INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2008/09/01

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2008年09月01日(Mon)▲ページの先頭へ
トランス・モダン教育進化:人間の教育の根本的変革に向けて:根本的二面性の自覚から始める
トランス・モダン教育進化:人間の教育の根本的変革に向けて:根本的二面性の自覚から始める

テーマ:教育進化・導育

今日の人間の異常性は、人間哲学が間違っているところから来ている面がある。
 デカルトの我思うであるが、我とは実は、一人ではなく、少なくとも二人いるのである。即ち、我は他なり、しかし、我は我なりが、正しいのである。
 自己において、己と他が対極的に存在しているのである。これは、プラトニック・シナジー理論は、(+i)*(-i)という形で表現し、この自己認識が⇒+1であると捉えているのである。
 人格の根本的二重性・二面性・二相性を説かない人間理論は、誤りである。個人主義も、個がこの二面性をもつというものでなくてはならない。だから、極性個人主義が正しいのである。
 とまれ、近代は終焉したのである。疾く、トランス・モダンへと進化すべきである。人類精神の大進化の時代である。

P.S. プラトニック・シナジー理論(PS理論)について、一つの問題点は、(+i)*(-i)⇒+1の右辺+1をどう理解するのか、という点である。
 端的に言えば、+1とは、自己認識である。「我」の認識である。それも、差異的自己認識ないしは差異共振的自己認識である。
 しかし、自己が、同一性主義に特化しとき、もはや、+1ではなく、-1になると私はこれまで考えてきた。
 つまり、他者-iを否定した場合である。即ち、-(-i)の場合である。このときは、自己認識方程式は、(+i)*[-(-i)]⇒-1になると考えられる。また、逆にして、-(+i)*(-i)⇒-1もありうる。この場合は、神秘主義的同一性主義だと思われる。オカルト主義はこれだと思う。

P.P.S. ここで、少し、びっくりするようなことを言うと(もっとも、後で論考したいが)、実は、己の他者とは、「神」である。ただし、一神教の神というよりは、多神教の神である。あるいは、アニミズム的な魂と言ってもいいだろう。つまり、「わたし」は、ある時空における現象と共鳴するのである。差異共鳴現象が「神」である。
 これを現代的に合理化すればいいのである。経済で言えば、利益とは、差異共鳴的な神である。だから、それを独占するのは、誤りである。貨幣は神々である。科学的に言えば、エネルギーである。そう、差異共鳴エネルギーなのである。後で検討したい。


同一性主義の狂気の妄想性について:トランス・モダン・セラピー
後で考察したいが、先に同一性主義の狂気に言及したが、その狂気とは、非合理的衝動のことであったが、もう少し様態について言うと、妄想性がそこにあるのである。非合理的衝動だから、妄想性は入ってきておかしくないが、どのように妄想が発生するの、そのメカニズムを明らかにしたいと思う。
 これは実は、同一性主義批判の簡単な応用問題である。つまり、同一性主義という暴力構造ができあがると、同一性自己(自我)は、独善化するのである。自我は正しく、他者は誤りであるという二項対立形式が発生し、ある事象に対して、独善的に裁断するのであるが、この独善的裁断が妄想的ということである。二項対立(善悪二元論)的価値形式を、他者に適用するために、ありもしない観念(妄想)を他者に押しつけるのである。【p.s.  「ありもしない観念(妄想)」であるが、もう少し明確する必要があるだろう。ある人においては、妄想は、自我のシャドウ(影:否定された分身)の投影であるし、別の人においては、被害妄想である。これは、二項対立形式の優位系列が、反感によって、集合表象化したものと考えられよう。】
 思うに、今日の心の病(うつ病等)は、内因的には、近代合理主義/近代的自我/唯物論に、すなわち、近代的同一性主義に拠ると私は述べているが、あるうつ病の人のもつ妄想性はこの同一性主義の心因で説明ができるのではないだろうか。
 思うに、今日、近代的同一性主義(日本の場合は、封建・近代的同一性主義)から脱出することが求められていると言えよう。トランス・モダンが処方箋である。

p.s. 一言で言えば、差異=他者を排除した同一性主義短絡完結回路が原因である。同一性主義的二項対立形式暴力・狂気・妄想が、独り歩きしているのである。最高度に危険な、超危機的な時代である。トランス・モダンへと転換するときである。

It is high time for us to make
one of the greatist historic changes
from modern to tran-modern.

