INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2008/03/15

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2008年03月15日(Sat)▲ページの先頭へ
宗教的思考とイデア論的思考:超越エネルギーと信仰:近代的自我はカルトである:脱父権一神教としてのトランス・モダン・パラダイム・チェンジ
先に、宗教的思考について説明したが、これは、言い換えると、イデア論的思考ということになる。勿論、厳密に言えば、プラトニック・シナジー理論的思考ではあるが。思うに、差異共振イデア論的思考ともいえよう。簡略して、差異イデア論的思考であろう。
 もっとも、同一性主義と差異主義を、一神教原理と多神教原理と言い換えた方が深さを表現するときは優れているだろう。また、インパクトもある。
 ところで、今日、日本人の多くが無宗教と言うのは、決して無神論ということもないだろう。神社仏閣に参拝するのだから、無神論ではない。やはり、日本人の無宗教・不無神論とは、イデア論的なのだと思う。超越エネルギーは感じているのであるが、それに無自覚であったり、また、うまく表現していないと思えるのである。
 ここで、超越エネルギーと信仰ないしは信について簡単に言おう。超越エネルギーは、Media Point において発出される。それが同一性自己(自我)を形成し、また、差異として、内発している。同一性自己(自我)が中心化(同一性主義ないしは同一性中心主義。デリダのロゴス中心主義に相当する)されると差異は抑圧否定されて無意識になる。【既述したように、Media Point とは、超越・即非・内在の様態にあるのであり、単純な超越性でなければ、また、単純な内在性でもなければ、また、内在的超越性でもない。この点は、いくら注意しても注意し過ぎることはないだろう。】
 Media Point とは、伝統文化的には、魂や心や霊や精神等という用語で指し示されてきたものであると考えられるが、当然、宗教の領域に属するのであるし、また、思想・哲学の領域にも属するのである。
 ここにおいて、広義の心は、ある力を受動するのである。ある力とは、超越エネルギーであると考えられるのである。【ただし、同一性主義(自我中心主義)である限り、この力は感受されない。言い換えると、同一性主義では、この超越エネルギーを抑圧否定するのである。平明に言うと、不可視のものの排除である。】この超越エネルギーの感受とは、同一性によっては合理化できない。これは、差異としか理解されないし、的確には、特異性であり、差異共振性と考えられるのである。
 この超越エネルギーは、同一性現象性を越えているので、神的現象(ルドルフ・オットーのヌミノーゼ)として捉えられたりする。【いわゆる、オカルト的なものも本来はここに発して、ある場合超常現象として、誤って考えられているだろう。私は占いも本来は、ここに発していると考えている。占いも根源に変えれば、宗教・哲学・科学的である。】この超越エネルギーに対する感受性(感性)における帰依が信仰であろうし、宗教の根源であろう。
 しかしながら、この超越エネルギーの受動と共に、能動的な知性を形成することは可能なのである。これが、私が言う宗教的思考=イデア論的思考に当たると考えられる。そう、また、この超越エネルギーに基づいて、能動的表現をすることも可能である。これが、いわゆる、芸術・アート活動であろう。芸術は宗教的である(D. H. ロレンス)というのは、この意味においてである。
 問題は、超越エネルギーと同一性の関係である。超越エネルギーが同一性主義化(自我中心主義化)したときは、恐ろしく危険である。思うに、狂信化とは、このことではないだろうか。少し脱線するが、《近代的自我は狂気である》という私のテーゼであるが、これは、超越エネルギーの同一性主義化と言い換えることができそうである。そして、そう考えた方が的確であるような気がする。
