INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2008

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2008年12月31日(Wed)▲ページの先頭へ
比較宗教・神秘学:三元論の問題:三一論と絶対三神論:秘密結社問題
以下、インテクジャパン氏が神道とカバラ思想(ユダヤ神秘主義)との共通点を指摘していて、たいへん刺激的である。
 しかし、先に批判したように、「絶対三神」という考え方は認められない。PS理論は三元論であるが、それは、三一論である。いわば、三位一体論である。三巴(みつどもえ)論と言ってもいい。
 これは、端的に哲学の問題であると言えよう。ここで、簡単に説明を試みると、例えば、絶対三神が存したとすると、三者の関係はどうなるのだろうか。絶対的な三元があると、それはどう関係するのだろうか。基本的には、同一性と差異しかなく、交わらないだろう。
 PS理論の場合、+i, -i, (+i)*(-i)の三元性を説くが、それらは、いわば、不可分である。+i があり、-iがあるのである。そして、両者の共鳴態、(+i)*(-i)があるのである。
 また、先に触れたように、キリスト教の三位一体論のドグマの用語、即ち、「父」、「子」、「聖霊」を使用するのは、問題があると考えている。以下の図式では、「父」を中心に置いているが、もし、それらの用語をあえて使用するならば、「父」は+iであり、「子」は-iであり、「聖霊」が(+i)*(-i) である。
 今、暫定的に図式化すれば、+iが「父」であり、-iが「母」であり、(+i)*(-i)が共鳴・共振であり、⇒が「聖霊」であり、+1が「子」である。記紀の高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は「父」であり、神産巣日神(かみむすひのかみ)は「母」であり、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は共鳴・共振ないしはMedia Pointではないだろうか。
 ただし、私は共鳴・共振は原母・元母とでも呼ぶべきではないかと思う。エジプト神話で言うと、イシス(ハトホルでもいいだろう。キリスト教では、聖母マリアか、母の聖アンナではないだろうか。)に当たるだろう。
 とまれ、問題は、共鳴・共振とMedia Pointの関係である。これは、後で検討したい。
 次に秘密結社の問題であるが、思うに、太初において、「神知」を継承する「組織」があり、それが、後代、神官・僧侶階層となったのであろう。しかしながら、私見では、ヒエラルキーは父権社会(国家社会)が生まれてから発生したと思えるのである。それ以前の母権社会では、巫女が「神知」を受託していたのであり、巫女とは母権社会の、臨時的な神官ではなかっただろうか。まだ、後代におけるようには、特殊化していなかったと思う。階級差別はなかったと思われるのである。たとえば、沖縄の伝統儀礼の「イザイホウ」のように。
 とまれ、これからの検討課題ではある。 

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神道がカッパーラの思想に合致している例はいくつも上げることができます。「古事記」の「神代の巻」といえば聖書の「創世記」に当たるものですが、そこにはこの世のはじめに誕生した3人の神が登場します。3人の神は「原初三神」といいますが、明らかに絶対三神のことと考えられます。
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        1.高御産巣日神 ・・・ 御子 → 高木神
        2.天之御中主神 ・・・ 御父
        3.神産巣日 神 ・・・ 聖霊
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 この原初三神のうちで「高」という文字を含むのは、御子に当たる「高御産巣日神」だけであり、さらにこの神は「高木神」ともいわれるのです。「高木」は「高い木」そのものであり、天まで届く木を象徴しているのです。また、神々が住む「高天原」も「高」という字が使われています。
 このように宗教には共通性があるのですが、とくにカッパーラの思想はどの宗教にも見られるものです。いずれも「生命の樹」のようなものがあり、修行によって一歩一歩位階を上に昇っていくのです。そしてその位階ごとに「資格の証明」が果たされた者に対して秘儀が口頭伝承される――その結果、秘儀の秘密を守る組織としての秘密結社が必然的に誕生するのです。

* 漢字にはカッパーラがある(EJ第1866号)

* 三大宗教はつながっている(EJ第1865号)

http://www.intecjapan.com
/blog/2008/12/post_657.html
異文化研修のインテクジャパン

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参考1:

沖縄に伝わる一人前の女性の資格行事

世界各地には一人前と認めてもらうための資格試験のような行事があちこちに存在しています。ただ、その多くは男性の為のものが多く、『勇者』 tikara としての資格試験が多いように思います。

今日は日本の沖縄に伝わる、女性の為の一人前の資格試験 m101 と思われる行事について紹介したいと思います。場所は沖縄の本島から離れた久高島と言うところに伝わる「いざいほう」と言う行事です。

http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/07/000414.html


知られざる人類婚姻史と共同体社会



参考2:
琉球の信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

琉球 の信仰(りゅうきゅうのしんこう)は、琉球(現在の沖縄県 および奄美諸島 。大東諸島 と尖閣諸島 を除く)において土着の民俗信仰、自然信仰として発生した信仰体系を指す。琉球王国 時代には事実上の国教として祭政一致 体制に編入され、現在も民間信仰として定着する、琉球固有の多神教 宗教である。 なお、沖縄(琉球)に自分たちの信仰を意表する単語はないが、ニライカナイ 信仰、御嶽 信仰、琉球神道 とも称される。
全体の概要

琉球の信仰は、祖霊信仰 を核として来訪神信仰、東方(太陽)信仰、おなり神 信仰が混成して形成されたものであり、琉球王国時代に体系化された。

原理としては、太陽神をあがめ、守護神や来訪神のいる異界に豊穣を祈るもので、しばしば祭祀のときに集落を訪れる(と考えられる)来訪神と人間の関係は極めて近しい。また死生観として、魂は神のいる異界ニライカナイ (後述)より来て、死んでまたそこへ帰り、守護神となって集落へ還ってくると考える。このため祖霊を非常に敬い、死後の世界を後生(ぐそー)と称して、これも非常に現世や生者と近しいものとしてとらえている。

具体的な宗教活動としては、集落ごとに祖霊神や来訪神が訪れる自然の聖域である「御嶽 」(うたき)を拝所として設け、神の来訪を祝う神事としての祭り を行い、安全や豊作を祈願したり感謝するものである。また旧暦8月には祖霊が集落、家族のもとへ帰ってくるという、本土の「お盆」と共通した概念を持ち、同様の祭事を行う。なお、祭事の日取りは旧暦を用いる。

祭祀において、行事の一切を取り仕切り、来訪神の依代となるのが集落の神官であるノロ である。琉球では女性を神聖視して、霊力(セジ)を持つ女性をノロやユタ とした。一般に女性は血族の男性の霊的な守護神であると概念しており、これをおなり神 (妹神)信仰という。この考え方は、現在も残っており、各集落のノロ職は、もともとその集落の宗家やあるいは有力豪族の血縁の女性(妹や姉や母)に由来すると考えられ、代々世襲とされているほか、民間のシャーマンであるユタ も多くが女性とされている。

琉球の信仰では、神がいる他界概念としてニライカナイ とオボツカグラを想定する。ニライカナイは海の彼方、あるいは地底にあると概念され、そこは豊穣と命の根源となる異界である。一方、オボツカグラは天空にあると概念される異界である。もともとは国頭地方の信仰と考えられ、琉球王国時代に喧伝されて、王権神授論的な権威付けに用いられた。まとめると、ニライカナイは水平線上の庶民的な、オボツカグラは垂直にある権威的な他界といえる。琉球王国が滅ぼされた現在では、ニライカナイへの信仰が一般的である。

琉球の神は主に「来訪神」と「守護神」に分類できる。来訪神は異界の神であり、平時には人々の集落に存在しないか、御嶽にのみいると考えられる。しかし祭りの時になると異界から集落や集落の御嶽に訪れると考えられている。特に著名な神は、琉球の創造神であるアマミキヨ(アマミク)とシネリキヨや、ニライカナイの最高神である東方大主(あがりかたうふぬし)、国王就任の際に現れるという君手摩 (きみてずり)などであるが、この他にも多数の神がいると考えられている。来訪する神は世界的に島嶼民族に共通して見られ、一般に海を神聖視するが、これは琉球においても同様である。これに関連して、民俗学者の折口信夫 は「まれびと 論」を展開した。 一方、守護神はもともと地域集落の死者の魂=祖霊 であり、ニライカナイで神となって集落に戻ってくるとされ、この神は平時に拝所や御嶽にいると考えられている。また、過去の偉大な功績を残したノロが神とされ、墓地が御嶽となる例が確認される。

琉球の信仰には教義、経典の類は存在しない。すべての指針はノロを介して神より与えられる。人々はただ、定められた時期に必要な祭りを行い、訪れる神と交流するのである。

[編集 ] 琉球の祖霊信仰
亀甲墓

琉球では祖先の霊は一族の守護神として敬われ、墓は「後生の家」すなわち死後の家であるとして、立派なものを作る傾向がある。葬制 は風葬 が一般的だった。これは明治期に禁止されたが、実際は1970年代まで行われていたことが確認されている。遺体はまず崖(パンタ)や洞窟(ガマ)に置かれて自然の腐敗を待ち、3年後に親族の女性が洗骨 して納骨する。崖や洞窟は古来、現世と後生の境界の世界とされ、聖域であると同時に忌むものとされてきた。祖霊を崇める一方で、「死」はあくまで「穢れ」と捉えられているのである。

また、琉球には古来、「七世生神」(しちせいしょうしん/出典:中山世鑑)という概念があり、死後七代祭られた祖霊は神になると信じられていた。神となる死者の遺骨は、それまでの墓から「神墓(くりばか)」という専用の墓に移され、集落の守護神として祭られる。神墓は集落の拝所なのである。

[編集 ] ノロ(祝女)の扱い

琉球では、神と人間を介在する存在として集落の神官であるノロと、民間の在野のシャーマンであるユタがいるが、これらは典型的なシャマニズム に分類できる。前者のノロは、神との交信ができるのみでなく、神をその身に憑依させると考えられている。祭祀において、成り子君と呼ばれる神の憑依したノロは、神と人間の介在者ではなく、まさしく神そのものとして扱われる。これは古代日本神道のいうところの「神がかり」であり、他の宗教の神官とは性格を異にする神官といえる。(詳しくはノロ 参照)

[編集 ] 琉球王国における体系化と東方信仰
斎場御嶽、三庫理(さんぐぅい)

琉球王国 は、祭政一致の政策をしき、琉球各地の類似信仰も吸収、整理統制化した。各地に様々な呼び方をされていた聖域を「御嶽」という呼称に統一し、ノロは階級化され、集落のノロが各集落の御嶽を管理し、地方の豪族領主である按司の血縁の女性をその地域全体のノロを統括する大阿母(神職名)とし、さらに国王の血縁の女性をノロ々々の頂点である聞得大君 とした。

また、琉球王国は太陽神(てぃだ)を最高神とする東方信仰を根幹においた。そして琉球国王 は太陽に重ねて称えられ、ニライカナイの君手摩神の祝福を受け、オボツカグラの神の認証を持つとされて、王権神授論を構成した。ちなみに、琉球王国の進貢船に掲げられた旗は白地の中央に赤い日の丸の日章旗 であり、これは日本本土の武家政権での使用よりも古い可能性がある。(進貢船の派遣自体は14世紀まで遡るが、当初から日章旗が用いられていたかは不明。本土では勘合貿易 の船旗として日章旗が用いられていたことが知られる)

東方には太陽が昇る穴(太陽が穴:てぃだがあな)があると考えられ、その先は神域と考えられた。すなわち東方は太陽のある聖域であり、反対に西方は死の領域と考えられ、忌避された。王国時代の風葬は西方の崖や洞窟で行われた。首里からみて、太陽が登ってくる地平線の真下にある玉城村など四間切は聖地と考えられ、多くの御嶽が集中している。またさらに東方の海に浮かぶ久高島 は琉球王国最高の聖地と考えられ、久高島の中央にあるクボー御嶽は太陽が穴そのものとされていた。以来、久高島は現在に至るまで沖縄最高の聖地として知られている。

また、琉球王国時代には、琉球開闢神話が史書として残された。「中山世鑑」「琉球神道記」などに、日本(大和)の開闢神話 と酷似した神話が記録されている。開闢神話において、琉球は天帝(日の大神、太陽神)によってアマミキヨ、シネリキヨの二柱の神によって土地を造成され、島となり、それから琉球開闢七御嶽(御嶽 (沖縄) の項目参照)をつくり、島に人間を放ったとされている。

また、琉球王国は先島を勢力下に収めるたびに、この信仰をその地に広め、現地にノロや司(つかさ:八重山 のノロ職名)を置いている。しかし基本的に間接統治であったため、現地の信仰の多くもそのままに残され、御嶽のような形式がその地域の信仰に取り込まれていくこととなった。ただし、王国と敵対したオヤケアカハチ が信仰していた八重山地方のイリキヤアマリ神信仰のように、滅ぼされた信仰も存在する。

琉球王国では、その王統が伊平屋・伊是名島に由来することから、伊平屋・伊是名の神を王国の守護神として王府首里に勧請した形跡が伺える。一例として、国王巡礼の守護神となっていた有名な園比屋武御嶽 の神が、元々は伊平屋の神であったことがあげられる。また、聞得大君の神名である「しませんこ あけしの」は、もともと国頭地方勢理客の御嶽の神名であることがわかっている。

[編集 ] 信仰の由来
沖縄の仏壇(ぶちだん)

琉球の信仰は琉球で自然発生的に生まれたと考えられている。いつ頃発生したかは史料が皆無であるため明確ではないが、7世紀にはすでに原型はあったと考えられている。 ノロ、ユタが原始的な世襲型、召命型のシャマニズム であること。御嶽は古代集落が原型と考えられ、御嶽信仰は祖霊崇拝が変化したものと考えられること。また、おなり神信仰は、古代の母系社会や女性上位社会の変化と考えられること。これらのことから、専門家の間では、琉球の信仰は古代信仰の形式をとどめていると考えられている。

[編集 ] 日本神道との類似性

琉球の信仰には、全体的に古代の日本神道 と多くの共通点が見られ、琉球の信仰と日本神道は、祖を同じくすると思われている。

その核となる祖霊崇拝、来訪神といった琉球の信仰の特性は「古事記 」「日本書紀 」といった史料と照らしても、日本神道と非常に似通っている。一例として、柳田國男 がニライカナイを根の国 と同一のものであると指摘し、共に常世 信仰であるとしていることが挙げられる。

