのである。)
 後で、再検討したい。

参考:
「貨幣の起源を考えるテキスト」
http://theory.platonicsynergy.org/?eid=375802
「『交換』概念の研究」
http://theory.platonicsynergy.org/?eid=376712
「等価概念の否定⇒連続性の否定」
http://theory.platonicsynergy.org/?eid=379678

Theories for the Platonic Synergy Concept.
http://ameblo.jp/renshi/entry-10018211593.html



****************************
差異共振シナジー通貨論のための過去のブログ・リスト
テーマ:差異通貨・貨幣論
ポスト近代西欧と共生主義:メディア界的理性・調和・均衡http://ameblo.jp/renshi/entry-10000620997.html

民主主義通貨と資本主義通貨:世界共生通貨ガイア?http://ameblo.jp/renshi/entry-10000608030.html


差異潜在・内在需要と差異共与経済http://ameblo.jp/renshi/entry-10000523575.html

近代的自我と民主主義:欲望と倫理http://ameblo.jp/renshi/entry-10000518262.html

未来の生活の保障:差異共創存歓喜経済http://ameblo.jp/renshi/entry-10000506587.html

いかに奈落から脱出するか:日本/日本人の盲点http://ameblo.jp/renshi/entry-10000501813.html

差異共創存主義経済へ向けて
http://ameblo.jp/renshi/entry-10000429590.html

特異性と共創共生主義:脱/ポスト資本主義http://ameblo.jp/renshi/entry-10000460403.html

プラトンの善とイデア界:プラトニズムと不連続的差異論http://ameblo.jp/renshi/entry-10000715083.html

経済成長から共生経済へのコペルニクス的転回http://ameblo.jp/renshi/entry-10000685548.html

差異資本主義とは何か:差異と資本:差異という妖怪が遊牧するhttp://ameblo.jp/renshi/entry-10000575345.html

聖霊資本主義、差異共立資本主義、メディア界的資本主義とは何かhttp://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/2613381#2613381

経済とはメディア界に属しているのではないか
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/1745392#1745392


検討課題:差異共存共創経済と脱・ポスト資本主義
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/1802566#1802566


差異共存共創資本的政治経済社会論:差異共存益・共創益的相補性・相互補完的資本経済
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/1792291#1792291

資本主義の哲学:新自由主義的資本主義から差異主義的資本主義へ
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/1930819#1930819

差異資本論(ジャンル/テーマ)
http://ameblo.jp/renshi/theme-10000234863.html

http://ameblo.jp/renshi/theme7-10002569320.html




ブラウン首相の新ブレトン・ウッズ体制提唱:Kaisetsu氏の金銀本位制提言と差異共振資本主義
英国のゴードン・ブラウン首相は、以下の記事で述べられているように、明確に新ブレトン・ウッズ体制を目指している。

「Calling for "very large and very radical changes," Mr Brown said he was seeking nothing less than "a new Bretton Woods."」(強調はrenshi)

http://www.telegraph.co.uk/news
/newstopics/politics/economy/
3204286/Gordon-Brown-wants
-to-rewrite-the-rules-of-
capitalism.html