 これは、また、カルトの問題にも適用できると思われる。オウム真理教の場合であるが、超越エネルギーが同一性主義化して、排他的二元論となり、同一性主義に宗教観念が入って、一種イデオロギーとなり、カルトとなったと言えるのではないだろうか。これは、また、西洋植民地主義、帝国主義、金融資本主義にも適用できよう。また、さらに、ナショナリズムにも適用できる理論ではないだろうか。そう、明治維新におけるナショナリズム・文明開化路線は、この超越エネルギーの同一性主義化(同一性中心主義化)で説明できると思われるのである。端的に言えば、超越エネルギーが、差異という理性を喪失して、同一性主義へと放出されるのである。
 この超越エネルギーの同一性主義化(カルト化)の問題について、精緻に考えよう。Media Point と同一性は本来、不連続なのであり、前者は特異性・特異点なのである。言い換えると、両者の間には、亀裂・溝があるのである。しかしながら、カルト化の場合、両者の亀裂・溝が消えて、超越エネルギーが即、同一性へと放出されるのである。言わば、差異回路のショート・短絡である。正に、狂気なのであるが、この原因は何か。
 上記において、私は超越エネルギーの受動・感受のことを言い、同一性主義はそれを抑圧否定すると言った。そして、直近において、超越エネルギーの同一性主義化について言い、両者はいわば矛盾・齟齬状態になっているが、このことはどう解明されるだろうか。
 超越エネルギーの受動・感受とは、差異の形成を意味するが、超越エネルギーの抑圧否定とは、差異の未形成を意味する。差異が形成される場合、超越エネルギーは能動・積極・肯定的に主体に作用する(スピノザの能動的観念とは、このことを指していると考えられる)が、差異が未形成である場合、超越エネルギーは反動・消極・否定的に主体に作用すると思われる。だから、超越エネルギーの同一性主義化(カルト化)とは、超越エネルギーの能動・積極・肯定化ではなくて、反動・消極・否定化であると考えられる。
 しかしながら、後者はどういう事態なのだろうか。やはり、ここには、Media Point の新たな開放があると思われるのである。原近代は、Media Point の開放から開始されたと考えられる。即ち、イタリア・ルネサンスである。そして、それがベースになり、プロテスタンティズム的近代化が生起するのである。しかし、それは、父権一神教的同一性化であったのである。だから、必然的に、そこには、カルト化が起こったと見るべきであろう。魔女狩りは端的にそのようなものであるし、植民地主義や帝国主義もそのようなものである。
 そう、やはり、近代的自我/近代合理主義は狂気であると見るべきである。しかし、正しくは、ここで検証したように、近代的自我/近代合理主義はカルトであると修正すべきであろう。
 そうならば、敷延すると、父権一神教自体がカルトではないのか。おそらく、そうだろう。ユダヤ・キリスト教はカルトなのである。また、天皇制的一神教もカルトである。(しかしながら、天皇文化は、本来、多神教である。多神教的天皇宗教文化が正しいのである。)
 だから、オウム真理教問題であるが、それは、端的に、父権一神教の新興宗教的現象であると言えよう。世界の縮図と言えよう。
 最後に大問題を投げ掛けよう。いったい、どうして、父権一神教ないしは父権的神話が生まれる必然性があったのか、である。
 今は、簡単に答えるだけだが、やはり、母権多神教の衰退があり、なんらかの原因で父権主義化が生起したということであろう。つまり、女性主義が衰退して、男性主義が生起したということである。予見では、Media Point という太極において、陰の志向性が衰退して、陽の志向性が台頭した結果が、父権一神教の誕生であると思われるのである。そうならば、自然のもつカルト性ということになるだろう。
 しかし、カルト化の意味とは何か、である。それは、端的に、同一性主義の形成である。つまり、自我主義・物質主義の形成である。言い換えると、西洋文明の形成である。(実際、キリスト教は母権多神教をネガティブながら包摂していると考えられる。)そして、今日、これが終末を迎えて、いよいよ、脱父権一神教=脱自我主義・脱唯物論であるトランス・モダンへとパラダイム・シフトしつつあるということなのだろう。


