INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2008/06

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2008年06月30日(Mon)▲ページの先頭へ
古典的問題:必然性と自由:偶然性とは何か:即非の論理あるいはMedia Point Logic
古典的問題:必然性と自由:偶然性とは何か:即非の論理あるいはMedia Point Logic

テーマ:検討問題

最近は、私は、いわば、運命論的である。しかし、諦めはないのである。これをどう考えるべきか。
 この問題は、私が小学生の頃から考えていたことである。必然性(運命)と自由の問題である。これは、哲学の根本的問題の一つではある。
 そう、当然、カント哲学の問題である。カント哲学では、アンチノミー(矛盾)が生起するのである。また、マルクス「哲学」の問題でもある。
 直感では、私はどう考えているのだろうか。思うにこの問題は既に解決されているのである。差異共振的イデア=太極を考えた時点で、それは、いわば、科学的法則的である。必然である。運命である。
 しかし、個を深化させると、この必然性に到達するのである。即ち、必然即自由である。スピノザ/マルクス主義である。
 問題は偶然である。偶然性をどう考えるのか、である。直感では、偶然性は、実は、必然性である。結局、差異の問題であろう。
 そう、的確に言えば、Media Point(MP)の問題である。MPは同一性と差異を形成するのである。つまり、同一性的必然性と生み、同時に、差異的必然性を生むのである。後者が偶然性であろう。九鬼周造の偶然性はこれだと思う。
 結局、Media Point論理が支配するのである。即非の論理とは、Media Point Logicと言えるだろう。

**************

Mon, June 30, 2008 22:09:00
「ポスト・近代国家」としての差異共振主義

テーマ:トランス・モダン差異共振共同体圏

国家とは何ぞ哉。今日、国家主義と民族主義との衝突が起っているのだろう。国家主義は、ヘーゲルの国家理性からわかるように、同一性主義である。しまし、民族とは本来、差異である。ここに矛盾が起るのである。
 結局、単純化して言えば、今日、差異共振的国家が要請されていると言えよう。このモデルは、実は、きわめて不十分とは言え、アメリカ合衆国である。
 日本も最近、アイヌを先住民族を認めたのである。これは差異共振主義への大きな一歩である。思うに、近代の国民国家、民族国家、ネーション・ステートが、今や意味をなさなくなっていると言えよう。
 ポスト近代⇒トランス・モダンである。国家は、グローバル経済における支店に過ぎなくなると思われる。もっとも、私は、民族の差異を絶対的価値としている。しかし、諸民族の価値と価値が共振するのが、差異共振主義という未来である。

セルビア系住民が独自「議会」=分断状態に拍車−コソボ

6月29日8時0分配信 時事通信

 【ベルリン28日時事】コソボからの報道によると、独立に伴い同国で少数民族になったセルビア系住民は28日、北部ミトロビツァで独自の「議会」を創設した。
 同議会は「コソボ独立を認めない」と宣言、多数派のアルバニア系が主体のコソボ政府や欧州連合(EU)の文民支援隊との協力を拒否しており、新生国家は新たな火種を抱えた形だ。
 この日の初会合には、セルビアのコソボ担当相らも駆け付けた。一方、コソボ政府は「違法であり受け入れられない」と批判している。 
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20080629-00000006-jij-int


折口信夫の『死者の書』:登場人物と粗筋
折口信夫の『死者の書』:登場人物と粗筋

テーマ:折口信夫『死者の書』

以下、元の掲載では、水色でみにくくなっていたので、ここで、文字色を変えて、また、少し補足して再掲する。

折口信夫の『死者の書』:登場人物と粗筋
テーマ:折口信夫『死者の書』 『死者の書』の主要登場人物と構成

登場人物

1. 死者(大津皇子、滋賀津彦)
2. 藤原南家(なんけ)の郎女(いらつめ:死者には、耳面刀自と思われている。  
    中将姫(ちゅうじょうひめ)と普通呼ばれる。)
3. 耳面刀自(みみものとじ):淡海公(たんかいこう)の妹君、祖父の叔母君
4. 郎女の祖父は、武智麻呂(たけちのまろ)
5. 郎女の父は、豊成
6. 郎女の父の弟は、仲麻呂=大師藤原恵美中卿
7. 兵部太輔大伴家持(おおとものやかもち)
8. 当麻真人(たいままひと)の氏の語部(かたりべ)
9. 乳母:身狭乳母(むさのちおも);郎女の世話をする。

話の筋

1) 死者の目覚め

2) 九人の杖人による郎女の魂ごひの行:死者の応答

3) 万法蔵院の小庵室に留め置かれる郎女:当麻真人の「氏の語部」

4) 当麻の語部の姥(おうな)の神懸かりによる歌。大津皇子の処刑(日のみ子に弓を引いたため)と執心。郎女の彼岸中日のヴィジョン。天若日子の神話:天の神々に弓を引いた罪ある神:「天若みこ」の話。

5) 死者の想起。滋賀津彦(しがのつひこ)。

6) 郎女の失踪。家から二上山へと行く。称讃浄土経の写経。千部手写。春分、秋分の彼岸における俤の人の幻視。

7) 千部手写が完成した夜、郎女が神隠しにあった。郎女は、二上山の女人禁制の境内に入って、山肌を見ていた。寺の者たちがおおぜい、集まり、郎女に問うものがいた。

8) 石城(しき)と言われる石垣のある家が残っていた。古い氏素性の、神代以来の家職の神聖を誇った者どもは、家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失っているのに気がついていなかった。大伴家持は、旧習を守っている。話は、東大寺の四天王像の開眼のこととなり、その像が誰それに似ているといううわさ話がたっている。大師藤原恵美中卿もうわさになる。そして、その姪の横はき家の郎女が神隠しにあった話がもちあがる。

9) 大伴家持の散策:横はきかきつの家まで来る。

10) 妻問い式とそういうもののないしきたり。南家の郎女にも、妻を求める男がとりまいた。郎女は、父藤原豊成が書き綴った『仏本伝来記』が手に入り、手写した。郎女は、御仏に感謝した。

11) 称讃浄土仏摂受経の千部手写の願を発起した頃の郎女。女性をも救うことを説いた法華経のことが気になっている。

12) 寺の浄域を穢した郎女は、自ら、咎をあがなうと述べ、乳母を感動させた。

13) 寺の深夜、郎女は廬にいる。帷帳(とばり)を掴んだ片手の白く光る指が見えたとき、郎女は思わず、「なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。」と言葉をもらした。それから、白玉をとりあげる夢を見る。水底の白玉、珊瑚の木となった夢をみる。天井の光の輪の隈から、俤(おもかげ)の人の姿が見えた。

14) 大師藤原恵美中卿(仲麻呂)と兵部大輔大伴家持の歓談:郎女のことが話題となる。

15) 郎女は、不思議な音がする恐ろしい夜更けを待つようになった。候は、躑躅(つつじ)の咲く頃であった。ある夜、天井の光のところに、大きな花が見えた。「郎女の目には、何とも知れぬ浄らかな花が、車輪のように、宙にぱっと開いている。」(p.125)その花の蕋(しべ)から、黄金の髪が動く。その髪の中から、顔、肩、胸、肌が現れる。
 
16) ヤマツツジの時候。初夏となる。寺にいる郎女が魂がもどってくることだけを望みにして、人々は山村に留まっていた。人々は、蓮の茎を取って、蓮糸を紡いだ。そして、蓮糸のまるがせが、廬堂に高く積まれていった。郎女は、秋分の日が近づいてきているのを身の内に感じた。

17) 彼岸中日、秋分の夕方。郎女は、いつの間にか、廬の外へ出ていた。乳母たちは、驚き、郎女を探しに出かける。郎女は、万法蔵院に来ていた。そして、二上山の男嶽(おたけ)と女嶽(めたけ)の間を見ていた。そこへ、俤の人のヴィジョンが現れた。

18) 郎女は、奈良の御館から取り寄せた高機で、蓮糸織りをすることになった。郎女は、織物を織って、俤の人の素肌のお身を、掩ってあげたいと思う。しかし、うまくいかない。当麻語部姥(たいまのかたりべおうな)の声で、織り方を教わる。

19) 5反目の織物を織る。それから、郎女自身で、裁ち始める。

20) 当麻語部はもう一人語りの物語の時代ではないことを知る。さて、郎女は、奈良の家の絵の具を思い出して、取りに遣らせる。そして、その絵の具でもって、作った織物の衣に、先の夕に見た幻を描き始めた。そこには、豪華絢爛な伽藍があり、また「照り充ちた色身」の尊者が現れた。「姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様は、そのまま曼荼羅の相(すがた)を具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。併し、残された刀自・若人たちの、うちまもる画面には、見るみる、数千地涌(すせんぢゆ)の菩薩の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が同時に見た、白日夢のたぐひかも知れぬ。」

http://ameblo.jp/renshi/
entry-10002171474.html


2008年06月29日(Sun)▲ページの先頭へ
社会保障費の削減によって、日本社会が地獄化する:自民党、自公党傀儡政権である。日本国民の眠りは続
テーマ:ニッポン亡国の凶相

社会保障費お削減によって、日本社会が地獄化する。思うに、自民党内部に老人の医療・福祉にコストがかかるのを不満に思っている人間が多いと思う。自民党の傲り気質である。
 思うに、額賀財務省は、自身の考えを表明しているのではなく、官僚の冷酷な意見を代弁しているに過ぎないのではないだろうか。どうもこちらの方が的確なようである。
 自民党、自公党傀儡政権である。日本国民の眠りは続くのか。

p.s. とにかく、自爆的な発言できわめて恐ろしい。そんなにも日本の没落を欲しているのか。とにかく、亡国売国自民党・自公党である。
 フランス革命前夜に近くなっているのか。

額賀財務相:社会保障費抑制方針を堅持

 額賀福志郎財務相は29日、NHK番組に出演し、社会保障費の伸びを2011年度までの5年間で1兆1000億円(単年度で2200億円)抑制する政府方針について「3年目で挫折するようでは世界の信任は得られず、国民の将来の不安もぬぐい去れない」と述べた。09年度予算編成に向け、7月末にも示す概算要求基準(シーリング)でも抑制方針を堅持する考えを表明した。

 抑制方針については、自民党の厚生労働族議員から「削減はすでに限界だ」と棚上げ論が出ているが、財務相は雇用保険の国庫負担廃止などを削減候補にあげ、達成可能だと強調した。一方、骨太の方針08に盛り込まれた医師不足や救急医療対策などには「歳出のムダを省き、財源を手当てしたい」と述べ、抑制方針とは別枠で対応することで理解を求めた。

 また、高齢化に伴い増大する社会保障費負担については「勤労者にすべて任せれば、日本経済は沈没する」と語り、今秋の税制抜本改革論議では、消費税率の引き上げを議論すべきだとの考えを表明した。さらに「北欧やドイツの消費税率は20%前後だ。そのうえで所得税や法人税は下げるのが世界の姿だ」と指摘し、消費税増税の際には、所得税の一部負担減も含め、税制全体の見直しが必要との認識も示した。【清水憲司】

http://mainichi.jp/select/seiji/
news/20080630k0000m010045000c.html

財務相「社会保障費の抑制は堅持」


額賀財務相は29日のNHK番組で、社会保障費の伸びを5年間で1.1兆円抑制する方針を09年度の予算編成でも堅持する方針を示した。「始まって3年目で挫折しては世界の信任を得られない」と述べ、具体策として後発医薬品の使用促進や雇用保険の国庫負担縮減を挙げた。

 27日に決定した骨太の方針08は、抑制目標を定めた骨太の方針06に沿って「最大限の削減を行う」としていた。

 また、社会保障費の財源として消費税率を上げる際は、法人税の引き下げや所得税の負担軽減も併せて必要になる、との認識を示した。「消費税率は20%前後で、所得税や法人税を下げてバランスをとるのが世界の姿だ」と指摘。全体的な税体系を見直す際に国際競争力強化などに配慮する考えを示したものだ。

http://www.asahi.com/politics/
update/0629/TKY200806290131.html




2008年06月28日(Sat)▲ページの先頭へ
中東大戦争と多極化路線(差異共振路線):国家資本主義自公党OSから差異共振資本主義の政権OSへ
中東大戦争の可能性であるが、これは微妙なのではないだろうか。田中宇氏の唱える多極化路線を取るならば、アメリカは中東大戦争を回避する方法を取ると考えられる。しかしながら、覇権主義が主導的になれば、中東大戦争は起るだろう。今のところ、直感では、前者である。しかし、なにが起るかわからない。
 経済についても、同様で、サブプライムによるバブルの清算がどこまで続くかが問題であろう。思うに、世界資本は中東を含めてアジアに行くのではないだろうか。
 日本は自公党という国家資本主義=社会主義のOSを取り換えて、差異共振資本主義のOSへと転換すべきである。私は北朝鮮のテロ国家指定の解除は、政権のナショナリズム的目眩しから、国民を少しは覚醒させることになったのではと思う。


***以下、転載***


★ 2008年6月27日 金曜日 、7時半更新

・・・・・

 数日中に恐怖の世界大恐慌勃発か!

【27日NEVADA引用:: NYダウや今はメルトダウンに入り始めており、今後、世紀の暴落を演じることになるかも知れません。この際には日本の株式市場も指数銘柄は軒並みストップ安になるでしょうが、問題は金融システムです。昨夜のNY市場では、信用不安問題が出てきています【シティ】、【AIG】、【リーマン】がそろって急落しており、FRB等は緊急協議に入ったとも言われています。
AIG  −5.55%
シティ  −6.26%
バンカメ −6.76%
リーマン −8.42%
皆、恐ろしい程の急落となっておりますが、【GM】の株価はこれらを遥かに上回る暴落となっているのです。GM −11.43%
今、次第に金融市場は追い込まれており、この先、何が起こりましても不思議ではありません。特に、米国の預金保険機構がパンクする事態も想定されており、海外預金をお持ちの方は10万ドルまで保護はされていますがこれを履行するだけの財源がなくなりつつあり、カットはされないはずですが、支払いは10年払いということも考えられますので、くれぐれもご留意ください。詳しいことは7月1日付け【ワールドレポート】で解説させて頂きます。】


 アメリカで大暴落、11400ドル台に 、モノライン大手が今日にも破綻し、連鎖してシティ銀行が来月にも倒産する可能性が強まっている。GMももはや見捨てられ崩壊倒産の様相、当然、連鎖倒産で大恐慌に至る。日本ではミズホ・リソナが危ない。いずれペイオフ発動が避けられないだろう。
 なお、原油がバレル140ドルを突破しているが、これは弱体化し、下落したドルによってドル建て原油を確保したい意志が働いているからだ。ドルが信用されず、虚構マネーの所有者は、一刻も早く、原油・穀物・レアメタル・金などの先物商品に切り替えてしまいたいわけだ。やがて基軸通貨をユーロにシフトする流れが加速し、そうなれば原油バブルは大崩壊するだろう。需給実体価格はバレル50〜80ドルである。現在107円のドルは、年内に80円を割り込む見込み。

 国内は静かな大不況が進行している。首都高をはじめ、日本中の幹線道路、高速道路がガラガラになっている。物資の流通がない。人々はモノを買うカネがない。インフレとカネ不足が、インフレでもデフレでもないスタグフレーションという現象を生んでいる。
 現在、国内企業の半数が存続ボーダーライン上に右往左往していると指摘されているが、この世界規模のスタグフレーションが続くなら、間違いなく、史上最悪の倒産ラッシュとなるだろう。巷に餓えた人々が満ちあふれ、餓死者の死骸を踏みつぶして歩く事態が近づいている。

 現実的な解決策は、唯一、世界戦争あるのみ。膨大な浪費が大金持ちたちを救う。しかし、それにより数十億の民が凄まじい悲惨を享受し、地球環境は壊滅的に破壊される。
 アメリカは必ず世界戦争を引き起こす。ブッシュの逮捕を阻止するために戦時体制が必要なのだ。来月にもイスラエルが単独でイラン核施設を攻撃し、ロシアに支えられたイラン防空網が、それに反撃し、イスラエルは建国以来最大の損害を被るだろう。そこにアメリカが参戦するわけだ。

 筆者は、このときを20年以上前から予測してきた。資本主義は共産主義との戦いに敗北して滅ぶのではない。共産主義が自滅し、資本主義の一人勝ちになった段階で、自らの腐敗によって滅ぶのである。
 朝鮮やベトナムにおける共産主義との戦いに駆り出されて、膨大なアメリカの若者たちが死んでいった。彼らがもたらしたものは資本主義の勝利ではなく、彼らの血によって贖われた資本主義独裁体制であり、その腐乱であった。結局のところ、イデオロギーは自然の秩序と乖離し、自滅の道を辿るしかなかったのだ。
 人の作為など矮小で愚かなものだ。自然がもたらす秩序に比べれば、吹けば飛ぶゴミでしかない。天を畏れよ! 人を支配できるなどと傲慢な妄想を抱くな。世界支配を実現する寸前の、宗教的ユダヤ勢力もまた、天の力の前に吹き飛ばされる運命にあるのだ。

