INNOVATION OF PHILOSOPHY: NEW PLATONIC SYNERGY THEORY - 2008/05/29

PROTOMODERN PHILOSOPHY:




2008年05月29日(Thu)▲ページの先頭へ
1/4回転とイデアと現象:Media Pointの様相について:共振様相と否定様相
先に、1/4回転によって、差異が否定されると言った。問題は、境界面の問題である。Media Pointと+1の境界の問題である。
 ここで、思考実験するが、イデア極性があり、牽引と反発が存するのではないだろうか。牽引の場合が、(+i)*(-i)⇒+1であり、反発の場合が(+ i)*-(-i)⇒-1ではないだろうか。だから、(-*)という反発を意味する記号を作って、(+i)(-*)(-i)⇒-1としたらどうだろうか。
 牽引の場合が、差異共鳴であり、ここにおいては、絶対的な二元論はなく、イデア界と現象界とが、Media Pointを介して、交信しているだろう。
 それに対して、反発の場合、差異共鳴が否定されて、同一性主義が生まれる。これが、超越神の場合だと思われる。
 思うに、本来、牽引と反発の対称性があり、母権文化は、そのバランスを保持すると思われるが、父権文化となると、これが、崩壊すると思われる。即ち、反発が牽引よりも、主導的になるのであり、-1が強化されると思われる。
 ここで、大局的に見ると、1/4回転をどうみるのか、にかかっている。私は、超越神的現象を1/4回転として、母権的現象をゼロ回転と見た。私の直観は、1/4回転で、差異が否定・排除されると考えたことにある。
 ここがポイントである。果たして、1/4回転で、差異が否定・排除されるのか、否か、である。
 これは、ある意味で愚問である。即非様相なのであるから、差異は肯定されつつ、否定されるのである。だから、1/4回転は、超越神的現象ではありえないだろう。では、超越神的現象とは何だろうか。それは、即非を二元論・二項対立に変換することである。
 果たして、1/4回転によってそうなるだろうか。私は先にはそう直観したが。そして、ゼロ回転は差異共鳴性を保持すると考えた。もう少し、先の直観に従うならば、ゼロ回転における差異共鳴性が、母権的多神教性(多元性・多様性)を形成するのである。
 しかしながら、このゼロ回転という考え方は、間違っているのではないだろうか。私のイメージは、即非性であるから、やはり1/4回転はなくてはならないのであり、それが多神教性を形成するのである。
 何が言いたいのかと言えば、差異を排除・抑圧しない1/4回転がありうるのであり、それが、母権多神教等の場合である、ということである。
 もしそうならば、超越神の場合は、それとは異ならないといけない。しかし、先の私の直観は、太母が根源であり、超越神は、その一つの変態であるというものであった。太母が超越神に変換するのである。
 整理すると、問題点は、差異を排除・抑圧しない母権多神教と、差異を排除・抑圧する超越神宗教との二つを、1/4回転に関係させてどう説明するのか、ということになる。言い換えると、差異を排除・抑圧しない1/4回転と差異を排除・抑圧する1/4回転というものがあるのだろうか、ということになるだろう。
 しかし、前者はあると仮定しているのであるから、問題は、後者の場合である。果たして、差異を排除・抑圧する1/4回転はあるのか、ということである。
 直観では、実に明瞭であるが、理論化がうまくできないのである。例えば、イシスとは、イデア共鳴であり、オシリスは⇒+1で説明でき、イシス⇒オシリスである。太光から現象光が生まれるのである。これは、原神道でも同様と考えられる。
 そして、それに対して、オシリスを殺害するセトは、差異を排除・抑圧すると考えて、⇒-1である。そして、超越神はこちらに関係すると思われるのである。
 古代エジプト神話(宗教)では、オシリス+1とセト-1の極性があり、周期・回帰があったと考えられるが、超越神宗教では、多神教を否定して、-1だけになると考えられる。
 この差異の排除・抑圧とはいったいどういう力学に拠るのであろうか。先に私は、+1と-1は、イデア極性(牽引と反発)にリズムに拠ると示唆したが、そう作業仮説すると、牽引の極限において、+1があり、反発の極限において、-1があるということになる。しかし、この二重性は回帰する二重性である。端的に極性であり、神話・宗教的には、永遠回帰(女神の神話)であろう。
 ここには、絶対的な差異の排除・抑圧はないのである。だから、超越神宗教が生じるには、反発(斥力)が過剰になる必要があると考えられる。そう、上に述べたように、反発の極限において、超越神が発生すると言えよう。これをどう見るのか、である。
 本来、牽引と反発は対称的である。しかるに、反発が過剰となり、いわば、特異点が発生するときが、超越神の発生を意味するのではないだろうか。次のように考えたらどうだろうか。
 牽引の場合、+iは-iと共振して、⇒+1を発生させる。思うに、+iが1/4右回転して、-iが1/4左回転して、そうなるのではないだろうか。しかるに、反発の場合は、+iと-iとが、それぞれ自乗して、⇒-1となるのではないだろうか。あるいは、+iが1/4左回転して、-iが1/4右回転して、 ⇒-1になると考えていいのではないだろうか。
 そして、差異共振の場合が、母権多神教であり、差異反発の場合が、父権超越神宗教ではないだろうか。
 とは言え、両者は極端の場合である。本来は、イデア極性の周期に即する+1と-1との対極性が生起しているだろう。だから、自己認識方程式を変形させて、