ロールズの正義論とプラトニック・シナジー理論:トランス・モダン差異共振共同体へ向けて
ロールズの正義論とプラトニック・シナジー理論:トランス・モダン差異共振共同体へ向けて

テーマ:トランス・モダン社会の創造・構築

正義論/自由論―寛容の時代へ (岩波現代文庫) (文庫)
土屋 恵一郎 (著)

土屋恵一郎氏の『正義論/自由論』(岩波現代文庫)を読んでいる途中だが(amazonのカスタマーレビューは辛い点がついているが)、私はロールズの『正義論』が未読なので、「原初状態」や「無知のヴェール」という概念が今一つ不明確であるが、直感したのは、ロールズの思想のベースは、差異共振主義ではないのかということである。つまり、「原初状態」や「無知のヴェール」とは、根源的な差異共振主義、ないしは、フッサールの生活世界に通じる社会概念ではないのかということである。
 本書の第1章に松岡心平氏の『宴の身体』の「花の下[もと]の連歌」等の日本文学のもつ、個的共同主義論を提示されていて、これは、正に、私がこれまで述べてきた日本文化の差異共振主義であると直感したのであり、それを考えると上述した私の考えはそれほど突飛なものではないだろう。
 後で、できれば、整理したいが、一言補足すると、ロールズの発想には、多神教性があるように思えることである。そう、民主主義であるが、私は、これは、母権多神教が基盤になっていて、これを、キリスト教が一神教内部に吸上げたものではないかと今考えているのである。
 民主主義の自由・平等・多元原理は、父権的一神教ではなくて、母権的多神教が基盤ではないかということである。即ち、神の下の平等とは、母権的多神教のもつ差異共振性から発しているのではないのかということである。
 私はプロテスタンティズムは、イタリア・ルネサンス(母権的多神教)を包摂的否定していると言ったが、この包摂において、民主主義が発生しているように思えるのである。
 だから、民主主義のトランス・モダン化が今や必然となっているのである。近代民主主義は、同一性主義であり、それは、本来、民主主義のもつ自由・差異・多元性を否定するからである。

参考:
ジョン・ロールズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ジョン・ロールズ(John Rawls, 1921年 2月21日 - 2002年 11月24日 )は、20世紀アメリカ を代表する政治哲学者 、道徳哲学者 。

1971年 に刊行した『正義論 』(A Theory Of Justice)は大きな反響を呼ぶ。当書は、アイザイア・バーリン らが「政治理論は未だ存在するのか?」(1962年)と吐露するほどに停滞しきっていた当時の政治哲学業界を再興させるのに大きく貢献した。そのため、英語圏における正義論以降の政治哲学(規範政治理論、normative political theory)業界は「ロールズ・インダストリー」(Rawlsian industry)などとしばし呼ばれる。正義論 は経済学 にも大きな影響を与えており、厚生経済学 においてロールズ基準 と冠した概念を生み出した。
来歴

1921年、メリーランド州 ボルチモア に生まれた。ボルチモアの学校にしばらく通った後、コネチカット州 にあるプレップスクール に転校。1939年に卒業し、プリンストン大学 に入学。この頃より哲学に関心を持つようになる。1943年 に学士号を取得して卒業後、アメリカ陸軍 に入隊。第二次世界大戦 中は歩兵 としてギニア、フィリピン、日本などを訪れて、広島の原爆 投下の惨状を目の当たりにする。この経験から士官 への昇任を辞退し、1946年に兵卒として陸軍を除隊する。

その後間もなく母校プリンストン大学の哲学部博士課程に進学(道徳哲学専攻)。1949年 にブラウン大学 卒業生のマーガレット・フォックスと結婚する。ロールズとマーガレットは本の索引 作成という共通の趣味を持っており、一緒に最初の休日はニーチェ に関する書籍の索引を作成して過ごした。ロールズはこの時、自身の後の著作である『正義論』の索引も作成している。