 ● 統一教会について、筆者は度々、強い警告を書いてきた。表に出ているトンチンカンなピント外れの陰謀団体の顔だけ見て甘く考えていると、彼らを手足として利用している巨悪を見過ごすことになる。見た目は、狂信的詐欺団体であって、誰も相手にしないと思いたいところだが、本当は、隠れた恐るべき裏の顔がある。
 岸信介・笹川良一・児玉誉士夫・福田赳夫ら、前世紀の亡霊たちが文鮮明と交友を持ち、狂信的な反共活動を繰り広げてきたが、表の顔だけ見ていると、箸にも棒にもかからない狂信カルトにしか見えないが、筆者は、全然違う、不気味な裏の顔に気付いている。世界日報やワシントンタイムズ、UPI通信という報道機関を買収して反共思想運動に利用しているだけではない。
 表向き、ブッシュへの献金額は数億円程度だが、本当は、その数十倍あるらしい。ブッシュにとって大きな金蔓であって、その意志決定に強い影響力を持っている。おまけに、池田大作と組んで世界的な反共ネットワークを作っていて、ブッシュやチェイニー個人への莫大な寄与を行っているとの情報がある。
 文鮮明はアメリカの北朝鮮政策に大きな影響力を持っている。今回の、北朝鮮テロ指定解除により、世銀から1兆円もの融資を受けられる利益誘導について、背後に、文鮮明の意志が働いていると考えるのが自然であろう。
 さらに、寡占的リン鉱石産出国である中国とアメリカが同時に輸出禁止措置をとったことの意味についても考えたい。「株式日記」が指摘しているように、北朝鮮はイランに、イスラエル攻撃可能な核ミサイルを公然と販売できることになった。これらの意味を総合的に判断しよう。

 余談 死刑廃止問題

 筆者が死刑廃止運動に関わったのは、ほとんど単独で名古屋日建土木保険金殺人事件 の支援運動を行った1980年代のことで、かれこれ20年を超える。
 日建土木事件は、主犯として逮捕され一審で死刑判決を受けた山根氏について、筆者は当初、冤罪と見ていたが、調査するうちに、一定の責任を免れないことが分かってきた。しかし、主犯ではなく従犯に留まるものであり、法理論上は最大10年程度が相当であった。(当時、司法書士・調査士の受験勉強をしていた)
 この事件は、結局、最高裁で山根氏の情状が軽いものと認定されて死刑判決が撤回され、無期に減刑されたわけで、筆者の拙い小さな助力も無駄にはならなかったと自負している。(10万枚以上のチラシ配布や、メディアへの冤罪宣伝が裁判官の心証に影響したと信じている)

 しかし、主犯と認定された西尾氏は、10年前死刑執行された。筆者の当時の調査では、西尾氏は有名な暴力団組長で、その計画の周到さ、慣れを見るなら殺人常習者だった可能性が強いが、公判に何度も通い、慣れ親しんだ顔が権力によって殺害されたことが死刑制度自体の異常さ、問題の深刻さに気付かせる衝撃的なきっかけとなり、これを廃止しない限り、死を軽視する風潮はなくならないと考えた。
 それどころか、死刑制度の本質は、権力による民衆に対する「殺すぞ!」の恫喝以外のものではなく、社会の安全を担保する上で、何一つ役立つ制度ではなく、逆効果でしかないと強く確信したのである。

 以来、一人で中古の印刷機を買い込んで、死刑反対のチラシを数万枚も印刷し、戸別配布したり、あらゆる機会を捉えて死刑制度の不当性を訴えてきたつもりだ。たまたま学生時代から旧知の安田好弘弁護士が死刑廃止運動のリーダーになっていたが、彼と直接の交際はなく、まったく無関係に、筆者は、ほとんど一人で孤独な反対運動を続けねばならなかった。

 もとより、これまでの活動に評価を求めるつもりなど毛頭ないが、実際問題として、評価はおろか、小さな好意的反応さえなかったことに深い絶望感を抱かざるをえなかった。「死刑を廃止すべし!」という仲間を見つけることは至難の業であった。
 人々は庚申信仰者ばかりなのか、死刑問題について見猿・言わ猿・聞か猿を決め込む者が多く、「被害者感情を考えろ」・・・・つまり江戸時代のような復讐容認論で、「悪いヤツは殺せ」の幼稚園児のような、あまりに薄く愚かな理屈を一歩も超えるこことのできない者が大多数なのである。

 このホームページは、死刑問題とは別に、研究中だった宏観的地震予知・アマチュア無線による予知を広く宣伝するために始めたものだが、昨日の余談に書いたように、筆者が学歴も権威も、機材も評価もないために、権威主義を信奉する連中から軽視されるだけなら、まだしも、ほとんど小馬鹿にされ、蔑視され、詐欺師のように扱われ排斥されることになった。
 その理由は、結局のところ、日本社会の間違いの根元に、権威主義や差別の問題があったからで、地震予知でも死刑でも教育でも、すべての根は同じだったのである。

 このため、地震予知だけで、すませることができず、必然的に、あらゆる社会問題を包摂する総合的問題提起へと進まざるをえなかった。
 当初、死刑廃止を訴えていても、当HPの協力者である船長氏や鹿島氏などが賛同してくれるとは思わず、おそらく死刑廃止を主張すれば筆者から去ってゆくだろうと思っていた。
 しかし予想に反して、逆に、船長氏や鹿島氏は、死刑廃止論に大いに賛成し、心強い味方になってくれている。これは筆者にとって、本当に感動的な出来事であった。
 なぜなら、この世には、もう安田氏以外、死刑廃止の意味を理解できる人がいないのでは? と思うほど深い絶望に苛まれていたからだ。
 死刑廃止こそが旧約聖書以来、人々にかけられた権力の呪いを解き放ち、閉ざされた心を解放する鍵になるのであり、人が人を追いつめない暖かい社会を作ることだけが、誤った道に進んだ日本社会を、人間性豊かな素晴らしい社会に戻す唯一の道だと確信しているからである。

 だが、その彼らでも、死刑掲示板に出てくる、うんざりするほどの無内容な死刑正当化論に辟易し、まるでゴムでできたスルメを噛みしめるような味気なさを味わっていることだろう。
 説明しても、説得しても、あらゆる論理、調査された数値、言葉を駆使しても、それを読みもしない、聞きもしないで、はじめから理解する意志もなく、ただ、固陋な自分の感情の殻に閉じこもり、一歩も前に出ようとしない者ばかりが、無意味な言葉の羅列で自己正当化、自己満足だけを目的に「反論」を次々に書き込んでくる。
 しかし、どれひとつ人の心を打つ内容はなく、「もう、うんざりだ、お願いだから消えてくれ」と思うしかないものばかりだ。

【6/27管理人板: 通行人ですが、私は死刑賛成の一番の理由は、わが身に危険が及ぶのが怖いからです。名前忘れたけど、母親を殺した少年がその後姉妹2人を殺した事件ありましたよね。……怖いです。日本では絶対的終身刑が無いから、殺人犯には一生社会に出てきてほしくない】

 上の引用は最近のものだが、正直、人間として固陋・姑息で情けない限りだ。そんなに怖ければ、死ぬまで社会に出ずに、誰も来ない洞窟を見つけて閉じこもってろ! 人と付き合うことはリスクが伴うものだ。誰だって怒り、ときには殺意を抱く。だが、その殺意を実現するかどうかが社会の分かれ目になる。
 人は、よほど追いつめられない限り、他人を殺して自分も死のうなどと考えないものだ。心の解放された良い社会では、人を追いつめず、理性が心をコントロールすることができる。心の閉ざされた悪い社会では、人は追いつめられるばかりで、どうしたらいいか分からず、結局、暴走して社会の破壊に向かうのであり、これは人間社会が成立してから今日、未来に至るまで変わることのない社会法則、心の法則なのである。

 人は、どんなに悪いヤツばかりであっても、人と一緒に生きてゆくしかないのだ。筆者も幼稚というしかない理性を見失った死刑賛成者と一緒に生きている。社会をよくするためには何をすべきか? まるで理解できない固陋な人たちと一緒に、これからも生きてゆくのかと思うと心底ウンザリだが、これも前世の報いと諦めている。
 人間社会は一種の地獄であるらしい。箸にも棒にもかからない、およそ問題の解決方法を理解できない遅れた人たちの住む星、互いに苦悩を生産し続け、死ぬまで叩き合う星、人を追いつめることで自分を追いつめ、最期は自殺するしかない星、そんな地獄星に我々は生かされている。
http://www1.odn.ne.jp/
~cam22440/yoti01.htm

東海アマチュア無線  地震予知研究会



Global markets reel after first-half carnage

Global equities were on Friday heading for their worst first-half performance in 26 years after a week in which oil surged to a record and there were renewed worries about the health of the financial system and ­global growth.

A high of $142.99 a barrel for oil sparked a tumble in Asian markets and selling in Europe and New York. The Dow Jones Industrial Average on Friday closed just shy of 20 per cent below its record high set in October and is on cusp of entering an official bear market.

Global equities were on Friday heading for their worst first-half performance in 26 years after a week in which oil surged to a record and there were renewed worries about the health of the financial system and ­global growth.

A high of $142.99 a barrel for oil sparked a tumble in Asian markets and selling in Europe and New York. The Dow Jones Industrial Average on Friday closed just shy of 20 per cent below its record high set in October and is on cusp of entering an official bear market.
http://www.ft.com/cms/s/0/
8d32f66a-4470-11dd-b151-
0000779fd2ac.html


*
US markets tumble as oil price rises
Wall Street is teetering on the brink of an official bear market after a miserable day of trading

http://www.guardian.co.uk/business
/2008/jun/28/dowjones.useconomy



新万教帰一とイデア・エネルギー(コズミック・エネルギー)のMedia Point位相
今日は余裕がないので、論考できないが、結局、宗教とは、イデア・エネルギーのMedia Pointにおける位相を表現しているのではないかと思えるのである。神とは還元すれば、イデア・エネルギー(コズミック・エネルギー)である。それが、 Media Pointの諸位相によって、多様な表現(mode)になると考えられる。この多様な表現modeが諸宗教ないしは諸神話と考えられるのである。
 結局、プラトニック・シナジー理論から、新たな万教帰一が考えられるのである。Media Pointの位相の違いによって、人類は言わば、流血惨事を起していると言えよう。Media Pointのmodeの諸相に気づけば、イデア・エネルギーで統一できると考えられるのである。一神教も多神教も一である。


2008年06月25日(Wed)▲ページの先頭へ
英雄神話とは何か:太母と英雄:二つの父権化:多神教的調和統合型と一神教的同一性主義型
神話(物語)では、龍退治がよく出てくる。日本神話では、周知のように、スサノオによる八岐大蛇の退治がある。ギリシア神話では、これは、ペルセウス型神話と呼ばれる。
 一般に、西洋文化では、龍退治が重要な機能をもっている。東洋文化の場合は、龍自体が崇拝されることが多い。
 私はこれまで、差異の視点から、龍退治を同一性主義と結びつけてきた。だから、ヤハウェとは、一種の龍退治を行う「英雄」と言えよう。
 問題は、この英雄はどのような意味があったのか、ということである。私が思っているのは、Media Pointと太母が一致するのではないのかということである。言い換えると、龍退治は、Media Point=太母を排除・抑圧する行為と考えられるということである。
 では、問題は、何故、そうする必要があったのか、である。ユング派心理学は、太母=グレートマザーを根源において、自己実現=個性化を説いている。これは、当然、根源的多神教と一神教との関係の問題でもあるし、母権文化と父権文化の関係の問題でもある。
 ギリシア神話で言うと、女神的なものは、英雄によって否定される。しかしながら、一神教のようには、完全に排除はされない。形を変えるのである。女神は怪物にされるのである。ゴルゴン、スフィンクス、キマイラ、等々。
 ユング派心理学では、太母は恐ろしい母の側面をもつが、いったい、これは何か。食べるとか、飲み込むということがそこにはある。
 これは、差異共振性に包摂された同一性をこのような否定的な意味合いで表現しているのかもしれない。思うに、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1において、+iが自己差異であり、-iが他者差異であるが、前者の自己差異が他者差異との関係(共鳴)を断ち切って、「独立」するのが、英雄神話の意味なのかもしれない。
 では、この他者差異との関係(共鳴)を断ち切るとはどういう力学なのか。この問題はこれまで、繰り返し検討してきたことであり、同一性主義の志向性ということである。これを父権主義と呼んできたのである。
 しかし、問題は単純ではない。英雄神話には、龍がもっている「宝」を獲得する意味がある。これは、普遍的構造をもっている。
 この「宝」とは何か。それは、また、囚われの「姫」を救済し、結婚(聖婚)することと等価であろう。
 思うに、太母にあるイメージは、束縛・拘束・幽閉等の閉鎖の意味がある。私が思ったのは、太母とは、Media Pointではあるが、同一性と差異との未分化様態にある位相を意味しているのではないのかということである。言い換えると、連続態である。一方では、同一性様態があり、他方では差異様態がある。しかし、両者は、いわば、癒着しているのである。還元すると、同一性には差異が付着し、差異には同一性が付着するのである。
 だから、ここには、純粋な同一性や純粋な差異が形成されないのである。このMedia Pointの未分化様態が太母なのではないだろうか。どうもそう考えた方がいいように思えている。
 この未分化様態を断ち切る意味が英雄神話にはあるように思えるのである。未分化様態である龍が退治されるのである。そして、「宝」や「姫」を獲得するのである。「宝」や「姫」であるが、「宝」は同一性主義ではないだろうか。そして、「姫」は、純粋差異ではないだろうか。
 ならば、どうして、純粋差異が発生するのだろうか。これは、保留しておこう。
 今思っているのは、二つのタイプのポスト母権主義があるように思えるのである。一つは、純粋な父権主義(二項対立型)と、一つは、父権文化と母権文化の結合・統合(統合型)である。ギリシア神話は後者的であり、ユダヤ・キリスト教は前者的であると考えられるのである。
 そうすると、英雄神話の場合も、この二つのタイプがあることになる。ペルセウス型は後者になると思うし、また、バビロニア神話は前者であると思う。
 この二つをどうみるのか、である。前者は純粋な同一性主義で説明できるが、後者をどう見るのか、である。後者には、調和・平衡志向がある。共鳴・共振志向である。共立・共生・平和志向である。
 いったい調和統合型には、どういう力学が働いているのか。端的に言えば、それは、なんらかの形で、他者差異を肯定するということである。他者差異を排除抑圧しないということであり、他者差異をなんらかの形に変換するように思えるのである。
 思うに、同一性志向性が発動したとき、差異は抑圧・排除されるが、しかしながら、差異自体は消滅するのではなく、潜在化したのである。この潜在化された差異が「姫」に当たるのではないだろうか。
 つまり、同一性志向性の発生とは、同時に、差異の潜在化である。しかし、差異の潜在化をも徹底して排除しようとしたのが、一神教である。それはある意味で特異点なのである。一神教的特異点である。
 思うに、一般的には、同一性と差異の両面があると考えられるのである。父権化とは、同一性志向性を意味する。しかしながら、当然、差異が潜在化し、それは、差異志向性となると思う。
 父権化における、顕在的な同一性志向性と潜在的な差異志向性があるが、調和統合型は、この二つの志向性を共立させる方向性を当然もっていると考えられる。
 しかし、一神教的父権化は、同一性中心主義へと傾斜して、差異を闇ないし無へと葬るのである。この同一性中心主義の光は、だから、同時に、闇である。光即闇となるのである。父権的合理主義は光であると同時に闇ということである。
 どうも以上の思考実験(試行錯誤)で、本件に対して、少しは明瞭になってきたように思える。二つの父権化があり、一つは調和統合型であり、これは、21世紀文化・文明の原型になるものであり、一つは一神教的同一性主義であり、これは、乗り越えられるべきものである。
 一神教的父権化の力学は、これまで述べたように、いわば、極性の極端化である。陽の極へと極端化した場合と考えられるのである。
 今はここで留める。後で再考したい。

p.s. Media Point=太母の説明は不十分だと考えられる。以上では、未分化様態と言っているのが、それは不正確だと思えるので、訂正したい。
 正しくは、本来は未分化ではなく、同一性を包摂した差異共振性がPrimary Media Point=太母である。しかしながら、それが、いわば、デカダンの様態になるのである。そのときに、未分化様態・連続態が発生すると考えられる。この「カオス」の乗り越えるのが、父権化の意味であったと思う。発生的に見る必要がある。

p.p.s. 結局、太母文化は、差異共振性を「宝」(おそらく、聖杯、指輪、大鍋、角、等々がこれをmode化している)=叡知(ソフィア)としてきた。そう、例えば、日本で言えば、卑弥呼(「日巫女」)は、この叡知を知る者(参照:聖【ひじり】)であったように思える。
 しかるに、この太母文化が長く続くと、堕落が始まる。それは、物質的生活の進展に伴い、同一性が強化されることによって、発生すると考えられる。有り体に言えば、利己主義化が起るのである。
 しかしながら、太母文化においては、同一性の強化は、差異による包摂関係があるので、連続化が発生すると考えられるのである。つまり、差異による包摂性が前提にあるが、そこにおいて、同一性志向性が強化されると、同一性は勘違いして、「自己」が差異から独立していると錯誤するのである。差異による被包摂性があるのだから、同一性は、差異からは自由にはなっていないのである。これは、没入、短絡、ショートである。
 やや飛躍するが、全体主義の根因はここにあるように思える。つまり、太母文化が基盤にあるが、そこにおいて、同一性主義が強化されるショートして、全体主義化するように思えるのである。ロシア、ドイツ、イタリア、日本で特に全体主義が起ったのは、ベースの太母文化によるのではないだろうか。
 それに対して、イギリスやフランスはいい意味での、合理主義が進展していたので、全体主義化は避けられたのかもしれない。もっとも、ナチスの場合は、経済的原因が大きいと思うが。
 太母文化の核である差異共振叡知をもった文化は強い文化であるが、歴史の進展ともに、太母文化の記憶は薄れていき、同一性化が強化されるのである。そして、未分化・連続化が生起するのである。
 日本の場合、明治維新は、太母文化を天皇制という形で、同一性化したと言えよう。ここにおいて、二つのあり方が存したと言えるのではないだろうか。
 一つは、差異共振叡知をもった日本近代化であり、一つは、同一性中心主義的近代化である。私が考える明治日本ルネサンスとは、前者であり、軍国主義は後者である。
 そして、戦後日本は、差異共振性=太母文化を排除するようにして、アメリカ的な近代化を行った。つまり、日本太母文化の根をなくして、つまり、そこから、切断されて、戦後近代化を行ったのである。
 同一性合理主義の発生である。これは、一種の一神教化と言えるのではないだろうか。自国文化の太母文化は完全に否定されたのである。
 結局、排除された差異共振性=魂=イデアが復活する必然性がここにはあるのである。その大マグマが日本人の無意識に蠢いていると言えよう。
 そして、この賦活されつつある差異共振魂を戦後同一性近代化は、抑圧するのであり、そこで、暴力、狂気、犯罪、悪意が生じるのである。それが、今日のカオスの意味ではないか。