これは、Kaisetsu氏が鋭く提言するように、固定相場制の復帰、即ち、兌換通貨体制への復帰が考えられるのである。
 Kaisetsu氏は持説として金本位・銀本位体制への復帰を提唱されている。この問題は、以前に考察したことがあるが、Kaisetsu氏の説明を踏まえて簡潔に言うと、今日、グローバル経済の進展、技術革新等によって差異共振エネルギー(これは、超越的エネルギー、精神的エネルギー、量子的エネルギー等である)が「成長」したのであるが、それが、同一性主義金融資本をグロテスクに肥大化(モンスター化)させてしまったのである。換言すると、資本主義システムにおける末端の同一性価値が中心化されて、それが、デリバティブ等になり、そのグローバルな怪物が創造された差異共振エネルギーの母体システムを侵食してしまった(新世界恐慌)のである。
 何故なら、差異共振エネルギーという「魂」が身体としての貨幣をもたないで、バーチャルな通貨に転換されたからである。イエスの言葉で言えば、「新しい酒は新しい皮袋に入れよ」なのである。(思うに、マルクスの生産力と生産様式の質と量の「弁証法」でも考えられよう。今日では、非線形システムと呼べよう。)
 この問題に関して、私は以前、特異性である差異共振エネルギーを物質化させる方法として、Kaisetsu氏の金銀本位制の復帰を支持したのである。この場合の物質化とは、物質的特異化である。差異共振エネルギーとはいわば不可視のもの、量子的エネルギー、精神的エネルギーなので、それは、「霊」のままなのである。そう、イエス教的に言えば、聖霊である。聖霊としての差異共振エネルギーなのである。この現実化=身体化が今日要請されているのである。
 簡単に何故、身体化が必要とされるか再考してみよう。これは、Kaisetsu氏の説明でわかりやすいが、結局、放出されるエネルギー(エネルゲイア)は、現実化(エンテレケイア)することを求めるということである。新しい秩序(コスモス)を要求しているのである。正に、つまり、カオスとしての差異共振エネルギーが今日のグローバル経済において、90年代以降、放出されているのであるが、それが、同一性主義金融資本へと流出して、新世界恐慌をむかえた結果になったのである。
 このカオスを新秩序(ニューコスモス)へと転換する主要な方法が、新兌換通貨体制と考えられるのであり、新秩序が新ブレトン・ウッズ体制ということになるのである。
 私見では、この新通貨体制は、差異共振エネルギーを差異共振価値として放出する貨幣システムとなるということである。そう、これは手段であり、コンテンツは、差異共振価値創造であるということになるのである。即ち、差異共振資本主義へと転換する必然性が生まれているということになる。
 上述したヴァーチャル通貨ではなく、兌換通貨・身体化の必要という点については、あらためて考察しようと思っているが、今、ポイントを言うと、兌換通貨にすると、差異共振エネルギーは兌換通貨という物質身体に収斂すると考えられるのである。これは、実は、新しい同一性、同一性価値である。即ち、差異共振的同一性なのである。これは、同一性主義とは似て非なるものである。差異から生まれた同一性=物質であり、端的に、特異性の個体なのである。同一性主義とは言い換えると、超越論的形式主義ないしは構造主義なのであり、特異性を看過、無視しているのである。
 差異共振エネルギーを、構造主義的に捉えると、同一性主義金融資本=デリバティブ等になるのである。しかし、兌換制度によって、同一性価値を物質的に特異性化することは、差異共振エネルギーの特異性的な同一性価値化なのである。
 構造主義的な同一性価値化は、同一性主義金融資本となるが、兌換通貨による、身体的同一性価値化は、差異共振金融資本となるだろう。
 ここには実に哲学、PS理論の核心の一つがあると言っていいだろう。繰り返すが、差異共振エネルギーとは特異性のエネルギー、ないしは、Media Pointにおける創造的エネルギーであり、それは、特異性をもつ様式によってのみ、秩序化するということである。その特異性をもつ金融様式が新ブレトン・ウッズ体制における新兌換制度ということになると考えられるのである。
 
 
参考:(見出し強調renshi)

即座にブレトンウッズ体制に回帰するべきである。
2008.10.16 Thursday

◆貨幣が身体を持っていないために、暴れまわっているのである。貨幣の亡霊である。身体を見つけるまで、過激な変動を世界経済に齎すであろう。速やかに、 金銀本位制によるブレトンウッズ体制に回帰するべきである。サブプライム問題は、CDSを通じて、デリバテイブとスワップ(レバレッジ)の二つの根本的な問題点を内包し、その問題点が、一瞬に、同時に、9月29日に弾けたのである。海舌は、同時に十字に裂けたと表現している。

by 海舌
http://blog.kaisetsu.org/?eid=688103
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu

*****************

参照:
ブレトン・ウッズ協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

ブレトン・ウッズ協定(ブレトンウッズきょうてい)(Bretton Woods Agreements)とは、 第二次大戦末期の1944年 7月、アメリカ、ニューハンプシャー州 北部の行楽地のブレトン・ウッズ で開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され1945年 に発効した国際金融機構についての協定である。

概要

[編集 ] 展開

国際通貨基金 (IMF)、国際復興開発銀行 (IBRD)の設立を決定したこれらの組織を中心とする体制をブレトン・ウッズ体制という。 この協定は1929年 の世界大恐慌 により、1930年代 に各国がブロック経済 圏をつくって世界大戦をまねいた反省によっているだけでなく、第二次世界大戦 で疲弊・混乱した世界経済を安定化させる目的があった。そのため具体的には、国際的協力による通貨 価値の安定、貿易 振興、開発途上国 の開発を行い、自由で多角的な世界貿易体制をつくるため為替 相場の安定が計られた。

そのため、金1オンス を35USドル とさだめ、そのドルに対し各国通貨の交換比率をさだめた。(金本位制 ) この固定相場制のもとで、日本円は1ドル=360円に固定された。

この体制下で西側諸国は、史上類を見ない高度成長を実現。特に、日本は1950年代から1970年代初めにかけて高度経済成長 を実現し「東洋 の奇跡 」とよばれた。 安定した自由貿易 の利益が先進工業国全体の経済を改善した。

[編集 ] 結末

その後、アメリカ経済の拡張的な姿勢によりドルのインフレが進行。一段の景気拡張と完全雇用 を志向したニクソン政権により通貨価値の保持が放棄された。

1971年 にニクソン・ショック によりアメリカはドルと金の交換を停止した。

1973年 には、変動相場制 に移行し、ブレトン・ウッズ体制は崩壊した。以後、1970年代はドルの凋落とオイルショックによる政策の迷走に見舞われた。(緑色大文字強調renshi)



西田哲学とPS理論
以下は、実に興味深い思索である。感想を言えば、何か懐かしいトーンがある。
 以下、赤字で強調した(renshiによる)箇所は、叡知的世界を超越的に包摂した世界を説いていると考えられる。これをどう考えるべきだろうか。
 今の私の思いつきでは、叡知的世界は、カントの超越論的形式に相当するのである。だから、構造主義である。しかし、西田が説いているのは、それを超えたものである。それは、PS理論から言えば、正に、イデア界=超越界ということになろう。
 言い換えると、西田は超叡知的世界を考えていたことになるだろう。とまれ、西田哲学は、PS理論に近づいていたと言えるだろう。

p.s. 考えたら、「叡智的世界」から今年今月は八十周年である。本当に、日本のアカデミズムの哲学の国賊的な不毛さに憤る。もっとも、西洋哲学の問題は、既述したように、ハイデガー哲学を買いかぶっていることにあるのである。確かに、緻密な執念はあるが、フッサールの切り開いた現象学の地平(超越論的地平ではなく、超越的地平)を閉ざしてしまったのである。
 