しかし、琉球の信仰と日本神道とでは、その共通部分において日本神道側に形骸化しているものが多い。一例として、古代日本では卑弥呼 に象徴されるようにシャーマンは女性であったが、現在では神職 は男性が主流であり、巫女 はその補佐役となっている。一方、琉球の信仰では現在もノロやユタといった神職は原則として女性である。また別の例として、古い御嶽のように拝所を自然の場所自体として社やご神体を設けない形式は、古代日本においてもそうであったが、現在の日本神道ではこうした自然拝所は三輪神社 など一部に名残をとどめるのみである。(現在の御嶽には鳥居 や社の設置も一般的に見られる。御嶽 (沖縄) の項目参照)

こうしたことから、琉球には日本本土の古代信仰の形態が今も残っているというのが多くの民俗学、宗教学の識者の一致した見解であり、南西諸島の各地で行われる祭事は、本土の学者からも調査の対象となっている。

[編集 ] 音楽文化への影響

琉球の祭祀でノロたちによって読み上げられるウムイ、クェーナ、ミセセル、ティルルといったいわゆる祝詞 は、琉歌 の原型と考えられている。琉歌の特徴である八・八・八・六(サンパチロク)の節が、これら祝詞の文節と共通するためである。琉歌はその後、琉球民謡へと変化し、現在の沖縄音楽の基礎となっている。

[編集 ] 先島の来訪神信仰

以上の信仰は沖縄本島を中心に発達したと考えられるが、本島とは別の生活圏として発達した先島 では、それぞれ独自の宗教も存在した。そのいくつかは、地域が琉球王国に併合された後も排斥されることなく現在も残っており、地域の御嶽を中心に祭りを行っている。

主なものとしては宮古島大神島の大神御嶽を中心に行われる「祖神祭」(ウヤガン)、同じく島尻で行われる「パーントゥ・プナハ」、八重山全域でみられる「アカマタ・クロマタ 」、石垣島群星御嶽で行われる「マユンガナシ」などがあげられる。いずれも秘祭として部外者禁制を敷いているものが多い。特にウヤガンをのぞく祭りは、いずれも異形の来訪神を迎える祭りであり、祭事には来訪神に扮した(あるいは来訪神そのものとして)仮装で集落を徘徊するというような儀式がみられる。また、これら異形の神々もニライカナイと同じ概念の異界から訪れるものと考えられている。

また、琉球王府の統治時代よりノロ制度が導入された奄美諸島 では、現在も残るわずかなノロを中心に、やはりニライカナイからの来訪神を迎える豊穣祈願などが行われている。有名なものとしては龍郷町 秋名の「平瀬マンカイ」がある。また、祖霊を迎える三八月(ミハチガツ)と呼ばれる旧暦8月中旬の三日間のお盆祭りでも、ノロが祭祀を取り仕切る地域がいくつもみられる。

[編集 ] 関連項目

* 琉球王国
* 御嶽 (沖縄)
* おなり神
* ノロ
* ユタ
* 聞得大君
* ニライカナイ
* 神道
* イザイホー
* シャーマニズム
* 琉歌
* 久高島

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カテゴリ : 琉球の信仰 | 民間信仰


2008年12月30日(Tue)▲ページの先頭へ
同一性と物質:その3:再考:内的視覚と外的視覚の関係:前者のイデア的記憶・記録性とアカシャ年代記
先に、「Media Point とは物質であり、且つ、物質ではない。内的視覚であり、且つ、外的視覚であるが、それらは即非関係であるということになる。」と述べたが、そうすると、内的視覚(ヴィジョン)と外的視覚(イメージ)との関係が不明瞭になるので、再検討したい。かなり複雑な問題なので、単刀直入、直感思考でいきたい。
 内的視覚が外的視覚を形成するとしよう。内的視覚は同一性志向性をもち、それが、外的視覚(同一性=視覚器官=物質)となるのである。しかし、同時に、内的視覚とは、Media Point を起点(基点)にしているので、そこには、超越性の視覚(超越的視覚)があると考えられる。即ち、陽光は、超越的光とも感知・知覚されるのである(だから、太古の太陽崇拝や神道とは、トランス・モダン科学的な要素があると言えよう)。
 さらに、内的視覚には、造形力(想像力)があると言えよう。例えば、小説を読んでいると、言葉を介して、情景が想起・喚起されるが、その情景形成力が造形力である。それは、内的視覚によると考えられるのである。それは、私見では、夢の造形力と一致すると思われる。この内的視覚の造形力も、同一性志向性と共通すると考えられる。(それは、ひと言で言えば、ファンタジー力であろう。)
 とまれ、そうすると、内的視覚(ファンタジー力)が外的視覚(イメージ力)を形成するのであるが、この関係は先に述べたように、即非関係であるということになる。連続性(同一性)と不連続性(差異・特異性・差異共振性)の即非関係である。
 この即非関係を、同一性=物質を含めて見るとどうなるだろうか。すると、内的視覚は同一性=物質であり、且つ、非同一性=非物質ということになるだろう。言い換えると、内的視覚は身体であり、かつ、身体ではないということである。(思うに、メルロ=ポンティの視覚的身体論は、この内的視覚の視点から見ると、明晰になるだろう。私見では、メルロ=ポンティは、内的視覚と外的視覚を混淆していて、その点で不分明なのである。)
 結局、この点がこれまでの身体論で不明晰であったと思う。広義のポスト・モダン哲学は、身体論ないしは身体性に注目したが、それは、内観と外観が混淆していたと考えられる。換言すると、精神と物質が混淆していたのである。例えば、ドゥルーズが説くスピノザ哲学の身体性であるが、それは、精神性と結びついた身体性であるから、物質と精神が混淆していると言えるのである。【追記:スピノザ哲学、いわゆる、心身並行論であるが、それは矛盾していると考えられる。記憶があいまいであり、誤解(勘違い)を恐れずに言えば、スピノザの身体には、精神が入っているのであり、精神と身体が融合しているのである。しかしながら、心身二元論を前提にしているのであるから、それは、前提と矛盾することになるのである。とまれ、PS理論から見ると、スピノザの心身並行論とは、精神主/身体従の即非論によって、発展的に吸収されると考えられる。即ち、PS理論では、精神⇒身体であり、精神・即・身体であり、且つ、精神・非・身体、換言すると、精神・即非・身体なので、精神が身体へと影響することが、明瞭に理解されるのであり、また、精神と身体(物質的身体)とは不連続なので、精神が身体を完全に支配するということはなく、言わば、身体の相対的な物質的自立性があるのである。
 援用して言えば、この不連続性があるために、いわゆる、霊的治療とは胡散臭いのである。物質的身体の相対的自立性があるのだから、物質的身体の治療が必要なのである(西洋医学)。しかしながら、そうとは言え、身体(物質的身体)は、精神の終端なのであるから、精神的治療も必要となるのである(東洋医学)。だから、西洋医学と東洋医学の相互補完的な医学、いわば、中洋・両洋医学が必要である。】
 だから、PS理論的には、身体は同一性=物質に限定するのが明確なのであり、精神と混淆すべきではないのである。ただし、精神が身体と化し、且つ、身体とは不連続であるという即非性においてである(だから、精神が物質となるのであり、また、物質とは不連続であるということである。これが、PS理論的イデア論である。)。(追記:PS理論的身体論については、言い足りないので、後で補足したい。)
 では、さらに考察を展開すると、外的視覚=同一性=物質は常に解体して行くのであるが、その知覚の記憶・記録はどこに保管・保存されるのだろうか。
 視覚に限定すれば、外光が外的視覚を刺激するが、その刺激(エネルギー)は、当然、内的視覚においても感受・感知されると考えられる。内的視覚に感受・感知されるとはどういうことだろうか。
 この問題は精緻に検討する必要があるが、ここでは予見を述べておくに留めたい。おそらく、内的視覚の構造は変わらないが、内的視覚の構成が変化するのではないだろうか。外的視覚に対応して、内的視覚の構造内の構成が変化して、感受・感知するのではないだろうか。そうして、内的視覚は外的視覚を記憶・記録するのではないだろうか。
 そうすると、内的視覚とは精神・イデアであるから、外的視覚とは、精神・イデアに記憶・記録されるということになる。そうならば、現象界(現実世界)は、イデア界に記憶・記録されることになるだろう。精神波動(イデア波動)として、記憶・記録されることになると考えられる。そうすると、シュタイナーのような神秘学者が説くアカシャ年代記のその部分においては、説得力のあるものとなるだろう。また、精神・イデアは過去だけでなく、未来にも通じるのであるから、アカシャ年代記の未来予知性も説得力をもつことになろう。ただし、精神・イデアないしは精神界・イデア界を読解するというのは、リスクがたいへん大きいだろう。


同一性と物質:その2:+1=同一性=物質:MPは物質であり、且つ、非物質である
自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1で考えよう。
 ⇒+1が同一性であり、+1が物質であるとは、先に述べた。だから、物質はエネルギー放出後に生じるものであると言える。先に、私は⇒+1を同一性、+1を物質と呼んだが、+1を同一性と呼んではいけないのか。
 そうなると、⇒+1は同一性志向性であり、+1=同一性=物質となる。
ここは微妙なところである。私は、個体は本来、特異性であると考えている。そうすると、どういうことになるのか。+1=同一性=物質と仮定するなら、そこには、⇒が潜在しているということになるだろう。それは、Media Point が潜在しているということである。そして、特異性とは、Media Point のことであるから、個体が特異性であるとは、潜在するMedia Point を指していると言えよう。
 そうならば、同一性=物質とは、Media Point のエネルギー放出後の「形式」であると言えよう。言い換えると、同一性=物質とはMedia Point の、いわば、「外縁」、「表皮」、「外殻」である。そして、これが、現象の形象であろう。
 だから、普通眼にする物質とは、Media Pointの、いわば、エンテレケイアである。終端である。
 そうすると、問題は、内的視覚と外的視覚の関係である。今の視点で言えば、内的視覚とは、同一性投影であろう。そして、その帰結が外的視覚であり、同一性=物質と等価ではないだろうか。
 端的に言えば、身体的視覚とは何か、物質的視覚とは何か。物質的身体とは何か、ということである。今の考察の視点から言えば、それらは、Media Point の外縁・終端・末端である。
 しかし、Media Point とそれらは区別されなくてはならない。即非的不連続性があるということである。だから、Media Point とは物質であり、且つ、物質ではない。内的視覚であり、且つ、外的視覚であるが、それらは即非関係であるということになる。
 ここから、同一性主義は簡単に説明できる。それは、同一性=物質をMedia Point から切り離して、独立させる思考である。今はここで留める。


2008年12月29日(Mon)▲ページの先頭へ
アンチ・小泉/竹中路線と差異共振共同体資本経済へ:精神経済哲学=PS理論の視点
路線を旗幟鮮明にすべきである。アンチ・小泉/竹中亡国売国路線のを押し出し、差異共振共同体資本経済へと転換すべきである。
 また、無差別殺傷事件であるが、これは、精神経済哲学の視点から見るべきである。新自由主義路線と精神力学が融合して、精神経済問題が生じたのであり、これは、精神経済哲学=PS理論の視点から分析されるべきである。



ニート、引きこもり増加食い止め 「若者支援新法」制定へ

12月29日8時1分配信 産経新聞

 ■「地域協議会」中核に訪問相談

 ニートや自宅に引きこもっている若者の存在が社会問題化している中、こうした若者の自立や社会参加、就労を官民連携で支援するために、政府が「若者支援新法」(仮称)を来年の通常国会に提出する方針を決めたことが、28日分かった。急速な景気の悪化で非正規労働者らが解雇されるケースが相次いでいることを受けて、今後のニートや引きこもりの増加に備えるねらいもある。

 これまでのニート対策では、厚生労働省が各地域に設けた「地域若者サポートステーション」を通じて若者の相談に応じている。ただ、引きこもりの若者は自らステーションに足を運ぼうとしないため、実態はほとんど把握されていない。

 こうした現状を踏まえ、麻生太郎首相は9月の所信表明演説で「困っている若者に自立を促し、手を差し伸べるための新法も検討する」と表明した。

 また、政府は年末に青少年育成施策大綱を改定し、地域で官民の関係機関による支援ネットワークの整備▽情報を関係機関間で円滑に共有するための仕組みの整備▽若者や保護者に対する訪問支援(アウトリーチ)の実施−などへの取り組みを掲げていた。

 新法はこの大綱をベースとして、冒頭に、社会的自立に困難を抱える若者の支援は「国や地方自治体の責務」だと規定する。

 支援の中核機関として、自治体の担当部署や青少年相談センター、教育委員会、民間非営利団体(NPO)、ハローワーク、医療機関、警察などで構成される「地域協議会」を設置する。

 地域協議会は、各機関の情報を集約して、ニートや引きこもりになっている若者がどこにいるかを把握し、専門相談員「ユースアドバイザー」や医師、保護司らが自宅を訪問する。こうした活動を繰り返す中で、引きこもりの原因を探って、社会参加への計画を策定。コミュニケーション能力を回復させる方向へと導くとともに、就業体験に参加できるように協力し、同居する保護者への助言なども行う。

 政府は新法の成立後、若者支援のためのより細かい実施計画をまとめる予定だ。

                   ◇

【用語解説】ニート

 「通学せず、仕事に就かず、職業訓練も受けていない」という意味の英語の頭文字(NEET)を取った略語。明確な定義があるわけではないが、平成20年版「青少年白書」によると、家事も通学もしていない15〜34歳のニートは19年で62万人いるとされる。一般的には、ハローワークに通うなどの就職活動を行う「失業者」や、アルバイトなどを行う「フリーター」とは区別される。

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http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20081229-00000054-san-soci



理不尽 相次ぐ無差別殺傷 社会で孤立、人生に嫌気

12月29日8時3分配信 産経新聞

理不尽 相次ぐ無差別殺傷 社会で孤立、人生に嫌気

拡大写真

秋葉原の連続殺傷事件の現場となった交差点で救命活動する警察官や消防隊員=6月8日(鈴木健児撮影)(写真:産経新聞)
 茨城県土浦市で3月、8人が殺傷された事件をはじめ、6月の東京・秋葉原で17人が殺傷された事件など今年は「無差別殺傷事件」が相次ぎ、何の罪もない人々が次々に襲われた。1〜11月の通り魔事件の死傷者数は42人で過去最悪となった(警察庁まとめ)。一方、11月には「逆恨み」的な動機から元厚生次官を狙った連続殺傷事件も起きた。凄惨(せいさん)な事件から浮かび上がるキーワードは“理不尽”だ。