統合失調症と多種多様なMedia Point
統合失調症であるが、これは、先に触れたように、Media Pointにおける、多元的要素が分裂して、「自己主張」しているように思える。つまり、差異共振化せずに、同一性主義化=自乗化していると思われるのである。
 Media Pointは多元・多様的である。ドゥルーズ&ガタリ的に言えば、多種多様である。これを共振的にmode表現する必要があると考えられる。同一性主義によって、抑圧すれば、抑圧された多元・多様性が分裂的に発動すると思われる。後で、精緻に検討したい。

「悪魔の命令」心神喪失で2審も無罪 大阪・茨木の5人殺傷

6月24日19時16分配信 産経新聞

 大阪府茨木市で平成16年11月、車で男女5人を次々とはねて2人を殺害したとして、殺人と殺人未遂の罪に問われた産経新聞販売店の元配達員の男(27)の控訴審判決公判が24日、大阪高裁で開かれた。古川博裁判長は、男が犯行当時、心神喪失状態で責任能力がなかったとして無罪(求刑・無期懲役)とした1審・大阪地裁判決を支持、検察側の控訴を棄却した。

 公判は1、2審を通じ、男の刑事責任能力の有無が最大の争点となった。

 男は捜査段階と1審公判段階にそれぞれ精神鑑定を受け、両鑑定とも統合失調症に罹患(りかん)し、幻聴による「悪魔の声」に命令された犯行とした。

 しかし、幻聴が犯行に及ぼした影響の程度をめぐる認定に違いがあり、捜査段階の鑑定は限定的な責任能力を認める心神耗弱、公判段階の鑑定は責任能力がない心神喪失とし、昨年2月の1審判決は公判段階の鑑定を採用して無罪を言い渡していた。

 控訴審で検察側は、男が「お母さんと妹を殺す」という幻聴の命令を拒否しており、幻聴に完全に支配された状態ではなかったと主張した。しかし古川裁判長は、家族への殺害命令について「1回だけなされたもので、拒絶しようと耐えている間に『5人殺せ』という次の命令に変わった。決して執拗(しつよう)なものではなかった」と指摘。男が犯行後、幻聴に従って車内で全裸になり、自殺を試みたことなどから「幻聴の圧倒的な影響下にあった」と認定、検察側の主張を退けた。

 男は16年11月18日朝、茨木市で車を暴走させ、自転車に乗っていたいずれも会社員の村田忠治郎さん=当時(61)=と米林和夫さん=同(56)=を相次いではねて殺害、自転車の男女3人に重傷を負わせたとして起訴された。

 男は1審判決後から措置入院中といい、この日は黒色のジャージー姿で入廷。証言台のいすに座り、判決が読み上げられる間、時折首をゆっくり上下に揺らすなど落ち着きのない様子で聞き入った。閉廷後に突然、古川裁判長に「一言、言わせてもらいたい」と意見陳述を求め、弁護人から静止される一幕もあった。

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・ さいたまのドンキ放火3人死亡 2審も無期懲役
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20080624-00000945-san-soci&kz=soci



重力の中心とmedia point:自己認識方程式の⇒の右辺が重力で、左辺がダークエネルギー?
http://ameblo.jp/renshi/
entry-10109555883.html

先に、以上のように、Kaisetsu氏のmode理論(思うに、PS-Mode理論と呼べよう)によって、文系、理系のクロスオーバーが、modeという概念によって理論化できたが、私は以下の土星の記事を見て、思いついたのは、Media Pointが、例えば、土星の中心になるということである。つまり、惑星の中心、太陽の中心、銀河系の中心、他の星雲の中心、そして、宇宙の中心は、 Media Pointであるということである。思うに、複数あるので、media pointsとすることが可能である。複数・多数・ほとんど無数のmedia pointsがあり、これらが、共鳴・共振・resonanceしているのである。
 そう、直感では、このResonanceにダークエネルギーを説く鍵がありそうである。media pointsの共振は、個々のエネルギーを超える、大共鳴エネルギー(コスモス・エネルギー)と考えられる。
 このことを単純に表記すれば、(+i)*(-i)>+1ではないだろうか。もっとも、単に、量的な差異ではなく、質的な差異もあるだろう。複合共鳴によって、質的な差異が生じると考えられる。多様な共鳴modeが生じると考えられるのである。
 これは、正に、超渦であろう。Super-Spiral Media Point又はSuper Media Pointである。後で、さらに検討したい。

p.s. ざっと言うが、思うに、単純にmedia pointが重力の中心ではないだろう。思うに、⇒+1が重力の中心ではないだろうか。それに対して、左辺の中心があると思う。それが、ダークエネルギーの方向ではないだろうか。
 イデア差異がmedia pointを介して、連続化したとき、即ち、+1になったとき、media pointが重力の中心の意味をもち、差異共振様相の場合が、ダークエネルギーの方向ではないだろうか。
 有り体に言えば、⇒の方向が重力の中心であり、⇒の左辺がダークエネルギーの方向ではないだろうか。思うに、左辺と右辺は一種反発すると思われるのである。推測では、両者、自己保存的に作用して、斥力となるのではないだろうか。右辺の重力に対して、左辺が反重力の斥力ではないだろうか。


Saturn Outback storm
An amateur sky- watcher captures rare Saturn images

Hydrogen map of Mars (Nasa) Ice on Mars
Evidence of Martian ice emerges from the shadows
http://news.bbc.co.uk/2
/hi/science/nature/7468832.stm


2008年06月24日(Tue)▲ページの先頭へ
重力の中心としてのmedia pointとSuper Media Point
http://ameblo.jp/renshi/
entry-10109555883.html

先に、以上のように、Kaisetsu氏のmode理論(思うに、PS-Mode理論と呼べよう)によって、文系、理系のクロスオーバーが、modeという概念によって理論化できたが、私は以下の土星の記事を見て、思いついたのは、Media Pointが、例えば、土星の中心になるということである。つまり、惑星の中心、太陽の中心、銀河系の中心、他の星雲の中心、そして、宇宙の中心は、 Media Pointであるということである。思うに、複数あるので、media pointsとすることが可能である。複数・多数・ほとんど無数のmedia pointsがあり、これらが、共鳴・共振・resonanceしているのである。
 そう、直感では、このResonanceにダークエネルギーを説く鍵がありそうである。media pointsの共振は、個々のエネルギーを超える、大共鳴エネルギー(コスモス・エネルギー)と考えられる。
 このことを単純に表記すれば、(+i)*(-i)>+1ではないだろうか。もっとも、単に、量的な差異ではなく、質的な差異もあるだろう。複合共鳴によって、質的な差異が生じると考えられる。多様な共鳴modeが生じると考えられるのである。
 これは、正に、超渦であろう。Super-Spiral Media Point又はSuper Media Pointである。後で、さらに検討したい。


Media Pointのmodeについて:文系と理系の壁をなくしたmode理論
以下のmodeに関するKaisetsu氏の解明は、PS理論の具体的な適用に役立つであろう。後で、私なりに説明をこころみたい。
 思うに、スピノザ(ドゥルーズ経由)の表現やライプニッツの表象とは、このmodeによって明確になるだろう。そして、一挙に、理科系と文科系の壁がなくなったと言えるのではないだろうか。直感では、これまで、PS理論は、理系と文系のクロスオーバーしていた、このmodeという定義で、理論化されたと言えよう。

* PS理論の「mode」定義は、波動の基本振動と倍振動関係も包摂する。 (06/23)
* Mode とはMedia Pointの多様性を表す形式である。 (06/20)
* Mode とは Media pointの多様性を表す「様式」である。 (06/19)

http://theory.platonicsynergy.org/
Theories for the Platonic Synergy Concept.




検討問題:子規の写生と映像性:イマジズムとヴィジョン:視覚と身体

子規の短歌は、とても、映像的である。単に写生というのでは足りない感じがする。生き生きとしている。これは、差異共振的映像とでも呼べるのではないだろうか。単に写実主義ではないのである。
 これは、英米の詩では、俳句の影響を受けて、イマジズムが起ったことと何か関係があるのか。同時代性? とまれ、差異共振的イメージ性があると思う。
 思えば、以前、私がヴィジョンと呼んだものに通じるのではないだろか。これは、身体とも関係するのである。身体的視覚なのである。
 これについて、考察しようと思っている。視覚と身体の関係である。私にとっては、視覚は身体的なのである。




坂の上の雲ミュージアム
時間が少しあったので、以下を訪れた。いわば、駆け足だったので、ざっと見ただけである。安藤忠雄氏の設計であるが、なにか、斜めになった壁に貼った資料を上がりながら見ていくスタイルや、室内が、三角形だったりして、吹き抜けがあったりして、変化に富んでいるし、また、爽やかである。(黒川紀章氏の国立新美術館は、内部が狭苦しく、圧迫感がある。そう、檻みたいである。展示するスペースはすっきりしているが。)
 NHKでこんどドラマ化する『坂の上の雲』に対する千人のアンケートの返事が展示されていた。有名人あり、一般人ありである。
 正岡子規が、単に俳人だけでなく、日本を動かさんとする青雲の志をもっていた人物とは知らなかった。

p.s. 松山は、独特の「気」がある。一種ドリームランドである。別天地である。理想郷である。すばらしい町・都市である。共同体である。今はこれで留める。

p.p.s. おそらく、差異共振的「気」があるのではないだろうか。山々に包まれた場であること、また、瀬戸内海に面していること、地霊が豊かなのだ。

参照:
【プロジェクト】出足好調の「坂の上の雲ミュージアム」、設計は安藤忠雄氏

2007/09/10
坂の上の雲ミュージアム   まちづくり   安藤忠雄  

 司馬遼太郎氏の代表作の一つである『坂の上の雲』。この小説に感銘を受けた中村時広松山市長は1999年に市長に就いて以来、坂の上の雲を軸としたまちづくりを推進している。まちづくりの核となるのが今年4月にオープンした「坂の上の雲ミュージアム」だ。安藤忠雄氏が設計した。松山市総合政策部坂の上の雲ミュージアム事務所の河本直人所長に、開業後の状況を聞いた。

坂の上の雲ミュージアムの西側全景。城山公園と市街地の境に建つ(写真:吉田 誠)
坂の上の雲ミュージアムの西側全景。城山公園と市街地の境に建つ(写真:吉田 誠)
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/
article/building/news/20070906/
511164/

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が、来年秋の放送スタートをめざしクランクイン! 来年8月には松山ロケ

Photo_2  来年の秋から放送予定のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)がクランクインしました。このスペシャルドラマは司馬遼太郎の代表的長編小説「坂の上の雲」を原作として、平成21年(2009年)から3年にわたって放送されます。

http://yagi.typepad.jp/413/
2007/11/post_91ae.html


坂の上の雲ミュージアム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

坂の上の雲ミュージアム(さかのうえのくもミュージアム)は、愛媛県 松山市 にある博物館 で、同市が取り組んでいる司馬遼太郎 の小説 『坂の上の雲 』を軸としたまちづくりの中心を担う施設である。

2007年 (平成19年)4月28日 に市内中心部の松山城 を頂く城山の南裾に開館し、総工費は約30億円。

館長は松原正毅 国立民族学博物館 名誉教授。


2008年06月23日(Mon)▲ページの先頭へ
検討問題:イデア・エネルギーと物質エネルギーと現象の関係
問題は、ダークエネルギーである。宇宙の加速する膨張のエネルギーが可視される物質のエネルギーと大きく釣り合わない事態が生じていることをどう見るのか、である。
 私は以前に、-1と+1との相違を想定したが、それは訂正されて、イデア・エネルギーと物質エネルギーの相違を説いた。しかしながら、それでは、不十分である。
 そこで考え直して、元に戻して、-1と+1の相違が、ダークエネルギー問題に関係するのではないかと作業仮説する。先程、思いついたことから考えると、可視化される物質宇宙とは、-1であり、それは、差異共振エネルギーの帰結の+1の表面に過ぎず、当然、-1と+1は不連続であり、-1の物質宇宙から+ 1のエネルギー宇宙を導き出すことは、理論的に不可能ではないだろうかと思うのである。
 そうすると、アインシュタインのエネルギー公式はどうなるのだろうか。E=mc^2におけるm(質量)は当然、物質宇宙の事象である。問題は、c(光速度)の意味である。
 ここでは、思考実験するが、mは、-1に関係し、cは+1に関係するのではないだろうか。すると、この公式は、折衷になるのではないだろうか。
 直感で言えば、+1から-1が派生するのであるから、mは+1から派生するのであり、+1における、いわば、原質量とは何かということが考えられるのではないだろうか。
 そう、いま思いついたのであるが、この原質量がダークマターに相応するのではないだろうか。では、問題のダークエネルギーは何だろうか。
 原質量をXとすれば、+1のエネルギーは、Xc^2となるだろう。+1のエネルギーを、primary energy として、PEと表記すれば、PE=Xc^2となるだろう。思うに、このPEがダークエネルギーではないだろうか。この問題は今はここで留めておく。
 さて、以上の考え方によれば、ダークマターやダークエネルギーは、+1の世界の事象に過ぎず、イデア界には、達していないのである。+1は四次元と考えると、五次元のイデア界を捉えていないのである。言い換えると、イデア・エネルギー(仮説)を看過しているのである。
 思うに、「気」とは、イデア・エネルギーではないだろうか。また、コスモスとは、イデア界のことではないだろうか。もっとも、Media Pointとの関係を見ないといけないが。つまり、Media Pointを介して、イデア界が現象界へと「流入」するのである。このとき、イデア・エネルギーは、例えば、「気」として、発出されると思われるのである。もっとも、イデア・エネルギーすべてが、「気」というわけではないと思うが、とりあえず、作業仮説的に、イデア・エネルギー=「気」として、考えたい。
 そして、イデア界=コスモスとなるのだろうか。(ここで、プラトンの古代宇宙論を説いた『ティマイオス』を想起するといいだろう。)
 では、魂とはどうなるだろうか。これまでは、Media Pointが魂であるとおおむね考えてきた。今思うと、微妙である。イデアを魂としてもいいと思えるのである。
 その方が、整合的だと思うのである。イデア界は思うに、多数、ないしは、ほとんど無数のイデアがあるのではないだろうか。(先には、唯一のイデアを構想したが。思えば、不連続的差異論のときに、イデア界は、多者の世界であると考えたのである。)
 そうならば、Media Pointと魂=イデアの関係はどうなるのだろうか。Media Pointは、いわば、宇宙の臍(へそ)である。存在の臍である。現象の臍である。森羅万象の臍である。
 現象界の人間にとって、Media Pointは、イデア界と交流する「場」である。一般的に、魂というものは、Media Pointを介してのイデアではないだろうか。それとも、Media Pointとともにあるイデアのことなのだろうか。
 死者の「魂」は、イデア界に帰還すると思われる。純粋な、差異共振様相となるのである。確かに、天国である。しかし、イデアは認識体であるから、現象界の記憶があるだろう。言わば、イデア・アーカイブである。
 ということで、魂に関しては、これまでの考えを変更して、イデア=魂ということにしたい(まったく、純粋なプラトニズム、プラトン原理主義である)。もっとも作業仮説である。


