INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2008/01/02

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2008年01月02日(Wed)▲ページの先頭へ
観るとは何か:眼を介して、心で観る(心観・心眼・霊眼):都市空間視覚と天然自然視覚の分裂から、トランス・モダン視覚へ
田舎(農村地帯)に居ると、空気が澄んでいるので、空や空を背景にするものがよく見えるのである。先ほどは、東京では、不気味に夜に声を聞くことが多い烏であるが、大群が、北から南へと急流に流されるように滑空して飛んでいた。ダイナミックな動きであり、感心した。
 澄んだ西空を見て、思ったのは、肉眼中心で見るのと、肉眼を介して心で見るのとの違いである。前者は自我中心的視覚であり、後者は差異共振・心的視覚であると考えられる。今日一般の日本人の視覚が前者であると思う。近代合理主義・近代的自我の視覚なのである。これは、心の死であり、神の死である。死せる魂である。亡魂である。死んだマグロの眼である。
 後者はいわゆる心眼というものに近いかもしれないが、心眼ほど玄妙なものではなく、もっと平明な、日常的なものでありうると思う。もっとも、心眼と言ってもいいのかもしれない。私としては、心観・心見とか呼びたいのである。(以下、心眼を用いている。)
 先に見た夢の中で、私は道と道の間の公園の樹木に咲く花を心の目で見ていた。心と花が共振してその美に触れていた。どうも、それがいわば予兆であったろう。予知夢である。私の中に、心の目が復活したようである。心観(心眼・心視)である。
 とまれ、この心観・心眼・心視の形成というか復活によって、これまで私が当惑した視覚の問題が解決できたと思う。すなわち、心の目は外的対象と共振するのである。とりわけ、自然と共振して天然美を感受するのである。この体験は、美術・芸術の肝である。美術・芸術の美の根源である。いわゆる、ロマン主義と呼ばれた世界観もこれに拠ると考えられるのである。もっとも、古典主義もやはりベースには、天然美の体験があるとは思うが、それが、自我同一性形式(線形性、シンメトリー等)によって拘束されているのである。
 具体的に言うと、若い日、学生の頃である。夕焼けが、私の意識から遠くへ行ってしまう経験をもった。それまでは、夕焼けと心が結びついていたが、それが、離れて行く、喪失経験をした。そう、私の意識では、この分離経験と一体経験との分裂性が残ったのである。いわば、統合失調症である。これは、文化史的に言えば、未分化的太母文化と父権文化、あるいは、前近代文化と近代文化との分裂様態と言える。そう、私は一種の分裂症であったのだろう。思えば、漱石の『草枕』の冒頭の有名な「智に働けば、角が立つ。情に棹させば流される。」に似たような経験と言えるだろう。そう、漱石も近代主義に拠る分裂に悩んだ天才的知識人である。
 とまれ、私のこれまでの生涯は、この分裂症に悩んできたと言えるかもしれない。しかしながら、今や、私の意識の中には、はっきりと、心が存するのである。そして、感覚を介して、心で知覚することができるのである。そう、脱自我となり、自己形成できたと言えよう。確かに、肉眼は、自我と結びつくが、心眼は自己と結びつく。私は、自我であり、且つ、非自我=自己である。(正に、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の様相である。)
 まだ、精緻には考察していないが、心の知覚があり、また、肉体的感覚がある。視覚に限定すると、心の視覚(心眼)があり、身体的視覚(肉眼)があるが、心眼(Media Point)が同一性化して、身体的視覚(肉眼)と結びつく。つまり、心眼は肉眼へ同化吸収されて、心眼本来の差異共振性を喪失する。これが、近代的自我の視覚様態である。近代合理主義・唯物論的視覚、冷たく光る不気味な支配せんとする悪霊の眼である。
 しかしながら、心眼(差異)が完全に肉眼(同一性)に吸収されることはできない。心眼が無意識において作用しているのである。だから、近代主義の都市空間を離れて、自然天然空間に置かれると、自然天然空間の光、差異共振的光に晒(さら)されて、心眼が賦活・活性化されるのである。励起されると言ってもいいのかもしれない。そのとき、私の体験では、コスモス(心的宇宙)を感得することが多い。コスモスとは、端的に、Media Pointの経験と言っていいだろう。近代主義の都市空間では、この経験はほとんど閉ざされるが、天然自然空間では、これが生起するのである。