  ■写真で振り返る■ 秋葉原通り魔事件

 ≪誰でもよかった≫

 「駅に着いて7、8人殺そうと思った。悪いとは思っていない」。JR荒川沖駅(茨城県土浦市)で8人を殺傷した金川真大被告(24)はこう供述した。

 金川被告は当初から無差別殺傷を計画していたわけではなかった。最初の“ターゲット”は妹だった。「母に口答えする妹に腹が立った。妹を殺すつもりだったが、家にいなかったのでやめた」。この理由で金川被告は予定を変更。家を出てたまたま見かけた男性(72)を殺害し、4日後には8人を殺傷した。

 この事件を意識したとされるのが、秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤智大被告(25)。事件4日前、携帯サイトの掲示板にこう書きこんでいた。≪高校出てから8年、負けっぱなしの人生 悪いのは俺なんだね≫≪土浦の何人か刺した奴を思い出した≫。

 自動車工場で派遣社員をしていた加藤被告は、「派遣切り」の恐怖にもおびえていた。自らが置かれた境遇に不満を募らせていた様子もうかがえる。携帯サイトの掲示板にはこうもつづっていた。≪私、6月でクビだそうです≫≪300人規模のリストラだそうです やっぱり私は要らない人です≫。

 経済低迷や雇用不安といった社会情勢も加藤被告の社会への不満を増大させていった。リストラの予感を抱いていた事件の3日前、加藤被告の作業服が勤務先のロッカーからなくなった。結局みつかったものの、加藤被告は隠されたと思い込み、職場に顔を出さなくなった。無断欠勤したことのなかった加藤被告の「理不尽な境遇」との思いは、作業服の件で一気に膨れあがった。

 「周囲からの孤立感を深め、携帯サイトへの書き込みでも無視された不満が怒りへと変わった」。捜査幹部はこれが、秋葉原事件の動機とみている。

 ≪理解不能な恨み≫

 犯人が供述した動機が「逆恨み」だったのが、元厚生次官ら連続殺傷事件。

 宅配便を装い、さいたま市の元厚生次官、山口剛彦さん(66)夫妻を殺害し、翌日には同じ手口で東京都中野区の吉原健二さん(76)の妻、靖子さん(72)を刺傷。山口さんと吉原さんは現在の年金制度の基礎を築いた元厚生官僚だったことから、「年金テロ」との見方もあったが、逮捕された小泉毅容疑者(46)が口にした動機は全く違っていた。

 「34年前に保健所で殺された愛犬のあだ討ち」

 小泉容疑者の供述はいまも一貫している。動物の処分は旧厚生省の管轄ではないが、小泉容疑者は34年間、愛犬「チロ」を殺された恨みを旧厚生省に募らせてきたのだという。

 さいたま地検は「動機と犯行の間に飛躍がある」として、精神鑑定のため鑑定留置を請求した。「飼い犬の恨みは官僚への憎悪を人に説明するためのきっかけにすぎない。官僚自体へのねたみもあるのだろう」と捜査幹部。いずれにしても、逆恨みであることに変わりはない。

 ≪「複数殺せば死刑」≫

 殺傷事件の犯人の動機はさまざまだが、社会から孤立感を深めていった点は共通している。「生きていることがつまらなくなった」と語ったのは金川被告。定職にも就かず、高校を卒業したころから人を殺して死にたいと思うようになったという。「複数殺せば死刑になれると思った」とも。

 加藤被告も現実の社会に溶け込むことができず、「唯一の居場所」として逃げ込んだネット上の書き込みサイトでも相手にされなかった。事件後の調べでは、周囲や社会が悪いとしたうえで「自分の人生がいやになった」と供述した。

 コンピューター会社の派遣社員で一時は月50万円以上の収入があったという小泉容疑者も「友人は1人もいなかった」といい、社会から孤立していた。「人生に未練がなくなった」とも供述している。

 犠牲者が命を失った理由が、孤立感や人生へのあきらめという身勝手なものではとても浮かばれない。警察幹部は「経済状況の悪化により同種の事件の増加も懸念される」と話す。

【関連ニュース】
・ 無差別殺傷の研究に着手へ 法務省 受刑者に聞き取りも
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・ 【続・17人殺傷の衝撃(上)】理不尽さ分からぬ被告たち
・ 八つ当たりで無差別殺人犯 頻発する“歪んだ自己愛”
・ 心に変化…「後悔してる」 秋葉原通り魔1カ月
http://headlines.yahoo.co.jp
/hl?a=20081229-00000053-san-soci



2008年12月28日(Sun)▲ページの先頭へ
同一性主義の心的メカニズムの発生:同一性主義と反同一性主義の「中」の知恵
これまで、本件については、縷々述べてきたが、差異の排除のもつ反感(ルサンチマン:思うに、クリステヴァのアブジェクトという概念の方がいいのかもしれない)のメカニズムの意義を検討したい。
 同一性エネルギーないしは同一性志向性は自己同一性を形成するが、そのとき、一般に、それは、連続化されやすい。この力学はどう説明できるだろうか。
 Media Point から同一性志向性が発生し、自己同一性(自我)が形成されても、本来は、Media Point の差異が存しているのである。しかし、差異と自己同一性(自我ないしは同一性)は並存するが、両者は対立・矛盾する様相にあるのである。人類の精神が必然的に抱える根本的問題である。
 近代以前においては、人類は、差異を形而上学的に捉えてきて、それを中心化して、自己同一性を劣位においてきたと一般には言えよう。つまり、宗教性が優位であり、世俗性が劣位である。中世がそのような精神世界である。
 しかし、西洋においては、南欧のイタリア(南仏説もあるがそれはおいておく)において、ルネサンスが生まれて、そのヒエラルキーが解体して、自己同一性が優位化する世界観が誕生したと言えよう。しかしながら、それは、Media Point の新たな活性化であり、そのときには、差異が賦活されていたのであり、単に、自己同一性が優位化したわけではなかったと考えられる(私は、プロト・モダンと呼んでいる)。
 近代とは、自己同一性エネルギーが活性化した時代であり、これが、一般においては、近代合理主義/近代的自我(自己同一性主義、連続的同一性主義)を形成して、差異を徹底的に排除する結果となったのである。
 ということで、近代とは、賦活されたMedia Point における自己同一性エネルギーの時代と哲学的には言える。これが、差異と同一性の混淆的様態である。しかし、近代主義とは、Media Point や差異を否定・排除・隠蔽したのである。(換言すると、近代主義とは、近代性を否定しているのである。)
 この差異を否定する自己同一性主義(簡単には、同一性主義)の発生について、再考したいのである。
 自己同一性志向性(以下、同一性志向性)とは、本来は、差異共振によって放出されるものであると考えている。即ち、自己と他者との共振・共鳴によって、同一性志向性が発生するのである。しかし、この同一性志向性が源泉の差異共振性を否定・排除・隠蔽する心的事態が、自己同一性主義(同一性主義)である。
 この事態は、同一性志向性が、同一性事態にいわば固定してしまい、源泉を否定することである。同一性事態とは、端的には、物質である。だから、同一性主義とは、同一性志向性が物質に固定してしまった事態であると言える。だから、正に、物質主義、唯物論化である。
 いったい、これは何を意味するのだろうか。同一性が物質に固定・固着・凝固するというのは、思うに、物質的欲望に偏執しているということである。だから、考えられる原因として、物質的欲望が渇望化しているということが考えられる。単純に言えば、飢渇化である。そうなると、精神は、物質的渇望ないしは飢渇に支配されるようになる。だから、これは、物質への同一性化であり、物質的同一性主義化と言えよう。そして、これこそ、唯物論の起因であると考えられる。
 このとき、自己同一性(自我)は物質的自己同一性(物質的自我)となり、絶対的に差異・他者を否定・排除・隠蔽する存在である。それは、端的に言えば、差異・他者を殲滅せんと暴力を振るい攻撃する「悪魔」的存在である。いわば、唯物論的悪霊である。もちろん、狂気でもある。【P.S. ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』(Heart of Darkness)のクルツ大佐の言葉を想起するといいだろう。「何とぞ、(アフリカ人を)殲滅せよ。」】
 ということで、同一性主義化とは、物質的渇望や飢渇によって、自己同一性が物質に固定したことから発生するということである。そう、単なる渇望や飢渇というよりは、それが永続化して、正気を失った様態と考えられる。
 通常、渇望や飢渇があっても人間は耐えるものであるが、忍耐の度を越す、極端な物質的渇望や飢渇が生起すると、同一性主義(唯物論)が発生すると考えられる。
 そして、私の直感では、これが、一神教の形成を促したのである。狂気の同一性主義(唯物論)が発生すると、そのとき、人間は、渇望と飢渇の充足を希求するための神を必要とするだろう。そのとき、同一性志向性は一神教化されると思われるのである。つまり、一神教の神とは、悪魔・悪霊であるということになるだろう。あるいは、唯物論の神である。Material Godである。ヤハウェとは、そのような神だと思われるのである。利己主義、暴力・狂気、悪魔・悪霊、唯物論の神ということになる。端的に、邪神、魔神である。(グノーシス主義が、創造神デミウルゴスを邪神と呼んだことを考慮すべきである。)
 また、父権主義もここに関係すると考えられるのであるが、それはおいておく。
 さて、先に述べた悪魔論をここで考えてみたい。同一性志向性が物質へと固定したときが同一性主義であり、この「悪魔」がアーリマンとなる。では、先に反同一性主義である述べたルシファーはどうなるだろうか。
 これは、同一性主義を破壊する「悪魔」である。物質化を否定する「力」である。(今、想起したのは、三島由紀夫である。彼の精神は、ルシファーではなかっただろうか。自分自身の肉体を破壊したのである。三島由紀夫の精神の力学とは、アーリマンVSルシファーではなかっただろうか。彼に欠けていたのは、真正なMedia Point であろう。また、思うに、グノーシス主義もその面がある。この世を否定する志向をもっているからだ。)
 物質を否定する精神であるが、その力学は如何に。ここにはなにか貴族的なものがある。物質という「卑賎さ」を否定する力学がある。プライドがあるだろう。仏陀の精神にも、なにか、ここに通じるものがあるだろう。また、観念論に通じるものがあるだろう。
 いったい、それは何か。今の直感で言えば、原Media Point 性である。あるいは、イデア性である。同一性志向性へと展開する以前のMedia Point 性である。ある意味、非常に原始的な精神である。「神」=イデアに近い精神である。
 そのために、同一性志向性は弱く、身体・物質性に対して、反発・反感をおぼえるのではないだろうか。端的に言えば、イデア的であるために、物質に反感をもつ精神である。そう、プラトンにもこの精神があるだろう。神秘主義の精神と言ってもいいだろう(ウィリアム・ブレイクの神秘主義はそのようなものである。反唯物論である。)。ある意味で東洋精神である。
 しかしながら、反同一性主義=ルシファーは、それ以外の否定性があるだろう。思うに、物質主義的現実に対する反感(ルサンチマン)があるのではないだろうか。物質主義的な醜悪な現実に対するラディカルな嫌悪感があるのではないだろうか。現世からのエクソダスを願うだろう。
 以上のように考えると、同一性主義(アーリマン)と反同一性主義(ルシファー)は正反対の「悪魔」と言えよう。もっとも、これは、心性様態である。
 さらに展開すると、両者の極端なあり方を避けて、「中」の様態が希求されるべきものとなるだろう。思うに、大乗仏教はこの「中」的様態の知恵を探究したと言えるだろう。有名な般若心経であるが、色が色主義(同一性主義=アーリマン)にならないように、それは、空であると言う。しかし、空に囚われると、空主義(反同一性主義=ルシファー)となるから、反転して、空は色であると説くのである。色と空との「中」が般若であると考えられる。だから、般若心経とは、空の教えではないと言えよう。「中」の教えである。(そして、これが、即非の論理に帰結すると言えよう。)

追記1:同一性主義のもつ極端な排除性には、強烈な感覚的排除があると最初思っていて、その原因を考えようとしていたのであるが、それには言及できなかったが、その理由は簡単である。同一性主義は、物質・身体へと偏執的に固定化するのであるから、感覚欲望中心主義となり、感覚の快・不快の二元論が強固であり、この点で、感覚に基づく差別性を、同一性主義は強くもっていると言えよう。
 思うに、印欧語族の同一性主義であるが、カースト等の階級制度を強固に形成するが、それは、この感覚の快・不快の同一性主義=二元論に拠ると考えられるのである。
 その点、オバマ次期米国大統領の出現はエポック・メイキングである。やはり、トランス・モダン・エポック=差異共振文明の黎明である。もっとも、厳しく、恐ろしい黎明ではあるが。

追記2:プラトンの説くコーラについて、後で検討したい。コーラはほとんど、「中」やMedia Pointと共通するものがあると思う。また、デリダの『コーラ』は興味深い。どうも、デリダがMedia Pointに接近しているように思えるのである。


エネルギーと物質:現象・自然の「アトム」とは何か:イデアか物質か
一見、PS理論に似ているが、どうも、唯物論的な趣も感じられる。即ち、

「アインシュタインの

E=mC2  ・・・・・ (1式)

これは 見えないエネルギー(E)とは物質(m)と同じだよ、諭してくれます。」

と述べている点にそう感じるのである。後で検討したい。

追記:これは、やはり、唯物論的意識(精神)論だと思う。中沢新一の霊的唯物論やヌース理論に通じるように思えるのである。
 簡単に言えば、PS理論のMedia Pointのイデア⇒物質変換回路がないと考えられる。即ち、ドゥルーズ哲学と同様に、連続論なのである。
 Media Pointにおける不連続的変換が根本的なのである。

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意識速度が速いと・・・?
ドブロイ波といって、その波長は λ=h/p=h/(mV)と表現される波動もあって、
速度Vで運動する物質mからの物質波動です。 h はプランク定数です。


電子は 9.11×10-31乗 Kgの重さで、電子の速さ、Vは凡そ光速と同じくらい。

地球は6.06×10の24乗Kgで、地球の自転速度は毎時1600Kmくらいです。
電子より圧倒的に地球の重さのほうが大きいですから、地球のドブロイ波(物質波)の物質波長は電子波長などに較べて途方もなく巨大な波長となります。


物質波だから重力と絡めて論議することもありますが、個人的には意識のもつ光速性からドブロイ波は、意識とは全く別の次元かと思います。
http://subtleeng.thd-web.jp
/e8930.html
鈴木 俊輔 の サトルの泉