2008年06月20日(Fri)▲ページの先頭へ
Kaisetsu氏の明快明敏な、日本社会の診断であり処方箋である:市場且つ共同体主義
Kaisetsu氏の明快明敏な、日本社会の診断であり処方箋である。特に、市場主義と共同体主義の共鳴、共振、resonanceの見解に注意されたい。
 とかく、両極のどちらか一方へ傾斜する「イデオロギー」が多いが、この重い意味を噛みしめられたい。
 私見では、国家資本主義=社会主義の解体が必須である。日本人は、個のルネサンスを味わう必要がある。個=自由であることは、厳しく驚異である。それは、この世の頂点である。
 現代日本人は、封建主義下の奴婢である。
 
***************

植草一秀氏の事実認識は正しい。但し、「市場主義 対 共同体主義」の対立と言うべきである。
2008.06.19 Thursday
嘗て、日本社会が中流社会であったのに対して、当時の小泉政権は、格差社会こそ「普通の国」という理屈で、団塊世代と団塊ジュニアを狙った攻撃を開始した。小泉氏の卓抜した「騙し」の技量によって、この「団塊世代と団塊ジュニア」が歓喜して熱狂的に小泉政策を支持したのである。当時、海舌が小泉を批判すると、これら愚民・墓掘り人に貢ぐ層から、支離滅裂な嫌がらせが猛烈に届いた。
兎に角、小泉政権は、日本の中流社会という「共同体」を壊したのである。今、大阪で橋下という知事が、同じように大阪の共同体を壊し、生活を虐待され続けている層が、橋下知事を熱狂的に支持している。
http://blog.kaisetsu.org/
?day=20080619
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu


2008年06月19日(Thu)▲ページの先頭へ
来るべきもの:Cosmos wil come to the earth. Ready?
わたしは病院の側の坂道を下りながら、この道の「気」が好きだと感じた
病院のある場所は聖地と同様、「気」のいい場所だろうか
とまれ、私の心は、ある「力」に満たされるつつあるようだ
わたしは、最後の手段を取るような気分になっている
そう、わたしの最深部によって、コスモスの気をもたらそうとしているのである
私は神とは呼ばない
コスモスの「気」である
それに私は呼びかける
否、主体的に地上にもたらそうとするのである
合理・批判的方法以外に、この精神的方法をわたしはとりたい気分である
そう、いっしゅの祈りや呪術であるが、これは、最終手段である
わたしはコスモスに呼びかける
コスモスの気に呼びかける
というか、コスモスの気が降臨することを意志するのである
これは、いわば、私とイデア界との交流の問題である
思えば、古くからの私とコスモスとの関係に因るとは言えよう
私は強く呼び寄せたい、コスモスの降臨を
私は神とは言わない
神は嘘臭い
大いなるコスモスの降臨を願うのである
これは、私の「復讐するはわれにあり」である
そう、人間の生の意味は量的長さにあるのではない
短い人生であっても、魂の生命を感じれば、それは永遠に触れたのである
わたしはコスモスをもたらしたい
ただ、それだけである
それが私の積極的な意志である
Cosmos will come to us.
Cosmos the Harmony Wave will come upon us.
Are you ready for it?
Cosmos shall come upon us.


イデアとエネルギーと物質:超越エネルギーとMedia Pointと+1と-1
本件の問題は、先に検討問題として提起したものであるが、今日のところは簡単に触れるに留める。
 直感で考えたい。イデア界は差異共振エネルギーの「光」がある。これは、いわば、超光である。これが、1/4回転によって、Media Pointにおいて、光を発生させる。そう、この光とは何か。+1なのか、-1なのか、である。
 これは、ある意味で愚問である。何故なら、これまで、+1と-1とは同時生起すると考えてきたからである。だから、光は、両者である。物質的光は-1であり、エネルギーとしての光は+1である。とまれ、屈折して、-1になると考えればいいだろう。
 問題は、+1とは何か、ということである。思うに、これが最高の問題の一つである。先にダークエネルギーと呼んだが、それは間違いだろう。
 -1が物質であるから、+1は物質エネルギーではないのか。しかし、やはり、難しい。なぜなら、先に、-1は+1に包摂されると言ったからである。思うに、-1が現象であり、+1が本体、つまり、物質の本体である。カント的に言えば、+1が物自体であろう。
 やはり、先に言ったように、+1>-1ではないだろうか。思うに、-1のエネルギーと+1のエネルギーがあるのではないだろうか。物質エネルギーとは、-1になるのではないだろうか。そうならば、+1は何エネルギーだろうか。
 +1は、アインシュタインの説いたE=mc^2のエネルギーではないだろうか。そう作業仮説して進もう。すると、それは、やはり、ダークエネルギーではないのである。
 ダークエネルギーはやはり、Media Pointないしはイデアに関係するように思える。
 端的に、一体、何が問題なのか。即非様相であろう。Media Pointにおいて、イデアであり、且つ、物質であるということだろう。つまり、+1とは、Media Pointにおいては、イデアと即非であるということである。つまり、Media Pointの「場」(Media Point Field、MP場)において、+1は、イデアと交互関係があるということである。
 これが、存在の核心である。つまり、物質は、Media Pointのおいて、イデア界(超越界)、即ち、高次元と接するのである。超次元である。端的には、五次元である。
 そう、この五次元のエネルギー、イデア・エネルギーがダークエネルギーのように思われるのである。
 先に、課題として、イデア・エネルギー(イデルギー)とMedia Point Energy(メデルギー)と物質エネルギーの関係をあげていたが、結局、メデルギーというものは、イデルギーと物質エネルギーの中間になると言えよう。そして、イデルギーがダークエネルギーということである。


2008年06月17日(Tue)▲ページの先頭へ
細胞とは何か。結局、生命や物質とはイデアであると考えられる。イデアがもつ認識エネルギーがあるので
細胞とは何か。結局、生命や物質とはイデアであると考えられる。イデアがもつ認識エネルギーがあるのである。それが、他者を極性的に認識するのである。思うに、表面では、物質形態をとる。同一性主義である。
 しかしながら、本体は、差異共振体である。エネルギー体である。しかし、このエネルギー体は、イデアの現象本体である。物質科学は、現象の物質体を把捉するだけである。エネルギー体を真に把握していないし、また、イデア本体を、当然、把捉していない。
 おそらく、+1はイデアの影のエネルギーである。思うに、ダークエネルギーである。物質科学は、いわば、イデアの影の影を捉えているに過ぎないと思われる。後でさらに検討したい。

<遺伝子>生殖細胞への変化に必要な働き解明 理研チーム

6月15日6時16分配信 毎日新聞

 細胞が卵子や精子(生殖細胞)になるのに必要な遺伝子の働きを、理化学研究所(神戸市)の斎藤通紀(みちのり)・哺乳(ほにゅう)類生殖細胞研究チームリーダーと栗本一基特別研究員らがマウスの細胞を使った実験で解明した。この遺伝子は細胞が一般的な細胞(体細胞)に変化するのを防ぐブレーキ役をしていた。さらに、生殖細胞にとって重要な、どんな細胞にも変化できる能力(多能性)の維持に関係していた。

 15日付の米科学誌「ジーンズ・アンド・デベロップメント」に論文が掲載される。

 斎藤さんらは、生殖細胞形成に重要だとみられた遺伝子「Blimp1」を、人為的に欠損させた受精卵を作り、正常な受精卵と比べた。

 その結果、正常な受精卵は受精後6〜8日で、一部の細胞が生殖細胞に向かって変化し始めた。

 一方、Blimp1のない受精卵では、生殖細胞になるはずの細胞で、皮膚や骨などの基になる体細胞への変化を促す遺伝子が次々と働き出した。多能性維持に重要な別の遺伝子「Sox2」は働かなかった。

 Sox2は、京都大の山中伸弥教授らがつくった人工多能性幹細胞(iPS細胞)に必要な遺伝子の一つ。斎藤さんは「Blimp1はヒトにもある。何らかの共通の働きをしている可能性がある」と話している。【野田武】
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20080615-00000010-mai-soci

ヒトゲノム、分かりやすく 京大院生が入門書

6月16日16時9分配信 京都新聞

ヒトゲノム、分かりやすく 京大院生が入門書

「ヒトゲノムマップ」を手にする加納圭さん
 人の染色体を並べて遺伝子とその役割を説明したポスター「一家に1枚ヒトゲノムマップ」を制作した京都大大学院生が人とゲノム(全遺伝情報)について解説した入門書「ヒトゲノムマップ」(京都大学学術出版会)が出版された。大学院生は「生命についてさらに深く知りたい高校生や先生はもちろん、健康情報が気になる一般の方にも読んでもらえれば」と話している。
 ■寿命や血液型、瞳の色…遺伝子から説明
 京都大生命科学研究科大学院生の加納圭さん(28)が、文部科学省が企画して全国の小中学校や高校に配布された「一家に1枚ヒトゲノムマップ」(2006年)の「公式解説書」として著した。多くの人が遺伝やゲノムについて学校で学んでいない現状に「人に内容を絞れば分かりやすいし、自分の体の中のDNAへの興味につながる」と、マップで書き尽くせなかった内容を盛り込んだ。
 前半はゲノムの基礎知識、遺伝や進化でのDNAの役割や個人差の意味などについて図解を交えながら解説。後半は血液型や瞳の色、寿命など身近なテーマをゲノム、遺伝子から易しく説明している。遺伝子がすべてを決めるのではないことなど、誤解の多い点も丁寧に解説した。
 付録として「一家に1枚ヒトゲノムマップ」と、マップに掲載できなかった遺伝子の解説を収録した。文中に登場するさまざまな遺伝子の位置や役割をマップで確かめることができる。
 加納さんは「DNAと健康についての科学的な考察や、個人の遺伝情報を守る大切さなども知っていただきたい」と話している。2200円(税別)。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20080616-00000030-kyt-l26


2008年06月16日(Mon)▲ページの先頭へ
中沢新一批判と日本出版界の大汚点ないしは死
中沢新一批判と日本出版界の大汚点ないしは死

テーマ:ニッポン亡国の凶相

狩猟と編み籠 対称性人類学2 (芸術人類学叢書 1) (単行本)
中沢 新一 (著)


この本が本屋の店頭の棚にあったので、少し立ち読みしたが、例の曖昧模糊とした文体である。いい加減な文体である。
 以下の本(島田裕巳氏の本)は読んでいないが、解説やコメントを見る限り、言わんとすることは納得できる。彼の著書の理論的な杜撰さとまた、彼自身の没倫理性を批判すべきである。例えば、前者は、唯物論と霊性が一体化して、霊的唯物論という奇怪な考えた方に見られる。
 また、後者は、以下の本に論じられているだろうが、一見、現実と関係しているような感じであるが、例えば、経済について言及するが、具体的な経済や現実を避けているのである。空虚な観念遊戯なのである。そう、現実から遊離しているのである。だから、形而上学である。日本の出版界はこのような本を出版して、恥を晒しているのである。というか、公害、害悪である。
 そう、理論的欠陥のもう一つに言及すると、彼の言う対称性人類学の対称性であるが、太古においては、個と全体が区別されていなかったとあるが、それは、間違いである。同一性が存していたが、それは、差異に包摂されていたのである。つまり、同一性と差異とは区別されていたのであり、その点を無視すると、全体主義になる。

参考:

『対称性人類学 カイエ・ソバージュ (講談社選書メチエ) (単行本(ソフトカバー))
中沢 新一 (著)

商品の説明
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なにかに区切りがつくときというのは、達成感とともに一抹の寂しさが湧いてくるものだ。全5冊にわたるシリーズの完結ともなれば、なおさらだろう。「超越的なもの」をめぐる人類の思索史カイエ・ソバージュ。その最終巻である本書では、これまで重ねてきた考察を踏まえ、来たるべき時代の思想を模索する。

かつて世界は人間と動物、個人と全体を区別することのない「対称性」の思考に彩られていた。そこでは支配 ― 被支配の隔てもなく、死と生の間にすら決定的な差異は認められていなかった。ところが、国家や一神教に象徴される「非対称性」の力が世のすみずみまで行きわたった結果、あらゆるところで深刻ないきづまりが生じているのだ。人類の本質が「対称性」にあるため、「非対称性」の社会では必然的に閉塞へ追い込まれていくのである。

とはいえ、今さら国家のない時代に戻ることなどできるはずもない。そこで示されるヒントのひとつが仏教である。じつは、仏教こそ対称性を極限まで磨きあげた思想なのだ。ここでは人間と動物は同じ「有情(うじょう)」(意識のある存在)であり、輪廻の輪の一部にすぎない。ゆえに、人は自然に対して倫理的にふるまうのである。こうした認識こそが、一神教型の世界を乗り越える原動力になるのではないか、と本書はいう。むろん、これはあくまで一つの理想型であるが、このように、ただ現状を分析するだけでなく、「ならば、どうしたらいいか」というところにまで踏み込む逞(たくま)しさが、中沢新一の魅力だろう。
著者もいうように、「対称性」を回復する試みはいままさに始まったばかりである。むしろ、スタートラインに立つためにこそ、この長いシリーズは語られてきたのかもしれない。知の冒険はこれからも果てなくつづいていく。だからこそ、講義の最後に発せられた「また会いましょう」という一言がいっそう感動的に響くのである。(大滝浩太郎)

出版社/著者からの内容紹介
カイエ・ソバージュここに完結 第5巻
新たな知の営みへ!

神話、国家、経済、宗教、そして対称性人類学へ。「圧倒的な非対称」が支配する世界の根源を問う冒険、ここに堂々完結。抑圧された無意識の「自然」は甦るのか?「対称性の論理」が切り開く新たな世界とは?野生の思考としての仏教を媒介に、来たるべき形而上学革命への展望を示す。 』



中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて (単行本)
島田 裕巳 (著)





差異共振経済としてのイスラム金融経済:無利子経済から減価通貨経済へ
イスラム金融入門―世界マネーの新潮流 (幻冬舎新書 か 5-2) (新書)
門倉 貴史 (著)

ふと立ち寄った本屋にあり、目次を見たら、無利子金融について言及しているので、興味をもったので、購入した。
 最初の方を読んだが、簡潔明瞭にイスラム金融を紹介している。無利子で実際経済は成立つのである。思うに、無利子経済から減価通貨経済へと転換する方向がいいのかもしれない。


2008年06月15日(Sun)▲ページの先頭へ
西洋白人は東洋黄人や黒人へのコンプレックスがあるのではないだろうか:白人主義は張りぼてである
西洋白人は東洋黄人や黒人へのコンプレックスがあるのではないだろうか:白人主義は張りぼてである
テーマ:日本再生・東洋ルネサンス計画
西洋白人は東洋黄人や黒人へのコンプレックスがあるのではないだろうか。
 昨年度ノーベル文学賞を受賞した「イギリス」のドリス・レッシングの処女作(優れた作家において、処女作において、すべてがあるというテーゼは正しいと思う)である『草は歌っている』は、白人のコンプレックスを抉り出している。
 いったいこれは何だろうか。つまり、白人のコンプレックスとは何かということである。何か、優等生でありたいという自我意識が強いのである。これは、正に、同一性主義である。父権主義である。逆に言うと、女性等へのコンプレックスである。差異ヘのコンプレックスである。
 思うに白人は、女性や非西洋ヘのコンプレックスがあるのである。これは、典型的にマッチョ主義である。おそらく、不器用なのである。だから、コンプレックスを抱き、差別するのである。
 そう、白人主義とは完全にイデオロギーである。弱者のイデオロギーである。ルサンチマン主義である。同一性傾斜が強く、他者差異が弱いのである。有り体に言えば、小心者である。小心であるが故に、攻撃的になるのである。白人主義は張りぼてである。

 インチキ白人優位主義を易々と乗り越えよ!


