悪とは何か:第四象限と他者:不連続化、純粋差異化と第三象限






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2011年12月11日(Sun)
悪とは何か:第四象限と他者:不連続化、純粋差異化と第三象限
悪とは何か:その2:第四象限と他者:不連続化、純粋差異化と第三象限

テーマ:evilness, egotism

先に(悪とは何か http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11103585697.html)悪の根拠について考察してみたが、同一性の問題と結びつける必要がある。
 しかし、これは自明である。media pointからの連続化によって、自己同一性(自我)が形成されるが、そのとき、凸iと凹iは一致しているからである。即ち、悪の根拠の凹iは凸i(同一性)と結合しているということである。
 結局、他者性(魂)の有無が悪の問題の一つの中核的問題である。
 悪は同一性主義によって、他者(差異)を否定するのであり、他者は利己主義の対象となるのである。言い換えると、他者は物体化、物質化するのである。
 問題は、他者とは何かである。これまで、他者は凹iとしたが、これが凸と結合すると、悪になるのである。しかし、他者は単に凹iでいいのだろうか。
 所謂、道徳は第二象限に存する。それは規範的な倫理である。
 それに対して、第三象限の道徳・倫理があると考えられる。それは内在的な個的道徳・倫理である。
 他者性は根本的にはここに関係すると推察されるのである。
 ここで、不連続性の問題に戻って考えると、不連続的差異(絶対的差異)とは、端的に、凹iである。つまり、連続性(連続的同一性)である凸(+1)からの切断によって、凹iが独立することである。言い換えると、凸iと凹iが分離するのである。
 このとき、凸i(知性)の立ち位置が微妙である。それは、同一性(凸)、物質、外界との関係をもつと同時に、凹iと極性を形成して、差異共振作用をもつ のである。(思うに、カントの純粋理性とはこの凸iの二重性を問題にしているだろう。しかし、カントは凹iの視点をもたなかったので、アンチノミー、背理 しか見なかったと考えられる。)
 とまれ、不連続化によって、凹iが独立し、第三象限への道が開けるのである。東洋・日本の道である。
 だから、他者凹iとは第三象限と結びつく存在と考えるべきである。
 しかしながら、例えば、「心」、「良心」、「善意」、「心情」、「魂」という場合、それは、まだ、第三象限へは達していない前段階と考えられる。言い換 えると、不連続化以前である。一種未分化である。不連続化できて、他者凹iは第三象限(内在的超越性領域)へと結びつくのである。
 では、端的に、不連続化とは何であろうか。それは認識行為である。精神の領域での行為、観念的行為である。認識的進化と言ってもいいだろう。それは、純粋差異化と呼んでもいいだろう。
 では、純粋差異化の仕組みはどういうものだろうか。これも結局は既述済みである。即ち、自己は凸i主導的であり、そのために、凹iは連続化を被っているのである。
 つまり、凸iがもつ連続的志向が凹iに作用して、凹iとの連続性を保持しているのである。しかし、純粋差異化によって、凸iの主導性が覆り、凹iの独立性が形成されるという事態が生起することである。
 言い換えると、価値転換、自己のコペルニクス的転回である。あるいは、価値の東洋化、ないし、母権化である。
 政治的に言うと、真の民主主義、経済的に言うと、真の自由主義の形成の出発点である。
 そして、自由主義は、差異共振化をもつために、自由共同体主義となるのである。それは差異共振的資本主義であろう。そう、新しい民主主義も差異共振的民主主義となるだろう。




悪とは何か
テーマ:evilness, egotism

今は、簡単に指摘するに留める。
 本件の問題は、人間認識図から言えば、第四象限に属する。つまり、凹iと凸が結合した領域である。
 私の直観は、凹iはシュタイナーの説くアストラル体(感性体)と等価であるので、凹iが陶冶されない場合、それが、物質凸と結合して悪となるのではないということである。
 つまり、凹iは粗野のままでは、欲望の渦であり、それが、物質と結合して、第四象限を形成するように思えるのである。
 もし、凹iが教化されるならば、それは、他者性をもち、media point形成への出発点となると考えられる。
 とまれ、悪とは粗野な凹iが物質凸と結びつくのであるが、凸iはこの場合、凹iに隷属しているように思える。
 凸iが形成する同一性は粗野な凹iに従属して、都合のいい、つまり、一時的なもののように思える。
 つまり、嘘、詐欺、虚偽である。利己的欲望のために、同一性を利用して、欺すのである。
 そうならば、悪とは、「教養」を欠落した存在であると言えるのではないだろうか。
 そう、凹iを教化する「教養」の欠落である。「教養」とは、本来、知恵、叡知、文化の謂いである。
 近代「文化」は物質文化であるために、この「教養」を欠落するのである。故に、人間は悪へと傾斜すると考えられる。
 資本主義が新自由主義ないし国家資本主義になるのも、「教養」の欠落、言い換えると、魂の欠落に拠ると
考えられるのである。
 言い換えると、精神の貧困、心の貧しさに拠るのである。
 民主主義も結局、「教養」がなけられば、愚民主義、衆愚政治になるほかないのである。
 今はここで留める。


参照:
ガウス平面で表した人間認識の図

original concept picture of kaisetsu

(海舌が考えた人間認識世界の概念図)

http://photozou.jp/photo/show/240326/40644208

http://googleads.g.doubleclick.net/aclk?sa=l&ai=BbLAmwCzkTtb5EYPrkAXksoCVCLSptuACtPnS0jq8idTthgGA_qwNEAEYASDeppQKKAM4AFCT1dzk_P____8BYInrx4T4E6AB5K2J2AOyAQlhbWVibG8uanDIAQHaATZodHRwOi8vYW1lYmxvLmpwL25lb21hbmljaGFlaXNtL2VudHJ5LTExMTAzNTg1Njk3Lmh0bWyAAgGpAoM7to2-qUs-wAIFyALUqugWqAMB6APFCOgDDugDiAT1AwAAAMT1AwAAQBA&num=1&sig=AOD64_0DPkxjAiEUT5AX6SenrZ0gZILNcw&client=ca-cyberagent-ameblo_js&adurl=http://wimax-toppa.jp



   




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