 そう、思えば、学生の時の分裂の悩みはこれで説明できるのである。近代主義の都市空間の視覚と天然自然空間の差異共振的な視覚との分裂である。戦後日本人は、この分裂を無視して前者に同一性化したのである。日本人の心的視覚を捨てて、近代合理主義/近代的自我の視覚を受容したのである。これは、日本の心の死であり、神の死である。日本文化の死である。三島由紀夫の言う「断絃」である。(これは、連合国占領軍と亡国・売国的支配者との野合によると考えられる。小泉路線は、これである。)
 そう、社会的に問題なのは、近代主義的都市空間の視覚が支配的であるとき、天然自然の差異共振的視覚が否定されるのである。だから、本当に心眼をもった人は排除されやすいのである。(イジメの問題はこれが関係することが多いと思う。)東京中心に近代主義的都市空間視覚が支配的なので、これが、日本全体に蔓延する事態になっている。洗脳である。
 とまれ、問題に返ると、近代主義的視覚に対して、心眼があるが、抑圧される。しかるに、今日、心眼である差異エネルギーが賦活されているのである。この点については、これまで、太極原理で説明した。陽極まれば陰に転ずと。
 丁寧に見るなら、これは、自由のエネルギーが陽(同一性)の方向へと展開したが、今や、それが反転して、陰(差異)への方向へと向かっているのではないだろうか。ポスト・モダンである。自由のエネルギーとは、端的には、Media Pointのエネルギーということだろう。【私はイタリア・ルネサンスが新たなMedia Pointの発動と考えているし、プロテスタンティズムも基盤がこれであるが、それが同一性主義(近代合理主義/近代的自我)に傾斜しているのである。つまり、これまで述べてきたように、プロテスタンティズムはルネサンスを否定的に内在しているということでもある。】
 ということで、自由のエネルギーは陰(差異)へと今や転じているわけであるが、問題は、ポスト・モダン様態になっていることである。つまり、同一性主義の枠組みから脱していないのである。そのために、アイロニカルな没入・反動が起こっているのである。ネオコンや小泉構造改革がそうである。また、私見では、サブプライムローン問題もそうである。過剰な同一性主義、ハイパー・モダンが生じているのである。そして、心の病(私は心病と呼んでいるが)の根因もここにあると考えているのであり、また凶悪犯罪の根因もここにあると考えている。確かに、較差問題が引き金になっているとは考えられるのではあるが。
 この、いわば、私がとりわけ若い頃経験した「分裂症」に今日日本が陥っていると考えられるのである。結局、自由のエネルギーは陰や差異へと向かっているのであり、それを実現するには、ポスト・モダンを越えて、トランス・モダンへと転換する必要があるのである。純粋な差異へと転化しなくてはならないのである。結局、同一性主義から「解脱(げだつ)」して、差異(差異共振性、心)へと回帰する必要があるのである。
 簡単に、この「解脱」の方法を理論的に説明すると、第一歩は、同一性と差異とを不連続化することである(不連続的差異論)。それで、自我同一性と自己差異(特異性)が分離するのである。しかしながら、後者の自己差異とは、実は、差異共振性なのである。これを自己測深して感得する必要がある。そして、また、自我同一性と自己差異とが、Media Point(ガウス平面の原点)において、直交していることを認識する必要がある。即ち、自己差異とは、超越的差異なのであり、高次元的自己なのであるという認識の必要である。そして、最後は、自己主体とは、自己差異が主であり、自我同一性は従であると認識会得し、また、実践することであると思う。差異主同一性従、心主我従である。即ち、差異共振的自己が主であり、同一性自我は従であるということである。これが、心眼の復活をもたらすと思えるのである。
 さて、以上が、日本の復活の哲学的鍵である。不思議なことに、それは、日本の伝統への回帰なのである。それは温故知新であり、また、正確には螺旋的回帰なのである。東洋・日本伝統文化への螺旋的回帰なのである。即ち、西洋文化を経由して、東洋・日本伝統文化へと螺旋的回帰するのである。そして、これが、トランス・モダンである。父権統合型新太母文化である。差異共振文化である。
 思うに、私が心眼を復活させたのであるから、共時的に、多くの人にもこれが起こっていると考えられるのである。Media Resonanceメディア共鳴である。宝瓶宮(ほうへいきゅう)[水瓶座]文化期が胎動しているのである。
 
聴く耳を持つものは聴くがいい。


   




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カレンダ
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