Jardins de Valloires, Immaculate conception
Immaculate conception
John Graham-Hart is dazzled by a monastery garden where Gallic horticultural genius is given its head.
Directory of European hotel reviews
http://www.telegraph.co.uk
/travel/europe
/france/2123300/Valloires-gardens
-Immaculate-conception.html


不公正な派遣制度への不満と私怨との混淆:無利子ないしマイナス利子と差異資本主義
以下の記事に、『結局、加藤容疑者は削減対象とはならなかったが、就労形態が不安定な派遣社員という立場を実感したとみられ、「いらなくなったら結局は(クビを)切るんだ」などと話していた。』とある。そうすると、文意を汲むと、加藤容疑者は、派遣社員というあり方に対して、いわば、義憤を感じていたように思えるのである。
 私も派遣社員というあり方は、人間を物や機械と扱うのであり、否、奴隷として扱うのであり、怒りを爆発させるのは理解できる。
 しかしながら、純粋に義憤ならば、無差別殺人にはならないはずである。この問題は先に述べたように、複合原因殺人であり、複雑であるが、私は向精神薬が直接の原因ではないのかと疑っている。とまれ、社会の不公正さへの不満と個人的不満が混淆されていたようには思える。
 結局、理論的には、過度の同一性主義の帰結がここにあると思われるのである。同一性主義を生み出す利子金融体制を廃止すべきだと私は考えている。資本主義は、無利子でも機能すると考えられる。というか、無利子ないしはマイナス利子の方が、資本主義は進歩・進化すると考えられるのである。差異資本主義である。
 端的に言えば、利子金融とは、資本主義における封建主義・階級制度を維持させる金融システムである。働かなくとも、投機で、利益を掠めることができる泥棒システムである。マルクスの勘違いは、資本主義内部に差別のシステムを見たことだと思う。そうではなくては、金融システムに問題があると考えられるのである。
 無から有が発生する有利子金融は「錬金術」である。これが、利己心をあおり、同一性主義を駆動させると考えられるのである。



参照:法定無利子、又は、マイナス利子通貨導入について


1)
ポスト近代西欧と共生主義:メディア界的理性・調和・均衡

http://ameblo.jp/renshi/
entry-10000620997.html


2)
民主主義通貨と資本主義通貨:世界共生通貨ガイア?

http://ameblo.jp/renshi/
entry-10000608030.html


3)
「 [経済] 消滅貨幣を法定通貨にしたとき:資本主義と社会主義の間

直感では、これは妥協かもしれないが、必然の妥協ではないだろうか。というか、必然の調和かもしれない。というのは、超越論的現象形式(カント)が人間には埋め込まれている(内在している)。これを無視することはできない。しかし、根源には、不連続的差異があるのである。貨幣を無くすことは理想であるが、しかし、それは、イデア界ならば、できるだろう。現象界では不可能ではないか。だから、差異と同一性との調和として、消滅貨幣・減価通貨を法定通貨とすることが考えられると思うのである。一方で、差異価値があり、他方で、減価する交換価値があり、イデア界と現象界を調和させられるのではないだろうか。この点は、ゲゼルの主著を読み検討する必要がある。

http://www3.plala.or.jp/
mig/gesell/nwo-jp.html

p.s. ゲゼルは消滅貨幣を政府において発行することを考えていたのであり、地域通貨、補完通貨としてではないだろう。ベルナルト・リエターや森野栄一氏は、似非ゲゼリアンではないだろうか。」
http://ameblo.jp/renshi/
entry-10000594156.html


4)
マルクスだったらこう考える:不連続的減価経済
テーマ:ニッポン独立宣言 [叡智学] 『マルクスだったらこう考える』的場昭弘著 光文社新書

 2/3弱読んだ。一部、マルクスのもつ進歩主義の誤謬(つまり、帝国的グローバリゼーションのためには、犠牲はしかたないというような考え)があると思うが、全体としては、斬新な内容である。マルクス主義の近代主義的限界を指摘している。
 ところで、思うに、マルクスの疎外という概念は、超越論的だと思う。これは直観であるが、検討しないといけない。なぜ、超越論的、先験的なのか。カントの超越論性は、時空間的なそれであった(ここでは、超越論的仮象=理念は無視できよう。)。時空間的とは、現象的、物質的ということである。そして、資本主義は、一般的抽象的形式価値(抽象・一般的交換価値)に関わるのであり、この形式価値が、カントの超越論性と一致すると思う。つまり、カントの超越論的時空間形式とは、現象物質形式であり、物質的身体/肉体形式である。これと、資本主義の一般抽象的交換価値=貨幣価値とは、一致するだろう。つまり、簡単に言えば、一キロの塩=百円ということだろう。つまり、一般抽象数量等価形式である。この抽象一般形式とカントの超越論的一般形式と一致すると言えるだろう。つまり、資本主義は、超越論的形式を基礎・原理とする経済であると言えよう。だから、資本主義は、人間を疎外するのである。現象の先験的形式に基づいているのである。だから、一般に、有無を言わさない形式である。生殺与奪的形式である。
 以上から、資本主義=超越論的形式=貨幣形式が帰結する。ここには、差異、不連続的差異、特異性が喪失している。これは、差異を破壊する現象中心主義である。そして、ここにおいて、人間は連続的同一性の従者・奴隷である。つまり、現象的先験的形式が支配しているのである。結局、差異、不連続的差異をとりもどさないといけない。それが、初期マルクスの考えた「共産主義」である。だから、不連続的差異論とは、「共産主義」である。しかし、国有化主義ではない。それは、不連続的差異的共立共生主義である。差異共立主義とは、結局、超越論的形式を越えた価値主義であり、超越論的超越論的形式だろう。実践的には、資本主義を差異共立主義に変換するシステムが必要である。資本/差異共立主義である。簡単に言えば、資本→差異変換システムである。超越論的資本主義から、差異共立的資本主義である。形式資本から差異資本へ。形式無機的資本主義から、差異共立資本主義へ。連続差異的資本主義から不連続差異的資本主義へ。連続的通貨から不連続的通貨へ。思うに、ゲゼルの減価通貨が意味があるのかもしれない。単に地域通貨ではない。マイナス利子をつけるのである。銀行に一億円があっても、それは、減価するのである。銀行は貯蓄があればあるほど、マイナスになるだろう。つまり、不連続的差異価値を評価するために、連続的差異価値を減価するのである。つまり、連続差異価値というバーチャルな価値を排するための実質的な不連続的差異価値のための通貨である。超越論的連続差異形式から超越論的不連続的差異強度への転換である。』
http://ameblo.jp/renshi/
entry-10000587212.html

 
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秋葉原無差別殺傷 職場への嫌がらせ計画「搬入口、トラックで妨害」

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、静岡県裾野市の派遣社員、加藤智大(ともひろ)容疑者(25)が、派遣先の工場で人員削減計画が持ち上がった際、「腹いせに搬入口にトラックを止めて(業務を)妨害してやろうか」と同僚に漏らしていたことが13日、分かった。工場では年下の同僚と言い争いになるなど、トラブルがあったことも判明。警視庁万世橋署捜査本部では、就労形態が不安定な派遣社員という立場や対人関係などの不満が募って事件に至ったとみている。

 加藤容疑者は昨年11月から裾野市の関東自動車工業東富士工場に派遣され、3カ月ごとに契約を更新する形で勤務を続けていた。

 人員削減計画が決定したのは5月末。派遣社員200人のうち150人を6月末に解雇する内容だった。加藤容疑者の派遣元にも通告があり、工場では「(派遣元が)完全撤退して全員解雇される」といううわさが広まった。この際、加藤容疑者は同僚に「両親も頼れない。車で事故を起こして借金も背負っている」などと動揺をみせていた。

 結局、加藤容疑者は削減対象とはならなかったが、就労形態が不安定な派遣社員という立場を実感したとみられ、「いらなくなったら結局は(クビを)切るんだ」などと話していた。
http://www.iza.ne.jp/news/
newsarticle/event/153081/


参考1:

派遣労働者が受け取る賃金は必ず正規以上と法定が、正規の半分以下
派遣のピンハネ率は10%未満と法定が、ピンハネ率は平均40%以上

2008年6月15日 日曜日

◆欧米の常識 vs 日本の非常識

1)派遣労働者が受け取る賃金は必ず正規以上と法定 vs 正規の半分以下
2)派遣労働が2年超だと直接雇用義務 vs 期限撤廃して無期限派遣
3)派遣のピンハネ率は10%未満と法定 vs ピンハネ率は自由、平均40%以上
4)企業が支払う総額はガラス張り vs けっして派遣労働者に教えないブラックボックス
5)派遣労働者の巨大全国組合がある vs 何も無い
6)派遣労働は事業拡大時などにのみ使うと法定 vs 正社員をクビにしてどんどん派遣に置き換えてよい

トヨタ工場は日本が1000円でアメリカが3250円。
ちなみにアメリカトヨタは3000円で黒人ライン工が働きたくないと
ただこねて3250円になった。
黒人ライン工はまだ時給3500円を要求してるらしい。


◆日本国政府は今こそ真摯に社会権規約を誠実に履行せよ! 負け犬のプライド
http://blog.goo.ne.jp/
2005tora/d/20080615
株式日記と経済展望

参考2:
 1930年代の大不況の時代に、パウンドは、他の多くの文人同様、政治経済の領域に関心を示し、とりわけ社会信用論(Social Credit)という異端的な経済理論の研究にのめりこんだ。彼は貨幣発行の権限を国家が金融資本に委ねていることを諸悪の根源とみなし、その権限を国家が取り戻すことを提唱したが、その際の貨幣発行を裏づける国家の信用として、彼は、ダグラスの社会信用論に従って、過去の文化的遺産(発明、思想など)を念頭においていた。すなわち偉大な死者たちの贈物(贈与)を背景に通貨発行を増やし、緩やかなインフレによって大不況を克服しうると考えた。この考え方は、古今東西の作家たちへの言及・引喩に満ち、時間が空間に化したかの様相を見せる大作『キャントウズ』の詩作法と、まさしく相似形であった。
http://yushodo.co.jp/pinus
/66/america/eda/index.html

(6)市場経済とエズラ・パウンド :江田 孝臣氏(早稲田大学教授)「エズラ・パウンド事典」訳者
Net Pinus 66号
「アメリカ文学ライブラリー」リレーエッセイ

2006/12/27

参考3:
「地域通貨」の“始祖”ゲゼルの貨幣理論に対する“正統派経済学者”ケインズの頓珍漢な批判
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/632.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 5 月 14 日 03:09:50:Mo7ApAlflbQ6s



(回答先: 親ファシズム・反国際金融資本・反戦の詩人―「歴史の中のエズラ・パウンド」:野上秀雄氏 投稿者 小魚骨 日時 2004 年 5 月 13 日 19:10:09)




「歴史の中のエズラ・パウンド」第12章嵐の30年代のなかに、ゲゼルの貨幣論に対して、「ケインズは、このシステムを、「反マルクス主義的社会主義」であり、基本的には健全であるとしたが、貨幣に代わる宝石、貴金属などの貯蔵によって、こうしたシステムをくぐり抜けることは可能であり、根本的な問題は解決されないとしている」と批判したという内容がある。

ケインズの該当論説に直接あたったわけではないので、あくまでもここに書かれている内容に即してというお断りの上でケインズのおかしさを指摘したい。

http://www.asyura2.com/
0403/bd35/msg/632.html


親ファシズム・反国際金融資本・反戦の詩人―「歴史の中のエズラ・パウンド」:野上秀雄氏
http://www.asyura2.com/
0403/bd35/msg/623.html
投稿者 小魚骨 日時 2004 年 5 月 13 日 19:10:09:5fM4yUMte5cr2

 第二次世界大戦中にファシズム政権のイタリアからラジオ放送を通じて米英国民に反戦を訴え、戦後米国政府に拘束され13年間も精神病院に収容された二十世紀を代表する詩人エズラ・パウンドに関する野上秀雄氏の論考です。
 エズラ・パウンドは、中国思想や日本文化に強く惹かれており、日米開戦直前から「ジャパンタイムズ」にも数度寄稿しています。

「歴史の中のエズラ・パウンド」は長文なので全文はサイトでお読みいただくこととし、第二次世界大戦に対する見方の断片のみ引用させていただきます。

http://www.asyura2.com
/0403/bd35/msg/623.html


2008年06月14日(Sat)▲ページの先頭へ
以下、量子論に関する拙稿を転載しているブログである。その他のブログも転載してある。
以下、量子論に関する拙稿を転載しているブログである。その他のブログも転載してある。

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量子力学とは、目に見えない小さな粒子の世界のこと。つまり、分子や原子、またはもっと小さいものの構成要素を研究する物理学の分野の一つです。量子力学に関するサイトをまとめてみました。
http://maglog.jp/rarirarihaha
/Article319014.html
量子力学入門編

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以上の『量子力学入門編』に紹介されていたブログで興味深い内容があたので、研究資料として、転載させていただく。
 「ミンコフスキー時間軸を虚軸として考える」という点、また、時間軸の回転による遠心力が向心力なのか等、実に興味深い。
 私は、遠心力=向心力=重力であり、そして、プラトニック・シナジー理論では、-1であり、そして、+1に当たるのが、ダークエネルギー、反発力ではないのかと想像(妄想)する。

****以下転載内容*****

時間軸による回転空間メモ


回転ベクトル:O(回転軸に平行なベクトル)
遠心力:Ox(rxO)

ミンコフスキー時間軸を虚軸として考えると、時間軸の回転から生じる遠心力は
iOx(rxiO)=-Ox(rxO)
向心力なのか

回転速度がsqrt(1/r^3)に比例する空間から受ける遠心力(向心力)の力線は
重力(引力)線に似ている

この空間でのコリオリ力
  iOxv vに垂直だけど時間軸とvが形成する平面って?

回転線速度がcを超えるr限界(もしかしてシュバルツシルト半径のことか?)

 【メモ】地球半径:6.37*10^6 +0.3*10^6(シャトルなどの軌道レベル)での回転線速度
     1周(4*10^7)約7,200s(120分)として5.5*10^3(m/s)
     ちなみにこれ、おおよそマッハ15です。
     50過ぎのスーパージェッター・ファンの皆様
     こんな速さで時を超えることができる流星号ってどんな乗り物なんでしょうね。
     ちなみに、この空間でこんな楽しげなこと (リンク切れの場合ご容赦)が

遠心力(向心力)と重力子の関係

ゲージ場との関係(ヒッグス場から受ける抵抗が質量の源?)