2008年12月27日(Sat)▲ページの先頭へ
資本主義哲学が必要である:資本主義には差異共振性と同一性主義の相克があるのである
これまで、PS理論の視点から資本主義を分析してきたが、今の「大恐慌」は、その分析通りである。同一性主義金融資本(狂気に支配されているが)が崩壊して、今や、差異共振主義資本自然社会経済へと向かうトランス・モダン・エポックに入ったのである。
 これについては、また、あらために考察を行いたい。

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内部留保とは

※ 有権者 失業で「格差社会」実感
http://mytown.asahi.com/kanagawa
/news.php?k_id=15000120812220001

>「今回のことで、国が困っている労働者を助けられないことがよくわかった。もう自民党には期待しない」
 そうは言っても、格差社会の引き金を引いた小泉改革は国民挙げて支持していたわけですから。
 ただ、私は自民党だけの責任じゃないなと思うのは、トヨタ&キヤノンが人切りを始めた時、小沢さんはもっと明確に麻生さんを糾弾すべきだったんですよね。あんたは、経団連の会長と前会長の会社があんなことをするのを許すのか、みんな右へ倣えをしてこれから大変なことになるぞ、と麻生さんを糾弾すべきだった。
 でもあそこでは、民主党の危機感も薄かっただろうし、広報戦略上のミスがあったような気がしてならない。敢えて言えば、政府の無策はいくらでも歓迎しますよ、みたいな甘えが民主党にもあったよう気がする。
http://eiji.txt-nifty.com/
diary/2008/12/post-6c01.html

大石英司の代替空港

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指標最悪 「大恐慌」のサイン 「非正規」失職8万5000人

12月27日10時1分配信 フジサンケイ ビジネスアイ

 年の瀬を迎え、景気は一段と厳しさを増してきた。26日発表された11月の経済指標は、鉱工業生産指数が過去最大の下げ幅を記録するなど軒並み悪化した。企業業績の悪化が雇用や消費にも波及。厚生労働省の調べでは、非正規労働者の「雇い止め」が8万5000人にも達した。サラリーマンの給与支給額は減少し、家計は出費を抑え、生活防衛に躍起だ。失業者の増加はさらに経済を下押しする“負の連鎖”につながる。「平成の大恐慌」に突入しかねない危険な予兆が表れ始めている。

 ≪鉱工業生産急降下≫

 「ほんの数カ月の間で、つるべ落としみたいな急激な変化はかつて経験したことがない。未知の領域に入ってしまったようだ」(NTT東日本の江部努社長)「100年に1度どころか、かつて誰も経験したことのない景気悪化だ。2009年がどうなるかなんてまったく予想できない」(富士通の野副州旦(のぞえくにあき)社長)

 谷を転げ落ちるような景気悪化のスピードの速さや谷の深さに、経営者たちは戸惑いを隠さない。企業は工場の操業を一時ストップするなど減産に踏み込み、非正規労働者を契約解除するなどリストラを急いでいる。

 11月の指標をみると、鉱工業生産指数(2005年=100)は、前月に比べ8.1%も低下した。1953年までさかのぼってもこれほどの落ち込みを経験したことはない。所得・雇用環境も悪化の一途をたどり、有効求人倍率(季節調整値)は前月を0.04ポイント下回る0.76倍と、04年2月以来の低水準だ。完全失業率(同)は3.9%まで上昇した。製造業の残業時間は前年同月比で2割減少し、給与の減少につながっている。

 ≪自動車不況+円高≫

 非正規労働者の契約解除にいたっては、わずか1カ月足らずで3倍近くも増えた。トヨタ自動車は新規採用凍結や契約満了などで、今年3月時点で月平均約8800人いた期間従業員を9月に約6800人まで減らした。さらに11月末時点では約4700人。これを来年3月末までに3000人程度にまで削減する。

 自動車は輸出産業の「代表選手」だけに、景気悪化に伴う世界的な自動車不況に加え、1ドル=90円前後で推移する超円高にも苦しめられている。「円高が経営上の問題、そして雇用の問題につながっていく。円高が止まらないと雇用を守る前に会社が守れなくなる」と日産の志賀俊之COO(最高執行責任者)は苦しい胸の内を明かす。日産は来年3月末までに、派遣社員2000人との契約をすべて打ち切り、非正規社員はゼロになる。

 景気後退の影響が波及するのはこれからという業界も多い。建設業は受注済みの案件も多く08年、09年度業績への影響は少ないが「受注減の影響が10年以降に出てくる」(宮本洋一・清水建設社長)。運輸業界も「自社から需要を創出することは難しく、不況の波は他産業から半年か1年遅れて押し寄せる」(日本郵船の宮原耕治社長)。今後の市況悪化を見通し三井住友建設は来年1月から45〜58歳の社員を対象に約250人の早期退職者を募集する。同社は「来年以降の受注減少に備えて先手を打つ」と説明する。 

 好調なマンション需要を背景に業績を伸ばしてきた不動産業界も市況悪化による雇用の過剰感が急速に広まっており、最大手の大京は今月、分譲マンション事業の縮小に伴う希望退職者の募集を実施する予定だ。雇用の悪化はまだ始まったばかりで、さらに広がりそうな雲行きになっている。

 ≪家計は節約モード≫

 雇用悪化が経済に与える影響は大きい。家計は消費を抑え、モノが売れなくなる。11月の家計調査では2人以上世帯の消費支出は実質で前年同月比0.5%減り、節約志向が強まっている。全国の消費者物価指数(05年=100)は、変動の激しい生鮮食品を除く総合で前年同月比1.0%の上昇にとどまった。前月に比べ0.9ポイントも下回り、伸び率は急速に落ちている。流通業界では生活防衛意識を強める家計に苦慮。円高還元セールなど安売り競争が激化し、物価が持続的に下落するデフレスパイラル再来を懸念する声もある。

 失業者の増大によって、住宅ローンなどの貸し倒れが広がれば、日本にも米国のような金融危機が起こりかねない。

 「町には失業者があふれ、村では娘を身売りする農家が増えた」。1930年代の昭和恐慌はこんな言葉で表現されたが、平成の時代に似たような状況が起こりつつあるようにみえる。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20081226-00000011
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「架空資産バブル」の崩壊はこれから、BISの積極関与も必要

12月26日16時33分配信 ロイター

「架空資産バブル」の崩壊はこれから、BISの積極関与も必要

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 12月26日、各国中銀や政府を挙げての危機対応が進む中で欧米金融機関の動揺が収まらない。写真はドイツ銀行本社。先月18日撮影(2008年 ロイター/Kai Pfaffenbach)
 [東京 26日 ロイター] 各国中銀、政府を挙げての危機対応が進む中で、欧米金融機関の動揺がなかなか収まらない。
 7000億ドル(約63兆円)の米不良資産救済プログラム(TARP)は、瀕死の米自動車大手への174億ドルのつなぎ融資という想定外の拠出があったとはいえ、米金融機関のサブプライム関連不良資産をカバーするには十分な金額のはずだった。それでも動揺が続く背景には「架空資産バブル」がまだ潰れていないことがあると識者は語る。
 金融危機が実体経済の悪化をもたらし新たな損失を招いているが、欧米金融機関に対する不信の本源は、彼らが精緻な資産査定を怠っており、隠れた損失がまだ明らかになっていないことにある。
 「かつて山一証券が倒れたときは、負債は資産の100%をわずかに上回る程度だった。だが、リーマンの負債総額は資産の10倍だった。典型的な投資銀行では、資産の過大計上、負債の過小評価が行われている可能性が高い。これまでの資本注入が十分なのか、外部からは知るすべも無い」と、慶應義塾大学商学部の深尾光洋教授はいう。
 90年代後半の日本の金融危機では、1998年から1999年にかけて、金融機関の資産を査定した上で、資本注入の必要性の有無や、破たん処理の必要性などを判断した。しかし、米国は同様の査定を実施していない。
 米国では、Mark―To―Market(時価会計)ではなく、Mark―To―Model(自行に都合の良いモデルを使った会計)やMark―To―Myth(作り話に合わせた会計)が日常化している可能性があるという。
 実際、リーマン・ブラザーズの社債のオークションでは、元本1ドルあたり9セントとなり、91%のディスカウントとなった。資産の内容が劣化した状態で、償還原資が足りなかったためだ。
 <2009年の課題>
 深尾氏は今後の課題として、投資銀行のデリバティブ・ブックを徹底的に検査し、各カテゴリーごとの勝ち負けを明確に出すこと、SIV(ストラクチャード・インベストメント・ヴィークル)など金融機関本体外に置かれている組織についての連結の見直すこと、プライム・ブローカレッジ業務における顧客の預かり資金の担保流用の有無などを明らかにすることなどが必要だという。
 デリバティブの中でもCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は特に評価が難しい。CDSのようなデリバティブは本来ゼロサムであり、勝ちの総額と負けの総額は一致するはずだ。しかし、「現状では金融機関がお互いに甘く評価し合い、総額で大きなプラスになっている可能性がある」と深尾氏はいい、デリバティブ・ブックの勝ち負けの集計にはBIS(国際決済銀行)が主導するべきであると述べる。BISではデリバティブ・ブックの集計を行っているが、総額しか公表していない。
 著名投資家のウォーレン・バフェット氏は、彼が運営するバークシャー・ハザウェイの2003年2月の年次報告書で、「デリバティブは時限爆弾である」とした上で、デリバティブを「金融界の大量破壊兵器」に匹敵すると表現している。
 米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズは19日、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー< MS.N>、UBS銀、ドイツ銀を含む欧米金融機関11行を、最大で2段階格下げした。理由は金融界に内在するリスクの高まりと、世界的な景気停滞の深刻化が大規模金融機関にとって顕著な収益圧迫要因となっていること。
 同じく米格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスは16日、ゴールドマン・サックスの長期債務格付けを格下げし、17日にモルガン・スタンレーも格下げした。金融市場の混乱の長期化が見込まれ、厳しい経営環境が続くためだという。
 日本の金融危機時には、金融機関の格付けが低下すると、事業を運営する上でより多くの担保が必要となった。この結果、自己資本比率が高い金融機関ほど、格付けが低いという事態になった。
 (ロイター日本語ニュース 森佳子 編集 橋本浩)
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20081226-00000378-reu-bus_all



カッバラーと生命の樹:神道とPS理論の視点から
http://www.intecjapan.com/blog/
はカッバラーと生命の樹に関して、詳述していて、きわめて興味深い。
 ただし、私見では、三神の名が、キリスト教的三位一体の「父」と「子」と「聖霊」の位格の名と一致するので、疑問な点がある。
 カッバラーの生命の樹では、三つの柱(以下、三柱)があるが、これは指摘されているように記紀の三柱と共通しよう。また、私が生命の樹の捉え方で疑問に思うのは、三柱を独立させている点である。即ち、絶対三神と考えている点である。
 私はPS理論の視点から、記紀の三柱をMedia Point における三元性と考えているのであり、カッバラーの生命の樹のようには、絶対的に独立はしていないと考えている。即ち、+iと-iと*の三元があるが、これらは、不可分一体と見る方が適切だと思う。
 そして、このMedia Point 的視点からカッバラーの生命の樹について考察すると興味深いと考えている。
 さて、カッバラーの生命の樹の構造で興味深いのは、そのほぼ三層性と言えるものである。思うに、インドのヨガのクンダリーニ(クンダリニー)が意味するという三回転半に通じる構造があるように思えるのである。
 さらに連想すると、道教の三丹田に通じるように思えるのである。上丹田、中丹田、下丹田である。だから、経絡(けいらく)とカッバラーの生命の樹はなにか通じるように思うのである。
 まとめると、カッバラーの生命の樹、ヨガ、道教、易、神道、さらには、古代エジプト神話の関連が想定されるということである。そして、PS理論がこれらの普遍的な基礎になると思われるのである。
 問題は、ユダヤ教やキリスト教の神観念との接点であるが、私は、それらは、混乱させるものと思われるのである。とまれ、中途であるが、今はここで留めたい。


2008年12月26日(Fri)▲ページの先頭へ
土浦連続殺傷犯の反同一性主義性とMedia Pointの即非性:MP Balance
以下の土浦連続殺傷犯の言葉が、哲学的見地から、興味深いので、少し検討したい。(以下、赤色はrenshiの強調。)
 私が思ったのは、仏陀、仏教のことである。仏陀の教えは本来、輪廻転生から脱出して、もうこの世に生まれないことを目指すものであるから、以下の殺傷犯の言葉は、それに通じるものがあるのである。
 つまり、連続殺傷犯は仏教的志向性をもっていたと一面では言えるのである。
 また、想起するのは、ルドルフ・シュタイナーが悪とは超越性に基づいていると述べていたことである。私見では、悪人は、尋常ならぬエネルギーをもっているのであり、それを、悪の為に使用するのである。
 以上のように見ると、悪とは、過剰なエネルギーをもっているのであるが、それを善とは反対の方向に向けてしまうと言えよう。
 過剰なエネルギーの放出は一つは同一性主義の場合であるが、連続殺傷犯の場合は、利己主義ではあるが、反同一性主義である。
 ここでシュタイナーの悪魔論を考えると、同一性主義の悪魔がアーリマンであり、反同一性主義的利己主義はルシファーとなるのではないだろうか。
 PS理論で言うと、同一性志向性において、プラスとマイナスの力学があり、プラスが極端化したものが、同一性主義=アーリマンであり、マイナスが極端化したものが、反同一性主義=ルシファーではないだろうか。
 両者のバランスを取るものが、いわば、Media Pointの即非性であると考えられる。連続殺傷犯の場合、Media Point Balanceが欠落していたと言えよう。
 結局、トランス・モダン・エポックにおいて、Media Pointの教育が根本的であるということになる。

追記:即非の論理とは、鈴木大拙の独創的思想であるが、これは、本来、般若心経の思想の結晶であると考えられる。思うに、原始仏教と大乗仏教は差異があると思うが、これについては、他日検討したい。


抜粋:
 
「生きているのがつまらなかった」
「自殺する勇気がないから、死刑になりたかった」
「この世の中から消えてしまいたい」

『 記者「死にたいと思い、その手段として事件による死刑を選んだのですか」
 金川被告「そうです」

 記者「自殺するという方法もありますが?」
 金川被告「自殺というのはどんな方法であれ、自分で自分の体に痛みを加えることになるでしょう。そんな勇気はなかったですね」