西田幾多郎[著]: 叡智的世界(1928.10)
西田幾多郎全集・第5巻



校異:
赤い文字(赤いフォント)は原雑誌論文の、単行本において削除された箇所を示す。
青い文字(青いフォント)は単行本において新たに附加された箇所を示す。


NKZ5-123-1    叡智的世界


NKZ5-123-2         一
独訳


NKZ5-123-3   判断的知識が一般者の自己限定であるとするならば、我々が何物かを考へるには、一般者が自己の
NKZ5-123-4  中に自己自身を限定すると云ふことがなければならぬ。私は一般者に三種の段階を区別することによ
NKZ5-123-5  つて、三種の世界といふ如きものが考へられると思ふ。判断的一般者に於てあり、之に於て限定せら
NKZ5-123-6  れるものが、広義に於て自然界と考へることができ、判断的一般者を包む一般者、即ち判断的一般者
NKZ5-123-7  の述語面の底に超越するものを包む一般者(即ち自覚的一般者)に於てあり、之に於て限定せられる
NKZ5-123-8  ものを意識界と考へることができる。更にかゝる一般者を包む一般者、即ち我々の意識的自己の底に
NKZ5-123-9  超越するものを包む一般者に於てあり、之に於て限定せられるものが叡智的世界と考へられるもので
NKZ5-123-10  ある。
NKZ5-123-11   叡智的世界といふ如きものは、我々の思惟を超越したものでなければならぬ、如何にして我々はか
NKZ5-124-1  かる世界を考へ得るであらうか。何物かを考へるといふことが一般者の自己限定であるとするならば、
NKZ5-124-2  如何なる一般者の自己限定によつて、叡智的世界といふものが考へられるのであるか。私は意識の志
NKZ5-124-3  向作用といふ如きものに基いても、かゝる世界を考へ得ると思ふ。我々の意識作用は一方に於て実在
NKZ5-124-4  的と考へられると共に志向的である、ノエシス的なると共にノエマ的である。而してその志向する所
NKZ5-124-5  のものは、単に所謂意識内容に止まるのではなく、超意識的内容である。私の意識作用が過去の意識
NKZ5-124-6  内容を志向する如き場合は、単なる内部知覚とも考へられるであらう。併し我々の意識作用は我々の
NKZ5-124-7  意識を超越したものを志向するのである、否、意識せられると否とに関せず、それ自身に於てあると
NKZ5-124-8  考へられる永遠の真理といふ如きものをも志向するのである。我々の意識作用が斯く志向せられるも
NKZ5-124-9  の、郎ちノエマの方向に於て超越的であると考へられると共に、作用的方向即ちノエシスの方向に於
NKZ5-124-10  ても超越的と考へられねばならない。単に時間的なるものは志向的であることはできない、所謂意識
NKZ5-124-11  現象は志向的であつても、それが尚時間的と考へられるかぎり、超意識的内容を志向すると云ふこと
NKZ5-124-12  はできない。超意識的内容を志向するには、我々の自己は所謂意識的自己を超越せなければならない。
NKZ5-124-13  例へば、我々はカントの意識一般の立場に於てのみ、真理を考へ得るのである。かゝる場合、我々の
NKZ5-124-14  意識作用は心理的自己に属するものとして意識的実在性を有するのではなく、意識的自己の奥底にあ
NKZ5-124-15  る超越的自己に属するものとして、その実在性を有するのである。
NKZ5-125-1   右の如くにして、我々の意識を超越した叡智的世界といふものが考へられるとするならば、かゝる
NKZ5-125-2  世界を限定する一般者は我々の意識界を限定する一般者を超越し、之を内に包む一般者として、自覚
NKZ5-125-3  的一般者に準へて考へることができるであらう。

http://www.f.waseda.jp/guelberg
/nishida/nkz5/nkz5-41.htm


デジタル技術と「知」の解放
これは興味深い記事だと思う。デジタル技術が、脳の回路を再構成するというものであるが、私自身、電子辞書やパソコンを使用していて、記憶が以前よりも「進化」したように感じているのである。ドゥルーズ&ガタリ的に言えば、機械状アジャンスマンである。
 そう、かかる時間が以前とは異なるのである。また、情報の拡大がある。これは、質・量ともにである。
 以前は外国の新聞は、紙媒体で、時間差があったが、今や同時である。また、ブログによって、多くの隠された真相を知るようになったのである。
 そう、端的に、近代的な知識ヒエラルキーの崩壊があると言えよう。その点では、知の民主主義化が起っているのである。
 知識人、文化人、大学人の賞味期限が迫っていると言えよう。これはある意味で、初期マルクスが予見していたことである。
 とまれ、 デジタル技術は、知性や感性を解放する作用をしているのである。新啓蒙主義である。

Jeff Sherman / Taxi-Getty Images
SCIENCE
Reading This Will Change Your Brain

A leading neuroscientist says processing digital information can rewire your circuits. But is it evolution?

http://www.newsweek.com/id/163924


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2008年10月
     
16
 

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:220
昨日:657
累計:4,954,066