http://nouryoku.cocolog-nifty.
com/blog/2008/06/post_2ae8.html
濃緑研の日記


差異と同一性:イデア差異極性と極傾斜:同一性勾配をもつ父権人類と差異共振性(コスモス)回帰
差異と同一性:イデア差異極性と極傾斜:同一性勾配をもつ父権人類と差異共振性(コスモス)回帰
テーマ:新植民地主義=グローバル資本主義
先に、作業仮説として、宇宙における、+1の-1に対する優位を述べたが、これは、思うに、人間存在においても、妥当する考えではないだろうか。しかし、こう述べることは、これまでの考察とは矛盾するように見えるだろうから、説明したい。
 これまで、人間において、同一性傾斜があると述べてきたが、自然自体にもあると考えられる。しかし、基礎は差異共振性である。この基礎に対して、同一性傾斜が発生するのである。
 実際、同一性傾斜の力学を考える必要があるだろうが、それをおいておき、今は、本件の、人間における、+1の-1に対する優位性について触れたい。
 端的に言えば、根源は、+1である(記述上の便宜で、自己認識方程式の右辺だけを記す)。しかし、同一性傾斜があるために、それが疎外、抑圧される。同一性の壁が出来るのである。自我の壁である。
 しかしながら、本来の差異共振性はエネルギーをもっているので、同一性=自我の壁を乗り越えようとするのである。ここで、同一性と差異との分裂があり、それが自己における満ち足りなさを発生させると言えよう。生の意味の空虚である。【心の病の内因はここに存しよう。】
 思うに、自我=同一性は、自己完結しよう(同一性主義=「自己中心主義」)とするので、活性化している差異共振エネルギー(差異)を抑圧排除すると考えられるのである。これが、広義の精神病の発生を意味するだろうし、また、同一性価値資本主義のイデオロギーの根因であると思われる。
 人間の攻撃・好戦性は、この差異を排除する同一性完結主義に拠ると考えられる。とりわけ、男性において生じるのである。父権主義ということである。
 だから、同一性主義とは、大宇宙の「法」に背いていると言えよう。【人間は、自然・宇宙の鬼っ子である。】人間において、同一性主義への傾斜が、他の自然存在に比べて、強大なのである。この同一性主義は父権主義になって顕著になったと考えられるのであり、前父権主義においては、人間と自然とは、いわば、共生・共存していたであろう。
 とまれ、今日の人間の精神的課題は、内的な差異共振性を「解放」することである(差異解放主義)。今日、近代合理主義/近代的自我による同一性主義によって、差異共振性が抑圧排除され、同時に、それが、反動となり、非合理主義的衝動(狂気・暴力・犯罪・病気)を発生させていると考えられるのである。
 だから、大宇宙・大自然(コスモス・ジネン)へ還れということになるだろう。【Media Point Energyは、神話的には、道祖神であり、ヘルメス神であり、トート神である。キリスト教の聖霊もこれだと思う。】
 思うに、差異共振エネルギーとは宇宙のエネルギーである。そして、それは、Media Pointを開くので、宇宙、大宇宙と共振・交信することになるだろう。伝統的に、コスモスと呼ばれていたものが復活することになるだろう。近代における多くの詩人や芸術家が表現してきたコスモスが復活するのである。トランス・モダンとしての、新コスモス主義、コスモス・ルネサンスである。
 このことは、当然ながら、政治・経済においても同様であり、かつ、最重要なポイントである。政治・経済の差異共振化が必須なのである。西洋文明的グローバリズムは地球自然社会人間破壊主義である。私は利子の廃止を提唱する。無利子金融ないし減価通貨金融を提唱する。
 さて、理論的な問題に戻ろう。問題は、同一性傾斜の発生の力学にあると言えよう。これは、それがただ生起すると言っただけであり、その原因については述べていないのである。
 私は自然にも同一性傾斜があると言ったので、なんらかの普遍的な原因を考える必要がある。以前は、引き付けに対する反発を原因とした考えたのであった。
 この問題は、また、根本の問題に還ることになる。不連続的差異論の時点では、シンプルに、不連続な差異の共振から同一性現象が発生すると考えたのである。非常に明快である。ただし、一番の問題は、なぜ、同一性が差異を否定(抑圧・排除)することが発生するのかということである。これは、PS理論になっても続いた問題(難問)である。
 結局、他者差異-iを否定するという同一性傾斜が原因であるが、この同一性傾斜の力学は何か、というのが本件の問いである。
 ここで思考実験であるが、差異自体に極性があり、一方の極では、単独性があり、他方の極では、共鳴性があるのではないだろうか。これは、先に述べた差異の分立性と水平性の二元論とほぼ変わらない。しかしながら、分立性と水平性とは、差異極性、イデア極性の極性を意味する。しかし、単独性と共鳴性の極性はそれとは異なるでなくてはならない。
 つまり、イデア極性=差異極性は、差異共振性を生むもので、⇒+1となる。ここには、破綻はないのである。純粋差異共振性があるのである。
 しかしながら、ここで思考実験しているのは、その純粋差異共振性を破綻させる別の極性力学のことである。
 極性が極性でなくなるのである。そう、これは、思うに、別に極性を作る必要はないかもしれない。つまり、最初の純粋極性のおける両極端を考えればいいのではないだろうか。
 これは、以前考えていたことである。+iを陽極として、-iを陰極とすれば、このイデア差異極性、イデア差異太極において、+i=陽極、ないしは、-i=陰極に総体的に傾斜するときが生じるのである。それは、極限ではなくて、一つのプロセスである。
 そして、+i=陽極に全体的に傾斜したときに、同一性傾斜が発生し、-i=陰極に全体的に傾斜したときにも、同一性傾斜が発生すると考えられる。前者は大陽であり、後者は大陰である。どちらのときも、対の極が消えているのである。いわば、裏側に潜在しているのである。そう、これが、端的に同一性傾斜と考えられよう。そして、物質化である。一般に自然・宇宙においては、この極性によって生成流転が生起すると言えよう。東洋哲学や前ソクラテス期の哲学は、これを捉えていた。
 それに対して、人間の場合は、大陽への強い傾斜があると考えられる。ヤハウェはこの大陽を意味しているように思う。もっとも、両極端の一致の法則から、これは、同時に、大陰でもある。この大陽への強い傾斜が西洋文明を支配したのであり、近代文明はその帰結である。
 問題は、どうも大陽への強い傾斜が固着的であり、差異を否定・抑圧・排除し続けることである。このために、西洋文明は「自然」(じねん)破壊的なのである。人類「自然」滅亡的なのである。大陽への傾斜とは、自我主義・同一性主義・父権主義であり、他者破壊的である。
 ジネン(自然)である差異共振性・イデア極性へと回帰すべきときが来ているが、未だに、人類の意識は、大陽主義に閉じこめられたままである。これが、恐るべき反動なのである。大陽の物質主義・自我主義・同一性主義に固着したまま、石化しているのである。
 しかしながら、自然・大宇宙(ジネン・コスモス)の永遠の生成流転を考えると、大陽主義に留まることはできないのである。大陽主義は、大反動になるのである。これは、大破壊的である。
 差異共振エネルギーは活性化されているが、それを純粋に受容することができないのである。【思うに、他力本願とはこの点では正しいのではないだろうか。差異共振エネルギーという他力を受容することが必要なのである。ただし、同一性の知性は保持しないといけない。】そのため、戦争、狂気、犯罪、他の暴力等々が蔓延するのである。
 以上の検討から、先の仮説である+1は-1に対して優位であるということは、ある意味で証明されたと言えよう。しかしながら、正確に言えば、-1は+1 に含まれるということになるだろう。ある特異点として、-1が発生するのである。それが、Media Pointであり、1/4回転である。言い換えると、イデアの極性の特異点として、物質が発生するのである。しかしながら、それは、裏面に差異共振性+1 を潜在させているのである。このように考えて、不連続的差異論の考え方をも包摂することができたと言えよう。
 さて、最後に、先に触れた、可視の光と不可視の「光」について、再考しよう。結局、現象とは何か、という問いになるだろう。端的に、光とは何か、である。
 先には、-1が可視光であり、+1が不可視の「光」であると言った。思うに、前者が粒子=物質であり、後者が波動である。そして、両者で相補性と形成する。量子論である。(これは、ハイデガー/初期デリダ哲学にほぼ相応しそうである。ただし、真の共振性はない。)
 また、先のダークエネルギーの問題であるが、+1が-1に対して、優位なので、その優位の分を計算していないので、ダークエネルギーが必要になるのではないのか、と述べた。
 思うに、物質現象は-1であり、それを支点にして、+1の波動を捉えると、全体のエネルギーが足りなくなるのではないのかと思われるのである。何故ならば、-1は、本来、差異共振性+1ないしはMedia Point Energy(メデルギーMedergyと造語したい)に包摂されるからである。言い換えると、-1は、後者の一面に過ぎないと考えられるのである。やはり、+1 or Medergy >-1である。この左辺がダークエネルギーになるのではないだろうか。【ただし、問題は、イデルギーとメデルギーと+1との関係である。それは、別稿で検討したい。】
 そう、思うに、これは、ハイデガー/初期デリダ哲学にも該当することだと思われる。超越性ないしは差異共振性の欠如である。そのために、本来の差異共振エネルギーが欠落しているように思えるのである。「ダークエネルギー」が必要に思われるのである。つまり、それは、やはり、物質主義-1から事態を考えているのであり、そのため、壁の向こう側が、それに対応するような超越性・差異共振性のない本来的存在や痕跡になると思われるのである。

参考:

「量子力学とは、目に見えない小さな粒子の世界のこと。つまり、分子や原子、またはもっと小さいものの構成要素を研究する物理学の分野の一つです。量子力学に関するサイトをまとめてみました。」
http://maglog.jp/rarirarihaha
/Article319014.html
量子力学入門編


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秋葉原17人殺傷 犯人の狂気を増幅させた派遣生活
2008年06月14日10時00分
ゲンダイネット

〈私の仕事も仕事と認められていませんからね〉――秋葉原で17人を殺傷した加藤智大(25)は携帯サイトに仕事への不満をつづっていた。凶行に駆り立てた背景にはさまざまな事情が絡み合っているのだろうが、派遣先の「関東自動車工業」にも注目が集まっている。

●1秒に追われ、リストラにおびえる過酷作業

 工場での加藤の担当は、塗装工程の最終検査だった。ロボットが仕上げた車両部品の塗装漏れを確認する流れ作業である。集中力を要する仕事で、追い立てるように作業場には部品が届く。

 日勤は午前6時半〜午後3時5分、夜勤は午後3時20分〜午後11時55分の2交代制。1週間おきにシフトが変わり、1日8時間以上ブッ通しで作業にあたった。「コンビニ弁当を買って酒を飲むだけ」(加藤の書き込み)という生活だった。

 若者の車離れやガソリン高騰、米国の景気低迷が重なり、どの自動車工場でも減産調整が加速している。加藤も最近、時給が1300円から1050円に下がり、「残業枠」目いっぱい働いても月収にして20万円程度。事件直前には200人の派遣社員を50人まで減らすリストラ計画も持ち上がっていた。

「どの自動車工場もムダの排除を徹底するあまり、1秒に追われる過密作業の連続なのです。人間に機械を合わせるのではなく、機械に人間が合わせるシステム。作業は細分化され、労働者はいつでも交換可能な歯車に過ぎない。過労死や自殺、精神障害に追い込まれる人は後を絶ちません」(自動車労組関係者)

 今から16年前にも、愛知・豊田市で自動車工場の模範的養成工による陰惨な事件が起きていた。92年8月、25歳の工員が、妻(当時22)と長男(同5)、長女(同3)を次々と絞殺したのである。

「動機は、女性関係のことで妻になじられ、“妻子がいなくなったら丸く収まる”という身勝手なもの。同情の余地はありません。事件の公判では、中京大経営学部で労務管理論を研究する猿田正機助教授(現・教授)が証言台に立ち、人間性を切り捨てた自動車工場の生産システムを批判して話題になりました。加藤が造っていたのも同じメーカーの自動車です」(事件を取材したジャーナリスト)

 だからといって、加藤の犯罪が許されるわけもないが、事件の一断面ではある。

【2008年6月11日掲載】

http://news.livedoor.com/
article/detail/3683955/


秋葉原殺傷 「中学までは幸せ」…加藤容疑者

6月14日2時31分配信 毎日新聞

秋葉原殺傷 「中学までは幸せ」…加藤容疑者

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送検のため万世橋署を出る加藤智大容疑者=東京都千代田区外神田で2008年6月10日午前10時20分、長谷川直亮撮影
 東京・秋葉原の17人殺傷事件で、逮捕された派遣社員、加藤智大(ともひろ)容疑者(25)は、警視庁万世橋署捜査本部の調べに「中学時代までは幸せだった」と供述していることが分かった。中学までトップクラスだった成績が高校で下がり、希望する大学への進学をあきらめるなど学歴コンプレックスを抱くようになったとみられる。職場への不満を募らせていたことが既に判明しており、捜査本部はうっ屈した感情が重なり、事件に結び付いたとみている。

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 加藤容疑者は青森県出身。地元でエリート校と呼ばれる市立中学校を卒業し、進学校の県立青森高校に合格した。入学直後は4年制大学への進学を希望していたといい、「北海道大学をねらう」などと話していたという。関係者は「両親は教育熱心でよくしかっていた。祖父母にも『教育のことには口出ししないで』と注文するほどだった」と振り返る。

 ところが、関係者によると成績はふるわず、高3の進路相談時には担任教師らに「トヨタで自動車を設計したい」などと話すようになり、自動車整備工を養成する岐阜県の短大に進学したという。毎日新聞の取材に応じた親族の男性は「好きで短大にいったわけではなく、本人も両親もがっかりしていた。高校で成績が落ちたことに劣等感があったようだ」とみる。

 加藤容疑者は調べに素直に応じ、留置場でも正座するなどして「うそをつくつもりはありません」と話しているという。生い立ちなどの質問には「自分の人生が嫌になった」と供述する一方で、「中学時代までは幸せだった」と話しているという。加藤容疑者とみられる人物が書き込んでいた携帯電話の掲示板には「三流の短大卒の私には(女性と交際する)チャンスはなさそうです」との記述があった。【川上晃弘、沢田石洋史】

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秋葉原通り魔:携帯の映像瞬時に広がる 若者らが救助活動
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誰でもよかった:秋葉原通り魔事件/上(その1) 孤独な心情、サイトに
東京・秋葉原殺傷:雨の中、川口さん告別式 友人ら200人すすり泣き /千葉
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20080614-00000000-maip-soci


[江東女性不明]初聴取当日に殺害…部屋で縛り
2008年06月14日08時34分
毎日新聞

 東京都江東区潮見2のマンションに住んでいた広告会社社員、東城瑠理香さん(23)が行方不明になった事件で、二つ隣の部屋に住む派遣会社社員、星島貴徳被告(33)が捜査員の聴取を初めて受けた4月18日夜、東城さんは星島被告の部屋で緊縛され、同日中に殺害されていたことが分かった。2日後に捜査員が部屋の天井裏などを捜索した際は、遺体は切断されてビニールに入れられ、複数の段ボール箱に分けて衣類などで隠されていた。

 ◇遺棄容疑で再逮捕

 警視庁深川署捜査本部は13日、星島被告を死体損壊と死体遺棄の容疑で再逮捕した。殺人容疑でも追及する。東京地検は星島容疑者を住居侵入罪で起訴した。

 捜査本部の調べでは、星島容疑者は4月18日夜から5月上旬にかけ、浴室で東城さんの遺体をのこぎりや包丁で細かく切断し、トイレに流したり近くのマンションのゴミ捨て場に捨てた疑い。

 付近の下水道からは約50点の骨片などが発見され、一部は東城さんとDNA型が一致した。星島容疑者は勤務先のトイレ内に東城さんの携帯電話を隠しており押収された。

 星島容疑者は「乱暴目的で自分の支配下に置くつもりだった。部屋が近いので東城さんを襲ったが、相手は誰でもよかった」と供述している。また、「警察官が来て騒ぎになり、東城さんを消してバラバラにした」とも供述。4月下旬までに遺体を細かく切断し、大きい骨はカバンに詰め、5月上旬までにゴミ捨て場に捨てたという。【佐々木洋】

http://news.livedoor.com/
article/detail/3683700/


新母権主義と大調和主義、可視光と不可視光:ダークエネルギーとMedia Point Energy:Ver 2
1)新母権主義と大調和主義

2)同一性の光と差異の不可視の光

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1)この問題は再々検討になるが、なにが問題かと言えば、同一性の事象自体である。たとえば、同一性傾斜がない場合、差異共振性が中心となるが、そのとき、同一性は形成されるのか。
 同一性傾斜があるとき、当然、同一性主義が発生する。しかし、同一性傾斜がないときは、同一性主義は発生するのか。先の考え方からすれば、同一性傾斜がないときは、同一性主義は発生しないと考えられる。ただし、差異共振性に包摂された同一性が生起するだろう。この包摂された同一性とは、二項対立をもたない同一性である。だから、初めから、調和主義である。
 ということで、同一性傾斜がある場合は、いったん同一性主義が生起する。そして、これを克服するようにして、差異共振主義へと回帰することが、新母権主義である。
 そのように考えると、人間の場合、父権社会になってから、同一性傾斜が必然である。だから、同一性主義が必然的に生起する。この、いわば、同一性志向性に対して、差異共振主義へと回帰するのが、人間の課題である。すると、新母権主義と言ったものは、父権主義と母権主義の大調和を意味するのではないだろうか。
 ただし、脱父権主義的母権主義としての大調和主義である。ということで、最初の結論に戻ることになる。
 
次に、2であるが、ここでは、簡単に触れる。目に見える光は、同一性主義の光であり、差異共振主義の光は不可視ではないのかというのが、私の発想である。
 しかし、そうならば、自然も、同一性傾斜があることになる。そう、それは、正しいだろう。自然も、人間ほどではないが、同一性傾斜があるだろう。それが、物質だと思う。
 しかし、磁気の場合のように、差異共振主義だけの場合もありうるだろう。ただ、物質を引きつけるのである。
 とまれ、本テーマに戻ると、電磁波は、同一性傾斜では、可視光であり、差異共振性では、不可視光となる、という発想はいかに、ということである。そうならば、可視光は物質ということになる。それでいいのだろうか。いちおう、それを作業仮説としよう。
 そうならば、電磁波の同一性傾斜によって、目に見える現象界が生起するということになる。しかし、同時に、差異共振性の不可視の光の世界があるということになるのではないだろうか。
 魂ないしは「心」とは、この不可視の光の内的世界ではないだろうか。もっとも、精緻に考えると安易に魂なしいは「心」とは呼べない。Media Pointを魂とこれまで考えているのであるから、それを魂とは呼べないだろう。だから、「心」かもしれない。これは保留しておこう。
 端的に、この不可視の光とは何だろうか。D. H. ロレンスのdark sunを想起するが。とまれ、電磁波で言えば、これは波動ではないだろうか。そして、量子力学では、同一性傾斜の粒子と差異共振性の波動の相補性を捉えているのではないだろうか。
 問題は、そうすると、Media Pointとイデア界のことになるだろう。物質科学は、同一性傾斜の-1と差異共振性の波動である+1との相補性を捉えているとしよう。そうすると、 Media Point(以下、mp)とイデアを捉えていないのである。しかしながら、最近、リサ・ランドールが五次元論を提起しているので、量子力学は、mpとイデア界に接近したとは言えよう。
 そう、また、ここで、ダークエネルギーの問題に触れるが、それは、mpやイデア・エネルギー(エネルゲイア)のことを指しているのではないだろうか。 mpを介して、イデア・エネルギー(イデルギーないしシネルギーと造語したい)を放出されているが、現象的には、±1を感知するだけであり、イデルギー(シネルギー)を看過しているのではないだろうか。
 直感では、mpエネルギー(Media Point Energy)があるのではないだろうか。それが、±1の力を保持しているいるのではないだろうか。いわば、中間力、共立力である。これが、ダークエネルギーではないだろうか。今はここで留める。

p.s. Media Point Energy(MPE)は、端的に、⇒ではないだろうか。物質科学は、±1を観測計測するが、⇒を計測できていないのではないだろうか。これが、ダークエネルギーと関係するのではないだろうか。言い換えると、境界の力、境界エネルギーではないだろうか。同一性と差異の境界を保持する力・エネルギーではないだろうか。つまり、宇宙維持力と言ってもいいのではないだろうか。
 あるいは、加速する膨張は、⇒で説明できないだろうか。⇒の方が、1よりも大であるということではないだろうか。

p.p.s. ふと浮かんだことだが、-1と+1では、非対称の関係にあるのではないだろうか。つまり、実際の現宇宙においては、同一性傾斜-1と差異共振主義+1があるが、両者は非対称的であり、前者に比べて、後者の方が大ないし強なのではないだろうか。
 言い換えると、現代科学は、同一性傾斜-1によって宇宙を捉えているが、非対称的に、強大な、ないしは、優位にある差異共振性+1を把捉していないために、ダークエネルギーを仮説することになっているのではないのか。
 有り体に言えば、大宇宙のMedia Point(Cosmic Media Point)における非対称的発動において、同一性傾斜と差異共振性があるが、後者の方が優位であるが、現代宇宙物理学は、同一性傾斜の側面から、全体を把捉しようとするのであるが、非対称的な、優位の差異共振性を看過しているので、ダークエネルギーを仮説をせざるをえないということではないだろうか。