 《「当然でしょう」という口ぶりだ》

 記者「あなたに刃物で切りつけられた被害者たちは、かなり痛みや恐怖を感じたと思いますが?」
 金川被告「関係ないですね」

 記者「傷つけた相手や遺族に対して、申し訳ないと思う気持ちは?」
 金川被告「ないですね」』

『金川被告「僕はただ、この世の中から解放されたかっただけ」

 記者「ファンタジーの世界に行きたいと、インタビューに答えていますが?」
 金川被告「死んで、ファンタジーの世界に行きたい。向こうでは攻撃の魔法を使いたい」

 記者「攻撃の魔法で他人を傷つけるのですか」
 金川被告「違います。人間を支配しようとする悪者を倒すんです。人々を守りたい」』


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「加藤はおかしい」「秋葉原事件うらやましい」身勝手な持論展開 土浦連続殺傷犯単独インタビュー

配信元:産経新聞
10/11 21:03


金川真大容疑者  「秋葉原 事件がうらやましい。僕より多く殺しているから…」。茨城県土浦市のJR荒川沖駅で3月、8人を刃物で殺傷した金川真大(かながわ・まさひろ)被告(24)が先月、水戸拘置支所(水戸市)で産経新聞の面会に応じ、東京・秋葉原 で17人を殺傷した加藤智大(ともひろ)被告(26)への“嫉妬”をのぞかせた。「生きているのがつまらなかった」。人生に絶望して無差別殺人に走ったとされる金川被告。面会室での約10分間、被害者への謝罪は口にせず、「自殺する勇気がないから、死刑になりたかった」などと身勝手な持論を展開した。(高久清史)

 《9月25日午前8時半、水戸拘置支所の窓口が開いたと同時に、金川被告との面会を申し込んだ。1日に面会できるのは1組のみ。被告本人が応じなければ面会できない。待合室でしばらく待つと、自分の受け付け番号がアナウンスで呼び出された。金川被告が面会に応じるという。刑務官に促されて携帯電話などをロッカーに預け、金属探知機で検査された後、面会室に足を進める》

 《無人の面会室に入り、椅子に座る。4畳半ほどの部屋はガラス板で被告と面会者の席が仕切られている。包丁を持って駅構内を駆け抜け、8人を殺傷した男との対面が間近に迫り、記者の緊張感も高まる。待つこと約1分、男性刑務官に伴われた金川被告が入室してきた》

 《送検時の映像と同じ丸刈り。グレーのTシャツ、紺の短パン姿で、口の周りには無精ひげ。逮捕直後のような眼光の鋭さはなく、歓迎するような視線だ。金川被告は、はにかみながら着席した》

 《金川被告の起訴事実を振り返ると、次の通りだ。金川被告は3月23日午前11時ごろ、JR 常磐線荒川沖駅構内で文化包丁とサバイバルナイフを使って男女8人を次々と刺し、茨城県阿見町の会社員、山上高広さん=当時(27)=を殺害、7人に重軽傷を負わせた。この事件の4日前には、土浦市の無職、三浦芳一さん=当時(72)=方の玄関先で三浦さんを文化包丁で刺して殺害した》

 刑務官「社名を教えてください」
 記者「産経新聞です。金川さん、あなたが何を思って事件を起こしたのか、あなたの言葉で教えてほしくて面会にきました。取材に応じてくれますか」

 《金川被告は、ほほ笑んだ表情をさらにゆるめてコクリとうなずいた。凶悪というよりは弱々しさを感じさせる雰囲気に、「学校にいる目立たないクラスメート」という印象を持つ》

 記者「『死刑にならなかったら、どうしよう』という不安を持っていると週刊誌のインタビューに答えていますが、その気持ちに変わりはないですか」
 金川被告「ないですね。この世の中から消えてしまいたい」

 記者「高校を卒業したころから、人を殺したいと思うようになったそうだすが、このころから死にたいと思ったのですか」
 金川被告「そうですね」

 記者「なぜ死にたいと思ったのですか」
 金川被告「生きていることがつまらなくなったんですよ」

 記者「何かきっかけがあったのですか、嫌な出来事があったのですか」
 金川被告「特にないですね」

 《茨城県警の調べに「死刑で死にたくて事件を起こした」と供述していた金川被告。動機を尋ねられることが嫌なのか、つまらなそうに淡々と答える。金川被告が人生に絶望した理由は、聞き出せない》

 記者「死にたいと思い、その手段として事件による死刑を選んだのですか」
 金川被告「そうです」

 記者「自殺するという方法もありますが?」
 金川被告「自殺というのはどんな方法であれ、自分で自分の体に痛みを加えることになるでしょう。そんな勇気はなかったですね」

 《「当然でしょう」という口ぶりだ》

 記者「あなたに刃物で切りつけられた被害者たちは、かなり痛みや恐怖を感じたと思いますが?」
 金川被告「関係ないですね」

 記者「傷つけた相手や遺族に対して、申し訳ないと思う気持ちは?」
 金川被告「ないですね」

 《ニヤリと笑う金川被告。その表情からは、罪のない2人の命を奪い去ったこと、7人の体を傷つけたことへの罪悪感、後悔が感じられない》

 《これまでの捜査では、金川被告が通り魔事件の4日前、「母親に口答えするから腹が立った」妹の殺害と、母校の小学校襲撃を計画していたことが明らかになっている》

 記者「当初は妹さんと小学校を襲う計画だったみたいですが、学校時代に嫌な出来事があったのですか」
 金川被告「ないですね。特にきっかけはなかった。ただ生きていることがつまらなかった。自分が通った学校は建物の構造を知っているし、先生が職員室や教室に入っているから、確実に殺人をできると思った」

 《しかし当日は学校で卒業式が行われ、保護者や教職員が大勢いたため断念。学校近くで偶然見かけた三浦さんを殺害した後、JR 荒川沖駅での凶行に走る。世間を震撼させたこの通り魔事件は、6月に東京・秋葉原 で17人を殺傷した加藤被告に大きな影響を与えた。加藤被告は金川被告の犯行を参考にし、殺傷能力の高い「ダガーナイフ」を購入した》

 記者「秋葉原の事件を知っていると思うけど、加藤容疑者(当時は起訴前)はあなたを意識し、犯行にナイフを使ったと供述していますが?」
 金川被告「うれしいですね。ただ、うらやましくもある。僕より人を殺しているから。それだけ、罪が重いから」

 記者「つまり、死刑になる確率が高くなるということですか」
 金川被告「そうですね」

 《ゲームの点数を競うかのように加藤被告をうらやむ金川被告。その狂気に戦慄が走る》

 記者「加藤容疑者は、会社などがうまくいかずに犯行に及んでいますが?」
 金川被告「おかしいと思う。彼は自分がうまくいかないことをすべて他人のせいにしていた。彼は八つ当たりで人を殺している」

 記者「加藤容疑者とあなたの違いが、僕には分からないのですが?」
 金川被告「僕はただ、この世の中から解放されたかっただけ」

 記者「ファンタジーの世界に行きたいと、インタビューに答えていますが?」
 金川被告「死んで、ファンタジーの世界に行きたい。向こうでは攻撃の魔法を使いたい」

 記者「攻撃の魔法で他人を傷つけるのですか」
 金川被告「違います。人間を支配しようとする悪者を倒すんです。人々を守りたい」

 記者「皮肉に感じる。今生きている世界では、その人々を傷つけたわけでしょう」
 金川被告「この世界から消えたかったんです」

 《約10分間の面会では終始にやつき、被害者と遺族への謝罪、事件への悔恨の言葉は最後まで出なかった。思いやり、感情が欠如した通り魔に更生は期待できないと感じた。金川被告は雑誌を読んで時間をつぶしながら、死刑判決を待ち望んでいる》
http://www.iza.ne.jp/news
/newsarticle/event/186156/


無差別殺傷の研究に着手へ 法務省 受刑者に聞き取りも

12月26日12時41分配信 産経新聞

 東京・秋葉原で歩行者7人が刺殺された事件など多発する無差別殺傷事件を受け、法務省は来年から事件の原因究明と分析に乗り出すことになった。26日、森英介法相が閣議後会見で明らかにした。

 同省によると、対象は最近発生した無差別殺傷事件30件程度で、原則として裁判で刑が確定したものとする。

 裁判記録を検討するほか、裁判では掘り下げられなかった原因究明をするため、本人の同意を得た上で死刑囚を含む受刑者やその家族、関係者の聞き取り調査をしたり、社会背景を分析するために専門家から意見を聞いたりする。

 同省刑事局と矯正局の協力の下、法務総合研究所が中心になって行い、平成21年秋ごろまでに中間報告、22年度内に最終報告をまとめる予定。

 森法相は会見で、「理不尽な動機による無差別殺傷事件が続発し、国民の不安の大きな要因となっている。(今回の原因究明や分析を)犯罪対策に役立てることが極めて重要だ」と述べた。

 無差別殺傷事件としては、今年3月、茨城県土浦市のJR荒川沖駅で男性を刺殺した金川真大被告(24)が通行人ら8人に切りつけ、男性1人が死亡。同月、岡山市のJR岡山駅で、県職員の男性が18歳の無職少年にホームから線路内に突き落とされ、電車にはねられ死亡した。

 6月には、東京・秋葉原で加藤智大被告(25)が歩行者をトラックやナイフで襲い、計7人が死亡。大阪市浪速区では10月、個室ビデオ店が放火され、男性客15人が死亡した。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20081226-00000530
-san-soci



2008年12月25日(Thu)▲ページの先頭へ
同一性と物質:⇒+1と+1:商品と貨幣
PS理論では、同一性を⇒+1と表記する。そして、+1自体は、物質ということになる。⇒+1と+1とでは、いわば、雲泥の差があるのである。
 フッサール現象学で考えると、単純に言うと、前者がノエシス、後者がノエマということになるかもしれない。直感で言うと、それは違うのである。即ち、ノエシスは⇒自体であり、ノエマは⇒の終端である。私が夢の「実在性」と言うのは、ノエマのことと言えるだろう。だから、⇒の終端と物質は異なると言えよう。
 ならば、物質とは何であろうか。同一性=ノエマということになったのだから、同一性と物質は異なるのである。
 先に思ったことを言えば、物質+1とは、エネルギーの終端であるということである。つまり、エネルギーの帰結(エンテレケイア)としての物質である。それは、⇒+1ではなく、やはり、+1と考えられる。
 そのような視点から見ると、物質科学とは、+1の科学であるということになる。そして、相対性理論は、⇒+1の科学ということになろう。そして、さらに言えば、量子論とは、⇒を探究していると言えるだろう。
 とまれ、端的には、同一性と物質との関係はどうなのだろうか。先に想起したのは、ウィリアム・ブレイクのエネルギーと理性の考え方である。それは、理性とは、エネルギーの外縁circumferenceであるというものである。この考え方を適用すれば、物質とはエネルギーの外縁であり、同一性の外縁としての物質ということになろう。
 しかし、これでもまだ完全には判明ではない。しかし、エネルギーが帰結を物質と考えれば明確になるだろう。つまり、エネルギーが燃え尽きた結果が物質であるということであり、同一性の「燃え尽きた」結果が物質ということである。
 これは明確・判明である。いわば、生命のない同一性が物質であるということになる。これは、死体を考えれば明快であろう。(ついでに言えば、生命とは、エネルギーであり、同一性(「イデア」)である可能性がある。)
 否、より端的にいう必要がある。直感で言えば、物質とは虚構ではないだろうか。即ち、エネルギーの終端を、思弁的に、独立させたものが物質ではないだろうか。確かに、それは考えられる。
 また、別の考え方をすれば、物質とは、エネルギー/同一性の現象面であると言えるだろう。同一性エネルギーの補給がなければ、死滅していく側面である。こちらの考え方の方が実際に即していると考えられる。
 結局のところ、やはり、同一性は⇒+1であり、物質は+1であるとするのが、一番的確であるということになろう。そして、+1は常に死滅しつつあると言えよう。つまり、ゼロになりつつあるということである。即ち、+1⇒0である。あるいは、+1-1⇒0である。
 ここで、飛躍して、経済について言うと、貨幣とは、端的に、+1であると言うべきであろう。そして、売買される商品は⇒+1である。そして、売買された商品は+1である。そして、それは、死滅しつつあるのである。だから、貨幣も同様に、本来死滅しつつあると考えるのが正しいと言えよう。正に、消滅貨幣である。
 しかし、当然ながら、貨幣制度は、この貨幣+1を、⇒+1と見ているのである。つまり、同一性を物質と見ているのである。これが、同一性主義なのである。ここから、同一性主義金融資本が生まれるのである。倒錯である。
 結局、理論的には、消滅貨幣が自然合理性をもつと言えよう。今はここで留める。


印欧語族の同一性主義とその崩壊
印欧語族の同一性主義とその崩壊
テーマ:トランス・モダン社会の創造・構築
以下は、次の追記を独立させたものである。
『アメリカの同一性主義、ここに世界の究極的問題があると言えるだろう:父権文明の終焉』
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10182221282.html

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アメリカの同一性主義の現実(超格差)であるが、キリスト教が先なのか、それとも、父権的資本主義的現実が先なのか。
 言い換えると、理念・精神が先なのか、現象・物質が先なのかである。今は、問題提起に留めるが、父権的民族(「アーリア民族」)とキリスト教との融合に西洋文明の同一性主義が起源があるのではないだろうか。
 父権的民族は強烈なヒエラルキーをもっているのであり、わかりやすい例は、インドのカースト制度である(インドには、印欧語族が侵入したのである)。
 印欧語族のもつヒエラルキー(階級制度)とキリスト教の同一性主義が結合して、西洋文明自体の同一性主義イデオロギーを形成していると考えられる。言い換えると、印欧語族の同一性主義とキリスト教の同一性主義が合致して、強固な同一性主義イデオロギーが確立したと考えられる。
 思うに、精緻に見ると、キリスト教とは、印欧語族の同一性主義が、イエスの教えやユダヤ教を取り込んで形成されたものではないのか。つまり、キリスト教の同一性主義とは、イエスやユダヤ教本来のものというよりは、印欧語族の同一性主義に起因しているのではないのか。
 どうも、そのように考えた方が的確であるように思えるのである。いわば、イエスやユダヤ教は出汁にされているということになるのである。
 正に、『カラマーゾフ兄弟』の大審問官の説明が当てはまるのである。同一性主義の権力がイエスの教えを退けて、悪魔化しているのである。
 そうならば、資本主義は、印欧語族の同一性主義の狂気によって、駆動されてきたのであるが、今日、同一性主義金融資本主義が崩壊したのである。
 同一性主義の解体とは、印欧語族的文明の崩壊であり、これまで利用されていたイエスの教えやユダヤ教は復活すると言えよう。
 日本においては、国家統制主義という封建的同一性主義が解体することに通じよう。神道が復興すると言えよう。後で精緻に検討したい。