(+i)☯(-i)⇒±1 or (+i)☯(-i)⇒|1|

が考えられるのである。これは、いわば、自己極性方程式であろう。
 以上のように考えると、1/4回転は、様相が三種類あることになるだろう。+1の純粋な差異共振性と-1の純粋な差異反発性とイデア極性による±1の差異共振性である。
 これで、ゼロ回転の問題は解決されたと言えよう。ゼロ回転ではなく、1/4回転における母権多神教性ということがあるということである。
 さて、しかしながら、+1と±1との関係を問う問題が現われたと言えよう。言うならば、純粋差異共振性と差異極性との関係ではないだろうか。前者は純粋な母権制ではないだろうか。アニミズム、シャーマニズムを含むだろう。先住民文化である。
 それに対して、差異極性の場合は、同一性=物質が明確に発現していると思われる。排除・抑圧の原理が現われている。しかし、極性の一端としてである。古代エジプト神話(宗教)はここに相当するのではないだろうか。そうすると、母権多神教もここに入ると見た方が適切なように思われる。
 さて、大局的に見ると、イデア極性(イデア太極)の周期・回帰を仮定して見ると、西洋文明とは、差異反発-1のヤハウェが主導的であるが、反面、差異極性ないしは差異共振性があると考えられる。思うに、差異反発とは、イデア極性の陰ではないだろうか。だから、月である。それに対して、差異共振はイデア極性では陽ではないだろうか。だから、太陽である。端的に、-1は月であり、+1が太陽である。反影であり、光である。一神教は月であり、多神教は日である。
 思うに、今日、イデア極性であるが、差異反発-1の様相から脱して、差異共振+1へと新たに変換していると思われるのである。超越神的エネルギー発動が終焉して、差異共振エネルギーが発動しているのではないだろうか。
 つまり、陰から陽へ、月から日へと転換しているのではないだろうか。これは、文明大転換、大進化ではないだろうか。超越神のもつ差異反発=同一性主義のエネルギーが枯渇して、差異共振エネルギーが賦活されていると考えられるのである。
 ここで、宗教・神話をさらに問題にすると、超越神は、 (+i)☯(-i)⇒-1で表現されると思われるが、ならば、太母はどうなるだろうか。太母は、左辺であろう。太母から超越神が生まれるのである。では、⇒+1とは何の神となるのだろうか。
 これまでの考え方では、オシリスに相当するのである。「日御子」である。そうならば、ギリシア神話のゼウスはどのように表現されるのだろうか。当然、ゼウスも太母の一変形だと考えられるが、どうような様相なのか。-1が超越神だから、ゼウスは-1ではない。そうかと言え、+1ではありえない。それでは、イシスが中心となるからである。すると、太母に近いと言えよう。太母はイデア極性であり、イデア振動をもち、多様性を形成する。これにゼウスは近いと思われるのであるが、太母自体ではありえない。何故なら、男神であるからである。
 ゼウスの多情多感性・好色性、これらは何だろうか。私は、ゼロ度と言いたい感じがあるのである。+1でもないし、-1でもないし、イデア極性的多様性に近いものをもつのである。
 そうすると、Media Pointに近いのである。しかしながら、Media Pointは、イデア極性の中心点(臍)であるから、Media Pointでもない。だから、ゼロがいちばん適切なのではないだろうか。そうならば、構造である。ゼウスは、構造主義となる。確かに、倫理感がなく、いい加減である。しかし、主神である。+1ならば、差異共振倫理があるし、-1ならば、超越神倫理があるのである。両者の和としてのゼロではないだろうか。そうすると、母権多神教とは別に父権多神教があり、これは、ゼロということになるのではないだろうか。
 すると、構造主義/ドゥルーズ哲学は、ゼウス=ゼロの哲学であり、ハイデガー/デリダ哲学は、ゼロと±1の哲学ではないだろうか。フッサール哲学は、⇒+1の哲学である。
 ここで、留めることにする。