新母権主義と大調和主義、可視光と不可視光:ダークエネルギーとMedia Point Energy
検討問題

1)新母権主義と大調和主義

2)同一性の光と差異の不可視の光

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1)この問題は再々検討になるが、なにが問題かと言えば、同一性の事象自体である。たとえば、同一性傾斜がない場合、差異共振性が中心となるが、そのとき、同一性は形成されるのか。
 同一性傾斜があるとき、当然、同一性主義が発生する。しかし、同一性傾斜がないときは、同一性主義は発生するのか。先の考え方からすれば、同一性傾斜がないときは、同一性主義は発生しないと考えられる。ただし、差異共振性に包摂された同一性が生起するだろう。この包摂された同一性とは、二項対立をもたない同一性である。だから、初めから、調和主義である。
 ということで、同一性傾斜がある場合は、いったん同一性主義が生起する。そして、これを克服するようにして、差異共振主義へと回帰することが、新母権主義である。
 そのように考えると、人間の場合、父権社会になってから、同一性傾斜が必然である。だから、同一性主義が必然的に生起する。この、いわば、同一性志向性に対して、差異共振主義へと回帰するのが、人間の課題である。すると、新母権主義と言ったものは、父権主義と母権主義の大調和を意味するのではないだろうか。
 ただし、脱父権主義的母権主義としての大調和主義である。ということで、最初の結論に戻ることになる。
 
次に、2であるが、ここでは、簡単に触れる。目に見える光は、同一性主義の光であり、差異共振主義の光は不可視ではないのかというのが、私の発想である。
 しかし、そうならば、自然も、同一性傾斜があることになる。そう、それは、正しいだろう。自然も、人間ほどではないが、同一性傾斜があるだろう。それが、物質だと思う。
 しかし、磁気の場合のように、差異共振主義だけの場合もありうるだろう。ただ、物質を引きつけるのである。
 とまれ、本テーマに戻ると、電磁波は、同一性傾斜では、可視光であり、差異共振性では、不可視光となる、という発想はいかに、ということである。そうならば、可視光は物質ということになる。それでいいのだろうか。いちおう、それを作業仮説としよう。
 そうならば、電磁波の同一性傾斜によって、目に見える現象界が生起するということになる。しかし、同時に、差異共振性の不可視の光の世界があるということになるのではないだろうか。
 魂ないしは「心」とは、この不可視の光の内的世界ではないだろうか。もっとも、精緻に考えると安易に魂なしいは「心」とは呼べない。Media Pointを魂とこれまで考えているのであるから、それを魂とは呼べないだろう。だから、「心」かもしれない。これは保留しておこう。
 端的に、この不可視の光とは何だろうか。D. H. ロレンスのdark sunを想起するが。とまれ、電磁波で言えば、これは波動ではないだろうか。そして、量子力学では、同一性傾斜の粒子と差異共振性の波動の相補性を捉えているのではないだろうか。
 問題は、そうすると、Media Pointとイデア界のことになるだろう。物質科学は、同一性傾斜の-1と差異共振性の波動である+1との相補性を捉えているとしよう。そうすると、 Media Point(以下、mp)とイデアを捉えていないのである。しかしながら、最近、リサ・ランドールが五次元論を提起しているので、量子力学は、mpとイデア界に接近したとは言えよう。
 そう、また、ここで、ダークエネルギーの問題に触れるが、それは、mpやイデア・エネルギー(エネルゲイア)のことを指しているのではないだろうか。 mpを介して、イデア・エネルギー(イデルギーないしシネルギーと造語したい)を放出されているが、現象的には、±1を感知するだけであり、イデルギー(シネルギー)を看過しているのではないだろうか。
 直感では、mpエネルギー(Media Point Energy)があるのではないだろうか。それが、±1の力を保持しているいるのではないだろうか。いわば、中間力、共立力である。これが、ダークエネルギーではないだろうか。今はここで留める。


2008年06月12日(Thu)▲ページの先頭へ
ポスト冷戦とは何か:資本主義と社会主義の二元論と反動新自由主義と第三の経済(無利子通貨経済?)
確かに衝撃的な事件であったが、背景を考えると、複雑な事件である。複合原因殺人である。
 とまれ、私は、冷戦終了後の世界、とりわけ、経済世界が浮き足立っているように感じられる。ビッグバンだとか、グローバリゼーションだとか、実にキャッチコピー的文句が流通しているのである。
 思うに、ネオコンの意味を考えるべきだろう。ネオコンとは、ポスト冷戦現象である。私は新自由主義と一体と見ている。冷戦の終了を自由主義経済の勝利と見たことの一種の勘違いがあるのではないだろか。私は経済哲学が今日無くなっているとおもっている。経済学ではない。経済科学でもない。
 ソ連社会主義経済の崩壊の意味をよく考えないといけない。二項対立で考えると、自由主義経済の勝利である。そして、グローバリズムはこのような考えに立っていると思う。そして、911事件である。
 問題は、結局、同一性(自我)と差異(差異共振主義・共同体)に還元されるのではないだろうか。(今は、大雑把に言うだけである。)資本主義は前者であり、社会主義は後者である。しかしながら、近代における差異と同一性の連続性のために、「アイロニカルな没入」、いわば、エンゲルスの『自然の弁証法』的、つまり、唯物論的に言えば、反対物への転化が起るのである。
 社会主義は、弁証法的発想によって、テーゼである同一性へと回帰したのである。つまり、資本主義に戻るのである。国家資本主義としての資本主義である。そして、これは、当然、個・差異がないので、行き詰まるのである。
 資本主義は、社会主義の挑戦によって、民主主義的方策を施行せざる得なくなった。いわゆる、社会民主主義である。この対極の混淆に注意しないといけない。資本主義と社会主義の対立によって、相互浸透が生起したのである。
 しかしながら、社会主義はその非効率性によって瓦解したのである。しかし、その瓦解が資本主義の勝利を意味するとは言えないのである。ここで資本主義の勘違いは、自由主義が勝利した思ったことである。それが新自由主義である。ネオコンである。
 これは反動だと思う。つまり冷戦期において、共同体的価値観が西側にも浸透していたのである。だから、社会主義が崩壊して、自由主義経済の勝利を意味するとは言えないのである。つまり、新自由主義の勘違いは、進展を意味した共同体的価値を否定排除したことである。これは、反動・後退である。
 このグローバリズムの反動を受けたのが、日本では、当然、小泉政権であった。そして、今日の亡国的大惨状を迎えているのである。
 それまで生起していた共同体的価値を新自由主義は否定したのである。これが大問題である。共同体的価値は民主主義的価値に通じるのである。PS理論では、差異共振価値である。
 だから、今日必要なのは、自由主義経済と共同体経済とを合致させる第三の経済システムである。しかしながら、これは、先に私の新母権主義と大調和主義の問題と通じるだろう。
 自由主義と共同体主義を「大調和」させるというのは、誤りになるだろう。新母権主義=差異共振主義に則した第三経済が必要であるということである。トランス自由主義が必要ではないだろうか。
 もっとも問題は複雑である。同一性を差異(差異共振主義・共同体主義)に包摂させる経済システムが必要と考えられるのである。同一性を差異へと還元させるシステムが必要である。ここで、減価通貨、消滅通貨の経済が想定されるかもしれない。
 同一性価値が増殖する自由主義経済は否定されるのではないだろうか。そう、ここで注意すべきは、同一性価値は否定しないことである。同一性主義ないしは同一性中心主義を否定しているのである。
 直感では、利益が差異共振価値へと転化する新共同体経済を想定するのである。いわば、自由共同体経済である。
 これこそ、差異共振経済である。個の利益が差異共振共同体へと転化するのである。
 では、市場はどうなるのだろうか。市場原理を否定するのだろうか。直感では、市場は否定することはない。市場は重要な変換場である。思うに、経済のMedia Pointである。
 市場は差異共振価値形成の重要な拠点である。問題は、金融にアルと思う。思うに、無利子金融が必要ではないだろうか。イスラム銀行のような無利子銀行が必要ではないだろうか。
 そう、利子の禁止である。ここにポイントがあると思う。利子は利己心を刺激するのである。そのため、蓄財や利殖にはげむのである。
 利子とは-1であろう。そして、減価通貨とは+1ではないだろうか。しかしながら、同一性を包摂した差異を考えると、無利子通貨が適切なのではないだろうか。今はここで留める。

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秋葉原の無差別殺人は日本でも「貧困テロ」が起きたということだ。
今年すでに3件の貧困テロが起きたが、連鎖的にテロが起きるだろう

2008年6月12日 木曜日

◆6/11(水)コラムの花道

6/11(水)コラムの花道は勝谷誠彦さんです。
秋葉原で起こった無差別殺人について、勝谷さんが斬ります!

6/11(水)コラムの花道×勝谷誠彦をダウンロード


◆日本の制度、世界的には非常識…派遣残酷物語 ZAKZAK 2008/06/12

派遣社員という隠された「格差社会」。派遣社員から「もう生きていけない」など多数の相談を受けている「派遣ユニオン」書記長の関根秀一郎氏は「派遣が絶望の温床となっている。このままでは、ほかにも許されないことを考える人が出てきても不思議ではない」と警鐘を鳴らす。

http://blog.goo.ne.jp/
2005tora/d/20080612

株式日記と経済展望


同一性主義と差異共振主義;大調和主義ではなく、やはり、新母権主義=差異共振主義が正しい
先の、新母権主義と大調和主義の考察の結論
http://ameblo.jp/renshi/
entry-10105384849.html
に対して、まだ納得できていないので、ここで再考したい。端的に言って、先の議論は少し、へ理屈的、ないしは詭弁的ではなかったか。
 問題は、同一性主義=父権主義が永遠に反復されるから、それへの脱構築が永遠に必要であるという点にあろう。しかしながら、脱同一性主義化が為されたとき、つまり、意識が差異化されたとき、同一性主義=父権主義が反復するのだろうか。それはありえないのではないだろうか。もちろん、同一性への傾斜はあるが、それが、同一性主義=父権主義になるということではないのである。
 だから、先の考察は誤謬である。ここで訂正したい。だから、大調和主義は誤りである。新母権主義が正しいのである。元へ戻ったのである。


新聞の社説を廃止し、複数多様な論評を掲載せよ:マスコミのトランス・モダン化へむけて
以下、日本の新聞の社説の典型的なパターンが出ていると思われるので、資料として転載させていただく。
 日本の新聞の社説を読んで、強く共感をもったことはほとんどない、皆無に近い。だいたいは、不快感が生じるのである。というか、嫌悪感が生じるのである。これは、日本人の精神環境によくないし、また、新聞のコストの無駄である。
 以下の記事の首相問責決議案の可決についてであるが、見た、他のいくつかの社説も、同様の内容である。すなわち、問責決議の歴史的意味を指摘するが、基本的には、民主党の戦術が不適切であることを述べている。
 社説はいわば重箱の隅をつついたような内容で、非を見つけて、咎めるのである。いわば、優等生のやり方である。自分たちは、一段高いところに居て、世の中を審判しているというような立場である。これは、一見中立を装っているが、実は、傍観者的なのである。いわば、オリュンポスの神々の地位に居て、世の中を睥睨しているのである。これは、民主主義的視点ではなく、「形而上学」的視点である。自分をガードした保身的な視点である。このような高みの見物的な視点が間違っている。
 次に、具体的には、一見民主党を評価しているようで、時期が悪いということで、非難している。だから、民主党攻撃なのである。確かに、民主党には問題があるが、今というコンテクスト(文脈)を考えると、それは、政治の方向性を形成しないことになる。国民の考えを冷却させてしまう効果があるのである。自民党も悪いが、民主党も悪い。これでは、積極的な主張がないのである。
 積極的政治エネルギーを殺ぐような社説は、結局、御用的であるということになるだろう。社説を廃止して、複数の論評を掲載すべきである。それは、社内・社外の論者にすべきである。批評・解説の多様化が必要である。新聞のトランス・モダン化である。トランス新聞である。トランス・マスコミである。トラコミである。

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首相問責決議 なぜ今かが分からない '08/6/12

 首相の信任をめぐる国会の決議にしては、緊張感がない。セレモニーのような軽さだ。

 参院できのう、福田康夫首相に対する問責決議が可決された。民主党など野党は衆院解散・総選挙か内閣総辞職を求めている。現憲政史上初だが、憲法に明記されておらず法的拘束力はない。対する与党は内閣信任決議案を出し、きょう衆院で可決する。

 与野党とも、党利党略を優先した場当たり的な対応ばかりが目に付く。今なぜ問責か。国民が納得できるだけの説明をしているとは到底、言えないだろう。

 野党は問責の理由として、福田首相が後期高齢者医療制度の廃止に応じないことなどを挙げた。七十五歳以上を線引きして新たな負担を求める新医療制度に対する世論の反発は根強い。しかも福田内閣は選挙による信任を受けていない。抜本的な見直しを求めて首相の責任を問い、国民の信を問うことの必要性は一定に理解できる。

 ただ、タイミングには疑問が残る。一週間余り前、衆院解散につながらない問責決議なら見送るべきだとの慎重論が民主党内でも強かった。一変したのは、小沢一郎代表の意向とされる。

 国会の会期末を控え、小沢代表は問責決議で対決ムードを高め、選挙準備を加速させる狙いだろう。九月の党代表選を意識した動きにも見える。だが、問責決議案は、解散・総選挙や内閣総辞職を回避できない状況にまで政府を追い込んだときに出す「伝家の宝刀」のはずだ。決議に賛成した共産党も「今出すことは適切ではない」と表明したほどである。

 きのう予定されていた党首討論を、小沢代表が避けたことも理解しがたい。今なぜ問責決議なのかを、その場で聞きたかった。政権交代を目指すのなら、せめて国民の前で首相の対応を批判し、自説を堂々と押し出した上で問責を決議すべきではなかったか。

 一方の福田首相は、新医療制度の導入で厳しさが増す逆風を、身をかがめてやり過ごそうとしているかのようだ。与党の制度見直し案も抜本的なものではない。衆院山口2区補選の敗北や、八日の沖縄県議選で与党が過半数を割り込んだことを、どこまで真剣に分析しているのだろうか。

 与党惨敗で衆院との「ねじれ」が生まれた昨夏の参院選。弱者にも配慮を求めた民意を受け、市場原理を重視した小泉改革の軌道修正を迫られている。福田首相は、新医療制度への対応のように、小泉路線を部分修正しながら乗り切ろうとしている。本来は解散・総選挙で、見直し方を示して国民に信を問うべきである。その意味でも、問責決議を重く受け止めなくてはなるまい。

 与党が数の力で押し切ることができなくなった半面、妥協や対立の繰り返しで時間を要する「ねじれ国会」。与野党が拮抗(きっこう)しながら政策を争うこと自体は歓迎すべきだろう。問題は、今なぜこうするのか、国民の目線からの説明が不十分なことである。
http://www.chugoku-np.co.jp/
Syasetu/Sh200806120330.html
中国新聞オンライン


問責決議可決 緊張感が乏しいまま

6月12日(木)
 何とも緊張感の乏しい攻防戦だ。

 民主党などが提出した福田康夫首相の問責決議案が参院で可決された。参院から首相に突き付けられた“首相失格決議”である。本来なら衆院の解散・総選挙につながってもおかしくない。

 現実にはそうなっていない。福田首相はかねて、可決されても無視する、と公言してきた。

 衆院で内閣不信任決議案が可決されたときは、首相は内閣総辞職か衆院解散のどちらかを選ばなければならない。これに対し参院の問責決議には拘束力はない。無視することも可能である。

 それでも、参院の意思として首相が「問責」される意味は、決して小さくない。

 与党はきょう12日の衆院本会議で、内閣信任決議案を可決することにしている。こちらは法的拘束力をもっている。参院の問責決議より意味が重いのは事実だ。

 ただし、今の衆院議員は3年近く前の「郵政選挙」で選ばれた人たちだ。昨年夏に半数が改選された参院の方が、より近い民意を反映していると考えるべきだ。

 今年4月に行われた衆院山口2区補選、今月8日の沖縄県議選と、与党は敗北している。内閣支持率も20%を割った。本来なら衆院を解散し、民意がどこにあるかを探るときである。首相が決議を無視するだけでは、政権の信頼性はさらに損なわれる。