タンパク質の構造変化とMP変換Media Point Transformationタンパク質の構造変化とMP変換(Media Point Transformation)
これはたいへん刺激的である。PS理論が証明されるようである。即ち、ひも状構造から畳み込まれて安定した構造になるということであるが、それは、イデアから3次元物質へのMP変換(Media Point Transformation)と呼べよう。
 イデアないしはMedia Pointにおいては、ひも状構造であるが、それが、同一性⇒物質を放出するとき、即ち、時空間的に転回するとガウス平面に垂直な軸(時空間軸)が発生して、立体状になると思われるのである。

追記1:「同一性⇒物質を放出する」と上述したが、正確に言うと、「同一性エネルギーを放出して、物質を発現させる」ということになる。(アインシュタインの有名なエネルギー公式E=mc^2は、この同一性エネルギーを理論化していると思われる。)
 同一性エネルギーを放出するときに、垂直に捩れて(1/4回転:90度回転)して、物質を形成発現する、即ち、4次元時空間(現象)を形成すると考えられる。そして、この4次元時空間(現象)には、当然、根源のイデアやMedia Pointが隠されることになるのである。つまり、本体は「隠潜」(造語)することになるのである。
 ただし、人間の精神(知性、感覚感性・身体)には、Media Pointが潜在しているのであり、それが、漠然とイデア=超越性を予感させるのである。
 つまり、エネルギー放出の起源はMedia Pointであるから、エネルギーにおいて、イデアを漠然と感じるということになるだろう。
 それは、感覚感性・身体においてであるが、知性ではどうなのだろうか。知性は、一般には、同一性と通じている。しかしながら、先にも述べたように、理性は差異に根拠があるのである。差異がなければ、知性は、同一性主義=自我主義となるのであり、さらには、狂信化するのである。
 だから、健全な知性、理性的知性とは、差異的同一性(差異的知性)でなくてはならないのである。だから、知性も本来、Media Pointが基盤であるということになるのである。ここにおいて、本来、哲学、科学、芸術、宗教は一致すると言えよう。やはり、「ソクラテス以前の哲学」の総合性は本来的なのである。

追記2:芸術に触れたくなるのは、Media Pointを賦活(励起)させて、超越エネルギーを放出させて、元気になる(再生する:通俗的には、リフレッシュする。「心が洗われる」というが、同じである。)ためである。
 因みに、日本人が年末に第9を聴くというは、実に本来的である。これこそ、本来のクリスマスの義にかなっているのである。クリスマスとは、異教の儀礼であり、太陽崇拝であり、枯渇するエネルギーを活性化する目的があると考えられるのである。
 結局、日本人の心には神道が活きているのである。これを知的に自覚する必要があるのである。神道のような古代というか太古の宗教(母権・女神の宗教)が活きている民族は今や世界では稀有であるし、西洋文明の影響を最大限に被っていながら、このように活きているのは実に奇跡的で、感動的である。日本人は根っからの神道教徒である。

Japanese are Born Shintoists.
To be precise, they are Buddhistic Shintoists.

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タンパク質 構造変化再現 京大准教授グループ成功

12月24日9時19分配信 京都新聞

タンパク質 構造変化再現 京大准教授グループ成功

ひも状のタンパク質(左上)が安定した構造(図の右方向)になるように折り畳まれていく(図の時計回り)。青枠で囲まれたのが最終形。きちんと折り畳まれず機能が発揮できないものも一部できる(反時計回り)=高田彰二京都大准教授提供
 タンパク質が最初のひも状構造から変化して安定した形に畳み込まれる様子をコンピューターで再現することに、京都大理学研究科の高田彰二准教授(生物物理学)らのグループが成功した。
 アミノ酸の構成から実際のタンパク質の構造を予測し、創薬などに生かすことができるという。米国科学アカデミー紀要で23日に発表した。
 細胞内で作られたばかりのタンパク質は、ひも状構造をしている。そのままでは機能を発揮できないが、自発的にひもが折り畳まれて立体構造を作る。アミノ酸の構成によって立体構造が変わり、特定の物質とうまく結合できるようになるなどして、さまざまな機能が生じる。
 高田准教授は、アミノ酸が56個つながった比較的小さなタンパク質を用いて、タンパク質を作っている分子に働く力などを統計的な分布に従って計算するモデルを作った。主要な力だけを考えて、不安定なひも状構造から、安定した折り畳み状の構造への変化を再現できた。
 従来のエックス線による構造解析は、タンパク質を結晶にする必要があるなど難しいケースも多かった。高田准教授は「100個以上のアミノ酸でできているタンパク質でも、構造を予測できるモデルを作りたい」としている。

最終更新:12月24日9時29分
京都新聞
http://headlines.yahoo.co.jp
/hl?a=20081224-00000001
-kyt-l26

◇研究内容
・ 主な研究テーマ - 京都大学理学研究科 高田研究室

◇タンパク質の構造について
・ 研究内容と業績 - タンパク質が重要な働きを持つには、折りたたまれてある決まった構造をとる必要がある。筑波大学大学院 山本研究室
・ βシートを含むタンパク質の折り畳み過程を観測 - 理化学研究所(2005年2月21日)
・ タンパク質フォールディング博物学の曙 - 論文(PDFファイル)。日本生物物理学会
http://dailynews.yahoo.co.jp
/fc/science/biotechnology/


偶然の一致か予知か:人生プログラム仮説
物質科学的には、偶然の一致ということになるだろう。しかし、私見では、未来はある程度、予見されるように思われるのである。
 どういうことかと言えば、今は、仮説であるが、DNAのような構造、時間を空間化したような構造があるように思えるのである。それは、虚軸の構造ということになるだろう。
 ただし、絶対的ということではないだろう。とまれ、なんらかの人生のプログラムがあるように思えるのである。

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14歳に殺された17歳、ラップに残した「少年犯罪NO」

12月24日8時0分配信 スポーツ報知

 昨年9月に千葉市で少年(当時14歳)に殺害された高校3年生・鈴木健太さん(当時17歳)の遺品から、犯罪撲滅を願う自作のラップソングを録音したカセットテープが見つかったことが23日、分かった。「近ごろ多い少年犯罪 意味もなく人を殺して」などと、まるで自らの悲劇を予見するような歌詞に、遺族は衝撃を受けている。

 DJを夢見ながら、志半ばで若い命を奪われた健太さんは、理不尽な少年犯罪が横行する世の中への思いを一本のテープに「遺作」として託していた。

 「今の世の中」と題したラップソングの歌詞にメッセージを込め、全編を無伴奏で歌っている。「YO! 近ごろ多い少年犯罪 意味もなく人殺して 『ただ金がほしかった』と顔色一つ変えずに言った 被害者だけ公表される名前と顔 加害者は守られる もう戻ってくることはない 今の世の中 本気で変えなきゃダメだろう」(抜粋)。

 自身の事件を予見したかのような健太さんの歌詞は、04年に長崎県佐世保市で発生した小6女児殺害事件について書いた中学時代の作文がきっかけとみられ、亡くなる1年ほど前に作詞された。

 兄・智之さん(23)の影響で、社会問題へのメッセージを直接的な言葉で表現する日本のグループ「キングギドラ」のCDを聴き、ヒップホップ好きになった健太さん。学校から帰宅すると、自宅でラップやギターの練習を重ね「DJになりたい」と夢を語っていた。智之さんは「詞を書いていたとは知らなかった。普段は口下手で、妹思いの優しい弟だった」と話している。

 テープは、物置にしまってあった健太さんのラジカセの箱の中から母・正子さん(50)が発見。再生すると、思いがけず健太さんの歌声が流れ出し、涙が止まらなかった。正子さんは「健太が自分の命と引き換えに教えてくれた命の重さ、尊さを(テープの曲が)伝えてほしい。多くの人に聴いてもらえたら」と胸の内を語っている。

 テープが発見されてから、加害者少年の担任教師が「この曲を少年にも聴かせたい」と少年院に持っていこうとしたが、手続きがうまくいかずに聴かせることは出来なかった。
http://headlines.yahoo.co.jp
/hl?a=20081224-00000032
-sph-soci


2008年12月24日(Wed)▲ページの先頭へ
アメリカの同一性主義、ここに世界の究極的問題があると言えるだろう:父権文明の終焉
アメリカや、ああアメリカや、度し難き

米国はブッシュ/チェイニー=ネオコン路線で反省しているかと思ったが、以下の記事を読むとそうではないのである。即ち、ビン・ラディンをやはり悪者にしているのである。
 自分は正しく、他者は悪いという独善・独断・独裁主義は困る。これは、やはり、キリスト教的二元論に拠るだろうとは言えるかもしれない。
 しかし、究極は経済問題である。米国内の無惨な格差(闘争)を弥縫するために、外敵を見いだすのではないのか。そう、同一性主義とは、自己の差異・他者を否定するのであり、内部の戦争を外部の戦争に転化すると言えよう。
 アメリカの同一性主義、ここに世界の究極的問題があると言えるだろう。それは、宗教的には、ヤハウェ主義である。言い換えると、当然、キリスト教である。そう、西洋キリスト教とは何かという問題になる。
 元に戻すと、アメリカには、酷烈苛烈な「階級闘争」があると言うべきであろう。この「階級闘争」を回避するために、外敵を作り、対外戦争を起すのではないのか。
 人類は、結局、トランス西洋文明の時代に達していると言えよう。わかりやすく言えば、父権文明の終末をむかえていると言えるだろう。麻生首相も父権文明の帰結ではある。

The Price Of Their Security
History will judge what George Bush achieved -- and at what cost to the Constitution.

Understanding isn't the same as forgiving. The history-be-my-judge interviews that President Bush and Vice President Cheney have been giving recently help me understand why they acted with such contempt for our Constitution and our values -- but also reinforce my confident belief, and my fervent hope, that history will throw the book at them.
http://www.washingtonpost.com
/wp-dyn/content/article/2008/12/22/
AR2008122201852.
html?wpisrc=
newsletter&wpisrc=newsletter


2008年12月23日(Tue)▲ページの先頭へ
比較神秘論(比較密教論):これは興味深い:顕幽哲学
思うに、学問には、いわば、顕学と幽学がある。神秘学とは、当然、後者であるが、近代合理主義は幽学を排除した。顕学は政治・経済学並びに物質科学(追記:もっとも、相対性理論や量子論は、いわば、幽学へと踏み出したものである。「ミクロ」の世界は幽的エネルギーの世界と言えよう。量子ないしは素粒子は端的に言えば、物質ではないのである。イデアないしはいわばイデア子である。)が筆頭に来よう。幽学は宗教学、神秘学、神話学、等が中心となろう。
 そして、哲学とは、両者の合理的構築性を明確にするものであろう。つまり、顕学と幽学との要としての哲学である。顕幽両学としての哲学である。顕幽哲学である。
 プラトニック・シナジー理論は、幽学と顕学の「蝶番(ちょうつがい)」はMedia Pointであるとしているのである。幽性と顕性は、虚軸と実軸の即非的関係にあると考えられるのである。
 因みに、Media Pointを理解することができれば、森羅万象を解く黄金の鍵を得たと言えるだろう。

* 相撲と『生命の樹』との関係(EJ第1860号)


相撲と『生命の樹』との関係(EJ第1860号)
 一番下にあるセフィロトである「マルクト」は、それひとつで滅びの世界を形成して
います。この世界はこの世の世界ではなくここにいたる者は精神の地獄を味わうとされ
ています。そういう意味で「マルクト」は「地獄の門」ともいわれるのです。
 それ以外の世界――至高世界、中高世界、下層世界に関して、新約聖書には次のよう
に記述されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
      また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝
      きと地上の体の輝きとは異なっています。太陽の輝き、月の輝
      き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星の間にも
      違いがあります。
         ――「コリント信徒への手紙 I 」第15章40〜41節
−−−−−−−−−−−−−−−−−
 以上を3つの世界と対応させると、次のようになるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
           至高の世界 ・・・・・ 太陽の輝き
           中高の世界 ・・・・・ 月 の輝き
           下層の世界 ・・・・・ 星 の輝き

http://www.intecjapan.com
/blog/2008/12/post_651.html

* 10個のセフィロトとモーセの十戒(EJ第1859号)
* 絶対三神/三位一体か三神か(EJ第1858号)
* ダ・ヴィンチが鏡文字を書いた理由(EJ第1857号)
* 『生命の樹』の基本構造を知る(EJ第1856号)
* 3大ピラミッドとカッパーラ思想(EJ第1855号)

異文化研修のインテクジャパン


日本復活の為には、日本人の個の意識の復権が必要である:日本的個とは、神道と仏教の融合に存する
日本人が広義の政治に対抗できないのは、自己の核としての個が欠落しているからである。これは、連合国に占領支配された戦後に顕著になったと考えられる。
 私見では、日本的個とは、神道と仏教との稀有な融合に存するのである。近代西洋主義に染まった日本人であるが、今日、日本文化と西洋文化が中途半端に折衷している状態にある。
 明確に、日本的根源に復帰して、日本的個を復活させて、新しい時代、トランス・モダンの時代に向かうべきである。
 今は詳述できないが、神道的エネルギー(神道的イデア)と仏教的空・無のもつ即非性が融合すると、融通無碍な精神が形成されるのである。これこそ、日本的個の核心であると考えられる。
 今日は、この精神が喪失させられているので、時世に流されるままなのである。戦後の連合国主導性と国家統制主義とのアマルガム・キマイラ体制、西洋文明主義と社会主義との「封建的近代主義」に基づく、知的奴隷制度を脱構築すべきである。


量的教育から質的教育へのパラダイム・シフト:子供の差異を育成する教育へ向けて
私は、鳩式教育論を唱える。それは、子供の学びたいという欲求に即した教育論である。あまりにも当然であるが、それが忘れられているだろう。
 ゆとり教育の大失策(知的ホロコースト)の根因は、教育を量的に捉えていることにあったと一言で言えよう。教育の質(差異、特異性)を捉えないといけないのである。それは、子供という差異に注目することである。子供の差異にこそ、教育の原点があるのである。その子供の差異のもつ知的欲求に即する教育、多様教育が必要なのである。
 英語教育、外国語教育は、その中の一つに過ぎないが、言語教育という重要な教育の一つに位置すると言えよう。
 私見では、差異とは本来、多様な志向をもっているのであり、その中に外国語への志向が入るのであり、それを刺激する必要があるのである。ただし、個々により、進度が異なるので、それに適応する必要がある。
 外国語が得意な子供には、それにふさわしい教育をするのが好ましい。思うに、人間には、自己学習(独学)の能力があるのだから、この自己学習能力を本来、基礎的に培うことが大事である。
 とまれ、同一性主義的教育から差異的教育への転換こそが、望まれるのである。文部科学省等や教育の「専門家」は、量的発想に囚われているのであり、教育改革は常に改悪となると考えられる。