1950年 に博士号を取得し、1952年 までプリンストン大学で教鞭をとる。1952年からフルブライト・フェローシップによりオックスフォード大学 へ留学。当時オックスフォードにいたアイザイア・バーリン の影響を受ける。フェローシップ終了後にアメリカへ帰国、コーネル大学 で助教授を務める。1962年 に哲学部の教授となって程なくしてマサチューセッツ工科大学 でテニュアー 付きの教授職を得る。1964年 よりハーバード大学 に移り、以後40年近く同学に務める。1995年 に最初の発作を起こして歩行障害をわずらうも、最後の著作となるThe Law of Peoplesを完成させて、2002年に他界した。

[編集 ] 『正義論』(A Theory of Justice)

[編集 ] 概要

 人間が守るべき「正義 」の根拠を探り、その正当性を論じたロールズの主著の一つ。1971年 刊。この著で彼が展開した「正義」概念は、倫理学 や政治哲学 といった学問領域を越えて同時代の人々にきわめて広く大きな影響を与えることになった。それまで功利主義 以外に有力な理論的基盤を持ち得なかった規範倫理学の範型となる理論を提示し、この書を基点にしてその後の政治哲学 の論争が展開したという点で、20世紀の倫理学 、政治哲学 を代表する著作の一つということができよう。

[編集 ] 要旨

本書は3部構成であり、第1部で彼は、正義 を論じる理由を明示した上で、非個人的な観点から望ましく実行可能な正義の原理を探究し、最終的に彼の考える「正義の二原理」を提出する。第2部では彼の正義論を現実の社会的諸制度、諸問題へ適用し、その実行可能性を明らかにしていく。第3部では、彼の正義概念は人間的な思考 や感情 と調和しており、「正しさ」と「善さ」とは矛盾するものでないことを説明することを通じて、理論的に導出された正義論が現実の人間的基盤を有している様相を明らかにしていく。ここでは第1部の彼の論述の要旨を示す。

この書でロールズは、それまで倫理学 を主に支配してきた功利主義 に変わる理論として、民主主義 を支える倫理的価値判断の源泉としての正義 を中心に据えた理論を展開することを目指している。彼は正義を「相互利益を求める共同の冒険的企て」である社会の「諸制度がまずもって発揮すべき効能」だと定義した。そして社会活動によって生じる利益は分配される必要があるが、その際もっとも妥当で適切な分配の仕方を導く社会的取り決めが社会正義の諸原理になるとした。ここで彼は社会契約説 を範にとってこの正義の原理を導出していく。まず正義の根拠を、自由 かつ合理 的な人々が、彼が「原初状態」と名付けた状態におかれる際に合意するであろう諸原理に求めた。この原初状態とは、集団の中の構成員が彼の言う「無知のヴェール」に覆われた−すなわち自分と他者の能力や立場に関する知識は全く持っていない−状態である。このような状態で人は、他者に対する嫉妬や優越感を持つことなく合理的に選択するであろうと推測され、また誰しも同じ判断を下すことが期待される。そして人は、最悪の状態に陥ることを最大限回避しようとするはずであり、その結果次の二つの正義に関する原理が導き出されるとした。

* 第一原理

各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない。

* 第二原理

社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければならない。 a)それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。 b)公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと。

第一原理は自由に関する原理である。彼は他者の自由を侵害しない限りにおいて自由は許容されるべきだと説き、基本的自由の権利−良心の自由 、信教の自由 、言論の自由 、集会の自由 などを含む−はあらゆる人に平等に分配されねばならないとした。ただここにおける自由とはいわゆる消極的自由 を指示している。 第二原理のa)は、格差原理 とも呼ばれるものである。彼は社会的格差の存在そのものは是認しつつも、そこに一定の制度的枠組みを設けることが必要と考えこの原理を設定した。自由以外の社会的な基本財をどのように分配するかを示すための原理である。この正義の二原理は、「原初状態」や「無知のヴェール」といった概念を用いた思考実験から導出されているため現実から乖離したものになっている危険性がある。しかし、この原理が普通の人間の正義感覚と比較検討してもなお正当性を失わないことという「反照的均衡」という彼の方法論が妥当であること根拠として、この正義の二原理に実際的妥当性を付与している。 b)は機会均等原理と呼ばれる。同じ条件下で生じた不平等は許容されるというものである。

[編集 ] この書への批判

[編集 ] 『ポリティカル・リベラリズム』(Political Liberalism)

[編集 ] 著書

* A Theory of Justice (Harvard University Press, 1971, revised ed., 1999).