 首相が強気でいられるのは、国会審議で野党が政府・与党を追い詰め切れていないからだ。年金記録、ガソリン税の暫定税率、後期高齢者医療制度(長寿医療制度)など追及する材料に事欠かないのに、追い風にできないでいる。力量不足が否めない。

 民主党の小沢一郎代表はしかも、11日に予定されていた党首討論を取りやめた。首相との直接対決の機会を生かさないとは、理解に苦しむ。

 会期が6日間延長される見通しだ。審議がストップしたままの会期末になる。この間に、東南アジア諸国連合(ASEAN)との経済協定は自動承認となる。重要法案の多くは成立済みで、暮らしへの影響は限られる。

 だからといって、与野党はのんびり構えていてはいけない。衆院議員の任期はあと1年余りで切れる。いつ解散風が吹いてもおかしくない。決戦のときは近い。

 消費税をはじめ、暮らしを左右する政治課題が山積している。政策を磨き国民に訴える努力が、各党にいっそう大事になる。
http://www.shinmai.co.jp/news
/20080612/KT080611ETI09000
5000022.htm
信濃毎日新聞社

首相問責―民意を問う日に備えよ

 参院が福田首相への問責決議を可決した。きょうは衆院が内閣信任決議案を可決する。片や福田首相ではだめだと言い、片やこのままで結構と言う。権力の分裂状況を象徴する二つの決議で、国会は事実上、幕を下ろす。

 首相は総辞職もしなければ、衆院の解散・総選挙もしない。参院の問責決議には法的な拘束力がないからというのは分かるが、内閣を信任するかどうか、政治の基本のところで衆参の意思がぶつかりあってしまうというのは異常事態である。

 どちらに軍配を上げるのか、総選挙で民意に聞くのが筋だろう。それが政権につくものの正統性を確立する道だし、物事を決める力を政治に取り戻すことにもなる。そのことを改めて首相に求めたい。

 だが、内閣支持率が極端に低迷する中で、後期高齢者医療制度への猛烈な逆風などを考えれば、とても解散・総選挙を打てる状況ではない。これが与党内の共通認識だろう。沖縄県議選での惨敗もそれを裏書きしている。

 二つの権力が併存する状態は、とうぶん続くということだ。それでも、この「ねじれ国会」はそう悪いことばかりではなかったのではないか。

 ガソリン暫定税率や日銀総裁人事などで混迷したのは事実だが、難題と見られた国家公務員制度の改革では与野党が歩み寄った。歴史的なアイヌ民族決議など、実りも少なくなかったことは見逃すべきではない。

 「ねじれ」状況の中で、対決と協調が交錯するのは当たり前のことだ。ただ、参院で否決されても衆院で再可決できるという、ほとんどあり得ないような多数を与党が握っていたため、妥協より対決が前面に出がちだった。

 問題は、再可決頼みの政治をいつまでも続けるわけにはいかないことだ。

 この秋には、消費税などの増税をどうするか、負担の問題に結論を出さねばならない。それを先送りしてきたツケが、高齢者医療をはじめ社会保障の制度論議がどれも袋小路に入ってしまうゆがみに表れている。

 来年度から基礎年金の国庫負担が引き上げられる。財源手当ての論議は待ったなしである。問責決議で与野党の対決色は深まり、民主党はなかなか協調姿勢には転じられまい。首相は、こうした問題も3分の2の再可決で押し切れると思っているのだろうか。

 国民の負担増という難問に立ち向かうには、やはり新たに民意を問う必要がある。いつまでも先送りするというのでは政治の責任は果たせない。

 一方の民主党をはじめ野党も、税制のあり方や社会保障などについて、政策の枠組みをきちんと有権者に示すべきだ。それによって与野党の対立軸ははっきりするし、逆に協調すべき政策も整理されてくる。

http://www.asahi.com/
paper/editorial.html

asahi.com


どうやら、東アジアは朝鮮半島が台風の目、震源、竜巻になりそうである。エネルギーが満ちているようだ
どうやら、東アジアは朝鮮半島が台風の目、震源、竜巻になりそうである。エネルギーが満ちているようだ

テーマ:東アジア:朝鮮半島・中国・台湾・ロシア

どうやら、東アジアは朝鮮半島が台風の目、震源、竜巻になりそうである。エネルギーが満ちているようだ。エネルゲイアの朝鮮半島である。それに比べて、日本は、エネルゲイアが枯渇してしまったようだ。日の国ならぬ、死の国である。
 私が接する韓国人は、確かに、日本人に比べて、溌剌とした、そうシャープな生命感が感じられる。日本人はどんよりしている。死んだマグロの目。
 いったい、この精神の火は何だろうか。この活火山は何だろうか。PS理論から言えば、差異共振エネルギーが発動しているのである。つまり、韓国には、差異があるということだろう。個があるということだろう。私の推理では、内なるMedia Pointに対して、欧米の知性が導入されて、爆発を起したのだ。アジアの魂とグローバルな知性が衝突的に爆発したのではないだろうか。
 思うに、潜在的に、(+i)*(-i)があった。ここにグローバルな知性が入ると、(+i)が刺激されるのである。しかし、韓国人においては、戦後日本人のように、魂を抜かれていないので、(-i)が活性化するのである。つまり、差異共振エネルゲイアが発生するのである。
 Media Pointという魂にグローバルな知性が衝突して、爆発したということではないだろうか。


拉致対応12日に回答へ 北朝鮮、日本は解決要求

 【北京11日共同】日朝両政府による公式実務者協議が11日午後、北京の北朝鮮大使館で始まった。日本代表の斎木昭隆外務省アジア大洋州局長が拉致問題解決を求めたのに対し、北朝鮮代表の宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使は12日午前の協議で北朝鮮側の見解を述べると答えた。2002年の日朝平壌宣言に基づき、日朝関係の前進を図るべきだとの認識では一致した。

 日朝政府間の公式協議は、昨年9月にモンゴルで開かれた北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議の日朝国交正常化作業部会以来、約9カ月ぶり。

 冒頭、斎木氏は6カ国協議を進展させるためにも「日朝関係の前進が必要だ」と指摘。宋氏は「平壌宣言にのっとり究極的には国交正常化実現に努力することが重要だ」と応じた。また、斎木氏は日航機よど号乗っ取り犯グループの身柄引き渡しも求めた。

 拉致問題に関し、斎木氏は(1)被害者と家族の安全確保と早期帰国の実現(2)真相究明(3)容疑者引き渡し−をあらためて要求。

http://www.47news.jp/CN/200
806/CN2008061101000798.html


拉致問題回答は12日 日朝協議で北朝鮮
2008.6.11 20:16
初日の日朝実務者協議を終え、記者の質問に答える外務省の斎木昭隆アジア大洋州局長(中央左)=11日午後、北京市内のホテル(共同) 初日の日朝実務者協議を終え、記者の質問に答える外務省の斎木昭隆アジア大洋州局長(中央左)=11日午後、北京市内のホテル(共同)

 日本と北朝鮮の公式実務者協議が11日午後、北京の北朝鮮大使館で行われた。昨年9月にモンゴルのウランバートルで開かれて以来、約9カ月ぶりとなった両国の公式協議には、日本の斎木昭隆外務省アジア大洋州局長と北朝鮮の宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使がそれぞれ出席した。

 協議は午後3時(日本時間同4時)に始まり、約2時間半行われた。

 斎木局長は協議終了後、双方は日朝関係の現状などについて協議し、「平壌宣言にのっとって日朝関係の前進を図ることが必要」との認識で意見が一致したと述べた。

 斎木局長はまた、日本が最重要事項としている「拉致問題」についての政府の見解を改めて説明、日航機「よど号」乗っ取り事件についても言及し、実行犯を日本に引き渡すよう北朝鮮側に求めたという。

 これに対し、宋大使はメモを取りながら聞いていたが、意見は述べず、「12日午前に行われる協議でこれらの問題について北朝鮮側の見解を説明したい」と回答したという。

 最終日となる12日の協議では、歴史の清算問題も議題になるという。(北京 矢板明夫)

http://sankei.jp.msn.com/world/korea
/080611/kor0806112019005-n1.htm




2008年06月11日(Wed)▲ページの先頭へ
新母権主義と父権・母権の大調和主義の関係:自己意識と他者意識:精神的身体と精神エネルギー
先に、同一性主義と差異共振主義の相違を明確にしたが、そうすると、それ以前に述べた父権主義と母権主義の大調和主義という私の考えは、変更を受けるのではないだろうか。この点を検討したい。
 大調和主義以前には、新母権主義を唱えていた。新母権主義と大調和主義ではたいへん異なるだろう。
 結局、直近の考察は、Media Pointにおいて、イデア極性の傾斜によって、同一性主義が発生するということであった。そして、それとは別に、本来の差異共振主義があるということであった。即ち、Media Point(以下、mp)を境界にして、一方(意識)では、同一性主義(同一性)が生起して、他方(無意識)では、差異共振主義(差異)が生起するということであった。【これは、心性の分裂である。問題は前者は言語をもつ自我意識であり、それが、無意識の差異共振性を抑圧排除することである。自我意識は言語意識を形成できるが、無意識の差異を包摂できないのであり、不十分な自己なのである。つまり、自己が自我意識主義であると、無意識の差異を包摂できないので、分裂したままになるということである。これが、心の病気の一つの典型ではないだろうか。自己の他者を肯定する必要があるのであるが、それは、他者を明確に確認する必要があるのである。つまり、トランス自我の自己意識形成が必要であるということである。
 問題は、思うに、他者は身体ないしは身体に関係するものではないかということである。他者を内的身体と呼んだりしたのであるから、身体に関わるのである。しかし、この身体は物質身体なのだろうか。後で検討したい。】
 言い換えると、自己は一面では、同一性であり、他面では、差異であるということである。しかしながら、同一性主義である限り、差異は否定されたままである。問題は差異の肯定が意味することである。
 差異(差異共振性)が肯定されたとき、同一性主義は当然、解体する(脱構築)。しかしながら、同一性自体は消滅はしない。何故なら、同一性は、意識の主要な様相であるからである。つまり、同一性中心主義のみが解体して、同一性は保持されるということである。つまり、差異の肯定によって、同一性と差異とが両立することになるということだと思われるのである。
 これを以前は、同一性を包摂する差異と呼んだのである。そして、これが新母権主義と述べたのであるが、先には、父権主義と母権主義の大調和主義を唱えたのであるが、それは、どういうことだろうか。
 同一性中心主義を脱構築して、同一性を包摂する差異が発現しても、思うに、同一性傾斜は変わらないのであるから、父権主義が反復することになるのであり、そのために、単に新母権主義だけでは、不十分なので、父権主義と母権主義の大調和主義が必要であるということだと思う。
 新母権主義と大調和主義の関係をどう考えたらいいだろうか。前者に即せば、差異の肯定によって確かに、同一性主義は解体する。同一性中心主義はありえないことになる。しかしながら、自己差異傾斜=同一性傾斜という事態が残っているのだから、常に、それを解体して(永遠解体、永遠脱構築)、差異の肯定へと志向する必要があるだろう。
 父権主義と母権主義の大調和主義とは、結局、新母権主義と同義であると言えよう。新母権主義であることは、反復生成する父権主義を永遠脱構築するということであるのである。ということで、本件は解明された。自説の齟齬はなかったのである。
 さて、上記の括弧内のことであるが、他者差異と身体の関係を考察しよう。これも一つの核心的問題である。
 これまで、他者差異を内的身体と考えてきたが、より詳しく精査したい。結局、差異共振性と身体の関係の問題にもつながると言えよう。
 これまで、差異共振性を精神的身体と考えてきた。そう、これは、物質的身体、言い換えると、同一性的身体とは異なるのである。同一性主義ないし同一性は自我と同時に物質身体を形成すると考えられる。-1とは、自我且つ物質身体の形成を意味するのである。
 それに対して、+1は、差異共振性であり、且つ、精神的身体の形成を意味すると考えられるのである。【精神的身体とは、言い換えれば、魂と言っていいだろう。】とまれ、端的に、他者差異-iとは何か。これまでの考えでは、+iは原知性であり、-iは原身体である。【思うに、アリストテレスの質料の根源は、この原身体のことではないだろうか。】
 しかしながら、他者差異-iを原身体としなくて、端的に、他者の原知性と考えることも出来るのではないだろうか。他者の意識である。そう、他者の意識とは自己を知る意識ではないだろうか。少なくとも、自己を対象とする意識であろう。どうも、このように考えた方が、積極的であるようだ。
 つまり、自己意識と対になる他者意識が他者差異ではないか、ということである。ならば、どうして、私は、自己差異と他者差異との共振を精神的身体と考えるのだろうか。
 思うに、それは、同一性(自我)における対象としての物質身体からの類推で、他者差異との共振を精神的身体と考えてしまうのではないだろうか。しかし、これはどれほど意味があるのだろうか。
 思うに、差異共振エネルギーが、この精神的身体と等値なのではないだろうか。自己差異(自己意識)と他者差異(他者意識)が共振するとき、エネルギーが発動する。このエネルギー様態を身体として、つまり、精神的身体と感じるのではないだろうか。言い換えると、精神エネルギーである。そう、この精神エネルギーが、内的身体を形成すると考えていいのではないだろうか。例えば、「気」とは、この精神エネルギーの一つであると思われる。また、霊感と呼ばれるものも、この一種であろう。そして、直感もこれの一種であろう。勘もこれで説明できよう。私がコスモスと呼ぶものも、この精神エネルギーが賦活された様態なのではないだろうか。また、プラトンのエロースもこれで説明できよう。
 私のイメージでは、精神エネルギーが内的身体を形成するが、この内的身体が個々においては、内臓となったり、神経となったり、血液となったりするのではないだろうか。
 そう、精神エネルギー(差異共振エネルギー)が、いわば、情報エネルギーであり、物質身体を構成するのではないだろうか。
 この場合、情報とは、精神エネルギーの振動ではないだろうか。電波を見てわかるように、その周波数には、多様な情報の信号が入っているのであり、それが、端的には、人体の形成する情報であろう。つまり、イデアとしての遺伝子、ないしは、原遺伝子が、精神エネルギーに込められていると考えられる。そして、DNAとは、原遺伝子の物質的表現であると思われるのである。本来は、遺伝子エネルギーがあるのであり、それが物質的に発現したのが、DNAではないだろうか。
 後でさらに精緻に考察を続けたい。


検討問題:差異と身体:精神的性愛と物質的性愛
本件は、ある意味で核心的問題である。これまで、Media Point(以下、MP)において、両者は一致すると考えた。
 極く、素朴に考えよう。たとえば、食欲とは何か。これは、物質的身体を維持するための必要な欲望であろう。つまり、同一性主義における「欲望」ということである。端的に、同一性主義欲望と言っていいだろう。
 私は性欲も同様だと思うのである。ここは微妙な問題である。つまり、性愛とは何かの問題に通じるのである。
 プラトンはエロースを説いた。それは、端的に、イデア的共振性である。差異共振性と思われる。独立性と水平性の併存である。
 しかし、それは、性愛なのだろうか。ここで考えるべきは、先に述べた、同一性主義への傾斜と差異共振主義への傾斜のことである。
 前者の場合は、性愛は性欲に帰結する。しかし、後者の場合、性愛は、性欲に帰結しないと思うのである。それは、精神愛であろう。
 思うに、ここにギリシア神話を解く鍵がありそうである。あるいは、新プラトン主義を解く鍵が。
 同一性主義に傾斜していれば、性欲に帰結し、差異共振主義に傾斜していれば、精神愛に帰結しよう。プラトンのエロースは当然、後者と考えられる。
 現代世界は、自明的に、前者の世界である。物質主義と性欲は結びつくのである。しかし、差異共振主義の傾斜は、精神的性愛をもたらすだろう。俗にプラトニック・ラブと言われるが、エロースは、本来、そのようなものである。同一性主義は父権主義であり、差異共振主義は母権主義となる。
 西洋文明は前者的である。しかしながら、今日・現在、そして、未来、後者が主導的になると思われる。言い換えると、物質/自我主義から、精神/自己主義へと転換すると思われるのである。すると、性愛は、物質的なものから、精神的なものとなる。新ロマン主義である(p.s. 誤解される表現であるが、精神やロマンとは、実は、精神的身体を意味すると考える。後で、検討する)。
 単なる性欲は劣位のものとみなされるようになるだろう。

p.s. 本件のテーマである差異と身体については、はっきり述べていない。後で検討する。

p.p.s. 因みに、『チャタレー夫人の恋人』を書いた、「性」の達人のD. H. ロレンスであるが、彼の性愛論は、私見では、実はプラトニズムなのである。ロレンスの性愛は明らかに、差異共振主義である。だから、新プラトン主義に似ているのである。イタリア・ルネサンス的なのである。ロレンスの説く肉体とは、実は、イデアの影である。ロレンスはイデアの表現として、肉体・性愛を表現していると考えられる。



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カレンダ
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