参考:

日本の英語教育 ─これからどうなる? -- 私の英語授業改革提案 --

新里眞男(富山大学)

 これからの英語教育はどうなるのか。気になることはいろいろある。しかし、私はやはり、英語教師の英語力が気になる。『戦略構想』では、英検が準1級、 TOEFLが550点以上、TOEICが730点以上が望ましいとされた。しかし、教員の過半数はこの数値を下回っていよう。毎年行われている1ヶ月ほどの集中研修で英語力が付くことは期待できない。この現状を変えることでしか、将来の展望は開かれない、と考える。

http://tb.sanseido.co.jp/english
/column/relay_bc/20050223.html


◇英語教育の問題点
・ 日本の英語教育 これからどうなる? - 三省堂


2008年12月22日(Mon)▲ページの先頭へ
DNAと易とMedia Point:『生物と無生物のあいだ』
『 生物と無生物のあいだ』の最初の部分を少し読んだが、確かに筆力のある人である。文学者のような場面喚起力があるし、ミステリー小説のような趣もある。
 とまれ、刺激を受けて2つのことを想起した。

1)易の卦であるが、2^6の64通りがあるが、上の2^3は、+iを主導化した場合の三元性、下の2^3は、-iを主導化したときの三元性ではないかと思った。

2)DNAの4つの要素のACGTであるが、これは、+iと-i、-iと+iのセットで考えられないか。最初は、+i, -i, +1, -1で考えたが。
 後者の方が整合的な説明ができるかもしれない。結局、Media PointがDNAの「元素」ということになるだろう。そして、ガウス平面に垂直なZ軸がDNAのラセンの縦軸になるのではないだろうか。

@@@@@@@@@@@@@@@@@

ネットと生物と無生物のあいだ

 「生物と無生物のあいだ」という本 を読みました。あちらこちらで絶賛されている本なので、今更僕がお薦めする必要はないのですが、確かに、こんなに説明の上手な、読んでて飽きない科学入門書は、久しぶり、と思いました。
http://japan.cnet.com/blog
/murakami/2008/04/27/
entry_27000911/
村上敬亮 情報産業の未来図

現代新書

生物と無生物のあいだ

著者: 福岡伸一

発行年月日:2007/05/20
サイズ:新書判
ページ数:286
ISBN:978-4-06-149891-4

定価(税込):777円
http://shop.kodansha.jp
/bc2_bc/search_view.jsp?b
=1498916


2008年12月21日(Sun)▲ページの先頭へ
トランス・モダン経済学へ向けて:差異共振的利益配分:利益の正義合理的配分:差異共振資本合理主義
マルクスの『資本論』が新たに注目されているということだが、『資本論』はまったく同一性主義価値=量的価値に導かれていて、差異価値が欠落している。ちょうど、カントの純粋理性批判に相応するだろう。
 ところで、ルドルフ・シュタイナーの経済論は、自然と労働と資本の三元論で構成されている。そして、資本にはたらきかけるものとして、労働の他に、精神 Spiritを説いているのである。『資本論』は、資本にはたらきかける精神が抜けているのである。正に、唯物論である。
 シュタイナーの経済論の面白さは、土地の資本化をなくして、自然へ贈与することを説いていることである。思うに、私が考えると差異的フィードバックには、この自然への贈与が入るだろう。もっとも、差異的フィードバックとは、資本へのフィードバックを意味するのである。ここには、労働者への還元も含まれるのである。
 企業の利益は経営者や株主だけのものではなく、差異共振的なのだから、差異共振的利益配分が自然合理性をもつのである。差異共振的正義と言ってもいい。
 だから、差異共振利益配分法を作ればいいのである。これに違反した企業には罰を与えるのである。キャノンやトヨタは筆頭に来るだろう。
 とまれ、今や、トランス・モダン経済学が、今日、いちばん重要なものとなっていると言えよう。

参考:
シュタイナー経済学講座
http://www.geocities.jp
/momoforall/booknote1/index.html
  
MOMOの読書ノート1


同一性主義とは、知性ではなく、信や不合理性である:不正な近代科学を乗り越えるトランス・モダン理論
これまで、近代合理主義ないしは近代的自我は狂気であるというテーゼを立ててきたが、同一性主義は一種の信仰、妄想、思い込みであると思う。
 今日、政治が機能しないのは、近代合理主義、近代的自我、そして、同一性主義(これには、封建主義も入る)に囚われているからである。
 既に、近代合理主義・近代的自我の同一性主義については詳述したが、その不合理性について、端的には説明していないと思われるので、ここで、説明したいと考えている。
 今は余裕がないので、簡単に指摘するに留める。端的に言えば、同一性主義とは、自我信仰・自我崇拝・自我宗教、狂信ないしはパラノイアである。
 これは、自我+iを他者-iに当てはめる力学であり、(+i)*[-(-i)]⇒-1になるとことと思われる。他者-iを否定する同一性主義力学なのである。
 -iという他者ないしは差異が否定されて、自我+iを押しつけているのである。正確な科学的認識とは、当然、他者・差異を肯定するところから本来始まるべきものである。
 つまり、他者・差異という事実を否定するのであるから、同一性主義は不合理主義なのである。存在するものを否定するのであるから、不合理主義、反科学主義なのである。これが、説明である。
 では、近代科学とは何であったのだろうか。それは、不合理主義なのか。それは、差異を無視した科学であり、結局は、同一性主義科学、物質主義科学であり、その点では、不合理主義的科学である。
 つまり、物質主義科学(近代科学)=不合理主義科学である。これが、今日支配しているのである。当然、これは、不正義、不誠実、不公平、等々である。それは、構造主義的不正義とも言えよう。
 結局、近代科学とは不正義な科学であったのであり、今や、プラトニック・シナジー理論(PS理論)が、絶対的差異(絶対的不連続差異)と即非・共振性を説いて、トランス・モダンの正義・真正な科学を提唱することになったのである。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@

淘汰される近代主義とトランス・モダン進化

久しぶりに駅前の本屋や近くのブック・オフに行ったが、寒々しい感じがした。即ち、本当に大事なことが書かれている本はほとんどないと感じたのである。
 インスタント食品のような本が売られているのである。頭の栄養となるものは少ないだろう。
 思うに、やはり、知的進化の時代が到来したのである。近代的「知」はもはや、淘汰されることになったと考えられるのである。近代的「知」の反古化である。


2008年12月18日(Thu)▲ページの先頭へ
「ソクラテス以前の哲学」へ還れ!:ギリシア哲学源流への回帰
「ソクラテス以前の哲学」へ還れ!:ギリシア哲学源流への回帰
テーマ:哲学
せわしない年の瀬近く、仕事が山積している中で、哲学書を推薦するとは、浮世離れしているが、これは是非言っておきたい。
 以下の廣川氏の著作の第二部に断片集があるが、唯物論の祖とされるデモクリトスであるが、内容は、唯物論ではないことは明快である(少し読んだが、オヤッと思い、著者を確認したら、やはり、デモクリトスであった)。確かに、アトム論(原子論)はあるが、それは、物質としてのアトムではないと考えられる。知性を重視しているのがよくわかるのである。
 これまでの視点を反古にする必要がある。ニーチェも薦めていたが、ソクラテス以前の哲学とは、端的に言えば、Media Pointから駆動された哲学であり、その源流から、ソクラテス、プラトン、アリストテレス等の大哲学も生まれたと考えられるのである。
 だから、ソクラテス以前の哲学という言い方はミスリーディングである。ギリシア哲学源流・源泉である。
 余裕があるときに、引用等をして、説明したい。

追記:一言で言えば、ギリシア哲学とはMedia Point哲学である。ただし、即非の発想が欠けていたのである。そして、これは、仏教の般若とイエスの叡知と等価である。問題は、これまで指摘したように、キリスト教が、この元知を否定して、信仰に変えてしまったことであるが、また、それをヤハウェ的一神教にしてしまったことであろう。ヤハウェは、 Media Pointの同一性主義の様相に過ぎないのである。
 まとめると、キリスト教はギリシア哲学、仏教の叡知、エジプトの叡知(これがイエスの叡知である。つまり、ヘルメスの知である。)を信仰に変え、また、そのMedia Point性を同一性主義に歪曲させてしまったと考えられる。

続追記:以上の視点から、偉大な詩人ヘルダーリン(本来は、ヘルダリンが正しい)のイエスとギリシアの神々の融和の思想が理解されるだろう。彼は、 Media Pointの差異共振性をほとんど理解していたのである。思えば、夢の中で、ある老爺が山に行って、ヘルダーリンの研究をすると述べていたが、それは、ヘルダーリンのギリシア的知恵を示唆していたと言えるだろう。


ソクラテス以前の哲学者 (講談社学術文庫) (文庫)
広川 洋一 (著)

参照:
デモクリトス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
デモクリトスの胸像

デモクリトス Dēmokritos(紀元前460年 頃−紀元前370年 頃)古代ギリシア の哲学者 。
生涯と伝説

トラキア地方のアブデラ(Abdera )の人。レウキッポス を師として原子論 を確立した。アナクサゴラス の弟子でもあり、ペルシアの僧侶やエジプトの神官に学び、エチオピアやインドにも旅行したという言い伝えがある。財産を使いはたして故郷の兄弟に扶養されたが、その著作の公開朗読により100タレントの贈与を受け、国費で葬られたという。哲学のほか数学・天文学・音楽・詩学・倫理学・生物学などに通じ、その博識のために〈知恵 Sophia〉と呼ばれた。またおそらくその快活な気性のため〈笑う人 Gelasinos〉とも称される。


[編集 ] 学説

〈原子〉は不生・不滅・無性質・分割不可能な無数の物質単位であって、たえず運動し、その存在と運動の場所として〈空虚〉が前提とされる。無限の〈空虚〉の中では上も下もない。形・大きさ・配列・姿勢の違うこれら無数の原子の結合や分離の仕方によって、すべての感覚でとらえられる性質や生滅の現象が生じる。デモクリトスは世界の起源については語らなかったが、「いかなることも偶然によって起こりえない」と明確に述べている。

デモクリトスの倫理学においては、政治の騒がしさや神々への恐怖から解放された魂の安らかさが理想の境地とされ、詩学においては霊感の力が説かれている。 原子論を中心とする彼の学説は、古代ギリシアにおける唯物論 の完成であると同時に、後代のエピクロス ・近世の物理学に決定的な影響を与えた。しかし彼の著作は断片しか残されていない。プラトン が、手に入る限りのデモクリトスの著作を集めて、すべて焼却したという伝説がある。「反駁を好んで多くの言葉を費やす者は、いかなる正しいことをも学ぶ能力がない」というデモクリトスの警句は、彼の野心のなさと論争への無関心を示し、さらに彼が死後に忘れられた原因でもある。


[編集 ] 参考資料

*  F.A.ランゲ『唯物論史 Geschichte des Materialismus und Kritik seiner Bedeutung in der Gegenwart,1866年』
*  H.Ritter,L.Preller共著『ギリシア哲学史Historia philosophiae graecae,1934年』
*  H.Diels『ソクラテス以前の哲学者断片 Die Fragmente der Vorsokratiker,1935年』第2巻
* ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(下)』岩波文庫(岩波書店, 1994年) ISBN 4003366336

[編集 ] 関連項目

* 化学
* 物理
* ギリシア哲学


[編集 ] 外部リンク

デモクリトスとアリストテレス

カテゴリ : ソクラテス以前の哲学者 | 古代ギリシアの哲学者 | 紀元前460年代生 | 紀元前370年代没


2008年12月17日(Wed)▲ページの先頭へ
トランス・モダン経済とはどういうものか
これまでの、同一性主義金融資本経済が崩壊している中、トランス・モダンの新しい経済ヴィジョンが必要になっている。
 これまで、差異共振経済とは言ってきたが、具体的な方策はあまり述べてこなかったので、素人ながら、考えてみたい。
 既述のことを繰り返すが、資本主義とは、差異と同一性の混淆した経済システムである。分業というシステムは、差異と差異との連結を可能にするのであり、そこには、差異共振性がある。ただし、差異と差異との連結には、知恵が必要である。この知恵も差異である。
 しかしながら、売買は貨幣を通じるために、商品という差異が、同一性化されるのである。そして、この同一性が中心化されると同一性主義金融資本となるのである。
 だから、この同一性が中心化されないシステムが今日必要なのである。これまで、それを差異へとフィードバックさせるシステムが必要であると述べてきた。
 資本主義的生産とは、差異共振性であるから、本来はそれを強化させる必要があるのであるが、同一性主義価値に囚われてきたので、差異共振性を破壊する結果を生み出してきたのである。
 だから、同一性主義資本から差異共振資本へと転換する必要があると言える。それは、資本の評価方法がまったく変わることになるだろう。
 思うに、差異共振価値を評価する政治体制が必要であり、差異共振政策によって、差異共振資本を成長させる必要が初期段階にはあるだろう。この初期段階が終れば、差異共振資本は、自然に成長していくと思われる。喩えて言えば、雛鳥の成長させるために、親鳥の世話が必要なのと同じである。
 雛鳥の生きる力(自然:じねん)に即して、親鳥は援助するのである。今はここで留める。

参照:
「私的な借金の山を公的な借金の海に変えるこれらの救済策は、倒産した会社に褒美を与え、手を汚さない犯罪者たちに二度目の機会を与え、無邪気な預金者と罪のない消費者をペテンにかけた破壊者を救済する。」
en transformant une montagne de dettes privées en un océan de dettes publiques, ces plans récompensent des faillis, donnent une seconde chance à des délinquants en gants blancs, sauvent les naufrageurs qui ont grugé des épargnants naïfs et des consommateurs innocents.

