日本における父権文化の形成について:二つの「天」の差異:母権統制的父権制と不連続化による新母権化:VER2(本文のみ)






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2008年08月24日(Sun)
日本における父権文化の形成について:二つの「天」の差異:母権統制的父権制と不連続化による新母権化:VER2(本文のみ)
思うに、シャーマニズムと儒教の関係が、東アジアにおける精神経済=精神文化(この場合は精神政治という方がより適切であるが)における、キーポイントになる。【p.s. この考えは以下の考察において、破棄された。】
 
「儒教前史

儒(じゅ)の起源については胡適 が論文「説儒」(1924年 )で「殷 の遺民で礼 を教える士 」として以来、様々な説がなされてきたが、近年は冠婚葬祭 、特に葬送儀礼 を専門とした集団であったとするのが一般化してきている。そこには死後の世界と交通する「巫祝」(シャーマン )が関係してくる。そこで、東洋学者の白川静 は、紀元前、アジア一帯に流布していたシャーマニズム を儒の母体と考え、そのシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し、仁愛の理念をもって、当時、身分制秩序崩壊の社会混乱によって解体していた古代社会の道徳的・宗教的再編を試みたのが孔子であると主張している。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E5%84%92%E6%95%99

やはり、直感では、古代ギリシア文化の動きと類似したものを感じる。ニーチェの視点で言えば、アポロとディオニュソスである。

 仮説として、アポロとディオニュソスは、Media Pointの極性とする。アポロは同一性面であり、ディオニュソスは差異面である。両者一体である。そして、同一性面が中心化すると、父権制が現われるだろう。同一性固定化である。この中心がゼウスと考えられる。

 だから、Media Pointの同一性極の帰結としての父権主義が考えられる。

 問題は、この父権化が、母権制の一環なのか、否かである。これは、言い換えれば、多神教と一神教の関係の問題である。この問題は既述済みである。両者は不連続である。母権制と父権制は不連続である。一神教/父権制の場合、同一性への傾斜があり、それが、同一性固定化=同一性主義を生んだということになる。

 先に述べたように、母権制と父権制が、連続的に重なる事態が文化史=精神政経的に生起したと考えられる。これは、混淆であり、錯綜である。

 だから、古代ギリシアにおいても、同様のことが起ったと考えられる。アポロとディオニュソスは、本来、Media Pointの極性であるが、それが、父権制によって、同一性へと傾斜していると考えられる。だから、アポロとアポロ主義(古典主義)は異質なものである。つまり、同一性と同一性主義はまったく異なるということである。

 この事態を明確に命名する必要がある。これまでは、母権統合型父権制と呼んできた。そう、母権統制的父権制と言う方が、的確である。これを使用する。

 しかし、問題は、母権統制的父権制において、本来の母権制と父権制とは異質であり続けるということである。母権制は父権制にとり、他者・差異なのである。これを押さえておく必要がある。

 とまれ、以上から、本件のシャーマニズムと儒教との関係は、母権統制的父権制にあると言えよう。

 では、問題は、さらに進んで、父権制とは何かということになる。西洋では、アーリア民族やセム民族がもっていた精神政治文化である。遊牧民族が中心と言えよう。しかし、神話学的には、バビロニア神話に見られるような父権神話が基盤である。

 これは、男性のもつ同一性傾斜に基づく神話であると考えられる。母権神話の太母を英雄が殺害して、天地創造を行うパターンである。一言で言えば、英雄神話である。そして、この帰結がヤハウェであると考えられる。

 この父権神話において、形而上学的に、権威の中心になったのが、「天」である。「天にまします我らが父よ」である。問題は父権神話の「天」とシャーマニズムの「天」は異質なものであることである。しかし、ここで、混淆・連続化が生まれたと考えられるのであり、「天皇制」の問題の根因もここにあると考えられる。【また、これは、イデア論とも関係している。通俗的なイデア論の理解は、父権的な「天」の発想である。それに対して、プラトニック・シナジー理論のイデア論は、母権制の「天」の発想である。】

 端的に、父権神話の「天」とは何なのか。哲学的には、同一性主義(ロゴス中心主義)だと考えられる。父権制とは同一性傾斜を根源にもつのであるから、父権神話の「天」はそうなると考えられる。

 それに対して、シャーマニズムないしは母権制の「天」は差異共鳴性であると考えられる。だから、二つの「天」はまったく異質なのである。このことはいくら強調しても強調し過ぎることはない。【英語で言えば、universeないしはspaceとcosmosの違いになるのではないだろうか。】