胎生・へその緒とMedia Point:太母と超越神:トランス資本主義と差異的共進化
胎生とは、哺乳類を想起させる。直感では、ここには、生命の本質の「秘密」がある。そう、へその緒がポイントである。英語では、
臍の緒 a navel string; an umbilical cord
である。辞書では、

um・bil・i・cus
1 【解剖】 臍(へそ) (navel).
2 (問題などの)中心点, 核心 (core, heart).
3 【動物】 (巻貝の)へそ穴.
4 【植物】 臍(さい) 《種子の胎座に付着する部分; hilum ともいう》.
5 【数学】 臍点(せいてん) (umbilic, umbilical point).
6 【考古】 (巻物の)軸玉《軸の両端につけられた飾り》.
#《1615》 L umbilicus ← UMBO: cf. Gk omphalos
[株式会社研究社 新英和大辞典第6版]

である。ギリシア語だと、オンファロス(臍)である。
直感では、臍とは、Media Pointである。ならば、へその緒とは何だろうか。神話で言えば、イシス・オシリス神話に関係するし、キリスト教では、聖母子に関係する。
 へその緒とは、臍と同様に、Media Pointの物質・身体的「表現」ではないだろうか。イデアから現象へと展開する際の、要(かなめ)、蝶番であろう。【p.s. へその緒は、Media Resonanceメディア共鳴の物質的表現というべきだろう。】
 ここで、考察を進展させるならば、「母」の本体とはイデア・エネルギー(超越エネルギー)である。イデアと言ってもいい。そして、Media Pointを介して、「子」とつながる。これが、アニミズム、シャーマニズム、母権多神教の様相であろう。
 それに対して、父権一神教(超越神宗教:この方が適切ではないだろうか)は、これを、一端、切断するようであり、切断する主体が、超越神である。Media PointにおけるMedia Resonance(メディア共鳴)を排除的に否定するのである。
 以前述べたが、超越神とは、太母の変形ではないだろうか。太母の変形として、有り体に言えば、太母の1/4回転として、超越神が存するのではないだろうか。つまり、原宗教(母権宗教)は、本来、ゼロ回転ではないだろうか。それが、1/4回転して、父権宗教が生まれたのではないだろうか。この問題はおいておく。
 この1/4回転の力学が、Media Pointの切断を意味するのではないだろうか。そして、それが、また、生物的には、出生ではないのか。
 そう、キリスト教的には、楽園追放である。エデンの園からの人間の追放である。これは、精神・生物的事実ではないだろうか。1/4回転で、Media Pointが閉ざされるのである。⇒+1の結果の+1である。(だから、これまで、-1として見たものは、+1で表現できていると言えよう。後で、整合化したい。)
 結局、言い換えると、太母が原型であり、超越神は一つの様相ということである。そして、後者の場合、Media Pointは隠蔽されて、壁になるのである。構造主義やポスト・モダンは、ここを問題にしたのである。【そう、また、小説家ハーマン・メルヴィルもここを問題にし、ほとんど、トランス・モダンに近い発想に到達しているだろう(『白鯨』)。】
 超越神では、Media Pointが壁となり、二元論が発生する。超越性と現象性である。お馴染の、西洋の絶対的二元論である。そして、西欧近代は、超越性を否定して、内在的知性を形成してきた。【ほとんど、唯一の例外がフッサールである。カントは先駆的な役割をしたとは言える。】
 結局、東洋文化では、基盤であるMedia Pointに、西洋は接近していたとは言える。西洋哲学が東洋文化に近づいたのである。そして、東洋文化、日本文化は、逆に西洋哲学に接近して、 Media Pointを哲学化する努力がなされたのである。鈴木大拙の即非の論理、西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一、等は、その成果である。