この言葉をよく覚えておきたいと思います(フランス語は忘れるかもしれませんが)。

利益が出たら全て私物化し、損失が出たら税金による救済を要求する、どこかの国の図々しい罪怪塵を連想させます。おまけに某国では、社会のインフラ、公教育による恩恵を散々受けておきながら、国際的にも決して高くない法人税率をさらに下げろという要求までする始末です。それならタックス・ヘイヴンにでも逝っていただきたい。そして再入国は厳重にお断りしたいところです。また、その会社の製品を日本某国が輸入することも禁止すべきです。
http://ameblo.jp/cm236
71881/entry-10178626320.html
PAGES D'ECRITURE


2008年12月14日(Sun)▲ページの先頭へ
デリバティブ取り引きの反科学性・狂気:これも同一性主義狂気である:父権主義の超克へ向けて
デリバティブ取り引きによる損失。
これは一種の投機である。
外国為替が円安になると見込んで(予想して)、行うのである。この見込みは、いわば、願望である。客観的根拠はないのである。
 このようにデリバティブ取り引きとは、願望取り引きである。これはまったく反科学的経済である。このような反科学的態度を認めているところに現代経済の狂気があると言えよう。
 これも同一性主義狂気である。現代世界の戦乱、混乱、カオスは、哲学的には、この同一性主義狂気によって引き起こされたと極言できる。これは、父権主義の帰結である。父権主義の清算が今日、また、求められているのである。

@@@@@@@@@@@@@@

サイゼリヤ為替対策で裏目 153億円もの損失を出したデリバティブ契約の中身

12月14日14時0分配信 MONEYzine

サイゼリヤ為替対策で裏目 153億円もの損失を出したデリバティブ契約の中身

画像
 ファミリーレストラン大手のサイゼリヤは10日、多額の評価損が見込まれていたBNPパリバ証券とのデリバティブ(金融派生商品)契約を解約したと発表した。これにより153億円の損失が確定した。損失は自己資金と金融機関からの借り入れでまかなうという。

 多額の損失が発生したことを受け、同社は09年8月期通期の業績が経常赤字に転落する見通しとなり、来年1月から正垣泰彦社長が1年間にわたり報酬を 70%カットするなど経営陣を処分する事態に発展した。外食を営む同社がなぜ為替デリバティブに手を出していたのだろうか。

 同社は、オーストラリアからハンバーグなどの加工食品や牛肉などをレストランで使用するために輸入していた。日本企業が海外から大量の原材料を輸入する際には、収益が最終的に確定するまでに為替変動によって損失してしまう可能性がある。そのため同社はこの為替リスクを避けるためにデリバティブ取引を行っていたのだ。

 デリバティブ取引とは為替変動の動きをある程度推測した上で、将来における取引を先取りし、価格変動リスクを下げるものだ。つまり現在の豪ドル/円が「1豪ドル=100円」の場合に、将来120円まで円安に進むと思えば、現在の100円ではなく、豪ドル/円を「1豪ドル=120円」で先取りで取引できるのだ。そして実際に相場が円安に進めば損失を回避できる。ただし予測とは逆に円高に進めば損失が生じてしまう仕組みだ。

 ではサイゼリヤの場合はどうだったのだろうか。同社の契約では為替相場が一定水準より円安で推移すればメリットになるが、逆に円高に進むと損失が膨らんでしまうというものだった。過去5年間、豪ドル/円は円安に推移していたので、この判断は妥当な選択だったのかもしれない。しかし今年7月時点では100 円近辺で推移していた豪ドル/円は8月に入ると世界金融危機の影響などで急激に円高に変動し、現在では60円程度。40%も円高に進んでしまい、同社は最終的に153億円の損失を出してしまった。

 これは同社や契約を結んでいたBNPパリバ証券の想定を超えた動きであったことに間違いないが、今回のように企業の想定通りに為替レートが動かなかった場合には、デリバティブ取引はリスク回避どころか、巨額の評価損を計上する可能性もある。
http://headlines.yahoo.co.jp
/hl?a=20081214-00000000
-sh_mon-bus_all


米国の新ニューディールの意味はケインズ路線ではない:差異自由主義へとつなぐ緊急措置
オバマ次期大統領が行おうとしてる新ニューディール政策は、ケインズ政策の焼き直しではない。
 先に述べたように、これは、あくまで、自由主義へと繋ぐための緊急措置である。事態が好転すれば、新たな自由主義(差異自由主義)へと転換するはずである。この点を見間違ってはいけない。
 日本経済は、もともとケインズ主義的であり、今、日本版ニューディル政策は、ハイパー・ケインズ主義となり、自爆売国亡国主義である。


りそな銀行の背景の闇に迫ってきた:悪魔的バラマキ政策と日本経済の安値売却
りそな銀行の背景の闇に迫ってきた。
りそな銀行の株価を暴落させておいて、公的資金注入。
株主は自己責任を果たさなかった。
金権悪魔日米集団が存すると言えよう。
私の裏読みでは、現代のアソウ政権の背後にもこれを感ずるのである。日本経済をバラマキで財政を致命的にさせて奈落の底へ落として、米国資本に安値で買い取らせる売国政策と勘ぐるのである。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

りそな銀行処理を取り巻く闇を明らかにしなければならない。闇に光を当てる三つの手がかりがある。
@2003年2月7日の竹中金融相による「絶対儲かる」発言
A2002年10月から2004年3月までの47兆円に達する日本のドル買い外為介入
B「りそな銀行から自民党への融資激増」スクープと朝日新聞編集委員の急死
である。
死亡したのはりそなの会計士だけではなかった。
http://uekusak.cocolog-nifty
.com/blog/2008/12/post-fe1d.html
植草一秀の『知られざる真実』


ピラミッドの謎:母権(女神)的神話と父権的神話
以下はとても興味深い。
 私は、エジプト神話のイシスとオシリス神話は女神の神話であると考えるが、ファラオーの王権の発想は父権的神話に通じると思っているのである。
 両者は、不連続であると私は考えているのである。それは以前述べたように、古神道と天皇教とが不連続であると考えるのとまったく同様である。
 そこに私は断層を見ているのである。古代エジプトで言えば、母権的神話と父権的神話の断層を想定しているのである。これは、母権的社会に父権的社会が侵入したことを意味していると推測しているのである。今はここで留める。

@@@@@@@@@@@@@@@@

クフ王のピラミッドは誰が建てたのでしょうか。
 その名前が上がっているのはクフ王の政権のときの宰相をしていたヘムオンという人
物です。当時エジプトには次の2派がありどちらが国政を執るかで競い合っていたので
す。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
          星 を信仰している ・・・ 星 信仰派
          太陽を信仰している ・・・ 太陽信仰派
−−−−−−−−−−−−−−−−−
 エジプトにはもともと土着のエジプト人がいて、そこへ外来人が入ってきてエジプト
を制覇したのです。それが北から入ってきた人たちです。彼らにとって、自分たちが来
た方向がはっきりとわかるものは北極星だったということで、星派となったのです。
 これに対して、民族派、古代エジプトに住んでいた人たちは太陽信仰派なのです。早
稲田大学の吉村作治教授は、この拮抗した状況がピラミッドに表れているといいます。
 クフ王は太陽信仰派で、それを広めようとしていたのです。しかし、宰相のヘムオン
は星派につながっていたのですが、クフ王はそれを承知でヘムオンにピラミッドの設計
と施工をまかせたのです。彼の父親がスネフェル王のピラミッドの設計、施工をした経
験があり、ピラミッドを作るノウハウを持っていたからです。
http://www.intecjapan.com
/blog/2008/12/post_501.html
ヘムオンはグランドマスターである(EJ第1852号)

異文化研修のインテクジャパン


2008年12月13日(Sat)▲ページの先頭へ
イルミネーションの桜のダーク・ツリー:宇宙の穴に潜在する高次元エネルギー
散歩道にある播磨坂の桜並木の街路の中間歩道の桜の木々がイルミネーションで上部が薄いピンク色、根元の方が青や緑で装飾されていた。
 当然、桜の幹や枝は闇である。このイルミネーションの光に、ダーク・ツリーがある。後者をダークエネルギーに喩えてみた。光を支えているダーク・ツリーがあると考えた。
 そのダーク・ツリーの存在は視覚的には確認できないのである。やはり、それは、Media Pointの穴を介したイデア・エネルギーのことだろう。
 宇宙の穴に隠れた高次元のエネルギーと考えられる。

追記:以下、アナクシマンドロスの宇宙論はきわめて知的刺激をもたらす。火の車輪としての宇宙観である。これは、Media Pointで説明できそうである。また、穴が惑星等になるということであるが、この穴もMedia Pointで説明できるのかもしれない。
 イデアの振動数によって、諸惑星等ができるのではないだろうか。太陽のイデア振動数があり、地球のイデア振動数があり、等々ではないだろうか。
 イデア振動数によって、Media Pointにおいて、太陽、諸惑星、さらには、諸宇宙ができるのではないだろうか。
 つまり、端的に言えば、星なり、星雲なり、「太陽系」・惑星なりは、イデア振動数の多様性・差異に基づいて、発現・現象しているものではないだろうか。つまり、星々は、Media Pointの多様な現象ということになるのではないだろうか。今はここで留める。

続追記:物理的距離であるが、それは、ガウス平面に垂直なZ軸で表わされるのではないだろうか。つまり、3次元とは、Z軸である。そして、人間の視覚の原点の平面性とは、ガウス平面に拠ると見ていいのではないだろうか。
 遠近法は、だから、Z軸によって発生すると言えよう。後で、精緻に検討したい。

参考1:
ミレトス学派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・・・・・
宇宙論

物質の性質についても3人の哲学者には意見の相違があった。それぞれが異なる宇宙観を持っていた。タレスは地球 は水の上に浮いていると、特定の星 の運動に注目し、それらを惑星 と呼んだ。一方、アナクシマンドロスは、地球は宇宙の中心にあり、宇宙は中空の同心円の車輪で、その外側は火に満たされ、さまざまな間隔で穿たれた穴から見えるその明かりが太陽や月だとした。アナクシメネスは、太陽や月は、星々で充たされた天空の覆いの回りにある、平たい円盤であるとした。(尚、赤色文字等強調はrenshi)


参考2:
Media Pointは宇宙の穴:(+i)*(-i)⇔+1のMedia Point Cosmos

思うに、前ソクラテス期の哲学/自然哲学に似たような表現になるが、Media Pointを宇宙の穴と見ることができると考えられる。
http://protophilosophy.noblog
.net/blog/k/10601594.html

INNOVATION OF PHILOSOPHY: NEW PLATONIC SYNERGY THEORY  


冬の都市の夜空と赤き火焔:イデアの空の三頭龍
かつて視た、都会の冬空の闇に、赤々と火焔の燃ゆるを。
そのエネルギーに満ちた赤き火焔は何処に行ったのか。
冷たい空気のなか、漆黒の闇空に、鮮烈な赤々と燃ゆる火焔。
今や、それは、静かに、イデア界に潜在している。
エネルゲイアではなく、デュナミスとなっている。
内的視覚・ヴィジョンの火焔は、今や空(くう)ないしは無となっている。
詩は何処に行ったのだろうか。
神々と同じで、イデア界へと帰還している。
その意味でニヒリズムの時代である。
しかしながら、このニヒリズムは、新しいイデアをもっている。
それは、自然合理イデア、差異共振イデア、Media Point Ideaである。
差異と差異とを垂直且つ水平に結合するイデアである。
これは、新しい世界、新しい社会の知的エネルギーである。
トランス・モダン・イデアが新しい時代を創る。
それは新しき三頭龍である。
三頭龍が旧き世界を破壊し尽くし、新しき世界を産み出すのである。


同一性主義金融資本崩壊の哲学的意義:差異合理性を否定した同一性主義狂気:トランス・モダン共鳴圏
この問題の検討は以前に行ったが、今、同一性主義金融資本主義が崩壊した時点で、再確認するのは意味がある。
 私は近代合理主義/近代的自我は狂気であると述べてきたが、これは、当然、同一性主義のことでもある。
 何故、狂気になるかと言えば、差異(差異共鳴性)にこそ、理性・合理性があるのであり、それを否定・排除・隠蔽した同一性主義は当然、狂気を意味するからである。例えば、サブプライム・ローンは、正に、これが当てはまる。まったく差異(下層の人間)=合理性のないローンであり、同一性主義の狂気=不合理主義によるのである。
 思えば、近代初期(プロト・モダン)においては、差異がまだ駆動していたが、近代主義が進展すると、近代的合理性=物質主義という同一性主義が主導化して、差異を否定するようになったのである。これは、精神性・霊性、そして、倫理性の否定である。
 このハイパーな近代性が、狂気=不合理主義を生むのである。そして、これが、経済的に、リーマン・ショックとなったのである。ポスト・リーマンということで、今や、トランス・モダン=差異共鳴主義=自然合理主義へと転換し出したと考えられるのである。
 どうして、そうなるのかと言えば、近代合理主義/近代的自我という同一性主義の帰結としてのリーマン・ショックなのであり、もう同一性主義の命運は尽きたからである。つまり、近代合理主義/近代的自我という近代の知/同一性自己が崩壊したからであり、そして、ポスト・モダンにおいて芽生えていた差異の精神性がここで、賦活されるからである。即ち、同一性主義の作っていた連続性が切断されて、ポスト・モダンがトランス・モダンへと転換する必然性が生起したからである。
 米国は、オバマ次期大統領の下で、トランス・モダンの政治・経済へと歩みだしたと考えられる。トランス・モダン・エヴォリューションである。
 日本人は、これまでの、モダンの手法がまったく時代に逆行することを知らないのといけない。自己の差異合理性=自然合理性に目覚めて、行動する時代となったのである。超維新の時代である。


ポスト・アホウ亡国政権:自然合理差異共振経済へ向けて
これは、バラマキ政策(封建的近代主義)でなくて何であるか。これは、官僚の保身エゴイズムである。自公党は、官僚傀儡政党である。
 思うに、私の直感では、麻生首相は、公明党のエゴイズムに動かされて、とりわけ、バラマキ政策を行っていると考えられる。官僚、自公党は、金権亡者であることは変わらない。唯物主義に囚われているのである。

@@@@@@@@@@@@@@@

ビートルズは、イギリスのマイノリティの出である

以前も述べたが、ビートルズはほとんどケルト系なのである。ジョン・レノンの父方は、北アイルランド出身であるし、ポール・マッカートニーもアイルランド系であるし、ジョージ・ハリスンも北アイルランド系である。リンゴ・スターは不明である。
 リバプールは、私が、イギリスで好きな都市の一つである。港町であり、空気に湿り気があり、日本人に合うのである。また、人々も街をぶらぶらゆったりと歩いて、日本の下町に似ていて、好感をもつのである。


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カレンダ
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