矢島鈞次 監訳『正義論』(紀伊國屋書店 , 1979年)

* The Liberal Theory of Justice: A Critical Examination of the Principal Doctrines in a Theory of Justice (Clarendon Press, 1973).
* Political Liberalism (Columbia University Press, 1993).
* The Law of Peoples: with "the Idea of Public Reason Revisited" (Harvard University Press, 1999).

中山竜一 訳『万民の法』(岩波書店 , 2006年)

* Collected Papers, edited by Samuel Freeman (Harvard University Press, 1999).
* Lectures on the History of Moral Philosophy, edited by Barbara Herman (Harvard University Press, 2000).

坂部恵 監訳『ロールズ哲学史講義(上・下)』(みすず書房 , 2005年)ISBN 4-622-07111-8 、ISBN 4-622-07112-6

* Justice as Fairness: A Restatement, edited by Erin Kelly (Harvard University Press, 2001).

田中成明 ・平井亮輔 ・亀本洋 訳『公正としての正義――再説』(岩波書店, 2004年)ISBN 4-00-022846-3

[編集 ] 関連項目

* 社会契約
o イマヌエル・カント
* リベラリズム
o ロナルド・ドゥオーキン
o トマス・スキャンロン
o ウィリアム・ガルストン
o ウィル・キムリッカ
* 共同体主義
o チャールズ・テイラー
o マイケル・サンデル
o マイケル・ウォルツァー
o アラスデア・マッキンタイア
* リバタリアニズム
o ロバート・ノージック
* 功利主義
o ヘンリー・シジウィック
o R・M・ヘア
* 分析的マルクス主義
o ジェラルド・コーエン
o ジョン・ローマー
* アマルティア・セン
* ユルゲン・ハーバーマス


執筆の途中です この「ジョン・ロールズ」は、哲学 に関連した書きかけ項目 です。この記事を加筆・訂正 して下さる協力者を求めています。(Portal:哲学 )
カテゴリ : 哲学関連のスタブ項目 | 政治思想家 | アメリカ合衆国の哲学者 | 1921年生 | 2002年没

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私の宗教的思考とは何か:「無意識」や超越エネルギーの表現としての宗教

テーマ:宗教/政治

私の考え方は、通常のものとは異なり、宗教と政治・経済・社会・文化芸術等を同じ次元で語っている。先には、民主主義のベースは多神教ではないのかと言ったことにも現われている。それは、読者には奇異に思われるだろう。そこで、簡単に私の宗教的思考について説明してみたい。
 何故、たとえば、私は民主主義の基盤に多神教があると言うのか。私の思考は、いわば、「無意識」のレベルを取り込んでいる知だと考えられる。「無意識」とは(心)魂・霊・精神と言ってもいい。プラトニック・シナジー理論で言えば、Media Pointに基づく思考である。
 通常の知的思考では、この「無意識」のレベルを度外視して、概念・観念思考を行うのである。しかしながら、意識的思考は「無意識」的思考の知的表出であると思えるのである。だから、この意味で、私は宗教的思考を為し、宗教的用語を使用すると言えよう。つまり、私にとっての宗教とは、「無意識」ということである。
 また、先にも述べたが、私は神を超越エネルギーと考えている。勿論、まったく信仰の次元を排するつもりはないが、基本的には、宗教は、超越エネルギーに還元されると考えられるのであり、そして、超越エネルギーは(心)魂・霊・魂である「無意識」を形成していると考えているのである。
 結局、民主主義のベースに多神教があるということは、Media Pointの差異共振エネルギーが基盤であるということである。つまり、多神教=Media Pointの差異共振エネルギーということである。



   




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