 問題は、超越神文化において生じた絶対的二元論を新たに乗り越えることなのである。これが、ポスト近代の思潮・趨向である。
 そう、イデア・エネルギーの発現方法が問題なのである。以前の私の作業仮説に戻るが、イデアの回転が本来的にあると思われるのである。ある1/4回転に対して、さらなる1/4回転が生起する。これで、新たにMedia Pointが開くと考えられるのである。
 結局、人間の心身(精神的身体)は、Media Pointを基礎に形成されていると考えられるのである。そして、1/4回転に対して、マイナス1/4回転の反作用がはたらき、回帰するのではないだろうか。つまり、絶対的二元論と差異共振性が交互に生起するのではないだろうか。言い換えると、同一性と差異との交互変換である。
 すると、同一性エネルギーが主導のときと、差異エネルギーが主導のときが存するのである。西洋文明は、ユダヤ・キリスト教文明なので、前者が主導的なのであるが、二重性の文化であり、無意識においては、差異エネルギーが存しているのである。同一性主導であるが、同一性と差異の二重性・分裂性をもっているのである。
 私見では、今日、マイナス1/4回転が発動しているのであり、差異エネルギーが賦活されているのである。しかしながら、人間の意識は、同一性に留まっているので、賦活された差異エネルギーを受容することができずに、排除・隠蔽しているのである。そのために、無意識のエネルギーとなり、非合理主義的なエネルギーとなって、いわば、今日現代の人間・人類を襲っているのである(戦争、犯罪、病気、等)。
 つまり、新たに、Media Pointは開いているが、人間の意識は、近代合理主義/近代的自我の二元論に留まり、開いたMedia Pointから発動する差異エネルギー(差異共鳴エネルギー=イデア・エネルギー=超越エネルギー)の現前・現象に対して、無力なのである。排除したり、隠蔽したりするが、存在するものを排除したり、隠蔽するというのは、無理なことであるので、病理的なのである。
 そう、今日・現代、差異エネルギー=差異共鳴エネルギー=イデア・エネルギー=超越エネルギーは賦活され、発現しているのである(聖霊の時代)。
 これに対する反動が起きているのである。とりわけ、現代日本がそうである。国家主義経済の反動であり、近代主義の反動である。この反動は、大澤真幸氏の「アイロニカルな没入」で説明できよう。【同一性意識と差異無意識の分裂があるが、後者が主導的になっているので、その過剰性から、ショートを起すのである。つまり、同一性による連続性があるので、両者はショートしてしまうのである。】
 グローバリゼーションは、この差異エネルギーの能動と反動の両側面があるのかもしれない。だから、新しい経済とは、差異エネルギーを能動積極的に取り入れる経済と言えよう。これは、同一性主義を乗り越えるので、脱資本主義になると思われるのである。つまり、同一性資本ではなくて、差異資本が発生するのである。差異資本を積極的に発展すべきなのである。【これまでの資本主義が同一性に拘束されていたとするならば、新しい経済は、差異資本主義としての脱資本主義である。差異資本とは、物質資本、貨幣資本を包摂した精神資本、精神的身体資本と言えるだろう。Media資本ないしはMedia Point資本と言えるのではないだろうか。ならば、Media 資本主義、Media Point資本主義である。】
 これは、経済だけでなく、政治もそうならなくてならない。差異共振政治である。結局、今日現代、人類は、差異共振進化のエポックを迎えていると言えよう。大進化の時代である。あるいは、新たな大洪水の時代である。黙示録的時代である。