 因みに、ここで、ポスト・モダン哲学について言うと、その同一性主義批判は、確かに、父権的「天」の同一性主義を批判、解体したが、同時に、母権的「天」の可能性を排除してしまったと考えられる。とりわけ、デリダ哲学においてはそうである。ドゥルーズ&ガタリ哲学においては、『哲学とは何か』において、コスモスが頻出するが、それは、母権的「天」を指していると考えられる。【ドゥルーズ&ガタリの場合、差異と同一性を連続化させていて、差異のもつ超越性が、コスモスという形で、紛れ込んでいると言えよう。】

 では、本件にもどって考えると、日本における父権文化の形成とは、やはり、大陸から父権文化が侵入して形成されたと考えるのが妥当であろう。しかし、韓国・朝鮮文化は、父権文化ではない。

 直感では、やはり、中国の国家主義が根因である。そう、儒教というよりは、国家体制ではないのか。端的には、律令制である。これが、日本における父権文化の基盤ではないのか。

 儒教は後付け的な原因に過ぎないと思う。根底に、中国国家主義の律令制があると思う。

 では、律令制とは何なのか。


「律令制の起源は中国にあり、土着してその地を支配する貴族・豪族に対し、皇帝がその上にたつ強力な支配権力を確立するために生まれた。北魏や唐を例にとれば、令(れい)にある均田法 では土地の公有化をはかり、国家によってそれを配分することを規定し、貴族・豪族たちの土地所有を制限したり、禁じている。また法による国家統治をおこなうため、皇帝に奉仕する官僚集団をつくりあげた。こうした律令の法体系を基礎に国家の諸制度があり、それを実行する政治組織が皇帝を頂点とする中央集権的な国家体制である。」

http://jp.encarta.msn.com/
encyclopedia_1161533842/content.html

エンカルタ百科事典ダイジェスト

端的に、皇帝・中央集権的国家主義が母体にある。【これが、東アジアの、ないしは、アジアの母体にあるだろう。しかし、それより根源には、母権制があると考える。】
 皇帝中心の中央集権国家体制とは、やはり、精神政治文化的には、当然、父権神話がある。つまり、中国における父権民族の侵入が考えられるように思うのである。今はそう作業仮説する。結局、東アジアに侵入した父権民族(おそらく、父権的遊牧民族)が、律令制の遠因である。
 父権民族は、同一性主義であり、これが律令制の基盤だと考えられる。そして、父権民族であるが、これが、日本にも侵入したと考えられる。この父権民族が、「天」の思想を利用して、天皇制を形成した考えられる。
 では、日本に侵入した父権民族とは何か。すぐ思いつくのは、騎馬民族説である。これを一応評価して考えれると、父権的騎馬民族が、シャーマニズム/アニミズム(古神道)、道教、儒教、仏教等々を利用して、天皇制を形成したと思われる。直感では、古墳時代が怪しい。
 とまれ、今の段階では、想像をたくましくして、考えると、日本に侵入したのは、失われたユダヤ民族かもしれない。ユダヤ教が侵入した可能性があることになる。

【参考:イスラエルの失われた10支族出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イスラエルの失われた10支族(イスラエルのうしなわれたじゅうしぞく)とは、イスラエルの12部族のうちの行方が知られていない10部族を指す。

http://ja.wikipedia.org/wiki/
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3%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E
3%81%AE%E5%A4%B1%E3%82
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 とまれ、なんらかの父権民族が日本に侵入して、中国の律令制を真似て、父権体制=(天皇制を利用した)中央集権体制を形成したと推察されるのである。(もっとも、もともとは、中国のような強固なものではなかったと考えられるが。)
 そして、かれらが、それ以降の日本の精神政治・経済の支配者となったり、支配者と関係したように思う。今日の官僚制の原因はそこにあると考えられる。内なる父権制である。
 最後にどうして、内なる父権制が今日でも強固であるのか、一言述べたい。
 それは、母権統制的父権制に存するのではないだろうか。これこそ、民衆支配の強力なシステムである。先に述べたように、母権制と父権制との連続化・混淆形態である。この連続性があるために、父権的支配、「貴族」=官僚の支配を断ち切れないと考えられるのである。
 この点から見ると、不連続的差異論は画期的である。両者の連続性を切断して、母権制と父権制を別々にしたのである。絶対的差異を取り戻したのである。
 《東アジアの目覚め》は、母権制と父権制の再不連続化にかかっていると言っていい過ぎではないだろう。これは、精神政治進化である。
 そして、プラトニック・シナジー理論は、新母権制に基づく、差異共鳴原理を説いているのであり、同一性主義資本主義から差異共鳴資本主義への変換原理を提示しているのである。

P.S. 結局、天皇制とは、母権統制的父権制の精神政治ということになるのではないだろうか。二つの「天」がそこで連続化されているのだ。だから、先に述べたように、トランス・モダン天皇制、即ち、新母権的天皇制へと変換されるべきである。


   




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