Turn into Trans-modern!


参考:

年間10兆円を超える市場規模に成長した情報サービス産業。しかし、肥大化・複雑化するプロジェクト、厳しくなる納期と顧客からの要求、疲弊する技術者、より厳しさを増す価格競争、人材不足などの課題が山積し、業界全体には悲壮感すら漂います。どうすればこの窮状を抜け出せるのか、自社をどういった方向に導けばよいのか、答えのない状況で苦しんでいる多くのSIerが、売上高至上主義のビジネスモデルからの転換に迫られているにもかかわらず、その構築ができていません。
http://coin.nikkeibp.co.jp
/coin/wat/semi/0809/


業界紙でも報道され始めた“与野党逆転”の現実味――小泉構造改革の実行を求める米国の圧力と国民の自
業界紙でも報道され始めた“与野党逆転”の現実味――小泉構造改革の実行を求める米国の圧力と国民の自

テーマ:福田政権とポスト福田

新しい酒は新しい皮袋に入れなくてはならない。死者をして、死者を葬らせよ。
 思うに、ブログ言説は、フランス革命前夜の啓蒙思想ににていないだろうか。後でブログ言説について考察したい。

p.s. 久しぶりに、新約聖書が読みたくなった。

p.p.s. ブログ言説は、ブロゴスないしはブロゴロスか?

2008.8.31(その1)
森田実の言わねばならぬ【589】
平和・自立・調和の日本をつくるために[584]
業界紙でも報道され始めた“与野党逆転”の現実味――小泉構造改革の実行を求める米国の圧力と国民の自民党離れという国民圧力という二つの圧力の板挟み、で何もできない状況に立たされた福田政権
「勢い、もし使い尽くさば禍必ず至る」(日本の諺)
http://www.pluto.dti.ne.jp
/%7Emor97512/C04542.HTML


参考1:

2:22 新しいブドウ酒を古い皮袋に入れる人はいない。そんなことをすれば,新しいブドウ酒は皮袋を破裂させ,ブドウ酒は流れ出て,皮はだめになるだろう。そうではなく,人々は新しいブドウ酒を新しい皮袋に入れるのだ」。
http://www.cozoh.org
/denmo/Mark.htm
マルコによる福音書

8:22 しかしイエスは彼に言った,「わたしに従いなさい。そして,死んだ者たちに自分たちの死者を葬らせなさい」。

http://www.cozoh.org/denmo
/Matthew.htm#C8V1
マタイによる福音書

電網聖書


参考2:
新約聖書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『新約聖書』(しんやくせいしょ、ギリシア語 : Καινή Διαθήκη, ラテン語 : Novum Testamentum)は、紀元1世紀 から2世紀 にかけてキリスト教徒 たちによって書かれた文書で、『旧約聖書 』とならぶキリスト教 の聖典。また、イスラム教 でもイエス を預言者 の一人として認めることから、その一部(福音書 )が啓典 とされている。『新約聖書』には27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音 と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録 』)、初代教会の指導者たちによって書かれた手紙(書簡)、黙示文学(『ヨハネの黙示録 』)からなっている。「旧約聖書」「新約聖書」の「旧」「新」という言い方を避けるため、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』、新約聖書を『ギリシア語聖書』と呼ぶこともある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%
B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8



父権文明とは狂気である(あった):トランス物質文明=差異共鳴文明への転換
今は一言。私は、ユダヤ・キリスト教西洋文明の一神教性=同一性主義を最大限に批判しているが(もっとも、批判とは、critiqueの意味である)、結局、それは言い換えれば、父権文明批判である。これは洋の東西を問わない。アジアにも父権文明があるのである。東アジアの場合は儒教を媒介とした父権主義がある。北朝鮮も問題であるが、中国もこの点で問題だと思う。日本の場合は、官僚や知識人が特に問題である。
 父権主義=同一性主義は確かに、物質文明を創造したが、代償があまりに大きい。疾(と)く、トランス物質文明=差異共鳴文明へと転換する必要がある。
 
p.s. 私にとって、現代に生まれたことははなはだ恥辱である。


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2008年9月
  1
       

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:357
昨日:878
累計:4,825,469