化石:3億8000万年前のへその緒、最古の胎生化石 豪の研究チーム、新種の魚発見

 約3億8000万年前の地層から、人間のように赤ちゃんを産んでいた新種の魚の化石を、豪ビクトリア博物館などの研究チームが発見し、29日付の英科学誌ネイチャーに発表した。さい帯(へその緒)とつながった胚(はい)(受精卵)が初めて確認され、脊椎(せきつい)動物で交尾−出産が行われた最古の記録となる。

 発見された化石は2種類で、初めてあごに骨を持った魚類の仲間「板皮(ばんぴ)類」に分類される。約3億年前に絶滅したとされているが、このうち1種類は新種だった。

 研究チームは、西オーストラリア州のデボン紀(4億1600万〜3億5920万年前)の地層で発見されたこの化石を調べた。顕微鏡で精査すると、新種の魚の子宮内から胚とさい帯、卵黄の痕跡が見つかった。もう一方の既知の魚の体内からも3個の胚を確認した。

 交尾によりメスの体内で卵子と精子が受精し、成長後に赤ちゃんとして体外に出る繁殖は胎生(たいせい)と呼ばれる。従来の最古の胎生化石は中生代の爬虫(はちゅう)類で、研究チームは記録は約2億年さかのぼったと分析する。【田中泰義】

毎日新聞 2008年5月29日 東京朝刊

http://mainichi.jp/select/science
/news/20080529ddm0410401
01000c.html


ギョギョ!?へその緒残る古代魚化石 「胎生」起源、2億年遡及
2008.5.29 07:55
発見された化石を元に作成された、魚の出産の想像図(ビクトリア博物館提供) 発見された化石を元に作成された、魚の出産の想像図(ビクトリア博物館提供)

 へその緒(臍(さい)帯(たい))で母子がつながった約3億8000万年前の古代魚の化石が、オーストラリア西部で見つかった。母体内である程度まで子供を成長させてから出産する「胎生」が確認された最古の脊椎(せきつい)動物となる。同国のビクトリア博物館の研究者らが、29日発行の英科学誌「ネイチャー」に発表した。

 見つかった化石は、板(ばん)皮(ぴ)類と呼ばれる絶滅した魚類の1種で、全長約25センチ。発見場所はオーストラリア西部の古生代・デボン紀後期の地層。

 化石は保存状態が良く、体内に臍帯とつながった胎仔(たいし)、栄養をためる卵黄嚢(のう)が石化した痕跡などが残っていた。現代のサメやエイの一部と同様に、母体から胎仔に直接栄養を供給する「胎生」の生殖機能を備えていることが分かった。

 今回の発見で、脊椎動物の胎生の起源は、これまでよりも2億年ほどさかのぼることになる。
このニュースの写真
発見された化石を元に作成された、魚の出産の想像図(ビクトリア博物館提供)
オーストラリアの約3億8000万年前の地層から見つかった魚の化石の一部。へその緒や子の骨が見られる(ビクトリア博物館提供)
http://sankei.jp.msn.com/culture/
academic/080529/acd080529075
8002-n1.htm


   




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